夢幻の終焉

入江瑞溥

文字の大きさ
18 / 32
氷上の煌めき

踏み出す一歩

しおりを挟む
 リルガースへ、レベッカは毎年欠かさず花を手向たむけにおもむくのだという。
命日めいにちに来られるのが、一番いのだがな……」
 そう言って。かなしそうな、つらそうな……はかない笑みを、ほんのかすか、ただよわせた。
 河川かせんと陸路を利用すること半月はんつきと数日。母国ロディック王国を含めた三国の国境をなす山並の中に最初の目的地はあった。
 雪に埋もれてしまっているというのに、レベッカは迷うことなくある一点を目指す。
 二人のかけがえのない友が眠るという場所。静謐せいひつのみが横たわるその空間は、きらめきによって、ただ、美しく輝いていた。
 フィオナもまた、レベッカとホースケにならって祈りを捧げていたのだが、ふと顔を上げた。視線のようなものを感じたのだ。
「オ、オカ……ミ?」
 振り向いたフィオナは、反射的に後退あとじさる。
 輝くような真白ましろのきれいな毛並みと黄金こがねの瞳。姿形はおおかみに違いないのに、どうしてか、それを狼と形容することに、ためらいがあった。魔物と似ているけれども、異なる。もっと、そう……馴染なじみのある、彼女にとってはれたくないむべき力に近いものが、この狼にからみついているような、そんな感じだった。
「安心せよ」剣を抜き、厳しい表情で彼女を隠すようにはだかったレベッカに、じっと座したまま魔狼まろうが語りかける。「我がそなた達と対したのは契約者のめいによるもの。の者亡き今、我がそなたと関する意味などない。そも、戦うことも出来ぬ」
 フィオナの方に視線をやり、
「我が守護するくびきわされし領域にゆかしき気配がまぎれ込んだゆえ、足を運んだまで」
「……マリーの魔法で消滅したのは、見せ掛けだったと言う事か」
 眉をひそめ、レベッカ。
「いいや。光の神滴かみのしずくの魔法で我は確かにほろんだ。だがこの軛から解放されぬ限り、いかなる力であれ我が滅される事は、無い。……今回は少々、再生に時間を要したようだが」
 皮肉ひにくげに顔をゆがめ、答える。そこには、怒りと諦念ていねんの響きが混在していた。
 白狼はくろうが背を向ける。
「……とされしじゅもちい契約の欠片かけらを捧げた事で、弱まりつつあった封印に決定的なほころびがしょうじた。アレはぬしの事を捜しているはずだ。心して置くのだな、闇の神滴よ」
「どういう意味だ」
 去りかけた狼を引き留め、問う。
「忘れたか?王家のごうを背負う者よ。それとも、故意に伝承しなかったか……。まあ、い。いずれにせよ、知らぬというなら、それもまたさいわいであろう」
 言葉を残して、守護獣しゅごじゅう木立こだちの暗がりへと姿を消した。


 旅そのものは初めてではない。跡継あとつぎとしての経験を積むために、父の仕事に何度かれられたことがあるからだ。それでも、これを生業なりわいとするレベッカと比べれば歩みは遅れがちで、加減をして進んでくれているようだった。
 今後について、レベッカからは特に催促はない。その上、フィオナが望む場所があるのならば、その希望を叶えるとまで言ってくれていた。
 当面はレベッカがかりにならざるを得ないが、それなりの資金を持って来たとはいえ限りがあるし、仕事を手伝えるわけでもない。どころか、足手あしでまといだ。事実、彼女はフィオナのことをおもんぱかって、受ける仕事をだいぶ絞っている様子だった。
 このままずるずると厚意こういに甘えるのは、しょうに合わない。早いところ、身の振り方を考える必要があった。
 旅路たびじはさらに南へ。
 次に向かうのは、あの美しいリルガースを越えた先。レベッカの故郷。そこには、彼女の義妹いもうとが眠っているのだという。偶然にも、そう遠くないところにはフィオナにとって大切な人が暮らしているだろう村もあるはずだった。
 彼は、元気でやっているだろうか。
 会えるものなら会いたい。詳しい場所を知らないことがやまれた。
(けど、会えたとしても――)
 軽くかぶりを振って、甘えを断ち切る。
 このまま二度と顔を会わさない方が良いのだ。もう終わってしまったことなのだから。
 あの不可思議なおおかみと出会った山からおよそ二月ふたつき
 ラシーバという山村に入ったのは、いまの明けやらぬ頃のことだった。いつもであれば素通すどおりしてしまうところなのだが、ここを過ぎるともう宿がないため、今日はこれ以上は進まないとのことだった。
 故郷ではもう春の到来を聞き始める時期のはずだが、ここら辺りにはまだまだそんな気配はない。寒いのは苦手ではないが、好きでもない。それならば一刻も早く暖まりたいと、宿の場所を聞いてフィオナはとっとと駆け込む。その彼女を、思いがけぬ声が出迎えた。余りに出来すぎていて、都合のいい幻聴かと疑ってしまう。
「うそ……!」意を決して、見やった先。「トム⁉」
 彼女の、大切な人。
 おさななじみであり、兄のようだった人。
 そして……
 一年前までは婚約者だった。
「フィオナ?」
 がれていた再会に破顔はがんしたのもつかの間。たちまちの内に表情をくもらせてしまった
彼女を、幼なじみが不思議そうに覗き込んだ。
「ごめんなさい」
 謝罪は、しかし、さらに疑問を深めただけのようだった。
 フィオナは言葉を継ぐ。
「父さんが、やったこと」
 トムは兄に代わって家業を継ぐことを期待されたフィオナの支えとなるべく、父に見込まれ11歳の時にマクラオドの家にやって来て、しかるべく教育を受けていた。だが、ヒネスから婚約の申し入れがあると、父は領主家りょうしゅけとのつながり欲しさに、先約を反古ほごにしてしまったのだ。
「ああ、そのこと」愁眉しゅうびを開くと、トムは安心させるようにふわりと笑んだ。「良いんだ。確かに君のことは好きだったし、やり切れなさは有るけれど。でも、ヨセフスさんの決断は理にかなっているし、それにね、フィオナ。僕は僕を拾ってくれたヨセフスさんに恩を感じているんだ。マクラオドの家で過ごせた九年間で身に付けさせて貰ったことはすごく助けになっているし、何より、ヨセフスさんもマリアンナさんも僕を一人の人間として扱ってくれた。感謝してもし足りないくらいだよ。だから、僕が身を退くことでマクラオドの家に少しでも貢献できたなら、嬉しいと思ってる」
「トム…………ありがとう」
 言葉にならないごちゃ混ぜの想いがあふれて、胸が一杯になる。
 そんな彼女の頭に、トムがぽんぽんと軽く手を乗せた――小さい頃、よくそうしてくれたように。おもはゆかったが、嬉しくもあった。トムが変わらず接してくれて。
「それで、フィオナ。どうしてこんな所に?」
 ヒネスと結婚したはずの彼女がここにいる。つねならぬ事情があったことは感じていたのだろう。問いかけには、案じる響きがあった。
 かれて当然のことだった。分かっていた。けれど、それに対する答えは用意できていなかった。
 なんと言えば良いというのか。彼もまた、被害者だというのに。
 話すことをこばめば、きっと彼はそれ以上れずにいてくれただろう。そうすべきだったのだ。
 なのに、気付けば。涙と共に言葉がせきを切って溢れ出していた。
つらかったね、フィオナ」
 トムは、ただ、そう、優しくささやいて。
 そっと包容ほうようされる。
「……もし君さえ良ければ、一緒に来ないかい?僕の村でゆっくりと、どうしたいのか考えたら良い」
 心が、揺れた。
 そんな選択肢があっても良いのではないか、と。
 そんな彼女の背中を押すように、トムが言葉を重ねる。
「君には、いや、君だからこそ見て欲しいんだ。僕の故郷を」
「……うん。そうよね……」
 無意識の内に唇を引き結んで。フィオナはうなずく。
「わたしも同行るが、かまわ無いな?」
 ホースケと共に二人のやりとりを距離を置いて見守っていたレベッカが、にわかに口を挟んだ。その有無うむを言わさぬ響きに、フィオナはとまどう。トムと行くことを選ぶということは、つまり、レベッカと別れるということなのだと思っていた。フィオナの身の危険が去ったのか懸念けねんしているのかもしれなかったが――なぎの静けさをたたえたおもてからは、いつものように、何も読み取ることはできなかった。


 冬のつねで、日は昇ったと思ったらまたたく間にその姿を隠してしまう。まして山間やまあいとなれば、よけいに早く感じられた。しかし、もうすぐ村に着くから、とトムはこのまま進むつもりのようだった。
 木々の合間にチラチラと揺れる灯火に気付いたのは、そんな会話をわしていた最中さなか
 身構えて、フィオナは足を止める。
 あらわれたのは数人の男。
 武装はしているが、どうやら村人らしい。
「ああ、やっぱりトムだったか」
 魔法の明かりで照らされた一行の中になじみの顔を見いだして、村人はほっと肩の力を抜いた。
 だが、すぐに怪訝けげんの色が浮かぶ。
 無理もない。
「こちらは僕の婚約者だったフィオナさんと、おれのレベッカさん。偶然ラシーバで再会しまして、折角せっかくだから故郷を見てもらおうかと」
「そうでしたか。トムが大変お世話になったそうで。同郷の者として礼を申します」愛想よく会釈えしゃくをする。「フィオナさん、あなたのような方でしたら大歓迎です」
「そうだ。村長に知らせて来てくれませんか。僕らはゆっくり行くから」
 トムの提案に軽くうなずくと、村人達は小走りに去っていった。


 想像していた以上の惨状に、言葉を失った。
 トムの故郷、ノール村はまさに寒村かんそんという概念をそのまま具現化したような集落だった。
 見るからに痩せた土地。建ち並ぶ家々も村民の暮らしぶりも、まるで文明から取り残されたまま時間が止まってしまったかのようだった。そこここに固まっている雪のかたまりが、この光景に一層の寒々しさを与えている。
 このような状態で冬を越すのは、どんなにか辛苦しんくをともなうだろう。
 それでも、乗り切るしかないのだ。生きるためには。
 なぜならここは、無恵者イレ=ラーバティがほそぼそとその身を寄せ合う場。世界から見捨てられた人々の地なのだから……。
 今、はっきりと実感を持った。
 混血ラーバ=トグシジャのための世で、貧民窟ひんみんくつに生きるか、孤立した集落に身を寄せ合うか。イレ=ラーバティに与えられる、二つに一つの選択肢。そのどちらも、希望などないのだと。
 けれど意外なことに、村長も他の村人も温かく二人と一を迎えてくれた。客人など負担でしかないだろうに、気の済むまで滞在していいと村外れにある一軒家けんやまで用意してくれたのだ。もったいないぐらいの厚遇こうぐうだった。
 だというのに――
「嫌な雰囲気だな」
 きしみあげる寝台しんだいに落ち着いたレベッカが、ポツリと漏らした。肩の鳥まで、同意を示すように鳴く。
ういう所は経験上、ろくな事が起こら無い。頃合いを見計みはからって、出るぞ」
「よくそんな事が言えるわね。レベッカも、やっぱりおんなじね」
 心が、スッと冷えた。
 声音こわねに失望の響きがにじむ。
「恵まれてる人には分からないのよ。魔法を使えないことが、この世の中をどれだけ生きづらくするかを」
う言う事を言って居るのでは無い」さとすように、レベッカ。「御前おまえは――然う、例えばトムの言動で気に成る所は無かったのか」
 即座に否定できなかったのは、思い当たるふしがあったからだ。
 ラシーバで、再会したおり
 親愛の情の中に、ほんのかすか、拒絶が見えはしなかったか。
(ううん、違う。トムに限って、そんな――)
 認められない。
 認められるわけがなかった。
「……イイわ」グッと、同伴者を挑戦的に見すえる。「レベッカのつまらないカンなんて、ぜっっったいに杞憂きゆうなんだってことが証明されるだけなんだから‼」


 夕食ゆうげの席が整ったことを幼なじみがげに来た時、フィオナは眠った振りをしていた。
 から離れて、この底冷えのする環境下で上手く芝居なんかできっこないと思っていたのだが、外套がいとうをはおったまま備え付けの毛布もうふを敷き布団ぶとん代わりにして携帯していた毛布をすっぽり被っていたら、なんとかやり通せそうな温度になっていた。
 同伴者はフィオナの疲労をだしに、また、自身も食が進まないからと誘いを退しりぞけた。トムは残念そうではあったが執拗しつように食い下がるようなことはせず、あっさりと引き下がっていった。
 ホッとして起きだそうとした彼女を、レベッカが制止する。
 はたして、しばらくすると疲れに効くという薬をたずさえてトムが戻って来た。
 変わらず優しいトム。そんな彼を信じきれないことに、胸が痛んだ。
 フィオナは無言の内に荷をまとめ、レベッカは軽装からいつもの重たそうな旅装へ。
 息をひそめて、時を待つ。
 夜がけていくのと比例して、どこかピリピリとした刺すような空気が増してくるように感じられる。
 
 気のせいだ。
 深用心ふかようじんの同伴者のせいで過敏になっているだけ。
 
 そう、思いたかった。
 抜け出したのは夜更よふけよりやや手前。
 いくらも行かない内に、急に辺りが明るくなった。
 火の手が上がったのだ。つい先刻まで、彼女たちが居た家から。
(なんで)
 想いは、千々ちぢに乱れる。
(なんで、トムまで――)
 こんなの、悪い夢であってほしかった。
 
 何のために。

 何のために、逃げているのだろう。
 
 ともすれば止まってしまいそうになる足を、かろうじてこびりついていた理性が叱咤しったする。   
 甲高かんだかい笛の音が、響き渡った。
 それなりの距離は稼げていたはずなのだが、やはり土地かん有無うむの差か。背後には、殺気立さっきだった追っ手達があっという間に迫って来ていた。
(トムは――)
 淡い可能性にすがって。つい捜してしまった視線にとらえることがなかったことに、安堵あんどする。
(そうよ、トムだけは違うカモしれないじゃない)
 それは、詮無い欺瞞ぎまんでしかなくとも。
 
 信じたい。
 
 信じられない。
 
 揺れる気持ちに苦しむ。
「先に行け」
 やや先行していたレベッカが、マントをひるがえらせて反転した。
 並んで飛翔ひしょうしていたホースケがつと離れ、高みへと昇っていく。
う成ったら迎えつしか無い。御前おまえには……見せたく無い」
 そこに含まれる剣呑けんのんさに、息が詰まる。
 けれどもおのれの無力さと、止めることの無責任さを悟って。
 うなずく代わりに蔽目へいもくして、駆け出した。
 泣きたいのか、おこりたいのか。
 悲しむべきか、喜ぶべきか。
 叫ぶ?
 笑う?
 感情なんて、もうグチャグチャだった。
 とめどなくあふれるものを引きずったまま。意味も分からず、走って。走って。
 真っ暗な森の中をやみくもに辿ってきた道は、気付けば登りになっていた。
 これ以上駆け続けることが出来なくなって、フィオナはとうとう足を止める。
 喧噪けんそうは、遠い。
 前かがみになって荒い呼吸と格闘しながら、汗をぬぐう。
 のどが焼けるようだった。せめて、一口だけでも水を――
 水筒すいとうにかけた手は、その用をなし得なかった。
 唐突に、全身を揺さぶられるような衝撃に見舞われたのだ。
 
 何が起こったのか。
 
 うつったのは、空。
 星々ほしぼしと満ちた月が澄みきった空に皓々こうこうと輝いていて、憎らしいほどに、明るい夜空だった。
 地面に激しくぶつけた肩が痛む。
 
 そうだ。
 打ち倒されたのだ。
 横手から飛び出してきて、今彼女に覆い被さっている…………
 
 血の、臭いがした。
 なま暖かいものが服に染み込んでくる。
 意志の力を総動員して手を持ち上げる。
 べっとりとれたそれは、無情な月光げっこうまぎれもなく赤なのだとあばかれてしまっていた。
「トム……?」
 恐る恐る絞り出されたことの葉は、震える唇で口にされた名は、消え入りそうなほどささやかで。
 反応は、ない。
 そのことに、かえって力を与えられて、機敏な動きでぐったりとした身体からだの下からいだす。
 何度も何度も、必死におさななじみに呼びかけた。そのことが功を奏したのか。
 彼のまぶたが、小さく震えた。
 うっすらとひとみが開かれる。
「ああ、……フィオナ」
 濁った、声だった。
 不吉なせきと共に、赤黒いものが唇から漏れいでる。
人間イレ=ラーバティ盟主めいしゅうたう彼らは、ク=ラデスと名乗った」
 唐突な語りだしだった。
 けれど何か強い意思の響きを感じて、ただすことに時間を費やしてしまうようなことはせず、代わりに、一言一句ものがすまいと耳を傾ける。
「ダカンジ共和国の、ニモタータの首長しゅちょう」あえいで空気を求めながら、トムは早口にまくしたてる。「君は……狙われている。計画がってしまえば逃げるのも難しくなるだろう。あらがう意志が有るのならば、行け!そいつは恐らく、核心かくしんに近い」

 震える指先が、いつくしむようにそっと、彼女にれる。

世界ラーバ=トグシジャは、憎い。でも、僕は……君に生きていて欲しいんだ」
「トム…………?トム‼」
 知ってしまったのか。だから、トムは――。
 まだぬくもりを宿す手を握りしめて嗚咽おえつする。
 その肩を、何者かが強くつかんだ。
「時間は稼いだが、長くは持た無い。ぐに追いつかれる。立てるか?フィオナ」
 レベッカだ。いつの間に追いついてきていたのか。
 弱々しくうなずくと、フィオナは立ち上がる。
 だが、走り抜けた先は到底飛び降りることなど不可能ながけでしかなかった。もはや、はっきりと声が届くほどに、灯火の群れは接近してきている。二人のすぐそばの地面に、いく本か矢が突きたった。
 ここまでなのか。
 くずおれそうになるフィオナの手を、レベッカが強く引いた。
「行くぞ」
「行くぞって――ぇえええええ⁉」
 意図を察するより早く踏み出され、なすがまま。浮遊感に包まれてようやく、抗議の悲鳴を発する。こちらは突き上げてくるこの名状めいじょうしがたい気持ち悪さといきなり戦わされていっぱいいっぱいだというのに、当の元凶げんきょうは涼しい顔で、もの凄い速度で魔法を形成なんかしている。人間離れした離れわざが、感嘆を通り越していっそうらめしい。
 木々のいただきが、もう間近。
 紙一重かみひとえの間で、ふわりと風が体を覆う。
 レベッカがび出した、ついぞ見たことも聞いたこともないような空飛ぶ黄褐色おうかっしょくの巨大なけもの、いや、鳥?ともかくヘンテコな生き物の背に軟着陸を果す。本来一人乗りなのだろう。詰めに詰めて、それでもギリギリだった。
 怪鳥かいちょうの毛並みは、いかめしい見てくれとは裏腹に意外と触り心地ごこちが良い。市場しじょうに出したら高値で取引されるに違いない。もっとも、商売として実現するにはとんでもなく高い代償を乗り越えなければならないだろう。割には合いそうにない。
 巨鳥きょちょうは、濃霧のうむに覆われつつある森の中から手頃な場所を目ざとく見いだし、旋回するように緩やかに地に降り立つ。
 落ち着いたところで、悠々ゆうゆうと舞い降りてきたホースケがいつもの定位置へと収まった。


「わたし、兄を殺したの」
 村からは大分だいぶ離れたものの、いまだ安全とは言い切れない。それでも、差し迫った脅威から遠ざかったことで、張り詰めていたものが緩んだのか。こみあげてくる激情のまま涙を流し、泣いて、泣いて、泣き疲れて眠った後に。フィオナはポツリと漏らした。
「幼いころに、魔法で。それ以来ずっと、わたしは魔法を使うコトが、ううん、自分自身が、恐かった……」
 
 閉ざされた扉。
 
 届かない手。
 
 焚火たきびを視界から閉め出すように、夜闇よやみにあってなおきららかな青翠せいすいの瞳をギュッとつむる。
 はぜる炎はいつだって、突きつけるようにこののろわしい力を意識させた。
「イレ=ラーバティとして生きるよう決めたのは父さんたちだけど、わたしもそれでイイって思った。ホッとしたの。これで、こんな力なんか捨て去って生きられるって。けど」
 確かめるように。
 気持ちを、すくい取るように。
 彼女にしてはゆったりとした速度で、言葉をつむいでゆく。
「わたしの大切な人が二人も、命をけてわたしを守ってくれた。わたしは、それにこたえたい。だから、わたしと契約して、レベッカ。魔法を、教えて欲しいの。危険に見合う対価を、今は払うことができないけど。いつか必ず返すから。いざとなったら逃げていいから。……ひどい条件だっていうのは、分かってる。でも、レベッカしかいないの」
 静かな、しかしながら、ひたむきな意志をこめた訴えを同伴者は確かに受け止め、そして、首を振った。
の必要は無い。御前おまえを狙っているやからは、わたしの故郷を滅ぼした連中と同じか、少なくとも、繋がって居る可能性が有る。命を狙われて居ると言う点では同じだ。詰まり、わたし達は同志。対価は不要だ」
 言い切ると、レベッカは荷袋の中から慎重な手つきで何かを取り出した。
れを」
 いぶかしみつつ、受け取る。
 本と腕輪だった。とてつもなく繊細せんさいで綺麗に作られた逸品いっぴんだ。一体どのような名人の手になるものなのか。途方もない手間と労力がかかったことだろう。これらどちらかでも、おいそれとは手を出せないような値打ち物とみえた。そして、そよ吹く風のようにほんのささやか、自分と同じ力を感じる
「今は亡きリネス王家の魔法書まほうしょだ。御前には、並外れた光魔法ひかりまほうの素養が有る。実地じっちの事はわたしが教えるとて、此れも利用ると良い。腕輪の方には魔力の流れを調節する働きが有る。力の制御に役立つだろう」
「これは……とても大切な物じゃないの?」
かまわ無い。其れが、彼女の遺志いしだ」
 光をかしてあやなる光彩こうさいを放つ腕輪に、フィオナはそっとれる。
「なんでだろう……。この腕輪からは穏やかな、やさしい気持ちが伝わってくる気がするの。きっと、とても温かい人だったのね……」
 レベッカが黒瞳こくどうを見開く。
 それから、かそけき笑みで言った。
嗚呼ああ、本当に……」
 と。


 ダカンジ共和国は北方ほっぽうのアーレイズラシル大陸にある。船を使わなければならない。追われている身で、どの港を選択するべきか。とても大きな問題だった。
 西部ノルト=ロヴァールで最も頻繁にアーレイズラシルへの便が出ているのはソークシニヨンだが、これはもちろん論外だ。次点じてんはグリケノックのロミューバルだが、あの国はウィリアムスとかいう人物が起こした反乱――レベッカに言わせれば維新いしんだが――による動乱の最中さなか。港も封鎖されていて、出港のめども立たない。後はどこも一長一短。
 そこでレベッカがしたのが、大陸最南端の港、ヒャルリ王国のトーを使うという案だった。あそこは夏季のみの運航で、今から向かうとおそらくやや早い。けれど、だからこそ追っ手にアーレイズラシル行きを悟られたとしても、裏をかける余地がある。あの国には街道がなく、足取りをくらませやすいというのも大きかった。
 広く各国の枢要すうよう部と関わりを持っているらしい追跡者をくために、必要最小限の足跡そくせきで済むよう、慎重な経路選択が重ねられた。すみやかさを優先させた場合もあるので万全とは言い難いが、最低限、時間稼ぎさえ出来ればとの割り切りだった。
 苦心のかいあってかトーに至るまで襲撃に遭うようなことはなく、出港までひと月超。いつ追いつかれるかという緊張はいつでも多少はつきまとっていたものの、久方ひさかたぶりの休息をフィオナは満喫していた。
「キレイ……!」
 広がった情景に心洗われ、感嘆する。
 長期にわたる滞在の合間あいま。さっぱり実感できなかったが、こよみの上では南国の遅い春のきざしが僅かながらあらわれようかという頃。ぜひ見せたい絶景がある、と朝もまだ明けやらぬ内に民宿みんしゅくの主人、モスコウイッツにレベッカと二人――ホースケは寒さに縮こまって、頑として外に出たがらなかったのだ――、街外れの氷原ひょうげんまでれ出され。
 屋内は普段着でも快適に過ごせるほど暖かいが、一歩外に出ればこの時期でもなお、後悔するような寒さだ。平然とした様子のレベッカとモスコウイッツに心中しんちゅう悪態あくたいをつきながら、時を待った。
 その時。
 地平の彼方かなたから太陽が顔をのぞかせ、明けの影が照らした瞬間。
 世界が、変わった。
(光が、舞ってる……)
 まるで、氷そのものが光を発しているみたいな…………。
 辺り一面、輝きのただ中にある。
 こんなにも明るいのに、目を射貫いぬくような強さではない。包み込むように柔らかかった。
氷上ひょうじょうきらめき」モスコウイッツが語る。「そう呼ぶんだ、コイツをな。夏のおとずれの先触さきぶれみたいに見せる、とっときの表情。けどそんなのは上辺うわべだけで夏はまだ来ないし、光の下にはあいも変わらず凍りついた、人をこばむ大地しかない。そっから転じて、ここらじゃ見せかけだけの問題解決をこう言ったりするんだがな」
「氷上の、煌めき」
 かみしめるように繰り返して、再び見やる。
 そうしてみると、それはまた違ったふううつった。
 あふれる光輝こうきほおよぎてついた風とを。フィオナはまっすぐに見つめ続けた。

 
 そのことが話題にのぼったのは、出港しゅっこう予定日まで三週間を切った頃。夕餉ゆうげの席のことであった。
「そういやあ、隣町のヤツから聞いたんだが」
 アザラシの肉が入った絶品のスープをすすりながら、モスコウイッツが何気なにげないふうに切り出す。
 他に宿泊しゅくはく客はない。ために、家族の団らんに二人と一が加わっているというていで、フィオナはこの暖かな食事の時間が大好きだった。
「どうもあんたがたを捜してるらしい人がいるみたいだな。心当たり、あるかい?もしアレなら、連絡つけとくが」
 思い当たるふしはもちろんあった。悪い方向で。
 レベッカとホースケは別段特別な反応を示さなかったが、フィオナはわずかに緊張が走ったのを自分でも感じた。
「そうかい」
 旅の事情については話していないが、察するところはあったのだろう。得心とくしんしたようにうなずく。
「じゃあ、そうと伝えておくよ。ついでに出港を早めてもらえるよう、かけ合ってみよう」
 このちょっとした隠蔽いんぺいが意外にも力を発揮したらしい。
 チラついた影にとららわれることなく、出港の日はおとずれた。といっても、それをしらされたのは当日の早朝だったのだが。
 ギリギリ氷山ひょうざん地帯を抜けられなくもない海況かいきょうだと、船長が判断を下したのだという。さらに、彼女たちが乗り込む船は、アーレイズラシル大陸直通の特別便だった。
 見送りにきてくれたモスコウイッツ一家に幾重いくえにも礼を重ねて、氷山の影に消えてしまうまでフィオナは手を振り続けた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【魔女ローゼマリー伝説】~5歳で存在を忘れられた元王女の私だけど、自称美少女天才魔女として世界を救うために冒険したいと思います!~

ハムえっぐ
ファンタジー
かつて魔族が降臨し、7人の英雄によって平和がもたらされた大陸。その一国、ベルガー王国で物語は始まる。 王国の第一王女ローゼマリーは、5歳の誕生日の夜、幸せな時間のさなかに王宮を襲撃され、目の前で両親である国王夫妻を「漆黒の剣を持つ謎の黒髪の女」に殺害される。母が最後の力で放った転移魔法と「魔女ディルを頼れ」という遺言によりローゼマリーは辛くも死地を脱した。 15歳になったローゼは師ディルと別れ、両親の仇である黒髪の女を探し出すため、そして悪政により荒廃しつつある祖国の現状を確かめるため旅立つ。 国境の街ビオレールで冒険者として活動を始めたローゼは、運命的な出会いを果たす。因縁の仇と同じ黒髪と漆黒の剣を持つ少年傭兵リョウ。自由奔放で可愛いが、何か秘密を抱えていそうなエルフの美少女ベレニス。クセの強い仲間たちと共にローゼの新たな人生が動き出す。 これは王女の身分を失った最強天才魔女ローゼが、復讐の誓いを胸に仲間たちとの絆を育みながら、王国の闇や自らの運命に立ち向かう物語。友情、復讐、恋愛、魔法、剣戟、謀略が織りなす、ダークファンタジー英雄譚が、今、幕を開ける。  

あなたの片想いを聞いてしまった夜

柴田はつみ
恋愛
「『好きな人がいる』——その一言で、私の世界は音を失った。」 公爵令嬢リリアーヌの初恋は、隣家の若き公爵アレクシスだった。 政務や領地行事で顔を合わせるたび、言葉少なな彼の沈黙さえ、彼女には優しさに聞こえた。——毎日会える。それだけで十分幸せだと信じていた。 しかしある日、回廊の陰で聞いてしまう。 「好きな人がいる。……片想いなんだ」 名前は出ない。だから、リリアーヌの胸は残酷に結論を作る。自分ではないのだ、と。

大ッ嫌いな英雄様達に告ぐ

鮭とば
ファンタジー
剣があって、魔法があって、けれども機械はない世界。妖魔族、俗に言う魔族と人間族の、原因は最早誰にもわからない、終わらない小競り合いに、いつからあらわれたのかは皆わからないが、一旦の終止符をねじ込んだ聖女様と、それを守る5人の英雄様。 それが約50年前。 聖女様はそれから2回代替わりをし、数年前に3回目の代替わりをしたばかりで、英雄様は数え切れないぐらい替わってる。 英雄の座は常に5つで、基本的にどこから英雄を選ぶかは決まってる。 俺は、なんとしても、聖女様のすぐ隣に居たい。 でも…英雄は5人もいらないな。

【完結】花咲く手には、秘密がある 〜エルバの手と森の記憶〜

ソニエッタ
ファンタジー
森のはずれで花屋を営むオルガ。 草花を咲かせる不思議な力《エルバの手》を使い、今日ものんびり畑をたがやす。 そんな彼女のもとに、ある日突然やってきた帝国騎士団。 「皇子が呪いにかけられた。魔法が効かない」 は? それ、なんでウチに言いに来る? 天然で楽天的、敬語が使えない花屋の娘が、“咲かせる力”で事件を解決していく ―異世界・草花ファンタジー

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

【完結】異世界で魔道具チートでのんびり商売生活

シマセイ
ファンタジー
大学生・誠也は工事現場の穴に落ちて異世界へ。 物体に魔力を付与できるチートスキルを見つけ、 能力を隠しつつ魔道具を作って商業ギルドで商売開始。 のんびりスローライフを目指す毎日が幕を開ける!

春の雨はあたたかいー家出JKがオッサンの嫁になって女子大生になるまでのお話

登夢
恋愛
春の雨の夜に出会った訳あり家出JKと真面目な独身サラリーマンの1年間の同居生活を綴ったラブストーリーです。私は家出JKで春の雨の日の夜に駅前にいたところオッサンに拾われて家に連れ帰ってもらった。家出の訳を聞いたオッサンは、自分と同じに境遇に同情して私を同居させてくれた。同居の代わりに私は家事を引き受けることにしたが、真面目なオッサンは私を抱こうとしなかった。18歳になったときオッサンにプロポーズされる。

まず、後宮に入れませんっ! ~悪役令嬢として他の国に嫁がされましたが、何故か荷物から勇者の剣が出てきたので、魔王を倒しに行くことになりました

菱沼あゆ
ファンタジー
 妹の婚約者を狙う悪女だと罵られ、国を追い出された王女フェリシア。  残忍で好色だと評判のトレラント王のもとに嫁ぐことになるが。  何故か、輿入れの荷物の中には、勇者の剣が入っていた。  後宮にも入れず、魔王を倒しに行くことになったフェリシアは――。 (小説家になろうでも掲載しています)

処理中です...