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第2話 ー完璧すぎる課題ー ③
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放課後の情報科教室は、窓から差し込む夕日のせいでオレンジ色に染まっていた。
掃除当番のためにまだ何人か残っているが、ほとんどの生徒は帰宅している。
教室の後ろでプリンタの電源が落ちる軽い音がした。
真白と恋が教室に入ると、
その音の主——川野杏が椅子の背に鞄をかけながら、振り向いた。
「……真白さん? 恋さんも?」
長い黒髪を低い位置で結んだ川野は、驚いた表情を見せ、それからすぐに柔らかい微笑に戻した。
恋は小さく会釈するものの、緊張で言葉が出てこない。
代わりに、真白が一歩前に出た。
「川野さん。少し、話したいことがあるの」
川野の眉がわずかに動く。
「……私に?」
真白は頷いた。
「今日の提出システムの件。恋のアカウントが使われたこと。——心当たり、ない?」
川野の表情が、数秒だけ固まった。
そして……ほんの一瞬だが、視線が教室の端のPCに向いた。
その微細な動きを、真白は見逃さなかった。
恋はその空気に耐えきれず、勇気を振り絞って問いかける。
「川野さん……。あのレポート……出したの、あなた……?」
川野の唇がきゅっと締まる。
夕日が教室を照らす中で、川野は小さく息を吐いた。
「……わかってたんだ。真白さん、あなたなら気づくって」
その言葉で、恋の目が大きく見開かれ、真白は静かに息をのみ込んだ。
——やっぱり。
川野は、鞄の紐を握りながら、ゆっくりと語り始めた。
「……木下さんは“優しい”から、気づかないかもしれないけど。
去年の情報科で、あなたの提出物、毎回ギリギリだったの。
内容も簡単で、字数も少なくて。先生も言ってた。“本当はもっとできるはずなのに”って」
恋が小さく肩をすくめた。
「あ、あれは……その……」
川野は続ける。
「私……悔しかったの。
同じ班だったのに、恋さんだけ“雑にやっても許されてる”感じがして。
それに、あなた……成績、上がらなくても気にしないんだもの」
恋は言葉を失い、真白は静かに川野を見つめた。
「でも、そんな中、恋さんは技術的なこととは関係なく人のつながりをテーマにして、校内コンクールで金賞を取っていた」
「……」
——動機は、きっと嫉妬と焦り。
——そして、恋の“未熟さ”を見て、置いていかれたくないという感情。
川野は震える声で続けた。
「今回のレポートも……きっとまた、簡単に書くんだと思った。でも……それが許せなかった。
私が先に恋さんのレポートを提出したら焦るんじゃないか、……そう思ってしまったの」
恋はうつむいたまま、握った手を震わせる。
川野は一歩下がり、かすれた声で言った。
「……ごめんなさい。やりすぎた。
勝手に他人のアカウントで提出して、ログまでいじったのは、本当に……よくないことだってわかってる」
真白は静かに口を開いた。
「川野さん。どうやって恋のアカウントに入ったの?」
川野は少し迷ったが、やがて観念したように答えた。
「去年、班の作業で恋さんのノートPC使ったときに……打ち込むパスワードが見えたの。
“誕生日のまま”だったから……つい」
恋の顔が真っ赤になる。
「わ、わたし……そんな理由で……!」
川野は続ける。
「それで……提出前の日曜夜に、恋さんのレポートを“代わりに”書いたの。本当は、恋さんにが気付いて焦った時に、私がやったって話すつもりだった。でも……その前になんだか大事になっちゃって。変なテンプレートも試してみちゃったから怖くなって」
その言葉に、真白はピクリと眉を動かした。
「試した……?」
「どこまで完璧に偽装できるか、試してみたの。ログを消すテンプレートの話は、少し前に同じクラスの子に教えてもらったの。テンプレートを組んで、負荷ログを消して……。
それで、実際に提出できてしまったから……舞い上がってしまって」
恋は震える声で言う。
「そんな……そんなことで……あたし、疑われたんだよ……」
川野は唇を噛みしめ、深く頭を下げた。
「ごめんなさい。本当に……」
真白はその姿をじっと見ながら、胸に残っていた疑問のひとつに口を向けた。
「川野さん。ログの送信元アドレス……学校の第三端末群だったよね。あなた……そこで作業したの?」
川野は目を伏せ、静かに頷いた。
「はい。昨日、課題研究のあとに……。先生がプリンタを使い終わるのを待って……」
恋は肩を抱きしめるように腕を組み、震えた声で言った。
「どうして……あたしだったの……?」
川野は顔を上げ、恋のほうをまっすぐ見た。
「……悔しかったから。
恋さんみたいに、努力してないように見えるのに、みんなに好かれて……。
だから……“証明したかった”の。
私が作ったレポートを見れば、あなたも本気を出すんじゃないかって」
恋の目から涙がこぼれそうになる。
真白は静かに、しかしはっきり言った。
「川野さん。その方法じゃ、恋を追い詰めて傷つけるだけだよ」
川野はぎゅっと拳を握りしめた。
「……わかってる。本当に……」
川野の謝罪は、嘘ではなかった。
動機は幼く、方法は間違っていたが、悪意だけではない。
川野は恋を“見下していた”のではなく、むしろ“焦っていた”。
恋は涙を拭きながら、小さな声で言った。
「……あたしのこと、そんなふうに思ってたんだ」
川野はゆっくり頷いた。
「ごめん。嫉妬してた。
でも……あなたが悪いわけじゃない。
悪いのは、私。私の気持ちの処理の仕方が間違ってた」
恋はしばらく黙っていたが、やがて小さく息を吸い込んだ。
「……わかった。
でも……今回のことで先生が困ってるし、あたしも疑われた。
そこは……ちゃんと説明してほしい」
川野は頷き、深く頭を下げた。
その姿を見て、真白はふっと力を抜いた。
——この子は根っから悪い子じゃない。
——ただ、不器用で、焦ってしまっただけ。
そして真白は、まだ一つだけ気にかかっている点に気づいた。
テンプレ送信元アドレス。
川野のログには、確かに第三端末群のアドレスがある。
しかし、真白が取得したログの最下部には——
「テンプレ生成元:不明」
という一行があった。
川野が使った端末は普通の学校PC。
なのに、テンプレ生成の記録が“空欄”だった。
川野にそんな高度な“匿名化”ができるだろうか?
——違う。
——川野は“犯行者”ではあるけれど、“全ての技術部分を担った人物”ではない。
そのとき、真白の背筋をひやりと撫でるものがあった。
誰かが、川野の行動に“上書きする形で介入した”。
真白は夕日に染まる教室の中で、ゆっくりと息を吸った。
「……川野さん。ひとつだけ確認させて」
川野は顔を上げる。
「あなた、ログの“端末識別”をNullにしたり、負荷ログを空欄にした?」
川野は即座に首を振った。
「……いえ。そこまでは……。テンプレートで提出時間を偽装できるみたいってのは思ったけど、あとは提出ボタンを押しただけで……」
真白と恋の視線が静かにぶつかる。
——誰かが、もっと深いところにいる。
川野の幼い動機とは別に、
提出ログテンプレを扱える“第三の人物”がいる。
それは、真白が思っていた以上に大きな影だった。
教室に沈む夕日は、もう赤というより深い橙色に変わっていた。
床に長く落ちた影は三人分。それぞれの影が、揺れながら重なり合っている。
真白は川野を見据えたまま、静かに言葉を継いだ。
「川野さん。あなたが“やったこと”は、もう話してくれたよね。でも——あなた“一人ではできない”ことが、ログに残ってた」
川野の目がわずかに揺れる。
恋が、小さく、しかし確かな声で続けた。
「ログの……テンプレート、ってやつ。あれは川野さんの仕業じゃ、ないんだよね?」
川野は黙ったまま唇を噛み、視線を泳がせた。
図星だと、態度が物語っている。
真白はその瞬間、確信する。
——テンプレ生成の“空白”。
——端末識別のNull化。
——提出処理の上書き。
川野が悪意で恋を巻き込み、提出したのは事実。
だが、その行動に“乗っかり”、さらに“巧妙に偽装した”別の存在がいる。
しかし、いま川野を問い詰めるのは順番が違う。
恋がまず、向き合うべきものがある。
しばらくの沈黙のあと、川野が小さく息を吸った。
「……本当に……ごめんなさい。恋さんをここまで困らせるつもりは、なかった。ただ……」
恋はその続きを静かに待つ。
真白は、横で恋が無意識に胸元のシャツをぎゅっとつまんでいるのを目にした。
川野は涙声で言った。
「……私、恋さんのこと、ずっと羨ましかった。
周りに人がいて、先生にも同級生にも愛されてて……。
私は、何をしても“優秀な子”ってしか見てもらえなくて……」
恋は驚いたように目を大きくした。
「え、あたし……そんな……」
「恋さんは“無意識に”できるの。
人と自然に話せるし、周りが手伝いたくなる空気を持ってる。
それが……ちょっと羨ましくて。自分がすごく小さく見えて……」
そこまで聞いたとき、恋は初めて胸を押さえた。
「……知らなかった。そんなふうに思われてたなんて」
川野は肩を落とし、深く頭を下げた。
「だから、恋さんのレポートを勝手に作って、勝手に提出した。
恋さんなら“こんなことくらいしても、きっと許される”って……。
そう思い上がってた。最低だよね」
恋はゆっくりと首を横に振った。
「……最低なんかじゃないよ」
川野が驚いたように顔を上げる。
恋は小さく笑った。
涙の跡がうっすら残っている笑顔だった。
「川野さんが、あたしのことを“知らなかっただけ”なんだよ。
あたし、ほんとはそんなに強くない。
失敗もするし、成績だって普通だし……。
だから、“羨ましい”って思われるなんて、びっくりした」
真白の胸がきゅっと締めつけられた。
恋はいつだって明るくて、周りに笑顔をくれるけれど。
内側ではずっと、笑顔の裏で周りの期待や声を人一倍気にしているのを、真白は知っている。
——恋、やっぱり優しい。
恋は続けた。
「川野さんが、あたしを見てくれてたのは嬉しいよ。でも……
今回みたいに“勝手に助けようとする”のは違うと思う。
あたしのためじゃなくて、川野さんが“安心したかっただけ”なんでしょ?」
川野は言葉を詰まらせ、やがてぽつりと答えた。
「……うん。そう。そうなんだと思う」
恋はそっと手を伸ばし、川野の腕に触れた。
「だったら、今度から……ちゃんと話そうよ。
“本当はどう思ってるか”とか、“どうしたかったか”とか。
そのほうが絶対いいよ」
真白は、その光景を静かに見守っていた。
恋の言葉はいつだって、人の心に真っ直ぐ届く。
川野は涙をこぼしながら、何度も頷いていた。
ひと段落したのを見て、真白はそっと口を開いた。
「川野さん。
恋の疑惑は……ちゃんと説明してくれる?」
川野は姿勢を正し、はっきりと答えた。
「もちろん。私が自分で先生に言います。“恋さんは関係ない”って」
恋はほっと深く息を吐いた。
真白の胸の緊張もようやくほどけていく。
ただ——。
真白の胸には、別の問題がまだ残っていた。
「川野さん。最後にもうひとつだけ。
テンプレ生成……“知らない人”が触ってる痕跡があるの。
川野さんがやってない部分」
川野ははっきりと頭を振った。
「本当に……そこまでは触ってない。そんな高度なこと、できない」
恋が不安そうに真白の袖をつかんだ。
「真白……それって……」
真白は恋の手を包むように握り返した。
「……大丈夫。今は、この問題を終わらせよう。
テンプレの件は、別の誰か。
でも、それは“今”追うべき相手じゃない」
一度に全部を解決しようとすると、かえって大事なものを見失う。
恋の潔白を証明することが、今日の最優先。
翌日。
川野は約束通り、担任に全てを説明した。
恋が無実であること、提出は自分の独断で行ったこと、ログ改ざんは“自分がした範囲だけ”だということ。
先生は深くため息をつきながら、川野に対しては厳重注意を行った。
そして、恋に言った。
「木下。……疑ってはいなかったが、危うい立場にして悪かったな」
恋は首を振り、明るく笑って言った。
「先生、あたしも提出忘れが多いから……仕方ないよ~」
先生と真白がふっと笑い、その場の空気が和らぐ。
しかし真白は、心の中に小さな棘を残していた。
——テンプレの送信元。
——“不明”のまま残った一行。
他の誰かが、川野の犯行に乗じて、システムに深く介入した可能性。
真白は、その存在の影を薄く感じていた。
昼休み。
二人だけのいつもの机で、恋が真白の顔を覗き込んだ。
「真白。本当にありがとう。
あたし……疑われたとき、心が折れそうだった。でも……
真白が“恋は何もしてない”って言ってくれて……それだけで救われた」
真白は照れくさそうに視線をそらす。
「……当然だよ。恋がそんなことするわけないし」
恋は両手を頬に当てて、ふにゃっと笑った。
「真白が怒ってくれたの、初めて見た気がする。
なんか……すごく嬉しかった」
「怒ってたわけじゃ——」
「怒ってたよ」
恋が真っ直ぐに言う。
その目は優しくて、温かくて、真白の胸にすっと沁みた。
真白は観念して、小さく笑った。
「……うん。ちょっとだけ、怒ってた」
恋は嬉しそうにうなずく。
「ありがと、真白。
あたし、もっとちゃんとする。パスワードも変える。忘れ物も減らす。
だって……真白に心配かけたくないもん」
真白は目を見開いた。
「恋……」
恋は照れくさそうに笑った。
「だってさ。あたしのこと、守ってくれたんだよ?
真白が怒ってくれたってだけで……なんか、すごく安心したの」
真白の胸に温かいものが広がった。
自分の怒りが、誰かのためになった。
そんな実感は、今までほとんどなかった。
——恋のためなら。
——この人のためなら、怒ることもできるんだ。
放課後の廊下。
窓の外は連休前らしい明るい夕日。
真白と恋は並んで歩きながら、ゆっくり話していた。
「川野さん、いい人だったね。ちょっと不器用だけど」
「……うん。悪い子じゃない。焦ってただけ」
「真白がそう言うなら、間違いないね」
恋の横顔は夕日に照らされ、柔らかい金色に染まっている。
ふいに真白は思い出して、口を開いた。
「そういえば……恋。パスワード、今日こそ変えてね」
「えー、めんど……」
真白の目が細くなる。
恋は慌てて笑った。
「か、変える変える! “誕生日のまま”なんて、もう絶対やめる!」
「…………」
「ちょっと真白! そんなにじっと見ないで~!」
二人で笑いながら昇降口へ向かう。
その後ろ姿は、昨日までの不安が嘘のように明るかった。
ただし——。
真白の胸の奥には、ほんの小さな影が落ちていた。
——テンプレ生成元:不明。
あの行単位の“空欄”が示すものは、川野の犯行とは別のレイヤーにいる何者かだ。
恋の横顔を見ながら、真白は静かに決意した。
もし、また同じ影が動いたら——今度こそ、その正体を突き止める。
そう思いながら、真白は恋の隣に立つ風景を噛みしめた。
今日は恋を守れた。
だからこそ、自分の中に芽生えた“怒る理由”を忘れたくなかった。
それは、平穏を守るための、小さくて強い火種だった。
連休前の春風が、二人の背中をそっと押した。
掃除当番のためにまだ何人か残っているが、ほとんどの生徒は帰宅している。
教室の後ろでプリンタの電源が落ちる軽い音がした。
真白と恋が教室に入ると、
その音の主——川野杏が椅子の背に鞄をかけながら、振り向いた。
「……真白さん? 恋さんも?」
長い黒髪を低い位置で結んだ川野は、驚いた表情を見せ、それからすぐに柔らかい微笑に戻した。
恋は小さく会釈するものの、緊張で言葉が出てこない。
代わりに、真白が一歩前に出た。
「川野さん。少し、話したいことがあるの」
川野の眉がわずかに動く。
「……私に?」
真白は頷いた。
「今日の提出システムの件。恋のアカウントが使われたこと。——心当たり、ない?」
川野の表情が、数秒だけ固まった。
そして……ほんの一瞬だが、視線が教室の端のPCに向いた。
その微細な動きを、真白は見逃さなかった。
恋はその空気に耐えきれず、勇気を振り絞って問いかける。
「川野さん……。あのレポート……出したの、あなた……?」
川野の唇がきゅっと締まる。
夕日が教室を照らす中で、川野は小さく息を吐いた。
「……わかってたんだ。真白さん、あなたなら気づくって」
その言葉で、恋の目が大きく見開かれ、真白は静かに息をのみ込んだ。
——やっぱり。
川野は、鞄の紐を握りながら、ゆっくりと語り始めた。
「……木下さんは“優しい”から、気づかないかもしれないけど。
去年の情報科で、あなたの提出物、毎回ギリギリだったの。
内容も簡単で、字数も少なくて。先生も言ってた。“本当はもっとできるはずなのに”って」
恋が小さく肩をすくめた。
「あ、あれは……その……」
川野は続ける。
「私……悔しかったの。
同じ班だったのに、恋さんだけ“雑にやっても許されてる”感じがして。
それに、あなた……成績、上がらなくても気にしないんだもの」
恋は言葉を失い、真白は静かに川野を見つめた。
「でも、そんな中、恋さんは技術的なこととは関係なく人のつながりをテーマにして、校内コンクールで金賞を取っていた」
「……」
——動機は、きっと嫉妬と焦り。
——そして、恋の“未熟さ”を見て、置いていかれたくないという感情。
川野は震える声で続けた。
「今回のレポートも……きっとまた、簡単に書くんだと思った。でも……それが許せなかった。
私が先に恋さんのレポートを提出したら焦るんじゃないか、……そう思ってしまったの」
恋はうつむいたまま、握った手を震わせる。
川野は一歩下がり、かすれた声で言った。
「……ごめんなさい。やりすぎた。
勝手に他人のアカウントで提出して、ログまでいじったのは、本当に……よくないことだってわかってる」
真白は静かに口を開いた。
「川野さん。どうやって恋のアカウントに入ったの?」
川野は少し迷ったが、やがて観念したように答えた。
「去年、班の作業で恋さんのノートPC使ったときに……打ち込むパスワードが見えたの。
“誕生日のまま”だったから……つい」
恋の顔が真っ赤になる。
「わ、わたし……そんな理由で……!」
川野は続ける。
「それで……提出前の日曜夜に、恋さんのレポートを“代わりに”書いたの。本当は、恋さんにが気付いて焦った時に、私がやったって話すつもりだった。でも……その前になんだか大事になっちゃって。変なテンプレートも試してみちゃったから怖くなって」
その言葉に、真白はピクリと眉を動かした。
「試した……?」
「どこまで完璧に偽装できるか、試してみたの。ログを消すテンプレートの話は、少し前に同じクラスの子に教えてもらったの。テンプレートを組んで、負荷ログを消して……。
それで、実際に提出できてしまったから……舞い上がってしまって」
恋は震える声で言う。
「そんな……そんなことで……あたし、疑われたんだよ……」
川野は唇を噛みしめ、深く頭を下げた。
「ごめんなさい。本当に……」
真白はその姿をじっと見ながら、胸に残っていた疑問のひとつに口を向けた。
「川野さん。ログの送信元アドレス……学校の第三端末群だったよね。あなた……そこで作業したの?」
川野は目を伏せ、静かに頷いた。
「はい。昨日、課題研究のあとに……。先生がプリンタを使い終わるのを待って……」
恋は肩を抱きしめるように腕を組み、震えた声で言った。
「どうして……あたしだったの……?」
川野は顔を上げ、恋のほうをまっすぐ見た。
「……悔しかったから。
恋さんみたいに、努力してないように見えるのに、みんなに好かれて……。
だから……“証明したかった”の。
私が作ったレポートを見れば、あなたも本気を出すんじゃないかって」
恋の目から涙がこぼれそうになる。
真白は静かに、しかしはっきり言った。
「川野さん。その方法じゃ、恋を追い詰めて傷つけるだけだよ」
川野はぎゅっと拳を握りしめた。
「……わかってる。本当に……」
川野の謝罪は、嘘ではなかった。
動機は幼く、方法は間違っていたが、悪意だけではない。
川野は恋を“見下していた”のではなく、むしろ“焦っていた”。
恋は涙を拭きながら、小さな声で言った。
「……あたしのこと、そんなふうに思ってたんだ」
川野はゆっくり頷いた。
「ごめん。嫉妬してた。
でも……あなたが悪いわけじゃない。
悪いのは、私。私の気持ちの処理の仕方が間違ってた」
恋はしばらく黙っていたが、やがて小さく息を吸い込んだ。
「……わかった。
でも……今回のことで先生が困ってるし、あたしも疑われた。
そこは……ちゃんと説明してほしい」
川野は頷き、深く頭を下げた。
その姿を見て、真白はふっと力を抜いた。
——この子は根っから悪い子じゃない。
——ただ、不器用で、焦ってしまっただけ。
そして真白は、まだ一つだけ気にかかっている点に気づいた。
テンプレ送信元アドレス。
川野のログには、確かに第三端末群のアドレスがある。
しかし、真白が取得したログの最下部には——
「テンプレ生成元:不明」
という一行があった。
川野が使った端末は普通の学校PC。
なのに、テンプレ生成の記録が“空欄”だった。
川野にそんな高度な“匿名化”ができるだろうか?
——違う。
——川野は“犯行者”ではあるけれど、“全ての技術部分を担った人物”ではない。
そのとき、真白の背筋をひやりと撫でるものがあった。
誰かが、川野の行動に“上書きする形で介入した”。
真白は夕日に染まる教室の中で、ゆっくりと息を吸った。
「……川野さん。ひとつだけ確認させて」
川野は顔を上げる。
「あなた、ログの“端末識別”をNullにしたり、負荷ログを空欄にした?」
川野は即座に首を振った。
「……いえ。そこまでは……。テンプレートで提出時間を偽装できるみたいってのは思ったけど、あとは提出ボタンを押しただけで……」
真白と恋の視線が静かにぶつかる。
——誰かが、もっと深いところにいる。
川野の幼い動機とは別に、
提出ログテンプレを扱える“第三の人物”がいる。
それは、真白が思っていた以上に大きな影だった。
教室に沈む夕日は、もう赤というより深い橙色に変わっていた。
床に長く落ちた影は三人分。それぞれの影が、揺れながら重なり合っている。
真白は川野を見据えたまま、静かに言葉を継いだ。
「川野さん。あなたが“やったこと”は、もう話してくれたよね。でも——あなた“一人ではできない”ことが、ログに残ってた」
川野の目がわずかに揺れる。
恋が、小さく、しかし確かな声で続けた。
「ログの……テンプレート、ってやつ。あれは川野さんの仕業じゃ、ないんだよね?」
川野は黙ったまま唇を噛み、視線を泳がせた。
図星だと、態度が物語っている。
真白はその瞬間、確信する。
——テンプレ生成の“空白”。
——端末識別のNull化。
——提出処理の上書き。
川野が悪意で恋を巻き込み、提出したのは事実。
だが、その行動に“乗っかり”、さらに“巧妙に偽装した”別の存在がいる。
しかし、いま川野を問い詰めるのは順番が違う。
恋がまず、向き合うべきものがある。
しばらくの沈黙のあと、川野が小さく息を吸った。
「……本当に……ごめんなさい。恋さんをここまで困らせるつもりは、なかった。ただ……」
恋はその続きを静かに待つ。
真白は、横で恋が無意識に胸元のシャツをぎゅっとつまんでいるのを目にした。
川野は涙声で言った。
「……私、恋さんのこと、ずっと羨ましかった。
周りに人がいて、先生にも同級生にも愛されてて……。
私は、何をしても“優秀な子”ってしか見てもらえなくて……」
恋は驚いたように目を大きくした。
「え、あたし……そんな……」
「恋さんは“無意識に”できるの。
人と自然に話せるし、周りが手伝いたくなる空気を持ってる。
それが……ちょっと羨ましくて。自分がすごく小さく見えて……」
そこまで聞いたとき、恋は初めて胸を押さえた。
「……知らなかった。そんなふうに思われてたなんて」
川野は肩を落とし、深く頭を下げた。
「だから、恋さんのレポートを勝手に作って、勝手に提出した。
恋さんなら“こんなことくらいしても、きっと許される”って……。
そう思い上がってた。最低だよね」
恋はゆっくりと首を横に振った。
「……最低なんかじゃないよ」
川野が驚いたように顔を上げる。
恋は小さく笑った。
涙の跡がうっすら残っている笑顔だった。
「川野さんが、あたしのことを“知らなかっただけ”なんだよ。
あたし、ほんとはそんなに強くない。
失敗もするし、成績だって普通だし……。
だから、“羨ましい”って思われるなんて、びっくりした」
真白の胸がきゅっと締めつけられた。
恋はいつだって明るくて、周りに笑顔をくれるけれど。
内側ではずっと、笑顔の裏で周りの期待や声を人一倍気にしているのを、真白は知っている。
——恋、やっぱり優しい。
恋は続けた。
「川野さんが、あたしを見てくれてたのは嬉しいよ。でも……
今回みたいに“勝手に助けようとする”のは違うと思う。
あたしのためじゃなくて、川野さんが“安心したかっただけ”なんでしょ?」
川野は言葉を詰まらせ、やがてぽつりと答えた。
「……うん。そう。そうなんだと思う」
恋はそっと手を伸ばし、川野の腕に触れた。
「だったら、今度から……ちゃんと話そうよ。
“本当はどう思ってるか”とか、“どうしたかったか”とか。
そのほうが絶対いいよ」
真白は、その光景を静かに見守っていた。
恋の言葉はいつだって、人の心に真っ直ぐ届く。
川野は涙をこぼしながら、何度も頷いていた。
ひと段落したのを見て、真白はそっと口を開いた。
「川野さん。
恋の疑惑は……ちゃんと説明してくれる?」
川野は姿勢を正し、はっきりと答えた。
「もちろん。私が自分で先生に言います。“恋さんは関係ない”って」
恋はほっと深く息を吐いた。
真白の胸の緊張もようやくほどけていく。
ただ——。
真白の胸には、別の問題がまだ残っていた。
「川野さん。最後にもうひとつだけ。
テンプレ生成……“知らない人”が触ってる痕跡があるの。
川野さんがやってない部分」
川野ははっきりと頭を振った。
「本当に……そこまでは触ってない。そんな高度なこと、できない」
恋が不安そうに真白の袖をつかんだ。
「真白……それって……」
真白は恋の手を包むように握り返した。
「……大丈夫。今は、この問題を終わらせよう。
テンプレの件は、別の誰か。
でも、それは“今”追うべき相手じゃない」
一度に全部を解決しようとすると、かえって大事なものを見失う。
恋の潔白を証明することが、今日の最優先。
翌日。
川野は約束通り、担任に全てを説明した。
恋が無実であること、提出は自分の独断で行ったこと、ログ改ざんは“自分がした範囲だけ”だということ。
先生は深くため息をつきながら、川野に対しては厳重注意を行った。
そして、恋に言った。
「木下。……疑ってはいなかったが、危うい立場にして悪かったな」
恋は首を振り、明るく笑って言った。
「先生、あたしも提出忘れが多いから……仕方ないよ~」
先生と真白がふっと笑い、その場の空気が和らぐ。
しかし真白は、心の中に小さな棘を残していた。
——テンプレの送信元。
——“不明”のまま残った一行。
他の誰かが、川野の犯行に乗じて、システムに深く介入した可能性。
真白は、その存在の影を薄く感じていた。
昼休み。
二人だけのいつもの机で、恋が真白の顔を覗き込んだ。
「真白。本当にありがとう。
あたし……疑われたとき、心が折れそうだった。でも……
真白が“恋は何もしてない”って言ってくれて……それだけで救われた」
真白は照れくさそうに視線をそらす。
「……当然だよ。恋がそんなことするわけないし」
恋は両手を頬に当てて、ふにゃっと笑った。
「真白が怒ってくれたの、初めて見た気がする。
なんか……すごく嬉しかった」
「怒ってたわけじゃ——」
「怒ってたよ」
恋が真っ直ぐに言う。
その目は優しくて、温かくて、真白の胸にすっと沁みた。
真白は観念して、小さく笑った。
「……うん。ちょっとだけ、怒ってた」
恋は嬉しそうにうなずく。
「ありがと、真白。
あたし、もっとちゃんとする。パスワードも変える。忘れ物も減らす。
だって……真白に心配かけたくないもん」
真白は目を見開いた。
「恋……」
恋は照れくさそうに笑った。
「だってさ。あたしのこと、守ってくれたんだよ?
真白が怒ってくれたってだけで……なんか、すごく安心したの」
真白の胸に温かいものが広がった。
自分の怒りが、誰かのためになった。
そんな実感は、今までほとんどなかった。
——恋のためなら。
——この人のためなら、怒ることもできるんだ。
放課後の廊下。
窓の外は連休前らしい明るい夕日。
真白と恋は並んで歩きながら、ゆっくり話していた。
「川野さん、いい人だったね。ちょっと不器用だけど」
「……うん。悪い子じゃない。焦ってただけ」
「真白がそう言うなら、間違いないね」
恋の横顔は夕日に照らされ、柔らかい金色に染まっている。
ふいに真白は思い出して、口を開いた。
「そういえば……恋。パスワード、今日こそ変えてね」
「えー、めんど……」
真白の目が細くなる。
恋は慌てて笑った。
「か、変える変える! “誕生日のまま”なんて、もう絶対やめる!」
「…………」
「ちょっと真白! そんなにじっと見ないで~!」
二人で笑いながら昇降口へ向かう。
その後ろ姿は、昨日までの不安が嘘のように明るかった。
ただし——。
真白の胸の奥には、ほんの小さな影が落ちていた。
——テンプレ生成元:不明。
あの行単位の“空欄”が示すものは、川野の犯行とは別のレイヤーにいる何者かだ。
恋の横顔を見ながら、真白は静かに決意した。
もし、また同じ影が動いたら——今度こそ、その正体を突き止める。
そう思いながら、真白は恋の隣に立つ風景を噛みしめた。
今日は恋を守れた。
だからこそ、自分の中に芽生えた“怒る理由”を忘れたくなかった。
それは、平穏を守るための、小さくて強い火種だった。
連休前の春風が、二人の背中をそっと押した。
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