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31.

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 俺の行動は早かった。
 なんせもう時間が全然足りないんだ。担任も言っていたし、颯太の態度を見てもそれは明らかだった。学年底辺レベルの学力しかない俺が今から受験本番までのたった残り10ヶ月程度で、学区内最高レベルの高校に合格することは現実的にほぼ不可能なのだ。だけど、はいそうですかごめんね颯太と諦めるわけにはいかない。だってこれは子どもの頃からの約束なんだ。颯太は言っていた。同じ高校に行けることを励みに、これまで寂しくても頑張ってきたんだと。俺だって…………、

「…………。」

 ふと、昨夜の颯太の声を思い出す。

『…………樹と、同じ高校に行きたい…………。ずっと、……ずっとそれだけを心の支えにして、……頑張ってきたんだ……。……寂しくても、…離れていても、……また、……同じ学校に、通える日が、……必ず来るんだって……』

 颯太……。そんなに俺と同じ高校に行きたいと、ずっと思ってくれてたんだな……。
 そんなに俺のことを……。

 デレッ。

 …………は!!いかんいかん。ニヤけてる場合じゃねぇ。俺には早急にやらねばならないことがいくつもある。俺はもう1分たりとも時間を無駄にするつもりはなかった。


「はぁ?!辞める?マジかよ樹!」
「いやなんでだよ!まだ3年になったばかりだぞ!」
「引退早ぇよ!お前がいなくてどーすんだよ!」
「……本っ当に、ごめん。…でももう俺には時間が全然ねぇんだ。もう、サッカーしてる余裕はない。だから…。今日で部活は辞める」

 サッカー部の仲間たちの前で深々と頭を下げた。皆冗談なのかといぶかしげだ。

「…いや、…理由を言えよ、理由を。なんでよりによって今なんだよ。ようやく3年になったばっかだぞ、俺たち。これから俺らで部を引っ張っていくんじゃねぇのかよ。…お前今まで何のためにあんなにサッカーに打ち込んでたんだよ」

 俺とともにサッカー部エースの座を競い合ってきたダチが俺を責める。…そりゃそうだよな。納得できるわけがねぇ。俺は本当のことを話した。

「…俺な、……A高受けることにしたんだ」
「……。……あ?」
「は?」
「だからこれから受験までは、勉強に専念する。……本当に、ごめん」
「…………。」
「…………。」
「……なんだ……、冗談かよ。ふざけんなよもぉぉ」
「い、いや、ちが」
「焦ったじゃねぇかよー立本ぉぉ!」
「や、だから、おれ」
「ぎゃはは!なんだよこの無駄な時間!」
「いいから早く着替えて来いよバーカ」
「いや、え?だから……」

 部員の皆に信じてもらうのにはかなり時間がかかった。俺が本気だと分かると、呆れるヤツ、憐れみの目で見てくるヤツ、俺がおかしくなったと思ったのかドン引きしてるヤツ、生温かい同情的な微笑みを向けてくるヤツ、反応は様々だった。

 次に両親に頭を下げた。

「頼む!おとん!おかん!予備校だか塾だか…、なんか知らんけど、そんなところに行かせてくれ!A高に受からせてくれるところに!」
「もういいからさっさとご飯食べなさい樹!」
「違う!聞いてくれよおかん!俺は本気なんだ!本気でA高目指したいんだよ!」
「……いきなりどうしたんだ、お前……。疲れてるのか?」
「疲れてねーよ!疲れるのは今からだ!」
「……なんか変な詐欺師にでも騙されてるんじゃないでしょうね?A高校に入れば自然とお金が貯まるとか言われたの?」
「だから違うって!!」

 今までサッカー一筋でまるっきり勉強に興味を示さなかった俺が突然秀才たちが通う高校を受けると言い出したことで、両親とは揉めに揉めた。お前の学力では夢のまた夢だ、もう少し現実的な公立を受験して欲しい、いや死ぬ気で勉強して絶対に受かってみせる、いやダメだ、いや頼むから、……三日三晩説得を続け攻防戦を繰り広げた末に、ついに両親を説き伏せ塾に通わせてもらえることになった。気が散らないように、颯太が通っているところとは別の塾を選んだ。

 そして次にやったこと。これが一番辛かった。でもしかたない。1年間の我慢だ。
 俺は自分なりに心を込めて作った文章を颯太に送った。

『1年間、電話もラインもお預けだ。勉強に専念するために、もう受験が終わるまで連絡するのはやめる。部活もやめた。残りの時間全部使って絶対にA高に合格してみせるから。信じて待っててくれよ。お前も頑張れ。俺だけ受かってお前だけ落ちるなよ!』

 ラインを送ってすぐにスマホの電源を切った。
 ごめんな、颯太。俺頑張るから。死に物狂いで勉強するから。約束、絶対に守るからな。


 後から思い返してみても、俺の人生でこれほど全力で何かを頑張ったことはなかった。なんせ中学生の学力の基礎もできていない俺が最難関レベルの受験をするんだ。そりゃ辛いなんてもんじゃなかった。
 全ての娯楽の時間を捨て、寝食の時間を削ってまで勉強した。授業中はもちろんのこと、休み時間も全て勉強に費やし、体育などの副教科の時間以外はダチともほとんど口をきかないほどだった。皆理解してくれてありがたかったけど、俺がA高に受かると信じてるヤツはおそらく一人もいなかったはずだ。
 学校でも塾でも、分からないところがあれば教師をとっ捕まえて分かるまで説明してもらった。最初は、あちゃー結局A高受けるのかよこのバカがもう知らんってかんじでまるっきり相手にしてくれなかった俺の担任も、夏が終わる頃には俺の熱意が嘘ではないと完全に理解し、俺と同じくらいの熱量でA高受験に向けて二人三脚で取り組んでくれた。
 苦痛でたまらない勉強を途中でくじけることなく最後までやれたのは、もちろんただひたすらに颯太のことを想っていたからだ。投げ出したくなるほど辛いときは、少しだけ休憩して目を閉じ、脳内修学旅行をした。
 颯太と二人で沖縄でソーキそばを食べる俺。『美味しいねー樹』
 颯太と二人で京都のよく分からん寺か何かを見て回る俺。『ここのお寺はね、樹、何年に誰々によって建てられてね~…、もー、聞いてるの?樹ー』
 颯太と二人で北海道の旭山動物園を回る俺。『見て!樹!ホッキョクグマだよ!すごいねー!』

『あはは、楽しいねー樹ー』
『樹と一緒に来れて本当によかったぁ』

 あははは…… ふふふ……

「…………。よし、やるか」

 修学旅行先ではしゃぐ可愛い颯太を想像しまくって英気を養ったら再び参考書に向かう。実際の修学旅行でA高がどこに行くかは全く知らないので、脳内での行き先はその時々によって違うが、颯太はどこにいても嬉しそうだった。嬉しそうな颯太を想像して、自分の気持ちを奮い立たせた。
 絶対に実現してやるんだ……!!
 待ってろよ、颯太!!



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