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第五話 これからよろしくお願いします
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とりあえず話はまとまったという事で、次は私の部屋を案内してくれる事になった。応接室からさほど離れていないと聞いていたんだけど……。
「……遠いなぁ……」
屋敷が広いせいで、私の思っていた、さほど離れていないの認識が、この家の人の感覚とかけ離れているのがよくわかった。
「セーラ様。こちらです」
通された部屋には、大きな本棚にテーブルにソファ、天蓋のついたベッドまである。本棚には、ズラッと色んな本が揃え……られ、て……?
「どうですか、良い部屋でしょう?」
「凄い良いお部屋です! それでヴォルフ様……この本は……!?」
「あなたが好きな物を用意しておきました。いかがですか?」
もう返事をする余裕もなく、私は本を一冊取り出した。そのタイトルは……深き森に潜む悪霊……ホラー小説だ。
実は私、ホラー小説大好きで、たまに図書館で読んでいたくらいには好きだ。あのおばけや幽霊の造形とか、表現方法とか、謎があるならそれを解くとか、読んでて本当に楽しい。
「ヴォルフ様、いつの間にご用意されていたのですか?」
「ふふっ、お招きする前にね。セーラが好きな物をたくさん仕入れたのさ」
「……本当にあなたは……あとでお説教ですからね」
「なんで!?」
なにやら後ろで楽しそうな会話が聞こえてる中、私は持っていた本を戻すと、二人の前でゆっくりと頭を下げた。
「こんな事までしてくれて、ありがとうございます。いつか必ずお返ししますから……」
「…………」
「…………」
……沈黙。頭を下げているせいで、二人がどんな顔をしているのか全然わからない。怒ってなければいんだけど……。
「別にそんなの全く気にしなくていいですよ」
「じゃあ、せめて家賃と食費だけでも……」
「大丈夫ですよ。あなたには、のんびりと過ごして、偽物の婚約者の務めをしてくれればいいんですよ」
それでは、私だけがしてもらいっぱなしになってしまう。でも、私なんかに出来る事なんて、何も無いのも事実だ。
「そうだ、これから我々は仮とはいえ、婚約者です。なので、もう少し楽にしてくれても構いませんよ。僕もそうしたいので」
「そ、そんな……恐れ多いですよ」
「誰も怒ったりしないので、大丈夫ですよ」
逃げ道を失った私は、覚悟を決めてから、震える唇をゆっくり開いた。
「今日は……ありがとうございます。その、リンゴジュース、美味しかったです。それで、その……これからよろしくお願いします!」
変に着飾らず、いつもの様に頭を下げて挨拶をすると、ヴォルフ様は少し困ったような笑顔を浮かべた。
「あまり変わってない気もするけど……まあいいか。僕も楽に話させてもらうよ。いきなりは大変だろうから、何かあったらすぐに言うんだよ」
さっきまでの丁寧な話し方から変わり、気さくな感じで話してくれるヴォルフ様。こっちの方が、私としても少し気が楽になる。
「はい。ヴォルフ様は優しいんですね」
「そうかな。普通だよ、普通」
「そんな事……あ! そろそろ仕事に行かないと! 一度家に戻って着替えてからだから……あわわわわわ、間に合うかな……」
お店はいつも、夜からオープンして、日が変わるくらいまで営業している。だから、ここから家に戻るまでの時間を考えると、そろそろ帰って準備をしないと、遅刻が確定だ。
「大丈夫、すぐに馬車を準備させるよ。それに乗って一度家に戻ってから、仕事場に行くと良い。仕事が終わったら、こっちに戻っておいで」
「わかりました」
急にバタバタしてしまったけど、なんとか私は馬車に乗って家へと帰る。
屋敷を出る時に、お見送りに来てくれた使用人方の中に、ヴォルフ様とエリカさんの姿が無かったのが、ちょっと心残りだけど……仕方ないよね。
****
「はあ、良かった……間に合った……」
一度家に帰ってから準備をして酒場に行くと、かなり時間ギリギリではあったけど、なんとか間に合う事が出来た。
って……あれ、いつも先にいるはずのマスターがいない。珍しいな……何かあったのだろうか。
そう思った矢先、マスターは少し汗を流しながら、駆け足で入ってきた。
「おはようございます。遅刻ですか……?」
「ああ。ちょっと野暮用でな。仕込みは出来てるから、問題無い」
「わかりました!」
マスターにしては珍しいなと思いつつ、ホールの準備を終えて店をオープンすると、早速チリンチリン――と、入り口が開く音がした。
「い、いらっしゃいませ~」
挨拶をしながら顔を向けると、いつも同じ席に座っている、常連の男性だった。
「今日もいつもので」
「はい、エールとフルーツ盛り合わせとリンゴジュースですね。少々お待ちください」
私はホールに戻って注文を渡しに行く前に、既にマスターは半分以上の準備が終わらせていた。
「完成だ。もっていけ」
「はい」
私はゆっくり、転ばないように品を運――んでいたはずなんだけど、いつもの緊張に加えて疲れていたせいで、自分の足がもつれてしまい、そのまま転んでしまった。もちろん、持っていたエールやフルーツ盛り合わせ、そしてリンゴジュースは宙を舞った。
「あぁ……!」
もう諦めて、自分の馬鹿さ加減に呆れるしか出来なかった私とは違い、男性はジョッキを手に取って零れないように動かし、フルーツを目にも止まらぬ早さでキャッチして元に戻し、リンゴジュースもキャッチしてから掬うようにして……結果、何も零れる事は無かった。
「凄い……じゃなくて! ごめんなさいごめんなさい!!」
「気にしないでください。お怪我が無いようでなによりです。はい、いつものジュースをどうぞ」
「あ、ありがとうございます」
……マスターも謎が多い人物だけど、この常連客の男性も謎が多い。何をしている人なのか知らないし、名前も知らない。
悪い人ではないと思うんだけど……正体がわからないと、ちょっと怖いかも……。
ううん、今はそんなの気にしないで、仕事しなきゃ! 今度はドジをしないように……ドジをしないよう、に……。
「ひゃあああああ!?!?」
ドンガラガッシャーン!!
「おい、どうした……って、鍋をひっくり返しただけか。怪我はないか?」
「何とかぁ……」
「気を付けろよ。怪我をしたら大変だ」
はあ、ドジをしないって決めた矢先に、厨房で空っぽの鍋をひっくり返しちゃうなんて……本当に私ってグズでドジで駄目な子だ。これじゃ、マルク様に遊ばれるのも納得だ……。
「……遠いなぁ……」
屋敷が広いせいで、私の思っていた、さほど離れていないの認識が、この家の人の感覚とかけ離れているのがよくわかった。
「セーラ様。こちらです」
通された部屋には、大きな本棚にテーブルにソファ、天蓋のついたベッドまである。本棚には、ズラッと色んな本が揃え……られ、て……?
「どうですか、良い部屋でしょう?」
「凄い良いお部屋です! それでヴォルフ様……この本は……!?」
「あなたが好きな物を用意しておきました。いかがですか?」
もう返事をする余裕もなく、私は本を一冊取り出した。そのタイトルは……深き森に潜む悪霊……ホラー小説だ。
実は私、ホラー小説大好きで、たまに図書館で読んでいたくらいには好きだ。あのおばけや幽霊の造形とか、表現方法とか、謎があるならそれを解くとか、読んでて本当に楽しい。
「ヴォルフ様、いつの間にご用意されていたのですか?」
「ふふっ、お招きする前にね。セーラが好きな物をたくさん仕入れたのさ」
「……本当にあなたは……あとでお説教ですからね」
「なんで!?」
なにやら後ろで楽しそうな会話が聞こえてる中、私は持っていた本を戻すと、二人の前でゆっくりと頭を下げた。
「こんな事までしてくれて、ありがとうございます。いつか必ずお返ししますから……」
「…………」
「…………」
……沈黙。頭を下げているせいで、二人がどんな顔をしているのか全然わからない。怒ってなければいんだけど……。
「別にそんなの全く気にしなくていいですよ」
「じゃあ、せめて家賃と食費だけでも……」
「大丈夫ですよ。あなたには、のんびりと過ごして、偽物の婚約者の務めをしてくれればいいんですよ」
それでは、私だけがしてもらいっぱなしになってしまう。でも、私なんかに出来る事なんて、何も無いのも事実だ。
「そうだ、これから我々は仮とはいえ、婚約者です。なので、もう少し楽にしてくれても構いませんよ。僕もそうしたいので」
「そ、そんな……恐れ多いですよ」
「誰も怒ったりしないので、大丈夫ですよ」
逃げ道を失った私は、覚悟を決めてから、震える唇をゆっくり開いた。
「今日は……ありがとうございます。その、リンゴジュース、美味しかったです。それで、その……これからよろしくお願いします!」
変に着飾らず、いつもの様に頭を下げて挨拶をすると、ヴォルフ様は少し困ったような笑顔を浮かべた。
「あまり変わってない気もするけど……まあいいか。僕も楽に話させてもらうよ。いきなりは大変だろうから、何かあったらすぐに言うんだよ」
さっきまでの丁寧な話し方から変わり、気さくな感じで話してくれるヴォルフ様。こっちの方が、私としても少し気が楽になる。
「はい。ヴォルフ様は優しいんですね」
「そうかな。普通だよ、普通」
「そんな事……あ! そろそろ仕事に行かないと! 一度家に戻って着替えてからだから……あわわわわわ、間に合うかな……」
お店はいつも、夜からオープンして、日が変わるくらいまで営業している。だから、ここから家に戻るまでの時間を考えると、そろそろ帰って準備をしないと、遅刻が確定だ。
「大丈夫、すぐに馬車を準備させるよ。それに乗って一度家に戻ってから、仕事場に行くと良い。仕事が終わったら、こっちに戻っておいで」
「わかりました」
急にバタバタしてしまったけど、なんとか私は馬車に乗って家へと帰る。
屋敷を出る時に、お見送りに来てくれた使用人方の中に、ヴォルフ様とエリカさんの姿が無かったのが、ちょっと心残りだけど……仕方ないよね。
****
「はあ、良かった……間に合った……」
一度家に帰ってから準備をして酒場に行くと、かなり時間ギリギリではあったけど、なんとか間に合う事が出来た。
って……あれ、いつも先にいるはずのマスターがいない。珍しいな……何かあったのだろうか。
そう思った矢先、マスターは少し汗を流しながら、駆け足で入ってきた。
「おはようございます。遅刻ですか……?」
「ああ。ちょっと野暮用でな。仕込みは出来てるから、問題無い」
「わかりました!」
マスターにしては珍しいなと思いつつ、ホールの準備を終えて店をオープンすると、早速チリンチリン――と、入り口が開く音がした。
「い、いらっしゃいませ~」
挨拶をしながら顔を向けると、いつも同じ席に座っている、常連の男性だった。
「今日もいつもので」
「はい、エールとフルーツ盛り合わせとリンゴジュースですね。少々お待ちください」
私はホールに戻って注文を渡しに行く前に、既にマスターは半分以上の準備が終わらせていた。
「完成だ。もっていけ」
「はい」
私はゆっくり、転ばないように品を運――んでいたはずなんだけど、いつもの緊張に加えて疲れていたせいで、自分の足がもつれてしまい、そのまま転んでしまった。もちろん、持っていたエールやフルーツ盛り合わせ、そしてリンゴジュースは宙を舞った。
「あぁ……!」
もう諦めて、自分の馬鹿さ加減に呆れるしか出来なかった私とは違い、男性はジョッキを手に取って零れないように動かし、フルーツを目にも止まらぬ早さでキャッチして元に戻し、リンゴジュースもキャッチしてから掬うようにして……結果、何も零れる事は無かった。
「凄い……じゃなくて! ごめんなさいごめんなさい!!」
「気にしないでください。お怪我が無いようでなによりです。はい、いつものジュースをどうぞ」
「あ、ありがとうございます」
……マスターも謎が多い人物だけど、この常連客の男性も謎が多い。何をしている人なのか知らないし、名前も知らない。
悪い人ではないと思うんだけど……正体がわからないと、ちょっと怖いかも……。
ううん、今はそんなの気にしないで、仕事しなきゃ! 今度はドジをしないように……ドジをしないよう、に……。
「ひゃあああああ!?!?」
ドンガラガッシャーン!!
「おい、どうした……って、鍋をひっくり返しただけか。怪我はないか?」
「何とかぁ……」
「気を付けろよ。怪我をしたら大変だ」
はあ、ドジをしないって決めた矢先に、厨房で空っぽの鍋をひっくり返しちゃうなんて……本当に私ってグズでドジで駄目な子だ。これじゃ、マルク様に遊ばれるのも納得だ……。
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