ハッカー女子高生は平穏に過ごしたい

古城そら

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第5話 ー期末テストの不思議なボットー ②

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 その夜。
 自室の机に向かい、真白は再び教科書とノートを広げていた。窓の外では、夏の虫の声がかすかに聞こえる。部屋の中の空気は、クーラーの涼しさと、紙の匂いと、うっすらとした緊張感で満ちている。
(国語の古文、もう一回読み直しておこう)
 蛍光ペンで印を付けた重要文を目で追いながら、真白は小さく読み上げる。文法を確認し、現代語訳を頭の中で組み立て、ノートの余白に簡単なメモを書く。
 集中しているときの時間の流れは、驚くほど早い。
 ふと顔を上げると、机の端に置いてあるスマホが、画面を伏せたまま小さく震えた。
「……」
 真白は一度ペンを置き、スマホを手に取る。画面を点けると、通知がいくつか並んでいた。
「クラスチャット(2年C組)未読メッセージ:35」
「恋:『真白~、数学の問題、いま送った。余裕あったら見て~』」
 恋からのメッセージと、クラスチャットの未読件数。
 恋のチャットを先に開き、送られてきた問題の写真をざっと確認する。
(さっきやった範囲と同じパターンだし、これは恋も自分で解けそう)
「さっきの二次関数と似てるよ。符号に気を付ければ大丈夫だと思う」
 そんな内容の返信を打ち、送信する。
 次に、クラスチャットの方へ指を滑らせた。
 賑やかなアイコンが並ぶグループ名をタップすると、画面いっぱいにメッセージが流れ込んでくる。
『明日の国語、漢文って範囲に入ってたっけ?』
『古文だけじゃなかった?』
『プリントの右下に小さく漢文って書いてあった気がするんだけど……』
『え、やめてそういうの』
『先生、今日何て言ってた?』
 テスト前らしいやりとりが、テンポよく交わされている。中には、全然関係ないスタンプだけ送ってくる人もいて、画面はあっという間に色とりどりのスタンプで埋め尽くされていく。
(……いつもどおり)
 真白は、ざっと流れを追ってから、スマホをそっと伏せた。
 こういう「テスト範囲どこだっけ」という話題には、深く関わらないようにしている。人それぞれで聞き間違いもあるし、先生も黒板と配布プリントで正式な範囲を伝えている。自分の手元で確認できる情報が一番確実だ。
 それに、誰かが冗談半分で変な情報を流して、結果的に誰かが困ることになったら――その構図を想像すると、胸の奥に小さな不快感が芽生えた。
(……あまり、見ない方がいいかも)
 通知を切るほどではないが、必要以上に流れを追うのはやめておこう。そう判断して、真白はスマホを机の端に戻した。
 そのとき、一瞬だけ画面の端に、新しい通知のバナーがひらりと現れた。
「クラスチャット(2年C組)『……』が参加しました」
 見慣れない名前が目の端をよぎった気がする。
「あれ……?」
 真白は、手を伸ばしかけて、途中で止めた。
(……今は、テスト勉強)
 自分に言い聞かせるように、真白は深く息を吸い込む。
 明日からの期末テスト。それが終われば、恋とのスイーツの約束が待っている。
 余計なことに気を取られず、その一点だけを目標にして、目の前の問題に集中しよう。
 スマホの画面は、伏せられたまま静かに光を失っていく。
 再び教科書を開き直し、真白はペンを握り直した。
 何も起こらないまま、テストが終わってくれればいい――
 そう、心のどこかで願いながら。

 翌朝、目覚ましの電子音が、真白の意識を静かに現実へ引き上げていった。
 カーテンの隙間から差し込む光は、昨日よりも少しだけ強い。窓を開けると、蒸し暑い空気にわずかに夏の朝の匂いが混じっていた。
(……今日から、期末テスト)
 自分にそう言い聞かせながら、真白は制服に袖を通す。鏡の前で寝ぐせをざっと直し、リボンを結び直す。心臓の鼓動が、いつもよりほんの少しだけ速く感じられた。
 食卓では、母が忙しなく動き回っていた。
「真白、ちゃんとご飯食べていきなさいよ。テストの日に限って、朝ごはん抜いたりしたらダメなんだからね」
「わかってる」
 トーストと目玉焼きと、簡単なサラダ。それに、少し濃いめのミルクティー。
 いつもどおりの朝食なのに、フォークを持つ手に、自分でも気づくくらいの緊張が乗っている。
「テスト、何日間なの?」
「三日間。今日が初日」
「そう。無理しすぎないようにね。あんた、集中し始めると、ご飯食べるのも忘れるんだから」
 少し呆れたように笑う母に、真白は「そうかもね」と苦笑を返す。
 食器を片付け、鞄を肩にかけたところで、ふと机の上のスマホが目に入った。
(……昨日の、クラスチャット)
 寝る前に一度だけ画面を見て、その後は開かないようにしていた。新しいメンバーが参加したという通知。あれからどうなったのか、気にならないと言えば嘘になる。
 でも、今の優先順位は違う。
 一瞬だけ迷ってから、真白はスマホを鞄に滑り込ませた。
「いってきます」
 玄関を出ると、朝の陽射しが容赦なく照りつけてくる。通りに出て歩く道のりで、制服の襟元にジワリと汗がにじんだ。

 校門をくぐると、いつもより少しだけピリッとした空気が漂っていた。昇降口の前では、「数学やばい」「全然寝てない」といった声があちこちから聞こえてくる。
 靴箱から上履きを取り出していると、背中を軽く叩かれた。
「おはよ、真白!」
 振り返ると、恋が両手をぶんぶん振りながら立っていた。髪を一つに結んでいるせいか、いつもより少しだけきりっと見える。
「おはよう、恋。早いね」
「そりゃあもう。テストの日はさ、なぜか早く目が覚めちゃうんだよね~。緊張なのか、楽しみなのか、自分でもわかんないけど」
 恋は笑いながら、自分のスマホをひょいっと掲げた。
「ね、クラスチャット見た?」
 心臓が、ドクンと一つ大きく跳ねる。
「……まだ。朝は見てない」
「そっか。なんかさ、新しい人?入ってなかった?」
「昨日、通知だけ見た。誰か追加されたのかなって思ったけど……」
「その人がさ、さっきメッセージ送ってきたんだよね」
 恋は、廊下を歩き出しながら、スマホの画面を真白に向ける。
 そこには、クラスチャットのタイムラインが映っていた。
『study_support:おはようございます。2年C組期末テストサポートボットです』
 シンプルな文章とともに、丸いロボットのアイコンが添えられている。その下には続けて、こう書かれていた。
『本日の国語・数学テストの出題範囲は、以下の通りです』
 箇条書きで示されたページ数と単元名。その横には、「ここは出ません」といった注釈まで付いている。
「……ボット?」
 真白は画面を覗き込みながら、眉をひそめた。
 クラスチャットは、学校指定のコミュニケーションアプリの中の一つのグループだ。メンバーは生徒と担任の先生だけ。アプリ自体には、授業の連絡用に「お知らせ用ボット」機能があるのは知っているが、クラス専用のテストサポートボットなんて話は、一度も聞いたことがない。
「先生、こんなの用意してたっけ?」
「それがさー、全然聞いてないんだよね。でも、書いてある範囲、なんかそれっぽくない?」
 恋が指でスクロールして、数学のところを拡大する。
『数学Ⅰ:教科書p.112~139 ※p.120以降の図形の証明問題は出題されません』
「証明出ないとか、神って感じなんだけど」
 恋の言葉に、真白は小さく首を振った。
「でも……こんな情報、先生が事前に出すかな。テスト当日の朝に?」
「たしかに」
 恋も、少しだけ真面目な顔になる。
「まぁ、ボットって書いてあるから、学校のシステムの一部なのかもって思ったんだけどさ。ねぇ、真白、これ信用していいと思う?」
 真正面から投げかけられる問い。
 真白は一瞬だけ言葉に詰まり、それから慎重に答えた。
「……私は、教科書と配られたプリントに書いてある範囲を信じる。ボットが何を言っていても、それ以上でも以下でもない、って考えた方が安全かな」
「そっかぁ……」
 恋は、名残惜しそうに画面を見つめてから、「だよねぇ」とため息をついた。
「証明出ないって信じたくなるけど、そこだけ信じてさ、本当に出たら、泣くどころじゃないよね」
「うん。それに――」
 真白は、何気ないふりをして、もう一度画面を見た。
『study_support』
 その名前をタップしようとすると、アプリが一瞬だけ固まり、「このメンバーの詳細情報は表示できません」という小さなポップアップが表示される。
 通常のメンバーなら、タップすればプロフィール画面が開き、アイコンや登録名、学校メールアドレスが表示されるはずだ。
「……やっぱり、何かおかしい」
 真白が小さくつぶやくと、恋が首を傾げた。
「おかしい?」
「クラスのメンバー一覧に、このボット、出てこない」
 真白がそう言って恋のスマホを操作すると、画面下部の「メンバー」タブが開く。そこには、担任の先生とクラスメイトの名前が五十人分ずらりと並んでいる。
 しかし、そのどこにも「study_support」の名前は見当たらなかった。
「え、なにこれ。いないのに、メッセージだけ送ってきてるってこと?」
「たぶん」
「そんなの、できるの?」
「……通常は、できない」
 真白は、胸の奥に冷たいものが少しずつ溜まっていくのを感じた。
 アプリが提供する公式の機能であれば、管理者である担任の先生が事前に説明しているはずだ。テストの出題範囲に関わるならなおさらだ。知らないところから突然現れて、当然のような顔をして情報を提供してくる――そういう存在を、真白は、つい最近まで別の場所で何度も見てきた。
「……とりあえず、今はテストに集中しよ」
 そう言って、自分のスマホをポケットにしまう。
 恋も名残惜しそうに画面を閉じて、ため息を一つついた。
「了解。帰ってきたら、もう一回ちゃんと見る。真白、またあとで感想会しよ?」
「うん」
 二人は、そのまま教室へ向かって歩き出した。
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