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第5話 ー期末テストの不思議なボットー ③
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一時間目の国語、二時間目の数学。
教室の空気は、鉛のように重かった。
試験監督として入ってきた国語の先生が、答案用紙と問題用紙を一枚ずつ配っていく。その紙の擦れる音さえ、やけに大きく耳に残る。
「それでは、始めてください」
号令と同時に、クラス全体が一斉に問題用紙をめくる。
真白は、深く息を吸い込み、最初の設問から順に目を走らせた。
(大丈夫。やることは、いつもどおり)
視界の端で、恋がペンを走らせ始めるのが見える。その姿を確認したことで、ほんの少しだけ緊張が和らいだ。
問題は、事前に配られていたプリントの範囲とほぼ一致していた。少しひねった設問もあるが、落ち着いて読めば解けないものではない。
国語のテストが終わり、答案が回収されると、教室内にどっとため息が広がった。
「漢文、むずすぎ」
「いや、あそこはサービス問題だろ」
「現代文の最後の記述、なんて書いた?」
そんな会話が飛び交う中、真白の机の上で、スマホが小さく震えた。
休み時間に入ると同時に、クラスチャットが一気に動き出したのだ。
『study_support:国語お疲れさまでした。続いて数学のポイントをお知らせします』
『・グラフ問題は出題されません』
『・二次関数の変形は、授業で扱ったパターンのみです』
『・確率の応用問題は、基本パターンからの出題になります』
画面を見せ合う生徒たちの間に、「え、マジで?」「グラフ出ないの?」というざわめきが広がっていく。
「グラフ出ないって。さっきのボット、また言ってる」
前の席の男子が、半笑いで言う。
「信じるの?」
「いやー、どうだろ。でも、もし本当ならラッキーじゃね?」
「でも授業で『グラフも範囲に入る』って先生言ってたしなぁ……」
揺れる空気。
恋が席をくるりと回して、真白に身を乗り出した。
「真白、ねぇ、これ、どう思う?」
「……さっきと同じ。私は、公式に言われた範囲だけ信じる」
「だよねぇ……」
恋はわかっている、と言わんばかりに頷きつつも、視線をスマホと黒板の間で行き来させていた。
そこへ、教室の前方のドアが開き、担任の先生が顔を出した。
「おーい、お前ら。休み時間にしても騒がしいな。ちょっと前、来ーい」
先生がひらひらと手を振ると、数人が「バレた」と小声で笑いながら前に集まる。
「先生、これ、見ました?」
一人がスマホを掲げ、「study_support」のメッセージ画面を見せた。
「なんだこれ。……『期末テストサポートボット』?」
先生は眉をひそめ、スマホを覗き込む。
「先生が用意したやつじゃないんですか?」
「こんなの知らんぞ。学校が導入したって話も聞いてない」
先生の言葉に、教室内の空気がざわりと揺れた。
「え、じゃあ、これ何?」
「誰かの冗談?」
「ボットって書いてあるのに?」
先生は腕を組み、少しだけ考え込んだ。
「とりあえず、一つ言えるのはな。テストの出題範囲は、俺が配ったプリントと、授業で説明した内容がすべてだ。それ以外の情報は、信じる必要はない。……いや、信じるな」
はっきりとした口調でそう言い切る。
「この件は他の先生とも共有して相談してみる。お前らはとにかく、公式な連絡以外の情報には飛びつくな。それだけ徹底しろ」
「はい」
真白を含めた数人が返事をし、残りの生徒たちも、ざわめきながらも頷いている。
先生は、ちらりと真白の方を見た。
「柏加、このアプリの仕様とか詳しかったよな」
突然名前を呼ばれて、真白は少しだけ背筋を伸ばした。
「え……まぁ、使い方はそれなりに」
「放課後、時間があったら、ちょっと職員室来てくれないか。システム担当から、詳細聞かれるかもしれないんだ」
「わかりました」
短く答えながら、真白の胸の奥で、ひやりとした感覚と、うっすらとした予感が同時に広がっていく。
まただ。
また、何かが起きようとしている。
二時間目の数学は、国語以上に教室の空気を重くした。
開始前から、クラスチャットのボットメッセージについてひそひそと話していた生徒たちも、問題用紙が配られた瞬間、その余裕を失う。
「それでは、始めてください」
号令とともにページをめくる音が重なり、その直後、あちこちで小さく「うわ」とか「マジか」といった声が漏れた。
問題用紙の後半には、しっかりと二次関数のグラフの問題が載っていたのだ。
『グラフ問題は出題されません』
ボットの言葉を、心のどこかで半信半疑に信じかけていた何人かの顔が、静かに青ざめていく。
(やっぱり)
真白は、心の中で小さく息を吐いた。
ボットの情報が完全に外れているわけではない。確率の応用問題は、たしかに基本パターンを少し変えただけのものが多かった。けれど、「出ません」とまで言い切ったグラフ問題は、しっかりと出題されている。
――間違った情報を、あえて混ぜている。
そんな意図が透けて見えるような気がして、真白は背筋にうっすらと寒気を覚えた。
テストが終わり、答案が回収されると、教室内は再びざわめきに包まれた。
「話が違うじゃん!」
「グラフめちゃくちゃ出たんだけど!」
「だから言っただろ、あんなボット信用するなって」
「ていうか、あれ誰が作ったんだよ。いたずらにしては性格悪すぎじゃね?」
不満と不安と怒りが入り混じった声が、あちこちから飛び交う。
恋は、答案回収の列が終わるのを待って、真白の机のそばに椅子を寄せてきた。
「ね、真白」
「うん」
「正直に言うとさぁ……あたし、証明問題、ちょっとだけ手ぇ抜いちゃった」
恋は情けない笑顔を浮かべた。
「完全にサボったわけじゃないよ?でも、ボットのやつ見て、『もしかして本当に出ないのかも』って思っちゃって……。さっきの、大問ひとつ分、ほぼ撃沈」
「……そっか」
責めるような言葉は、真白の口から出てこなかった。
恋がそういうふうに揺れてしまうのは、理解できる。あれほど「信じない方がいい」と自分で言っていながら、内心で少しだけ「もしかして」という期待を抱いてしまった自分のことも、よくわかっているからだ。
「ボットの人?本気で恨むレベルなんだけど」
「人、かどうかも、まだわからないけどね」
「あ、そっか。ボットか」
恋は、スマホを取り出して、クラスチャットを開く。
そこには、数学のテスト終了直後に送られた、study_supportからの新しいメッセージが表示されていた。
『数学お疲れさまでした。本日の出題は、全体として教科書の基本的な内容から構成されていました』
『グラフ問題については、今後の学習において重要な単元です。復習をしておくと良いでしょう』
「……は?」
恋が思わず声を漏らす。
「こいつ、何言ってんの?」
さっきまで「出題されません」と断言していたくせに、今はしれっと「重要な単元です」と話題をすり替えている。
「なにこれ。外れたことを、さりげなくなかったことにしてるみたい」
「謝るでもなく?」
「うん。むしろ、『ほら、重要でしょ』って、上から目線で言われてる感じ」
恋は、画面を指で二度三度タップしながら、眉間に皺を寄せた。
「変な人だなぁ……。ていうか、このボットのこと、誰かブロックできないの?」
「グループ全体に来てるから、個別には難しいかも」
真白は、アプリの仕様を思い浮かべながら答えた。
クラスチャットのメッセージは、基本的に全員に同じものが届く。個人だけ受信を止めるには、グループそのものを退出するしかない。でも、それをしてしまえば、先生からの正式な連絡も届かなくなる。
「とりあえず、先生が何か対応してくれると思う」
「だといいけど」
恋はスマホを机に伏せ、両手で顔を覆った。
「はぁ……。スイーツのためにがんばるって決めたのに、いきなりロケットスタートに失敗した感」
「まだ初日だよ。残りで挽回できる」
真白は、できるだけ落ち着いた声で言った。
「恋、暗記系は得意でしょ。社会とか」
「うん……。そうだね。あと、英語のリスニングも、真白のおかげでちょっと自信ついた」
少しだけ顔を上げた恋が、弱々しく微笑む。
「スイーツの約束、ちゃんと守るからさ。あたしも頑張る」
「うん。一緒に行こう」
その一言に、恋の目元がほんの少しだけ明るくなった。
その日の最後のホームルームで、先生は再びクラスチャットの件を取り上げた。
「さっきのボット、study_supportとかいうやつな」
教壇の前で腕を組み、先生はクラス全員を見渡す。
「システム担当に確認したが、学校公式のボットではないことが判明した。誰かが、外部からメッセージを送り込んでいる可能性が高い」
教室の空気が、わずかに冷たくなる。
「一応、運営会社にも問い合わせをしているが、詳細はまだわからん。ただ、ひとつだけはっきりさせておく。あのボットが何を言おうと、公式の連絡ではない。今後も同じようなメッセージが来ても、信じるな。いいな」
「はい」
「それから、ああいう紛らわしいメッセージを見かけたら、スクリーンショットを撮っておいてくれ。削除されるかもしれんからな。怪しいと思ったら、すぐに俺かシステム担当に見せて。自分たちだけで判断しようとするんじゃないぞ」
真白は、先生の言葉を聞きながら、胸の奥でこっそり頷いていた。
(スクリーンショット……)
既に何枚か撮ってある。恋が送ってきた画面も含めて、ボットの投稿内容は、かなりの部分を保存してある。
ホームルームが終わり、クラスメイトたちがぞろぞろと立ち上がり始めたとき、先生が再び真白の方を見た。
「柏加。さっきの話、覚えてるな。職員室、来られるか?」
「はい」
鞄を一度机に置き、筆記用具とスマホだけを持って、真白は教室を出た。
職員室は、試験期間らしく、いつも以上に慌ただしかった。
「お疲れさまです」と小さな声で挨拶しながら中に入ると、先生が手招きする。
「こっちだ」
隣には、見慣れない男性職員が立っていた。白いシャツにネクタイ、首からは「情報システム担当」と書かれたカードが下がっている。
「君が柏加さん?」
「はい。柏加真白です」
「情報委員の子だ」と先生が補足する。
「この学校のネットワーク周りとか、結構詳しいんだよ」
システム担当の職員は、ふっと柔らかく笑った。
「助かるよ。僕は嶋田。学校のシステム担当をしている。今回のボットの件で、ちょっと気になっていることがあってね」
机の上には、学校のロゴが入ったノートPCが開かれていた。そこには、クラスチャットの管理画面のようなものが表示されている。
「アプリの管理用ダッシュボードから、2年C組のメッセージログを見ていたんだけどね」
嶋田先生は、画面のある一点をマウスで指し示した。
「ここ。今日の朝八時十二分に送られたメッセージ。送信者は『study_support』って表示されてる。でも、同時に、送信元のIDの欄には『未登録クライアント』って出ている」
「未登録……?」
「そう。本来なら、ここには、生徒の端末IDか、先生の端末IDが表示される。もしくは、学校が契約している公式ボットのIDだ。でも、今回のは、そのどれでもない」
嶋田先生は、少しだけ眉をひそめた。
「アプリの提供会社に問い合わせたところ、API経由でメッセージが送信されているらしい。ただ、そのAPIキーがどこから漏れたのかがわからない。管理者用のキーが、何らかの形で悪用されている可能性がある」
API。キー。未登録クライアント。
聞き慣れた単語の並びに、真白の頭の中で、別の場所での記憶がかすかに反応する。
「それでね」
嶋田先生は、ノートPCの別ウィンドウを開いた。
「正直に言うと、僕よりも、現場のアプリの使い方に詳しい子の方が、何か気づくことがあるかもしれないと思って。柏加さん、もしよければ、このメッセージログの一覧を一緒に見てくれないかな」
そこには、時刻と送信者ID、メッセージの一部が一覧になって並んでいる。
「もちろん、これはシステムの調査の一環だし、無理にとは言わないよ。ただ、さっき担任の先生から、『柏加はシステム関係、強いから頼りになる』って聞いてね」
真白は、一瞬だけ息を飲んだ。
(まただ……)
事件から事件へ、彼女のスキルはいつも、誰かの「頼りにしてるよ」という一言に引っ張り出される。望んだわけではないのに。
けれど。
隣のクラスで誰かが困っているわけではない。自分のクラス、自分の友達、自分の約束が、この得体の知れないボットにかき回されている。
――放っておけるはずがなかった。
真白は、ゆっくりと頷いた。
「……わかりました。私にできる範囲で、見てみます」
嶋田先生の顔に、ほっとした色が浮かぶ。
「ありがとう。ログのコピーは、学校用の共有フォルダに保存してある。あとで、自分の端末からもアクセスできるように設定しておくよ」
「はい」
職員室を出て廊下に出た瞬間、真白は、深く息を吐いた。
(また、平穏から遠ざかっていく)
そんな言葉が、喉まで上ってきて、結局ため息に溶けていく。
でも、完全に拒絶することもできなかった。
クラスチャットのボットが、どんな意図を持って誤情報を流しているのか。間違った範囲を信じて勉強してしまった人たちの動揺。その全部が、頭の中で絡まり合って、ほどけなくなっていた。
(……ログ)
放課後、図書室で恋と勉強する約束は、今日はなしになるかもしれない。
そう思いながらも、真白の足は自然と、自習室ではなく、情報教室の方へと向かっていた。学校のPCなら、共有フォルダにもすぐアクセスできる。
鞄の中で、スマホが小さく震える。恋からだった。
『授業おつかれー!先生に呼ばれてたの、何だった?あとで教えて』
そのメッセージを見て、真白は、短く返信を打った。
『ちょっと、ボットの件で。あとで話すね』
送信ボタンを押し、画面を閉じる。
情報教室の扉の前に立ち、真白はそっとドアノブに手をかけた。
静かな部屋の向こう側で、クラスチャットの裏側に残された痕跡が、彼女を待っている。
平穏なテスト期間は、やはり簡単には訪れてくれそうにない――そんな予感とともに。
教室の空気は、鉛のように重かった。
試験監督として入ってきた国語の先生が、答案用紙と問題用紙を一枚ずつ配っていく。その紙の擦れる音さえ、やけに大きく耳に残る。
「それでは、始めてください」
号令と同時に、クラス全体が一斉に問題用紙をめくる。
真白は、深く息を吸い込み、最初の設問から順に目を走らせた。
(大丈夫。やることは、いつもどおり)
視界の端で、恋がペンを走らせ始めるのが見える。その姿を確認したことで、ほんの少しだけ緊張が和らいだ。
問題は、事前に配られていたプリントの範囲とほぼ一致していた。少しひねった設問もあるが、落ち着いて読めば解けないものではない。
国語のテストが終わり、答案が回収されると、教室内にどっとため息が広がった。
「漢文、むずすぎ」
「いや、あそこはサービス問題だろ」
「現代文の最後の記述、なんて書いた?」
そんな会話が飛び交う中、真白の机の上で、スマホが小さく震えた。
休み時間に入ると同時に、クラスチャットが一気に動き出したのだ。
『study_support:国語お疲れさまでした。続いて数学のポイントをお知らせします』
『・グラフ問題は出題されません』
『・二次関数の変形は、授業で扱ったパターンのみです』
『・確率の応用問題は、基本パターンからの出題になります』
画面を見せ合う生徒たちの間に、「え、マジで?」「グラフ出ないの?」というざわめきが広がっていく。
「グラフ出ないって。さっきのボット、また言ってる」
前の席の男子が、半笑いで言う。
「信じるの?」
「いやー、どうだろ。でも、もし本当ならラッキーじゃね?」
「でも授業で『グラフも範囲に入る』って先生言ってたしなぁ……」
揺れる空気。
恋が席をくるりと回して、真白に身を乗り出した。
「真白、ねぇ、これ、どう思う?」
「……さっきと同じ。私は、公式に言われた範囲だけ信じる」
「だよねぇ……」
恋はわかっている、と言わんばかりに頷きつつも、視線をスマホと黒板の間で行き来させていた。
そこへ、教室の前方のドアが開き、担任の先生が顔を出した。
「おーい、お前ら。休み時間にしても騒がしいな。ちょっと前、来ーい」
先生がひらひらと手を振ると、数人が「バレた」と小声で笑いながら前に集まる。
「先生、これ、見ました?」
一人がスマホを掲げ、「study_support」のメッセージ画面を見せた。
「なんだこれ。……『期末テストサポートボット』?」
先生は眉をひそめ、スマホを覗き込む。
「先生が用意したやつじゃないんですか?」
「こんなの知らんぞ。学校が導入したって話も聞いてない」
先生の言葉に、教室内の空気がざわりと揺れた。
「え、じゃあ、これ何?」
「誰かの冗談?」
「ボットって書いてあるのに?」
先生は腕を組み、少しだけ考え込んだ。
「とりあえず、一つ言えるのはな。テストの出題範囲は、俺が配ったプリントと、授業で説明した内容がすべてだ。それ以外の情報は、信じる必要はない。……いや、信じるな」
はっきりとした口調でそう言い切る。
「この件は他の先生とも共有して相談してみる。お前らはとにかく、公式な連絡以外の情報には飛びつくな。それだけ徹底しろ」
「はい」
真白を含めた数人が返事をし、残りの生徒たちも、ざわめきながらも頷いている。
先生は、ちらりと真白の方を見た。
「柏加、このアプリの仕様とか詳しかったよな」
突然名前を呼ばれて、真白は少しだけ背筋を伸ばした。
「え……まぁ、使い方はそれなりに」
「放課後、時間があったら、ちょっと職員室来てくれないか。システム担当から、詳細聞かれるかもしれないんだ」
「わかりました」
短く答えながら、真白の胸の奥で、ひやりとした感覚と、うっすらとした予感が同時に広がっていく。
まただ。
また、何かが起きようとしている。
二時間目の数学は、国語以上に教室の空気を重くした。
開始前から、クラスチャットのボットメッセージについてひそひそと話していた生徒たちも、問題用紙が配られた瞬間、その余裕を失う。
「それでは、始めてください」
号令とともにページをめくる音が重なり、その直後、あちこちで小さく「うわ」とか「マジか」といった声が漏れた。
問題用紙の後半には、しっかりと二次関数のグラフの問題が載っていたのだ。
『グラフ問題は出題されません』
ボットの言葉を、心のどこかで半信半疑に信じかけていた何人かの顔が、静かに青ざめていく。
(やっぱり)
真白は、心の中で小さく息を吐いた。
ボットの情報が完全に外れているわけではない。確率の応用問題は、たしかに基本パターンを少し変えただけのものが多かった。けれど、「出ません」とまで言い切ったグラフ問題は、しっかりと出題されている。
――間違った情報を、あえて混ぜている。
そんな意図が透けて見えるような気がして、真白は背筋にうっすらと寒気を覚えた。
テストが終わり、答案が回収されると、教室内は再びざわめきに包まれた。
「話が違うじゃん!」
「グラフめちゃくちゃ出たんだけど!」
「だから言っただろ、あんなボット信用するなって」
「ていうか、あれ誰が作ったんだよ。いたずらにしては性格悪すぎじゃね?」
不満と不安と怒りが入り混じった声が、あちこちから飛び交う。
恋は、答案回収の列が終わるのを待って、真白の机のそばに椅子を寄せてきた。
「ね、真白」
「うん」
「正直に言うとさぁ……あたし、証明問題、ちょっとだけ手ぇ抜いちゃった」
恋は情けない笑顔を浮かべた。
「完全にサボったわけじゃないよ?でも、ボットのやつ見て、『もしかして本当に出ないのかも』って思っちゃって……。さっきの、大問ひとつ分、ほぼ撃沈」
「……そっか」
責めるような言葉は、真白の口から出てこなかった。
恋がそういうふうに揺れてしまうのは、理解できる。あれほど「信じない方がいい」と自分で言っていながら、内心で少しだけ「もしかして」という期待を抱いてしまった自分のことも、よくわかっているからだ。
「ボットの人?本気で恨むレベルなんだけど」
「人、かどうかも、まだわからないけどね」
「あ、そっか。ボットか」
恋は、スマホを取り出して、クラスチャットを開く。
そこには、数学のテスト終了直後に送られた、study_supportからの新しいメッセージが表示されていた。
『数学お疲れさまでした。本日の出題は、全体として教科書の基本的な内容から構成されていました』
『グラフ問題については、今後の学習において重要な単元です。復習をしておくと良いでしょう』
「……は?」
恋が思わず声を漏らす。
「こいつ、何言ってんの?」
さっきまで「出題されません」と断言していたくせに、今はしれっと「重要な単元です」と話題をすり替えている。
「なにこれ。外れたことを、さりげなくなかったことにしてるみたい」
「謝るでもなく?」
「うん。むしろ、『ほら、重要でしょ』って、上から目線で言われてる感じ」
恋は、画面を指で二度三度タップしながら、眉間に皺を寄せた。
「変な人だなぁ……。ていうか、このボットのこと、誰かブロックできないの?」
「グループ全体に来てるから、個別には難しいかも」
真白は、アプリの仕様を思い浮かべながら答えた。
クラスチャットのメッセージは、基本的に全員に同じものが届く。個人だけ受信を止めるには、グループそのものを退出するしかない。でも、それをしてしまえば、先生からの正式な連絡も届かなくなる。
「とりあえず、先生が何か対応してくれると思う」
「だといいけど」
恋はスマホを机に伏せ、両手で顔を覆った。
「はぁ……。スイーツのためにがんばるって決めたのに、いきなりロケットスタートに失敗した感」
「まだ初日だよ。残りで挽回できる」
真白は、できるだけ落ち着いた声で言った。
「恋、暗記系は得意でしょ。社会とか」
「うん……。そうだね。あと、英語のリスニングも、真白のおかげでちょっと自信ついた」
少しだけ顔を上げた恋が、弱々しく微笑む。
「スイーツの約束、ちゃんと守るからさ。あたしも頑張る」
「うん。一緒に行こう」
その一言に、恋の目元がほんの少しだけ明るくなった。
その日の最後のホームルームで、先生は再びクラスチャットの件を取り上げた。
「さっきのボット、study_supportとかいうやつな」
教壇の前で腕を組み、先生はクラス全員を見渡す。
「システム担当に確認したが、学校公式のボットではないことが判明した。誰かが、外部からメッセージを送り込んでいる可能性が高い」
教室の空気が、わずかに冷たくなる。
「一応、運営会社にも問い合わせをしているが、詳細はまだわからん。ただ、ひとつだけはっきりさせておく。あのボットが何を言おうと、公式の連絡ではない。今後も同じようなメッセージが来ても、信じるな。いいな」
「はい」
「それから、ああいう紛らわしいメッセージを見かけたら、スクリーンショットを撮っておいてくれ。削除されるかもしれんからな。怪しいと思ったら、すぐに俺かシステム担当に見せて。自分たちだけで判断しようとするんじゃないぞ」
真白は、先生の言葉を聞きながら、胸の奥でこっそり頷いていた。
(スクリーンショット……)
既に何枚か撮ってある。恋が送ってきた画面も含めて、ボットの投稿内容は、かなりの部分を保存してある。
ホームルームが終わり、クラスメイトたちがぞろぞろと立ち上がり始めたとき、先生が再び真白の方を見た。
「柏加。さっきの話、覚えてるな。職員室、来られるか?」
「はい」
鞄を一度机に置き、筆記用具とスマホだけを持って、真白は教室を出た。
職員室は、試験期間らしく、いつも以上に慌ただしかった。
「お疲れさまです」と小さな声で挨拶しながら中に入ると、先生が手招きする。
「こっちだ」
隣には、見慣れない男性職員が立っていた。白いシャツにネクタイ、首からは「情報システム担当」と書かれたカードが下がっている。
「君が柏加さん?」
「はい。柏加真白です」
「情報委員の子だ」と先生が補足する。
「この学校のネットワーク周りとか、結構詳しいんだよ」
システム担当の職員は、ふっと柔らかく笑った。
「助かるよ。僕は嶋田。学校のシステム担当をしている。今回のボットの件で、ちょっと気になっていることがあってね」
机の上には、学校のロゴが入ったノートPCが開かれていた。そこには、クラスチャットの管理画面のようなものが表示されている。
「アプリの管理用ダッシュボードから、2年C組のメッセージログを見ていたんだけどね」
嶋田先生は、画面のある一点をマウスで指し示した。
「ここ。今日の朝八時十二分に送られたメッセージ。送信者は『study_support』って表示されてる。でも、同時に、送信元のIDの欄には『未登録クライアント』って出ている」
「未登録……?」
「そう。本来なら、ここには、生徒の端末IDか、先生の端末IDが表示される。もしくは、学校が契約している公式ボットのIDだ。でも、今回のは、そのどれでもない」
嶋田先生は、少しだけ眉をひそめた。
「アプリの提供会社に問い合わせたところ、API経由でメッセージが送信されているらしい。ただ、そのAPIキーがどこから漏れたのかがわからない。管理者用のキーが、何らかの形で悪用されている可能性がある」
API。キー。未登録クライアント。
聞き慣れた単語の並びに、真白の頭の中で、別の場所での記憶がかすかに反応する。
「それでね」
嶋田先生は、ノートPCの別ウィンドウを開いた。
「正直に言うと、僕よりも、現場のアプリの使い方に詳しい子の方が、何か気づくことがあるかもしれないと思って。柏加さん、もしよければ、このメッセージログの一覧を一緒に見てくれないかな」
そこには、時刻と送信者ID、メッセージの一部が一覧になって並んでいる。
「もちろん、これはシステムの調査の一環だし、無理にとは言わないよ。ただ、さっき担任の先生から、『柏加はシステム関係、強いから頼りになる』って聞いてね」
真白は、一瞬だけ息を飲んだ。
(まただ……)
事件から事件へ、彼女のスキルはいつも、誰かの「頼りにしてるよ」という一言に引っ張り出される。望んだわけではないのに。
けれど。
隣のクラスで誰かが困っているわけではない。自分のクラス、自分の友達、自分の約束が、この得体の知れないボットにかき回されている。
――放っておけるはずがなかった。
真白は、ゆっくりと頷いた。
「……わかりました。私にできる範囲で、見てみます」
嶋田先生の顔に、ほっとした色が浮かぶ。
「ありがとう。ログのコピーは、学校用の共有フォルダに保存してある。あとで、自分の端末からもアクセスできるように設定しておくよ」
「はい」
職員室を出て廊下に出た瞬間、真白は、深く息を吐いた。
(また、平穏から遠ざかっていく)
そんな言葉が、喉まで上ってきて、結局ため息に溶けていく。
でも、完全に拒絶することもできなかった。
クラスチャットのボットが、どんな意図を持って誤情報を流しているのか。間違った範囲を信じて勉強してしまった人たちの動揺。その全部が、頭の中で絡まり合って、ほどけなくなっていた。
(……ログ)
放課後、図書室で恋と勉強する約束は、今日はなしになるかもしれない。
そう思いながらも、真白の足は自然と、自習室ではなく、情報教室の方へと向かっていた。学校のPCなら、共有フォルダにもすぐアクセスできる。
鞄の中で、スマホが小さく震える。恋からだった。
『授業おつかれー!先生に呼ばれてたの、何だった?あとで教えて』
そのメッセージを見て、真白は、短く返信を打った。
『ちょっと、ボットの件で。あとで話すね』
送信ボタンを押し、画面を閉じる。
情報教室の扉の前に立ち、真白はそっとドアノブに手をかけた。
静かな部屋の向こう側で、クラスチャットの裏側に残された痕跡が、彼女を待っている。
平穏なテスト期間は、やはり簡単には訪れてくれそうにない――そんな予感とともに。
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大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
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