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72 小さな命の誕生

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 クリス様達が留守にしている間、ジェレミーはいつもより少しだけ甘えん坊になった気がする。
 家庭教師の授業がある時間以外は、カルガモの雛の様に常に私の後をついて回ってベッタリと過ごした。

 普段大人びた態度を取る事が多いので忘れがちだが、ジェレミーはまだ七歳。この程度の甘えや我儘が出るのは普通の事なのかもしれない。
 最近はクリス様との時間が増えた分、ジェレミーと二人きりの時間は減っていた。
 淋しい思いをさせていたのかもしれないと気付き、今後はより一層気を付けてあげなければと心に決めた。



「まだ眠くないです」

「そんな事言わないで。きっとベッドに入れば自然と眠くなるわ」

「……」

 いつもは就寝時間になると自主的に自室に戻る事が多いジェレミーだが、今日は私が説得しても、悲し気な顔をしてゆるゆると首を横に振る。
 ジェレミーの悲しそうな顔に弱い私は、ちょっと困ってしまった。
 愛する天使の願いは何でも叶えてあげたいが、クリス様の教育方針を勝手に変える事は出来ない。

 いつまでも続くかに思われた膠着状態は、お義母様の一言でアッサリと解決した。

「ミシェルが子守唄を歌ってあげたらどうかしら?」

「いやいや、お義母様。流石にジェレミーは、もうそんな年齢では……」
 
 と、言いかけたのだが、ジェレミーは曇っていた顔色をパッと輝かせて、私の腕に抱き着いた。

「それなら眠れそうです!!
 良いですか? 母様」

「え~……? 歌はあんまり自信が無いのに……」

 だが、ウルウルした瞳で見つめられるとどうしても断れない。

「……仕方が無いわね。今日だけよ?」

「やったぁ!
 お祖母様、お先に失礼しますね。お休みなさいませ。
 さあ、母様、早く行きましょう?」

 礼儀正しくお義母様に辞去の挨拶をしたジェレミーは、急かす様に私の手を引いて自室へ向かう。

「ふふっ。まるで蜜月みたいね」

 そんな私達を見て、お義母様は呆れた様に、でも微笑ましそうに笑った。





 王都へ行っていたクリス様達は、思ったよりも早く領地に帰って来た。
 そんな父親を出迎えたジェレミーが、小さく舌打ちをした様に見えたのだけど……。
 多分、私の気のせいよね?



「へっ!?」

 思わず変な声が出てしまったのは、帰還した彼らから齎された報告が余りにも衝撃的だったから。

「だから、国王陛下は体調が思わしくないので退位する事が決まったんだ。
 手続きが終わり次第、現陛下は療養の為に北の王領に移る。
 そして新たに立太子なさるランベール殿下の教育が済むまで、モーリアック公爵が中継ぎの国王になられるんだ」

 それって療養じゃなくて蟄居か幽閉だよね?
 大体にして、療養なのに北の王領って無理があるでしょ。
 北の王領と言えば、超極寒の地じゃないか。人間が定住するのに不向きな地なので、領主になる者が見つからずに王領となった場所なのだ。

 病人を送ったりしたら、多分速攻で死ぬわよ。
 いや、寧ろ、健康であっても高齢な国王は、多分長生き出来ない。

 戸惑う私を他所に、お義母様は満面の笑みでお義父様とディオン兄とハイタッチをしている。

「えーっと、やっぱり何かしましたよね」

 その様子を横目で見ながらクリス様を問い正すと、彼は苦笑しながら頷いた。

「まあ、少しだけ。
 だが私達が何もしなかったとしても、あの王ではいずれは破滅しただろう」

「そうかも知れませんが……、大丈夫なのですか?
 いくら国王への批判が高まっているとは言え、反対する者も多かったのでは?」

「その辺はきちんと根回ししてあるから」

「……そうですか」

 驚きはしたが、心の何処かで納得もしていた。
 国王がシャヴァリエ夫妻を怒らせた時点で、既に彼の破滅は決定事項だったのだ。

 状勢を正しく理解する事は、国を動かす者にとって欠かせない能力だが、残念ながら彼にはそれが備わっていなかったらしい。
 こんな風に退位させられるなんて、直前まできっと夢にも思わなかっただろう。


 国王退位のニュースは瞬く間に王国全土に広がり、国民の関心を集めた。
 突然の政変に国内情勢が不安定になるかと心配したが、現王家への評判は地に落ちており、モーリアック公爵達への期待の声の方が大きかった。

 同盟国からの反対が一切無かった事もあって、予想されていた混乱は最小限に抑えられた。
 それに関しては、メルレ伯爵が事前にしっかりと同盟諸国の王族に根回しをしていた事が大きい。
 メルレ伯爵はご子息の事故の際の私の対応に恩義を感じて下さったらしく、義実家やクリス様に色々と手を貸してくれていた様だ。

 因みにモーリアック公爵が即位したら、公爵家の領地と爵位はそのまま新国王が預かり、ランベール殿下の弟王子が成人し臣籍降下する際に継承される予定だ。




 国王陛下の退位の手続きが着々と進む中、新たな王が誕生するよりも少し早く、デュドヴァン家には待望の次男が誕生した。
 とっても元気なその男の子は、ジェレミーによってヴァレールと名付けられた。
 強さと健康を願う意味を持った名前だ。

「小さい手だな」

「ほっぺがプニプニだね」

「ジェレミー、あんまり触ると目を覚ましてしまうんじゃないか?」

 弟の柔らかな頬を指先でそっとつついていたジェレミーにクリス様が注意を促すと、ジェレミーはちょっぴり不満そうに唇を尖らせた。

「ズルいです。父様だって、さっきまで散々ヴァレールの手を触っていたではないですか」

「そうだったな……」

 そんな小声での言い争いも、なんだか微笑ましい。

「大丈夫よ。この子、眠りが深いタイプみたいだから、少しくらい触っても起きないわ」

「大物になりそうだな」

 私の腕の中で微かな寝息をたてながらグッスリと眠るヴァレールを観察しながら、ニコニコ笑うジェレミーとクリス様。
 小さくて愛らしいヴァレールに、二人ともあっと言う間に骨抜きにされた。


「ところで、ジェレミー」

 飽きる事なくいつまでもヴァレールを見詰めているジェレミーに、クリス様は徐に語りかけた。
 その真剣な表情に、ジェレミーも緊張した様子で姿勢を正す。

「はい。なんでしょうか?」

「以前も言った通り、弟が生まれても、お前を後継にする方針に変更は無いからな。
 当主教育は大変だと思うが、これからも領地と家門の為に頑張って欲しい」

「……母様は、本当にそれで良いの?」

 私に視線を向けたジェレミーの瞳は、少し不安そうに揺れている。

「当たり前じゃない。きっとジェレミーなら立派な当主になってくれると信じてるわ」

「はい。お二人の期待は裏切りません。
 自慢の息子になれるように、今後も頑張ります」

「馬鹿だな。お前はとっくに自慢の息子だ」

 クリス様にワシャワシャと乱暴に頭を撫でられたジェレミーは、幸せそうに破顔した。

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