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氷上の煌めき
終
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「随分待たせてしまったな。漸く、お前に顔を合わせることが出来る」
花束と、親友が好きだった銘柄の酒をそなえて。
静かに語りかける。
やわらかに舞うそよ吹く風が、花弁を揺らしていった。
ミアルカの、遅い初春。日はとうに昇っていたが、まだ時刻は早朝だ。墓地にグザビエの他に人影はなく、鳥のさえずりだけが響いている。
戦争の終結が宣されたのは、半年前。だが、そののちも不穏分子の制圧やレチルタ併合に伴う対応などで何かと慌ただしく、こうしてゆっくりと墓に参るのは、今日が初めてであった。
「お前の汚名は、漱がれたよ」
外務に携わっていた友は、七年前、人身売買を行っていたという咎で失脚、拘束された。
有り得ないことだった。
グザビエは友人の潔白を明かすべく調査を重ね、ついに事はこのミアルカだけの問題ではないという事実に突き当たる。
ようやく掴んだ不穏の痕跡を逃さぬために、そしてまた、周囲に累が及ばぬよう、彼は祖国を出奔するという手段を選んだのだった。
「……だが結局、お前を助けてはやれなんだ」
墓地特有の清澄な空気を吸い込み――
瞑目して空を仰ぐ。
安易に死を選ぶような男ではない。家族をだしに、自死へと追いやられていったに違いない。
もっと違うやり方が有ったのではないか。
友の訃報を受けてから、それは燠のごとく心の片隅で燻っていた。
「君がわたしを誹るのも無理もない」
居あぐねていた様子の青年に言葉を向ける。
モーリッツは恐縮したように一礼し、
「戻られたと伺って……」
グザビエの花束の隣にそっと手向けて、参る。
「その節はとんだ非礼を働きました。申し訳も有りません」
「それを言いに、わざわざ?」
首肯する若者に、軽く笑みかける。
「律儀だな。……君は、ギーズの友だったのか」
「はい。士官学校からの。共に騎士を目指す……同志でした。少将の事は、あいつから良く伺っておりました」
「そうか」
友を通して、あの一家とグザビエとは交流があった。その縁で、友の息子であるギーズにはたびたび剣の稽古をつけていたものだ。ギーズが騎士の道を歩むと決めたのは彼に憧れてのことだと、友からは聞かされていた。それだけに一層、友の命と共にその息子の志をも失わせる結果となってしまったことは、本当に心苦しいことだった。
人伝の話では、夫人も子供達も隣国の縁者を頼り息災であるとのことで、それが救いではあった。
「ところで、君のお姫様の所には行かなくて良いのかね?いつもの露台に一人で居るのを見掛けたが。別れの前に、伝えて置きたいことが有るのではないか?」
モーリッツが彼女に特別な想いを抱いていることなど、端に居ればなおさら明々白々なのであったが……
本人は見通されるなど思いもよらぬことであったようだ。
あからさまな狼狽の色もあらわに取り留めもないことを口走ると、あたふたと礼をして立ち去る。
その背を、グザビエは微笑ましく見送るのだった。
§§§
いまだ目覚めぬ街並を、穏やかな日ざしのヴェールが包む。
まるで、宝石のようだ。
陽を受けて乱反射する氷水晶の建物の群れを見やりながら、そんな感想が浮かぶ。
帝国の面影を強く残すリュクワの街は、これまで見てきたどの都市よりも異質だ。とりわけ、ほぼ当時のままだというこの王城はそれが顕著であった。
帝国の曙、王家の力滔天なりし頃にその技術の粋を結集して造営されたこの城は、例によって――鎮耀映の神殿ほどではないが――外観と内部の整合性の無い作りになっていた。
今彼女の目の前にあって宝石の街並みと繋がっているかに思えるこの窓も、外からは壁か何かに見えているのかもしれない。
「どうかね、フォックス。具合の方は」
「はい、御陰様ですっかり良く」
礼にならった辞儀をとるレベッカに、城の主が腰を下ろすよう促した。
入室してきた国王は式典や謁見で見かけるいかにも重たげで華美な服装ではなく、いくぶん過ごしやすそうな恰好だった。
予期していた通り、これから交わされるやり取りは非公式のもののようだ。
指定されたこの部屋からも、それは伺える。
奢侈な品に囲まれていることに変わりはないが、彼女にあてがわれている部屋と比べれば控えめで狭い。私的な談話といった体か。
当然、人払もされていた。
……そう、レチルタから帰還してからというもの、彼女とフィオナはすっかり賓客扱いで――間者の存在への警戒の度合いが下がったこともあるだろうが――街中の屋形からこちらへと生活の拠点を移されていた。といっても、そのことを知ったのは後のことで、しばらくは療養院での安静を余儀なくされていたのだが。
特にフィオナは重篤だった。
刺し傷が思いのほか深く、あの場の応急でなかなか止血できなかったこともあるが、何よりその状態で魔法を使い続けていたことが大きく響いた。
ミアルカに移送されてからも長らく意識が回復せず、そこから動けるようになるのにもさらに時間を要した。以前と変わらない状態にまでなったのは、ここ最近のことだ。
「そうか、それは何より。式を辞退したからよもやと思うてな」
「御気遣い、痛み入ります」
過日、情勢がひと段落した旨を鑑みて、戦勝を称える式典が盛大に催された。
連合国合同のものと、ミアルカ独自のものと、フィオナは心情はともかく商売に繋げるのだとどちらにも出席したのだが、レベッカは最低限の義理立てのために連合国の方にのみ顔を出すに留めていた。
警戒したのだ。
自国の将であれば理解できる。しかし、ともすれば彼ら以上に、彼女達を英雄と祭り上げる雰囲気がミアルカにはあった。
そこに持ってきて、この非公式の面会。
王の次の句を、レベッカは予知できる気がしていた。
「さて、フォックス。こうしてそなたと会うたのは他でもない。そなたに爵位と領地を授けたいと思うたからだ。ただし、そなたがこの地に留まるのであれば、だが」
供された茶を口元に運んで。
レベッカは即答を避けた。
「考えてもみよ」
王がなめらかに続ける。
「ここはそなたの父祖の眠る地。故郷と申しても過言ではない。そなたが苦難の果てにここに導かれたのは、言わば定めと呼ぶに値するのではないか」
「フィオナは、何と?」
かすかに笑んで。
カップを置くと、レベッカ。
王が呵呵と笑う。
「あの娘、中々に大した商人になりそうだ」
§§§
「身に余る光栄、恭悦の極みに存じます。……ですが、私は一介の商人の娘。とてもそのような身分に耐えるものでは有りません。陛下がこれからも我がマクラオド商会を末長くご贔屓下されば、それが私にとり最高の賜り物に御座います」
§§§
「フィオナらしい」
笑みを深くする。
「して、そなたの答えは?」
「此処は確かに我が父祖の地。特別な場所です。ですが、わたしが生まれ、育まれた地は此の世界に一つしか有りません」
「そなたもマクラオドも、ほんに慎ましいのう」
王はスッと眼を細めたが、それ以上強いることはしなかった。
§§§
澄み冴えた陽に照らされて。
しめやかな通り雨のなごりの黄金のひらめきが、無数に舞っていた。
ほのかに冷ややかな残り香を感じつつ。
一歩。
踏み出す。
投げ出された花束は、ふわりと滝に吸い込まれていった。
透けるように儚く繊細で、けれど過酷な環境にも負けずにしっかりと根を張る小さな花。
レチルタで咲いていた、鮮やかに印象に残る花だった。
……ジェラルド・メイヤーズが処刑された。
関係者と、大勢の野次馬と。
無数の視線に晒された刑場に、彼は威風堂々と歩み入ってきた。
「正義は、我に有り」
そう、力強く宣言して。
彼は、逝った。
「兄さん。トム。
わたしは前に進むわ。
わたしにしかできない事、わたしだからこそ出来る事。それを成す為に」
ずっと足をすくませていた。
あの、炎に呑まれゆく扉の前で。
でももう、立ち止まってなどいられないのだ。
§§§
王宮の一角。
観滝の露台の青の絨毯の海の中。
白亜の欄干のすぐそばで、少女は祈りを捧げていた。
まるであつらえたように、その彩りは彼女に似合いだった。
光を授けた金色の髪が燦然と輝きを放ち、少女の存在を明明としている。
その様はどこか神々しくもあり――
まるで、神話から抜け出てきたようであった。
「ぐ、具合はもう良いのか」
長の療養が少女を細らせたものか、その後ろ姿は共に旅をしていた頃よりも、いかにも弱々しく見えた。
「ウン、ご覧の通り。……ありがとう、モーリッツ」
柔和に頬を緩ませる。それはとても穏やかで――綺麗な笑みだった。
早まる鼓動に静まれと念じながら。
一言。
たった一言で良い。
伝えたい気持ちを口にしようと、もがく。
が、
「――か!」
飛び出たのは、裏返った、頓狂で我ながら笑うしかないような上擦った声だった。
なさけなさで泣きたい心地になりながら、小首をかしげるフィオナに向けてどうにか意味のある言葉をひねり出す。
「家業を継ぐんだってな」
「ウン。もともと、家を継ぐのが嫌なワケじゃなかったし。それに、何をするにも先立つモノは必要でしょ?稼いで稼いで稼ぎまくって――それで少しでも、イレ=ラーバティの為に何かを出来たらって思う。どうすれば良いのかは、まだはっきりとは見えないけど。まずは手の届くところからコツコツと、かな!」
語るフィオナの目は澄んで力強くて。まっすぐにこの先を見つめていた。
とても、留まってくれなどとは言えない。言ったとしても、彼女は止まらないだろう。……彼が、騎士になる道を捨てられないのと同様に。
だから、伝えなければならないのだ。たとえ今は離れてしまうとしても、いつか交差するかもしれない未来に向けて。
「ナンカ、なごり惜しいな」
想いを声に乗せようとした、その矢先。
まるで狙い澄ましたかのような間合いで、出鼻をくじかれた形になった。
そして続く言葉で、決定的に機会を逸したことを彼は悟る。
「モーリッツ、わたしのもう一人の兄さんみたいだったから」
(兄……か)
慕われるのは嬉しいのだが……。
モーリッツは胸中で溜め息をつく。
「そろそろ仕事の時間だよね」
スルリと、長い髪が光の尾を引いて脇をすり抜けた。
「じゃあ、また後でね」
元気に腕を振って、フィオナが走り去っていく。
その背中に伸ばされた手は、力なく降ろされた。
§§§
トン、と。軽い音を立てて。波止場に降り立つ。
行き交うのは、雑踏の喧騒とその合間に届く海鳥の声。よく馴染んだ潮の香り。
当たり前で、ありふれたもので。ことさらに意識なんかしたことなかったのに――ああ、帰ってきたのだと、
なんだか、
そう、
懐かしいと、思った。
二年。
これまでも遠出をしたことは何度かあったけれど、思えば、こんなにもソークシニヨンを離れていたことはなかった。
変わらない。
けれど、どこかが違う。
探るように、踏み出して。
故郷の風を確かに感じながら、レベッカとホースケと、ひたるように、惜しむように、ゆったりと家路を辿る。
――そう、ホースケ。
あんなにグザビエに懐いていたのに、どういう心変わりがあったものか。ミアルカを後にする際、またちゃっかりとレベッカの定位置に収まったのだ。
気まぐれなのか、何なのか。まったく、この鳥の気持ちは推し測れない。
普段は素直な子なのに、こうして時たま捻くれたことをするのだ。そのくせ、こんなに一緒に居たのについにフィオナを――モーリッツもだが――止まり木代わりにしてはくれなかった。
(ああっ、一日でイイからこのもふもふで触り心地のイイ生き物を独占してみたかったのにっ!)
しばらくの別れと、ここぞとばかりにその羽毛をたっぷりと堪能する。
こうして普通に触ることには抵抗しないので嫌われているわけではないようなのだが、一体、この待遇差はどういったことなのだろう。レベッカに詰め寄っても肩をすくめるばかりだし……釈然としなかった。
「ホントウに、行っちゃうの?」
正門を抜けて、邸の、扉の前。
足を止めて、フィオナは問う。
すぐに発つのだという。
レベッカとこんなにも長い付き合いになるなんて、裏庭で別離の挨拶をしたあの時には思いも寄らなかったのだけれども。それでもやはり、離れてしまうとなると寂しさが込み上げてくる。
彼女には、たくさん助けられた。感謝の思いは、言葉にできないくらい。まだ、その分を返せていない。けれど、それ以上に――
「なんなら、イイ人紹介するのに」
彼女はいつまで、さすらうつもりなのだろうか。行くあてもなく……。
意志は、きっと変わらない。それでも、口にせずにはいられなかった。
「緩見つけて行くさ。帰る場所を」
「そっか……。
じゃあ、ね。レベッカ」ありったけの笑顔をはなむけに。「またいつか」
彼女の居場所の一つであれれば良いと。モーリッツもグザビエも同じだから、と。
想いを込めて。
「嗚呼。必ず」
マントをひるがえして、一人と一羽が去ってゆく。
その背中が見えなくなるまで見送ってから――
一つ、深呼吸。
向き直ると。
フィオナは、扉を押し開いた。
――第二部 了 ――
花束と、親友が好きだった銘柄の酒をそなえて。
静かに語りかける。
やわらかに舞うそよ吹く風が、花弁を揺らしていった。
ミアルカの、遅い初春。日はとうに昇っていたが、まだ時刻は早朝だ。墓地にグザビエの他に人影はなく、鳥のさえずりだけが響いている。
戦争の終結が宣されたのは、半年前。だが、そののちも不穏分子の制圧やレチルタ併合に伴う対応などで何かと慌ただしく、こうしてゆっくりと墓に参るのは、今日が初めてであった。
「お前の汚名は、漱がれたよ」
外務に携わっていた友は、七年前、人身売買を行っていたという咎で失脚、拘束された。
有り得ないことだった。
グザビエは友人の潔白を明かすべく調査を重ね、ついに事はこのミアルカだけの問題ではないという事実に突き当たる。
ようやく掴んだ不穏の痕跡を逃さぬために、そしてまた、周囲に累が及ばぬよう、彼は祖国を出奔するという手段を選んだのだった。
「……だが結局、お前を助けてはやれなんだ」
墓地特有の清澄な空気を吸い込み――
瞑目して空を仰ぐ。
安易に死を選ぶような男ではない。家族をだしに、自死へと追いやられていったに違いない。
もっと違うやり方が有ったのではないか。
友の訃報を受けてから、それは燠のごとく心の片隅で燻っていた。
「君がわたしを誹るのも無理もない」
居あぐねていた様子の青年に言葉を向ける。
モーリッツは恐縮したように一礼し、
「戻られたと伺って……」
グザビエの花束の隣にそっと手向けて、参る。
「その節はとんだ非礼を働きました。申し訳も有りません」
「それを言いに、わざわざ?」
首肯する若者に、軽く笑みかける。
「律儀だな。……君は、ギーズの友だったのか」
「はい。士官学校からの。共に騎士を目指す……同志でした。少将の事は、あいつから良く伺っておりました」
「そうか」
友を通して、あの一家とグザビエとは交流があった。その縁で、友の息子であるギーズにはたびたび剣の稽古をつけていたものだ。ギーズが騎士の道を歩むと決めたのは彼に憧れてのことだと、友からは聞かされていた。それだけに一層、友の命と共にその息子の志をも失わせる結果となってしまったことは、本当に心苦しいことだった。
人伝の話では、夫人も子供達も隣国の縁者を頼り息災であるとのことで、それが救いではあった。
「ところで、君のお姫様の所には行かなくて良いのかね?いつもの露台に一人で居るのを見掛けたが。別れの前に、伝えて置きたいことが有るのではないか?」
モーリッツが彼女に特別な想いを抱いていることなど、端に居ればなおさら明々白々なのであったが……
本人は見通されるなど思いもよらぬことであったようだ。
あからさまな狼狽の色もあらわに取り留めもないことを口走ると、あたふたと礼をして立ち去る。
その背を、グザビエは微笑ましく見送るのだった。
§§§
いまだ目覚めぬ街並を、穏やかな日ざしのヴェールが包む。
まるで、宝石のようだ。
陽を受けて乱反射する氷水晶の建物の群れを見やりながら、そんな感想が浮かぶ。
帝国の面影を強く残すリュクワの街は、これまで見てきたどの都市よりも異質だ。とりわけ、ほぼ当時のままだというこの王城はそれが顕著であった。
帝国の曙、王家の力滔天なりし頃にその技術の粋を結集して造営されたこの城は、例によって――鎮耀映の神殿ほどではないが――外観と内部の整合性の無い作りになっていた。
今彼女の目の前にあって宝石の街並みと繋がっているかに思えるこの窓も、外からは壁か何かに見えているのかもしれない。
「どうかね、フォックス。具合の方は」
「はい、御陰様ですっかり良く」
礼にならった辞儀をとるレベッカに、城の主が腰を下ろすよう促した。
入室してきた国王は式典や謁見で見かけるいかにも重たげで華美な服装ではなく、いくぶん過ごしやすそうな恰好だった。
予期していた通り、これから交わされるやり取りは非公式のもののようだ。
指定されたこの部屋からも、それは伺える。
奢侈な品に囲まれていることに変わりはないが、彼女にあてがわれている部屋と比べれば控えめで狭い。私的な談話といった体か。
当然、人払もされていた。
……そう、レチルタから帰還してからというもの、彼女とフィオナはすっかり賓客扱いで――間者の存在への警戒の度合いが下がったこともあるだろうが――街中の屋形からこちらへと生活の拠点を移されていた。といっても、そのことを知ったのは後のことで、しばらくは療養院での安静を余儀なくされていたのだが。
特にフィオナは重篤だった。
刺し傷が思いのほか深く、あの場の応急でなかなか止血できなかったこともあるが、何よりその状態で魔法を使い続けていたことが大きく響いた。
ミアルカに移送されてからも長らく意識が回復せず、そこから動けるようになるのにもさらに時間を要した。以前と変わらない状態にまでなったのは、ここ最近のことだ。
「そうか、それは何より。式を辞退したからよもやと思うてな」
「御気遣い、痛み入ります」
過日、情勢がひと段落した旨を鑑みて、戦勝を称える式典が盛大に催された。
連合国合同のものと、ミアルカ独自のものと、フィオナは心情はともかく商売に繋げるのだとどちらにも出席したのだが、レベッカは最低限の義理立てのために連合国の方にのみ顔を出すに留めていた。
警戒したのだ。
自国の将であれば理解できる。しかし、ともすれば彼ら以上に、彼女達を英雄と祭り上げる雰囲気がミアルカにはあった。
そこに持ってきて、この非公式の面会。
王の次の句を、レベッカは予知できる気がしていた。
「さて、フォックス。こうしてそなたと会うたのは他でもない。そなたに爵位と領地を授けたいと思うたからだ。ただし、そなたがこの地に留まるのであれば、だが」
供された茶を口元に運んで。
レベッカは即答を避けた。
「考えてもみよ」
王がなめらかに続ける。
「ここはそなたの父祖の眠る地。故郷と申しても過言ではない。そなたが苦難の果てにここに導かれたのは、言わば定めと呼ぶに値するのではないか」
「フィオナは、何と?」
かすかに笑んで。
カップを置くと、レベッカ。
王が呵呵と笑う。
「あの娘、中々に大した商人になりそうだ」
§§§
「身に余る光栄、恭悦の極みに存じます。……ですが、私は一介の商人の娘。とてもそのような身分に耐えるものでは有りません。陛下がこれからも我がマクラオド商会を末長くご贔屓下されば、それが私にとり最高の賜り物に御座います」
§§§
「フィオナらしい」
笑みを深くする。
「して、そなたの答えは?」
「此処は確かに我が父祖の地。特別な場所です。ですが、わたしが生まれ、育まれた地は此の世界に一つしか有りません」
「そなたもマクラオドも、ほんに慎ましいのう」
王はスッと眼を細めたが、それ以上強いることはしなかった。
§§§
澄み冴えた陽に照らされて。
しめやかな通り雨のなごりの黄金のひらめきが、無数に舞っていた。
ほのかに冷ややかな残り香を感じつつ。
一歩。
踏み出す。
投げ出された花束は、ふわりと滝に吸い込まれていった。
透けるように儚く繊細で、けれど過酷な環境にも負けずにしっかりと根を張る小さな花。
レチルタで咲いていた、鮮やかに印象に残る花だった。
……ジェラルド・メイヤーズが処刑された。
関係者と、大勢の野次馬と。
無数の視線に晒された刑場に、彼は威風堂々と歩み入ってきた。
「正義は、我に有り」
そう、力強く宣言して。
彼は、逝った。
「兄さん。トム。
わたしは前に進むわ。
わたしにしかできない事、わたしだからこそ出来る事。それを成す為に」
ずっと足をすくませていた。
あの、炎に呑まれゆく扉の前で。
でももう、立ち止まってなどいられないのだ。
§§§
王宮の一角。
観滝の露台の青の絨毯の海の中。
白亜の欄干のすぐそばで、少女は祈りを捧げていた。
まるであつらえたように、その彩りは彼女に似合いだった。
光を授けた金色の髪が燦然と輝きを放ち、少女の存在を明明としている。
その様はどこか神々しくもあり――
まるで、神話から抜け出てきたようであった。
「ぐ、具合はもう良いのか」
長の療養が少女を細らせたものか、その後ろ姿は共に旅をしていた頃よりも、いかにも弱々しく見えた。
「ウン、ご覧の通り。……ありがとう、モーリッツ」
柔和に頬を緩ませる。それはとても穏やかで――綺麗な笑みだった。
早まる鼓動に静まれと念じながら。
一言。
たった一言で良い。
伝えたい気持ちを口にしようと、もがく。
が、
「――か!」
飛び出たのは、裏返った、頓狂で我ながら笑うしかないような上擦った声だった。
なさけなさで泣きたい心地になりながら、小首をかしげるフィオナに向けてどうにか意味のある言葉をひねり出す。
「家業を継ぐんだってな」
「ウン。もともと、家を継ぐのが嫌なワケじゃなかったし。それに、何をするにも先立つモノは必要でしょ?稼いで稼いで稼ぎまくって――それで少しでも、イレ=ラーバティの為に何かを出来たらって思う。どうすれば良いのかは、まだはっきりとは見えないけど。まずは手の届くところからコツコツと、かな!」
語るフィオナの目は澄んで力強くて。まっすぐにこの先を見つめていた。
とても、留まってくれなどとは言えない。言ったとしても、彼女は止まらないだろう。……彼が、騎士になる道を捨てられないのと同様に。
だから、伝えなければならないのだ。たとえ今は離れてしまうとしても、いつか交差するかもしれない未来に向けて。
「ナンカ、なごり惜しいな」
想いを声に乗せようとした、その矢先。
まるで狙い澄ましたかのような間合いで、出鼻をくじかれた形になった。
そして続く言葉で、決定的に機会を逸したことを彼は悟る。
「モーリッツ、わたしのもう一人の兄さんみたいだったから」
(兄……か)
慕われるのは嬉しいのだが……。
モーリッツは胸中で溜め息をつく。
「そろそろ仕事の時間だよね」
スルリと、長い髪が光の尾を引いて脇をすり抜けた。
「じゃあ、また後でね」
元気に腕を振って、フィオナが走り去っていく。
その背中に伸ばされた手は、力なく降ろされた。
§§§
トン、と。軽い音を立てて。波止場に降り立つ。
行き交うのは、雑踏の喧騒とその合間に届く海鳥の声。よく馴染んだ潮の香り。
当たり前で、ありふれたもので。ことさらに意識なんかしたことなかったのに――ああ、帰ってきたのだと、
なんだか、
そう、
懐かしいと、思った。
二年。
これまでも遠出をしたことは何度かあったけれど、思えば、こんなにもソークシニヨンを離れていたことはなかった。
変わらない。
けれど、どこかが違う。
探るように、踏み出して。
故郷の風を確かに感じながら、レベッカとホースケと、ひたるように、惜しむように、ゆったりと家路を辿る。
――そう、ホースケ。
あんなにグザビエに懐いていたのに、どういう心変わりがあったものか。ミアルカを後にする際、またちゃっかりとレベッカの定位置に収まったのだ。
気まぐれなのか、何なのか。まったく、この鳥の気持ちは推し測れない。
普段は素直な子なのに、こうして時たま捻くれたことをするのだ。そのくせ、こんなに一緒に居たのについにフィオナを――モーリッツもだが――止まり木代わりにしてはくれなかった。
(ああっ、一日でイイからこのもふもふで触り心地のイイ生き物を独占してみたかったのにっ!)
しばらくの別れと、ここぞとばかりにその羽毛をたっぷりと堪能する。
こうして普通に触ることには抵抗しないので嫌われているわけではないようなのだが、一体、この待遇差はどういったことなのだろう。レベッカに詰め寄っても肩をすくめるばかりだし……釈然としなかった。
「ホントウに、行っちゃうの?」
正門を抜けて、邸の、扉の前。
足を止めて、フィオナは問う。
すぐに発つのだという。
レベッカとこんなにも長い付き合いになるなんて、裏庭で別離の挨拶をしたあの時には思いも寄らなかったのだけれども。それでもやはり、離れてしまうとなると寂しさが込み上げてくる。
彼女には、たくさん助けられた。感謝の思いは、言葉にできないくらい。まだ、その分を返せていない。けれど、それ以上に――
「なんなら、イイ人紹介するのに」
彼女はいつまで、さすらうつもりなのだろうか。行くあてもなく……。
意志は、きっと変わらない。それでも、口にせずにはいられなかった。
「緩見つけて行くさ。帰る場所を」
「そっか……。
じゃあ、ね。レベッカ」ありったけの笑顔をはなむけに。「またいつか」
彼女の居場所の一つであれれば良いと。モーリッツもグザビエも同じだから、と。
想いを込めて。
「嗚呼。必ず」
マントをひるがえして、一人と一羽が去ってゆく。
その背中が見えなくなるまで見送ってから――
一つ、深呼吸。
向き直ると。
フィオナは、扉を押し開いた。
――第二部 了 ――
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