盤上に咲くイオス

菫城 珪

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57 強欲な者

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57  強欲な者
 
 ダーランや家の者に大いに気を遣われつつ、自分の寝室を目指して足早に歩き出す。とはいえ、寝室と執務室は然程離れていないから直ぐに着くんだけどな。
 ドアを開けて中に入れば、オルテガも続いて入ってきた。そして、ドアが閉まった途端に背後から強く抱き締められる。
 ずっと欲しかった熱と匂いに包まれてドキドキしながらも、なるべく平静を装って応えるようにオルテガの手を撫でた。
 大きな手にはいくつも傷が出来ていた。戦闘や旅の間についたものなのだろう。大小様々な傷は治り掛けのものもあれば、まだ微かに血が滲むものもある。ふしくれだった指先には痛々しいささくれもあった。
 ここにいる間は手入れされていた手だったのに、たった四日でこんなになっているなんて。
「リア」
 治癒魔法を掛けようとするが、それより早く話しかけられた。同時に熱い吐息が首筋を掠めてそれだけでゾクゾクしてしまう。
 髪に鼻先を埋める感触がして、情事の時のことを思い出す。オルテガはこうして俺の髪を愛でるのが好きだから。
「……いつもと違う匂いがする」
 唸るような声音に隠し切れぬ嫉妬心を垣間見て愛おしくなった。
 匂いが違うのは昨夜つけた『黄昏』のせいだろう。そう告げたらお前はどんな顔をするのか。
「レインから貰った香水だ。……昨夜つけて眠ったから」
 そう呟いていざなうように窓際に並ぶ二つの瓶へと視線を向ける。オルテガも寄り添い合うように並ぶ『月映』と『黄昏』を見たようで、耳元で小さく笑う気配がした。
「気に入ったか?」
「悪くないが……やはりこちらの方が好きだ」
 腕の中で振り向いてオルテガに抱き着く。胸に顔を埋めれば、汗や泥の匂いも混じっているが、普段よりも濃いオルテガの匂いがした。そして、今更着替えもしていない事に気が付いたのかオルテガが慌てる気配がする。
「リア、臭いだろう。先に風呂に入ってきてもいいか」
「このままでいい。それより……」
 早く抱いて欲しい。誘う様に体を擦り寄せて頬に手を伸ばす。オルテガが欲しくてほしくて堪らない。
「……あの男が今のお前の姿を見たらどう思うだろうな」
「誰の事だ」
 誘いに乗って来ない事を不満に思って唇を尖らせて見せれば、オルテガが苦笑をする。そんなどうでもいい奴の話なんて良いから早く触れて欲しいのに。
「……お前の狗は俺だけで十分だ」
 低くて熱を帯びた声と共に首筋に軽く噛み付かれる。久々の感触に思わずびくりと体が震えるが、それよりも気分の方が高揚していた。
 まさかあんな扱いの男にまで嫉妬するとは。
「良いのか? 私は狗とこういう事をする趣味はないぞ」
 胸を指先でなぞりながら身を寄せれば、オルテガが息を呑む。久々に感じる熱とオルテガの匂いにうっとりしながら再び胸に顔を埋めれば、応えるように逞しい腕が俺を抱き締めてくれた。
「フィン」
 すりと頬を擦り寄せて甘える。ああ、オルテガだ。
 まだ風呂に入っていないせいか、いつもよりも彼の匂いが濃い。汗と泥とオルテガの匂いにくらくらする。こんな状況で抱かれたらどうなってしまうのだろう。
 俺が発情している事に気が付いたのだろう。オルテガが困ったような笑みを浮かべる。
「すっかりいやらしくなったな。以前のお前からは考えられない」
 大きな手が腰を撫でる。それだけで背筋に甘い痺れが奔った。彼が欲しくて堪らないと胎の奥が疼いて仕方ない。隅々まで染められた体はもうオルテガ以外では満足出来ないだろう。
「お前の所為だぞ。……ちゃんと責任を取ってくれ」
 首に腕を回して先を強請る。途端に熱を宿す夕焼け色の瞳に心臓が震えた。
 獣のような欲情を隠さずにぶつけてくれる事が嬉しくて堪らない。もっともっと求めて欲しい。
 強欲な「俺」達はオルテガの全てが欲しくてたまらないのだ。
 その身も心も、その魂でさえ。
 
 ◆◆◆
 
 四日ぶりに触れる体は酷く素直だった。
 真っ白な肌に残していった夥しい痕は薄くなりながらも花のように彼を彩る。上書きする様に白い肌に貪り付けば、甘い嬌声があがった。
 あっという間に奪い去った衣服の下にある裸体が、曇天の薄明かりを受けて輝く様は息を呑む程美しい。ほんの一月程前まではまるで幽鬼のように痩せ衰えていた体は程良く肉を取り戻し、隅々まで手入れが行き届いている事で以前の壮麗さを取り戻していた。
 本来の美しさを取り戻した幼馴染。麗しく優しい唯一無二の人。
 オルテガにとって出逢ったその瞬間からセイアッドは人生の全てだ。
 心の底から吼え立てる何かの声も関係ない。ただ、彼の平穏を守ることがオルテガの生きる意味であり、幸福だった。
 だが、セイアッドが追い遣られ、地位も名誉も全てを投げ捨ててこうしてレヴォネへと追ってきて何もかもが変わった。
 墓まで持って行く筈だった恋情も、殺してしまう筈だった獣欲も、その全てをセイアッドは受け入れてくれた。
 そして、何より同じ様に、いやそれ以上に自分を求めてくれる。
 その事実がオルテガが抱え続けた仄暗い欲を満たしていく。
「フィン」
 不意に甘い声がオルテガを呼ぶ。誘われるように視線を向ければ、柔らかに微笑む最愛の人。
「あいしている」
 快楽に浮かされた拙い声がそう告げる。それだけで心臓が震える、胸が熱くなる。
 この瞬間の為に生きて来たのだ、と心が歓喜の叫びをあげている。
 柔らかな唇に貪り付き、指先で確かめるように滑らかな肌をなぞる。
 オルテガが与えるものを一つひとつ素直に呑みくだすこの体を染め上げる悦楽は誰にも渡さない。
 美しく穏やかなこの月は己だけのものなのだから。
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