ハッカー女子高生は平穏に過ごしたい

古城そら

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第3話 ークラスSNSの亡霊ー ①

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 5月3日。
 ゴールデンウィークの真ん中にある晴れは、平日より少しだけ街をやさしく見せる。
 清能市の中心地にあるショッピングモールは、家族連れと高校生と、休日の「どこにも急がなくていい空気」でいっぱいだった。
 柏加真白はその空気に、胸の奥の細い糸がほどけていくのを感じていた。ここ数週間、教室の端っこに置き去りにしてきた緊張が、今日はちゃんと自分の体から離れていく。人の声がうるさいのではなく、遠い波みたいに聞こえる。
 隣には木下恋がいる。茶色のショートボブが歩くたびに弾み、目が合うたびに「楽しんでる?」と問うみたいに笑う。
「ねえ真白、今日さ。あたし、ちゃんと“お礼”するって決めてるから」
「……お礼、なの?」
「そ。だってさ、前のやつ。あれ、マジで助かったし。あのままだったら、あたし、先生にずっと疑われるとこだったんだよ?」
 恋は言いながら、真白のカーディガンの袖をちょんとつまむ。引っ張る力は弱いのに、真白の足取りは自然に恋のほうへ寄っていってしまう。
 真白は、言葉を選んでから小さく返した。
「恋がちゃんと説明できたからだよ。私は……少し、手伝っただけ」
「出た、真白の“少し”。それ、世界の半分くらい動くやつ」
「動かない」
「動くってば」
 恋の軽い断言は、真白の反論をふわっと受け止めて、代わりに笑いに変えてくれる。真白はそれがありがたくて、でもありがたいと言うのが照れくさくて、口元だけで息を吐いた。
 雑貨屋をいくつか回った。恋はカラフルなスマホストラップを手に取って、「これ、真白っぽい」と言った。真白は白とグレーの小さなポーチを見つけて、指先で縫い目を確かめる。
 どちらも買うほどではない。でも、買わないことが楽しい。欲しいものの前で迷う時間が、事件でも課題でもないということが、今日はうれしい。
「あとさ、甘いの。絶対。甘いので締める。約束」
 恋はそう言って、フードコートの隅にあるスイーツ店を見つけると、迷いなく列に並んだ。真白はその背中を追いながら、こういうところが恋らしいと思う。迷わないことを、迷わないまま優しさにできる人。
 トレーに乗ったパフェは、いちごとバニラと、上にちょこんと乗った小さなクッキーがかわいかった。恋は「はい、真白のぶん!」と、受け取り口から受け取った瞬間に、もう勝利みたいな顔をした。
「……ありがとう、恋」
「ふふ。真白が“ありがとう”って言うと、ポイント倍っぽい」
「ポイント制度なんて、ないよ」
「あるよ、あたしの中に」
 恋はスプーンを構えたまま、真白を見上げる。真白は視線を逸らしながらも、パフェの表面のいちごをすくって口に運んだ。甘さが舌の上で広がって、たったそれだけで、頭の中の雑音が一段小さくなる。
 あの“前の事件”のことが、遠くなっていく。恋の名前で提出されたレポート。完璧すぎて、完璧だからこそ嘘だったもの。人の心を刺すのに、刃はいつも派手じゃない。むしろ、正しい顔をして近づいてくる。
 だから真白は、こういう休日が好きだ。世界が「普通」の形をしているから。自分も「普通」のまま、恋の隣にいられるから。
「真白、今日はさ」
 恋が急に声のトーンを落とす。からかいでも、軽い雑談でもないときの恋の声。真白はスプーンを止めた。
「ん?」
「……真白が楽しそうで、よかった。最近、ちょっとだけさ。目が、遠く見るみたいな日、あったじゃん」
 真白の胸がきゅっと縮む。恋は、気づきすぎる。
「……気のせいだよ」
「気のせいにしとく。でも、しんどいなら言って。あたし、聞く。聞ける」
 恋の言葉は、約束よりも軽く、でも破られない重さがある。真白は返事をできずに、パフェのガラス越しに溶けるアイスを見た。溶けるものは、ちゃんと溶けていい。凍ったまま、固く閉じこもる必要はない。
「……恋」
「なに?」
「今日は……楽しい」
 恋の目が少し丸くなって、それから、花が開くみたいに笑った。
「でしょ。じゃ、もう一個言って。真白、最高」
「……最高」
「よし。今日の目標、達成!」
 恋が嬉しそうにスプーンを振る。真白は笑ってしまった。思い切りじゃない。けれど確かに、頬が緩んだ。
 そのまま二人は、夕方までモールを歩いた。帰り道の駅前で恋が「また行こ!」と言って、真白は頷いた。口に出して“また”と言えることが、たぶん今の自分にとって一番の平穏だ。

 連休が明け、5月7日。
 教室の空気は、休日の余韻をまだ引きずっている。机の上に置かれたお土産、日焼けした腕、眠そうな目。恋は朝からテンションが高くて、「真白、休み明けってだるいけどさ、だるいからこそ、逆にがんばれそうじゃない?」とよくわからない理屈で笑っている。
 真白はそれに小さく相槌を打ちながら、スマホの通知を見た。
 クラスSNS。
 新しいアカウントが参加しました。
 表示名は、見覚えのない記号と、ひらがな一文字を組み合わせたようなものだった。プロフィール画像は真っ黒で、自己紹介欄は空白。
「なにこれ。誰?」
 恋がすぐに覗き込む。
「……新しく入った、みたい」
「転校生、いないよね?」
「うん」
 そのアカウントは、すぐに投稿を始めた。といっても、最初は害のないものばかりだった。
『今日の給食、カレーらしい』
『3時間目、体育だって』
『廊下の掲示、貼り替わってる』
 クラスの誰かが「誰だよw」と返し、別の誰かが「幽霊じゃん」と笑い、恋が「亡霊アカウント爆誕」とノリよくスタンプを送った。
 真白は、そのやり取りを眺めながら、心の中で距離を取った。悪戯だろう。こういうのは、騒げば騒ぐほど面白がって続く。触れないのが一番だ。
 それに、今は平穏を優先したい。真白は自分の中で、そう結論づける癖がある。結論にすると、安心できる。動かなくて済む。
「ねえ真白、あれさ。誰だと思う?」
 恋が肩を寄せてくる。
「わからない。……でも、悪いことはしていなさそうかな」
「それな。今んとこはね。まあでも、気になるっちゃ気になる」
 恋は気になることを、気になるままに口にできる。真白はそれが少し羨ましい。気になることは、時々、扉の取っ手になる。扉の向こうに面倒があっても。
 その一週間、亡霊アカウントは存在感を増していった。投稿の頻度は多いのに、文体は一定で、感情がない。誰かが雑談をしても、返事はほとんどしない。情報だけを落として、すっと消える。
 恋は「なんかさ、情報屋みたいじゃない?」と笑った。真白も、笑って流した。自分の中に、ほんの小さな違和感が芽生えているのを、恋には見せないように。

 亡霊アカウントが現れてから一週間が経った。
 その日の午後、クラスSNSの空気が変わった。
 いつものように通知が鳴り、真白は何気なく画面を開いた。すると、亡霊アカウントの投稿が、今までと違っていた。
『昨日、放課後。2-Cの〇〇、泣いてた』
『理由は、あの件。言わないほうがいい?』
『でも、みんな知ってるよね』
 投稿は曖昧な言葉で濁しているのに、読む側の想像を勝手に走らせる。クラスの返信が一気に増えた。「誰のこと?」「なにそれ」「やめろよ」。「冗談だろ」。そして、当事者らしい名前が出かけては消される。
 真白の指先が冷たくなる。
 この手触りは、知っている。情報が、刃物になる瞬間の、空気の変化。誰かの胸の内にだけあるはずのものが、外側に引きずり出されて、みんなの視線に晒されるとき。
 恋の席から、椅子が軋む音がした。恋がスマホを握りしめたまま立ち上がり、真白のほうに寄ってくる。
「真白、これ……」
 恋の声が、いつもより低い。笑いの混じらない声だ。
「これ、ただの悪ふざけじゃない。……だって、さっき廊下で、〇〇ちゃん、ほんとに元気なかった」
 恋は普段、噂話を面白がる側じゃない。むしろ、空気を読んで止める側だ。その恋が、ここまで真剣な顔をする。
 真白は画面を見つめた。投稿は続いていた。直接名前を書かない。けれど、断片を落として、当てさせる。外側から人の心に指を突っ込むやり方。
「……これ、嫌だね」
 真白の声は、自分でも驚くほど小さかった。胸の奥で、何かがこつんと鳴る。放っておけば、誰かが傷つく。放っておけば、クラスが歪む。
 でも、その声は恋にはちゃんと届いていた。
 恋が真白の机の端に手を置く。まるで、逃げ道を塞ぐのではなく、支えるための支点みたいに。
「ねえ、真白。真白ってさ、困ってる人、見過ごせないじゃん」
 真白は答えられない。見過ごせないのに、見過ごしたい。平穏でいたい。けど、平穏は、誰かの痛みを見ないふりして維持するものじゃない。そう気づいてしまっている。
 恋は息を吸って、真白の目をまっすぐ見た。
「私みたいに困ってる人を救いたいって思ってる真白の、後押しをしたい。だから……一緒にやろ。できるだけ、ずっと一緒にいる。真白が一人で抱えるの、やだ」
 恋の言葉は強い。強いのに、真白を押し倒さない。真白の足元に、一本の橋を架ける。
 真白はその橋を見てしまった。渡れば、もう戻れないかもしれない。けれど渡らなければ、誰かが落ちるかもしれない。
 真白は、画面の投稿をもう一度読み直した。さっきまでの“給食カレー”と同じアカウントなのに、手触りが違う。切り替わりが急すぎる。人格が変わったみたいに。
 ……不自然だ。
「恋」
「なに?」
「これ、少し……調べてみる。できる範囲で」
 恋の顔が、ふっと緩む。安心と決意が同時に浮かぶ表情。恋は頷いて、手を拳にして小さくガッツポーズをした。
「うん。やろ。真白、あたしもついてく。怖いのとか、面倒なのとか、半分こ」
 真白は、頷く代わりに、スマホの画面を閉じた。閉じても、通知は鳴る。亡霊は、まだ歩いている。
 そして真白の中で、もう一つの通知が鳴っていた。
 平穏は、ただ願うだけでは守れない。
 真白は、静かに息を吸い直す。自分の心臓の音を数えて、落ち着きを作る。高校生ができる範囲で。危ないことはしない。けれど、見ないふりもしない。
 恋が隣で、真白のペンケースをつんと指で突いた。
「真白、放課後。作戦会議しよ。場所、いつものとこでいい?」
「……うん。お願い」
 気付くと、真白の心は少しだけ軽くなっていた。
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