59 / 65
第59話 黒歴史 (ローズside)
しおりを挟む
『明日には返すわ!!』
それは小さい頃の思い出。
そう叫ぶローズに困ったような目を向けるのは当時五歳のローズと同じ年の女の子だが、裕福ではあったが平民の子供だった。
ファラント公爵は執務と長男の教育に忙しく、母親である公爵夫人は体調を崩して領地で静養していた。
嫡子である長男も大切だが、そのスペアとなる次男も同様である。
ちょうど社交界ではそのような思考がまかり通っていたため、公爵夫人は二番目の子が女子であるローズだったため、気を病んで領地へ籠っていた。
そのため年に数回ローズが領地へ赴くことになるのだが、その滞在の間ローズの遊び相手にと選んだのがその子だった。
両親との対話が少ないなか、ローズの子供特有のちょっとした我儘を咎める存在はほとんどいなかった。
乳母も注意はするがローズの環境を思うとあまり厳しくはできず、冒頭の台詞に戻る。
『え、でも……』
口ごもる女の子は茶色の瞳を惑うようにローズへ向けた。
『ちゃんと返すのだからいいでしょう!!』
悪いなんて少しも思わなかった。
だってちゃんと明日には返すのだから。
その夜、寝室で青色のリボンをご機嫌で眺めていたローズだったが、ぽつりと呟く。
『……あんまりきれいじゃない』
『お嬢様?』
あの子の髪にあった時はとてもきれいに見えたリボンは今こうして手にしてみるとそれほどきれいに見えなかった。
どうして?
疑問に思うも明日には会えるのだから、とローズは寝台に潜りこんだ。
翌日、ローズは彼女の家を訪ねたが体調が悪いとのことで会えなかったので、仕方なく使用人に預け、また後日来るとだけ告げて帰宅したが、その後彼女と会うことはなかった。
『引っ越したってどうして?』
数日後そう聞かされたローズの質問に乳母はどこか呆れたようすだった。
『それはそうでしょうね。お嬢様、本日こそは言わせて頂きますよ。あれは母親の形見だったようですから』
よほど腹に据えかねていたのだろう。乳母が強い眼差しをローズに向けた。
『形見?』
亡くなった母親が遺した大切なものだと聞いたローズは真っ青になる。
『……そんなの聞いてないわ』
『ですが大事なものだと言ってませんでしたか?』
そう言われてその時のことを思い返して見ると彼女は貸すのを渋っていたような気がする。
『でも明日には返すって言ったし……』
『次は返ってこないと思ったんでしょう』
『……え?』
思いがけない言葉に絶句するローズに乳母がため息をついた。
『お忘れですか? お嬢様は先月も同じようなことをされました。花をかたどった髪飾りです。そしてその髪飾りはまだお嬢様の机の引き出しにありますよ』
乳母の言葉に慌てて引き出しを開けるとそこには桃色の花をかたどった髪飾りがあった。
同時にローズは思い出した。すぐに返す、と言って髪飾りを借りたことを。
『今回はどうにか返して貰ましたが次もそうとは限らない。裕福とはいえたかが平民の子です。ローズ様の言葉に惑わされたくなかったのでしょう』
『だってあの子とは仲がよかったのに』
納得できなかったローズは翌日の家庭教師の授業の際にそれを話してみた。
『それはお嬢様の過失ですね』
それまで家庭教師はローズに分かりやすく授業をしてくれていた。
分からないことはローズが納得するまで懇切丁寧に説明してくれていた――そう思っていたのだが家庭教師は思いがけないことを告げた。
『それでローズ様はなにを学びましたか?』
『は?』
『ご自分の過去の行いが今の自分に影響する、ということもそうですがそろそろ令嬢としての心構えをお持ち頂けると助かります』
この家庭教師はなにを言った?
友人を失って辛い思いをしている自分に『令嬢としての心構え』を持てと?
嘘でしょう。
ローズは怒りを抑えられなかった。
『どうして? 私はなにも悪くないのに。ちゃんとリボンは返したわ。髪飾りだって言ってくれればちゃんと返したのに!!』
憤るローズに告げられたのは無情な現実だった。
『平民が貴族令嬢にそんな発言はできません』
だから引っ越しという穏便な手段を取ったのだろう、と告げられたローズは感情を抑えられなかった。
『……きらい』
『ローズ様?』
『皆きらい!! 乳母も先生も大きらい!! いなくなればいいのに!!』
叫んでローズは周りの声も聞かずに自室へ戻ると続けて入ろうとした乳母へ命じた。
『ひとりにして!! 誰もここに入れないで!!』
『……かしこまりました』
後になって思う。
どうしてあんなことを言ってしまったのかと。
その後家庭教師と乳母は解雇され、ローズと会うことはなかった。
『どうしてでですか?』
ローズの問い掛けにファラント公爵は鷹揚に告げた。
『お前が望んだことだろう』
『違います。私は――』
執務室で書類を捌くファラント公爵はそっけなくローズの言葉を遮った。
『なにが違う? お前は家庭教師も乳母もいなくなればいい、と叫んだと報告が来ているが』
『それは……』
確かにそう叫んだがその時の感情に任せて言ってしまったもので本当にそう思ったわけではない。
そう言ったローズにファラント公爵は重々しく告げた。
『たとえ一時の感情であってもそれが貴族の口から出れば命令となる。肝に銘じておくことだな』
用はない、とばかりに退出を促され、反論もなにもできなかった。
それからローズは部屋にこもった。
始めのうちは周りの理不尽な仕打ちに涙しかでなかったが、後になって考えて見るとすべてはローズの自業自得だった。
その出来事をきっかけにローズの癇が強いところは鳴りを潜め、口から出る言葉は以前と比べるとかなり減ることとなる。
まさに黒歴史だわ。
この出来事はあまりにも情けなく、恥ずかしさでどこかに身を潜めたくなるほどのものなので、ローズが自分から話すことはない。
奉公期間が長い者には知れているだろうが、乳母と入れ替わるように来たアンヌ達はきっと知らないはずだ。
こんなこと、絶対に知られたくない。
それは小さい頃の思い出。
そう叫ぶローズに困ったような目を向けるのは当時五歳のローズと同じ年の女の子だが、裕福ではあったが平民の子供だった。
ファラント公爵は執務と長男の教育に忙しく、母親である公爵夫人は体調を崩して領地で静養していた。
嫡子である長男も大切だが、そのスペアとなる次男も同様である。
ちょうど社交界ではそのような思考がまかり通っていたため、公爵夫人は二番目の子が女子であるローズだったため、気を病んで領地へ籠っていた。
そのため年に数回ローズが領地へ赴くことになるのだが、その滞在の間ローズの遊び相手にと選んだのがその子だった。
両親との対話が少ないなか、ローズの子供特有のちょっとした我儘を咎める存在はほとんどいなかった。
乳母も注意はするがローズの環境を思うとあまり厳しくはできず、冒頭の台詞に戻る。
『え、でも……』
口ごもる女の子は茶色の瞳を惑うようにローズへ向けた。
『ちゃんと返すのだからいいでしょう!!』
悪いなんて少しも思わなかった。
だってちゃんと明日には返すのだから。
その夜、寝室で青色のリボンをご機嫌で眺めていたローズだったが、ぽつりと呟く。
『……あんまりきれいじゃない』
『お嬢様?』
あの子の髪にあった時はとてもきれいに見えたリボンは今こうして手にしてみるとそれほどきれいに見えなかった。
どうして?
疑問に思うも明日には会えるのだから、とローズは寝台に潜りこんだ。
翌日、ローズは彼女の家を訪ねたが体調が悪いとのことで会えなかったので、仕方なく使用人に預け、また後日来るとだけ告げて帰宅したが、その後彼女と会うことはなかった。
『引っ越したってどうして?』
数日後そう聞かされたローズの質問に乳母はどこか呆れたようすだった。
『それはそうでしょうね。お嬢様、本日こそは言わせて頂きますよ。あれは母親の形見だったようですから』
よほど腹に据えかねていたのだろう。乳母が強い眼差しをローズに向けた。
『形見?』
亡くなった母親が遺した大切なものだと聞いたローズは真っ青になる。
『……そんなの聞いてないわ』
『ですが大事なものだと言ってませんでしたか?』
そう言われてその時のことを思い返して見ると彼女は貸すのを渋っていたような気がする。
『でも明日には返すって言ったし……』
『次は返ってこないと思ったんでしょう』
『……え?』
思いがけない言葉に絶句するローズに乳母がため息をついた。
『お忘れですか? お嬢様は先月も同じようなことをされました。花をかたどった髪飾りです。そしてその髪飾りはまだお嬢様の机の引き出しにありますよ』
乳母の言葉に慌てて引き出しを開けるとそこには桃色の花をかたどった髪飾りがあった。
同時にローズは思い出した。すぐに返す、と言って髪飾りを借りたことを。
『今回はどうにか返して貰ましたが次もそうとは限らない。裕福とはいえたかが平民の子です。ローズ様の言葉に惑わされたくなかったのでしょう』
『だってあの子とは仲がよかったのに』
納得できなかったローズは翌日の家庭教師の授業の際にそれを話してみた。
『それはお嬢様の過失ですね』
それまで家庭教師はローズに分かりやすく授業をしてくれていた。
分からないことはローズが納得するまで懇切丁寧に説明してくれていた――そう思っていたのだが家庭教師は思いがけないことを告げた。
『それでローズ様はなにを学びましたか?』
『は?』
『ご自分の過去の行いが今の自分に影響する、ということもそうですがそろそろ令嬢としての心構えをお持ち頂けると助かります』
この家庭教師はなにを言った?
友人を失って辛い思いをしている自分に『令嬢としての心構え』を持てと?
嘘でしょう。
ローズは怒りを抑えられなかった。
『どうして? 私はなにも悪くないのに。ちゃんとリボンは返したわ。髪飾りだって言ってくれればちゃんと返したのに!!』
憤るローズに告げられたのは無情な現実だった。
『平民が貴族令嬢にそんな発言はできません』
だから引っ越しという穏便な手段を取ったのだろう、と告げられたローズは感情を抑えられなかった。
『……きらい』
『ローズ様?』
『皆きらい!! 乳母も先生も大きらい!! いなくなればいいのに!!』
叫んでローズは周りの声も聞かずに自室へ戻ると続けて入ろうとした乳母へ命じた。
『ひとりにして!! 誰もここに入れないで!!』
『……かしこまりました』
後になって思う。
どうしてあんなことを言ってしまったのかと。
その後家庭教師と乳母は解雇され、ローズと会うことはなかった。
『どうしてでですか?』
ローズの問い掛けにファラント公爵は鷹揚に告げた。
『お前が望んだことだろう』
『違います。私は――』
執務室で書類を捌くファラント公爵はそっけなくローズの言葉を遮った。
『なにが違う? お前は家庭教師も乳母もいなくなればいい、と叫んだと報告が来ているが』
『それは……』
確かにそう叫んだがその時の感情に任せて言ってしまったもので本当にそう思ったわけではない。
そう言ったローズにファラント公爵は重々しく告げた。
『たとえ一時の感情であってもそれが貴族の口から出れば命令となる。肝に銘じておくことだな』
用はない、とばかりに退出を促され、反論もなにもできなかった。
それからローズは部屋にこもった。
始めのうちは周りの理不尽な仕打ちに涙しかでなかったが、後になって考えて見るとすべてはローズの自業自得だった。
その出来事をきっかけにローズの癇が強いところは鳴りを潜め、口から出る言葉は以前と比べるとかなり減ることとなる。
まさに黒歴史だわ。
この出来事はあまりにも情けなく、恥ずかしさでどこかに身を潜めたくなるほどのものなので、ローズが自分から話すことはない。
奉公期間が長い者には知れているだろうが、乳母と入れ替わるように来たアンヌ達はきっと知らないはずだ。
こんなこと、絶対に知られたくない。
100
あなたにおすすめの小説
王女に夢中な婚約者様、さようなら 〜自分を取り戻したあとの学園生活は幸せです! 〜
鳴宮野々花@書籍4作品発売中
恋愛
王立学園への入学をきっかけに、領地の屋敷から王都のタウンハウスへと引っ越した、ハートリー伯爵家の令嬢ロザリンド。婚約者ルパートとともに始まるはずの学園生活を楽しみにしていた。
けれど現実は、王女殿下のご機嫌を取るための、ルパートからの理不尽な命令の連続。
「かつらと黒縁眼鏡の着用必須」「王女殿下より目立つな」「見目の良い男性、高位貴族の子息らと会話をするな」……。
ルパートから渡された「禁止事項一覧表」に縛られ、ロザリンドは期待とは真逆の、暗黒の学園生活を送ることに。
そんな日々の中での唯一の救いとなったのは、友人となってくれた冷静で聡明な公爵令嬢、ノエリスの存在だった。
学期末、ロザリンドはついにルパートの怒りを買い、婚約破棄を言い渡される。
けれど、深く傷つきながら長期休暇を迎えたロザリンドのもとに届いたのは、兄の友人であり王国騎士団に属する公爵令息クライヴからの婚約の申し出だった。
暗黒の一学期が嘘のように、幸せな長期休暇を過ごしたロザリンド。けれど新学期を迎えると、エメライン王女が接触してきて……。
※長くなりそうだったら長編に変更します。
※この作品は小説家になろう、カクヨムにも投稿しています。
とある令嬢の優雅な別れ方 〜婚約破棄されたので、笑顔で地獄へお送りいたします〜
入多麗夜
恋愛
【完結まで執筆済!】
社交界を賑わせた婚約披露の茶会。
令嬢セリーヌ・リュミエールは、婚約者から突きつけられる。
「真実の愛を見つけたんだ」
それは、信じた誠実も、築いてきた未来も踏みにじる裏切りだった。だが、彼女は微笑んだ。
愛よりも冷たく、そして美しく。
笑顔で地獄へお送りいたします――
愛を求めることはやめましたので、ご安心いただけますと幸いです!
風見ゆうみ
恋愛
わたしの婚約者はレンジロード・ブロフコス侯爵令息。彼に愛されたくて、自分なりに努力してきたつもりだった。でも、彼には昔から好きな人がいた。
結婚式当日、レンジロード様から「君も知っていると思うが、私には愛する女性がいる。君と結婚しても、彼女のことを忘れたくないから忘れない。そして、私と君の結婚式を彼女に見られたくない」と言われ、結婚式を中止にするためにと階段から突き落とされてしまう。
レンジロード様に突き落とされたと訴えても、信じてくれる人は少数だけ。レンジロード様はわたしが階段を踏み外したと言う上に、わたしには話を合わせろと言う。
こんな人のどこが良かったのかしら???
家族に相談し、離婚に向けて動き出すわたしだったが、わたしの変化に気がついたレンジロード様が、なぜかわたしにかまうようになり――
間違えられた番様は、消えました。
夕立悠理
恋愛
※小説家になろう様でも投稿を始めました!お好きなサイトでお読みください※
竜王の治める国ソフームには、運命の番という存在がある。
運命の番――前世で深く愛しあい、来世も恋人になろうと誓い合った相手のことをさす。特に竜王にとっての「運命の番」は特別で、国に繁栄を与える存在でもある。
「ロイゼ、君は私の運命の番じゃない。だから、選べない」
ずっと慕っていた竜王にそう告げられた、ロイゼ・イーデン。しかし、ロイゼは、知っていた。
ロイゼこそが、竜王の『運命の番』だと。
「エルマ、私の愛しい番」
けれどそれを知らない竜王は、今日もロイゼの親友に愛を囁く。
いつの間にか、ロイゼの呼び名は、ロイゼから番の親友、そして最後は嘘つきに変わっていた。
名前を失くしたロイゼは、消えることにした。
貴方達から離れたら思った以上に幸せです!
なか
恋愛
「君の妹を正妻にしたい。ナターリアは側室になり、僕を支えてくれ」
信じられない要求を口にした夫のヴィクターは、私の妹を抱きしめる。
私の両親も同様に、妹のために受け入れろと口を揃えた。
「お願いお姉様、私だってヴィクター様を愛したいの」
「ナターリア。姉として受け入れてあげなさい」
「そうよ、貴方はお姉ちゃんなのよ」
妹と両親が、好き勝手に私を責める。
昔からこうだった……妹を庇護する両親により、私の人生は全て妹のために捧げていた。
まるで、妹の召使のような半生だった。
ようやくヴィクターと結婚して、解放されたと思っていたのに。
彼を愛して、支え続けてきたのに……
「ナターリア。これからは妹と一緒に幸せになろう」
夫である貴方が私を裏切っておきながら、そんな言葉を吐くのなら。
もう、いいです。
「それなら、私が出て行きます」
……
「「「……え?」」」
予想をしていなかったのか、皆が固まっている。
でも、もう私の考えは変わらない。
撤回はしない、決意は固めた。
私はここから逃げ出して、自由を得てみせる。
だから皆さん、もう関わらないでくださいね。
◇◇◇◇◇◇
設定はゆるめです。
読んでくださると嬉しいです。
私達、婚約破棄しましょう
アリス
恋愛
余命宣告を受けたエニシダは最後は自由に生きようと婚約破棄をすることを決意する。
婚約者には愛する人がいる。
彼女との幸せを願い、エニシダは残りの人生は旅をしようと家を出る。
婚約者からも家族からも愛されない彼女は最後くらい好きに生きたかった。
だが、なぜか婚約者は彼女を追いかけ……
番を辞めますさようなら
京佳
恋愛
番である婚約者に冷遇され続けた私は彼の裏切りを目撃した。心が壊れた私は彼の番で居続ける事を放棄した。私ではなく別の人と幸せになって下さい。さようなら…
愛されなかった番。後悔ざまぁ。すれ違いエンド。ゆるゆる設定。
※沢山のお気に入り&いいねをありがとうございます。感謝感謝♡
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる