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自称弟の気遣い
しおりを挟む「姉様。外での生活はどう?」
クリストフェルがデュクスの屋敷にやってきたのは、数日後のことだった。
応接室で少年の姿の皇帝と向かい合って座りながらも、少女はその笑顔の奥の何をずっと探っている。
「――別に」
「たまには城にも遊びに来てよ。姉様なら大歓迎だから」
ニコニコと笑う少年の笑顔は、やはりどこかその内心とは別のモノを感じさせた。
「色々なものを見てみるのも良いと思うよ。城下とか、もう行った? 人から隔離されて生きてきたなら、城下街は色々新鮮だよ」
城下街は彼の城へ行くときと、デュクスの屋敷に行くとき、馬車の中から見たことがある。とても栄えていて、多くの人々が行き交っていた。
だがそこに行きたい、とは思わなかった。
闇の魔女である自分がそこへ行けば、どうなるかはわかっている。
人々は悲鳴を上げて逃げ惑い、街は大混乱に陥ろう。
少女は人を驚かせて喜ぶほど性格が捻じ曲がってはいない。静かに平穏な世界に暮らすことを望むのであれば、それを何の目的もなく脅かそうとは思っていなかった。
「あぁ、その黒髪と黒瞳は目立つから、顔は隠した方が良いね。特に黒い瞳は珍しいから」
クリストフェルが言うに、この時代には黒髪の種族がいるのだという。彼等は流浪の民族で、様々な国を渡り歩いている。そして黒髪にも関わらず魔力を持たない種族ということで、人々は黒髪をそこまで畏怖してないそうだ。
「でもね、黒い瞳は別だから。外へ出るときは、これを付けていくといいよ」
彼は扉の前に立たせていた護衛の騎士を呼び寄せ、ひとつの小さな箱を受け取った。
それをふたりを隔てるテーブルの上に置き、差し出してくる。
少女はそれをジッと見つめたまま、だが手には取らなかった。
ただ見つめているだけで反応のない少女に、クリストフェルは微苦笑を浮かべた。
「ハレス。それ、開けて差し上げて」
ハレス、と呼ばれた青年が、テーブルに置いた箱に手を伸ばす。
この時初めて、クリストフェルが連れてきた護衛が城で出会い、デュクスに吹き飛ばされた男であることに気が付いた。
「あら、ご機嫌よう」
座ったままハレスを見上げると、彼は無表情だった顔を少し引きつらせ、軽く会釈してくる。
「ああ! そういえば姉様はハレスがお気に入りだったね」
「――どうかしら」
一体なぜそうなるのかわからず、曖昧な返答をすると、クリストフェルは僅かに唇の端を上げ、新しいおもちゃを見つけた子供のような顔で続けた。
「なら、ハレスとそれをつけて城下に行っておいでよ。きっと楽しいから」
どうして? と尋ねる前に、箱を開けたハレスが少女の前にその中のものを差し出してくる。
「これは?」
「綺麗でしょう。黒曜石を砕いて糸にして編んだものだよ。魔力がこもっていて、それをつけていれば姉様の綺麗な瞳を気にする者はいなくなるはずだよ」
魔道具の一種らしく、認識阻害の魔力が込められているのだと、クリストフェルは言った。
「姉様は魔力が強すぎて髪や瞳の色を偽れないでしょう?」
魔力は万能ではない。
魔力の量は、髪はもちろん、瞳の色にも反映される。少女の瞳は漆黒だ。黒い絵の具にいくら色を足しても黒以外の色にはならないのと同じで、少女は自分の色を変えることができない。
一方、クリストフェルのように色のある者であれば、ある程度、魔力で色を変えることは可能だった。だがそれも制限があり、本来己が持っている根源の色は変わらない。
彼は紫色の瞳だから、それを構成する色を一つか二つを消せば、他の色になるだろう。
黒の次に紫という色は魔力が強いことを証明する色だ。
黒に匹敵する魔力の持ち主。それが紫を持つクリストフェルのような者なのである。
「こんな小細工をしても、意味はないでしょう。こんなもの魔力持ちであればすぐに見破れてしまう」
「あいにく、この国には魔力を持つ者はそう多くはないんだ。だから姿を偽るというのは大切だよ」
クリストフェルも、執務に飽きたときは自分の色を変え、城下に行ってサボっているのだという。
民たちはクリストフェルの顔を知らない。
歳を取らない皇帝など、恐ろしいだけなので、民衆の前には身代わりの者を立たせているのだという。
「僕がここ数百年、楽しく皇帝をし続けられるのは、姿を偽って民衆に混ざってるからだよ。だから姉様もきっと楽しめると思うよ」
「勝手に起こしておいて、よくそんなことが言えるわね」
少女は外に出ることを願っていたわけではなかった。無遠慮に起こされて、ここに連れて来られただけだ。
拒否する理由もなかったから大人しくしているだけで、何かを楽しもうとか、満喫したいわけではない。
そう主張すると、クリストフェルはクスクスと声を立てて笑った。
「そう言わないでよ。勝手に起こしたのは悪かったって思ってるけど、引き籠りの姉様のことはずっと気になってたんだ。やっと姉様を起こせる者も生まれたわけだし、今しかないって思って――」
「どういうこと?」
起こせる者、という言葉に少女は鋭く反応した。
だがクリストフェルはニコニコ笑ったまま、質問に答えようとしない。
「ちょっと喋り過ぎちゃったね。ハレスは置いて行くから、楽しんできなよ」
そしてクリストフェルはハレスへと視線を向けた。
「わかったね? ハレス」
「仰せの通りに」
胸元に手を当て、ハレスが頭を下げる。
騎士の返事に満足したのか、クリストフェルの姿がすぅ、と透けていく。
「待ちなさい!」
『じゃあね、姉様。今度は会いに来てね』
パチンッ、とウィンクをしたかと思えば、クリストフェルの姿は光りの中へと消えてしまった。
「…………」
追いかけても良かったが、少女ははぁ、と溜息を吐いてそうすることを止めた。
追いかけたところであの腹黒い少年が問いに答えるとは思えなかったからだ。
「レディ。どういたしますか?」
主に置いて行かれた形となったハレスが尋ねてくる。
「どうもこうも、あなたも帰っていいわよ」
「――陛下の命です。逆らうことができません」
「何かの魔力で強制されているなら、私が解いてあげましょうか?」
ちらりとハレスへ目をやると、彼はわずかに首を左右に振った。
「そういう類ではございません。私は陛下の騎士です。騎士は主である陛下の命に従うものです」
自らの意思でクリストフェルの命に従おうとしている、ということだ。
そういえば彼は目上の者への忠誠心が強い人間だった、と少女は思い出した。
(弁解もせず、あの人に殴り飛ばされていたものね……)
体格差があるのに、ハレスの巨体はデュクスによっていとも簡単に殴り飛ばされていた。ハレスは魔力を持たないのだろう。だから魔力持ちであるデュクスに力では敵わないのだ。
「まぁまぁ、お出かけですか? それではお召替えをしないといけませんね」
傍に控えていたローザが嬉々として声を上げた。
「え? 私はまだ行くとは……」
「街では黒いドレスは目立ちますからね、お嬢様に似合う、違う色のドレスを着て行きましょう」
「ちょっと、あなた……」
グイグイ、と腕を引く腰の曲がった老婆は、思いの外、力が強かった。
たたらを踏みそうになりながらも、半ば無理矢理引っ張られる。
「私は外でお待ちしております」
連れて行かれる少女を助けることなく、ハレスはそう言って、頭を下げていた。
ローザに濃いブルーのドレスを着せられた少女は、揺れる馬車の中にいた。
魔力を使えば一瞬で城下街まで行けるのに、ローザは街まで行く道すがらも素敵なのだと言って譲らず、少女は馬車に詰め込まれた。
デュクスの一方的で強引なところは、ローザに似たのかもしれない、とロドリゲスが微苦笑を浮かべていたが、彼もまた、魔力で街に行くよりゆっくり行った方が風情があるから、と少女を説得してきた。
街へと向かう馬車の中には少女だけだ。
ハレスは自分の馬に跨り、馬車の横を進んでいる。
「こんなことに付き合わされるなんて、あなたも大変ね」
外に居るハレスへと声を掛ける。
馬車の薄い板を隔てていたら彼へ届く声も聞こえないだろうが、今、少女はハレスにだけ聞こえる声で話しかけていた。
ハレスは驚いた顔で少女が乗る馬車を振り返り、少女と目が合うとすぐに視線を前へと戻した。
『突然、魔力を行使しないで頂きたい。私はこういう魔力の使い方には慣れていません』
馬車の外で喋るハレスの声が、脳に直接響いた。
たしかに、これは少し驚くだろう。
「あら、ごめんなさい。でもこの方が話しやすいでしょう?」
こういう魔力の使い方をしたのは初めてだ。できることは知っていたが、その対象となる人間がいなかった。
やっとその対象ができたのだから、使ってみようと思ったのだ。
「私みたいなのの御守りをするなんて、とんだ貧乏くじを引かせてしまって、これでも悪いことをしたと思っているのよ?」
『私はそうは思っておりません』
「別に良いのよ? 私、自分がどんな存在か、理解しているもの」
『私はレディとご一緒できる光栄を噛みしめております』
「その口調もそう。私が闇の魔女だとやっと認識しているから、言葉を改めているのではなくて?」
ハレスと初めて出会ったとき、もっと武骨な話し方をしていた。
礼儀はしっかりとしていたが、珍客の扱い方に戸惑っているようだった。それが、今はもう彼は少女を「そういう者」として認識している。
それがすべてだと、少女は僅かに目元を細めた。
『レディは我が皇帝陛下の姉君になられました。さすれば、我々は――』
「あくまでそうだと言いたいのであれば、もう良いわ」
きっとハレスは認めないだろう。
闇の魔女の機嫌を損ねることで、自分の命が危険に晒されるのだ。そうと知りながら、誰が本心を言うというのだろう。
何もしない、怒りもしない、だから本心を聞かせてほしい、だなんて言えなかったし、望んでもいない。
そんなこと、どうでも良いことだ。
ハレスにどう思われていようが、どう扱われようが、知ったことではない。
彼は強大な魔力を持つ酔狂な少年王の遊びに付き合わされている、哀れな人間でしかないのだから。
「それにしても……」
少女は、ハレスとの会話を止め、一人馬車の中、膝の上で握っていた黒いレースの目隠しを見下ろした。
クリストフェルから贈られたものだ。
本当にこれを付けなければならないのだろうか、と指でレースの生地を撫でてみる。
黒曜石をすりつぶしてできたその糸は、思っていたよりも柔らかく肌に馴染む。
強力な認識阻害の魔力は感じるが、魔力特有の禍々しさも感じない。
「とても綺麗ね……」
先日、デュクスに一方的につけられた腕輪同様、この魔道具の細工は無駄に凝っていた。
少女が知る時代では、魔道具はかなり簡素だった。
何度か少女の力を手に入れようと企んだ者たちが手にしていたのは、その用途が明らかな手枷や足枷、鎖などで、無駄な装飾は施されていなかったものだ。
「これも……」
レースの目隠しは膝の上に置き、少女は右腕に付けられた腕輪を指でなぞる。
こんなものすぐにでも壊せるがそうしないのは、その見目があまりにも見事だからだ。
実のところ、少女はこの腕輪が気に入っていた。
その用途を考えると今でも切ない気持ちにはなるが、デュクスに贈られたものだと思うと、もうしばらく付けていてもいいか、という気持ちになってしまったのだ。
(あの人は、花しかくれなかったものね……)
花はいつか枯れてしまう。
摘み取られた花の生は短いものだ。
少女にはその花の時を止めることも遅らせることもできなかった。
世界を滅ぼせる闇の魔女には、生きる者の生を終わらせることはできても、長引かせることはできないのである。
だが、終わりのあるものだからこそ、それは美しく咲き誇るものだ。
少女が人を傷つけないのも、そこにつながっていた。
自分が傷つく分にはすぐに治ってしまうからどうということはないが、人間は一度失われてしまえば取り戻せない。
そして少女にはそれを蘇らせてやることもできないのだ。
失ったら、それは永遠に失われる。
美しく咲く花であるなら、最期まで見届けなければ、と少女はそう考えていた。
だからこの腕輪も、いつか時が経って朽ち果てるまでこの腕に付けたままでも構わない、と。
腕に付けていることにまだ違和感のある腕輪だけれど、きっとそれが馴染んで身体の一部になった頃、これは壊れてしまうだろうから。
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