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第3話 ークラスSNSの亡霊ー ④
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翌日の朝、真白はいつもより少し早く家を出た。
昨日の廊下の空気が、まだ胸に残っている。宮坂の「ちょっと、スリルあって」という言葉は、口の中に残る苦い飴みたいに、噛んでも消えない。
恋からのメッセージが、駅のホームで届いた。
『今日、先生に話すんだよね。あたしも一緒に行く。逃げない』
真白は画面を見て、短く返した。
『うん。ありがとう』
それだけで、足元が少しだけ安定する気がした。
学校に着くと、廊下の掲示板の前で二年生が数人固まっていた。亡霊アカウントの話題は、もうクラスだけじゃない。噂は廊下を渡る。渡った先で形を変える。薄まることもあれば、濃くなることもある。
(今日で、止める)
真白はそう決める。
決めたからには、やる。
平穏に戻るには、行動が必要だ。
昼休み。
恋と一緒に、担任のいる情報科準備室の前まで来た。準備室の扉は少し重い。扉一枚の向こうに大人の領域があるみたいで、真白は一度、呼吸を整えた。
恋が真白の袖をつまむ。
「大丈夫。あたし、ちゃんと隣にいる」
「……うん」
ノックすると、少し間があって「どうぞ」と声がした。
担任の先生はパソコンの画面から顔を上げた。
理系らしい無駄のない机。端に積まれたプリント。壁のホワイトボードには、授業用のネットワーク図が書きかけで残っている。
「木下、柏加。昼休みにどうした?」
恋が先に口を開いた。
「先生、クラスSNSの件なんです。亡霊アカウント」
担任の眉がほんの少し上がる。
彼は情報科の先生だから、SNS関連の話は軽く流せない。
「聞いてる。だが、具体的に何が起きている?」
真白は机の前に立って、スマホを握り直した。
言い方を間違えると、ただの噂話で終わる。
だから、順番を決める。A→B→C→D。自分が得た事実だけ。
「クラスSNSに、連休明けに新しいアカウントが入ってきました。最初は無害な投稿だけでした。でも、途中からクラスメートのプライベートに踏み込む内容に変わりました」
担任が頷く。
「誰が投稿しているかは?」
恋が少し前に出た。
「宮坂が関わってます。本人が認めました」
担任が一瞬目を細める。
「宮坂?」
「はい。ただ、それだけじゃない可能性があって……」
真白は続ける。
今が一番大事なところ。
「亡霊アカウントは外部連携がONになってました。匿名投稿サービスから、自動で投稿されている可能性が高いです。文体がテンプレっぽくて、投稿元表示がWeb中心のものが多い」
「匿名投稿サービス……」
担任は顎に手をやった。
「それは、SNS側の連携機能だな。学校として推奨はしていないが、機能としては存在する」
真白は頷く。
「はい。それに加えて、手動投稿も混ざっています。投稿元表示がWandroidのものがあり、投稿間隔が不自然に崩れている。宮坂くんが一部、手動で投稿したと認めました」
恋が横で、唇を噛む。
その悔しさを、真白は拾って言葉にしない。今は、先生に伝えることが優先だ。
担任は、机の引き出しからメモ帳を出した。
「ここまでは、クラス内の問題として処理できる。だが、君たちが言いたいのは“それだけじゃない”だろう」
真白は、息を吸った。
「はい。外部からのアクセスの可能性があります」
その言葉で、部屋の空気が一段冷えた。
恋が少しだけ背筋を伸ばす。
「根拠は?」
担任が短く問う。
真白は、ここだけは曖昧にできない。
「宮坂くんが使った匿名投稿サービスの受信内容の中に、校内ネットワークに関する情報が含まれていました。アクセスポイント名みたいなものです。本人は“自分は書いてない”と言ってました」
「受信内容を見たのか?」
「本人から聞きました。あと、亡霊の投稿の中にも、校内の場所やタイミングを知っていないと書けない内容が混ざっています」
担任は、ゆっくりと頷いた。
「つまり……宮坂が設定した連携が、外部からの情報収集に利用された可能性がある。踏み台だな」
真白は、言葉が先生の口から出たことに、少しだけ救われた。
自分が考えたことを、専門の大人が確認してくれる。
それだけで、世界が少し現実に戻る。
恋がすぐに言った。
「先生、止められますよね? 今すぐ」
「止める方法はいくつかある。まず亡霊アカウント自体の停止。次に、連携解除。だが、学校のネットワークに外部が触れているなら、それは別問題だ」
担任は立ち上がり、ホワイトボードの前に立った。
書きかけのネットワーク図の横に、新しく線を引く。
「校内のWi-Fiは、教職員用と生徒用で分けている。だが、アクセスポイント名や機器情報を集められると、弱い設定の箇所を探される可能性がある。攻撃というほど大げさでなくても、覗かれるのは嫌だろう」
真白は頷いた。胸の奥がざわつく。
“覗かれる”。
亡霊の投稿と同じだ。見られたくないのに、見られているという感覚。
「君たちができることは、ここまでだ」
担任は言った。
「ここからは学校側の対応になる。宮坂とは話したのか?」
恋が先に答える。
「昨日、話しました。先生に言うって伝えて、本人も了承してます」
「分かった」
担任は席に戻り、キーボードを叩き始めた。
画面に管理画面らしきものが開く。真白には細部は読めないが、ログイン、権限、設定項目の並びが見える。手つきは迷いがない。真白はその速さに、少しだけ羨ましさを感じた。自分はここまで滑らかに操作できない。まだ高校生だ。
「亡霊アカウントのIDは分かるか?」
真白はスマホを差し出した。
「これです。投稿のリンクから辿れます」
担任は画面を確認し、メモ帳に何かを書いた。
「よし。昼休みのうちに、アカウント停止申請を入れる。クラスSNSの管理者にも連絡する。宮坂が管理権限を持っているなら、権限を一時的に剥奪する」
恋がほっと息を吐く。
「先生、ありがとうございます」
「礼は要らない。これは学校の仕事だ」
担任は、次に真白のほうを見た。
「柏加。外部の可能性について、もう少し。君が見た“外部”は、具体的に何だ?」
真白の心臓が跳ねた。
ここで、言う。
自分が一番怖かったもの。
「投稿ログに、学校のWi-Fiじゃないアクセスが混じってました。夜の時間帯。基本的には校内のアクセスポイントに偽装されていましたが、ごく少数だけ、校内ではないものがありました」
真白は言いながら、自分の記憶を引っ張る。
それは確かに校内のIPアドレス帯ではなかった。
少し考えてから担任が答えた。
「わかった。そっちは改めてアクセスのログを確認してみよう。そして、これ以上は踏み込まないこと。いいか?」
真白は頷いた。
大人の線引きは正しい。
これ以上踏み込むのは危険で、そして怖い。
恋が言った。
「宮坂、協力すると思います。だって、踏み台にされたって聞いて、顔色変わってた」
担任は少しだけ目を細めた。
「よし。放課後、宮坂を呼ぶ。君たちも来られるか?」
真白は一瞬迷った。
宮坂に会うのは、もう気が重い。
でも、今日で終わらせたい。
「……行きます」
恋が即座に言う。
「行く行く。絶対行く」
担任は短く頷いて、メモを閉じた。
「よし、二人ともありがとう。さて、昼休みは終わりだ。授業に戻れ。放課後、準備室に来てくれ」
真白と恋は「はい」と言って、部屋を出た。
廊下に出ると、空気が少しだけ軽く感じた。
大人の領域に渡しただけで、責任が全部消えるわけじゃない。
でも、手放すべきところで手放せた。
それは、平穏に近づく一歩だ。
「真白」
恋が小さく呼ぶ。
「今日、頑張った。ほんと」
「……恋も」
「えへへ。ポイント倍?」
「……倍」
恋が笑って、真白も少しだけ笑った。
放課後。
情報科準備室には、宮坂が呼び出されていた。
昨日よりも顔色が悪い。スマホを両手で握り、落ち着かない様子で椅子に座っている。
担任は淡々と進めた。
「宮坂。君が使った匿名投稿サービスと、クラスSNSの連携について。君の端末で確認する」
「……はい」
宮坂はスマホを差し出した。
担任はそれを受け取り、画面を見ながら質問をする。宮坂は答える。時々、言葉が詰まる。詰まっても、先生は待つ。怒鳴らない。ただ、事実だけを集める。
真白は、横でそのやり取りを見ていた。
自分がしたかったことはこれだ。
大声で責めることじゃない。
壊れたものを、元に戻す手順を作ること。
「ここだな」
担任が、宮坂の端末の画面を示す。
匿名投稿サービスの管理画面。受信ログ。連携設定。
「受信ログに、アクセス元が出ている」
宮坂が小さく息を吸う。
真白は、画面の端に並んだ数字列を見た。
小さな文字。
でも、確かにそこにある。
担任が、紙にメモを取る。
IPアドレスのように見える数字が、いくつか並んでいた。完全に同じではない。けれど、最初の部分が似ている。
「レンジだ」
担任が呟いた。
恋が顔をしかめる。
「レンジ?」
「同じ組織や同じ回線の範囲で使われる、IPアドレスのまとまりだ。細かい説明は今は省く。重要なのは、これは校内のIPではない」
真白の手足が冷えた感じがした。
外。
本当に外から、見られていた。
担任は続ける。
「匿名投稿サービス側へのアクセスを、いま学校のネットワークで遮断することはできない。だが、校内Wi-Fiの設定は見直せる。アクセスポイントのSSIDとパスワード、WPS設定の有無、ゲスト分離。確認する」
彼は別の画面を開き、校内ネットワークの管理ページに入った。真白には、専門用語の意味がすっと入ってきたが、反応しない様にした。
「まず、外部連携の経路は塞ぐ。亡霊アカウントの停止は申請済み。クラスSNSの管理権限は、……情報委員の柏加に移す。宮坂、君はしばらくSNS係を外れる」
宮坂が小さく頷く。
「……はい。すみません」
恋が言う。
「謝るのは後でいい。今は、ちゃんと協力して」
宮坂は顔を上げ、恋に短く「うん」と言った。
「柏加は、申し訳ないがSNS申請の面倒もみてほしい」
「はい。基本的に増減は少ないと思うので、大丈夫です」
担任は、さらに真白を見る。
「柏加。君は、どこまで調べた?」
真白は正直に答えた。
「公開されている範囲だけです。投稿元表示と、投稿のテンプレ傾向。外部サービスの存在を、ドメインで推測しました」
「よし、それでいい。線を越えていない」
担任はそこで初めて、少しだけ柔らかい声になった。
「君たちが無茶をしなくてよかった。ここから先は、学校が責任を持つ」
真白は、胸の奥が少しだけ緩むのを感じた。
責任。
その言葉は重い。
でも、今は頼っていい重さだ。
担任は宮坂の端末を返し、最後に言った。
「亡霊アカウントは、今日中に沈静化させる。外部からのアクセスは、ログを保全した上で、必要なら教育委員会と連携する。君たちは、これ以上触らないこと」
恋が「はい」と元気よく返事をし、真白も小さく頷いた。
準備室を出たとき、夕方の廊下は少しだけ冷えていた。
空が、薄いオレンジに染まっている。
「終わった……?」
恋がぽつりと言う。
「終わる。……たぶん」
「たぶんじゃヤダ。終わったって言って」
恋が真白の袖を引く。
真白は少し迷ってから、言った。
「……終わった。今日で」
恋はぱっと笑った。
「よし。じゃあ、帰ろ。今日は寄り道していい? なんか、甘いの食べたい」
「……うん」
真白は頷きながらも、胸の奥に残る冷たいものを、指先で触れていた。
外部IP。
IPレンジ。
あれは、知らない誰かの指紋だ。
家に帰っても、真白はその数字を思い出してしまう気がした。
夜。
真白は机の前に座り、ノートに小さく数字を書いた。
外から来た視線の形。
教室の空気を撫でる指の跡。
恋から、短いメッセージが来た。
『亡霊、投稿止まってる。梨央ちゃんも少し元気出たって。真白のおかげ』
真白は、しばらく画面を見つめてから返信した。
『恋がいてくれたから』
送信して、スマホを伏せる。
平穏は戻った。
少なくとも、表面上は。
でも真白は知ってしまった。
学校の内側にいたはずの世界に、外から細い針が刺さることがある。
針は見えない。
見えないまま、誰かを痛める。
真白は、ノートに書いた数字を指でなぞった。
そして、心の中で、もう一度刻む。
(忘れない)
恋と笑って過ごす日常を守るために。
次に同じ影が来たとき、目を逸らさないために。
部屋の外から、家族の笑い声が聞こえた。
その音を、真白は少しだけ大事に思った。
静かな夜。
平穏な音。
でも、平穏の裏側に、数字の列が眠っている。
真白は灯りを消し、布団に入った。
目を閉じても、数字は消えない。
けれど、隣の世界には恋がいる。
その事実が、真白の心をわずかに支えた。
平穏は、守れる。
守るために、私はもう少しだけ、踏み込める。
真白は眠りに落ちる前に、それだけをしっかりと確認した。
昨日の廊下の空気が、まだ胸に残っている。宮坂の「ちょっと、スリルあって」という言葉は、口の中に残る苦い飴みたいに、噛んでも消えない。
恋からのメッセージが、駅のホームで届いた。
『今日、先生に話すんだよね。あたしも一緒に行く。逃げない』
真白は画面を見て、短く返した。
『うん。ありがとう』
それだけで、足元が少しだけ安定する気がした。
学校に着くと、廊下の掲示板の前で二年生が数人固まっていた。亡霊アカウントの話題は、もうクラスだけじゃない。噂は廊下を渡る。渡った先で形を変える。薄まることもあれば、濃くなることもある。
(今日で、止める)
真白はそう決める。
決めたからには、やる。
平穏に戻るには、行動が必要だ。
昼休み。
恋と一緒に、担任のいる情報科準備室の前まで来た。準備室の扉は少し重い。扉一枚の向こうに大人の領域があるみたいで、真白は一度、呼吸を整えた。
恋が真白の袖をつまむ。
「大丈夫。あたし、ちゃんと隣にいる」
「……うん」
ノックすると、少し間があって「どうぞ」と声がした。
担任の先生はパソコンの画面から顔を上げた。
理系らしい無駄のない机。端に積まれたプリント。壁のホワイトボードには、授業用のネットワーク図が書きかけで残っている。
「木下、柏加。昼休みにどうした?」
恋が先に口を開いた。
「先生、クラスSNSの件なんです。亡霊アカウント」
担任の眉がほんの少し上がる。
彼は情報科の先生だから、SNS関連の話は軽く流せない。
「聞いてる。だが、具体的に何が起きている?」
真白は机の前に立って、スマホを握り直した。
言い方を間違えると、ただの噂話で終わる。
だから、順番を決める。A→B→C→D。自分が得た事実だけ。
「クラスSNSに、連休明けに新しいアカウントが入ってきました。最初は無害な投稿だけでした。でも、途中からクラスメートのプライベートに踏み込む内容に変わりました」
担任が頷く。
「誰が投稿しているかは?」
恋が少し前に出た。
「宮坂が関わってます。本人が認めました」
担任が一瞬目を細める。
「宮坂?」
「はい。ただ、それだけじゃない可能性があって……」
真白は続ける。
今が一番大事なところ。
「亡霊アカウントは外部連携がONになってました。匿名投稿サービスから、自動で投稿されている可能性が高いです。文体がテンプレっぽくて、投稿元表示がWeb中心のものが多い」
「匿名投稿サービス……」
担任は顎に手をやった。
「それは、SNS側の連携機能だな。学校として推奨はしていないが、機能としては存在する」
真白は頷く。
「はい。それに加えて、手動投稿も混ざっています。投稿元表示がWandroidのものがあり、投稿間隔が不自然に崩れている。宮坂くんが一部、手動で投稿したと認めました」
恋が横で、唇を噛む。
その悔しさを、真白は拾って言葉にしない。今は、先生に伝えることが優先だ。
担任は、机の引き出しからメモ帳を出した。
「ここまでは、クラス内の問題として処理できる。だが、君たちが言いたいのは“それだけじゃない”だろう」
真白は、息を吸った。
「はい。外部からのアクセスの可能性があります」
その言葉で、部屋の空気が一段冷えた。
恋が少しだけ背筋を伸ばす。
「根拠は?」
担任が短く問う。
真白は、ここだけは曖昧にできない。
「宮坂くんが使った匿名投稿サービスの受信内容の中に、校内ネットワークに関する情報が含まれていました。アクセスポイント名みたいなものです。本人は“自分は書いてない”と言ってました」
「受信内容を見たのか?」
「本人から聞きました。あと、亡霊の投稿の中にも、校内の場所やタイミングを知っていないと書けない内容が混ざっています」
担任は、ゆっくりと頷いた。
「つまり……宮坂が設定した連携が、外部からの情報収集に利用された可能性がある。踏み台だな」
真白は、言葉が先生の口から出たことに、少しだけ救われた。
自分が考えたことを、専門の大人が確認してくれる。
それだけで、世界が少し現実に戻る。
恋がすぐに言った。
「先生、止められますよね? 今すぐ」
「止める方法はいくつかある。まず亡霊アカウント自体の停止。次に、連携解除。だが、学校のネットワークに外部が触れているなら、それは別問題だ」
担任は立ち上がり、ホワイトボードの前に立った。
書きかけのネットワーク図の横に、新しく線を引く。
「校内のWi-Fiは、教職員用と生徒用で分けている。だが、アクセスポイント名や機器情報を集められると、弱い設定の箇所を探される可能性がある。攻撃というほど大げさでなくても、覗かれるのは嫌だろう」
真白は頷いた。胸の奥がざわつく。
“覗かれる”。
亡霊の投稿と同じだ。見られたくないのに、見られているという感覚。
「君たちができることは、ここまでだ」
担任は言った。
「ここからは学校側の対応になる。宮坂とは話したのか?」
恋が先に答える。
「昨日、話しました。先生に言うって伝えて、本人も了承してます」
「分かった」
担任は席に戻り、キーボードを叩き始めた。
画面に管理画面らしきものが開く。真白には細部は読めないが、ログイン、権限、設定項目の並びが見える。手つきは迷いがない。真白はその速さに、少しだけ羨ましさを感じた。自分はここまで滑らかに操作できない。まだ高校生だ。
「亡霊アカウントのIDは分かるか?」
真白はスマホを差し出した。
「これです。投稿のリンクから辿れます」
担任は画面を確認し、メモ帳に何かを書いた。
「よし。昼休みのうちに、アカウント停止申請を入れる。クラスSNSの管理者にも連絡する。宮坂が管理権限を持っているなら、権限を一時的に剥奪する」
恋がほっと息を吐く。
「先生、ありがとうございます」
「礼は要らない。これは学校の仕事だ」
担任は、次に真白のほうを見た。
「柏加。外部の可能性について、もう少し。君が見た“外部”は、具体的に何だ?」
真白の心臓が跳ねた。
ここで、言う。
自分が一番怖かったもの。
「投稿ログに、学校のWi-Fiじゃないアクセスが混じってました。夜の時間帯。基本的には校内のアクセスポイントに偽装されていましたが、ごく少数だけ、校内ではないものがありました」
真白は言いながら、自分の記憶を引っ張る。
それは確かに校内のIPアドレス帯ではなかった。
少し考えてから担任が答えた。
「わかった。そっちは改めてアクセスのログを確認してみよう。そして、これ以上は踏み込まないこと。いいか?」
真白は頷いた。
大人の線引きは正しい。
これ以上踏み込むのは危険で、そして怖い。
恋が言った。
「宮坂、協力すると思います。だって、踏み台にされたって聞いて、顔色変わってた」
担任は少しだけ目を細めた。
「よし。放課後、宮坂を呼ぶ。君たちも来られるか?」
真白は一瞬迷った。
宮坂に会うのは、もう気が重い。
でも、今日で終わらせたい。
「……行きます」
恋が即座に言う。
「行く行く。絶対行く」
担任は短く頷いて、メモを閉じた。
「よし、二人ともありがとう。さて、昼休みは終わりだ。授業に戻れ。放課後、準備室に来てくれ」
真白と恋は「はい」と言って、部屋を出た。
廊下に出ると、空気が少しだけ軽く感じた。
大人の領域に渡しただけで、責任が全部消えるわけじゃない。
でも、手放すべきところで手放せた。
それは、平穏に近づく一歩だ。
「真白」
恋が小さく呼ぶ。
「今日、頑張った。ほんと」
「……恋も」
「えへへ。ポイント倍?」
「……倍」
恋が笑って、真白も少しだけ笑った。
放課後。
情報科準備室には、宮坂が呼び出されていた。
昨日よりも顔色が悪い。スマホを両手で握り、落ち着かない様子で椅子に座っている。
担任は淡々と進めた。
「宮坂。君が使った匿名投稿サービスと、クラスSNSの連携について。君の端末で確認する」
「……はい」
宮坂はスマホを差し出した。
担任はそれを受け取り、画面を見ながら質問をする。宮坂は答える。時々、言葉が詰まる。詰まっても、先生は待つ。怒鳴らない。ただ、事実だけを集める。
真白は、横でそのやり取りを見ていた。
自分がしたかったことはこれだ。
大声で責めることじゃない。
壊れたものを、元に戻す手順を作ること。
「ここだな」
担任が、宮坂の端末の画面を示す。
匿名投稿サービスの管理画面。受信ログ。連携設定。
「受信ログに、アクセス元が出ている」
宮坂が小さく息を吸う。
真白は、画面の端に並んだ数字列を見た。
小さな文字。
でも、確かにそこにある。
担任が、紙にメモを取る。
IPアドレスのように見える数字が、いくつか並んでいた。完全に同じではない。けれど、最初の部分が似ている。
「レンジだ」
担任が呟いた。
恋が顔をしかめる。
「レンジ?」
「同じ組織や同じ回線の範囲で使われる、IPアドレスのまとまりだ。細かい説明は今は省く。重要なのは、これは校内のIPではない」
真白の手足が冷えた感じがした。
外。
本当に外から、見られていた。
担任は続ける。
「匿名投稿サービス側へのアクセスを、いま学校のネットワークで遮断することはできない。だが、校内Wi-Fiの設定は見直せる。アクセスポイントのSSIDとパスワード、WPS設定の有無、ゲスト分離。確認する」
彼は別の画面を開き、校内ネットワークの管理ページに入った。真白には、専門用語の意味がすっと入ってきたが、反応しない様にした。
「まず、外部連携の経路は塞ぐ。亡霊アカウントの停止は申請済み。クラスSNSの管理権限は、……情報委員の柏加に移す。宮坂、君はしばらくSNS係を外れる」
宮坂が小さく頷く。
「……はい。すみません」
恋が言う。
「謝るのは後でいい。今は、ちゃんと協力して」
宮坂は顔を上げ、恋に短く「うん」と言った。
「柏加は、申し訳ないがSNS申請の面倒もみてほしい」
「はい。基本的に増減は少ないと思うので、大丈夫です」
担任は、さらに真白を見る。
「柏加。君は、どこまで調べた?」
真白は正直に答えた。
「公開されている範囲だけです。投稿元表示と、投稿のテンプレ傾向。外部サービスの存在を、ドメインで推測しました」
「よし、それでいい。線を越えていない」
担任はそこで初めて、少しだけ柔らかい声になった。
「君たちが無茶をしなくてよかった。ここから先は、学校が責任を持つ」
真白は、胸の奥が少しだけ緩むのを感じた。
責任。
その言葉は重い。
でも、今は頼っていい重さだ。
担任は宮坂の端末を返し、最後に言った。
「亡霊アカウントは、今日中に沈静化させる。外部からのアクセスは、ログを保全した上で、必要なら教育委員会と連携する。君たちは、これ以上触らないこと」
恋が「はい」と元気よく返事をし、真白も小さく頷いた。
準備室を出たとき、夕方の廊下は少しだけ冷えていた。
空が、薄いオレンジに染まっている。
「終わった……?」
恋がぽつりと言う。
「終わる。……たぶん」
「たぶんじゃヤダ。終わったって言って」
恋が真白の袖を引く。
真白は少し迷ってから、言った。
「……終わった。今日で」
恋はぱっと笑った。
「よし。じゃあ、帰ろ。今日は寄り道していい? なんか、甘いの食べたい」
「……うん」
真白は頷きながらも、胸の奥に残る冷たいものを、指先で触れていた。
外部IP。
IPレンジ。
あれは、知らない誰かの指紋だ。
家に帰っても、真白はその数字を思い出してしまう気がした。
夜。
真白は机の前に座り、ノートに小さく数字を書いた。
外から来た視線の形。
教室の空気を撫でる指の跡。
恋から、短いメッセージが来た。
『亡霊、投稿止まってる。梨央ちゃんも少し元気出たって。真白のおかげ』
真白は、しばらく画面を見つめてから返信した。
『恋がいてくれたから』
送信して、スマホを伏せる。
平穏は戻った。
少なくとも、表面上は。
でも真白は知ってしまった。
学校の内側にいたはずの世界に、外から細い針が刺さることがある。
針は見えない。
見えないまま、誰かを痛める。
真白は、ノートに書いた数字を指でなぞった。
そして、心の中で、もう一度刻む。
(忘れない)
恋と笑って過ごす日常を守るために。
次に同じ影が来たとき、目を逸らさないために。
部屋の外から、家族の笑い声が聞こえた。
その音を、真白は少しだけ大事に思った。
静かな夜。
平穏な音。
でも、平穏の裏側に、数字の列が眠っている。
真白は灯りを消し、布団に入った。
目を閉じても、数字は消えない。
けれど、隣の世界には恋がいる。
その事実が、真白の心をわずかに支えた。
平穏は、守れる。
守るために、私はもう少しだけ、踏み込める。
真白は眠りに落ちる前に、それだけをしっかりと確認した。
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