愛の物語を囁いて

ひなた翠

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噂の威力

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◇惣二郎side◇
「おはようございます」と隣の席である小暮先生が、勿体ぶった言い方で出勤してきた俺に声をかけてきた。

「おはようございます」

 俺はいつも通りにぺこっと頭を下げてから、机に鞄を置いた。

「今朝は随分と血行の良い唇ですねえ」

 小暮先生のあからさまな嫌味に、俺は静かに深呼吸した。

 昨晩、何度も何度も伊坂とキスをした。赤く腫れていてもそれは仕方のないことだ。

 小暮先生からの仕打ちを忘れるために、俺に甘えただけ。ああでもしなければ、忘れられなかったのだろう。

 学校にはきちんと行くと話していたし、見た感じ、自暴自棄にはなってなさそうだから、安心している。

 ただ教師と生徒というラインを越えてしまったことで、今後の接し方に問題が出ないか心配だ。

 俺はいい。俺は大人だし、線引きの仕方を心得ている。が、伊坂は違う。まだ社会の冷たさを経験していない十代だ。

 唯一、本音をさらけ出し、甘えられる人間が俺しかいない……というのが、可哀想だ。

 俺に頼れない状態のときに、心が割れそうな事実にぶちあたったら、独りで支えきれずに壊れてしまうんじゃないか……と、不安になる。

 俺は小暮先生の話しかけに目も合わせずに「そうでもないですよ」と答えると、自分の席についた。

 鞄の中に入っている物を机の上に一度置き、それから抽斗や本棚へと仕分けしていく。

「1年のときから、結構、噂のあった子なんですよ。外には漏れてないんですが。40代くらいの男とホテルに行っていた……とか。男相手に援交をしていたとか、ね」

 小暮先生が、俺のほうに身体を傾けるとひそひそと耳打ちしてきた。

「小暮先生、それは今お話する内容でしょうか?」

 俺の言葉に、小暮先生がにんまりと笑う。

「気持ち良かったでしょ? あいつ、慣れてるんですよ。経験豊富っていうか……あっ、英くんも経験っていう点でいうなら、私よりも知ってますよね。生徒に手を出すのは」

 小暮先生がクスクスと笑った。

 だから何? 俺に何を言わせたいんだ?

 俺はぐっと奥歯を噛み締めると、深呼吸をした。

 俺の悪口を言うなら、俺は耐えられる。いや、耐え抜くと決めているんだ。

「しかし、あの子には本当に参りましたね。あっちが上手すぎて。噂通りの子ですよ。あの子は……」

 俺を悪く言う分には大人しくしててやろうって思ったけれど。

 去年まで担当してた生徒まで、悪く言うなんて最低教師だ。

 俺はパッと席を立つと、拳を握りしめた。

 回転椅子から小暮先生が転げ落ちるまで、1秒もなかったろう。

 床に尻を思い切りぶつけて、俺に殴られた頬を手で押さえながら、信じられないという表情で見上げてきた。

「俺が手を上げない人間とでも思ったかよ」

 俺は床に座ったままでいる小暮先生の目の前に腰を落とした。

「俺を悪く言い分には構わない。俺がいた前の学校に小暮先生の知り合いがいて、辞めた理由を聞いているんだろう? 俺を軽蔑する分には好きにしろよ。だが、俺の生徒を悪く言うのは許さない」

 俺は立ち上がると、小暮先生を睨んでから職員室を出て行った。

 遠巻きで見ていた先生たちの声が、俺が出て行ったことにより、聞こえてくる。

『きゃー』とか、『大丈夫ですか』とか。なんとか。

 他の職員たちだって、小暮先生みたいに前の学校で何かあったか詳しく知らなくても、俺がいわく付きの教師だってことぐらい知っているだろう。

 去年、いきなり中途採用で就職してきたのだから。

 前の学校で何か問題を起こし、この学校に転任してきた……。何をしでかしたのか。まわりの教師は興味津々だったはずだ。

 一応、大人の対応として何も聞かずにきていただけ……なんだろうし。

 この一件で、俺がどういう人間か。わかっただろうな。

 すぐにキレて、同僚ですら簡単に殴る凶暴人間だって。
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