夢幻の終焉

入江瑞溥

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氷上の煌めき

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随分ずいぶん待たせてしまったな。ようやく、お前に顔を合わせることが出来る」
 花束はなたばと、親友ともが好きだった銘柄の酒をそなえて。
静かに語りかける。
やわらかに舞うそよ吹く風が、花弁かべんを揺らしていった。
 ミアルカの、遅い初春はつはる。日はとうに昇っていたが、まだ時刻は早朝だ。墓地にグザビエの他に人影はなく、鳥のさえずりだけが響いている。
 戦争の終結が宣されたのは、半年前。だが、そののちも不穏ふおん分子の制圧やレチルタ併合に伴う対応などで何かと慌ただしく、こうしてゆっくりと墓に参るのは、今日が初めてであった。
「お前の汚名は、すすがれたよ」
 外務にたずさわっていた友は、七年前、人身売買を行っていたというとがで失脚、拘束こうそくされた。
 有り得ないことだった。
 グザビエは友人の潔白けっぱくを明かすべく調査を重ね、ついに事はこのミアルカだけの問題ではないという事実に突き当たる。
ようやくつかんだ不穏の痕跡こんせきのがさぬために、そしてまた、周囲にるいが及ばぬよう、彼は祖国を出奔しゅっぽんするという手段を選んだのだった。
「……だが結局、お前を助けてはやれなんだ」
 墓地特有の清澄せいちょうな空気を吸い込み――
瞑目めいもくして空をあおぐ。
 安易あんいに死を選ぶような男ではない。家族をだしに、自死へと追いやられていったに違いない。

 もっと違うやり方が有ったのではないか。

 友の訃報ふほうを受けてから、それはおきのごとく心の片隅かたすみくすぶっていた。
「君がわたしをそしるのも無理もない」
 居あぐねていた様子の青年に言葉を向ける。
 モーリッツは恐縮したように一礼し、
「戻られたとうかがって……」
 グザビエの花束の隣にそっと手向たむけて、参る。
「そのせつはとんだ非礼を働きました。申し訳も有りません」
「それを言いに、わざわざ?」
首肯しゅこうする若者に、軽く笑みかける。
律儀りちぎだな。……君は、ギーズの友だったのか」
「はい。士官学校からの。共に騎士きしを目指す……同志でした。少将しょうしょうの事は、あいつから良く伺っておりました」
「そうか」
 友を通して、あの一家とグザビエとは交流があった。その縁で、友の息子であるギーズにはたびたび剣の稽古けいこをつけていたものだ。ギーズが騎士の道を歩むと決めたのは彼に憧れてのことだと、友からは聞かされていた。それだけに一層、友の命と共にその息子のこころざしをもうしなわせる結果となってしまったことは、本当に心苦しいことだった。
人伝ひとづての話では、夫人も子供達も隣国の縁者を頼り息災そくさいであるとのことで、それが救いではあった。
「ところで、君のお姫様ひめさまの所には行かなくて良いのかね?いつもの露台ろだいに一人で居るのを見掛けたが。別れの前に、伝えて置きたいことが有るのではないか?」
 モーリッツが彼女に特別な想いをいだいていることなど、はたに居ればなおさら明々白々めいめいはくはくなのであったが……
本人は見通されるなど思いもよらぬことであったようだ。
 あからさまな狼狽ろうばいの色もあらわに取り留めもないことを口走くちばしると、あたふたと礼をして立ち去る。
 その背を、グザビエは微笑ほほえましく見送るのだった。

                  §§§

 いまだ目覚めぬ街並を、穏やかな日ざしのヴェールが包む。

 まるで、宝石のようだ。

 を受けて乱反射する氷水晶ひょうすいしょうの建物の群れを見やりながら、そんな感想が浮かぶ。
 帝国の面影おもかげを強く残すリュクワの街は、これまで見てきたどの都市よりも異質だ。とりわけ、ほぼ当時のままだというこの王城はそれが顕著けんちょであった。
 帝国のあけぼの王家ラーバの力滔天とうてんなりし頃にその技術のすいを結集して造営されたこの城は、例によって――鎮耀映てるひ神殿しんでんほどではないが――外観と内部の整合性の無い作りになっていた。
今彼女の目の前にあって宝石の街並みと繋がっているかに思えるこの窓も、外からは壁か何かに見えているのかもしれない。
「どうかね、フォックス。具合の方は」
「はい、御陰様おかげさまですっかり良く」
 礼にならった辞儀をとるレベッカに、城の主が腰を下ろすよううながした。
 入室してきた国王は式典や謁見えっけんで見かけるいかにも重たげで華美な服装ではなく、いくぶん過ごしやすそうな恰好かっこうだった。
予期していた通り、これからわされるやり取りは非公式のもののようだ。
指定されたこの部屋からも、それはうかがえる。
奢侈しゃししなに囲まれていることに変わりはないが、彼女にあてがわれている部屋と比べれば控えめで狭い。私的な談話といったていか。
当然、人払ひとばらいもされていた。
 ……そう、レチルタから帰還してからというもの、彼女とフィオナはすっかり賓客ひんきゃく扱いで――間者の存在ク=ラデスへの警戒の度合いが下がったこともあるだろうが――街中の屋形やかたからこちらへと生活の拠点を移されていた。といっても、そのことを知ったのはのちのことで、しばらくは療養院での安静を余儀なくされていたのだが。
 特にフィオナは重篤じゅうとくだった。
 刺し傷が思いのほか深く、あの場の応急でなかなか止血できなかったこともあるが、何よりその状態で魔法を使い続けていたことが大きく響いた。
ミアルカに移送されてからも長らく意識が回復せず、そこから動けるようになるのにもさらに時間を要した。以前と変わらない状態にまでなったのは、ここ最近のことだ。
「そうか、それは何より。式を辞退したからよもやと思うてな」
「御気遣い、痛み入ります」
 過日かじつ、情勢がひと段落したむねかんがみて、戦勝をたたえる式典が盛大に催された。
連合国合同のものと、ミアルカ独自のものと、フィオナは心情はともかく商売に繋げるのだとどちらにも出席したのだが、レベッカは最低限の義理立てのために連合国の方にのみ顔を出すにとどめていた。
 警戒したのだ。
 自国のしょうであれば理解できる。しかし、ともすれば彼ら以上に、彼女達を英雄えいゆうと祭り上げる雰囲気がミアルカにはあった。
そこに持ってきて、この面会。
王の次の句を、レベッカは予知できる気がしていた。
「さて、フォックス。こうしてそなたとうたのは他でもない。そなたに爵位しゃくいと領地をさずけたいと思うたからだ。ただし、そなたがこの地に留まるのであれば、だが」
 きょうされた茶を口元に運んで。
レベッカは即答をけた。
「考えてもみよ」
王がなめらかに続ける。
「ここはそなたの父祖の眠る地。故郷と申しても過言ではない。そなたが苦難の果てにここに導かれたのは、言わば定めと呼ぶにあたいするのではないか」
「フィオナは、なんと?」
 かすかにんで。
カップを置くと、レベッカ。
 王が呵呵かかと笑う。
「あの娘、中々なかなかに大した商人になりそうだ」

                  §§§

「身に余る光栄、恭悦きょうえつの極みに存じます。……ですが、わたくし一介いっかいの商人の娘。とてもそのような身分に耐えるものでは有りません。陛下へいかがこれからもがマクラオド商会を末長くご贔屓ひいき下されば、それが私にとり最高のたまわり物に御座います」

                  §§§

「フィオナらしい」
 笑みを深くする。
「して、そなたの答えは?」
此処ここは確かにが父祖の地。特別な場所です。ですが、わたしが生まれ、はぐくまれた地はの世界に一つしか有りません」
「そなたもマクラオドも、ほんにつつましいのう」
 王はスッとまなこを細めたが、それ以上いることはしなかった。

                  §§§

 澄みえたに照らされて。
 しめやかな通り雨のなごりの黄金こがねのひらめきが、無数に舞っていた。
 ほのかに冷ややかな残り香を感じつつ。
一歩。
踏み出す。
 投げ出された花束はなたばは、ふわりとたきに吸い込まれていった。
 けるようにはかなく繊細で、けれど過酷な環境にも負けずにしっかりと根を張る小さな花。
 レチルタで咲いていた、鮮やかに印象に残る花だった。

 ……ジェラルド・メイヤーズが処刑された。

 関係者と、大勢の野次馬やじうまと。
無数の視線にさらされた刑場に、彼は威風堂々と歩み入ってきた。

「正義は、我に有り」

 そう、力強く宣言して。
彼は、った。
にいさん。トム。
わたしは前に進むわ。
わたしにしかできない事、わたしだからこそ出来る事。それをために」
 ずっと足をすくませていた。
 あの、炎にまれゆく扉の前で。
 でももう、立ち止まってなどいられないのだ。

                  §§§

 王宮おうきゅう一角いっかく
観滝かんたき露台ろだいの青の絨毯じゅうたんの海の中。
白亜はくあ欄干らんかんのすぐそばで、少女は祈りを捧げていた。
 まるであつらえたように、そのいろどりは彼女に似合いだった。
光をけた金色きんの髪が燦然さんぜんと輝きを放ち、少女の存在を明明あかあかとしている。
そのさまはどこか神々こうごうしくもあり――

まるで、神話しんわから抜け出てきたようであった。

「ぐ、具合はもう良いのか」
 ながの療養が少女を細らせたものか、その後ろ姿は共に旅をしていた頃よりも、いかにも弱々しく見えた。
「ウン、ご覧の通り。……ありがとう、モーリッツ」
 柔和にゅうわほおを緩ませる。それはとても穏やかで――綺麗な笑みだった。
 早まる鼓動こどうに静まれと念じながら。
 一言。
 たった一言で良い。
 伝えたい気持ちを口にしようと、もがく。
 が、
「――か!」
 飛び出たのは、裏返った、頓狂とんきょうで我ながら笑うしかないような上擦うわずった声だった。
 なさけなさで泣きたい心地ここちになりながら、小首をかしげるフィオナに向けてどうにか意味のある言葉をひねり出す。
家業かぎょうぐんだってな」
「ウン。もともと、家を継ぐのが嫌なワケじゃなかったし。それに、何をするにも先立つモノは必要でしょ?稼いで稼いで稼ぎまくって――それで少しでも、イレ=ラーバティかれらために何かを出来たらって思う。どうすれば良いのかは、まだはっきりとは見えないけど。まずは手の届くところからコツコツと、かな!」
 語るフィオナの目は澄んで力強くて。まっすぐにこの先を見つめていた。
 とても、とどまってくれなどとは言えない。言ったとしても、彼女は止まらないだろう。……彼が、騎士きしになる道を捨てられないのと同様に。
 だから、伝えなければならないのだ。たとえ今は離れてしまうとしても、いつか交差するかもしれない未来に向けて。
「ナンカ、なごり惜しいな」
 想いを声に乗せようとした、その矢先。
 まるで狙い澄ましたかのような間合いで、出鼻でばなをくじかれた形になった。
そして続く言葉で、決定的に機会をいっしたことを彼は悟る。
「モーリッツ、わたしのもう一人のにいさんみたいだったから」

(兄……か)
 
 したわれるのは嬉しいのだが……。
 モーリッツは胸中きょうちゅうで溜め息をつく。
「そろそろ仕事の時間だよね」
スルリと、長い髪が光の尾を引いてわきをすり抜けた。
「じゃあ、また後でね」
 元気に腕を振って、フィオナが走り去っていく。
 その背中に伸ばされた手は、力なく降ろされた。

                  §§§

 トン、と。軽い音を立てて。波止場はとばに降り立つ。
 行きうのは、雑踏ざっとう喧騒けんそうとその合間あいまに届く海鳥の声。よく馴染んだ潮の香り。
当たり前で、ありふれたもので。ことさらに意識なんかしたことなかったのに――ああ、帰ってきたのだと、
なんだか、
そう、
懐かしいと、思った。
 二年。
 これまでも遠出をしたことは何度かあったけれど、思えば、こんなにもソークシニヨンこのまちを離れていたことはなかった。
 変わらない。
けれど、どこかが違う。
 さぐるように、踏み出して。
 故郷の風を確かに感じながら、レベッカとホースケと、ひたるように、惜しむように、ゆったりと家路いえじを辿る。
 ――そう、ホースケ。
あんなにグザビエに懐いていたのに、どういう心変わりがあったものか。ミアルカを後にする際、またちゃっかりとレベッカの定位置に収まったのだ。
気まぐれなのか、何なのか。まったく、この鳥の気持ちはし測れない。
普段は素直な子なのに、こうして時たまひねくれたことをするのだ。そのくせ、こんなに一緒に居たのについにフィオナを――モーリッツもだが――止まり木代わりにしてはくれなかった。
(ああっ、一日でイイからこのもふもふで触り心地ごこちのイイ生き物を独占してみたかったのにっ!)
 しばらくの別れと、ここぞとばかりにその羽毛うもうをたっぷりと堪能たんのうする。
こうして普通に触ることには抵抗しないので嫌われているわけではないようなのだが、一体、この待遇差はどういったことなのだろう。レベッカに詰め寄っても肩をすくめるばかりだし……釈然としなかった。
「ホントウに、行っちゃうの?」
 正門を抜けて、わがやの、扉の前。
 足を止めて、フィオナは問う。
 
 すぐにつのだという。
 
 レベッカとこんなにも長い付き合いになるなんて、裏庭で別離の挨拶をしたあの時には思いも寄らなかったのだけれども。それでもやはり、離れてしまうとなると寂しさが込み上げてくる。
 彼女には、たくさん助けられた。感謝の思いは、言葉にできないくらい。まだ、その分を返せていない。けれど、それ以上に――
「なんなら、イイ人紹介するのに」
 彼女はいつまで、さすらうつもりなのだろうか。行くあてもなく……。
 意志は、きっと変わらない。それでも、口にせずにはいられなかった。
ゆっくり見つけて行くさ。帰る場所を」
「そっか……。
じゃあ、ね。レベッカ」ありったけの笑顔をはなむけに。「またいつか」
 彼女の居場所の一つであれれば良いと。モーリッツもグザビエも同じだから、と。
 想いを込めて。
嗚呼ああ。必ず」
 マントをひるがえして、一人と一が去ってゆく。
 その背中が見えなくなるまで見送ってから――
一つ、深呼吸。
 向き直ると。
 フィオナは、扉を押し開いた。

                          ――第二部 了 ――
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