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本編
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一年という期間は、長いようで短く。
あの厳重な警護と見張りを巡らされた屋敷から突然連れ出されたと思えば、両親に紹介され。
あれよあれよと、わたくしは純白の花嫁衣裳を纏わされ、気付いたら色々なことが終わったあとでした。
晴れ渡る青空。空から舞い落ちる真っ白な花びらの雨。一体これはどこから、降らせているのか。
人々が嬉しそうに微笑み、声をあげ、わたくしたちを賞賛する。
わたくしは豪奢な馬車の上から人々に笑みを向けてただただ、手を振るばかり。
ああ、この笑顔向ける人々の表情を崩してしまいたい。
ここでわたくしがこの真っ白で、どこまでも豪奢なドレスを破り捨て逃げる。いいえそんなのはかわいいもの。
ならば隣に座る王太子にナイフを向けて……そもそもナイフがないわ。
でも傍で護衛として歩いているわたくしの犬達から剣を借りれば……剣なんて重くて振れないわ。叩き落とされて終わりね。
何かほかにないかしらとくだらないことを考えて、この退屈で最悪な時間をわたくしはやり過ごすしかない。
顔に張り付けた笑みは、人々を騙すには十分なほどの美しい笑みにしている。
結ばれて、幸せで、嬉しさがあふれんばかりの花嫁の浮かべる笑顔。
けれど、本当はこれっぽっちもそんな感情が無い。それを一番よくわかっているのは、この傍らのひとだろう。
「私の愛しい人は何を考えているのかな」
「こんなに大勢の皆様に祝ってもらえて幸せと」
「幸せ、か」
おかしなことを言うと笑うのはわたくしの夫だ。
残念なことに、わたくしの夫なのだ。
先程誓約をかわし夫婦になってしまった。
金髪碧眼、誰もが認める完全無欠の王太子――ディートリヒ・セルデスディア。
話せる他国語は6か国、政治にも、文化にも、流行にも聡いこの大国セルデスディアの王太子。
彼が微笑めば10人中10人の娘がほうとため息零して声をかけられるのを待つとかなんとか。
しかしそこにわたくしが入れば9人しかそうなりませんのよと思う。
今まで浮いた話もない、清廉潔白な王太子。隣国の中で一番の切れ者、大国セルデスディアの未来は約束されたものだと、人々は褒め称える。
そうかしら、とわたくしは思うのだけれども。どちらかといえば悪辣でしょうに。それを上手に隠しているだけですわ。
恋愛事に対しては鈍感で告白する勇気なんてない男だとわたくしは気付いています。だっておそらく、この方五年くらいは片思いしてましたのよ? この方ただの、へたれですのよ、と思うのだけれども。
そしてわたくしはこの男に見初められたわけではありません。
ある意味、見初められたなのかもしれないのだけど。
表向きは、この王太子がわたくしを欲しいとお父様にお願いをして。
しかし、恋焦がれて望まれたわけではありません。わたくしはこの男に監視される為に嫁がされたのです。
「お前のような危ない女は何をしでかすかわからない。俺がお前を何もできないようにしてやるから、好きなだけ悪巧みをすれば良い、でしたね」
「ああ」
「とても素敵なプロポーズでしたわ」
そうか、と薄ら笑う。
その言葉を耳元で頂戴したのはベッドの上でした。
わたくしがあの小さな箱庭からちょっと気晴らしにでた瞬間にわたくしを拐かし、わたくしの初めてを奪って、ものにして。
一年ほど閉じ込められたのです。外界との接触はゼロ。その中で色々な話をして、色々な取引と駆け引きをして、そしてこの場所に夫はわたくしを連れてきたのです。
最初に肖像画を描くと言われたときにこうなることを気付けなかったのはわたくしの落ち度。
なかなかの行動力ですが、まだわたくしの持っている手の全てを潰したわけではない。それを夫もわかっているはず。
しかし、この方はまだわかっておられないのです。だからわたくしとかみ合わない。
わたくしは悪巧みなんてしていないのだから。
夫にわたくしを知られることとなった出来事、その傍にいただけですのよ。
ただ相談されたから、少しの助言をして。
助けを求められなかったから、自分でどうにかすると仰られたからそうですかと頷いただけ。
ただそれだけのことなのですが、渦中の中心にいた令嬢がこの王太子のいとこだったのがいけなかったのです。
どこかの高貴な方が素性を隠していらっしゃるのだとわたくしは気付いた。それなら、あんな世間知らずで真っ直ぐなのもなんとなく理解できると思っていたのだけれど。
相手が悪かったのは、わたくしの運が悪かったからと思う事にいたしました。
わたくしは蛇の尻尾を踏んでしまったのです。それもピンヒールで、思い切り全体重をかけて。
しかし、その蛇もまだわたくしと遊んでくださる様子。
それにわたくしの忠実な犬達は一緒にこの国に連れてくることができたし問題はないでしょう。
久しぶりにみた彼等はこの国の軍服を纏っていて。今も馬車の傍らを歩き警護しているのです。こちらに視線は向けないけれど、不満がたまっているのがわかります。
あとで三人とも、頭をなでなでしてあげたら機嫌が直るかしら。
わたくしの犬達――三人の騎士は、わたくしの故国でそれなりの家の出。ひとりは養子ですけれど。
出会いは違うものの、わたくしはそれぞれをわたくしの言葉で降伏させてしまったのです。
犬のようね、と冗談半分で呼んだら犬でいいので傍にいさせて、と。そのうちの一人なんて犬が良いなんて言い出す始末。
まだ心の自制ができない子供の頃の話とはいえ恥ずかしい。感情を出して言いくるめたりなんてしちゃったわたくし、恥ずかしい。
彼らわたくしを守る騎士としてあった。別に、ここまでついてくる必要はなかったのに、かわいい子達。
「この後はお前を歓迎する夜会だ」
「あら、そうなのですね」
「ああ、そこでは好きにするといい」
「好きに?」
「敵と味方くらいはわかるだろう? お前を蹴落とそうとするものに対しては、遠慮することはない」
「あら、おかしなことを」
わたくしは、基本的には見ているだけですのよと笑む。
そう、見ているだけ。
けれど、そう、確かに。
わたくしに悪意を向けるならそれ相応でお返しするのは礼儀でしょう。
そう言うと、良い笑みを浮かべていると傍らの人は笑うのだ。それはもう、好意的に。
「お前のその性分はどうかと思うが、貴族社会の中では重用せざるを得ないな」
「それはお褒めの言葉でして?」
「ああ。俺は自分の身は自分で守れる手のかからない妻を手に入れたのだから。お前も、遊び場を手に入れただろう?」
それは、そうですわねと頷かざるを得ない。
ここはわたくしの故国ではない。突然、ぽっと現れた王太子妃に対して自陣に取り込もうだとか、蹴落とそうだとか。
特にご令嬢方にとっては迷惑極まりないでしょう。そんなに美人でもない女が突然、正妃の座を持って行ってしまったのだから。
野心のある貴族達にとっても、同じことが言えるのでしょう。しかしこちらは、わたくしの後ろ盾がないのだからそこに入り込もうとしそうな。
何にせよくだらない事。けれどそういった事を考えるものが大勢いる事はわかる。むしろ、これをわからないのはお馬鹿さんですねとしか言いようがない。
「傍観するのも、荒らすのも、好きにすればいい。俺に迷惑をかけなければな」
「誰かに迷惑をかけるのは主義に反しますわ」
大丈夫、あなたの手は煩わせませんと微笑めばそれでいいと笑う。
「どうしようもなくなったなら俺に嫌そうな顔をしながら助けてくれと懇願してきてもいい」
「まぁ、それこそ絶対にありえませんわ」
「ははは! そうだろうな!!」
わたくしたちの話は誰にも聞こえていない。歓声にかき消されているから。
けれど、周囲から見ればきっと仲睦まじく話しているように見えるのでしょう。
サービスだとばかりに、皇太子はわたくしの唇を奪う。
吸って、舐めて、唇を割り開いて。
人前でする口付ではありませんと思うのだがヴェールを引っ張り見えないようにしてくださっているので、まぁ良しとしましょう。
この方のもとに嫁いだのは残念なことなのですが、幸いなことに夜の営み的なことはとてもお上手でした。
それに満足したというか、そんなのは初めてで。いえ初めては最悪な記憶しかないのですが。本当に、酷い初めての記憶です。
その時、身体の相性は良かったなと楽しげに言われ。わたくし、寝台から落としてやろうかと思ったのですができなかったのです。
しかしこのキス一つで人々は一層、喜びの声をあげている。こんなことで喜ぶなんてなんと平和で穏やかな国なのか。
その国を次に治める男の本質を知らぬまま、きっと栄えていくのでしょう。
でも本当によろしいの? 国民の皆々様方。
この男、とっても悪辣でしてよ?
あの厳重な警護と見張りを巡らされた屋敷から突然連れ出されたと思えば、両親に紹介され。
あれよあれよと、わたくしは純白の花嫁衣裳を纏わされ、気付いたら色々なことが終わったあとでした。
晴れ渡る青空。空から舞い落ちる真っ白な花びらの雨。一体これはどこから、降らせているのか。
人々が嬉しそうに微笑み、声をあげ、わたくしたちを賞賛する。
わたくしは豪奢な馬車の上から人々に笑みを向けてただただ、手を振るばかり。
ああ、この笑顔向ける人々の表情を崩してしまいたい。
ここでわたくしがこの真っ白で、どこまでも豪奢なドレスを破り捨て逃げる。いいえそんなのはかわいいもの。
ならば隣に座る王太子にナイフを向けて……そもそもナイフがないわ。
でも傍で護衛として歩いているわたくしの犬達から剣を借りれば……剣なんて重くて振れないわ。叩き落とされて終わりね。
何かほかにないかしらとくだらないことを考えて、この退屈で最悪な時間をわたくしはやり過ごすしかない。
顔に張り付けた笑みは、人々を騙すには十分なほどの美しい笑みにしている。
結ばれて、幸せで、嬉しさがあふれんばかりの花嫁の浮かべる笑顔。
けれど、本当はこれっぽっちもそんな感情が無い。それを一番よくわかっているのは、この傍らのひとだろう。
「私の愛しい人は何を考えているのかな」
「こんなに大勢の皆様に祝ってもらえて幸せと」
「幸せ、か」
おかしなことを言うと笑うのはわたくしの夫だ。
残念なことに、わたくしの夫なのだ。
先程誓約をかわし夫婦になってしまった。
金髪碧眼、誰もが認める完全無欠の王太子――ディートリヒ・セルデスディア。
話せる他国語は6か国、政治にも、文化にも、流行にも聡いこの大国セルデスディアの王太子。
彼が微笑めば10人中10人の娘がほうとため息零して声をかけられるのを待つとかなんとか。
しかしそこにわたくしが入れば9人しかそうなりませんのよと思う。
今まで浮いた話もない、清廉潔白な王太子。隣国の中で一番の切れ者、大国セルデスディアの未来は約束されたものだと、人々は褒め称える。
そうかしら、とわたくしは思うのだけれども。どちらかといえば悪辣でしょうに。それを上手に隠しているだけですわ。
恋愛事に対しては鈍感で告白する勇気なんてない男だとわたくしは気付いています。だっておそらく、この方五年くらいは片思いしてましたのよ? この方ただの、へたれですのよ、と思うのだけれども。
そしてわたくしはこの男に見初められたわけではありません。
ある意味、見初められたなのかもしれないのだけど。
表向きは、この王太子がわたくしを欲しいとお父様にお願いをして。
しかし、恋焦がれて望まれたわけではありません。わたくしはこの男に監視される為に嫁がされたのです。
「お前のような危ない女は何をしでかすかわからない。俺がお前を何もできないようにしてやるから、好きなだけ悪巧みをすれば良い、でしたね」
「ああ」
「とても素敵なプロポーズでしたわ」
そうか、と薄ら笑う。
その言葉を耳元で頂戴したのはベッドの上でした。
わたくしがあの小さな箱庭からちょっと気晴らしにでた瞬間にわたくしを拐かし、わたくしの初めてを奪って、ものにして。
一年ほど閉じ込められたのです。外界との接触はゼロ。その中で色々な話をして、色々な取引と駆け引きをして、そしてこの場所に夫はわたくしを連れてきたのです。
最初に肖像画を描くと言われたときにこうなることを気付けなかったのはわたくしの落ち度。
なかなかの行動力ですが、まだわたくしの持っている手の全てを潰したわけではない。それを夫もわかっているはず。
しかし、この方はまだわかっておられないのです。だからわたくしとかみ合わない。
わたくしは悪巧みなんてしていないのだから。
夫にわたくしを知られることとなった出来事、その傍にいただけですのよ。
ただ相談されたから、少しの助言をして。
助けを求められなかったから、自分でどうにかすると仰られたからそうですかと頷いただけ。
ただそれだけのことなのですが、渦中の中心にいた令嬢がこの王太子のいとこだったのがいけなかったのです。
どこかの高貴な方が素性を隠していらっしゃるのだとわたくしは気付いた。それなら、あんな世間知らずで真っ直ぐなのもなんとなく理解できると思っていたのだけれど。
相手が悪かったのは、わたくしの運が悪かったからと思う事にいたしました。
わたくしは蛇の尻尾を踏んでしまったのです。それもピンヒールで、思い切り全体重をかけて。
しかし、その蛇もまだわたくしと遊んでくださる様子。
それにわたくしの忠実な犬達は一緒にこの国に連れてくることができたし問題はないでしょう。
久しぶりにみた彼等はこの国の軍服を纏っていて。今も馬車の傍らを歩き警護しているのです。こちらに視線は向けないけれど、不満がたまっているのがわかります。
あとで三人とも、頭をなでなでしてあげたら機嫌が直るかしら。
わたくしの犬達――三人の騎士は、わたくしの故国でそれなりの家の出。ひとりは養子ですけれど。
出会いは違うものの、わたくしはそれぞれをわたくしの言葉で降伏させてしまったのです。
犬のようね、と冗談半分で呼んだら犬でいいので傍にいさせて、と。そのうちの一人なんて犬が良いなんて言い出す始末。
まだ心の自制ができない子供の頃の話とはいえ恥ずかしい。感情を出して言いくるめたりなんてしちゃったわたくし、恥ずかしい。
彼らわたくしを守る騎士としてあった。別に、ここまでついてくる必要はなかったのに、かわいい子達。
「この後はお前を歓迎する夜会だ」
「あら、そうなのですね」
「ああ、そこでは好きにするといい」
「好きに?」
「敵と味方くらいはわかるだろう? お前を蹴落とそうとするものに対しては、遠慮することはない」
「あら、おかしなことを」
わたくしは、基本的には見ているだけですのよと笑む。
そう、見ているだけ。
けれど、そう、確かに。
わたくしに悪意を向けるならそれ相応でお返しするのは礼儀でしょう。
そう言うと、良い笑みを浮かべていると傍らの人は笑うのだ。それはもう、好意的に。
「お前のその性分はどうかと思うが、貴族社会の中では重用せざるを得ないな」
「それはお褒めの言葉でして?」
「ああ。俺は自分の身は自分で守れる手のかからない妻を手に入れたのだから。お前も、遊び場を手に入れただろう?」
それは、そうですわねと頷かざるを得ない。
ここはわたくしの故国ではない。突然、ぽっと現れた王太子妃に対して自陣に取り込もうだとか、蹴落とそうだとか。
特にご令嬢方にとっては迷惑極まりないでしょう。そんなに美人でもない女が突然、正妃の座を持って行ってしまったのだから。
野心のある貴族達にとっても、同じことが言えるのでしょう。しかしこちらは、わたくしの後ろ盾がないのだからそこに入り込もうとしそうな。
何にせよくだらない事。けれどそういった事を考えるものが大勢いる事はわかる。むしろ、これをわからないのはお馬鹿さんですねとしか言いようがない。
「傍観するのも、荒らすのも、好きにすればいい。俺に迷惑をかけなければな」
「誰かに迷惑をかけるのは主義に反しますわ」
大丈夫、あなたの手は煩わせませんと微笑めばそれでいいと笑う。
「どうしようもなくなったなら俺に嫌そうな顔をしながら助けてくれと懇願してきてもいい」
「まぁ、それこそ絶対にありえませんわ」
「ははは! そうだろうな!!」
わたくしたちの話は誰にも聞こえていない。歓声にかき消されているから。
けれど、周囲から見ればきっと仲睦まじく話しているように見えるのでしょう。
サービスだとばかりに、皇太子はわたくしの唇を奪う。
吸って、舐めて、唇を割り開いて。
人前でする口付ではありませんと思うのだがヴェールを引っ張り見えないようにしてくださっているので、まぁ良しとしましょう。
この方のもとに嫁いだのは残念なことなのですが、幸いなことに夜の営み的なことはとてもお上手でした。
それに満足したというか、そんなのは初めてで。いえ初めては最悪な記憶しかないのですが。本当に、酷い初めての記憶です。
その時、身体の相性は良かったなと楽しげに言われ。わたくし、寝台から落としてやろうかと思ったのですができなかったのです。
しかしこのキス一つで人々は一層、喜びの声をあげている。こんなことで喜ぶなんてなんと平和で穏やかな国なのか。
その国を次に治める男の本質を知らぬまま、きっと栄えていくのでしょう。
でも本当によろしいの? 国民の皆々様方。
この男、とっても悪辣でしてよ?
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