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第2話 ー完璧すぎる課題ー ①
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四月下旬。
窓の向こうで、校舎の中庭の若い木々が、少し強めの春風に揺れていた。ゴールデンウィークにはまだ少し間があるのに、清能北高校の二年C組はどこかそわそわしている。
連休前の月曜日。
黒板には「情報科レポート提出〆切:4/25(金)」という文字が、赤チョークで囲まれていた。その下に貼られたプリントには、細かい提出条件がぎっしりと並んでいる。
——今週中に、か。
柏加真白は、自分の席から黒板を見上げながら、胸の中でそっとため息をついた。
内容は難しくない。
「身近な情報システムの危険性と、その対策について」という、いかにも情報科らしいレポート。文字数は二千字前後、学校のポータルサイトにある「課題提出システム」からアップロードする形式だ。
去年、一年生のときにも似たような課題はあったし、真白にとってこの程度のレポートなら一晩あれば十分に書ける。
——本気を出せば、の話だけれど。
問題は、そこではない。
問題は、自分の頭の中にある「余計な知識」が、つい筆に乗ってしまいそうになることだった。
「じゃ、連休前の最後の課題だからな。早めに終わらせて、気持ちよく休みに入れよー」
若い情報科の担任が、チョークをトントンと黒板に当てながら笑う。教卓にはノートパソコンが開かれ、スクリーンには課題提出システムのログイン画面が映っていた。教室の後ろのモニターにも同じ画面がミラーリングされている。
「締切は金曜の二十三時五十九分。システムに記録されるのは“提出時刻”だから、ギリギリを攻めると回線が混み合って事故るぞ。余裕を持って出すように。……特に、そこの木下」
先生の視線が、教室の右側、窓際の方へ向く。
「えっ、あたし?」
椅子の上で少し猫背になっていた木下恋が、ぴょこんと顔を上げた。茶色のミディアムボブが、光を反射してきらきら揺れる。
「いやー、先生の監視すごいなー。まだ何も言ってないのに、ちゃんとわかってる感じ。こわー」
口ではそう言いながらも、恋は笑っている。教室からもくすくすと笑いが漏れた。
「前回の課題、提出ボタン押し忘れてただろ。紙ではちゃんと出してたからいいけどさ。今回は完全オンライン提出だから、“出したつもり”は通用しないからな。あまりうっかりしてると、情報委員の柏加にも迷惑がかかるぞ」
「はーい、了解でーす。真白ー、あとで一緒にやろ」
恋は半分立ち上がりかけて、完全に隣の席の真白の方を向いている。
真白は小さく肩を揺らして恋に向き合う。
二年生になって情報委員になった真白としては、情報科の教師である担任の先生に逆らうことは極力避けたい。
「……恋、授業中」
「今のは先生への返事の一部です」
恋が小声で言い訳をすると、前の方から先生のため息が聞こえた。
「木下、それを言い訳って言うんだ。はい、静かに。レポートの内容説明、もう一回だけするから、聞き逃すなよ」
教室の空気が、少しだけ真面目になる。
先生は、教卓のノートパソコンを操作して、スライドを切り替えた。そこには「レポートのポイント」と題された箇条書きが表示される。
・身近な情報システムを一つ選ぶ(例:SNS、オンラインショッピング、学校ポータルなど)
・その危険性を「具体的な事例」から考える
・どんな対策をすれば安全になるか、自分の言葉でまとめる
「ここ重要。“具体的な事例”ってところな。ネットで適当に検索してコピペ、ってのは論外。そんなのは、すぐバレるからな。あくまで、自分の体験とか、ニュースで見たこととかをベースに、考えて書いてほしい」
——ニュースで見たこと、か。
真白は、窓の外の空を一瞬だけ見上げた。
曇っているわけではないのに、春特有の白っぽい光が、教室の中を薄く満たしている。
「もちろん、最近学校で起きたことを題材にしてもいい。……クラス掲示板の件とか」
先生がさらりと言うと、教室の空気が、ほんの少しだけざわめいた。
——やっぱり、あれは“最近の出来事”なんだ。
掲示板の事件。
クラスSNSの自己紹介スレッドが消えた騒ぎは、公式には「システムの不具合」ということになっている。でも、本当のところを知っているのは、ごく一部だけだ。
真白は、指先に力が入るのを感じて、慌ててペンを握り直した。
——もう終わったこと。
——ちゃんと対策もした。
——今は、普通の課題の話。
「ま、あの件に関しては、もう心配しなくていい。パスワードの変更も済んでるし、ログの取得方法も改善した。……協力してくれたやつには、あとで個別に礼を言うからな」
先生は、意味ありげに教室を見渡したが、それ以上は踏み込まない。
真白は、わずかに視線をそらし、ノートに「レポート:テーマどうするか」とだけ書き込んだ。
隣の席から、恋の視線を感じる。
真白がそっと目線だけそちらに寄せると、恋は口パクで「ね、ね」と問いかけてきた。
——たぶん、「あの事件を書いていい?」とか、そんなところだろう。
真白は、ほんの少しだけ首を横に振った。
恋は、ふくれっ面をしてから、すぐに笑顔に戻る。
「……はい、じゃあ、レポート課題の説明はここまで。残りの時間は、各自テーマ決めと構成まで進めてもいいし、別の教科の勉強しててもいい。ただし、提出締切だけは守るように」
チャイムが鳴り終わると同時に、いつものざわめきが戻ってきた。
「なあなあ、何のシステムにする?」
「俺、ゲーム系のアカウント管理とか書いてもいいのかな」
「やば、今週バイト詰まってるんだけど」
教室中から、課題についての会話と、まったく関係ない雑談とが入り混じった声が聞こえてくる。
真白は、ノートを閉じて、ペンをペンケースに戻した。
——何を書くか。
身近な情報システム。
候補なら、いくらでも浮かぶ。
クラスSNS。
学校のポータルサイト。
市の防災アプリ。
ショッピングサイト。
個人のクラウドストレージ。
どれも、メリットとリスクを、真白は知りすぎている。
「真白、真白」
隣から、恋が椅子ごと近づいてくる。机の間に、境界線があることを、完全に忘れている距離感だった。
「えっとね、相談。あたし、何を書けばいいと思う?」
「……恋は、何を使ってるか、から考えたら?」
真白は、少しだけ視線を落としたまま答える。
「うーん、そうねー。クラスSNSもあるし、学校のポータルもあるし、通販サイトもあるし、動画サイトも…」
恋は、指を折りながら、次々に候補を挙げていく。
——意外と、たくさん出てくるんだな。
真白は心の中で感心した。
「でも、やっぱ学校関係が無難かなー。先生も話してたし。……あっ」
恋の顔がぱあっと明るくなる。
「連休前のレポートで学校の話書いたらさ、連休明けの授業で『お、ちゃんと考えてるじゃん』って先生に褒められたりするかも」
「そんな計算で決めるんだ……」
真白は、小さく笑った。
恋らしい、とも思う。
「でさでさ、その、『クラス掲示板が消えた事件』の話は?」
恋は少し声を潜めて、机の上に身を乗り出してくる。
「真白たちが——いや、真白が、えっと、いろいろ頑張ったやつ」
「……あれは、“システムの不具合”ってことで落ち着いたんだよ」
真白は、言葉を選びながら答える。
先生がさっき口にした“協力してくれたやつ”という言葉が、耳の奥に残っていた。
「あまり具体的なことを書くと、変に誤解されるかもしれないし」
「そっかー。……うん、確かに」
恋は、少しだけ唇をとがらせてから、すぐに表情を柔らかくした。
「じゃあさ、あたし、普通に“学校のシステムって便利だけど、パスワード大事だよね”みたいな方向で書こうかな。ちゃんと、“パスワードは他人に教えない”ってやつ」
「それ、すごく基本的で、大事なこと」
真白は、自然と頷いていた。
——本当に、それだけ守れている人がどれだけいるかは、別の話だけど。
胸の奥に、冷たい水滴のようなものが落ちる感覚があって、真白はそれ以上考えるのをやめた。
「真白は? 何書くの?」
「……まだ決めてない。連休前の話だし、防災アプリとかでもいいかなって」
「お、いいじゃん。真白、防災アプリ詳しそうだもんね」
「詳しくは、ないよ。ただ、入れてるだけ」
「でもさ、真白が書いたら、なんか“ちゃんとしてる感”すごそう。先生に『優良レポートとして、来年の一年生の参考にします』とか言われちゃうやつだ」
「それは、困る……」
人前に出されることを想像しただけで、真白の背中に、じわりと冷や汗がにじんだ。
——目立ちたくない。
——平穏に、静かに、二年生の一年を過ごしたい。
その願いは、春休みが終わってから、毎日のように心の中で唱えてきたものだった。
事件に関わるのは、もうできるだけ避けたい。
ただでさえ、クラス掲示板の件で、一度踏み込んでしまっている。
「ね、真白」
恋の声が、不意に少しだけ真剣味を帯びた。
「何かあったら、また、一緒にやろ?」
「……何かって?」
「わかんないけど。システムがまた変な動きしたりさ、レポートがうまく出せなかったりしたら。真白、一人で悩まないで。あたしにも言って」
恋は、軽い調子で言いながら、その目はどこかで真白の奥を見ていた。
——もう、気づいている。
恋は、真白が“普通の女子高生”の範囲に収まりきらないことを、去年の一年間で十分に理解している。
それでも、真白を「すごい」と言いながら、同時に「普通の友達」として隣にいてくれる。
「……うん。ありがとう、恋」
真白は、小さく息を吐いてから答えた。
照れくささを、どうにか言葉に押し込める。
その時、前の方で先生が手を叩いた。
「はい、そこ。イチャイチャしてないで、ちゃんとテーマ決めろよー」
「い、イチャイチャなんてしてません!」
恋が即座に立ち上がる。教室に笑いが広がり、真白は顔が熱くなるのを感じて俯いた。
——いつも通りの、賑やかな午後。
——連休前の、すこし浮ついた空気。
それなのに、真白の胸の中には、うっすらとした不安の影が、消えずに残っていた。
クラス掲示板の事件で見た、ログの「揺らぎ」。
人の手ではない、テンプレート的な痕跡。
ああいうものが、またどこかに潜んでいる気がしてならない。
——でも、考えすぎだ。
——たぶん、もう大丈夫。
自分にそう言い聞かせながら、真白はノートを開き直し、「防災アプリ」「通知」「誤作動」といった単語を、思いつくままに書き連ねていった。
放課後。
四月の夕方の光が、廊下に長い影を落としている。
教室を出た二年C組の生徒たちは、それぞれ部活動へ、友人との約束へと散っていく。
真白と恋も、靴箱へ向かって並んで歩いていた。
「ねえ真白、今日、寄り道してかない?」
「寄り道?」
「駅前のカフェ、新作のいちごのなんとかってやつが出たんだって。連休前だし、ちょっとだけお祝い。ほら、まだレポートも出してないけど、気持ちだけ先に」
恋は、楽しそうに両手を広げた。
真白は、下駄箱からローファーを取り出しながら、少しだけ考える。
——レポート、今日はテーマ決めたくらいだし。
——帰ってすぐ書き始めた方が、いいのかもしれないけど。
「……一時間だけなら」
「やったー」
恋が、わかりやすくガッツポーズをする。
「真白、ありがと。レポートの相談も、そこでしよっか。あたし、構成とか苦手だからさー。『序論・本論・結論』ってやつ? あれ、頭の中でぐるぐるしてると、いつの間にか全部“結論っぽい何か”になるんだよね」
「……それは、構成じゃなくて勢いだけで書いてるってことだと思う」
真白は、小さく笑いながら靴を履き替えた。
昇降口を出ると、春の風が制服のスカートを揺らした。まだ少し冷たいけれど、それでも空気の中には、冬とは違う柔らかさが混じっている。
校門の前の通りには、部活帰りの生徒や、自転車で駆けていく生徒の姿があった。
とりたてて変わったものはない、いつもの放課後の風景。
「ねえ真白」
並んで歩きながら、恋がふと空を見上げた。
「連休の予定、もう決めた?」
「まだ。家の用事が入るかもしれないし……」
「そっか。じゃあさ、空いてる日があったら、どこか行こ。図書館でも、ショッピングモールでも、公園でも。真白が落ち着けるところ」
「……うん」
返事をしながら、真白は横目で恋の顔を見た。
風に揺れる茶髪。
前を向いたまま、少しだけ口角を上げている横顔。
——平穏に暮らしたい。
——この人と一緒に、普通の高校二年生として。
そのささやかな願いが、今は確かにここにある。
真白は、胸の奥のかすかな不安を、そっと押し込めた。
今はまだ、レポートのテーマと、新作スイーツのことで頭をいっぱいにしていてもいいのだと思うことにする。
窓の向こうで、校舎の中庭の若い木々が、少し強めの春風に揺れていた。ゴールデンウィークにはまだ少し間があるのに、清能北高校の二年C組はどこかそわそわしている。
連休前の月曜日。
黒板には「情報科レポート提出〆切:4/25(金)」という文字が、赤チョークで囲まれていた。その下に貼られたプリントには、細かい提出条件がぎっしりと並んでいる。
——今週中に、か。
柏加真白は、自分の席から黒板を見上げながら、胸の中でそっとため息をついた。
内容は難しくない。
「身近な情報システムの危険性と、その対策について」という、いかにも情報科らしいレポート。文字数は二千字前後、学校のポータルサイトにある「課題提出システム」からアップロードする形式だ。
去年、一年生のときにも似たような課題はあったし、真白にとってこの程度のレポートなら一晩あれば十分に書ける。
——本気を出せば、の話だけれど。
問題は、そこではない。
問題は、自分の頭の中にある「余計な知識」が、つい筆に乗ってしまいそうになることだった。
「じゃ、連休前の最後の課題だからな。早めに終わらせて、気持ちよく休みに入れよー」
若い情報科の担任が、チョークをトントンと黒板に当てながら笑う。教卓にはノートパソコンが開かれ、スクリーンには課題提出システムのログイン画面が映っていた。教室の後ろのモニターにも同じ画面がミラーリングされている。
「締切は金曜の二十三時五十九分。システムに記録されるのは“提出時刻”だから、ギリギリを攻めると回線が混み合って事故るぞ。余裕を持って出すように。……特に、そこの木下」
先生の視線が、教室の右側、窓際の方へ向く。
「えっ、あたし?」
椅子の上で少し猫背になっていた木下恋が、ぴょこんと顔を上げた。茶色のミディアムボブが、光を反射してきらきら揺れる。
「いやー、先生の監視すごいなー。まだ何も言ってないのに、ちゃんとわかってる感じ。こわー」
口ではそう言いながらも、恋は笑っている。教室からもくすくすと笑いが漏れた。
「前回の課題、提出ボタン押し忘れてただろ。紙ではちゃんと出してたからいいけどさ。今回は完全オンライン提出だから、“出したつもり”は通用しないからな。あまりうっかりしてると、情報委員の柏加にも迷惑がかかるぞ」
「はーい、了解でーす。真白ー、あとで一緒にやろ」
恋は半分立ち上がりかけて、完全に隣の席の真白の方を向いている。
真白は小さく肩を揺らして恋に向き合う。
二年生になって情報委員になった真白としては、情報科の教師である担任の先生に逆らうことは極力避けたい。
「……恋、授業中」
「今のは先生への返事の一部です」
恋が小声で言い訳をすると、前の方から先生のため息が聞こえた。
「木下、それを言い訳って言うんだ。はい、静かに。レポートの内容説明、もう一回だけするから、聞き逃すなよ」
教室の空気が、少しだけ真面目になる。
先生は、教卓のノートパソコンを操作して、スライドを切り替えた。そこには「レポートのポイント」と題された箇条書きが表示される。
・身近な情報システムを一つ選ぶ(例:SNS、オンラインショッピング、学校ポータルなど)
・その危険性を「具体的な事例」から考える
・どんな対策をすれば安全になるか、自分の言葉でまとめる
「ここ重要。“具体的な事例”ってところな。ネットで適当に検索してコピペ、ってのは論外。そんなのは、すぐバレるからな。あくまで、自分の体験とか、ニュースで見たこととかをベースに、考えて書いてほしい」
——ニュースで見たこと、か。
真白は、窓の外の空を一瞬だけ見上げた。
曇っているわけではないのに、春特有の白っぽい光が、教室の中を薄く満たしている。
「もちろん、最近学校で起きたことを題材にしてもいい。……クラス掲示板の件とか」
先生がさらりと言うと、教室の空気が、ほんの少しだけざわめいた。
——やっぱり、あれは“最近の出来事”なんだ。
掲示板の事件。
クラスSNSの自己紹介スレッドが消えた騒ぎは、公式には「システムの不具合」ということになっている。でも、本当のところを知っているのは、ごく一部だけだ。
真白は、指先に力が入るのを感じて、慌ててペンを握り直した。
——もう終わったこと。
——ちゃんと対策もした。
——今は、普通の課題の話。
「ま、あの件に関しては、もう心配しなくていい。パスワードの変更も済んでるし、ログの取得方法も改善した。……協力してくれたやつには、あとで個別に礼を言うからな」
先生は、意味ありげに教室を見渡したが、それ以上は踏み込まない。
真白は、わずかに視線をそらし、ノートに「レポート:テーマどうするか」とだけ書き込んだ。
隣の席から、恋の視線を感じる。
真白がそっと目線だけそちらに寄せると、恋は口パクで「ね、ね」と問いかけてきた。
——たぶん、「あの事件を書いていい?」とか、そんなところだろう。
真白は、ほんの少しだけ首を横に振った。
恋は、ふくれっ面をしてから、すぐに笑顔に戻る。
「……はい、じゃあ、レポート課題の説明はここまで。残りの時間は、各自テーマ決めと構成まで進めてもいいし、別の教科の勉強しててもいい。ただし、提出締切だけは守るように」
チャイムが鳴り終わると同時に、いつものざわめきが戻ってきた。
「なあなあ、何のシステムにする?」
「俺、ゲーム系のアカウント管理とか書いてもいいのかな」
「やば、今週バイト詰まってるんだけど」
教室中から、課題についての会話と、まったく関係ない雑談とが入り混じった声が聞こえてくる。
真白は、ノートを閉じて、ペンをペンケースに戻した。
——何を書くか。
身近な情報システム。
候補なら、いくらでも浮かぶ。
クラスSNS。
学校のポータルサイト。
市の防災アプリ。
ショッピングサイト。
個人のクラウドストレージ。
どれも、メリットとリスクを、真白は知りすぎている。
「真白、真白」
隣から、恋が椅子ごと近づいてくる。机の間に、境界線があることを、完全に忘れている距離感だった。
「えっとね、相談。あたし、何を書けばいいと思う?」
「……恋は、何を使ってるか、から考えたら?」
真白は、少しだけ視線を落としたまま答える。
「うーん、そうねー。クラスSNSもあるし、学校のポータルもあるし、通販サイトもあるし、動画サイトも…」
恋は、指を折りながら、次々に候補を挙げていく。
——意外と、たくさん出てくるんだな。
真白は心の中で感心した。
「でも、やっぱ学校関係が無難かなー。先生も話してたし。……あっ」
恋の顔がぱあっと明るくなる。
「連休前のレポートで学校の話書いたらさ、連休明けの授業で『お、ちゃんと考えてるじゃん』って先生に褒められたりするかも」
「そんな計算で決めるんだ……」
真白は、小さく笑った。
恋らしい、とも思う。
「でさでさ、その、『クラス掲示板が消えた事件』の話は?」
恋は少し声を潜めて、机の上に身を乗り出してくる。
「真白たちが——いや、真白が、えっと、いろいろ頑張ったやつ」
「……あれは、“システムの不具合”ってことで落ち着いたんだよ」
真白は、言葉を選びながら答える。
先生がさっき口にした“協力してくれたやつ”という言葉が、耳の奥に残っていた。
「あまり具体的なことを書くと、変に誤解されるかもしれないし」
「そっかー。……うん、確かに」
恋は、少しだけ唇をとがらせてから、すぐに表情を柔らかくした。
「じゃあさ、あたし、普通に“学校のシステムって便利だけど、パスワード大事だよね”みたいな方向で書こうかな。ちゃんと、“パスワードは他人に教えない”ってやつ」
「それ、すごく基本的で、大事なこと」
真白は、自然と頷いていた。
——本当に、それだけ守れている人がどれだけいるかは、別の話だけど。
胸の奥に、冷たい水滴のようなものが落ちる感覚があって、真白はそれ以上考えるのをやめた。
「真白は? 何書くの?」
「……まだ決めてない。連休前の話だし、防災アプリとかでもいいかなって」
「お、いいじゃん。真白、防災アプリ詳しそうだもんね」
「詳しくは、ないよ。ただ、入れてるだけ」
「でもさ、真白が書いたら、なんか“ちゃんとしてる感”すごそう。先生に『優良レポートとして、来年の一年生の参考にします』とか言われちゃうやつだ」
「それは、困る……」
人前に出されることを想像しただけで、真白の背中に、じわりと冷や汗がにじんだ。
——目立ちたくない。
——平穏に、静かに、二年生の一年を過ごしたい。
その願いは、春休みが終わってから、毎日のように心の中で唱えてきたものだった。
事件に関わるのは、もうできるだけ避けたい。
ただでさえ、クラス掲示板の件で、一度踏み込んでしまっている。
「ね、真白」
恋の声が、不意に少しだけ真剣味を帯びた。
「何かあったら、また、一緒にやろ?」
「……何かって?」
「わかんないけど。システムがまた変な動きしたりさ、レポートがうまく出せなかったりしたら。真白、一人で悩まないで。あたしにも言って」
恋は、軽い調子で言いながら、その目はどこかで真白の奥を見ていた。
——もう、気づいている。
恋は、真白が“普通の女子高生”の範囲に収まりきらないことを、去年の一年間で十分に理解している。
それでも、真白を「すごい」と言いながら、同時に「普通の友達」として隣にいてくれる。
「……うん。ありがとう、恋」
真白は、小さく息を吐いてから答えた。
照れくささを、どうにか言葉に押し込める。
その時、前の方で先生が手を叩いた。
「はい、そこ。イチャイチャしてないで、ちゃんとテーマ決めろよー」
「い、イチャイチャなんてしてません!」
恋が即座に立ち上がる。教室に笑いが広がり、真白は顔が熱くなるのを感じて俯いた。
——いつも通りの、賑やかな午後。
——連休前の、すこし浮ついた空気。
それなのに、真白の胸の中には、うっすらとした不安の影が、消えずに残っていた。
クラス掲示板の事件で見た、ログの「揺らぎ」。
人の手ではない、テンプレート的な痕跡。
ああいうものが、またどこかに潜んでいる気がしてならない。
——でも、考えすぎだ。
——たぶん、もう大丈夫。
自分にそう言い聞かせながら、真白はノートを開き直し、「防災アプリ」「通知」「誤作動」といった単語を、思いつくままに書き連ねていった。
放課後。
四月の夕方の光が、廊下に長い影を落としている。
教室を出た二年C組の生徒たちは、それぞれ部活動へ、友人との約束へと散っていく。
真白と恋も、靴箱へ向かって並んで歩いていた。
「ねえ真白、今日、寄り道してかない?」
「寄り道?」
「駅前のカフェ、新作のいちごのなんとかってやつが出たんだって。連休前だし、ちょっとだけお祝い。ほら、まだレポートも出してないけど、気持ちだけ先に」
恋は、楽しそうに両手を広げた。
真白は、下駄箱からローファーを取り出しながら、少しだけ考える。
——レポート、今日はテーマ決めたくらいだし。
——帰ってすぐ書き始めた方が、いいのかもしれないけど。
「……一時間だけなら」
「やったー」
恋が、わかりやすくガッツポーズをする。
「真白、ありがと。レポートの相談も、そこでしよっか。あたし、構成とか苦手だからさー。『序論・本論・結論』ってやつ? あれ、頭の中でぐるぐるしてると、いつの間にか全部“結論っぽい何か”になるんだよね」
「……それは、構成じゃなくて勢いだけで書いてるってことだと思う」
真白は、小さく笑いながら靴を履き替えた。
昇降口を出ると、春の風が制服のスカートを揺らした。まだ少し冷たいけれど、それでも空気の中には、冬とは違う柔らかさが混じっている。
校門の前の通りには、部活帰りの生徒や、自転車で駆けていく生徒の姿があった。
とりたてて変わったものはない、いつもの放課後の風景。
「ねえ真白」
並んで歩きながら、恋がふと空を見上げた。
「連休の予定、もう決めた?」
「まだ。家の用事が入るかもしれないし……」
「そっか。じゃあさ、空いてる日があったら、どこか行こ。図書館でも、ショッピングモールでも、公園でも。真白が落ち着けるところ」
「……うん」
返事をしながら、真白は横目で恋の顔を見た。
風に揺れる茶髪。
前を向いたまま、少しだけ口角を上げている横顔。
——平穏に暮らしたい。
——この人と一緒に、普通の高校二年生として。
そのささやかな願いが、今は確かにここにある。
真白は、胸の奥のかすかな不安を、そっと押し込めた。
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