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氷上の煌めき
決意の向かう先
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レベッカの容態は、嘘のように良くなっていった。可能な限り安静にさせていたとはいえ死の淵に臨んでいたとは思えないほどの回復力で、リュクワに戻った頃にはすっかり復調していた。
「やれやれ、僕はいつも君の世話を焼く羽目になるんだな」
屋敷の前で馬車を降りて。首を振り振り、冗談めかしてクロリス。
「全くだ。とんだ相性の良さだな、わたし達は」
レベッカも軽口で応じる。
「ああ、そうだ。丁度良い機会かな、これは。
ほら、ホースケを紹介されたとき、見覚えがあると言っただろう?」
「嗚呼、然う言えば、其の様な事を言っていたな。思い出したのか」
レベッカは、多少とも興味を引かれた様子だった。もちろん、フィオナも。なにせ、ホースケは珍しい鳥なのだ。見聞の広いグザビエですら、かつて目にしたことはないと言う。けれど、他に類を見ない個性の持ち主とはいえ、この世にたった一羽の存在であるはずがない。
ロヴァール大陸にせよどこにせよ、あの鳥がわさわさと生息している場所がある――それはそれは、さぞかし面白かわいい光景に違いない。もし行けるところであるのなら、行ってみたいものだ。
そのさまを思い描いて、フィオナはきゅんきゅんとなる。
「うん。思い出したんだ。どの本に記述があったのか。
神話だよ。王家の黎明を扱った部分だ。
この世ならざる場所に在るという、あわいの森。そこに住むとされる鳥にそっくりなんだ。リュクワに有るその手の最古の文献にも載っていたから、この逸話の根は帝国時代の、それこそ初期にまで遡という事になるね。モデルがいるのならこんなに知られていないのはおかしいし、もしかしたら本当に存在するんじゃないかな。『あわいの森』は」
「其れは、詰まり――」
「ああ、クロリス!」レベッカの言葉は、不意の呼びかけによって途切れさせられることとなった。「良かった。例の件で――」
現れた女性もまた、フィオナ達を認めると口をつぐむ。
襟元には、クロリスのものと同じ紋章。ということは、彼女は王立研究所の同僚なのだろう。
「ビツシュ」
女性に目をやったクロリスは彼女達に視線を戻すと、
「ああ、そういえばまだ言ってなかったよね?紹介するよ。僕の婚約者」
「えっ……。こんやく、しゃ……?」
(居たのぉっ⁉)
若干の衝撃を受ける。
いや、居ても全くおかしくはないのだが……。
この三文字に、フィオナは内心、ほんのちょっぴりとではあるが、がっかりせざるをえなかった。
この反応で、ビツシュはおおよその次第を察したらしい。恋人を軽くにらむ。
それから、二人に明るく笑みかけた。
「あなたが、レベッカさん。お話は、クロリスから常々。お会いできて嬉しいですわ」
レチルタを巡る情勢は、着実にミアルカの思惑通りに推移していった。
そう、ミアルカとその周辺国との間で、レチルタに対する軍事同盟が成ったのである。事実上の宣戦布告である連合国の声明は、実に巧みに解放宣誓の制約をすり抜けていた。レチルタという国家ではなくジェラルド個人を糾弾し、彼の身柄の確保を目的とした武力行使であると定義することによって、宣誓違反を免れたのだ。
それと相前後して、示し合わせたように次々とク=ラデスが捕えられ、市民の間にはレチルタ、とりわけ領主ジェラルド・メイヤーズの危険性が共有されていった。
しかし、こうした体裁がどうであったとしても、人々の無恵者への疑心暗鬼は止めようもなかった。
ただイレ=ラーバティであるというだけで、「文明の破壊を目論む」ク=ラデスではないかと疑われ、ささやかな生活の糧を奪われ、あるいは、投獄される――
街を歩けば、連日そんな話題ばかりだった。
――マリルは、どうしているだろうか。
故郷の親友を思い、胸が痛む。
レチルタの敵意は、世界中に向けられていたのだ。ロディック王国も例外ではない。イレ=ラーバティへの風当たりは、強くなっているはずだ。マリルが職を得るにあたってはフィオナがこっそり手を回した経緯があるので、路頭に迷うようなことにはなっていないと信じたいが、かといって楽観できるような境遇ではないだろう。
ジェラルド達の為そうとしたことは、とんでもないことかもしれない。けれど、その根っこにあるイレ=ラーバティの想いまでもが、ジェラルドに全ての咎を負わせるこんな単純な構図で、すくわれることなく流れていってしまうのはやるせない。
(だから、このままわたしだけが安全な場所で守られて、何もせずに幕引きを眺めているだけなんて、できない)
フィオナもまた、戦うことを決めていた。
レチルタと連合軍の間には、埋めようもない程の圧倒的な戦力差がある。であれば、遊撃戦を展開してくるはず――
これが、連合軍の読みのようだった。
ならば、捉えどころのない敵をまともに相手になどせず、ひと息に頭を討ち取ることで統率を乱し、その隙に制圧という既成事実を築いてしまおうというのがこちら側の作戦らしい。そこで、この作戦の肝となる、ジェラルドの討伐。これを達成するためにレチルタに潜入する、ごく少数からなる別働隊が結成された。その際、腕を買われてレベッカには声が掛かったのだが、フィオナにそのような要請が来るわけもなく。人並外れた魔力を有しているとはいえ、戦いに関してはほぼ素人なのだから、当然の判断ではあるのだが。
だから、フィオナは志願した。
モーリッツには強く反対されたし、グザビエからも遠回しに考え直すことを奨められたけれども、意志は変わらなかった。
結果的に、レベッカと組む相手が宙に浮いていたことが後押しともなり、彼女の希望は叶えられることとなった。
§§§
イェルビ砦。
レチルタに進軍する上で、避けては通れない関門だ。
堀を挟み、砦に対して整然と並んだ隊列から、モーリッツは口元を引き締めて、威圧的にそびえるその建物を仰ぎ見た。
ここを越えてしまえば、敵の首都まではほぼ遮るものはない。実質的には、ここが緒戦にして決戦の地と言えた。なればこそ、こちらに匹敵するべくもないとはいえ、砦には相当な数の人員が配されているはず……なのだが。
薄明かりの中、不気味なほどに砦はひっそりと静まり返っていた――
まるで、無人であるかのように。
それだけではない。
来る衝突を察してか、生き物の気配さえもがぱったりと絶えてしまっていた。
嵐の前の静けさとは、まさに喩えてこのような状態を言い表すのだろう。
今、戦場には餓えるような静けさが垂れ籠めている。
そのくせ、一方で、何かを窺うような、じっとりと潜められた息遣いのようなものに満ちてもいた。
空気は、まるでピンと張りつめた弦のように硬質で、ヒリヒリと肌を刺すような心地がする。ただ冬の早天だから、というだけでは説明できないものが、ここには確かにあった。
着慣れないわけではないのに、いやに甲冑の重さが意識される。
こんな大規模な戦を経験するのは、初めてのことだった。
彼だけではない。
この場に集ったほとんどの者がそうだろう。少なくとも、このアーレイズラシル大陸の北方においては、長らく戦争と呼ばれるような争いは起こってはいなかったのだから。
空気が動く。
こんな時でもなければまず感じることなどない、統率され、巨大なうねりを帯びた膨大な魔力の波動――
いよいよ、始まるのか。
モーリッツの所属する隊の配置は、魔法隊の前面。与えられた役割は、主力である彼らの守護。積極的に打って出ることはない。もし敵が話に聞く、魔法を無効化するという技術を砦に施していなければ、それこそ、この一撃だけで砦は破壊され、彼の出る幕など全くなく終わるだろう。
そうでなくても、圧倒的な戦力差に加えこれだけの大軍勢なのだ。ここまで交戦の波が波及するような機会は、ほとんどないと思われた。
前線に配された連中がうらやましい。
武勲を立て、実力を示すのに、これほどの好機があろうか。少しでも早く、騎士となることを確実にしたいモーリッツにとっては、歯がゆいばかりだった。
(俺一人だけじゃない。ギーズの志も共に在るのだから)
引き絞られた弓弦から、矢の放たれるがごとく。練られた魔力は一個の破壊的な魔法として、今まさに、顕現しようとしていた。
勝てないはずはない戦だと、言われていた。
しかし――。
愛用の大剣を握り直す。
ふつふつと湧き出づる嫌な予感は、止まらなかった。
§§§
飛び起きたフィオナは、素早く辺りを見回して、ほぅと息をついた。
「いやだ。よりにもよって、こんな時に……」
いや、こんな時だからこそ、なのかもしれない。
ひどく悪い夢を見た気がした。
内容は覚えていないが、胸の辺りにはなんとも嫌な不安感と恐怖感が生々しくこびりついている。
明日、起こるかもしれない戦いへの緊張?
……それだけではない。
すっかり目がさえてしまった。
焚火を挟んだ反対側、レベッカの寝袋はすでに空だった。彼女はいつも早起きだ。
「うぅ、さっむっいぃ~~~」
雪で作った室から出たフィオナは、とたんに中とは別格の寒気にさらされて、盛大に身を縮こまらせた。
キンと冷えた空気が、鼻にしみる。
ヒャスル王国で味わったあの恐ろしい寒さに比べればマシなはずなのだが、温暖な地の出身のせいか、旅に出てからというもの行く先々で対峙させられるこの度外れた寒さにはいまだに慣れなかった。
「珍しく早いでは無いか」
蒸気を立ち昇らせながら剣の素振りをしていたレベッカが、汗をぬぐって振り向く。
空はいくらか明るくなってきたとはいえ、地上は暗い。それなのに明かりを灯していないのは、やはり、万一に備えてのことなのだろう。
そう、レチルタに入ってからは魔法の使用を極力控えるようにしているのだ。感知されなくても、目撃されただけで致命的なことになりかねないからだ。戦時下だからというだけではない。本隊とは別の、少人数なら抜けられる経路からフィオナとレベッカがレチルタに入って、二十日。先行して任地に赴いた組からは、ぼつぼつ報告が上がってきている。いまだ目的を達した組はないが、だからといって多少の交戦がなかったとは言えない。警戒度は高まっていると見なすべきだろう。加えて、人との関わりも可能な限り避けなければならなかった。彼らが目立たずに溶け込むには、この国はどうしようもなく貧しかったのだ。
ここはまったく、国と言われて普通思い描くような体をなしていなかった。
行けども行けども、集落ばかり。それも、ノール村のようなごくささやかな、だ。
一体、この国に町と呼べるものがあるのかとすら思えてくる。
(わたしは、何も分かってなんかいないんだわ……)
頭の中にあったレチルタより、もっとずっと寂しい光景を目にして、痛感する。
無恵者として日々を送ってはいても、魔法に触れないなどという日はなかった。文明とは、すなわち、言うまでもなく魔法を前提として成り立つものなのだ。それこそ洗濯物の乾燥から窓の施錠に至るまで、生活のありとあらゆる面で魔法の能力は問われ、関わってくる。こんなにも魔法から遠ざかるのは、生まれて初めてのことだった。
この土地に理不尽にも追いやられた彼らが、どんな気持ちで生きてきたのか。
フィオナは切々と想いを馳せざるを得なかった。
「レベッカ……。
あのね」
切り出すべきか、ためらいがあった。
レベッカは、代え難いものをいくつも失っている。フィオナとは違う。けれど、先に進むためにも、ここで吐き出して気持ちの落とし所をつけてしまわねばと感じていた。
「わたし、ジェラルドのやり方をどうしても否定できないの。顧みられることのなかった彼らには、自分達の力で枠組みを変える以外、選択肢はなかったのよ。
わたし達のやろうとしていることは、覆りかけた抑圧の構造を復活させることに他ならないわ。これって、正しいのかな」
「では、御前はジェラルドの理想の為に命を差し出せるのか?」
「それは、出来ない」
それでは、抗おうと思い定めたあの日の想いも、全て否定してしまうことになる。トムがしてくれたことを無駄にするようなことはしたくない。それだけは、譲れない一線だった。
「わたし達は、正しくは無いのかも知れない。其の代わりに、間違って居ると思うのであれば、生きて戻った時にはジェラルドの志を継げば良い。小さな灯火にしか過ぎなくても、何時か屹度、力強い光明と成れる。御前なら」
「うん」うなずいて、輝く笑みを見せる。「ありがとう、レベッカ」
その瞳にもはや迷いはなく、凪ぎの水面の意志を湛えて澄みわたっていた。
§§§
「て、撤退!撤退ー」
戦場は、阿鼻叫喚の地獄と化していた。それも、敵ではなく味方の。
満ち満ちた濃い血の臭気にも、感覚がすっかり麻痺してしまったのだろう。すでに何も感じなくなっていた。
ぬかるみに足を取られないよう慎重に重心を移しながら一撃を避けつつ、氷の魔法でいく体かの魔物の動きをまとめて封じる。
魔物。
そう、砦から出てきたのは大量の魔物だった。
人間も配されているのかも知れないが、いまだ見かけてはいない。なにせ、砦の中に入ることすら出来ていないのだ。それどころか、戦線は徐々に後退してきていた。
レベッカと何とかいう研究員の証言にあったように、無尽蔵かと思えるほど湧いてくるとはいえ、魔物だけならディゼンスの火力を頼みに突破することは可能だっただろう。ここまで苦しめられているのは、敵側の的確な遊撃のせいに違いなかった。
小さな綻びは、ほつれへと広げられ、今や指揮系統もほとんど沈黙させられてしまっている。モーリッツが所属する隊も含めて、ある程度は統率を維持し踏みとどまっているが、軍としての機能を欠くこの現状は極めて厳しい。このままでは潰走するのも時間の問題と思えた。
(まだだ……。
まだ、やれる……‼)
グザビエ率いる隊が、魔物の召喚装置の破壊のために動いているはずだった。彼らを孤立させないためにも、一人でも多く、少しでも長く、持ちこたえなければ。
(ドゥーシュ少将……
ご武運を)
裂帛の気合いとともに、モーリッツは打ち掛かってきた魔物を薙ぎ払った。
§§§
どちらも、予想されていたことだった。魔物と、遊撃と。
確かに敵の巧みな用兵には唸らせられるが、それだけではこれほど崩されることの説明にはならない。
最大の要因は、こちらの驕りにある。
相手の力に備えはしても、それは、一段高みからの見地であるかのようだった。イレ=ラーバティが何をしてきたところで、猫に手をかまれるようなもの。痛いことには痛いが、致命傷には至りようもない――
この期に及んでもまだ、そんな見くびりが働いていたのだ。
戦う前からすでに勝ってでもいるような、そんな弛緩した空気が、統合作戦本部の連中の間には、どことなく漂っていた。総指揮官の座を巡る一悶着を見てもそうだ。資質が問題だったのではない。あの騒動の本質は、どの国が、そして、誰が名誉を手にするかという、それに尽きた。王立研究所が先だって完成させた魔法で、結界内からの長距離転送を封じることに成功し、憂慮すべき事が一つ減ったことも、こうした空気を助長したのかもしれない。
――士気も統率力も高い相手に、こんな体たらくでは勝てるものも勝てない。
(具申致したのだがな……)
グザビエは内心嘆息する。
上のありようは現場にも影響する。元より一枚岩ではなかった連合軍は、さらに団結を欠いた。
レチルタは賢い。そして、こちらのことを良く分かっている。こうなることは、予期していたに違いない。その上で、最大の効果を挙げられる綻びを窺い、見事その一点を突いてみせたのだ。
不意の一撃。
それがもたらした大きな犠牲に、得意になっていた輩は浮き足立ち、たやすく恐慌が広まっていった。
後はもう、なし崩しだった。
今やもう、残っているのは気概ある者達だけだろう。
「諸君」
彼が命を預かる各人の顔と、肩の上の頼もしい相棒とを見渡して。万一、敵に悟られない程度に、けれども、皆の耳に確かに届くように、声を張る。
砦はもうすぐそこ。崖を掘り進めたこの穴の中と外とは、薄い岩壁を隔てるのみだ。あと一度この崖に魔法を行使すれば、そして、砦内部に面する岩壁に抗魔法処置が施されていなければ、この賭けに勝つことができる。
常の戦であれば、使えない手だ。結界でとうに感知されてしまっていただろう。
「戦局は勇気ある君達一人ひとりの手に委ねられている。必ずや、我らに勝利を!そして――
生き残れ‼」
§§§
ここ、ロッチェ城はレチルタの一応の首都に置かれている城だ。だが、レチルタの外から来たフィオナの目には、この城は一国の王が住まうにしては余りにも素朴なものに映った。
いや。
城、というよりは居館と表現する方が名実共にふさわしいのだろう。防御施設もほとんど見受けられず、攻め込まれたらひとたまりもないに違いない。警備の人員も多くはないし、緊迫した情勢を感じさせないほど無防備だった。
(ココもハズレなのかも知れないわね……)
そんな臆測が、脳裏をかすめる。
元々、お偉方が考えたジェラルド潜伏候補地では、二番目という微妙な位置だったのだ。もっとも可能性の高い候補地へと派遣された組からまだ報告が上がっていないことも考えあわせると、やはりそちらが本命なのではないかと思えた。
(ま、アタリでもハズレでも、やるコトをやらなくちゃならないコトには変わりがないんだけど)
刻は深夜。
冷え込んだ空気は地を覆う雪を凍らせ、ぶ厚く空を遮った雲は夜を濃くする。
この時を待っていたのだ。
松明の明かりの谷間の僅かばかりの闇を縫って、フィオナは足手まといにならないよう必死でレベッカの後を追う。
覚悟はしていたとはいえ、こんな慣れないことをしないで済むのが一番良かった。
つまり、この城全体を眠りに就かせることができれば。
しかし、さすがにその点の対策はしっかりとしていて、忍び込む前にやってみた所、どうにも中途半端な効き方しかしなかったのだ。
(ホースケがいればなぁ)
はるかに危険なく調べられたのに。
好きなもので釣っても、こちらに来ることを良しとしなかったのだ。
(……鎮耀映の時のクロリスの気持ち、チョットだけ分かるわ)
ここにはいない鳥に向けて、胸中で少しばかり恨めしさをぶつける。グザビエの方もこちらと同じくらい、いや、それ以上に大変なのは想像に難くはなかったのだけれども。
一応、目くらましの魔法も使えるようにはしておいたのだが、これがなかなか扱いが難しく、頼り切るのは危険だった。つまり、時間も手間も掛けられないとうことだ。事前に何カ所か当たりをつけてはいるけれど、いかんせん情報が乏しい。確実なわけではない。可能なら適当な者を捕まえて、ニモタータでやったように強引に情報を聞き出す手はずになっていた。
もし確証を得ることができなかったなら、いったん引き上げてそのむね伝達、張り込んで様子見となる。あとは、砦の戦いの行方しだい。
(――のハズだったんだけど)
話に聞く、リヴァテウムとかいう剣と思しき気配。
それを、フィオナは感じ取っていた。
本来であれば、間近に寄らなければ感知できないような、か細いものだ。けれど、魔法の存在しないこの国にあっては、水の中の油のようにくっきりと浮き出して捉えられた。
罠かも知れないし、そもそも剣と共にジェラルドがいるという保証はどこにもない。しかし、この気配の出元がどうやら謁見の間らしいとくれば、ここまであからさまなのだ。逆に向かわないわけにはいかなかった。
「ココね」
大階段の奥。
質素だが、立派で重厚な扉を隔てて。
間違いない。気配の元はここにある。
隣に立つレベッカと目配せを交わし、意を決して扉を押し開く――
まさに、その刹那を狙い澄まして。
激しい震動と轟音が見舞った。
(――っ⁉レベッカ‼)
彼女にしては奇跡的な勘で『盾』を創ったは良いものの、守れたのは自分の身のみ。レベッカは、はるか後方、廊下の端まで吹き飛ばされ、倒れ伏していた。
無事なのか、どうか。それを確認している暇は与えられなかった。
残されたフィオナに向かって、次々と容赦のない追撃が見舞う。
「これを天の配剤と言うのか」男が皮肉げに口元を歪める。「やり残した仕事が、この期に及んで自ら舞い込んでくるとはな」
深みのある、よく通る声だった。思わず、耳を傾けてしまうような――。
林立する柱の森。
雲間から覗いた月光に照らされて立つ壮年の男は、紛れもなくジェラルド・メイヤーズだった。
予想に反してフィオナを見据える瞳に激しいものはなく、ただ、静かに揺るぎない。そして――
そう、氷のようなこの部屋の空気に負けないくらい冷ややかだった。
「ならばせめて、お前たちの命を冥土への手向けとしようではないか!」
(――っ。
とんでもない、剣ね……!)
玉座の前に立つジェラルドは、一歩も動いていない。にもかかわらず、その手に携えた剣が一閃するたびに凄まじい力が迫ってくる。
冴え冴えと光の粒を映して刃が閃くその様は、いっそ魅入ってしまいそうに幻想的だった。
(そう長くは、もたないわね……)
なす術もない。
もちろん、何もしていないわけではない。しかし、彼女の放つ魔法はことごとくリヴァテウムによって斬られ、消滅してしまうのだ。
魔法を打ち消すのではなく、斬る。しかも、魔法を感知できないはずの無恵者が、だ。
信じられないことだが、あの剣はこんな非常識なことを現にやってのけさせていた。
(ちゃんとした反撃の手が使えれば、もっと違ったんだろうけど……)
猶予はない。もう間もなく、衛兵が押し寄せてくることだろう。大した人数ではなさそうではあるけれども、この状況下では、すなわち詰みだ。
(後……もう少し……)
「終わりだ」
終焉の宣告と、まさに重なり合うように。
ピタリと、ジェラルドのうなじに彼女の指先が触れた。それまでジェラルドと対峙していた方のフィオナの姿が、薄れて消える。
瞠目の視線が、彼女を捉えた。
言の葉が紡がれる。
『深き眠りを』
甲高い音を立てて、リヴァテウムが滑り落ちた。
追うように。
ゆっくりと、ジェラルドの体がくずおれる。
(上手く……いった…………‼)
元々は、ジェラルドが身に着けているであろう抗魔法装備への対策として考えていた一手だった。
レチルタの魔法無効化の術について判っていることは多くはないが、どうやら人体そのものを魔法に強くしているわけではないらしいとのこと。ならば、じかに体に魔法を染み込ませてしまうのはどうだろうか、と。そこで、目くらましの魔法に手を加えて幻影を作り出し、ひと芝居打ちつつ接近を試みたのである。
ジェラルドの動きから察するに、結局、抗魔法状態ではなかったようだが、それは少なからず彼の攻め方に制限を加えていたはずだ。フィオナの仕掛けたからくりが見破られずに済んだのは、そのお陰でもあっただろう。
(追いつめられれば案外やれるモンなのね。ホント)
癒しの魔法とはまた違う、複雑で繊細な魔法の使い方だった。
(ほぼほぼ、ぶっつけ本番でできちゃうんだもの)
疲れた。
猛烈に。
フィオナは大きく肩で息をつく――
「っ⁉」
白刃の飛来。
相前後して、重い衝撃。
僅かばかり、呼吸が詰まる。
激痛が、背後から全身へと駆け巡った。
ドサリと。
短剣を胸に突き立たせた男が、すぐ脇に転がる。
衛兵)だろうか。全然気がつかなかった。
よろめいて座り込んでしまったフィオナは顔を上げ、
「レベッカ」
微笑む。
「ダイジョウブ……じゃあナイみたいね」
レベッカの口の辺りには赤黒い血の痕跡がなまなましく残り、辛そうにしていた。
「……済まない。間に合ったとは、言い難いな……」
「ううん。レベッカが助けてくれなかったら、もっと酷いことになっていたわ」
「魔法で治せ――
其処では無い、か」
大人数の足音が迫ってきていた。この謁見の間へと至る、前後どちらの扉からも、だ。
逃げ道はない。
だからといって、二人共にこの有様では突破も難しいだろう。
瞑目し、痛覚に邪魔されないように、深く、深く、意識を凝らす。
残された力を振り絞るようにして。
彼女と、レベッカと、ジェラルドと、三人を包むギリギリの大きさの防壁を創り出す。
ジェラルドに掛けた魔法は、彼女の命がもっている限り解けることはない。
(だから……そう、
あとは、
ホースケと、グザビエ……
それから……
モーリッツたちが助けに来てくれるのを…………
待つ、
だけ………………)
おぼろげな意識の片隅で、フィオナは鬨の声を聞いた――
気がした。
「やれやれ、僕はいつも君の世話を焼く羽目になるんだな」
屋敷の前で馬車を降りて。首を振り振り、冗談めかしてクロリス。
「全くだ。とんだ相性の良さだな、わたし達は」
レベッカも軽口で応じる。
「ああ、そうだ。丁度良い機会かな、これは。
ほら、ホースケを紹介されたとき、見覚えがあると言っただろう?」
「嗚呼、然う言えば、其の様な事を言っていたな。思い出したのか」
レベッカは、多少とも興味を引かれた様子だった。もちろん、フィオナも。なにせ、ホースケは珍しい鳥なのだ。見聞の広いグザビエですら、かつて目にしたことはないと言う。けれど、他に類を見ない個性の持ち主とはいえ、この世にたった一羽の存在であるはずがない。
ロヴァール大陸にせよどこにせよ、あの鳥がわさわさと生息している場所がある――それはそれは、さぞかし面白かわいい光景に違いない。もし行けるところであるのなら、行ってみたいものだ。
そのさまを思い描いて、フィオナはきゅんきゅんとなる。
「うん。思い出したんだ。どの本に記述があったのか。
神話だよ。王家の黎明を扱った部分だ。
この世ならざる場所に在るという、あわいの森。そこに住むとされる鳥にそっくりなんだ。リュクワに有るその手の最古の文献にも載っていたから、この逸話の根は帝国時代の、それこそ初期にまで遡という事になるね。モデルがいるのならこんなに知られていないのはおかしいし、もしかしたら本当に存在するんじゃないかな。『あわいの森』は」
「其れは、詰まり――」
「ああ、クロリス!」レベッカの言葉は、不意の呼びかけによって途切れさせられることとなった。「良かった。例の件で――」
現れた女性もまた、フィオナ達を認めると口をつぐむ。
襟元には、クロリスのものと同じ紋章。ということは、彼女は王立研究所の同僚なのだろう。
「ビツシュ」
女性に目をやったクロリスは彼女達に視線を戻すと、
「ああ、そういえばまだ言ってなかったよね?紹介するよ。僕の婚約者」
「えっ……。こんやく、しゃ……?」
(居たのぉっ⁉)
若干の衝撃を受ける。
いや、居ても全くおかしくはないのだが……。
この三文字に、フィオナは内心、ほんのちょっぴりとではあるが、がっかりせざるをえなかった。
この反応で、ビツシュはおおよその次第を察したらしい。恋人を軽くにらむ。
それから、二人に明るく笑みかけた。
「あなたが、レベッカさん。お話は、クロリスから常々。お会いできて嬉しいですわ」
レチルタを巡る情勢は、着実にミアルカの思惑通りに推移していった。
そう、ミアルカとその周辺国との間で、レチルタに対する軍事同盟が成ったのである。事実上の宣戦布告である連合国の声明は、実に巧みに解放宣誓の制約をすり抜けていた。レチルタという国家ではなくジェラルド個人を糾弾し、彼の身柄の確保を目的とした武力行使であると定義することによって、宣誓違反を免れたのだ。
それと相前後して、示し合わせたように次々とク=ラデスが捕えられ、市民の間にはレチルタ、とりわけ領主ジェラルド・メイヤーズの危険性が共有されていった。
しかし、こうした体裁がどうであったとしても、人々の無恵者への疑心暗鬼は止めようもなかった。
ただイレ=ラーバティであるというだけで、「文明の破壊を目論む」ク=ラデスではないかと疑われ、ささやかな生活の糧を奪われ、あるいは、投獄される――
街を歩けば、連日そんな話題ばかりだった。
――マリルは、どうしているだろうか。
故郷の親友を思い、胸が痛む。
レチルタの敵意は、世界中に向けられていたのだ。ロディック王国も例外ではない。イレ=ラーバティへの風当たりは、強くなっているはずだ。マリルが職を得るにあたってはフィオナがこっそり手を回した経緯があるので、路頭に迷うようなことにはなっていないと信じたいが、かといって楽観できるような境遇ではないだろう。
ジェラルド達の為そうとしたことは、とんでもないことかもしれない。けれど、その根っこにあるイレ=ラーバティの想いまでもが、ジェラルドに全ての咎を負わせるこんな単純な構図で、すくわれることなく流れていってしまうのはやるせない。
(だから、このままわたしだけが安全な場所で守られて、何もせずに幕引きを眺めているだけなんて、できない)
フィオナもまた、戦うことを決めていた。
レチルタと連合軍の間には、埋めようもない程の圧倒的な戦力差がある。であれば、遊撃戦を展開してくるはず――
これが、連合軍の読みのようだった。
ならば、捉えどころのない敵をまともに相手になどせず、ひと息に頭を討ち取ることで統率を乱し、その隙に制圧という既成事実を築いてしまおうというのがこちら側の作戦らしい。そこで、この作戦の肝となる、ジェラルドの討伐。これを達成するためにレチルタに潜入する、ごく少数からなる別働隊が結成された。その際、腕を買われてレベッカには声が掛かったのだが、フィオナにそのような要請が来るわけもなく。人並外れた魔力を有しているとはいえ、戦いに関してはほぼ素人なのだから、当然の判断ではあるのだが。
だから、フィオナは志願した。
モーリッツには強く反対されたし、グザビエからも遠回しに考え直すことを奨められたけれども、意志は変わらなかった。
結果的に、レベッカと組む相手が宙に浮いていたことが後押しともなり、彼女の希望は叶えられることとなった。
§§§
イェルビ砦。
レチルタに進軍する上で、避けては通れない関門だ。
堀を挟み、砦に対して整然と並んだ隊列から、モーリッツは口元を引き締めて、威圧的にそびえるその建物を仰ぎ見た。
ここを越えてしまえば、敵の首都まではほぼ遮るものはない。実質的には、ここが緒戦にして決戦の地と言えた。なればこそ、こちらに匹敵するべくもないとはいえ、砦には相当な数の人員が配されているはず……なのだが。
薄明かりの中、不気味なほどに砦はひっそりと静まり返っていた――
まるで、無人であるかのように。
それだけではない。
来る衝突を察してか、生き物の気配さえもがぱったりと絶えてしまっていた。
嵐の前の静けさとは、まさに喩えてこのような状態を言い表すのだろう。
今、戦場には餓えるような静けさが垂れ籠めている。
そのくせ、一方で、何かを窺うような、じっとりと潜められた息遣いのようなものに満ちてもいた。
空気は、まるでピンと張りつめた弦のように硬質で、ヒリヒリと肌を刺すような心地がする。ただ冬の早天だから、というだけでは説明できないものが、ここには確かにあった。
着慣れないわけではないのに、いやに甲冑の重さが意識される。
こんな大規模な戦を経験するのは、初めてのことだった。
彼だけではない。
この場に集ったほとんどの者がそうだろう。少なくとも、このアーレイズラシル大陸の北方においては、長らく戦争と呼ばれるような争いは起こってはいなかったのだから。
空気が動く。
こんな時でもなければまず感じることなどない、統率され、巨大なうねりを帯びた膨大な魔力の波動――
いよいよ、始まるのか。
モーリッツの所属する隊の配置は、魔法隊の前面。与えられた役割は、主力である彼らの守護。積極的に打って出ることはない。もし敵が話に聞く、魔法を無効化するという技術を砦に施していなければ、それこそ、この一撃だけで砦は破壊され、彼の出る幕など全くなく終わるだろう。
そうでなくても、圧倒的な戦力差に加えこれだけの大軍勢なのだ。ここまで交戦の波が波及するような機会は、ほとんどないと思われた。
前線に配された連中がうらやましい。
武勲を立て、実力を示すのに、これほどの好機があろうか。少しでも早く、騎士となることを確実にしたいモーリッツにとっては、歯がゆいばかりだった。
(俺一人だけじゃない。ギーズの志も共に在るのだから)
引き絞られた弓弦から、矢の放たれるがごとく。練られた魔力は一個の破壊的な魔法として、今まさに、顕現しようとしていた。
勝てないはずはない戦だと、言われていた。
しかし――。
愛用の大剣を握り直す。
ふつふつと湧き出づる嫌な予感は、止まらなかった。
§§§
飛び起きたフィオナは、素早く辺りを見回して、ほぅと息をついた。
「いやだ。よりにもよって、こんな時に……」
いや、こんな時だからこそ、なのかもしれない。
ひどく悪い夢を見た気がした。
内容は覚えていないが、胸の辺りにはなんとも嫌な不安感と恐怖感が生々しくこびりついている。
明日、起こるかもしれない戦いへの緊張?
……それだけではない。
すっかり目がさえてしまった。
焚火を挟んだ反対側、レベッカの寝袋はすでに空だった。彼女はいつも早起きだ。
「うぅ、さっむっいぃ~~~」
雪で作った室から出たフィオナは、とたんに中とは別格の寒気にさらされて、盛大に身を縮こまらせた。
キンと冷えた空気が、鼻にしみる。
ヒャスル王国で味わったあの恐ろしい寒さに比べればマシなはずなのだが、温暖な地の出身のせいか、旅に出てからというもの行く先々で対峙させられるこの度外れた寒さにはいまだに慣れなかった。
「珍しく早いでは無いか」
蒸気を立ち昇らせながら剣の素振りをしていたレベッカが、汗をぬぐって振り向く。
空はいくらか明るくなってきたとはいえ、地上は暗い。それなのに明かりを灯していないのは、やはり、万一に備えてのことなのだろう。
そう、レチルタに入ってからは魔法の使用を極力控えるようにしているのだ。感知されなくても、目撃されただけで致命的なことになりかねないからだ。戦時下だからというだけではない。本隊とは別の、少人数なら抜けられる経路からフィオナとレベッカがレチルタに入って、二十日。先行して任地に赴いた組からは、ぼつぼつ報告が上がってきている。いまだ目的を達した組はないが、だからといって多少の交戦がなかったとは言えない。警戒度は高まっていると見なすべきだろう。加えて、人との関わりも可能な限り避けなければならなかった。彼らが目立たずに溶け込むには、この国はどうしようもなく貧しかったのだ。
ここはまったく、国と言われて普通思い描くような体をなしていなかった。
行けども行けども、集落ばかり。それも、ノール村のようなごくささやかな、だ。
一体、この国に町と呼べるものがあるのかとすら思えてくる。
(わたしは、何も分かってなんかいないんだわ……)
頭の中にあったレチルタより、もっとずっと寂しい光景を目にして、痛感する。
無恵者として日々を送ってはいても、魔法に触れないなどという日はなかった。文明とは、すなわち、言うまでもなく魔法を前提として成り立つものなのだ。それこそ洗濯物の乾燥から窓の施錠に至るまで、生活のありとあらゆる面で魔法の能力は問われ、関わってくる。こんなにも魔法から遠ざかるのは、生まれて初めてのことだった。
この土地に理不尽にも追いやられた彼らが、どんな気持ちで生きてきたのか。
フィオナは切々と想いを馳せざるを得なかった。
「レベッカ……。
あのね」
切り出すべきか、ためらいがあった。
レベッカは、代え難いものをいくつも失っている。フィオナとは違う。けれど、先に進むためにも、ここで吐き出して気持ちの落とし所をつけてしまわねばと感じていた。
「わたし、ジェラルドのやり方をどうしても否定できないの。顧みられることのなかった彼らには、自分達の力で枠組みを変える以外、選択肢はなかったのよ。
わたし達のやろうとしていることは、覆りかけた抑圧の構造を復活させることに他ならないわ。これって、正しいのかな」
「では、御前はジェラルドの理想の為に命を差し出せるのか?」
「それは、出来ない」
それでは、抗おうと思い定めたあの日の想いも、全て否定してしまうことになる。トムがしてくれたことを無駄にするようなことはしたくない。それだけは、譲れない一線だった。
「わたし達は、正しくは無いのかも知れない。其の代わりに、間違って居ると思うのであれば、生きて戻った時にはジェラルドの志を継げば良い。小さな灯火にしか過ぎなくても、何時か屹度、力強い光明と成れる。御前なら」
「うん」うなずいて、輝く笑みを見せる。「ありがとう、レベッカ」
その瞳にもはや迷いはなく、凪ぎの水面の意志を湛えて澄みわたっていた。
§§§
「て、撤退!撤退ー」
戦場は、阿鼻叫喚の地獄と化していた。それも、敵ではなく味方の。
満ち満ちた濃い血の臭気にも、感覚がすっかり麻痺してしまったのだろう。すでに何も感じなくなっていた。
ぬかるみに足を取られないよう慎重に重心を移しながら一撃を避けつつ、氷の魔法でいく体かの魔物の動きをまとめて封じる。
魔物。
そう、砦から出てきたのは大量の魔物だった。
人間も配されているのかも知れないが、いまだ見かけてはいない。なにせ、砦の中に入ることすら出来ていないのだ。それどころか、戦線は徐々に後退してきていた。
レベッカと何とかいう研究員の証言にあったように、無尽蔵かと思えるほど湧いてくるとはいえ、魔物だけならディゼンスの火力を頼みに突破することは可能だっただろう。ここまで苦しめられているのは、敵側の的確な遊撃のせいに違いなかった。
小さな綻びは、ほつれへと広げられ、今や指揮系統もほとんど沈黙させられてしまっている。モーリッツが所属する隊も含めて、ある程度は統率を維持し踏みとどまっているが、軍としての機能を欠くこの現状は極めて厳しい。このままでは潰走するのも時間の問題と思えた。
(まだだ……。
まだ、やれる……‼)
グザビエ率いる隊が、魔物の召喚装置の破壊のために動いているはずだった。彼らを孤立させないためにも、一人でも多く、少しでも長く、持ちこたえなければ。
(ドゥーシュ少将……
ご武運を)
裂帛の気合いとともに、モーリッツは打ち掛かってきた魔物を薙ぎ払った。
§§§
どちらも、予想されていたことだった。魔物と、遊撃と。
確かに敵の巧みな用兵には唸らせられるが、それだけではこれほど崩されることの説明にはならない。
最大の要因は、こちらの驕りにある。
相手の力に備えはしても、それは、一段高みからの見地であるかのようだった。イレ=ラーバティが何をしてきたところで、猫に手をかまれるようなもの。痛いことには痛いが、致命傷には至りようもない――
この期に及んでもまだ、そんな見くびりが働いていたのだ。
戦う前からすでに勝ってでもいるような、そんな弛緩した空気が、統合作戦本部の連中の間には、どことなく漂っていた。総指揮官の座を巡る一悶着を見てもそうだ。資質が問題だったのではない。あの騒動の本質は、どの国が、そして、誰が名誉を手にするかという、それに尽きた。王立研究所が先だって完成させた魔法で、結界内からの長距離転送を封じることに成功し、憂慮すべき事が一つ減ったことも、こうした空気を助長したのかもしれない。
――士気も統率力も高い相手に、こんな体たらくでは勝てるものも勝てない。
(具申致したのだがな……)
グザビエは内心嘆息する。
上のありようは現場にも影響する。元より一枚岩ではなかった連合軍は、さらに団結を欠いた。
レチルタは賢い。そして、こちらのことを良く分かっている。こうなることは、予期していたに違いない。その上で、最大の効果を挙げられる綻びを窺い、見事その一点を突いてみせたのだ。
不意の一撃。
それがもたらした大きな犠牲に、得意になっていた輩は浮き足立ち、たやすく恐慌が広まっていった。
後はもう、なし崩しだった。
今やもう、残っているのは気概ある者達だけだろう。
「諸君」
彼が命を預かる各人の顔と、肩の上の頼もしい相棒とを見渡して。万一、敵に悟られない程度に、けれども、皆の耳に確かに届くように、声を張る。
砦はもうすぐそこ。崖を掘り進めたこの穴の中と外とは、薄い岩壁を隔てるのみだ。あと一度この崖に魔法を行使すれば、そして、砦内部に面する岩壁に抗魔法処置が施されていなければ、この賭けに勝つことができる。
常の戦であれば、使えない手だ。結界でとうに感知されてしまっていただろう。
「戦局は勇気ある君達一人ひとりの手に委ねられている。必ずや、我らに勝利を!そして――
生き残れ‼」
§§§
ここ、ロッチェ城はレチルタの一応の首都に置かれている城だ。だが、レチルタの外から来たフィオナの目には、この城は一国の王が住まうにしては余りにも素朴なものに映った。
いや。
城、というよりは居館と表現する方が名実共にふさわしいのだろう。防御施設もほとんど見受けられず、攻め込まれたらひとたまりもないに違いない。警備の人員も多くはないし、緊迫した情勢を感じさせないほど無防備だった。
(ココもハズレなのかも知れないわね……)
そんな臆測が、脳裏をかすめる。
元々、お偉方が考えたジェラルド潜伏候補地では、二番目という微妙な位置だったのだ。もっとも可能性の高い候補地へと派遣された組からまだ報告が上がっていないことも考えあわせると、やはりそちらが本命なのではないかと思えた。
(ま、アタリでもハズレでも、やるコトをやらなくちゃならないコトには変わりがないんだけど)
刻は深夜。
冷え込んだ空気は地を覆う雪を凍らせ、ぶ厚く空を遮った雲は夜を濃くする。
この時を待っていたのだ。
松明の明かりの谷間の僅かばかりの闇を縫って、フィオナは足手まといにならないよう必死でレベッカの後を追う。
覚悟はしていたとはいえ、こんな慣れないことをしないで済むのが一番良かった。
つまり、この城全体を眠りに就かせることができれば。
しかし、さすがにその点の対策はしっかりとしていて、忍び込む前にやってみた所、どうにも中途半端な効き方しかしなかったのだ。
(ホースケがいればなぁ)
はるかに危険なく調べられたのに。
好きなもので釣っても、こちらに来ることを良しとしなかったのだ。
(……鎮耀映の時のクロリスの気持ち、チョットだけ分かるわ)
ここにはいない鳥に向けて、胸中で少しばかり恨めしさをぶつける。グザビエの方もこちらと同じくらい、いや、それ以上に大変なのは想像に難くはなかったのだけれども。
一応、目くらましの魔法も使えるようにはしておいたのだが、これがなかなか扱いが難しく、頼り切るのは危険だった。つまり、時間も手間も掛けられないとうことだ。事前に何カ所か当たりをつけてはいるけれど、いかんせん情報が乏しい。確実なわけではない。可能なら適当な者を捕まえて、ニモタータでやったように強引に情報を聞き出す手はずになっていた。
もし確証を得ることができなかったなら、いったん引き上げてそのむね伝達、張り込んで様子見となる。あとは、砦の戦いの行方しだい。
(――のハズだったんだけど)
話に聞く、リヴァテウムとかいう剣と思しき気配。
それを、フィオナは感じ取っていた。
本来であれば、間近に寄らなければ感知できないような、か細いものだ。けれど、魔法の存在しないこの国にあっては、水の中の油のようにくっきりと浮き出して捉えられた。
罠かも知れないし、そもそも剣と共にジェラルドがいるという保証はどこにもない。しかし、この気配の出元がどうやら謁見の間らしいとくれば、ここまであからさまなのだ。逆に向かわないわけにはいかなかった。
「ココね」
大階段の奥。
質素だが、立派で重厚な扉を隔てて。
間違いない。気配の元はここにある。
隣に立つレベッカと目配せを交わし、意を決して扉を押し開く――
まさに、その刹那を狙い澄まして。
激しい震動と轟音が見舞った。
(――っ⁉レベッカ‼)
彼女にしては奇跡的な勘で『盾』を創ったは良いものの、守れたのは自分の身のみ。レベッカは、はるか後方、廊下の端まで吹き飛ばされ、倒れ伏していた。
無事なのか、どうか。それを確認している暇は与えられなかった。
残されたフィオナに向かって、次々と容赦のない追撃が見舞う。
「これを天の配剤と言うのか」男が皮肉げに口元を歪める。「やり残した仕事が、この期に及んで自ら舞い込んでくるとはな」
深みのある、よく通る声だった。思わず、耳を傾けてしまうような――。
林立する柱の森。
雲間から覗いた月光に照らされて立つ壮年の男は、紛れもなくジェラルド・メイヤーズだった。
予想に反してフィオナを見据える瞳に激しいものはなく、ただ、静かに揺るぎない。そして――
そう、氷のようなこの部屋の空気に負けないくらい冷ややかだった。
「ならばせめて、お前たちの命を冥土への手向けとしようではないか!」
(――っ。
とんでもない、剣ね……!)
玉座の前に立つジェラルドは、一歩も動いていない。にもかかわらず、その手に携えた剣が一閃するたびに凄まじい力が迫ってくる。
冴え冴えと光の粒を映して刃が閃くその様は、いっそ魅入ってしまいそうに幻想的だった。
(そう長くは、もたないわね……)
なす術もない。
もちろん、何もしていないわけではない。しかし、彼女の放つ魔法はことごとくリヴァテウムによって斬られ、消滅してしまうのだ。
魔法を打ち消すのではなく、斬る。しかも、魔法を感知できないはずの無恵者が、だ。
信じられないことだが、あの剣はこんな非常識なことを現にやってのけさせていた。
(ちゃんとした反撃の手が使えれば、もっと違ったんだろうけど……)
猶予はない。もう間もなく、衛兵が押し寄せてくることだろう。大した人数ではなさそうではあるけれども、この状況下では、すなわち詰みだ。
(後……もう少し……)
「終わりだ」
終焉の宣告と、まさに重なり合うように。
ピタリと、ジェラルドのうなじに彼女の指先が触れた。それまでジェラルドと対峙していた方のフィオナの姿が、薄れて消える。
瞠目の視線が、彼女を捉えた。
言の葉が紡がれる。
『深き眠りを』
甲高い音を立てて、リヴァテウムが滑り落ちた。
追うように。
ゆっくりと、ジェラルドの体がくずおれる。
(上手く……いった…………‼)
元々は、ジェラルドが身に着けているであろう抗魔法装備への対策として考えていた一手だった。
レチルタの魔法無効化の術について判っていることは多くはないが、どうやら人体そのものを魔法に強くしているわけではないらしいとのこと。ならば、じかに体に魔法を染み込ませてしまうのはどうだろうか、と。そこで、目くらましの魔法に手を加えて幻影を作り出し、ひと芝居打ちつつ接近を試みたのである。
ジェラルドの動きから察するに、結局、抗魔法状態ではなかったようだが、それは少なからず彼の攻め方に制限を加えていたはずだ。フィオナの仕掛けたからくりが見破られずに済んだのは、そのお陰でもあっただろう。
(追いつめられれば案外やれるモンなのね。ホント)
癒しの魔法とはまた違う、複雑で繊細な魔法の使い方だった。
(ほぼほぼ、ぶっつけ本番でできちゃうんだもの)
疲れた。
猛烈に。
フィオナは大きく肩で息をつく――
「っ⁉」
白刃の飛来。
相前後して、重い衝撃。
僅かばかり、呼吸が詰まる。
激痛が、背後から全身へと駆け巡った。
ドサリと。
短剣を胸に突き立たせた男が、すぐ脇に転がる。
衛兵)だろうか。全然気がつかなかった。
よろめいて座り込んでしまったフィオナは顔を上げ、
「レベッカ」
微笑む。
「ダイジョウブ……じゃあナイみたいね」
レベッカの口の辺りには赤黒い血の痕跡がなまなましく残り、辛そうにしていた。
「……済まない。間に合ったとは、言い難いな……」
「ううん。レベッカが助けてくれなかったら、もっと酷いことになっていたわ」
「魔法で治せ――
其処では無い、か」
大人数の足音が迫ってきていた。この謁見の間へと至る、前後どちらの扉からも、だ。
逃げ道はない。
だからといって、二人共にこの有様では突破も難しいだろう。
瞑目し、痛覚に邪魔されないように、深く、深く、意識を凝らす。
残された力を振り絞るようにして。
彼女と、レベッカと、ジェラルドと、三人を包むギリギリの大きさの防壁を創り出す。
ジェラルドに掛けた魔法は、彼女の命がもっている限り解けることはない。
(だから……そう、
あとは、
ホースケと、グザビエ……
それから……
モーリッツたちが助けに来てくれるのを…………
待つ、
だけ………………)
おぼろげな意識の片隅で、フィオナは鬨の声を聞いた――
気がした。
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