あした僕は鬼になる

高谷 ゆうと

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 萩野さんから連絡があったのは、僕が紅蓮のビルに行った次の日だった。 
「学校が終わった後、時間あるか」と、朝っぱらから電話があったのだ。 
 起きて間もなかった(というより、萩野さんからの電話で目が覚めた)僕は、ぼーっとした思考のまま、「空いてます」と答えていた。 
「じゃあ、こないだの公園の前で待ってるから」
 萩野さんは急いでいたのだろうか、手短にそう言ってきた後、すぐに電話が切れた。
 事件現場の近くで待ち合わせをするのもどうかと思ったが、そうは言っても萩野さんと僕が互いに知っている場所と言われて思い付くのはあそこしかないから、仕方ないかなとすぐに考え直した。
 しかしその日、僕は萩野さんに会うより早い時間に、もっと大きな出来事を経験する事になった。
 いつも通りに学校に行って、昼までは普通に授業を受けて、颯太達と昼食をとった後、昼休みにうとうとしながら颯太とクラスメイト達の冗談を聞いていた時、いきなり担任に呼ばれたのだ。 
「昼休みに突然、ごめんね」
 そう言った担任の中島先生の顔は、神妙な面持ちだった。
「いえ、すぐに終わりますか?」
「……そうね、多分終わると思うわ」
 その時中島先生が言葉を濁した理由を、僕は数分後知る事になる。 
 階段を降り、渡り廊下を渡り、僕達が向かった先は、応接室だった。中島先生が静かにノックをして、扉を開ける。 
「後藤君を連れてきました」
 そして、そう言った。
 中島先生に続いて部屋に入った僕は、もう少しで「あっ!」と叫び出しそうになったが、寸でのところで声をひっこめた。 
 応接室には、学年主任の佐藤先生と、名前は知らないけれど教頭先生と、そして警察官が二人座っていたのだ。 
 何にもやましい事はないはずなのに、心臓がドキドキしている。 
「座って下さい」
 教頭先生に言われて、上ずった声で返事をすると、僕は黒いソファーに腰を下ろした。 中島先生も、隣に座った。 
「見てのとおり、私達は警察です。私は生活安全課の斎藤、こちらは刑事課の鈴木です」
 向かって左側の、ちょっと強面で頑固そうな年配の警官が口を開いた。名前を紹介されると、若い方の警官(爽やかな感じで、人の良さそうな印象を抱いた)と僕は同時に軽い会釈をした。 
「早速なんだけど後藤君、制服を脱いでくれるかな」
 警官の斎藤さんは続けてそう言った。 
 僕の名前は、事前に聞いていたのだろうけど、それよりも斎藤さんが言った事に対して、僕は戸惑ってしまった。
「ここで……服を……脱ぐんですか?」
 中島先生をチラリと見て、僕はおずおずと言った。いくら馬鹿な僕でも、これが取り調べだって事は分かる。だけど、いくら調査とはいえ、女性の前で裸体を晒すのは、ちょっと……いや、すごく気が引ける。 
 躊躇している僕を見て、ハッハッハと斎藤さんが笑った。 
「ごめん、言い方が悪かったね。上着だけでいいから、脱いでくれるかな」
 それならと、僕は言われた通りにした。ワイシャツだけになると、通気性が良くなって寒い。何をされるのだろうという不安も手伝って、体感温度は一気に下がる。
「少しの間、立っていて」
 僕が上着をソファーに置いて立ち上がると、鈴木さんがこちらに近付いて来た。そして、「失礼するよ」と言うと、僕の肩や腕、そして胸や腹や背中を、さするように触っていった。
 特に念入りに触られたのは、肩と腕と、そしてふくらはぎの辺りで、触り方から推測すると、鈴木さんは僕の体の筋肉の付き具合を確かめたようだった。 
 どうしてこんなことをされるんだろう。もし、尋ねてみたとしても、教えてくれないんだろうな。
「いいよ、座って」
 そんな風に考えていると鈴木さんにそう言われた。僕はそそくさと上着を着て、座った。そして鈴木さんが元の位置に戻ると、また斎藤さんが口を開いた。
  「この学校の生徒である松谷遼一君が事故に遭って亡くなった件は、もう知っているね」
 「……はい」
 知ってるも何も、僕は彼の親友だ。少なくとも、僕はそう思っている。 
 事件を調べたはずの警官なら、僕と遼一がそんな関係だってことも知っているはずだ。 回りくどい質問の仕方をした斎藤さんに、僕はイラッとした。
 「松谷君と君は、友達同士だった。そうだね?」
 「はい、そうです」
 返事をしながら、やはり調べられていたんだと、僕は思った。
 「そして松谷君が亡くなった日、生前の彼と最後に接触していたのは、君だった」
 この人たちはどこまで遼一の生前最後の行動を調べているのだろう。紅蓮の人達の事は、まだ調べてないのかな。僕と別れた後に柏原さん達と会っていたはずだけれど。そう考えながら、僕は「わかりません」と答えた。
 僕の目の前にいる二人の警官は、遼一が事件に巻き込まれた可能性も視野に入れて捜査を進めていて、きっと僕を疑っているんだ。改めてそう感じた。 
 そりゃそうだ。疑われてなければ、こうやって呼び出される事もないだろう。
 僕が無実だって事は、僕しか知らない。中島先生も、佐藤先生も、教頭先生も、それを証明することは出来ない。ただ、先生達が僕を信用してくれているのは、何となく分かった。中島先生なんて、今にも泣き出しそうな顔をしている。
 早くこの取り調べが終わってほしい。 みんなを安心させてやりたい。 
 「君は松谷君と別れた後、何をしていた?」
 「図書館に寄ってから家に帰りました。夕飯を食べて部屋でポテトチップスを食べていたら、遼一のおばさんから家に電話がかかってきて、遼一が僕の家にいないかと聞かれました。いないと僕が答えると電話が切れたので、僕は遼一を探しに行こうと家を出ました」
 「図書館には、何をしに言ったのかな?」
 斎藤さんが口を挟んできた。僕は何となく、図書館で本当にやった事を言うべきではないと思った。言えばさらに怪しまれるかもしれない。だけど、後でばれたら余計に厄介な事になる気がして、やっぱり事実を話すことにした。
 僕がそれを話すことによって、磯賢治さんの事件にも真相に繋がる何かが見えてくれればいいとも思った。
 「遼一が突然口にした、一年前にこの町で起きた磯賢治という少年の殺人事件について調べるためです。遼一は、磯さんが血まみれで倒れていたところをたまたま通りがかって、まだ生きていた磯さんに助けを求められたけど、怖くなって逃げ出したと僕に打ち明けました」
 「松谷君は、磯君と接点でもあったのか?」
 斎藤さんは鈴木さんと一瞬視線を交わした後、そう聞いてきた。鈴木さんは急いでポケットから手帳を取り出し、滑るように走り書きを始める。何を書いているのかは見えなかった。
 「僕が知っている限りでは、無かったと思いますが、僕も遼一のすべてを知っているわけではないので……すみません」
 僕の答えに、斎藤さんは「そうか」と呟いただけだった。
 きっと斎藤さんと鈴木さんは、警察署に戻ったら、磯さんの事件と遼一の死に関連性が無いかを調べるのだろう。そして遼一の交友関係について調べたら、紅蓮に関わっていた事も分かって、二人は柏原さん達にも取り調べをするのかもしれない。
 何せ人が死んでいるのだ。ものが盗まれたとか、犬がいなくなったとか、そんなレベルの事件じゃないから、警察も手当たり次第に捜索するに違いない。
 だけど、明らかに他殺だったらしい磯さんの事件の犯人も捕まっていないところを見ると、ちょっと頼りないなとも思ったりする。 
 きっと僕が事件捜査の大変さを知らないから、そんな事を言えるんだろうけど。
 「松谷君のお母さんから連絡があった後は、君はどこを探したのかな?」
 斎藤さんが新たな質問をしてきた。どうやら磯さんの事は、今はもういいらしい。 
 「遼一が行きそうな所を探しました。ゲームセンターとか、古本屋とか、コンビニとか。だけど、どこにもいませんでした。途方に暮れた時、また携帯が鳴って、母にすぐ病院に行くようにと言われました。それで遼一が事故に遭った事を知って、病院に駆け付けた時……僕は、遼一の……死を知りました」
 込み上げてくる悲しみをこらえると、声が震えた。向き合おうと決めたはずの親友の死は、想像以上に重たかった。 
 涙というものは、こらえようとすればするほど流れてきて、みんなが見ているのにも関わらず、僕は泣いてしまった。
 隣で中島先生が鼻をすする音が聞こえる。きっと先生も泣いているんだろうなと思った。
 斎藤さん達は、そんな僕を見て、疑心を拭い去ったのか、それともこれ以上の取り調べは無理だと判断したのかは分からないけど、「今日は急に悪かったね。ご協力ありがとう」と言って、僕を解放してくれた。 
 中島先生に肩を抱かれて、僕は部屋を出たが、教頭先生や佐藤先生は斎藤さん達と話をするのか、その場に留まったままだった。
 「警察も酷いわね。後藤君を疑うなんて。口に出しては言ってなかったけど、疑ってるからここに来たのよね。後藤君が松谷君を殺すわけないじゃない。ほんと、嫌になる」
 一緒に廊下を歩いていたら、中島先生が珍しく感情的な声でそう言った。とっくに五時間目は始まっていて、廊下はしんと静まり返っている。 
 僕達の足音だけが、辺りに響いた。
 「このまま教室に帰って、授業に参加出来る?」
 僕が黙ったままでいると、中島先生が聞いてきた。教室に入ると、みんなが僕に注目するだろう。そして、何をしていたのかと勘繰られる。 
 何人かは、僕の目が赤く充血していることに気付き、さっきまで泣いていた事を知る。
 遼一に関する事で席を外していたという予想にたどり着くのは、その中でも一体何人いるのだろうか。
 「大丈夫です」
 中島先生を心配させないようにと、僕はまっすぐ彼女の顔を見て答えた。 
 「本当に?」
 念を押してきた心配性の中島先生に向かってもう一度頷くと、僕は躊躇うことなく歩き出した。中島先生が追いかけてくることは、なかった。

 その後、僕は自分で言った通り、授業を普通に受けた。有言実行なんて、ちょっとかっこいいかななんて思ったりしたけれど、全然そんなことは無かった。
 むしろ、普通の事だ。放課後は、用事があると言って、颯太の部活見学には行かなかった。
 萩野さんは一体どんな情報を手に入れたのだろうか。期待が大きく膨らんで、いてもたってもいられずに、終礼が終わると同時に僕は教室を飛び出した。
 そんな僕の姿を見た中島先生は、「もう復活してるわ」などと思ったりしたかな。足取りもおぼつかないまま約束の公園に着くと、すでに入口の所に萩野さんが待っていた。
 最初は萩野さんだと分からなかったのは、彼が黒い軽自動車に乗っていたからで、萩野さんが車の窓を開けて僕を呼んだのを耳にして、ようやく彼に気が付いた。
 「乗って」
 早口で萩野さんが言った。躊躇っては失礼だと思った僕は、「わかりました」とうなずくと、助手席に乗り込んだ。カーステレオからは、懐かしいメロディーが流れている。
 いつだったか、転落死をして日本中に衝撃を与えたアーティストのヒット曲だった。
 車はゆっくりと動き出す。
 「いつまでもここにいたら怪しまれるから、ドライブでもしようか」
 萩野さんはそう言って、速度を上げた。
 「誘拐犯みたいですね」
 「馬鹿言うな。俺は男には興味ない」
 僕の冗談を軽くあしらった萩野さんの横顔を見る。やはり、成人には見えない。警察に見つかったら、免許証の確認をさせられるんじゃないだろうか。あ、でも車の運転は十八歳から出来るから、大丈夫かな。
 僕達の乗った車は、事件現場を後にしたかと思うと、すぐに大通りを走っていた。交通量の多いその道路を涼しい顔で走る萩野さんの運転技術に感心しながら、僕は黙ったままフロントガラスから見える景色を凝視していた。
 曲が変わり、今度は僕の知らない歌がかかった。声はさっきと同じアーティストだが、曲は全く分からない。と思っていたら、サビにさしかかった途端、やっぱり聞いた事があるなと気が付いた。
 何年か前にアニメの主題歌として使われていたような気がする。
 「僕、この曲知っています」
 沈黙に堪えられなくなった僕は、萩野さんに話題を振ってみた。
 「へえ。珍しいな」
 萩野さんがちらりと僕を見て、言った。
 「テレビで聞いた事あります。なんかノリノリでいい感じですね」
 「ああ。この人の歌は基本大人しい歌が多いからな。これでもこの人の歌の中では激しい歌に分類されるんだよ」
 「充分激しいですよ」
 軽快なキーボードとドラムのリズムに、突き抜けるようなハイトーンのボーカルを聞きながら言った。
 僕は、メタルだとか、パンクだとかいうジャンルの曲は苦手だ。聞くなら、落ち着いた曲が良い。だけど遼一は激しい歌が好きで、よく軽い言い争いをしたっけ。
 そう思って、少し切なくなる。自分の趣味を押し付けるような言い争いも、遼一とはもう出来ないのだ。
 そんな僕の気持ちなどつゆ知らず、車はどんどん知らない場所へ走っていく。僕は話題が見つからないまま、じっとフロントガラスを見つめていた。
 外の景色を見ていたわけじゃない。そんなものに夢中になる気にはなれなかった。ただ、これからどこに連れていかれるのだろうという思いが、ぐるぐると頭の中で渦巻いていたのだ。
 ハンドルを握っていた萩野さんの左腕がふいに伸びて、エアコンのスイッチを押す。すると、途端にゴーッという音がして、僕の胸元に暖かい風が吹き付けてきた。
 「……寒いだろ?」
 「はい、ありがとうございます」
 僕はフロントガラスを見つめたまま、言った。
 「もうちょっとだからな」
 ハンドルを握りしめたまま、萩野さんが呟いた。
 「僕達、どこかに行くんですか?」
 おずおずと僕は聞く。確か、萩野さんはドライブに行くと言ったはずだ。ちらりと外の景色を見たけれど、どこを走っているのか、いっこうに分からなかった。
 「晩飯、まだだろ?一緒に食おうと思ってな」
 「ドライブ……じゃないんですね」
 「バーカ、まさか延々と車に乗ってるつもりだったのか?」
 いたずらっぽく、からかうように言ってきた萩野さんの横顔を盗み見る。
 「僕、お金持ってないです」
 「マジメだな、康介君、俺が学生に晩飯代を払わせるとでも思うか?」
 「いえ……」
 今は他人とご飯を食べるような気分なんかじゃありません。
 そんなふうに、僕がはっきりと今の気持ちを言ったとしたら、萩野さんはどんな顔をするだろう。
 ああそうかよ、なんて言って、憤慨しながら僕をこの場で降ろすのだろうか。
 もちろん僕はそんなことをはきはきと言う度胸は無いから、萩野さんの反応は見れずまいだけど。
 僕の意に反した萩野さんの車はやがて、一軒のイタリア料理店に入っていった。何で建物を見ただけでそれが分かったのかというと、看板にイタリアの国旗と、「トレビアン」なんていう店の名前が書いてあったからだ。僕が知っている限り、「トレビアン」という言葉を使っているレストランは、フレンチも扱っている場合が多いのだけど、ここはイタリア料理専門店なのだろうか。
 駐車場には僕達以外に、三台ほどの車が停まっているだけだった。時刻は午後六時前。夕食の時間にはまだ早いような気がする。
 僕は車から降りた後、家に「遅くなる」とメールを送った。絵文字も顔文字も無い簡素な文面は、受信側から見ればよほど焦って送ったんだなと捉えられるのだろうか。 
 「ここのパスタはめちゃくちゃ美味いんだ。おすすめだから、また家族とでも来るといいぞ」
 萩野さんはそんなことを言いながら上機嫌で店に入っていった。 
 「せんきゅうひゃくはちじゅうえん……」
 入口のそばにあったメニューの一つを見て、僕は呟いた。萩野さんが「友達と来ればいい」とは言わなかった理由が分かった気がした。
 萩野さんが板チョコのような柄の扉を開けると、カランコロンという音がして、すぐに上品なウエイターが出迎えてくれた。
 「いらっしゃいませ。二名様ですか?御席までご案内致します」
 靴を擦ればキュッキュッと鳴りそうなピカピカの床を歩きながら、僕は店内をぐるりと見渡してみた。店内に置かれているテーブルは円卓と普通の形の二種類で、僕達は二人用の円卓に案内された。レースのテーブルクロスが敷かれた机の上を占領するかのようにメニューが置かれている。
 僕達を案内してくれた人とは別のウエイターが持ってきてくれたお冷やなど、ワイングラスに入れられていた。細かいところまで高級感のある演出をしたいんだろうけど、僕にはそれがちょっと間抜けに見えた。
 「ご注文がお決まりになりましたら、お手元のボタンで係員をお呼び下さい」
 そう言って二人のウエイターが立ち去っていった後、萩野さんは早速メニューを開いた。
 店の端っこにいるカップルらしき二人組が僕達を見ている気がする。萩野さんはともかく、僕は制服姿だ。よそ行きの服が無いから制服を着てきた世間知らずな子供に見えなくもないよなと思って、恥ずかしくなった。
 「何にする?」
 萩野さんに尋ねられてメニュー表を見たけれど、文字だらけで何がなんだか分からない。なんせ僕は、ペペロンチーノとカルボナーラの違いが文字を見ただけではわからず、実物を見てやっと全く違う種類のものであるということがわかる程度の知識なのだ。
 ミートソースなんてメニューはどこにも書いてない。
 「ミートソースは無いんですか?」
 一応、聞いてみた。
 「あるよ」
 萩野さんはあっけらかんとそう言ってメニューのひとつを指差したが、「ミートソース」なんてどこにも書いていない。僕は萩野さんの頭がおかしくなったのかと思った。
 「ボロネーゼ?……僕が欲しいのはミートソースなんですけど……」
 それを聞いた萩野さんがクスクス笑う。
 「ミートソースはイタリア語でボロネーゼって言うんだよ。康介君が想像しているものとは、少し違うと思うけどね」
 顔が赤くなる。どうやらやはり僕は世間知らずのようだ。
 「康介君、イタリアンスパゲッティーはイタリア料理だとか思ってるだろ」
 「え、違うんですか?」
 僕は驚いて聞き返す。そういえば、ナポリタンとイタリアンの区別もつかない。
 「イタリアンスパゲッティーっていうのは、ナポリタンをステーキ皿に乗せて溶き卵を流し込んで皿ごと熱した料理なんだ。まあ、日本人はイタリアンとナポリタンは一緒だと思っている人が多いかもしれないけど、厳密には違う。名前の由来はステーキ皿を使うスパゲッティーだから『板スパ』と呼ばれていた名前が転じてイタリアンスパゲッティーになったという説と、ナポリタンを使うからイタリアンスパゲッティーと呼ばれるようになったという説があるらしい。でもどちらにしろイタリア料理じゃなくて、コテコテの日本生まれ。愛知県の名古屋にある『ユキ』っていう店が元祖って言われているよ。あと、東京にはケチャップを使わないで塩胡椒であえるだけのスパゲッティーをイタリアンと呼ぶこともあるけど、それもイタリア料理じゃないからね」
 「へえ」
 僕は感心して、ひたすら圧倒されて、萩野さんを見る。今までで一番長い萩野さんの喋り。彼はもしかするとパスタが好きなのかもしれない。好きだから、そんな知識を持っているんだろうなと、僕は心の中だけで苦笑した。
 結局僕は「ボロネーゼ」を、萩野さんはキャベツのペペロンチーノを注文した。
 「何か分かったことはあるか?」
 お冷やのグラスを揺らしながら、萩野さんが聞いてきた。遼一の事を聞かれているのだと、僕は解釈した。
 「進展はありません。遼一が『紅蓮』という集団と関わっていた事が分かって、彼らが集まっているビルを訪ねてみたんですけど、遼一が殺される前に紅蓮の人達と一緒にいたことが分かっただけで、後は何も。あ、でも、紅蓮の人達も協力してくれるみたいで、それは助かります」
 萩野さんが紅蓮という言葉にぴくりと反応を見せたのを僕は見逃さなかった。見逃さなかっただけで、違和感などは抱かなかった。 
 紅蓮は町でも有名な不良グループだ。きっと萩野さんは、遼一が紅蓮にいたのを聞いて、快くないとか思ったのだろう。
 「紅蓮か。あまり良い噂は聞かないな」
 萩野さんが呟いた。
 「そうだ、俺もひとつだけ、康介君に教えてあげよう。遼一君は男に押されて、トラックに轢かれたらしい。トラックの運転手が新たな証言をしてね。遼一君が飛び出してきた逆方向に走り去っていく男の姿を見たと言っているんだよ。今更そんな証言をし始めたというのも不自然な気がすると他の刑事たちは言っているけれど、それもしっかり嘘か本当か裏付けを取らなければならないから、みんな必死で調べているよ」
 「そういえば」と僕は切り出して、昼間学校に警察が来て少しだけ話をしたことを話した。
 あの人たちは僕の体を調べて、運転手の証言に出てきた「男」と僕が一致するかどうか調べたのだろうか。
「きっとそうだろうね」
 僕が話し終えた後、グラスを持っていた手を休めて、萩野さんはそう言った。
「目撃者がいれば、それが誰なのか特定できるかもしれないけれど、今のところはいないし、運転手の証言をもとに、生前から遼一君の身近にいた『男』を重点的に調べているんだろうね」
 だとすると、僕からすれば、遼一の存在を知っている男は全員怪しいということか。まさに映画やドラマなんかでよくある「自分以外は信じられない」という状況だ。萩野さんの発言に何か引っかかるような気がしながら、しかし、それが何なのか分からないまま、僕は思案に暮れる。
 大体、萩野さんだって怪しいんだぞと、心の中で彼に疑いの眼差しを向ける。だけど、遼一を殺した犯人だとしたら、どうして僕を連れ回して食事まで奢ってくれるのだろう。
 分からない。気味が悪い。ただ単に、僕を助けてくれようとしているだけかもしれないし、上司の刑事の命令で僕の事を内密に調べているのかもしれない。
 後者だとしたら、僕は疑われているのか。
 無理もないかな。
 警察には最後に遼一と会ったのは僕だと言ってしまったし、僕は容疑者の一人に入れられているような気もする。
 僕は無実だと言いたいけれど、そう言って、周りの人達全員がそれを信じてくれるわけではないだろう。
 嫌だな、疑われるのって……。僕はお冷やを一口だけ飲んだ。
 それからしばらくすると、僕達が注文したスパゲッティーが運ばれてきた。ほこほこと美味しそうな湯気をあげているそれを見て、僕はごくりと唾を飲み込んだ。
 「まあ、食えよ」
 萩野さんはそう言って我先にとフォークを掴んだ。 
 「……はい」
 僕はフォークと萩野さんの顔を見つめながら、消え入るような声で言ったあと、そっと一口目を口に入れた。
 ミートソース(ボロネーゼなんて言葉は、僕には似合わないな)は、正直言って、ひき肉や玉ねぎがわりとたくさん入っていること以外に、市販のものと何が違うのか分からない。賞味期限の近い刺身と、新鮮な刺身の区別がつかない僕には、当然のことなのかもしれないけれど、こんな高級感のあふれる店に連れて来てもらったのにと思うと、ちょっと申し訳ないような気がした。
 萩野さんが料理を食べ終えたのは、十分ほどで、僕もその五分後くらいに完食した。「もっとゆっくりでもよかったんだぞ」と言って萩野さんが苦笑したのは、きっと僕が最後のほうは流し込むように食べたからだろう。
 そう言われても、終わってしまったものは仕方ないし、正直僕はこの店に長居をしたくなかったのだ。別に強盗をした店だからとかそんな疚しい思いがあったわけではなく、ただ単に居心地が悪かっただけだ。
 僕に合うのは、やっぱりファーストフードの店とかファミレスとか、庶民がよく行く店なんだ。
 憧れと現実はよく違うことが多いけれど、今回も例外ではなかった。
「なあ、さっきは『紅蓮の人達も協力してくれるみたい』って言ったけど、康介君は、紅蓮の奴らが集まっている場所に行ったことあるのか?」
 萩野さんは、お酒の名前が並んでいるメニュー表を物欲しそうにチラチラ眺めながら、出し抜けに尋ねてきた。
「はい。颯太……あ、僕の友達と一緒に、この間乗り込んできました」
「なかなかやるな、お前も。で、どうだった?」
 萩野さんの「どうだった?」というのは、紅蓮の人達と会って何か進展はあったかと聞いたのではない。あそこの雰囲気はどうだったかと聞いてきたのだなと、僕はなんとなく感づいた。
「最初は怖かったけど、友達のおかげで、彼らとは少しだけ打ち解けられた気がします」
「そうか。お前があいつらと打ち解けられるなんて、なんか意外だな!」
 からかうように萩野さんが言ってきたので、僕は少し(ほんの少しだけど)むっとした。そして、彼が何気なく放った言葉に、僕は敏感に反応してしまった。
 萩野さんはさっき、紅蓮の人達のことを、「あいつら」と表現した。これはまるで、萩野さんが紅蓮に会ったことがあるかのような口調だ。
 刑事だから当然か。きっと、紅蓮の人たちがいざこざを起こした時なんかに面識があるのだろう。
 彼を疑う気持ちと、信じたい気持ちが綯い交ぜとなって、僕の心の中で揺れ動く。

 何を信じ、何を疑えば犯人にたどりつけるのか、今の僕には分からなかった。
 その後しばらく無言で水を飲んでいると、ポケットの中の携帯電話が震え、メッセージの受信を僕に知らせた。
「ちょっとすみません……」
 僕は萩野さんに断りをいれて、画面を起動する。そこには、「タイスケ」と表示されていた。
「よお久しぶり!あれからなんか分かったか?」
 画面にはそう書かれていて、相変わらず年上の対する礼儀を知らない奴だと、心の中で苦笑する。実際に表情に出さなかったのは、萩野さんに僕が変な奴だと思われないようにするためだ。
「なにも分からないよ。そんなにすぐ分かることでもないしね」
 そんなメッセージを送り終わってから、自分で随分と高飛車な文面だなと思った。だけど送信してしまったし、まあ、いいだろうとすぐに思い直し、端末をポケットにしまった。
「友達か?」
 萩野さんが尋ねてきて、僕は「ええ、まあ」と答えた。彼が紅蓮の事を知っているとして、果たしてタイスケのことも知っているのだろうか。
 紅蓮のビルのあの部屋に乗り込んだ萩野さんの背中に、タイスケが空き缶をぶつけるさまを想像して、可笑しくなった。

 「じゃあ、そろそろ帰るか」
 僕がグラスの中の水を飲み干したのを見計らってか、萩野さんは伝票を持って立ち上がった。その伝票は、机の下からするりと出てきたものだから、僕はいつの間に置かれていたんだろうと驚いた。
 「今日はありがとうございます」
 僕はそう言ってそろそろと立ち上がり、萩野さんの後ろにぴったりくっつくようにしてついて行った。会計が終わり、店を出たら、外は真っ暗で、凛とした空気が僕達に突き刺さった。
 「寒いな~」
 萩野さんは嘆くように言って、両手をこすり合わせる。
 僕は黙ったまま、夜の寒さに身を縮こめていた。
 僕はその後、学校の前まで萩野さんに送ってもらって、もう一度、「今日はありがとうございました」と言って彼と別れた。
 走り去っていく赤いテールランプを見ながら、本当に彼は何がしたかったんだろうかと首を傾げる。
 僕は彼に対して何の役に立つこともしていないのに、彼は割と有力な情報を僕にくれた。
 遼一がトラックに轢かれたとき、逃げていく男がいた。彼は、その男が犯人だとでも言いたいのだろうか。そして、僕にその男を探させようとしているのだろうか。仮にそうだとしたら、萩野さんは僕に見当違いの期待を抱いている。
 僕は警察官や探偵じゃないし、親がそんな職業に就いているわけでもない。自分の力で、恐ろしく困難な問題に立ち向かっていかなきゃいけないのだ。
 萩野さんがその気になれば僕よりも早くその男を見つけることが出来るだろう。それなのに、どうして僕をかまうのだろう。疑問とは、その文字の通り、疑い問い詰めることでしか答えは見つけられないのかもしれない。


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