盤上に咲くイオス

菫城 珪

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15 動き出す歯車

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15  動き出す歯車
 
「リアお兄様、また見学に行きたいわ」
 可愛らしい美少女に上目遣いでそんなおねだりをされて折れない男がいるだろうか。一目見れば思わず吸い込まれそうな蒼色の瞳に人形の様に整った顔立ち。淡く桃色に染まる頬は稚く、部屋の中を吹き抜ける風に揺れるプラチナゴールドの髪は窓から射し込む日差しを浴びて煌めいている。
 これだけでもオルディーヌ・レイン・スレシンジャーは絶世の美少女だと思う。彼女の凄い所は性格まで良く、頭の回転も素晴らしく良い事だ。完璧美少女だぞ。最高か。
「……午後からならいいぞ」
「ありがとうございます!」
 仕事とおねだりを天秤に掛け、たっぷりの逡巡のあとに告げた了承の返事にレインは嬉しそうに屈託なく微笑む。大概甘い自覚はあるんだが、歳の離れた妹とか娘が出来たみたいで可愛いんだよ。
 勘違いしないで欲しいのは俺はロリコンではない。ただ、レインが可愛いから甘やかしたいだけだ。
 今だって出掛ける約束をしただけなのに嬉しそうにする様子が可愛くて仕方ない。美少女に慕われて嬉しくない人間なんていないだろう。
 レヴォネ領に逗留するようになって一週間。スレシンジャー父娘は暇さえあれば俺を付き合わせて出掛ける事が多かった。シガウスは筆頭公爵家当主という立場的に味方に付けておいて損はない男だし、レインは可愛いので時間があれば彼等のお相手をするのはそこまで苦ではない。それに、基本的に俺の仕事の邪魔はしないので有難い。
 レインはレヴォネ領で作っている化粧品に興味を示している様だった。今日もその工房を見に行きたいのだろう。企業秘密にしているから部外者は工房には入れないが、俺がいるなら話は別だ。
 来てすぐの頃に一度見学に連れて行ってから度々こうやって見学を強請られる。どうやら化粧品本体というよりもその作製工程や開発の方に興味があるようだ。他に娯楽も少ない領地での療養は退屈だろう。レインもそろそろ温泉に入るだけの療養に飽きてくる頃だろうし、元々誰か貴族の女性に頼むつもりだった仕事を振るのも良いかもしれない。
「レイン、良かったら商品開発をしてみるか?」
「え?」
「身内に貴族の女性が少ないから開発に難航していてな。良ければ君のような若い女性の意見を沢山出して欲しい」
「宜しいのですか!」
 花が咲くような笑みではしゃぐ姿は年相応で大変可愛らしい。非常に眼福だ。暫くそちらの方に関わってもらえば良い気晴らしにもなるだろう。俺はその間にシガウスと話したい事がある。
「工房とスレシンジャー公爵には私から話は通しておこう。存分に楽しんでくると良い」
「ありがとうございます、リアお兄様。実は王都にいる時からお化粧品を作る事に興味があったの。とても嬉しいわ」
 天真爛漫な笑みに癒される。やっぱり可愛いな。天使か。
 最初はどうなる事かと思ったが、公爵父娘を迎えた生活は思いの外楽しい。頭の回転が速いレインは様々な事に興味を示し、一つ話した事から十を理解するから会話のテンポが早くて楽だ。これが王都での政務や「俺」の仕事の時だと一から懇切丁寧に説明してやっても理解しない大馬鹿が少なからずいて、そんな連中にいちいち時間が取られるのもストレスだったな……。
 シガウスの方は時折意地の悪い事を言ってきたりするが、基本的には友好的だ。どちらかといえば気に入られて弄ばれている気がする。娘のレインは天使なのに、父親はまるで魔王だ。
 戯れながらも一週間程様子を見ていたが、スレシンジャー公爵は計画に巻き込んでも問題はないだろうと判断した。国王派であれば、或いは奸臣達との繋がりが濃ければ計画から廃せねばならなかったが、シガウスは娘レインに対する一方的な婚約破棄には甚くお怒りのようだ。それに王都にいた頃にも彼は奸臣達からは煙たがられていた。
 ローライツ王国の王政が転覆していないのはシガウスのような貴族が少なからず存在するからだ。シガウスも高位貴族であるからそれなりに汚い事もしているだろうが、国政に対する姿勢はいつでも真摯で清廉だった。奸臣達からすれば煩わしい相手だろう。
 スレシンジャー公爵は元々王弟リンゼヒース派である。王太子であるライドハルトとレインの婚約は、国王であるユリシーズからの打診で結ばれたものだった。王弟派であるスレシンジャー公爵を取り入れる為の施策であり、リンゼヒースという強力な対抗馬に対してライドハルトの地位を確立させる為に必要な契約でもあった。
 もっとも、肝心のリンゼヒースが王位に対して興味を示さなかったせいなのか、自分の立場に対する危機感の薄いライドハルトにその自覚はなかったようだがな。
「リアお兄様、悪いお顔になってますわ」
 レインの指摘に思考を打ち切り我に帰るが、ふと見た彼女も含みのある笑みを浮かべている。聡い子だから、彼女なりに俺がしようとしている事に気がついているのかもしれない。
「なあ、レイン。殿下に未練はあるのか?」
 一応これだけは聞いておこう。万が一レインの心にまだ王太子が在るのならばレインの耳に入れたくない事も出てくるだろうから。
 俺の問いにレインはキョトンとした顔をした。予想外の質問だったようで飲み込むのに時間が掛かっているようだ。
「リアお兄様こそ、殿下や陛下に未練はありませんの?」
 質問に質問で返されて今度は俺がポカンとする。未練、未練か。考えてもそんなものは微塵もないな。
「有ったら領にはいない」
「わたくしも同じですわ。未練があれば何が何でも王都に残っていたでしょう。でも、もうどうでも良いのです。殿下も側近の皆様も揃ってあんな女性に籠絡されて言いなりになって……必死に努力してきたわたくしが馬鹿みたい」
 肩をすくめて溜息をつく姿に思わず苦笑する。全く、仰る通りだ。
「それよりもお兄様が何をなさろうとしているのか、そちらの方が楽しみです」
 筆頭公爵家の令嬢として、また王太子の婚約者としてレインは現国王を取り巻く情勢を良く知っているのだろう。可愛らしい笑みを浮かべる彼女を見ながら切り捨てられた男達を少しばかり哀れに思う。
 宰相であるセイアッドを貶め、一番の後ろ盾となったであろうスレシンジャー公爵家を排した彼等は今裸の王様だ。その事に気が付いているのが彼らの身内に一体幾人いるのか。
 ああ、国王ユリシーズは気が付いているだろう。あの男は凡庸ではあるが、頭は悪くない。だからこそ、セイアッドを手放さなかったのだから。
 だが、セイアッドはユリシーズの手から離れてしまった。それも他でもない自らの息子ライドハルトのせいで。騎士団長であるオルテガは北へ奔り、魔術師団長であるサディアスは西への遠征からまだ帰らない。首に鎖を掛けて自らの手元に置いておきたかった者達が皆いなくなったのだ。
 誰よりも王座に拘泥し、はりぼての王座に座る彼はきっと今頃気が気でないだろう。形骸化した王威のメッキはきっとすぐに剥がれていく。そして、露わになるのはドス黒い膿だ。
 悪い男ではない。ただ運が悪かったのだ。未練という程でもないが、ただあの男のことは……国王ユリシーズ・アシェル・ローライツのことは少しばかり気の毒に思った。ユリシーズはセイアッドにとってある種の同志のようなものでもあったのだから。
 親友と良く似た面立ちをしているのに、いつも疲れていて陰鬱な顔をしていた男を思い出して軽く首を横に振る。いっそのこと、引導を渡してやるのもあの男の為だろう。
「……シガウス殿は今日、何方にいらっしゃるんだ?」
 レインを見ながら訊ねれば、彼女はそれはそれは美しく柔らかな笑みを浮かべる。美しい微笑みは万人を魅了するだろう。
「今日はお借りしている別荘でのんびり過ごすそうです。それから、セイアッド殿をお待ちしている、と」
 穏やかな声に、ゆっくりと歯車が動き出す音が聞こえた気がした。
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