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最終話
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女神は気まぐれに、赤い糸をひとの世界に垂らす事がある。
選ばれた子が男児ならば右手の薬指に、女児ならば左手の薬指に赤い糸が巻き付いた状態で生まれて来ると言う。
赤い糸を持った者どうしが出会い、相思相愛になるとお互いの糸が伸びて固く結ばれる。
その時になって初めて他人の目にも目視出来る様になり、誰からも祝福される運命の恋人として女神に認められるのだ。
運命の恋人たちは女神からの祝福を受け続け、その恩恵は恋人たちだけではなく国中にまで広まり、そこに住まう人々も幸福な人生を歩む事が約束されると言われている。
帝国から広まったおとぎ話が、今まさに現実となって目の前に在る。
ロイズ王国に住まう国民たちは、信じられない光景に目を背けられずに空を見上げていた。
降り注ぐ赤い花びらは、月明かりに照らされて、幻想的な美しさを際立たせている。
触れたら直ぐに消えてしまうが、見つめているだけで幸せな気分になり、苦しんでいる人々には惜しみなく癒しが与えられたのだ。
奴隷とされていた者たちの焼き印が消え、凍てついていた心が溶かされ、涙したと言われている。
逆に犯罪に手を染めていた者には苦しみが与えられ、耐えられずに懺悔する者が続出した。
この不思議な現象を纏めるのに、王家が嬉しい悲鳴を上げる事になったのは、もう少し後になってからである。
国王生誕祝賀会の翌日には、新聞で大きく報道された事もあり、運命の恋人たちがエレインとアルフレッドである事は直ぐに知れ渡ったのだ。
この報道は世界中にも広まって行き、ロイズ王国は運命の恋人たちを産み出した国として周知される事となる。
残念ながら赤い糸の虹と花びらは、一週間ほどで消えてしまう事になるのだが、国民たちはその事実をまだ知らずにいた。
エレインとアルフレッドは、生誕祭の後お互いに名残惜しそうにしていたが、明日も会えるからとアンドレイに引き裂かれていた。
こんな事もあろうかと、間をおかずに婚約発表が出来るように、全ての書類を用意していたのである。
アルフレッドが求婚した翌日だと言うのに、今から王宮へ向かいアンドレイがサインをするだけになっているのだ。
「お父様。それならそうと、先に仰って下さっても宜しかったのではございませんか」
エレインは、与り知らぬところで婚約者となるのが決定事項であった事に、頬を膨らませて怒っていた。
「だって~君たち歯がゆかったんだもの。さっさと押し進めておかないと、私たちの都合が合わなくなっちゃうでしょう」
「だからと言って、黙っているのは良くありませんわ。何かある時は、きちんと報告をして欲しいと、私言いましたよね?お・と・う・さ・ま!」
「だから今ね、話をしているんじゃない、エリーちゃん」
「決定事項ではなく、決定する前に、教えて欲しいのですわ。何度も同じ事を言わせないでくださいませ。正式な婚約者になったのなら、直ぐに王太子妃教育も、受けなくてはなりませんのよ」
「大丈夫だよ、エリーちゃん。学園を卒業したら、次は結婚式があるからね。ちゃ~んと年間行事に組み込んでいるから、心配はいらないよ。一緒にバージンロードを歩こうね」
何が大丈夫なのだと、エレインは思うのだが、諦めた。
国王生誕祝賀会に参加する序に、子供たちの婚約も行っちゃおうと考えた、義父と国王に呆れてしまったのだ。
それでもアルフレッドと正式に婚約出来るのは、嬉しい事に変わりはないので、大人しく身支度を整えていたのである。
誘拐未遂事件の後で、エレインのアンドレイに対する態度が、何処かキャサリンに似て来たと思うルーカスであった。
「それはそうと…エリーに赤い糸がある事を、僕も教えて貰いたかったですよ、母上」
ルーカスは、まだ驚きを隠せずにいた。
「そうね。機会があれば教えても良かったのだけれど…貴方たち、何時もべったりと一緒にいたでしょう。エレインに運命の相手がいると知ったら、落ち込んでしまうと思ったのよ。エレインはしっかりした子だけれど、ルーカスは、寂しがり屋なのだもの」
キャサリンは、ルーカスがエレインを溺愛していたのを知っており、嫁いでしまう事に寂しさを感じていたのも気付いていた様だ。
アンドレイは、不貞腐れているルーカスが面白かったのか、自慢気に話しかけて来た。
「ルーちゃん、お父様は知っていたよ。キャサリンが教えてくれたからね、羨ましいかい」
「何に対しての嫉妬なのですか」
ムスッとした表情を見て、勝ち誇ったアンドレイは、尚もルーカスを挑発したのだ。
「キャサリンは、私だけの女性だからね。例え息子でも、恋敵は排除…」
バキッっと、扇子が折れる音がして、アンドレイが尻を押さえて悶えていた。
「ルーカスの敵は、私の敵でしてよ。エレインの時で、学習なさっていないのかしら。例え、アンドレイであっても、容赦は致しませんよ。私の一番は、子供たちなのですからね」
「キャサリン…」
涙目で愛する妻を見つめるアンドレイに、憐みの視線を向けるルーカスであった。
『エリー。僕には、アルフレッドが父上と重なって見えるよ』
心の中でそっと呟いてみる。
エレインは、仲の良い両親を見て、嬉しそうにクスクスと笑っていた。
王宮に来ると、アルフレッドが待ちくたびれた様に出迎えて来た。
「お待ちしておりました。私がご案内いたします」
「態々王太子殿下がお迎えくださるとは、光栄だね。本音は、エリーちゃんでしょうけれど…」
アルフレッドは、満面の笑みを浮かべて頷いていた。
「勿論です。この日を心待ちにしておりましたので、一刻も早く書類にサインをお願いしたいくらいです」
「そんな事を言われると、意地悪したくなっちゃうな~」
「お父様…」
『その様な意地悪など、させませんわ。ちょっと悲しそうな顔をしたら、きっと飛んで行ってくれますわね。お父様の扱い方は、お母様から伝授されておりますのよ』
アルフレッドの姿を捉えて笑顔を見せていたエレインの顔が、一瞬で悲しみの表情になってしまった。
それを見たアンドレイは、エレインとキャサリンを両腕に抱えると、一気に走り抜けたのだ。
「冗談だよ~エリーちゃん。泣かないでね、直ぐにサインしちゃうからね~」
遠ざかって行くアンドレイの後姿を見送りながら、アルフレッドがぼそりと呟いた。
「勝手知ったる他人の我が家か…皇弟殿下は、王宮の見取り図まで頭の中に入っているのだね。何処で知ったのかは、聞かない方が身のためなのだろう」
「帝国は計り知れない。僕たちが考えも出来ない事を、やっているのだろうな。簡単に一国を潰してしまえるのだから。我が父親ながら恐ろしく思う」
ルーカスとアルフレッドは、顔を見合わせると、深い溜息を付いていた。
真に恐れるのはアンドレイではなく、ずる賢さを覚えたエレインだと言う事を、この時の二人は知る由もない。
二人が部屋に着く頃には、既にサインが済まされており、エレインとアルフレッドは正式な婚約者となったのだ。
エレインの卒業を待って、結婚式が行われる事になるのだが、日取りまでが既に決まっていた。
頬を赤く染めながら、嬉しそうに書類を眺めているエレインに、アルフレッドが近付いて来た。
「エレイン。私も、其方をエリーと呼んでも構わないだろうか」
「勿論ですわ。私も愛称でお呼びしたいのですが…」
恥ずかしそうに話しており、最後の方は声が小さく聞き取れなかったが、言いたい事は理解出来た。
「私の事は、アルと呼んで欲しい。エリー手を出して」
「ありがとうございます。アル様…」
俯きながら、静かに差し出した左手の薬指に、婚約者の証である指輪を嵌めたのだ。
それはアルフレッドの瞳と同じアウイナイトの指輪で、王家に代々伝わる家宝でもあった。
エレインは、驚きアルフレッドを見上げた。
何故ならば、その指輪は妃教育を修了した時に与えられる物なのだ。
エレインは、ラピスラズリが嵌められた普通の指輪を想像していたので、驚くのも無理はなかった。
「アル様。この指輪を頂く資格が、私にはございませんわ」
「資格のない者に、陛下が国宝に近い家宝を渡す事はしないよ。エリーは気付いていなかったけれど、既に妃教育は終了している。両陛下が認めた事だから、安心して受け取ってね」
「どういう事でしょう」
ここで王妃が話に割り込んで来た。
「私から説明するわね。アルフレッドは、学園の課題に妃教育の課題を混ぜて、貴方に教えていたのよ。基礎教育が終わった事を聞かされた時は、私も陛下も驚いたのだけれど、エレインならば次の段階に進んでも良いと思ったの。それで私が王宮図書館へ出向いていたのだけれど、本当に気付いていなかったのね」
王妃は、悪戯が成功した子供の様な、屈託のない笑顔で笑っている。
「では、私が王妃陛下から教わっていたのは…」
「私はね、何年もかかると思っていたのだけれど、余りにも物覚えが良いから、つい楽しくなってしまったの。騙すつもりはなかったのよ、許してね」
「その様な…恐れ多い事でございます」
「エレイン。誤解しないで欲しいのだけれど、本格的な王妃教育をすると決めたのは、私の独断なのよ。アルフレッドも知らなかった事なの」
「そうでしたか…それで、二人だけの秘密だったのですね」
「そうなのよ。でも、種明かしをしてしまったから、秘め事もなくなったわ。これからは、親子としてお茶を楽しみましょうね」
「はい。王妃陛下」
「せっかく王宮へ来てくれたのだから、皆でお茶にしましょう」
王妃の提案でサロンに移り、皇弟一家と国王一家が親族としての、初めての茶会が行われた。
国王が王妃に求婚する為に王宮中の薔薇の花を持って行った事をしったアンドレイが、帝国へ帰った後皇宮の庭園を丸坊主にして、キャサリンに尻を叩かれたのは秘密である。
ルーカスはアンドレイと国王の話しに耳を傾け、キャサリンと王妃は世間話に花を咲かせている。
アルフレッドは、エレインを誘い出そうと声を掛けた。
「エリー。私はね、ずっと憧れていた事があるのだ。少し付き合って貰えないだろうか」
「はい。何処にてもお供致しますわ」
アルフレッドは、求婚の時に驚き過ぎて頭からすっぽりと抜け落ちてしまったが、憧れを諦めた訳ではないのだ。
バルコニーに誘い出すと、眼下には王都の街並みが広がっていた。
「まあ。とても眺めが宜しいのですね」
「うん。ここで、愛する人と将来に付いて語り合うのが夢だったのだ」
エレインは、頬を染めながらアルフレッドを見つめていた。
「私は、何れ王位を継ぐ事になるだろう。今よりも、ずっと重い責任を背負う事になる。私の言葉一つで、国が傾く事になるかもしれない。怖くないと言えば、嘘になる。だが、其方が傍にいてくれるのならば、私はどんなに苦しい事でも、耐えられる。間違いを犯す事無く、国民を大切にし、平和な国を護って行きたい。エリーには、私の一番近くで、見守っていて欲しい」
「勿論ですわ。アル様のお傍に、ずっと控えております。鬱陶しいと言われても、離れてあげる事は出来ません」
アルフレッドは、満足した顔で、エレインを見つめていた。
エレインもアルフレッドを、うっとりとした表情で見上げている。
『その表情は、やはり狡いな…』
アルフレッドはそっと額に優しいキスを落とす事は自然に出来たのだが、憧れのファーストキスはエレインの瞳を見つめたまま、固まってしまっていた。
優雅な笑みを見せたエレインは、温かいアルフレッドの大きな手を取ると、掌に優しいキスを落としたのだった。
この意味を知らないアルフレッドではない。
女性からの掌へのキスは、もっと愛して欲しいとの表現なのである。
『やはり…私は不甲斐ないな。不甲斐ない私には、しっかりとした妃が必要だ。ありがとう、私を愛してくれて。ありがとう、私の前に現れてくれて。ありがとう、私の女神』
王宮のバルコニーに立ち、王都の街並みを一望出来る場所で、エレインとアルフレッドは見つめ合っていた。
雲一つない真っ青な空には、燦然と赤い糸が地平線の彼方まで広がっており、赤い花びらが優雅に舞い降りている。
「エリー。今日から私は、其方との愛の物語を、書き記す事にしたよ。題名は、そうだね『私と女神の出会い』にしよう。隠居したら、それを舞台にして、一緒に観に行こうね」
「はい。楽しみにしておりますわ」
アルフレッドはエレインの頬を両手で優しく包み込むと、思い描いていた憧れのまま、唇をそっと重ねるのだった。
美しい光景の中で、頑なに守り続けて来たファーストキスを、漸くエレインに捧げる事が出来たのである。
初めてのキスは、どこか甘酸っぱい、イチゴの味がするのだった。
おしまい。
長いお話でしたが、最後までお付き合いくださり、ありがとうございました<(_ _)>
選ばれた子が男児ならば右手の薬指に、女児ならば左手の薬指に赤い糸が巻き付いた状態で生まれて来ると言う。
赤い糸を持った者どうしが出会い、相思相愛になるとお互いの糸が伸びて固く結ばれる。
その時になって初めて他人の目にも目視出来る様になり、誰からも祝福される運命の恋人として女神に認められるのだ。
運命の恋人たちは女神からの祝福を受け続け、その恩恵は恋人たちだけではなく国中にまで広まり、そこに住まう人々も幸福な人生を歩む事が約束されると言われている。
帝国から広まったおとぎ話が、今まさに現実となって目の前に在る。
ロイズ王国に住まう国民たちは、信じられない光景に目を背けられずに空を見上げていた。
降り注ぐ赤い花びらは、月明かりに照らされて、幻想的な美しさを際立たせている。
触れたら直ぐに消えてしまうが、見つめているだけで幸せな気分になり、苦しんでいる人々には惜しみなく癒しが与えられたのだ。
奴隷とされていた者たちの焼き印が消え、凍てついていた心が溶かされ、涙したと言われている。
逆に犯罪に手を染めていた者には苦しみが与えられ、耐えられずに懺悔する者が続出した。
この不思議な現象を纏めるのに、王家が嬉しい悲鳴を上げる事になったのは、もう少し後になってからである。
国王生誕祝賀会の翌日には、新聞で大きく報道された事もあり、運命の恋人たちがエレインとアルフレッドである事は直ぐに知れ渡ったのだ。
この報道は世界中にも広まって行き、ロイズ王国は運命の恋人たちを産み出した国として周知される事となる。
残念ながら赤い糸の虹と花びらは、一週間ほどで消えてしまう事になるのだが、国民たちはその事実をまだ知らずにいた。
エレインとアルフレッドは、生誕祭の後お互いに名残惜しそうにしていたが、明日も会えるからとアンドレイに引き裂かれていた。
こんな事もあろうかと、間をおかずに婚約発表が出来るように、全ての書類を用意していたのである。
アルフレッドが求婚した翌日だと言うのに、今から王宮へ向かいアンドレイがサインをするだけになっているのだ。
「お父様。それならそうと、先に仰って下さっても宜しかったのではございませんか」
エレインは、与り知らぬところで婚約者となるのが決定事項であった事に、頬を膨らませて怒っていた。
「だって~君たち歯がゆかったんだもの。さっさと押し進めておかないと、私たちの都合が合わなくなっちゃうでしょう」
「だからと言って、黙っているのは良くありませんわ。何かある時は、きちんと報告をして欲しいと、私言いましたよね?お・と・う・さ・ま!」
「だから今ね、話をしているんじゃない、エリーちゃん」
「決定事項ではなく、決定する前に、教えて欲しいのですわ。何度も同じ事を言わせないでくださいませ。正式な婚約者になったのなら、直ぐに王太子妃教育も、受けなくてはなりませんのよ」
「大丈夫だよ、エリーちゃん。学園を卒業したら、次は結婚式があるからね。ちゃ~んと年間行事に組み込んでいるから、心配はいらないよ。一緒にバージンロードを歩こうね」
何が大丈夫なのだと、エレインは思うのだが、諦めた。
国王生誕祝賀会に参加する序に、子供たちの婚約も行っちゃおうと考えた、義父と国王に呆れてしまったのだ。
それでもアルフレッドと正式に婚約出来るのは、嬉しい事に変わりはないので、大人しく身支度を整えていたのである。
誘拐未遂事件の後で、エレインのアンドレイに対する態度が、何処かキャサリンに似て来たと思うルーカスであった。
「それはそうと…エリーに赤い糸がある事を、僕も教えて貰いたかったですよ、母上」
ルーカスは、まだ驚きを隠せずにいた。
「そうね。機会があれば教えても良かったのだけれど…貴方たち、何時もべったりと一緒にいたでしょう。エレインに運命の相手がいると知ったら、落ち込んでしまうと思ったのよ。エレインはしっかりした子だけれど、ルーカスは、寂しがり屋なのだもの」
キャサリンは、ルーカスがエレインを溺愛していたのを知っており、嫁いでしまう事に寂しさを感じていたのも気付いていた様だ。
アンドレイは、不貞腐れているルーカスが面白かったのか、自慢気に話しかけて来た。
「ルーちゃん、お父様は知っていたよ。キャサリンが教えてくれたからね、羨ましいかい」
「何に対しての嫉妬なのですか」
ムスッとした表情を見て、勝ち誇ったアンドレイは、尚もルーカスを挑発したのだ。
「キャサリンは、私だけの女性だからね。例え息子でも、恋敵は排除…」
バキッっと、扇子が折れる音がして、アンドレイが尻を押さえて悶えていた。
「ルーカスの敵は、私の敵でしてよ。エレインの時で、学習なさっていないのかしら。例え、アンドレイであっても、容赦は致しませんよ。私の一番は、子供たちなのですからね」
「キャサリン…」
涙目で愛する妻を見つめるアンドレイに、憐みの視線を向けるルーカスであった。
『エリー。僕には、アルフレッドが父上と重なって見えるよ』
心の中でそっと呟いてみる。
エレインは、仲の良い両親を見て、嬉しそうにクスクスと笑っていた。
王宮に来ると、アルフレッドが待ちくたびれた様に出迎えて来た。
「お待ちしておりました。私がご案内いたします」
「態々王太子殿下がお迎えくださるとは、光栄だね。本音は、エリーちゃんでしょうけれど…」
アルフレッドは、満面の笑みを浮かべて頷いていた。
「勿論です。この日を心待ちにしておりましたので、一刻も早く書類にサインをお願いしたいくらいです」
「そんな事を言われると、意地悪したくなっちゃうな~」
「お父様…」
『その様な意地悪など、させませんわ。ちょっと悲しそうな顔をしたら、きっと飛んで行ってくれますわね。お父様の扱い方は、お母様から伝授されておりますのよ』
アルフレッドの姿を捉えて笑顔を見せていたエレインの顔が、一瞬で悲しみの表情になってしまった。
それを見たアンドレイは、エレインとキャサリンを両腕に抱えると、一気に走り抜けたのだ。
「冗談だよ~エリーちゃん。泣かないでね、直ぐにサインしちゃうからね~」
遠ざかって行くアンドレイの後姿を見送りながら、アルフレッドがぼそりと呟いた。
「勝手知ったる他人の我が家か…皇弟殿下は、王宮の見取り図まで頭の中に入っているのだね。何処で知ったのかは、聞かない方が身のためなのだろう」
「帝国は計り知れない。僕たちが考えも出来ない事を、やっているのだろうな。簡単に一国を潰してしまえるのだから。我が父親ながら恐ろしく思う」
ルーカスとアルフレッドは、顔を見合わせると、深い溜息を付いていた。
真に恐れるのはアンドレイではなく、ずる賢さを覚えたエレインだと言う事を、この時の二人は知る由もない。
二人が部屋に着く頃には、既にサインが済まされており、エレインとアルフレッドは正式な婚約者となったのだ。
エレインの卒業を待って、結婚式が行われる事になるのだが、日取りまでが既に決まっていた。
頬を赤く染めながら、嬉しそうに書類を眺めているエレインに、アルフレッドが近付いて来た。
「エレイン。私も、其方をエリーと呼んでも構わないだろうか」
「勿論ですわ。私も愛称でお呼びしたいのですが…」
恥ずかしそうに話しており、最後の方は声が小さく聞き取れなかったが、言いたい事は理解出来た。
「私の事は、アルと呼んで欲しい。エリー手を出して」
「ありがとうございます。アル様…」
俯きながら、静かに差し出した左手の薬指に、婚約者の証である指輪を嵌めたのだ。
それはアルフレッドの瞳と同じアウイナイトの指輪で、王家に代々伝わる家宝でもあった。
エレインは、驚きアルフレッドを見上げた。
何故ならば、その指輪は妃教育を修了した時に与えられる物なのだ。
エレインは、ラピスラズリが嵌められた普通の指輪を想像していたので、驚くのも無理はなかった。
「アル様。この指輪を頂く資格が、私にはございませんわ」
「資格のない者に、陛下が国宝に近い家宝を渡す事はしないよ。エリーは気付いていなかったけれど、既に妃教育は終了している。両陛下が認めた事だから、安心して受け取ってね」
「どういう事でしょう」
ここで王妃が話に割り込んで来た。
「私から説明するわね。アルフレッドは、学園の課題に妃教育の課題を混ぜて、貴方に教えていたのよ。基礎教育が終わった事を聞かされた時は、私も陛下も驚いたのだけれど、エレインならば次の段階に進んでも良いと思ったの。それで私が王宮図書館へ出向いていたのだけれど、本当に気付いていなかったのね」
王妃は、悪戯が成功した子供の様な、屈託のない笑顔で笑っている。
「では、私が王妃陛下から教わっていたのは…」
「私はね、何年もかかると思っていたのだけれど、余りにも物覚えが良いから、つい楽しくなってしまったの。騙すつもりはなかったのよ、許してね」
「その様な…恐れ多い事でございます」
「エレイン。誤解しないで欲しいのだけれど、本格的な王妃教育をすると決めたのは、私の独断なのよ。アルフレッドも知らなかった事なの」
「そうでしたか…それで、二人だけの秘密だったのですね」
「そうなのよ。でも、種明かしをしてしまったから、秘め事もなくなったわ。これからは、親子としてお茶を楽しみましょうね」
「はい。王妃陛下」
「せっかく王宮へ来てくれたのだから、皆でお茶にしましょう」
王妃の提案でサロンに移り、皇弟一家と国王一家が親族としての、初めての茶会が行われた。
国王が王妃に求婚する為に王宮中の薔薇の花を持って行った事をしったアンドレイが、帝国へ帰った後皇宮の庭園を丸坊主にして、キャサリンに尻を叩かれたのは秘密である。
ルーカスはアンドレイと国王の話しに耳を傾け、キャサリンと王妃は世間話に花を咲かせている。
アルフレッドは、エレインを誘い出そうと声を掛けた。
「エリー。私はね、ずっと憧れていた事があるのだ。少し付き合って貰えないだろうか」
「はい。何処にてもお供致しますわ」
アルフレッドは、求婚の時に驚き過ぎて頭からすっぽりと抜け落ちてしまったが、憧れを諦めた訳ではないのだ。
バルコニーに誘い出すと、眼下には王都の街並みが広がっていた。
「まあ。とても眺めが宜しいのですね」
「うん。ここで、愛する人と将来に付いて語り合うのが夢だったのだ」
エレインは、頬を染めながらアルフレッドを見つめていた。
「私は、何れ王位を継ぐ事になるだろう。今よりも、ずっと重い責任を背負う事になる。私の言葉一つで、国が傾く事になるかもしれない。怖くないと言えば、嘘になる。だが、其方が傍にいてくれるのならば、私はどんなに苦しい事でも、耐えられる。間違いを犯す事無く、国民を大切にし、平和な国を護って行きたい。エリーには、私の一番近くで、見守っていて欲しい」
「勿論ですわ。アル様のお傍に、ずっと控えております。鬱陶しいと言われても、離れてあげる事は出来ません」
アルフレッドは、満足した顔で、エレインを見つめていた。
エレインもアルフレッドを、うっとりとした表情で見上げている。
『その表情は、やはり狡いな…』
アルフレッドはそっと額に優しいキスを落とす事は自然に出来たのだが、憧れのファーストキスはエレインの瞳を見つめたまま、固まってしまっていた。
優雅な笑みを見せたエレインは、温かいアルフレッドの大きな手を取ると、掌に優しいキスを落としたのだった。
この意味を知らないアルフレッドではない。
女性からの掌へのキスは、もっと愛して欲しいとの表現なのである。
『やはり…私は不甲斐ないな。不甲斐ない私には、しっかりとした妃が必要だ。ありがとう、私を愛してくれて。ありがとう、私の前に現れてくれて。ありがとう、私の女神』
王宮のバルコニーに立ち、王都の街並みを一望出来る場所で、エレインとアルフレッドは見つめ合っていた。
雲一つない真っ青な空には、燦然と赤い糸が地平線の彼方まで広がっており、赤い花びらが優雅に舞い降りている。
「エリー。今日から私は、其方との愛の物語を、書き記す事にしたよ。題名は、そうだね『私と女神の出会い』にしよう。隠居したら、それを舞台にして、一緒に観に行こうね」
「はい。楽しみにしておりますわ」
アルフレッドはエレインの頬を両手で優しく包み込むと、思い描いていた憧れのまま、唇をそっと重ねるのだった。
美しい光景の中で、頑なに守り続けて来たファーストキスを、漸くエレインに捧げる事が出来たのである。
初めてのキスは、どこか甘酸っぱい、イチゴの味がするのだった。
おしまい。
長いお話でしたが、最後までお付き合いくださり、ありがとうございました<(_ _)>
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「承知しました。受け入れましょう」
ヴィオラにはもう、ルークへの愛など残ってすらいない。
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みっともなく、情けない彼に対して恋情など抱く事すら不快だ。
だが聖女の素養を持つリアを、ルークは寵愛する。
そして貴族達も、莫大な益を生み出す聖女を妃に仕立てるため……ヴィオラへと無実の罪を被せた。
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◇◇◇◇◇
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