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第3話 岐路
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御者達が老婆を立ち上がらせようとしているが、なかなか起き上がれないようだ。
そうローズが思った時、はきとした声が響いた。
「そんなに強く引っ張るもんじゃないよ。これ位一人で起き上がれるよ」
思ったより力の籠った声だった。
(……?)
何かがローズの中に引っ掛かり、もう少しと近付いたところで老婆がこちらを見た。
「これはお貴族のお嬢様。こんな風に邪魔してしまってごめんなさいよ」
その口調にはどこか気を遣ったもの――こちら側を知っている者のような声音が感じ取れた。
(昔、お屋敷で働いたことがあったのかもしれないわね)
ローズがアンヌを通して事情を聞いたところ、老婆はウルクの街まで歩いて向かうところだったらしい。
「知り合いにちょっと会いに行くところだったんだけど、少しだけ足がぐらついてね」
老婆はそう言って馬車の邪魔にならないよう街道の端へ寄った。
「お騒がせして済まなかったね。それではよい旅路を」
その所作にはどこか貴族のものが感じられた。
(やっぱり)
ローズは老婆を馬車に乗せることにした。
当初老婆はかなり遠慮していたが、徒歩ではまだまだかかる、と説得して何とか同乗させることが出来た。
「いや済まないね。あたし何かのためにこんな立派な馬車に乗せて頂いちまって」
公爵令嬢のローズの目からすればそれ程大したものではないのだが、言葉通りに受け止めておいた。
「いいえ」
「そう言えばどうしてお嬢様はこんなところを馬車で行くんだい? この先にはあたしが行くウルクの街もあるけれど、お貴族の令嬢がわざわざ出向くようなところじゃないと思ったけれどね」
老婆の言葉にアンヌが先に牽制した。
「止めなさい」
「いいのよ」
どうせ修道院へ入ってしまえば世間のことなんて何も聞こえなくなるのだから。
ローズは全てを話すことにした。
――長年の婚約者との婚約が解消されたこと。
――相手は『運命の番』だと主張していること。
――新しい縁談が決まらず修道院に入ることになったこと。
話して行く内に悔しさが込み上げて来たが、ぐっと抑えていると老婆が深く頷いた。
「それでお嬢様はこんなところまで来たのかい。それはまた難儀なことだね」
穏やかな口調にローズがほっと息を付きかけた時だった。
「それでお嬢様はどうしたいんだい?」
「……え?」
思いもよらない言葉だった。
まさか自分の意思を聞かれるとは思っていなかったため、返答が遅れてしまう。
その間に老婆が言葉を紡ぐ。
「その婚約者に復讐したいのかい? それとも番だから婚約解消しろと言って来た浮気相手をぼこぼこにしてやりたいかい? それとも……」
物騒な台詞を聞いてアンヌが割り込んだ。
「過激な台詞をお嬢様に吹き込むのは止めて下さい」
「それは済まなかったね。だけど、この話お嬢様の意思は少しも出て来ないじゃないかい」
それはそうだ。
貴族の夫人や令嬢が公の場で自分の意思を話すことはない。
邸内のことならともかく、表向きのことは全て男性が決定権を握っているのだ。
世間の一般常識をこの老婆が知らないとは思えなかったがローズがそう答えると、老婆はやれやれと肩を竦めた。
「この話を聞くとあまりにも理不尽に聞こえるんけどね。大体お嬢様がこのまま修道院なんかに行く理由がどこにあるんだい?」
「それは良い縁談相手がいなくて」
「それだよ」
「はい?」
「どうして縁談相手が見付からなかったから修道院へ行かないといけないんだい? 他にもあるんじゃないのかい?」
老婆の言葉にローズは目を瞬かせた。
(他に何てあるのかしら?)
その時初めてローズはそれを考えた。
そして、このことがローズの行く末を変える切っ掛けとなる。
半年後、ローズはオークフリートの邸で書類を捌いていた。
オークフリートはファラント公爵領の中でも外れの方にあり、まだあまり開拓が進んでいない領地だった。
(畑の境界線の揉め事に開墾願い。どの種を蒔くかにまで領主の許可が必要、ってちょっと細かすぎない?)
心の中で文句を言いながらもローズの手は止まらない。
あの後ローズが修道院へ行くことはなかった。
老婆を街へ送り届けた後、ローズは馬車を戻させ、ファラント公爵邸へ帰宅すると、公爵との話し合いに臨んだのだ。
このまま何もしないまま修道院へ入りたくはない、と主張するローズの姿に目を見開いていたファラント公爵はその決断も早かった。
『それでお前は何をしたいんだ?』
『今は具体的には思い付きません。ですが、これまでの経験を生かした仕事をしたいんです』
公爵邸へ戻る馬車の中でも考えていたのだが、なかなか具体的な案が見付からなかったため、ローズがそう正直に告げると、
『では少し時間をやろう』
そして二週間後ローズは領地経営へ携わりたいと父であるファラント公爵へ報告することとなる。
『……領地経営か』
恐らくファラント公爵はローズが家庭教師等の無難な職を選ぶと思っていたのだろう。
『なぜそう思ったか聞いてもよいか?』
『はい。私はこれまでずっと婚約者のために、と様々な教育を受けて来ました。その中でも領地経営が自分には向いているように思えました』
例は少ないが女性の領主が全くいないという訳ではなかった。
だがそれは未亡人で後継者が幼く中継ぎの意味合いが多い。
それでもローズの意思は固く、幾つかの条件付きでなら、と公爵はローズの希望を叶えることにした。
そうローズが思った時、はきとした声が響いた。
「そんなに強く引っ張るもんじゃないよ。これ位一人で起き上がれるよ」
思ったより力の籠った声だった。
(……?)
何かがローズの中に引っ掛かり、もう少しと近付いたところで老婆がこちらを見た。
「これはお貴族のお嬢様。こんな風に邪魔してしまってごめんなさいよ」
その口調にはどこか気を遣ったもの――こちら側を知っている者のような声音が感じ取れた。
(昔、お屋敷で働いたことがあったのかもしれないわね)
ローズがアンヌを通して事情を聞いたところ、老婆はウルクの街まで歩いて向かうところだったらしい。
「知り合いにちょっと会いに行くところだったんだけど、少しだけ足がぐらついてね」
老婆はそう言って馬車の邪魔にならないよう街道の端へ寄った。
「お騒がせして済まなかったね。それではよい旅路を」
その所作にはどこか貴族のものが感じられた。
(やっぱり)
ローズは老婆を馬車に乗せることにした。
当初老婆はかなり遠慮していたが、徒歩ではまだまだかかる、と説得して何とか同乗させることが出来た。
「いや済まないね。あたし何かのためにこんな立派な馬車に乗せて頂いちまって」
公爵令嬢のローズの目からすればそれ程大したものではないのだが、言葉通りに受け止めておいた。
「いいえ」
「そう言えばどうしてお嬢様はこんなところを馬車で行くんだい? この先にはあたしが行くウルクの街もあるけれど、お貴族の令嬢がわざわざ出向くようなところじゃないと思ったけれどね」
老婆の言葉にアンヌが先に牽制した。
「止めなさい」
「いいのよ」
どうせ修道院へ入ってしまえば世間のことなんて何も聞こえなくなるのだから。
ローズは全てを話すことにした。
――長年の婚約者との婚約が解消されたこと。
――相手は『運命の番』だと主張していること。
――新しい縁談が決まらず修道院に入ることになったこと。
話して行く内に悔しさが込み上げて来たが、ぐっと抑えていると老婆が深く頷いた。
「それでお嬢様はこんなところまで来たのかい。それはまた難儀なことだね」
穏やかな口調にローズがほっと息を付きかけた時だった。
「それでお嬢様はどうしたいんだい?」
「……え?」
思いもよらない言葉だった。
まさか自分の意思を聞かれるとは思っていなかったため、返答が遅れてしまう。
その間に老婆が言葉を紡ぐ。
「その婚約者に復讐したいのかい? それとも番だから婚約解消しろと言って来た浮気相手をぼこぼこにしてやりたいかい? それとも……」
物騒な台詞を聞いてアンヌが割り込んだ。
「過激な台詞をお嬢様に吹き込むのは止めて下さい」
「それは済まなかったね。だけど、この話お嬢様の意思は少しも出て来ないじゃないかい」
それはそうだ。
貴族の夫人や令嬢が公の場で自分の意思を話すことはない。
邸内のことならともかく、表向きのことは全て男性が決定権を握っているのだ。
世間の一般常識をこの老婆が知らないとは思えなかったがローズがそう答えると、老婆はやれやれと肩を竦めた。
「この話を聞くとあまりにも理不尽に聞こえるんけどね。大体お嬢様がこのまま修道院なんかに行く理由がどこにあるんだい?」
「それは良い縁談相手がいなくて」
「それだよ」
「はい?」
「どうして縁談相手が見付からなかったから修道院へ行かないといけないんだい? 他にもあるんじゃないのかい?」
老婆の言葉にローズは目を瞬かせた。
(他に何てあるのかしら?)
その時初めてローズはそれを考えた。
そして、このことがローズの行く末を変える切っ掛けとなる。
半年後、ローズはオークフリートの邸で書類を捌いていた。
オークフリートはファラント公爵領の中でも外れの方にあり、まだあまり開拓が進んでいない領地だった。
(畑の境界線の揉め事に開墾願い。どの種を蒔くかにまで領主の許可が必要、ってちょっと細かすぎない?)
心の中で文句を言いながらもローズの手は止まらない。
あの後ローズが修道院へ行くことはなかった。
老婆を街へ送り届けた後、ローズは馬車を戻させ、ファラント公爵邸へ帰宅すると、公爵との話し合いに臨んだのだ。
このまま何もしないまま修道院へ入りたくはない、と主張するローズの姿に目を見開いていたファラント公爵はその決断も早かった。
『それでお前は何をしたいんだ?』
『今は具体的には思い付きません。ですが、これまでの経験を生かした仕事をしたいんです』
公爵邸へ戻る馬車の中でも考えていたのだが、なかなか具体的な案が見付からなかったため、ローズがそう正直に告げると、
『では少し時間をやろう』
そして二週間後ローズは領地経営へ携わりたいと父であるファラント公爵へ報告することとなる。
『……領地経営か』
恐らくファラント公爵はローズが家庭教師等の無難な職を選ぶと思っていたのだろう。
『なぜそう思ったか聞いてもよいか?』
『はい。私はこれまでずっと婚約者のために、と様々な教育を受けて来ました。その中でも領地経営が自分には向いているように思えました』
例は少ないが女性の領主が全くいないという訳ではなかった。
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