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49 恋愛初心者の迷走
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ミシェルが私室で悶絶していた時から、遡る事数時間。
協力者候補との交渉から戻ったミシェル達を出迎えたフィルマンは、微かに怪訝な表情を浮かべた。
彼等の間に漂う空気が、出発前とは明らかに違っていたからだ。
いや、正確に言えば、レオだけは相変わらず能天気な顔をしている。
チェルシーは少し落ち着かない様子。
そして、クリストフとミシェルは……、
邸を出た時は、まあまあ良い雰囲気だったと思うのだが、今はどことなく気まずいムードが漂っていた。
ミシェルがチェルシーと共に私室に去った後、クリストフは執務室に入るなり盛大な溜息を吐き出した。
かと思えば、頬を染めて宙を見詰め、ほぅ……と、悩ましげな吐息を吐いたりもする。
そして次の瞬間には、苦しそうに眉根を寄せて、ウンウンと唸り出す始末。
その百面相に、フィルマンが突っ込むべきだろうかと悩んでいると、クリストフは漸く小さな呟きを漏らした。
「急ぎ過ぎたかもしれない……」
「何があったのですか?」
紅茶を淹れながらフィルマンが問い掛けると、思いもよらない答えが返って来た。
「好きだと言った」
「……は?」
「溢れるぞ」
紅茶をカップへ注ぐ最中に固まってしまっていたフィルマンは、クリストフの指摘にハッと我に返った。
慌ててティーポットを起こすと、紅茶がカップの縁から溢れる寸前でピタリと止まる。
ギリギリセーフ?
いや、少しでも動かせばソーサーに茶が零れてしまうのだから、完全にアウトだ。
「失礼しました」
溜息を押し殺したフィルマンは、何事も無かったかのように新たなカップに茶を注ぎ、平静を装ってクリストフに差し出した。
「それにしても、随分と急展開ですね」
フィルマンが驚くのは無理もない。
つい先日まで、クリストフはミシェルと一緒にお茶をしたいと言い出す事も出来ずに、遠くから見ているだけだったのだから。
「気持ちを伝えないと、何も進展しない気がして……」
クリストフが少々焦っていたのは知っている。
長年抱えていたトラウマをミシェルに打ち明けて、心が軽くなったのは良かったのだが……。
クリストフの気持ちを慮ったミシェルが、彼の体に触れない様に気を付けてくれるので、当然ながら全く二人の距離は縮まらない。
勿論、それが彼女の優しさからくる行動だと分かってはいる様だが、『ミシェルには触れたいのだ』と、彼女が気を使う度に、何度も執務室で愚痴る主を慰めた。
『それをそのままご本人に伝えては?』とアドバイスするも、急にそんなこと言われてもドン引きされると頑なに拒否された。
「それで、奥様のお返事は?」
「………………済みません、と」
フィルマンは己の主に憐れみの視線を投げる。
「それは……、残念でしたね。
ですが、振られたくらいで死にはしませんから」
「振られてない! ……いや、振られた……のか?
だが振られたとしても、既に私達が夫婦である事には変わり無いし、これから少しずつ彼女の信頼を得て、いつかは好意を持って貰える様にだな……」
「前向きなのは良い事ですね」
思ったよりは落ち込んでいない様子のクリストフに、フィルマンは少しだけ安堵した。
不幸な事件を切っ掛けに、大きな心の傷を負ってしまった主の事を、彼はずっと心配して来たのだ。
これまでクリストフへの縁談はそれなりにあった。
その中には、クリストフが苦手とする令嬢とは正反対の、控えめで真面目な雰囲気の女性も居たのだが、それでもやはりクリストフは頑なに妻を迎えようとはしなかった。
彼女達とミシェルにどんな違いがあるのかは分からないが、クリストフが女性に好意を持ったのはフィルマンが知る限りこれが初めてだ。
しかも、クリストフだけでなく、この邸の全員がミシェルを好ましく思っている。
ならば是非ともお二人には、このまま本当の夫婦になって頂きたい。フィルマンはそう考えていた。
「だが……、具体的にどうすれば良いのか……。
大事にしたいのに、そのやり方が分からないんだ。
彼女は私を愛していないだけでなく、きっと私の力を必要としていない。私が手を貸さずとも、彼女にはシャヴァリエ家という強い味方がいるのだし。
彼女の為に出来る事が少ないのが、とても歯痒い」
クリストフは微かに顔色を曇らせながら、訥々と心情を語る。
『君に振り向いて貰えるように、今日から頑張るよ』
ミシェルにそう言ったらしいが、今迄女性との関わりを極力避けて来たクリストフには、どうすれば彼女の歓心が得られるのか皆目見当も付かないのだろう。
「取り敢えず、贈り物でもしてみたらいかがでしょう?」
フィルマンが無難な提案をしたが、クリストフは難しい顔をして首を捻る。
「贈り物、か……。
何を贈ればこの想いが伝わるだろう?
ダイヤモンドの一つや二つでは、到底伝えきれない。いっその事、鉱山ごと手に入れてプレゼントするか?
それとも城でも建てるか? いや、城などプレゼントした日には、別居の時期が早まるだけだよな。
他に何か……ミシェルが喜ぶ物……。
そうだっ! あのアホ王太子の首はどうだろう?」
「いや、贈り物のチョイスがどうかしてます!!
重過ぎるし、物騒過ぎる。
いくら因縁のある相手とは言え、王族の命を気軽に捧げられても奥様だってお困りになるでしょう。
普通に花束とかアクセサリーとか菓子とかにしておきましょうよ」
良い事を思い付いたとでも言い出しそうな様子の主に、フィルマンは激しく突っ込む。
「……そうか。それが普通なのか」
シュンと項垂れたクリストフに、先行きの不安しか感じないフィルマンだった。
協力者候補との交渉から戻ったミシェル達を出迎えたフィルマンは、微かに怪訝な表情を浮かべた。
彼等の間に漂う空気が、出発前とは明らかに違っていたからだ。
いや、正確に言えば、レオだけは相変わらず能天気な顔をしている。
チェルシーは少し落ち着かない様子。
そして、クリストフとミシェルは……、
邸を出た時は、まあまあ良い雰囲気だったと思うのだが、今はどことなく気まずいムードが漂っていた。
ミシェルがチェルシーと共に私室に去った後、クリストフは執務室に入るなり盛大な溜息を吐き出した。
かと思えば、頬を染めて宙を見詰め、ほぅ……と、悩ましげな吐息を吐いたりもする。
そして次の瞬間には、苦しそうに眉根を寄せて、ウンウンと唸り出す始末。
その百面相に、フィルマンが突っ込むべきだろうかと悩んでいると、クリストフは漸く小さな呟きを漏らした。
「急ぎ過ぎたかもしれない……」
「何があったのですか?」
紅茶を淹れながらフィルマンが問い掛けると、思いもよらない答えが返って来た。
「好きだと言った」
「……は?」
「溢れるぞ」
紅茶をカップへ注ぐ最中に固まってしまっていたフィルマンは、クリストフの指摘にハッと我に返った。
慌ててティーポットを起こすと、紅茶がカップの縁から溢れる寸前でピタリと止まる。
ギリギリセーフ?
いや、少しでも動かせばソーサーに茶が零れてしまうのだから、完全にアウトだ。
「失礼しました」
溜息を押し殺したフィルマンは、何事も無かったかのように新たなカップに茶を注ぎ、平静を装ってクリストフに差し出した。
「それにしても、随分と急展開ですね」
フィルマンが驚くのは無理もない。
つい先日まで、クリストフはミシェルと一緒にお茶をしたいと言い出す事も出来ずに、遠くから見ているだけだったのだから。
「気持ちを伝えないと、何も進展しない気がして……」
クリストフが少々焦っていたのは知っている。
長年抱えていたトラウマをミシェルに打ち明けて、心が軽くなったのは良かったのだが……。
クリストフの気持ちを慮ったミシェルが、彼の体に触れない様に気を付けてくれるので、当然ながら全く二人の距離は縮まらない。
勿論、それが彼女の優しさからくる行動だと分かってはいる様だが、『ミシェルには触れたいのだ』と、彼女が気を使う度に、何度も執務室で愚痴る主を慰めた。
『それをそのままご本人に伝えては?』とアドバイスするも、急にそんなこと言われてもドン引きされると頑なに拒否された。
「それで、奥様のお返事は?」
「………………済みません、と」
フィルマンは己の主に憐れみの視線を投げる。
「それは……、残念でしたね。
ですが、振られたくらいで死にはしませんから」
「振られてない! ……いや、振られた……のか?
だが振られたとしても、既に私達が夫婦である事には変わり無いし、これから少しずつ彼女の信頼を得て、いつかは好意を持って貰える様にだな……」
「前向きなのは良い事ですね」
思ったよりは落ち込んでいない様子のクリストフに、フィルマンは少しだけ安堵した。
不幸な事件を切っ掛けに、大きな心の傷を負ってしまった主の事を、彼はずっと心配して来たのだ。
これまでクリストフへの縁談はそれなりにあった。
その中には、クリストフが苦手とする令嬢とは正反対の、控えめで真面目な雰囲気の女性も居たのだが、それでもやはりクリストフは頑なに妻を迎えようとはしなかった。
彼女達とミシェルにどんな違いがあるのかは分からないが、クリストフが女性に好意を持ったのはフィルマンが知る限りこれが初めてだ。
しかも、クリストフだけでなく、この邸の全員がミシェルを好ましく思っている。
ならば是非ともお二人には、このまま本当の夫婦になって頂きたい。フィルマンはそう考えていた。
「だが……、具体的にどうすれば良いのか……。
大事にしたいのに、そのやり方が分からないんだ。
彼女は私を愛していないだけでなく、きっと私の力を必要としていない。私が手を貸さずとも、彼女にはシャヴァリエ家という強い味方がいるのだし。
彼女の為に出来る事が少ないのが、とても歯痒い」
クリストフは微かに顔色を曇らせながら、訥々と心情を語る。
『君に振り向いて貰えるように、今日から頑張るよ』
ミシェルにそう言ったらしいが、今迄女性との関わりを極力避けて来たクリストフには、どうすれば彼女の歓心が得られるのか皆目見当も付かないのだろう。
「取り敢えず、贈り物でもしてみたらいかがでしょう?」
フィルマンが無難な提案をしたが、クリストフは難しい顔をして首を捻る。
「贈り物、か……。
何を贈ればこの想いが伝わるだろう?
ダイヤモンドの一つや二つでは、到底伝えきれない。いっその事、鉱山ごと手に入れてプレゼントするか?
それとも城でも建てるか? いや、城などプレゼントした日には、別居の時期が早まるだけだよな。
他に何か……ミシェルが喜ぶ物……。
そうだっ! あのアホ王太子の首はどうだろう?」
「いや、贈り物のチョイスがどうかしてます!!
重過ぎるし、物騒過ぎる。
いくら因縁のある相手とは言え、王族の命を気軽に捧げられても奥様だってお困りになるでしょう。
普通に花束とかアクセサリーとか菓子とかにしておきましょうよ」
良い事を思い付いたとでも言い出しそうな様子の主に、フィルマンは激しく突っ込む。
「……そうか。それが普通なのか」
シュンと項垂れたクリストフに、先行きの不安しか感じないフィルマンだった。
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