ハッカー女子高生は平穏に過ごしたい

古城そら

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第5話 ー期末テストの不思議なボットー ③

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 一時間目の国語、二時間目の数学。
 教室の空気は、鉛のように重かった。
 試験監督として入ってきた国語の先生が、答案用紙と問題用紙を一枚ずつ配っていく。その紙の擦れる音さえ、やけに大きく耳に残る。
「それでは、始めてください」
 号令と同時に、クラス全体が一斉に問題用紙をめくる。
 真白は、深く息を吸い込み、最初の設問から順に目を走らせた。
(大丈夫。やることは、いつもどおり)
 視界の端で、恋がペンを走らせ始めるのが見える。その姿を確認したことで、ほんの少しだけ緊張が和らいだ。
 問題は、事前に配られていたプリントの範囲とほぼ一致していた。少しひねった設問もあるが、落ち着いて読めば解けないものではない。
 国語のテストが終わり、答案が回収されると、教室内にどっとため息が広がった。
「漢文、むずすぎ」
「いや、あそこはサービス問題だろ」
「現代文の最後の記述、なんて書いた?」
 そんな会話が飛び交う中、真白の机の上で、スマホが小さく震えた。
 休み時間に入ると同時に、クラスチャットが一気に動き出したのだ。
『study_support:国語お疲れさまでした。続いて数学のポイントをお知らせします』
『・グラフ問題は出題されません』
『・二次関数の変形は、授業で扱ったパターンのみです』
『・確率の応用問題は、基本パターンからの出題になります』
 画面を見せ合う生徒たちの間に、「え、マジで?」「グラフ出ないの?」というざわめきが広がっていく。
「グラフ出ないって。さっきのボット、また言ってる」
 前の席の男子が、半笑いで言う。
「信じるの?」
「いやー、どうだろ。でも、もし本当ならラッキーじゃね?」
「でも授業で『グラフも範囲に入る』って先生言ってたしなぁ……」
 揺れる空気。
 恋が席をくるりと回して、真白に身を乗り出した。
「真白、ねぇ、これ、どう思う?」
「……さっきと同じ。私は、公式に言われた範囲だけ信じる」
「だよねぇ……」
 恋はわかっている、と言わんばかりに頷きつつも、視線をスマホと黒板の間で行き来させていた。
 そこへ、教室の前方のドアが開き、担任の先生が顔を出した。
「おーい、お前ら。休み時間にしても騒がしいな。ちょっと前、来ーい」
 先生がひらひらと手を振ると、数人が「バレた」と小声で笑いながら前に集まる。
「先生、これ、見ました?」
 一人がスマホを掲げ、「study_support」のメッセージ画面を見せた。
「なんだこれ。……『期末テストサポートボット』?」
 先生は眉をひそめ、スマホを覗き込む。
「先生が用意したやつじゃないんですか?」
「こんなの知らんぞ。学校が導入したって話も聞いてない」
 先生の言葉に、教室内の空気がざわりと揺れた。
「え、じゃあ、これ何?」
「誰かの冗談?」
「ボットって書いてあるのに?」
 先生は腕を組み、少しだけ考え込んだ。
「とりあえず、一つ言えるのはな。テストの出題範囲は、俺が配ったプリントと、授業で説明した内容がすべてだ。それ以外の情報は、信じる必要はない。……いや、信じるな」
 はっきりとした口調でそう言い切る。
「この件は他の先生とも共有して相談してみる。お前らはとにかく、公式な連絡以外の情報には飛びつくな。それだけ徹底しろ」
「はい」
 真白を含めた数人が返事をし、残りの生徒たちも、ざわめきながらも頷いている。
 先生は、ちらりと真白の方を見た。
「柏加、このアプリの仕様とか詳しかったよな」
 突然名前を呼ばれて、真白は少しだけ背筋を伸ばした。
「え……まぁ、使い方はそれなりに」
「放課後、時間があったら、ちょっと職員室来てくれないか。システム担当から、詳細聞かれるかもしれないんだ」
「わかりました」
 短く答えながら、真白の胸の奥で、ひやりとした感覚と、うっすらとした予感が同時に広がっていく。
 まただ。
 また、何かが起きようとしている。

 二時間目の数学は、国語以上に教室の空気を重くした。
 開始前から、クラスチャットのボットメッセージについてひそひそと話していた生徒たちも、問題用紙が配られた瞬間、その余裕を失う。
「それでは、始めてください」
 号令とともにページをめくる音が重なり、その直後、あちこちで小さく「うわ」とか「マジか」といった声が漏れた。
 問題用紙の後半には、しっかりと二次関数のグラフの問題が載っていたのだ。
『グラフ問題は出題されません』
 ボットの言葉を、心のどこかで半信半疑に信じかけていた何人かの顔が、静かに青ざめていく。
(やっぱり)
 真白は、心の中で小さく息を吐いた。
 ボットの情報が完全に外れているわけではない。確率の応用問題は、たしかに基本パターンを少し変えただけのものが多かった。けれど、「出ません」とまで言い切ったグラフ問題は、しっかりと出題されている。
 ――間違った情報を、あえて混ぜている。
 そんな意図が透けて見えるような気がして、真白は背筋にうっすらと寒気を覚えた。
 テストが終わり、答案が回収されると、教室内は再びざわめきに包まれた。
「話が違うじゃん!」
「グラフめちゃくちゃ出たんだけど!」
「だから言っただろ、あんなボット信用するなって」
「ていうか、あれ誰が作ったんだよ。いたずらにしては性格悪すぎじゃね?」
 不満と不安と怒りが入り混じった声が、あちこちから飛び交う。
 恋は、答案回収の列が終わるのを待って、真白の机のそばに椅子を寄せてきた。
「ね、真白」
「うん」
「正直に言うとさぁ……あたし、証明問題、ちょっとだけ手ぇ抜いちゃった」
 恋は情けない笑顔を浮かべた。
「完全にサボったわけじゃないよ?でも、ボットのやつ見て、『もしかして本当に出ないのかも』って思っちゃって……。さっきの、大問ひとつ分、ほぼ撃沈」
「……そっか」
 責めるような言葉は、真白の口から出てこなかった。
 恋がそういうふうに揺れてしまうのは、理解できる。あれほど「信じない方がいい」と自分で言っていながら、内心で少しだけ「もしかして」という期待を抱いてしまった自分のことも、よくわかっているからだ。
「ボットの人?本気で恨むレベルなんだけど」
「人、かどうかも、まだわからないけどね」
「あ、そっか。ボットか」
 恋は、スマホを取り出して、クラスチャットを開く。
 そこには、数学のテスト終了直後に送られた、study_supportからの新しいメッセージが表示されていた。
『数学お疲れさまでした。本日の出題は、全体として教科書の基本的な内容から構成されていました』
『グラフ問題については、今後の学習において重要な単元です。復習をしておくと良いでしょう』
「……は?」
 恋が思わず声を漏らす。
「こいつ、何言ってんの?」
 さっきまで「出題されません」と断言していたくせに、今はしれっと「重要な単元です」と話題をすり替えている。
「なにこれ。外れたことを、さりげなくなかったことにしてるみたい」
「謝るでもなく?」
「うん。むしろ、『ほら、重要でしょ』って、上から目線で言われてる感じ」
 恋は、画面を指で二度三度タップしながら、眉間に皺を寄せた。
「変な人だなぁ……。ていうか、このボットのこと、誰かブロックできないの?」
「グループ全体に来てるから、個別には難しいかも」
 真白は、アプリの仕様を思い浮かべながら答えた。
 クラスチャットのメッセージは、基本的に全員に同じものが届く。個人だけ受信を止めるには、グループそのものを退出するしかない。でも、それをしてしまえば、先生からの正式な連絡も届かなくなる。
「とりあえず、先生が何か対応してくれると思う」
「だといいけど」
 恋はスマホを机に伏せ、両手で顔を覆った。
「はぁ……。スイーツのためにがんばるって決めたのに、いきなりロケットスタートに失敗した感」
「まだ初日だよ。残りで挽回できる」
 真白は、できるだけ落ち着いた声で言った。
「恋、暗記系は得意でしょ。社会とか」
「うん……。そうだね。あと、英語のリスニングも、真白のおかげでちょっと自信ついた」
 少しだけ顔を上げた恋が、弱々しく微笑む。
「スイーツの約束、ちゃんと守るからさ。あたしも頑張る」
「うん。一緒に行こう」
 その一言に、恋の目元がほんの少しだけ明るくなった。

 その日の最後のホームルームで、先生は再びクラスチャットの件を取り上げた。
「さっきのボット、study_supportとかいうやつな」
 教壇の前で腕を組み、先生はクラス全員を見渡す。
「システム担当に確認したが、学校公式のボットではないことが判明した。誰かが、外部からメッセージを送り込んでいる可能性が高い」
 教室の空気が、わずかに冷たくなる。
「一応、運営会社にも問い合わせをしているが、詳細はまだわからん。ただ、ひとつだけはっきりさせておく。あのボットが何を言おうと、公式の連絡ではない。今後も同じようなメッセージが来ても、信じるな。いいな」
「はい」
「それから、ああいう紛らわしいメッセージを見かけたら、スクリーンショットを撮っておいてくれ。削除されるかもしれんからな。怪しいと思ったら、すぐに俺かシステム担当に見せて。自分たちだけで判断しようとするんじゃないぞ」
 真白は、先生の言葉を聞きながら、胸の奥でこっそり頷いていた。
(スクリーンショット……)
 既に何枚か撮ってある。恋が送ってきた画面も含めて、ボットの投稿内容は、かなりの部分を保存してある。
 ホームルームが終わり、クラスメイトたちがぞろぞろと立ち上がり始めたとき、先生が再び真白の方を見た。
「柏加。さっきの話、覚えてるな。職員室、来られるか?」
「はい」
 鞄を一度机に置き、筆記用具とスマホだけを持って、真白は教室を出た。

 職員室は、試験期間らしく、いつも以上に慌ただしかった。
「お疲れさまです」と小さな声で挨拶しながら中に入ると、先生が手招きする。
「こっちだ」
 隣には、見慣れない男性職員が立っていた。白いシャツにネクタイ、首からは「情報システム担当」と書かれたカードが下がっている。
「君が柏加さん?」
「はい。柏加真白です」
「情報委員の子だ」と先生が補足する。
「この学校のネットワーク周りとか、結構詳しいんだよ」
 システム担当の職員は、ふっと柔らかく笑った。
「助かるよ。僕は嶋田。学校のシステム担当をしている。今回のボットの件で、ちょっと気になっていることがあってね」
 机の上には、学校のロゴが入ったノートPCが開かれていた。そこには、クラスチャットの管理画面のようなものが表示されている。
「アプリの管理用ダッシュボードから、2年C組のメッセージログを見ていたんだけどね」
 嶋田先生は、画面のある一点をマウスで指し示した。
「ここ。今日の朝八時十二分に送られたメッセージ。送信者は『study_support』って表示されてる。でも、同時に、送信元のIDの欄には『未登録クライアント』って出ている」
「未登録……?」
「そう。本来なら、ここには、生徒の端末IDか、先生の端末IDが表示される。もしくは、学校が契約している公式ボットのIDだ。でも、今回のは、そのどれでもない」
 嶋田先生は、少しだけ眉をひそめた。
「アプリの提供会社に問い合わせたところ、API経由でメッセージが送信されているらしい。ただ、そのAPIキーがどこから漏れたのかがわからない。管理者用のキーが、何らかの形で悪用されている可能性がある」
 API。キー。未登録クライアント。
 聞き慣れた単語の並びに、真白の頭の中で、別の場所での記憶がかすかに反応する。
「それでね」
 嶋田先生は、ノートPCの別ウィンドウを開いた。
「正直に言うと、僕よりも、現場のアプリの使い方に詳しい子の方が、何か気づくことがあるかもしれないと思って。柏加さん、もしよければ、このメッセージログの一覧を一緒に見てくれないかな」
 そこには、時刻と送信者ID、メッセージの一部が一覧になって並んでいる。
「もちろん、これはシステムの調査の一環だし、無理にとは言わないよ。ただ、さっき担任の先生から、『柏加はシステム関係、強いから頼りになる』って聞いてね」
 真白は、一瞬だけ息を飲んだ。
(まただ……)
 事件から事件へ、彼女のスキルはいつも、誰かの「頼りにしてるよ」という一言に引っ張り出される。望んだわけではないのに。
 けれど。
 隣のクラスで誰かが困っているわけではない。自分のクラス、自分の友達、自分の約束が、この得体の知れないボットにかき回されている。
 ――放っておけるはずがなかった。
 真白は、ゆっくりと頷いた。
「……わかりました。私にできる範囲で、見てみます」
 嶋田先生の顔に、ほっとした色が浮かぶ。
「ありがとう。ログのコピーは、学校用の共有フォルダに保存してある。あとで、自分の端末からもアクセスできるように設定しておくよ」
「はい」
 職員室を出て廊下に出た瞬間、真白は、深く息を吐いた。
(また、平穏から遠ざかっていく)
 そんな言葉が、喉まで上ってきて、結局ため息に溶けていく。
 でも、完全に拒絶することもできなかった。
 クラスチャットのボットが、どんな意図を持って誤情報を流しているのか。間違った範囲を信じて勉強してしまった人たちの動揺。その全部が、頭の中で絡まり合って、ほどけなくなっていた。
(……ログ)
 放課後、図書室で恋と勉強する約束は、今日はなしになるかもしれない。
 そう思いながらも、真白の足は自然と、自習室ではなく、情報教室の方へと向かっていた。学校のPCなら、共有フォルダにもすぐアクセスできる。
 鞄の中で、スマホが小さく震える。恋からだった。
『授業おつかれー!先生に呼ばれてたの、何だった?あとで教えて』
 そのメッセージを見て、真白は、短く返信を打った。
『ちょっと、ボットの件で。あとで話すね』
 送信ボタンを押し、画面を閉じる。
 情報教室の扉の前に立ち、真白はそっとドアノブに手をかけた。
 静かな部屋の向こう側で、クラスチャットの裏側に残された痕跡が、彼女を待っている。
 平穏なテスト期間は、やはり簡単には訪れてくれそうにない――そんな予感とともに。
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