夢幻の終焉

入江瑞溥

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氷上の煌めき

内なる対面

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 ロヴァール大陸は、今頃夏を満喫しているのだろうか。
 船を降りて。フィオナははるか南、故郷の大陸に思いをはせる。
 アーレイズラシル大陸もこの辺りになると、季節は真逆。せっかく冬から逃れたというのに、また冬に逆戻りであった。とはいえさすが砂漠の国だけあって、ヒャルリ王国の、あの言語に絶する凄絶せいぜつな寒さに比べれば、まるで天国のような暖かさだった
 ここ、ダカンジ共和国の国際貿易港ディナージからニモタータに行く最も簡便で迅速な方法は、海路を用いることだ。しかし間の悪いことに、西方航路は海賊掃討のため規制中なのだという。再開時期は不明。狙われているこの状況下で一所ひとところに留まりたくないという事情もあり、彼女たちはやむなく砂漠越えを決断した。
 とはいえ、二人と一では心許こころもとない。砂漠越えの経験自体はあるので、準備については及第点きゅうだいてんを貰える程度の支度したくはできるだろう。問題は、道程どうてい。どの道が最適なのか、あるいは、危険なのか。単にコンパスと地図を手にしているだけでは乗り切れない、流動的な状況に対応できるだけの知識は、さすがにない。ホースケが発揮する優れた野性のかんを頼りに……というのはあるイミ面白おもしろいかもしれないけれど。
 背に腹はかえていられない。
 高くつくのを覚悟で、フィオナ達は冒険者ぼうけんしゃ共同体――レベッカのような流れ者の保護、支援のための組織――へとおもむいた。
「砂漠越え、ねぇ」
 登録証を示し用件を切り出したレベッカに、受付は難色を示した。
「何か問題でも?」
 目差まなざしを険しくする。
「いや、問題っつうか……大口おおぐちの護衛で、めぼしい連中は出払っちまってるんだよなぁ」
「では、わたしではどうかな」
 名乗りを上げたのは、気さくそうな印象の初老の男だった。ひげづらで、たけ長のゆったりとした衣服、そして頭に巻いた布……とこの地域では一般的な風体ふうていにあって、癖の強いえんじ色の髪が異彩を放っていた。
「グザビエ殿どの⁉」受付が声を上げる。「しかし、別の仕事を受けられていたのでは……」
「いや、ちと野暮やぼ用が入ってな。先方せんぽうとは話は付けてある。その事を断りに来たのだが」
「そうでしたか。承知いたしました――おい、とんだ幸運だな、お前たち!」興奮した様子でまくしたてる。「グザビエ殿なら安心だ」
 事情が分からない彼女としては曖昧な反応を返すより他なかったのだが、レベッカはそうではないようだった。
貴殿きでんが、の『砂漠の赤鷹あかたか』?」
「いかにも」苦笑くしょうまじりに肯定する。「そのような二つ名が付いておるな」
「これは心強い」
 レベッカが微笑する。
「いやいや、貴女あなたも充分評判ですぞ、レベッカ殿。新進気鋭の美人女剣士、とな。どのような武人ぶじんかと思っておったが、人の口にもたまには尾とヒレが付かないものですな。なかなかどうして噂以上に美しく、そして――手練てだれとお見受け致した」
「グザビエ殿の様な方から御誉めに預かれるとは、光栄です。しかし――貴殿に見合うだけの物を御用意出来ますかどうか」
「それなら心配無用。野暮用とは、ニモタータの事でな。つまるところ、旅は道れ、という事だ。報酬ほうしゅうらんよ」
 話の区切りを察したかのように、ホースケがグザビエの肩に飛び移った。
 ふわりと羽を広げて短く鳴き、彼流の挨拶をする。
 それを見て、
「どうやら、貴殿は信用の置ける御方おかたの様だ」
 いくぶん目元をやわらげると、レベッカが手を差し出した。


 風が吹いてきた。
 気まぐれに向きを変えるそれにあおられ、しゃが大きくはためく。飾りがぶつかり合い、チリリ、と控えめなかなでた。
 砂漠に入って、今日で九日目になる。けれど、まだまだ先は長い。ようやく行程こうていの三分の一を消化したに過ぎないのだ。
 砂漠の周縁部に当たるここには、一面砂ばかりの光景が広がる。歩みを嘲笑あざわらうかのように不確かな大地に足を取られるし、砂丘さきゅうの間を縫うように進まなくてはいけないしで、単調な景色と相まってちっともはかどっている気がしない。それでも隊商は普通この道を選ぶ。さらに高温で水場も少ない内部よりは、ずっとマシだからだ。
 昼の休憩を挟んで、少しして。
 同行の二人が、はたと立ち止まった。
 きょとんとして、フィオナは振り返る。
 すっかりグザビエの肩を持ち場としていたホースケが離れるのが先触さきぶれであったかのように、前方の砂丘の影からバラバラと人があらわれた。
 いや、それだけではない。
 右からも、左からも。
野盗やとう……ではないか」
 どこからか取り出した投げナイフをかまえ、グザビエ。
 と。
 かすかな声と共に、闇魔法やみまほうと言うらしい例の独特の波動はどうしょうじて――き消えた。
矢張やはり、魔法がか無い」
 気取けどられないようそんな素振そぶりすら見せず、ごく小規模なものを試したらしかった。
「どうやら逃げた方が懸命なようだな」
 ジリジリとせばまる包囲網ほういもうから視線は外さぬままに、グザビエが詠唱えいしょうを始める。
 補佐しやすいようにだろう。レベッカが微妙に立ち位置を変えた。
 彼女とて時間稼ぎの役くらいには立ってみせる。
 教わったことを反復はんぷくしつつ、呼吸を整え、懸命に力の行くすえを定め、魔法として成立するよう導こうとする。同時に、この撤退てったいは彼女ゆえなのだと痛感してもいた。旅の心得として最低限の護身ごしんすべは教え込まれていたし、レベッカにさらに磨きをかけてもらってもいた。けれどもそれは、文字通り「護身」の用をはたすものでしかない。このような局面における戦力の頭数あたまかずに入らないことは、明白めいはくだった。
 せめて、もっと魔法を使いこなせてさえいれば……。
 直接的な戦力にはなれなくても、彼女が修得しゅうとくしようともがいている魔法は、十分じゅうぶん力を発揮することができるはずだ。むしろ、レベッカに言わせれば、それこそが本領なのだ。
(わたしのチカラでしょっ。言うこと聞きなさいよっ!この……‼)
 ままならぬ悔しさに、歯がみする。
 じゃじゃ馬を手なずけようと四苦八苦しくはっくしているに、グザビエのじゅき放たれた。
 風に乗って砂が猛烈もうれつに巻き上がり、襲撃者しゅうげきしゃたちの姿を覆い隠す。すかさずレベッカがあの怪鳥かいちょう――グリフィンと言ったか――を召喚しょうかんし、一行いっこうはその場から離脱した。


「済ま無い、グザビエ殿。ような所で」
 たたきつけるように飛来してくる砂つぶてからしゃで身を守りつつ、轟音ごうおんに負けないよう声を張りあげる。
 グザビエは、彼女たちの下。怪鳥かいちょうの足につかまれた宙づりの体勢なのだった。
 いたわる様子で、ホースケがピタリと寄り添って飛んでいる。
「なに、かまわんよ。女性を差し置いてわたしがそちらに居る方が、余程よほど居心地いごこちが悪いさ」
 あの恐ろしく凶悪きょうあくげなかぎづめを食い込ませず、かつ緩めすぎない怪鳥の絶妙な力加減には感心させられるが、この状態で鷹揚おうようさを崩さないグザビエの剛胆ごうたんさはそのさらに上を行くものであった。フィオナがあの立場なら絶対に生きた心地ここちがしなかっただろうし、少なくとも三週間は根に持つ自信があった。
 砂嵐すなあらしは、一向いっこうおさまりそうにない。聖獣せいじゅうやホースケにとっては何ら障害ではないようだが、人はそうもいかない。第一、方向も定かでないまま進むわけにはいかない。適当な所でグリフィンを降り、この嵐をしのげる場所を求めてさ迷う。
 やがて勢いが減じ、視界がだいぶ明瞭になってきた。
 しばらく前から足元の感覚が確かなものになってきていたので、よもやとは覚悟していたが、やはり内地へと来てしまっていた。砂に代わって、見渡す限りの荒野が広がっている。
「急いであの岩場まで行くぞ!じきに雨が来る!!」
 前方につらなる岩の峰々みねみねを示し、グザビエ。
 はたして、辿り着いた矢先に、猛烈もうれつな勢いで雨粒が地面を打ちはじめた。
「ものすっごかったわね……」
 ようやくつけた一息に、砂埃すなぼこりを払いながら、
「あの砂嵐の魔法、どうやったの?」
 素朴な疑問だった。というのも、感知した限りでは、あのような大規模な現象を引き起こせるようなものではなかったのだ。小さな力で大きな効果をおよぼす――それができるのなら、ぜひにも教えをいたかった。
「はは。わたしにそんな大層たいそうな力はないよ。あの砂嵐は、元より近づいてきていたものだ。あの魔法は、それにじょうじたに過ぎんよ。――さて、それはそうと」
 柔和にゅうわな表情は崩さぬまま、けれども、笑みが消える。
「君達は追われているのかね」
「ごめんなさい!巻き込んでしまって……」
 こうなってしまった以上、話すのがすじだ。
 腹を決めて、フィオナは経緯を打ち明けた。
「……なるほど」かみしめるようにうなると、えりただす。「もし良ければ、君達としばらくこうを共にさせては貰えまいか。どうも、わたしとも無関係ではない気がするのだよ」
 意外な、そして、頼もしく嬉しい申し出だった。
「モチロン!旅は道れ、だものね」
 ニコリとして、フィオナは快諾した。


 その日は、まだしも快適な場所を見つけ出すと身を休めた。本格的な活動を始めたのは、次ぐ日。旅路たびじは一転、苛烈なものになることが予想された。まさに命をえぐらんとしていた死のやいば退しりぞける代わりに、別のやいばの接近を許すこととなってしまったのだ。
 この危地を簡単に脱する方法なら、ある。グリフィンを使えば良いのだ。しかし、それでは、かなりの確率で追っ手をいた意味が無くなってしまう。当面は何とかなる可能性にけてみようということになった。
 地図は役に立たない。ここは未踏みとうの地。空白地帯なのだから。つまり、どこをどう進むべきなのか、絶望的に見通しが立たない。出たとこ勝負というヤツだ。
 コンパスはあるから、進路だけは正確に分かる。食料も、何とかなるだろう。けれども、水はそう長くはたない。どこかで補給しなければ、一行いっこうに明日はない。
 窮余の策として、フィオナ達はそのまま岩の谷を辿っていくことにした。一つには、北西に向かうのにこの岩山が障害となっているからなのだが、より大きな決め手となったのは、ホースケが人工的に切られた溝を岩壁に発見したこと。それには防水処置がほどこしてあり、給水のためのものらしかった。ということは、この行く先は集落に繋がっている可能性がある。なにせ、未知の領域なのだ。ベテランのグザビエさえも耳にしたことがないような秘境の村が転がっているのかもしれない。そうでなくても、溜め池の存在ぐらいは期待できる。とにかく、行ってみるしかない。現状、賭けるなら、この道が最もマシなのだから。
 今が真冬なのは不幸中の幸いというやつだろう。確かに外縁よりは暑く感じるが、日向ひなたの照り返しを含めても日中は過ごしやすい。岩影なんて少々肌寒いぐらいだ。
(逆だったら干涸ひからびてたわ、ゼッタイ)
 チビリと、水筒の水を口に含む。
 厄介やっかいなのは、このカラカラの空気だ。こんなにケチケチと飲んでいるのに、思った以上に水の減りが早い。これは予想よりも保たないかもしれない、と危機感をいだいたのだが、溝が導く先はそう遠くない所にあった。時間にして、半日ほど。
 隘路あいろを抜けた先は――
「なんっにもナイわね。キレーさっぱり‼」
 そこは、ただただだだっ広い荒野だった。人の住む場などもってのほか。草木の一本すら見当たらない。ひたすら砂だけが我が物顔で占拠していた。もちろん、水場もない。例の溝は、砂の下へと消えて行ってしまっていた。
「なんなのよ!このムイミさはっ。期待持たせるんじゃないわよ……」
 脱力して、へたり込む。
かえらずの、谷……」
 ぐるりを見回していたグザビエが、険しい顔つきでつぶやいた。
「いや、砂漠を根城ねじろにする冒険者ぼうけんしゃの間でまことしやかにささやかれておる怪談でな。『山の峰々みねみねいだかれた地には近づくな。足を踏み入れたが最後。永遠の牢獄ろうごくとらわれ、二度と戻ることは叶わぬ』……と。この景色と、ふと重なってしまってな。つまらない事を言って済まない」
 苦笑にがわらいをして、振り払うように手を振る。
 
 けれど。
 
 悪寒おかんが、駆け抜けた。
 
 喚起されたのではない。予感めいたものだった。
 来た道を振り返る。
 そこにあったのは、まっさらな岩壁。道など最初からなかったのだという錯覚におちいってしまうぐらい、げんとしてそびえていた。
 間違いなく、これは危険だ。この上は、手段をかえりみている場合ではない。
「レベッカ――」
 しかしながら、異変は、さらなる速度で三人に牙をいた。
 
 足元が、崩れてゆく感覚
 
 ホースケが、おろおろと頭上を飛び回る。
 彼女に手を差し伸べようともがくレベッカが伸ばした腕は、されど、指先すら届くことはなく。
 なすすべもないままに、フィオナ達は砂中さちゅうへと没していった。


 ひやりと、ほどよく冷たくて心地ここちよい感触を感じた。
 広がっていたのは、どこまでもき通った世界だった。
 どこからもたらされているものか。
 光源は見当たらないのに、やわらかな明るさで満たされている。
「ここが、牢獄ろうごく……?」
 その言葉から連想されるような物々しく陰惨なイメージとはおよそ対極をなす場所であった。しかも、砂にまれたはずなのに、自分にも周囲にもそのような痕跡こんせきはない。
 夢を見ているのだろうか。
 それとも――
(まさか、死後の世界、なんて言わないわよね……)
 ギュッと。思いっきりほおをつねってみる。
 痛い。
 相応そうおうに痛い。
 ちょっぴり涙がにじむ。
 夢ではないようだ。きっと死んでもいないだろう。死んでまで痛みを感じるなんて、まっぴらご免だ。
 自分のことが落ち着いたところで、改めて状況を確認してみる。
 こうしてれている床面も、四方、天井に至るまで、ガラス、いや、水晶すいしょうだろうか。なめらかなそれらは、鏡のように幾重いくえにも彼女の姿をうつし出していた。
「いったーい!」
 無造作むぞうさにそれらのうちの一つに近寄ったフィオナは、派手はでに何かにぶち当たった。
 壁だ。
 あると思っていた所より手前に、もう一枚あったのだ。
「ああ、もう‼わけわっかんない!ダレよ、こんなもの造ったの⁉非合法よっ。キジュン違反よっ。後でゼッタイ訴えてやるんだから‼」
 じんじんと痛むおでこをさすりながら足を踏み鳴らし、怒りをぶちまける。
(牢獄だかナンだか知らないけど、ナニがナンでも出てってやるんだから!)
 今度は慎重に。
 壁に手をえてゆっくりと歩を進める。
(まずは、二人とホースケを見つけなくっちゃね。さて、と)
 レベッカのことだ。分かりやすいしるしを出してくれているのではないか。
 そう考えて意識を凝らしてみるが――。
(……気配なし、か)
 あの特徴的な魔力まりょく波動はどうをとらえそこねるはずはない。ここにいることは間違いないと思うのだが、あるいは、なんらかの力が働いているのかもしれない。
(ならなおさら、ジッと助けを待っていても仕方がないわね)
 光の通り方が他とは違う箇所かしょに差しかかった。
 向こう側がはっきりとみえる。ここだけ壁が薄いようだ。
 なんの気はなしに、触れてみる。
 指先が接した、瞬間。
 薄壁が消失した。
「ズイブンあっさりしたものね」
 拍子ひょうし抜けして、肩をすくめる。
 ともあれ、活路は開けたのだ。もしかして復活、なんて事にならないうちに、さっさと部屋を抜け出す。
 数歩先に、短い階段。そのさらに奥には通路が横たわっていた。
 通路に下りて、左右を見比べる。複雑な光の軌跡きせきが乱舞するこの空間は、カタチをとらえることを困難にする。見通しが良さそうに見えて、その実、通路がまっすぐびているのかさえさっぱり分からなかった。元より、適当に進む他はないのだけれど。
(まるで迷宮めいきゅうだわ)
 構造そのものもそのようだった。やたらと階段ばかりで、上ったと思ったらすぐ下りが待ちかまえていたり。部屋数も異様いように多いし、分岐ぶんきもそこかしこ。これで迷えという悪意がめられていないとしたら、即ひっくり返ることができるくらいの衝撃である。本当に、この建物の設計者だか所有者だかがいたら、なに考えてんだと問い詰めてやりたい。
(なんか……牢獄って言葉がしっくりくるように思えてきた…………)
 最初に居た場所からどれだけ進めたのだろう。
 だいぶっているように感じるのだけれど、ここにいると自分の時間感覚にも自信がなくなってくる。なぜかノドも乾かなければ、おなかも減らないので、余計だ。まさか堂々巡りをしているということはないと信じたいが、出口もレベッカ達も一向いっこうあらわれなかった。
 うんざりと溜息をついて、だんだん苛立いらだちを覚えるようになってきた無駄にきらめいている壁に寄りかかる。ちょうど向かい側には、すりガラスで随分ずいぶんともったいぶった雰囲気の意匠いしょうほどこされてあった。そのまわりを囲む装飾も、これまでに見たことがない気合いの入りようだ。単なるがらということはないだろう。扉に違いない。
(こ~れはもう、アタリでしょっ♪)
 ようやく前へと進めそうな予感に青翠せいすいの瞳をパッと輝かせて、足を踏み入れる。
 扉の先にあったのは、前振りにり合った、と言うべきか。だだっぴろい空間だった。ドーム状の天井が高々と頭上を包み、中空ちゅうくうには半円に巡らされた通路がそびえている。対照的に、地上には中ほどにポツンと置かれた透明な台があるのみだった。ことさらにひっそりと感じられるのは、他と違って光を乱反射しない造りになっているからなのかもしれない。
 案に相違そういして、ここはそれだけの場所のようだった。他へと続くような扉なり通路なりは見当たらない。
 
 がっかりしたのだ。
 ことさらに興味をかれるものがあったわけでもない。
 なのに、すぐこの広間を立ち去らなかったのは、何故なぜだったのだろう。

 台へと足を向けたのも、なんの気もないことのはずだった。
 
 けれど、まるで、導かれたように。
 その前に立った。
 途端。
 
 金縛かなしばりにかかったみたいに、ピクリとも動けなくなった。
 指の一本、眉の一すじたりとも。
 意志に反して微動だにしない。
 
 あせって、もがこうと試みるより僅かばかり早く。
 声が降りそそいだ。
『審理を開始する。なんじまことを示せ』
 
 られている――
 
 姿なき複数の威圧の気配に、脂汗あぶらあせがつたう。
 
 眼前がんぜんに、見覚えのある風景が広がった。
 
 息を呑む。
 
 動悸どうきが早くなる。

(これは――――あの、時の……)
 家族同然のおさななじみの故郷。
 追われるように、逃げ込んだ森――
 
 彼女の、せいで。
 
 彼は……命を落とした…………。

 心をえぐられるような苦痛に目をそらそうとするが、見えざる力がそれを許さない。
 まるで走馬灯そうまとうのように一連を描き終えると、また違う過去が映し出された。
(こんな事しなくったって、忘れたことなんかないわよ……)
 一分一秒だって。
 戻せるものなら戻りたい。つぐなえるものなら、償いたい。それは、あの日からずっと、この十二年間、まるで呪縛じゅばくのように、彼女の心をとらえて離さなかったのだから――――

                  §§§

 兄のことが大好きだった。
 彼女と違って市井しせいの学校に通い、また、跡取りとしての教育も受けていた兄と接する機会は余りなく、共に暮らす家族であってもどこか遠い存在だった。だから、兄と過ごせる一時ひとときは、なお一層のこと特別だった。
 僅かばかりの空きをいて、五つ年の離れた兄は、よく彼女のことをかまってくれた。せん無いワガママを言っても困ったような笑みでたしなめるだけで、声を荒らげるようなことは滅多になかった。
(学校についてくって言い張って、父さんと母さんの手を焼かせたこともあったっけ……)
 兄のなすこと行くところ、すべてがきらきらと輝いて見えた。兄の隣に立ちたくて必死だった。

 それが、その浅はかさがわざわいを招いたのだ。

「やっぱり、本を読むには少し薄暗いかな」
 午後とはいえ、まだ暗くなるような時間ではない。しかし、外はあいにくの雨。黒く垂れこめた雲は、つねよりも明るさを奪っていた。
 フィオナがせがんだ本を小脇こわきかかえて室に入ったチルケは、手にしていた燭台しょくだいともした。
「それ、おにいちゃんもできるの⁉すごーい‼」
 父母や使用人しようにんから度々たびたび感じ取れる、何かがうず巻いて揺らぐ流れ……。それを兄が起こすのを目にするのは、初めてのことだった。
「わたしもやってみるー!」
 流れは分かってる。だから、自分にもできるはず。
 そんな、単純な自信。
 明るい瞳をまぶしいくらいにきらめかせて、兄の持つ燭台に指先を伸ばす。
「うん?フィオナにはまだ早いと思うけど……」
 いつもの笑みを浮かべて、それでも、妹の望み通りに火を吹き消す。
 誰に教わったわけでもないが、瞑目めいもくして、呼吸を整えて。内なるもの引き出そうとする。
 呼び起こされたそれは、しかしながら、少女の予想をはるかに上回るものだった。
 膨張し、暴れようとする力。
 本能的に危険を感じ取り暴走を抑え込もうと試みるも、まして基礎も知識もない幼子おさなごの手に負えるものでは、到底なかった。
 
 嫌な汗が浮かぶ。
 
 伸べた小さな指が、全身が、小刻みに震える。
 
 異常を察知してチルケが止めに入ろうとした時には、もう遅かった。
 力の奔流ほんりゅうは少女のささいな抵抗などやすやすと突破し、あふれた。
「お……にい……ちゃん?」
 刹那せつな、意識が飛んでいたのかもしれない。
 虚脱の次に映じたのは、広がる紅蓮ぐれん。すべてを灰燼かいじんす炎の舌が、思うままに跋扈ばっこする光景だった。
「フィオナ‼」
 
 お前は生きろ
 
 そう、兄の声が聞こえた気がした。
 強い力で突き飛ばされて、廊下に転がり出る。
「なりません、お嬢様‼」
 使用人が、戻ろうとするフィオナを抱え込む。
 もがく彼女を余所よそに、無情にも兄との距離を永遠とわへだてゆく扉。
 それをむなしく焼きつける余地のみが、ただ彼女に与えられたものだった……。


 『沈黙の魔女まじょ
 そう呼ばれる人物が百二十年ほど前にいた。
 詠唱えいしょうを用いることなく魔法を意のままに操り、圧倒的な力でロディック王国南部を含むルン・ティ・ジャー地方をまたたく間に席巻せっけん
 気まぐれで、冷酷、そして、残忍。
 人々は恐怖の日々に苦しめられた。
 一種の先祖返せんぞがえりなのだという。遠い昔、祖先の誰かと結ばれた神族ラーバの力が、世代を超えて発現するのだと。
 数百年に一度あらわれるかどうかの、きわめて稀な事例。けれどもフィオナには、その魔女に匹敵ひってきするかもしれないほどの、人並み外れた力が宿っていると見立てられた。
 父母はおそれた。
 むべき魔女の再来だと噂されることを。
 なぜなら、いませることのない魔女の脅威の記憶は、時に魔女狩りという名の凶行きょうこうに人々を駆り立ててきたからだ。
 そんな事になるくらいなら、と。苦渋くじゅうすえの決断だったに違いない。
 こうして、フィオナは『無恵者イレ=ラーバティ』として生きることになったのだ――。

                 §§§

 高らかに響き渡ったつちが、たゆたう追憶ついおくの波間から此岸しがんへとフィオナをさらった。
『判決を申し渡す。被告人、フィオナ・マクラオド。そなたを無罪とする』
 ただ一言、簡潔に。
 それだけが、何もない空間に
 空虚くうきょに、
 おごそかに、
 殷々いんいんつらなる余韻よいんを描いていった。
 
 沈黙。
 
 静寂。
 
 激しさを宿らせて、うつむきがちだったおもてを仰がせる。
「そうよ。みんな言ったわ。不幸な事故だ。仕方ないって。でも、わたしはわたしを許せない……それだけよ」
 たたきつけるように言い放って。
 フィオナは法廷ほうていあとにした。
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