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最終章

15話——追憶『決戦』

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 長い夜が開けた。

 冷たい地面に横になったまま、ちあきは森の木々の隙間から白い光が漏れるのを見つめている。
 側に寝そべっているレーヴェは、彼女の背を眺め、時折目元を拭うのを黙って眺めている。
 そのうちガサガサと草木を掻き分け、レイノルドが戻ってきた。

「シャルは交易の街『シムラクルム』へ向かったそうだ」

 動こうとしないちあきの背中に、偵察を終え戻って来たレイノルドが声を掛ける。

「コンパスがその街の先にある瘴気の森を指したらしい。針がピクリとも動かなかったから、討伐隊はそこを最終目的地に決めたそうだ」

 レイノルドがちあきの背中側へ腰を下ろす。
 此方へ視線を寄越す彼に僅かに首を振ると、レイノルドは再びちあきの背中へ向かって声を掛けた。

「このままでいいのか?」

 少しの沈黙の後、ちあきがポツリと言葉を零す。

「邪魔だって言ったのはアイツだろ…足手纏いなんかゴメンだし」

「それはシャルの本心じゃない。…ちあきの言い分も、本心じゃない」

「………」

 口を閉ざしてしまった彼女の背中に、レイノルドの静穏な声が問い掛ける。

「ちあきはどうしたい? シャルがどうとか、誰がどうかで無くて、ちあきがどうしたいかを言ってくれ」

「…分かんねー」

 シャルの言う通りあたしは戦える訳じゃ無いし、頭悪いから作戦練るとかも無理だし。
「一緒に行ってくれ」って、言って欲しかったけど、実際そうなったところで何が出来るんだって話。
 だって、ラスボス魔王だろ?
 死ぬかもしれねーじゃん。
 死んでこっち来たのに、また死ぬかもってどういう事だよ? 意味分かんねーよ。

 ——ダチだから。二人には生きてて欲しい

 勝手にカッコつけやがって…

「…ダチだから…生きてて欲しいなんて…そんなの、こっちだってそーだろーがよ…!」

「ちあき…」
「………」

 一人で全部背負い込んで終わらせるだなんて無茶苦茶だろーが!

「勝手にカッコつけて、一人で全部終わらせるとか勝手に決めて、約束破って迎えも寄越さねぇ。…ふざけてんじゃねぇぞボケぇ」

 横たわっていた体を起こし立ち上がる。
 柄にも無く女々しく泣いてアイツの言う事思い出したら、今度はだんだん腹が立ってきた。

「あたしだって女神に呼ばれて来てんだよ! ここに骨埋めるって覚悟決めたんだよ!! なのに勝手に決めて置いて行きやがって! ダチなら一言相談するだろ! …っの、シャルナンドの馬鹿野郎ーーー!!」

 断崖絶壁のバサルテスの村に、ちあきの叫びがこだました。
 レーヴェは思わず笑みを洩らす。早朝から傍迷惑な話である。

「…吹っ切れたみたいだな」

 いつもの調子が戻った様で、レイノルドが若干引き攣った顔をしているが、ちあきはどこ吹く風だ。
 もやもやと溜め込んでいたモノを吐き出し、やっとを取り戻した様子だ。

「あー、スッキリしたー」

 くるりと振り返り、レイノルドとレーヴェへニカッと笑う。腫れ上がった瞼が何とも痛々しいが清々しい顔立ちだ。

「シャルを追う! んでもって、魔王ぶっ飛ばして、アイツも一発ブン殴る!!」

 鼻息荒く喧嘩上等気合充分。
 こっちの方が心配ないであろう。

「らしさが戻ったの」
「加減はしてやってくれな…」

 レイノルドの表情筋はやはり少し引き攣っていた。



 それから直ぐに丸一日掛けて、バサルテスからシムラクルムへ移動した。
 シャルナンドが率いる討伐隊は、魔法陣を使って移動している為、ちあき達との誤差は一日半あった。
 休む時間も惜しんでシャルナンドを探したが、姿が何処にも見当たらない。

「どうやら遅かったようだの」

 時間差があったせいか、一足遅かった。
 教会前広場で隊の編成をしていたのは、第二陣の部隊だと分かったのだ。
 ちあき達が街へ着いた時には、シャルナンドと第一陣は最終目的地である『瘴気の森』へ向かった後だった。

「今ならまだ急げば間に合うんじゃないか?」
「だったら直ぐに…——」


 そう言って動き出そうとした時だった。
 ざわっとどよめきが起こり、我等もそちらへ視線を移す。

「なっ何だアレ!?」

 街の外、少し見上げた先の景色の大部分が、切り裂かれた布のようにハラリと捲れていくところだった。
 不穏な気配を察知し、レイノルドと共に戦闘態勢に入る。
 捲れた先は漆黒が広がっている。亜空間が開かれたのだ。
 そんな芸当をやってのける魔族など、一人しか居ない。
 悍ましい黒の中には赤い不気味な光が幾つもギラついている。
 人間達がそれを魔族の目だと理解した時には、この街へ向けて黒の大群が地響きと唸り声をあげて押し寄せてくるところだった。
 編成が終わっていなかった二陣は奇襲を受ける形になってしまったのだ。

 たちまちシムラクルムの街は包囲され、辺りは騒然となった。
 街へ入り込んで来た魔族に、悲鳴や怒号があちらこちらから上がっている。

「ライオネル! 街にこれ以上奴等を入れんな!!」

 ちあきの叫びに即座に答え、街全体を炎の結界で覆い尽くす。
 レイノルドは夥しい魔族の後方、一人此方へ殺気を放っている人型の魔人を見据えている。
 群れの発生源である空間を切り裂いた張本人、マフィアスだ。魔王に次ぐ、魔族のNo.2である。
 レイノルドは本能的に奴が群れの頭だと理解した。同時に押し寄せてくる奴等とは格が違うのも理解している様だ。
 覚悟を決めた様に表情を引き締め、此方を振り返る。

「ちあき。行ってくる」

 そう言ったレイノルドの瞳が僅かに揺れるのを彼女も見て何かしら感じ取ったのだろう。
 ちあきがレイノルドを呼び止めた。

「レイ!!」

 歩き出そうとしていたレイノルドが、ちあきを振り返る。

「あたしは、レイのモフモフが無いと寝られない」

「……ん?」

「レイの尻尾を抱き枕にしないと安眠出来ない!! だから…ちゃんと帰って来い」

「……」

「絶対!! 絶対生きて帰って来い!!」

 眉間に皺を寄せ、強張った顔のちあきを見て、レイノルドがフッと表情を緩める。

「分かった。約束する」

「ホントだな! 守れよ!! 破ったら針千本飲ますからな!!」

「は、針千本……それは難儀そうだ」

 間に受けたのか、物の例えと受け取ったのか、いまいち分からぬ表情を浮かべ、口の端を上げると、レイノルドは炎の結界を抜けその先へと姿を消した。


 結界内では侵入していた魔族と騎士団の戦闘が既に始まっている。
 不意を突かれた形になった騎士団だったが、街の外と中を炎で断絶してやった事で、結界が魔族の侵入を阻んでいると分かるや否や、直ぐに体制を立て直し、各個チーム毎に魔族を撃破していった。
 騎士団という物はなかなかに訓練された人間たちの様だ。


 魔族に街毎包囲され、周辺地域から孤立させられてしまった合同軍は一度は絶望の淵に立たされた。
 が、タイミング良く居合わせたちあき達によって窮地を救われる形となる。
 レーヴェの強力な結界が魔族の侵入を阻み、ちあきの錬金の力によって破壊された武器が修復補強された。
 また、聖騎士団の魔術士等による補助魔法や回復魔法のお陰でダメージが最小限に抑えられていく。
 街を結界に守られ、補強された自身と武器を手に、辺りを包囲する魔族等と全面戦争となったのだ。

 街の外ではレイノルドがマフィアスと対等に渡り合っていた。
 響き渡る衝撃波と地響き、轟音と粉塵があちらこちらから上がっていく。
 想像を絶する激しい戦闘によって街の外に広がっていた緑はたちまち消え失せ、大地は荒廃し見る影を失った。


 そうしてちあきが魔力を使い果たし、レイノルドが左目と左腕を犠牲にマフィアスの主格を破壊した時、シャルナンド達が向かった先の瘴気の森から強大な魔の気配が消えた。

「忌々しい女狐の愚鈍共め…己の無力を知るがいい……」

 呪詛の言葉を吐きながら崩壊していったマフィアスを目で追い、力尽きたようにレイノルドはその場へ倒れ込む。遠のく意識の中で戦いが終わった事、シャルナンドが役目を果たし終えた事を悟った。



 レイノルドが目を開けたのは全てが終わって5日後の事だった。
 王都にある城の一室で目を覚まし、瀕死のシャルナンドと共に王城へ運ばれた事を、泣きじゃくるちあきを胸に抱きながらレーヴェから聞いた。
 多大な犠牲と怪我人を出したが、魔王討伐を果たし、重要な街の一つであるシムラクルムを死守出来た事で、ちあきは公に巫女と認定され、獣族であるレイノルドにも恩賞が与えられた。

 二人が眠っていた間、ちあきがつきっきりで看病していた事は、本人は全く知らせるつもりが無い様だったのでこっそり教えてやった。
 なんせその間、ちあきはろくに休んで居ない。
 本人に言ったら怒りそうだと考え、レイノルドから休息を取るようそれと無く伝えて貰うよう考えた。
 レイノルドはと言うと、教会の治癒師の治療を受け傷は癒えた様だが、負傷した左目の視力と左手の握力は充分には戻らなかった。


「シャルの目が覚めないんだ」

 憔悴した様子のちあきと共に毎日シャルナンドの元へ通う。
 此方も治癒師によって傷は癒えたが、一向に目を覚ます様子が見られない。
 このまま目を覚ます事が無かったら……そんな事を洩らすちあきにとって不安な日々がただただ流れていった。

 半月程経過した頃、ようやくシャルナンドが目を覚ました。
 傷が癒え体は元に戻ったが、彼の中の膨大な魔力は失われたまま、戻る気配は無かった。
 ちあきもレイノルドも、彼の目覚めを心から喜び安堵した。が、シャルナンドの表情がどこか浮かない様子だった事に、レイノルドはどこか引っ掛かりを覚えていた様だ。

 それから間も無くシャルナンドの姿が忽然と消える。聖剣とちあきの作った指輪と御守りを残して。
 胸騒ぎを覚えたちあきとレイノルドが懸命に探すが、城にも教会にも王都の何処にも姿が無かった。
 無いどころか、教会へは「自分の記録を一切残すな」と言っていたと言う。それが魔王討伐の指揮を執る条件だったのだと、二人はそこで初めて知る事になる。

 長く時を過ごした彼等にすら何も告げず、初めから居なかったかのように、シャルナンドは気配を絶ってしまったのだ。



「シャルが思い詰めたのは、きっとあたしのせいだ」

 も抜けの空になってしまった部屋でちあきが俯きポツリと漏らす。

「それは違う」

 レイノルドの否定の言葉に、ちあきは力無く首を振る。

「シャルを追い詰めるような事を言ったから。弱いくせに何度も追い掛けたから。あたしの我が儘が……あたしのせいで……」

 耐え切れず両手で顔を覆い、しゃくり上げながら涙するちあきの肩へレイノルドがポンっと手を添える。

「違う。ちあきのせいじゃない。何か理由があった、それだけだ」

「…でも…」

「シャルはちあきの事を本気で仲間だと思っていた。本当に大切に想っていた。それだけは信じてやれ」

 酷く落ち込み、後悔するちあきを、レイノルドは側で支えた。
 憔悴し何も出来なくなった彼女の側を肩時も離れようとしなかったのだ。

 それから我等は王都を出る決意をする。
 シャルナンドを探す際に、金髪青眼の美少年を乗せたと言う乗合馬車の御者に会ったのだ。手掛かりを見つけた事で、再びシャルナンドに会えるかもしれないという期待が彼等の中で大きくなった。
 金を払い、彼が降りた場所まで乗せて貰った。そこからもあちこち探して回ったが、会いたいと言うちあきの願いは叶わなかった。

 最後の目撃情報があったのが、雪深い北の地である雪山の麓の小さな村だ。
 しかし、この場所でついに手掛かりが尽きてしまった。

「もういいよ」

 小さな村なだけに宿は無く、随分前から空き家だという古い小屋を借りて暖を取る。
 陽も落ち薪が爆ぜる音を聞きながら、突然ちあきがぽつりと呟く。

「戦いは終わったし、レイには帰る場所があるだろ? シャルだっていつ会えるか分かんないし…いつまでもあたしに付き合ってないで…——」

「オレは何処にも行かない」

「……」

 驚きに目を開くちあきを、レイノルドのエメラルドグリーンが、穏やかに歪み向けられる。

「ちあきを一人にはしない。オレは、ちあきの側に居たい」

「でも…っ…だってレイは!」

「オレのモフモフが無いと安眠出来無いのだろう?」

 頬を染め、ちあきの瞳が揺れている。オレンジに染まるその頬へレイノルドの手が伸びていく。

「共に生きよう。ここで。共にシャルを探そう。オレだってあいつには言いたい事が沢山あるんだ」

「…レイ…」

「…ちあきはどうしたい?」

 たちまち瞳が潤んでいく。瞬きをした弾みでポロポロと涙が頬へと転がった。

「…一人に、しないで…」

 一度溢れると、それは止めどなく流れ落ちてくる。

「…何処にも行くなよ…」

「ん」

「…ずっと側にいて…」

 頬に添えられた大きな手が頭の後ろへ回ると、そのままちあきの体が引き寄せられていく。レイノルドの胸へ倒れ込むように収まると、逞しい腕に包まれた。何度も何度もちあきを守ってくれた、強くて優しい異形の手。

「約束する」

 止みそうにない涙を拭う事もせず、ちあきは小さく頷くとレイノルドの首へしがみつくように腕を絡ませた。


 その後二人は夫婦となり、シャルナンドの姿が目撃されたこの麓の小さな村で生涯を過ごす事となる。
 二人はシャルナンドを探し続けたが、終ぞ会う事は叶わなかった。

 晩年、レーヴェはちあきから一つの願いを託される。

「あいつの側に居てやってくれないか? あいつを一人にしないでやって欲しい」

 もうとっくに死んでるかもしれないけれど、と前置きした後、ちあきはその願いを口にした。
 自分達には会いたく無くとも聖獣であるレーヴェなら、ちあきとの出逢いよりももっと前から時を過ごして来た彼ならあるいはと考えたのだ。
 随分時間たっちまったし今更だけどなと、ちあきは目元の皺を深くした。
 生を終えればレーヴェとの間に結ばれた契約は満了となり、彼を縛るものは無くなる。以前の様に自然界へと戻るだけだ。
 ちあきの願いを聞き届ける義務等なかったが、レーヴェは彼女の最期の願いを了承した。
 レーヴェが『分かった』と、確かに頷くのを見届けて、ちあきは嬉しそうに眠る様に生を閉じたのだ。傍にはレイノルドが寄り添っていた。

 それからいくらかの時間を要し、レーヴェはシャルナンドを探した。
 そうして辿り着いた場所がこの洞窟だったのだ。
 レーヴェが見つけた時、シャルナンドもまた生を閉じる間際だった。
「この遭逢はちあきの最期の願いだ」
 そう伝えた時、シャルナンドは嬉しそうに寂しそうに笑った。

「オレのような者は現れない方がいい。自分のした事が正しいとも思っていない。同じ歴史が繰り返されない事を願う」

 それがシャルナンドの最後の言葉だった。
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