天華殿の花職人

橘川芙蓉

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第二話金蓮歩の故事

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 後宮でひときわ大きな殿舎である長春宮で秀女試験が行われていた。秀女試験では、皇帝の他に皇后と貴妃が立ち会っている。
 中央の椅子に腰掛けているのが当代の皇帝で名を候星辰である。黒い髪を結い上げ、細かい細工の施された金の冠をさしている。瞳は切長で目元涼やかな顔立ちだ。唇は分厚くしっかりと閉じられた口元は意志が強そうだ。青年期も後半になろうかという年齢だが年齢による容姿の衰えを感じさせない。容姿の美しい男性であった。金色の生地に鳳凰の刺繍が施された衣を着ている。
 その隣には、皇帝が帝位に就く前から妃として迎えていた淑皇后が座る。髪色が少し赤みを帯びた黒色で結い上げている。金細工で宝石をあしらった簪を幾つも髪に差している。優しい顔立ちで皇帝からの寵愛を一身に受けていた。皇帝と対になる衣装を着ていてここからも仲の良さを窺える。
 少し離れた席に座っているのは、嘉貴妃である。夜空を切り取ったような艶やかな黒髪は丁寧に編み込まれている。大ぶりの宝石のついた簪を幾つも髪にさし皇后よりも目立っていた。はっきりとした顔立ちで真紅の紅が色っぽい。皇后よりも若く皇后から皇帝の寵愛を奪おうと虎視眈々と狙っている、と口さがない宦官たちの間では噂が流れていた。
 三人が見守る中、皇帝に拝謁し幾つかの質問を経たのちにその場で皇帝が合否を決める。皇帝が質問をするのは稀で、気のきいた受け答えが出来たものは容姿に関わらず合格することが多い。
 
 控室までやってきた沈彗は同じように秀女試験の順番を待っている少女たちを見回した。表情がこわばり瞬きを何度も繰り返している者、せっかく施した化粧を両手のひらで擦り台無しにしている者、どれもこれも沈彗の敵ではなかった。
 
(やっぱり、わたくしが一番美しいじゃない)
 
 沈彗はキラリと瞳を輝かせた。
 あのいけすかない杜雨燕が妃嬪争いから脱落した時点で沈彗の勝利は決まっているはずであった。
 拝謁後、不合格で泣きながら部屋から出てきた少女を見て、沈彗は冷笑した。
 
(その程度の顔で陛下に侍ろうとするなんて! )
 
 ついに沈彗の番が回ってきた。部屋に一歩足を踏み入れると、蓮の足飾りから金色の花びらが舞い散って雪のように儚く消える。皇后や貴妃たちの世話をするために同席していた侍女たちからも感嘆の声が沈彗の耳まで届き、ほくそ笑んだ。
 初めて拝謁する皇帝は容姿に優れていて沈彗は得意な気分になった。候星辰の視線は自分に釘付けである。鼓動が早くなる。舞い上がりそうになるのを堪えて優雅に一礼する。
 
「陛下にご挨拶いたします」
 
 沈彗は、美しい候星辰と視線が交差した。これはもう、運命である。
 
「その靴はなんだ?」
 
 候星辰は形の良い両眉を上げた。隣に座っている淑皇后はいつもより声のトーンが低いことに気がつき、沈彗の布靴からこぼれ落ちる金蓮の花びらに視線をうつした。こっそりため息をつく。
 
「故事に準えて仕立てた物でございます。その昔、美しい藩妃が歩くのに金色の蓮の上を歩いたとか」
 
 沈彗は「美しいわたくしにふさわしいでしょ」と、言わんばかりに悠然と微笑んでみせた。
 
 それまで無感情で眺めていた候星辰は表情を一変させて激昂した。白皙の美貌の頬に赤みが差してそれすらも美しい。沈彗を睨みつけた。
 
「お前は、私を無能と罵るのか! この者を捉えよっ」
 
 立ち上がって宦官に鋭く命ずる候星辰に沈彗は口をぽかんと開けた。悲鳴を上げ唇を震えさせながら平伏した。先ほどとは違った意味で沈彗の鼓動が早くなる。顔は青ざめ涙をこぼし意味がわからないまま許しを乞う。
 
「まだわからないのか! 藩妃は国費を浪費をし、それを許した帝は廃帝になったのだ。それが『金蓮歩』の故事だ」
 
 沈彗には高貴な血筋も美しい容姿もあったが教養が足りなかった。金蓮歩の故事を知らなかった。
 嵌められたのだ!、沈彗がそう気づくのに時間は掛からなかった。
 
 沈彗は美しさが自慢の顔を歪めた。裏返った声で「あの女!」と叫んだ。 
 宦官たちは、平伏する沈彗を取り囲み両腕を捉え無理やり立たせる。引きずるように部屋から出ていく沈彗は必死に抵抗した。真っ直ぐに候星辰を見つめて許しをこう。
 
「反意はございませんっ。お許しを!」
 
 候星辰は二度と沈彗のことを見ない。次の候補を部屋に呼ぶように宦官に命じる。
 控室にいた秀女試験を受ける少女たちが怯えて震えながらことの成り行きを見守っていた。
 部屋から出る直前、髪の毛を乱し歯を剥き出しにしながら沈彗は思いをぶちまけた。
 
「あの女! あの女がわたくしを嵌めたのです! 杜雨燕が!」
 
 三人がかりで沈彗は地下牢へ連行された。皇帝に謀反ありと判断されたので一族郎党処刑である。沈彗は傲慢なその態度で身を滅ぼしたのだ。
 彼女がいた場所には、美しい蓮の花飾りだけが部屋の床の上に残された。
 

 
 
「杜宝林には、予定より早く来て頂いて助かったわ。皇后様は最近あまりお体の具合がよくないらしくて」
 
 杜雨燕の後宮での住まいである天花殿へ向かいながら黎文と杜雨燕はおしゃべりをしていた。杜雨燕は宝林という宮女の位でありながら、小さな御殿を与えられる特殊な身分である。
 
 候国の者は仙人の子孫であると伝えられている。そのため厳しい修行を経て使える仙術を生まれながらに使える者が稀に生まれる。力の暴走を防ぐため生み出されたのが「水晶天華」だ。工芸品である「水晶花」に仙術を制御する術式を籠めた物だ。
 水晶天華を作り出せる者は少ない。皇族に力の強い者が生まれる傾向にあるので後宮では一級品の水晶天華を作る者を「花職人」と呼び特別に位を与え天花殿という御殿に住まわせた。
 
 杜雨燕は、代替わりのために新たに水晶天華を作ることになった花職人なのだ。
 
「具体的にはどのように?」
 
 杜雨燕は声を潜めて聞き返した。皇后の体調は後宮内の覇権争いに関わることだ。誰が聞いているかわからない。
 
 黎文が答えようとした時周囲にいた女官たちが一斉に華やいだ声を出して集まってきた。通りの向こうからやってくる人物をひと目見ようと通路の脇に固まっている。黎文が呆れたため息をついているので後宮ではいつもの事のようだ、と杜雨燕は思った。
 
 杜雨燕のいる通路の向かい側からやって来たのは後宮武官である。妃嬪たちと接することは許されてはいないが後宮内の安全を守るためにいる兵士たちである。宮女たちとの恋愛も本来は禁止されているが羽目を外さないようであれば容認されている。皇帝のお手つきになる可能性の低い宮女たちは、将来性のある武官を捕まえて結婚相手にしようと目論んでいる。
 もちろんそれは、武官たちも同じで「どこそこの殿舎に仕える宮女は美人だ」というのは武官たちの余暇の話題に頻繁にのぼった。
 
 向かい側からやって来たのは、黒髪を高い位置で一つに結い上げ翡翠の簪をさした背の高い武官である。女官たちが騒ぐのも無理がないほど容姿は整っている。吊り目気味の切長で目元涼やかな青年だ。安定した足どりで通りを悠然と歩いている。
 黎文が立ち止まり武官に一礼した。杜雨燕もそれにならう。吊り目気味の美貌の武官は歩きながら黙礼して杜雨燕たちとすれ違った。彼の後を追うように華やかな女官たちの声がさざなみのように聞こえた。
 
「彼はここで一、二を争う人気の武官で名を烏明星。何かと女官たちの間で話題になるから覚えておくといいわ」
 
「『月明らかに星稀にして、烏鵲南に飛ぶ』ずいぶん風流な名前ですね」
 
 杜雨燕は昔の詩を引用して彼の名前が出来すぎていることを指摘した。偽名ではないのかと疑っている。家名を出すと差し障りのある者もいるので後宮で偽名を名乗ることは禁止されていない。それにしても、妙な苗字である。
 
「外朝では風流で素晴らしいと好評価のようね。嘉尚書が嘉貴妃様に面会にいらしたときに絶賛されていらしたから」
 
 男も女も魅了される烏明星の高く結んだ黒髪が揺れるのを杜雨燕はじっと見ていた。
 
 
 
 
 医官から嫌味を言われながら打ち身に効果のある塗り薬を手に入れた杜雨燕は、自分の住まいである天華殿へと向かった。
 後宮内は侵入者を防ぐために高い塀に囲まれ案内板すらないが、規則正しい区画分けをされているので注意深く歩いていれば迷うことはない。吊り灯籠のある回廊を歩きながら杜雨燕は行手に見える殿舎を眺めた。瑠璃瓦が太陽光に反射して美しく輝いている。他の殿舎に比べて小さいそれは、「水晶天華」を作ることができる花職人だけが住むことを許された「天華殿」である。
 数代前の皇帝が後宮を立て直した時に新しくあつらえたという「天華殿」と書かれた額の飾られた門をくぐった。
 杜雨燕は後宮に出仕するにあたり自分の身の回りの世話をする侍女を一人だけ連れてきた。幼い頃からずっとそばにいる李花梨だ。今日も彼女が出迎えるのかと思っていると別人が御殿の入り口に待ち構えていた。
 一礼したまま待ち構えていたのは先ほど杜雨燕が庇った新人女官だ。
 
 黒髪をふたつに分けて高い位置に結い上げている。髪に簪はさしていない。美人というよりも可愛らしい顔立ちである。杜雨燕が近づくと拱手した。
 
「杜宝林様にご挨拶いたします。天華殿づきの女官になりました張君児《ザン・ジュナー》と申します」
 
 位の高い妃嬪に向けての挨拶をしている張君児に慌てて杜雨燕は止めるように言った。杜雨燕は女官の中で最高位である「宝林」である。妃嬪に対する挨拶を受ける資格はない。そんなことをさせていると他の女官や妃嬪たちに知られたら何を言われるかわかったものではない。
 
「杜雨燕です。ここの配属で良かったのですか?」
 
 天華殿は水晶天華を作る職人のための御殿であるので、皇帝が訪れることはまずない。歴代の皇帝たちの中には寵愛する妃嬪たちの侍女もお手つきにするということがよくある。天華殿でそれを望むことはできない。

「女官としてお仕事がしたいです」
 
 満面の笑顔で元気な返答が張君児から返ってきた。杜雨燕は苦笑して張君児に部屋の中に入るように促した。
 橙色の夕日が御殿の向こう側の地平線に沈もうとしている。白い殿舎の壁が昏い赤色に染まっている。杜雨燕は夜が追いかけてくる時間に不思議な予感を感じて、深い赤い色の空を見上げた。
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