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本編
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国に帰り、つつがなく日々は過ぎていく。
そんなある日、わたくしはリヒトに準備しろと言われました。
何が、と思っている間にツェリに服はこちらをと言われ。それは町娘のような服でした。
リヒトも簡素な格好で、そしていつもと違うのは。
「染めたの?」
「ああ。洗えばすぐに落ちるものだ」
きらきら綺麗な金髪が今は茶色。くすんだような色になっていました。
「わたくしは染めなくて良いの?」
「俺だけで良いだろう。俺の色は目立つからな」
「そうね、確かに」
茶色に染まった髪に触れる。
わたくしはやっぱり、金髪の方が好きね。
しばらく待っていてと服を変える。
外に出るのは抜け道を使って。
護衛はそれとなく、離れてついてくるそうです。
街にこうして、2人で出るのは初めて。
王太子と王太子妃だとばれないようにするために、ディートリヒとは呼ばない、アーデルハイトとは呼ばないとしました。
わたくしは、リヒトと呼べばいいだけ。するとリヒトはお前の事は何と呼べばと言うのです。
わたくしの名の愛称といえば、アーデしかぱっとでてこない。
それで困っていると、犬達が呼ばせて構わないと言ってくれました。ただし、今日だけど。
「念押しされたな」
「良いと言った事の方が、わたくしは驚きよ」
リヒトはわたくしへと向け楽しげに笑って、では今日は何度もその名を呼ぼうと言う。
「アーデ、行こう」
「ええ、リヒト」
アーデと呼ばれると、心躍る。犬達に呼ばれるのとはまた別の、特別な響き。
適当に目にとまったものに足を止め、笑い合う。
どちらともなく自然に手を繋いで、わたくし達は歩いていました。
「少し休憩するか? 流行りの店があると聞いている」
「流行り?」
「ああ、行けばわかる」
そう言って連れていかれたのは可愛らしい家。蔦の絡まるアーチに柔らかな日差しの入る庭。
そこで楽しそうに過ごしている方達は男女という組み合わせばかり。
あら、こ、これはもしや……恋人同士向けの場所、ということ?
「こういう場所は嫌か?」
「嫌ではないけれど……」
「皆も逢瀬を楽しんでいるのだから、こちらも気にすることは無い」
じゃあいいだろうと手を引かれて、中へ。
席に着けばメニューを持ってきてくれる。開けば、紅茶は国の色々な産地のものがつらつらと。
あら、これは……わたくし、ちょっと嬉しい。名は知っていても飲んだことは無いものがありますもの。
どれにしようかしら、と迷っていると、ふきだすように笑い零す音が聞こえて。
なぁにと顔を向ければ、楽しそうにしていると言われる。
「楽しそうにしてちゃだめなの? わたくしは紅茶が好きなのよ」
「知ってる。だからここにしたし……迷っている姿がかわいらしいと思って」
かわいらしい。
かわいらしい?
その言葉を何度か反芻して、わたくしは途端に照れてしまう。頬がかーっと熱を帯びるのを感じてそっとメニューで顔を隠す。
かわいいなんて、そんなの。あんまり言われた事がないから慣れないじゃないの。
「かわいいよ、アーデ」
「やめてよ……」
「照れるなよ、アーデ」
嫌がらせなのと思うくらいしつこく呼んでくる。
けれどそれを嬉しいと思ってしまうのも、またわたくしの本心。
どうにかこうにか注文を決める。わたくしは紅茶とケーキのセット。リヒトは私と同じ紅茶だけ。
ケーキは良いのかと問えば、甘いものはなと苦笑する。
まぁ、食べないなんてもったいない。
しばらくすると、どれにしますかとケーキのサンプルが運ばれてくる。
わたくしはきらきらと宝石のように輝くベリーのタルトを選びました。
まず紅茶が運ばれてくる。厳密に言うと紅茶ではないのですけれど。
わたくしは北方の白茶を使ったフレーバードティーを選びました。白茶は新芽をそのまま乾かして作るお茶。
それに他の花の香りなどをうまく合わせたもの。
香りは、甘い中に少しスパイシーなものが混ざっていました。
「いつも飲んでいるものと違うな」
「それはオーソドックスなものですからね。たまには違うものも良いかと思って」
「それなら取り寄せればいい。好きにしていいんだぞ」
「そうしたいのですけれど、たくさんあるのでもったいなくて」
というのも。
わたくしが紅茶が好きというのがどなたかの耳に入り。産地から次々と献上されてきたのです。
中には珍しいものもあって確かに嬉しいものなのですが、こうしたものはなかなか。
それにツェリが増えすぎて困ると零したこともありますし。
「リヒトは一度、わたくしたちの給湯室を見てみると良いのよ」
「……確かに見た事はないな」
そこに並んでいる茶を見れば多いと思うでしょうから。
だからわたくしはツェリに言って、少しずつ侍女たちにも茶をわけているのですけれどなかなか減らない。
美味しいと思いながら飲んでいると次はケーキ。
きらきら輝くベリーのケーキにわたくしの頬も自然と緩んでしまいます。
一口食べればクリームの甘さとベリーの甘酸っぱさが程よくて。それにさくさくのタルト生地もわたくし好み。
それを食べる手は止まらなくなります。
そこでふと、リヒトからの視線に気付いて、居心地が悪くなってしまう。
ただ食べているだけのわたくしを見ているだけで嬉しそうなのですもの。
そんな顔、いつも食事の最中にしないくせに。
「にこにこしないでくださる?」
「どうして?」
「いつもはそんな顔しないのに……」
「そうか?」
「ええ。城での食事のときはにこにこしてませんわ。かといって不機嫌でもありませんけれど」
「ああ……楽しそうにみえるのならそれはここで、アーデが自然に、楽しそうに笑って食べているのが俺にとって好ましい事だからだな」
「もう……」
「アーデ、一口欲しい」
「え?」
「一つ食べるのは無理だが一口くらいは食べたい。くれないか?」
良いけれど、と皿をリヒトの方に寄せフォークを差し出す。
するとどうにも悲しそうな顔をされ、違うと言うのです。
「何が違うの」
「こういう時、一口欲しいと言えば食べさせてくれるものだろう?」
そ、それはつまりあーんというやつでは。
犬達と、かつてそれはしていましたけれど。それをわたくしが、リヒトに? ここで?
戸惑っていると、早くと言われる。
わたくしは唸りながら少しとって、リヒトの口元へそれを運びました。
少しばかり手が震えている。それに気付かれたかしら、大丈夫かしら。
わたくしが運んだものを食べてリヒトは美味いが甘いと笑います。
「やはり一口で十分だ。俺はアーデから分けてもらうだけで十分だ」
「そう」
「残りは俺が食べさせてやろうか?」
「け、結構よ。自分で食べれます」
「それは残念」
からかわれているのかしら。
残りのケーキを口に運ぶけれど味がよくわからないような気もする。
やだわ、本当に。
穏やかな時間すぎて、はらはらしてしまう。どきどきしてしまう。
ちらりと周囲を見れば、皆楽しそうにしている。わたくしがさきほどどきどきしていたあーんなんて、当たり前のようにしているのよ。
すごいわ、すごい。どうしてあんなに自然にできるのかしら。
普通の恋人同士ってこういう時間を重ねていくものなの?
わたくし、今そういう時間を得ているの?
かぁ、と頬が熱くなるような感覚。
恥ずかしいのに、幸せよ。こんな気持ちで過ごしたことなんて、今までないのよ。
犬達と一緒にいるのとは全然違うの。思えば、わたくし彼等意外の男性と一緒に過ごすというのは、なかったのではなくて?
リヒトを見ればやわらかな、穏やかな表情で茶を飲んでいる。
どきんと、心臓が跳ねるような。
ああ、これは――これは、恋と言って、いいのかしら。
これが恋というものなら大変ね。こんな、毎日こんな、複雑な、けれど幸せな気持ちで過ごすというの?
なんて幸せな、拷問かしら。
これを失ったらもう生きてはいけないような、そんなもの。
でもわたくしは、わたくしをそうさせる男と離れる事はないのだと思う。
だってリヒトは王太子で、わたくしは王太子妃。
簡単に、別れられるものではないのですから。
「アーデ、次はどこに行こうか」
「どこかに行きたいというのは、ないのだけれど……」
もっとあなたと街を一緒に歩きたいわ。
そう言うと、リヒトはじゃあそうしようかと言う。
わたくしは、もっとあなたと手を繋いでいたいし、告げたい言葉もあるのよ。
まだそれは言えないけれど。でも、少しでも感じ取ってくれたら嬉しい。
わたくしはあなたの好意にどう答えたらいいのか、まだ少しわからないの。
言葉で好きと言う。それだけで、足りるのかしら。どうしたら一番正しく、まっすぐにわたくしの想いを伝えられるかしら。
その答えを見つけたいから、一緒にいたいわ。
そんなある日、わたくしはリヒトに準備しろと言われました。
何が、と思っている間にツェリに服はこちらをと言われ。それは町娘のような服でした。
リヒトも簡素な格好で、そしていつもと違うのは。
「染めたの?」
「ああ。洗えばすぐに落ちるものだ」
きらきら綺麗な金髪が今は茶色。くすんだような色になっていました。
「わたくしは染めなくて良いの?」
「俺だけで良いだろう。俺の色は目立つからな」
「そうね、確かに」
茶色に染まった髪に触れる。
わたくしはやっぱり、金髪の方が好きね。
しばらく待っていてと服を変える。
外に出るのは抜け道を使って。
護衛はそれとなく、離れてついてくるそうです。
街にこうして、2人で出るのは初めて。
王太子と王太子妃だとばれないようにするために、ディートリヒとは呼ばない、アーデルハイトとは呼ばないとしました。
わたくしは、リヒトと呼べばいいだけ。するとリヒトはお前の事は何と呼べばと言うのです。
わたくしの名の愛称といえば、アーデしかぱっとでてこない。
それで困っていると、犬達が呼ばせて構わないと言ってくれました。ただし、今日だけど。
「念押しされたな」
「良いと言った事の方が、わたくしは驚きよ」
リヒトはわたくしへと向け楽しげに笑って、では今日は何度もその名を呼ぼうと言う。
「アーデ、行こう」
「ええ、リヒト」
アーデと呼ばれると、心躍る。犬達に呼ばれるのとはまた別の、特別な響き。
適当に目にとまったものに足を止め、笑い合う。
どちらともなく自然に手を繋いで、わたくし達は歩いていました。
「少し休憩するか? 流行りの店があると聞いている」
「流行り?」
「ああ、行けばわかる」
そう言って連れていかれたのは可愛らしい家。蔦の絡まるアーチに柔らかな日差しの入る庭。
そこで楽しそうに過ごしている方達は男女という組み合わせばかり。
あら、こ、これはもしや……恋人同士向けの場所、ということ?
「こういう場所は嫌か?」
「嫌ではないけれど……」
「皆も逢瀬を楽しんでいるのだから、こちらも気にすることは無い」
じゃあいいだろうと手を引かれて、中へ。
席に着けばメニューを持ってきてくれる。開けば、紅茶は国の色々な産地のものがつらつらと。
あら、これは……わたくし、ちょっと嬉しい。名は知っていても飲んだことは無いものがありますもの。
どれにしようかしら、と迷っていると、ふきだすように笑い零す音が聞こえて。
なぁにと顔を向ければ、楽しそうにしていると言われる。
「楽しそうにしてちゃだめなの? わたくしは紅茶が好きなのよ」
「知ってる。だからここにしたし……迷っている姿がかわいらしいと思って」
かわいらしい。
かわいらしい?
その言葉を何度か反芻して、わたくしは途端に照れてしまう。頬がかーっと熱を帯びるのを感じてそっとメニューで顔を隠す。
かわいいなんて、そんなの。あんまり言われた事がないから慣れないじゃないの。
「かわいいよ、アーデ」
「やめてよ……」
「照れるなよ、アーデ」
嫌がらせなのと思うくらいしつこく呼んでくる。
けれどそれを嬉しいと思ってしまうのも、またわたくしの本心。
どうにかこうにか注文を決める。わたくしは紅茶とケーキのセット。リヒトは私と同じ紅茶だけ。
ケーキは良いのかと問えば、甘いものはなと苦笑する。
まぁ、食べないなんてもったいない。
しばらくすると、どれにしますかとケーキのサンプルが運ばれてくる。
わたくしはきらきらと宝石のように輝くベリーのタルトを選びました。
まず紅茶が運ばれてくる。厳密に言うと紅茶ではないのですけれど。
わたくしは北方の白茶を使ったフレーバードティーを選びました。白茶は新芽をそのまま乾かして作るお茶。
それに他の花の香りなどをうまく合わせたもの。
香りは、甘い中に少しスパイシーなものが混ざっていました。
「いつも飲んでいるものと違うな」
「それはオーソドックスなものですからね。たまには違うものも良いかと思って」
「それなら取り寄せればいい。好きにしていいんだぞ」
「そうしたいのですけれど、たくさんあるのでもったいなくて」
というのも。
わたくしが紅茶が好きというのがどなたかの耳に入り。産地から次々と献上されてきたのです。
中には珍しいものもあって確かに嬉しいものなのですが、こうしたものはなかなか。
それにツェリが増えすぎて困ると零したこともありますし。
「リヒトは一度、わたくしたちの給湯室を見てみると良いのよ」
「……確かに見た事はないな」
そこに並んでいる茶を見れば多いと思うでしょうから。
だからわたくしはツェリに言って、少しずつ侍女たちにも茶をわけているのですけれどなかなか減らない。
美味しいと思いながら飲んでいると次はケーキ。
きらきら輝くベリーのケーキにわたくしの頬も自然と緩んでしまいます。
一口食べればクリームの甘さとベリーの甘酸っぱさが程よくて。それにさくさくのタルト生地もわたくし好み。
それを食べる手は止まらなくなります。
そこでふと、リヒトからの視線に気付いて、居心地が悪くなってしまう。
ただ食べているだけのわたくしを見ているだけで嬉しそうなのですもの。
そんな顔、いつも食事の最中にしないくせに。
「にこにこしないでくださる?」
「どうして?」
「いつもはそんな顔しないのに……」
「そうか?」
「ええ。城での食事のときはにこにこしてませんわ。かといって不機嫌でもありませんけれど」
「ああ……楽しそうにみえるのならそれはここで、アーデが自然に、楽しそうに笑って食べているのが俺にとって好ましい事だからだな」
「もう……」
「アーデ、一口欲しい」
「え?」
「一つ食べるのは無理だが一口くらいは食べたい。くれないか?」
良いけれど、と皿をリヒトの方に寄せフォークを差し出す。
するとどうにも悲しそうな顔をされ、違うと言うのです。
「何が違うの」
「こういう時、一口欲しいと言えば食べさせてくれるものだろう?」
そ、それはつまりあーんというやつでは。
犬達と、かつてそれはしていましたけれど。それをわたくしが、リヒトに? ここで?
戸惑っていると、早くと言われる。
わたくしは唸りながら少しとって、リヒトの口元へそれを運びました。
少しばかり手が震えている。それに気付かれたかしら、大丈夫かしら。
わたくしが運んだものを食べてリヒトは美味いが甘いと笑います。
「やはり一口で十分だ。俺はアーデから分けてもらうだけで十分だ」
「そう」
「残りは俺が食べさせてやろうか?」
「け、結構よ。自分で食べれます」
「それは残念」
からかわれているのかしら。
残りのケーキを口に運ぶけれど味がよくわからないような気もする。
やだわ、本当に。
穏やかな時間すぎて、はらはらしてしまう。どきどきしてしまう。
ちらりと周囲を見れば、皆楽しそうにしている。わたくしがさきほどどきどきしていたあーんなんて、当たり前のようにしているのよ。
すごいわ、すごい。どうしてあんなに自然にできるのかしら。
普通の恋人同士ってこういう時間を重ねていくものなの?
わたくし、今そういう時間を得ているの?
かぁ、と頬が熱くなるような感覚。
恥ずかしいのに、幸せよ。こんな気持ちで過ごしたことなんて、今までないのよ。
犬達と一緒にいるのとは全然違うの。思えば、わたくし彼等意外の男性と一緒に過ごすというのは、なかったのではなくて?
リヒトを見ればやわらかな、穏やかな表情で茶を飲んでいる。
どきんと、心臓が跳ねるような。
ああ、これは――これは、恋と言って、いいのかしら。
これが恋というものなら大変ね。こんな、毎日こんな、複雑な、けれど幸せな気持ちで過ごすというの?
なんて幸せな、拷問かしら。
これを失ったらもう生きてはいけないような、そんなもの。
でもわたくしは、わたくしをそうさせる男と離れる事はないのだと思う。
だってリヒトは王太子で、わたくしは王太子妃。
簡単に、別れられるものではないのですから。
「アーデ、次はどこに行こうか」
「どこかに行きたいというのは、ないのだけれど……」
もっとあなたと街を一緒に歩きたいわ。
そう言うと、リヒトはじゃあそうしようかと言う。
わたくしは、もっとあなたと手を繋いでいたいし、告げたい言葉もあるのよ。
まだそれは言えないけれど。でも、少しでも感じ取ってくれたら嬉しい。
わたくしはあなたの好意にどう答えたらいいのか、まだ少しわからないの。
言葉で好きと言う。それだけで、足りるのかしら。どうしたら一番正しく、まっすぐにわたくしの想いを伝えられるかしら。
その答えを見つけたいから、一緒にいたいわ。
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