千年前失恋して引き籠りの魔女になったので、今度は殺してくれませんか?

潮 雨花

文字の大きさ
7 / 44

淑女としての嗜み勉強中

しおりを挟む
 無駄に広い食堂で、少女はムッとむくれたまま手を動かしていた。
「音を立ててはいけないと、何度言ったらわかる?」
 カチャカチャ、と音を立てながら、飲みたくもないスープを飲もうとしたとき、隣に座っているデュクスから注意が飛んできた。
「…………」
「あと、そのスプーンじゃなくて、こっちを使うんだ」
 手に持ったスプーンを取り上げられ、代わりのものを握らされた。
 もう一度、とデュクスの監視の目の元、少女は言われた通り音を立てないようにしてスープを掬い上げる。
 そしてそれを大きく口を開けてスプーンごと咥えようとすると、グッ、と手首を掴まれ止められた。
「こんな大きなスプーン、あなたの小さな口に入るわけないだろう。スプーンに唇をつけるだけで、あとは手の方を動かせば飲めるだろう」
 はぁ、と大仰な溜息を吐かれ、少女はフンッ、とそっぽを向いた。
「どうしてあなたが怒るんだ。こっちが怒りたい」
 言いながらも、その声はわずかに震えていて、笑いを堪えているのがわかる。
 隷属の腕輪を付けられ、少女は閉じこもっていた闇の中から引きずり出された。
 それからすぐ、食事をしようと連れて来られてから、ずっとこんな感じだ。
 少女は生まれてこの方、まともに食事などしたことがなかった。
 そもそも食べる必要がないし、まだ闇の魔女が地下牢に入れられたばかりの赤子時代はミルクを与えられていたが、それ以降、食事を与えられたことがない。
 だから、目の前に出てくるものが何なのかわからないし、口に入れるモノだ、という認識もない。
 ただ、デュクスに言われるがまま、テーブルマナーを叩きこまれているわけだが、ちょっとしたことですぐ動作を止められるので、少女は少し、イライラしていた。
 だからスプーンをフォークに持ち替え、目の前の柔らかいパンへと乱暴に振り落とす。
 グサッ、とフォークにパンが刺さったが、やはりそれもデュクスによって止められた。
「パンは手で千切って食べるんだ」
「…………」
 少女の苛立ちに気づいているだろうに、彼が注意するのはマナーだけのようだ。
 哀れにも八つ当たりされたパンは、デュクスによってフォークから救出され、小さく千切られたものが少女の口へと押し当てられた。
「ほら、こうやって食べれば良い」
 まるで餌付けのように食べ物を与えようとするデュクスは、とても楽しそうだった。
 少女のことばかり気にして自分の食事は一切進まないこの状況の何が楽しいのだろう、と彼の気が知れない。
 ぐいぐい、と半ば強引にパンを持つ手に口をこじ開けられそうになり、少女は観念して口を開いた。
 そうするとデュクスは嬉しそうに目元を緩め、その中にパンの欠片を転がせる。
 口の中には、芳醇なバターの香りと、しっとりとした小麦の香りが広がった。
 食べるために使ったことがない歯を動かして、もぐもぐとそれを咀嚼すると、その香りがさらに強くなる。
 いつまでももぐもぐと咀嚼をしていると、またデュクスから注意が飛んだ。
「ある程度口の中で味わったら、飲み込むんだ。あなたは本当に、物を食べたことがないんだな」
 言われて、こくん、と飲み込む。
 先ほどから野菜や肉を食べさせられているのだが、飲み込むタイミングがイマイチ掴めないのだ。
 大きすぎると喉につかえるし、あまり咀嚼を繰り返しすぎると、口の中に水分が溜まって含み切れなかったものが唇の端から零れ落ちてしまう。
 それを一々世話しようとするデュクスも、そろそろ忍耐力の限界にきてもおかしくないというのに、彼はまったく飽きもせず、食べ方を教え続けた。
「次は魚を食べてみろ。さっき食べた肉と同じ方法で」
 スープのカップを取り上げられ、少女の前には白身魚のムニエルが置かれた。
 少女は言われるがまま、ナイフとフォークを持ち、それを小さく切り分ける。
 だが、肉と違って白身魚の身は解れやすい。
 なかなかフォークに刺さらず、皿の上が見る間に汚れていく。
「ほら、私が手本を見せるから」
 デュクスは言って、自分の前にも同じものを置くと、優雅な手付きで白身魚を食べて見せた。
「できるだろう?」
 子供をあやすようにして、またやってみるようにと促される。
 見よう見まねで同じ動作を繰り返すと、いきなり頭を引き寄せられ、こめかみにチュッ、とキスをされた。
「上手にできたな」
 彼に言われたことを上手にこなせば、こうしてキスが贈られてくる。
 だがそれも、そろそろ限界だった。
 その顔で、その姿で、なんでこんなことをするんだ、と少女の中にふつふつとした怒りとも戸惑いともつかない複雑な感情が沸き上がってくる。
 触れてくる手を振り払い、少女はガタンッ、と音を立てて立ち上がった。
 そしてくるりと踵を返し、扉の方へと歩き出す。
「もういいのか?」
 背中に声を掛けられ、キッと、デュクスを睨みつける。
「そんな顔をしても可愛いだけだ。明日からも、一緒に食事をするから、今食べたモノの中で明日も食べたいものがあれば、ロドリゲスに言うと良い」
 それにも答えず、少女はプイッ、とそっぽを向くと、扉を開けようとしたロドリゲスの前でフッと闇の中へと姿を眩ませたのだった。


 隷属の腕輪をつけられたからといって、何か力を制限されたり、彼の言葉に逆らえなくさせられたり、というものはなかった。
 だが、彼が望めばどこに隠れようとしても、この腕輪を付けている限り、彼は少女がどこに隠れていても、やってくることができるようだった。
「部屋を使ったらどうなんだ?」
 今も、食事のあと臍を曲げていた少女の闇の空間の中、デュクスは何の断りもなく侵入してきた。
 ふわふわと暗がりの中、膝を抱えて背を向けている少女に向かって、彼は右も左も天も地もわからない空間の中、しっかりとした足取りで歩み寄ってくる。
 風は吹いていないが、彼の纏う騎士服がふわりと靡き、少女の細い肩へと上着がかけられた。
「ここは寒くはないのか」
 この空間に、温度というものはない。
 暗いから、寒く感じるのかもしれないが、少女にとってはこの空間が一番居心地がいいのだ。
 細い腕で抱えた膝の上に埋めた顔を、プイッ、と横に反らすと、今度は大きな手が背を撫でてきた。
「魔力の使い方はわかっても、ベッドの使い方は知らないか?」
 揶揄するような言い方に、少女は何の前触れもなく闇の空間を霧散させ、与えられた部屋の天蓋付きの寝台の上に膝を抱えたまま寝転がって見せた。
 使う気はなかったのに、と自分が決めたことを覆させられることになり、つい唇をへの字に曲げてしまう。
「――寝るときは、そのドレスではない、夜着を着るんだ。今、誰か呼ぶから……」
 また人として、淑女としての嗜みについて注意され、少女は魔力で一瞬にしてドレスを脱ぐと、それをデュクスへと投げ付けた。
 うわ、と声を上げたデュクスは、慌てたようにしてこちらに背を向ける。
「女性が男の前でドレスを脱ぐものじゃない!」
 恥ずかしがっている、のか。
 焦った様子のデュクスに気づき、少女はころん、と寝返りを打って彼の方へと顔を向けた。
 ドレス片手に、デュクスは耳まで真っ赤にしている。
 綺麗な金髪だから、その隙間から見える赤くなった耳が良く目立っていた。
 少女の素っ裸など、出会ったとき見ているはずなのに、何を恥ずかしがっているのか、と僅かに首を傾げる。
 長い黒髪から覗く白く長い足も、胸元を無駄に重くする大きな胸も、そこから続くくびれた曲線美も、男を誘惑するものだという認識が、少女にはなかった。
 地下牢に居た頃はボロ布のような布を申し訳程度に纏っていて、稀に訪れる酔狂な者たちの目に晒したことがあったが、ここまでの反応をされたことはなかった。
 どうしてそんな反応をするのだろう、と尋ねようとしたときだった。
 ガシャーンッ、と何かが床で弾ける音がし、少女とデュクスが同時に音がした扉の方へと顔を向ける。
 そこには、年老いた老婆が立っていた。
 折れ曲がったその体は、フルフルと震え、主であるデュクスを睨みつけている。
「坊ちゃん! あなたというお方は、なんということをなさっておいでなのですか!」
 老婆の怒声は屋敷を震わせんばかりに空気を震わせている。
「ロ、ローザ……これは……」
「ローザは悲しゅうございます! 朴念仁で気遣いができないばかりか、出会って間もない女性の寝室でそのような無体なことまでなさるとは!!」
「違う! 私は……」
「言い訳は結構でございます!」
 ローザと呼ばれた老婆はずんずんと部屋の中へと侵入し、デュクスの手からドレスを奪い取ると、「早く出て行きなさい!」と彼を一喝した。
 デュクスはこの老婆には弱いようで、小さく息を吐くと大人しく部屋を出て行った。
 ぽかん、と呆気に取られていた少女の前で、老婆はさめざめと泣き始めた。
「申し訳ございません、お嬢様。まさか坊ちゃんがこんなことをなさるとは……。あぁ、なんということでしょう」
 しわくちゃな両手で顔を覆っている老婆に、少女はまたぽかん、とする。
「こんなことって……? 私、特に何もされていないけど……」
 何をそんなに悲しんでいるのだろう。
 少女には老婆の思考が全く読めなかった。
「あぁ、あぁ……、こんな無垢なお嬢様になんということを……」
 無垢、だなんて初めて言われた。
 確かに少し――かなり世間知らずではあるが、知識だけは人一倍あるつもりだ。
 決して無垢ではない。
「だから、なにもされていないんだってば」
 服は自分で脱いだし、彼はこちらに背を向けたから、本当に何もされていない。
 それなのに老婆は「あぁ、あぁ」と意味もない声を上げて嘆き、最終的には床に張り付いて頭を下げ続けていた。
 どうしたものか、と頭を抱え始めた頃、ロドリゲスがやってきてようやく、部屋は落ち着きを取り戻した。
「申し訳ございません。ローザはああなると他人の言葉が聞こえないようで……」
 ローザに夜着を着せてもらったあと彼女を下がらせたのち、ロドリゲスはやれやれ、と肩を竦める。
「あの人は何をあんなに怒っていたの?」
 事情を知ったローザはしかし、ずっと怒っていた。
 老婆はずっとぶつぶつと独り言を言っていたが、少女にはそれが聞き取れなかったのだ。
「同意もなく男性が女性の素肌を見てはいけないのです。ローザは、旦那様が無理矢理お嬢様のドレスを奪ったものだと勘違いしているようですね」
「そうなの? 私、とっくにあの人に裸を見せているけど……」
 千年の眠りの最中、少女は服をまとうことをやめていた。
 だから目覚めたときは当然素っ裸だ。
 そのことをロドリゲスに伝えると、彼は柔和にほほ笑んだまま、「さようですか」とだけ言った。
「でしたら、今後はお嬢様もご注意くださいませ。男の中には女性の裸を見ただけで襲い掛かってくる輩もおりますので」
「襲い掛かる? この私に?」
 そんな命知らずがまだこの世界にいるのか、と少女は目をぱちくりとさせ、唇の端を吊り上げた。
「私よりも強い力があるということ? それは面白いわね」
 生まれてからずっと、恐れられる存在だった。だがそれ以上の存在がこの世界にいるのであれば会ってみたい。
 ワクワクする気持ちを抑えられずにいると、ロドリゲスは困ったように眉根を寄せ、しばし何か考え込んでしまった。
「恐らく、お嬢様がお考えになることではない、と思いますが……」
「なら、どういうこと?」
「そうですね……。女性の身体を乱暴に扱おうとする、と申しますか……」
「私に危害を加えられる人間がいるってことでしょう? 私のこの身体を壊せるなんてすごいじゃない」
 目を輝かせた少女に、ロドリゲスはもうこれ以上に何も言わなかった。
 ただ彼は頭を抱えて悩みこんでしまったが、少女はそれに気づかなかった。
 腕を切っても、何度も刺しても、崖から落としても、水に沈めても、土に埋めても滅びないこの身体を壊せる者が存在する。
 それは少女にとって興味深い存在以上のなにものでもなかったのだ。
「たまには外に出てみるものね」
 少女はずっと、滅びを望んでいた。
 何をしても、何もしなくても滅びないこの身体が嫌だった。
 もう長く生き過ぎた。
 そろそろ終わりにしたいと思っていたところだ。
「あの人にも、それができるのかしらね……」
 部屋を出て行ったデュクスを思い浮かべながら、少女は独り言ちる。
 どうせ壊されるなら彼に――あの青年に似た面差しのデュクスが良い。
 そうやって滅ぶことができれば、あの青年の傍に行けるような気がした。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

愛されないと吹っ切れたら騎士の旦那様が豹変しました

蜂蜜あやね
恋愛
隣国オデッセアから嫁いできたマリーは次期公爵レオンの妻となる。初夜は真っ暗闇の中で。 そしてその初夜以降レオンはマリーを1年半もの長い間抱くこともしなかった。 どんなに求めても無視され続ける日々についにマリーの糸はプツリと切れる。 離縁するならレオンの方から、私の方からは離縁は絶対にしない。負けたくない! 夫を諦めて吹っ切れた妻と妻のもう一つの姿に惹かれていく夫の遠回り恋愛(結婚)ストーリー ※本作には、性的行為やそれに準ずる描写、ならびに一部に性加害的・非合意的と受け取れる表現が含まれます。苦手な方はご注意ください。 ※ムーンライトノベルズでも投稿している同一作品です。

大人になったオフェーリア。

ぽんぽこ狸
恋愛
 婚約者のジラルドのそばには王女であるベアトリーチェがおり、彼女は慈愛に満ちた表情で下腹部を撫でている。  生まれてくる子供の為にも婚約解消をとオフェーリアは言われるが、納得がいかない。  けれどもそれどころではないだろう、こうなってしまった以上は、婚約解消はやむなしだ。  それ以上に重要なことは、ジラルドの実家であるレピード公爵家とオフェーリアの実家はたくさんの共同事業を行っていて、今それがおじゃんになれば、オフェーリアには補えないほどの損失を生むことになる。  その点についてすぐに確認すると、そういう所がジラルドに見離される原因になったのだとベアトリーチェは怒鳴りだしてオフェーリアに掴みかかってきた。 その尋常では無い様子に泣き寝入りすることになったオフェーリアだったが、父と母が設定したお見合いで彼女の騎士をしていたヴァレントと出会い、とある復讐の方法を思いついたのだった。

第3皇子は妃よりも騎士団長の妹の私を溺愛している 【完結】

日下奈緒
恋愛
王家に仕える騎士の妹・リリアーナは、冷徹と噂される第3皇子アシュレイに密かに想いを寄せていた。戦の前夜、命を懸けた一戦を前に、彼のもとを訪ね純潔を捧げる。勝利の凱旋後も、皇子は毎夜彼女を呼び続け、やがてリリアーナは身籠る。正妃に拒まれていた皇子は離縁を決意し、すべてを捨ててリリアーナを正式な妃として迎える——これは、禁じられた愛が真実の絆へと変わる、激甘ロマンス。

【完結】愛する人はあの人の代わりに私を抱く

紬あおい
恋愛
年上の優しい婚約者は、叶わなかった過去の恋人の代わりに私を抱く。気付かない振りが我慢の限界を超えた時、私は………そして、愛する婚約者や家族達は………悔いのない人生を送れましたか?

届かぬ温もり

HARUKA
恋愛
夫には忘れられない人がいた。それを知りながら、私は彼のそばにいたかった。愛することで自分を捨て、夫の隣にいることを選んだ私。だけど、その恋に答えはなかった。すべてを失いかけた私が選んだのは、彼から離れ、自分自身の人生を取り戻す道だった····· ◆◇◆◇◆◇◆ 読んでくださり感謝いたします。 すべてフィクションです。不快に思われた方は読むのを止めて下さい。 ゆっくり更新していきます。 誤字脱字も見つけ次第直していきます。 よろしくお願いします。

もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。 だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。 その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

すべてはあなたの為だった~狂愛~

矢野りと
恋愛
膨大な魔力を有する魔術師アレクサンダーは政略結婚で娶った妻をいつしか愛するようになっていた。だが三年経っても子に恵まれない夫妻に周りは離縁するようにと圧力を掛けてくる。 愛しているのは君だけ…。 大切なのも君だけ…。 『何があってもどんなことをしても君だけは離さない』 ※設定はゆるいです。 ※お話が合わないときは、そっと閉じてくださいませ。

【完結・おまけ追加】期間限定の妻は夫にとろっとろに蕩けさせられて大変困惑しております

紬あおい
恋愛
病弱な妹リリスの代わりに嫁いだミルゼは、夫のラディアスと期間限定の夫婦となる。 二年後にはリリスと交代しなければならない。 そんなミルゼを閨で蕩かすラディアス。 普段も優しい良き夫に困惑を隠せないミルゼだった…

処理中です...