ハッカー女子高生は平穏に過ごしたい

古城そら

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第5話 ー期末テストの不思議なボットー ④

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 情報教室の扉をそっと閉めると、空調の静かな音だけが耳に残った。
 放課後の校舎には、試験期間特有の粘つくような静けさが漂っている。誰も喋らず、それなのにどこか落ち着かない空気。その感覚が、真白の胸の奥をゆっくりと締めつけた。
(……落ち着いて)
 深く息を吸い、真白は教卓側に置かれた共有パソコンの電源を入れる。
 画面が青白く輝き、学校ネットワークへのログイン画面が表示されると、不思議と気持ちが切り替わる。まるでスイッチが入るように、頭の中のノイズが消えていく。
 IDとパスワードを入力し、デスクトップが開く。
 画面左上には、嶋田先生が言っていた「共有フォルダ」のショートカットがあった。
(このフォルダに――ボットのメッセージログ)
 フォルダを開くと、「C組_チャットログ_backup」という名前のファイルが並んでいる。その中の一つ、「0721_am_log.csv」を選択し、開いた。
 一瞬、ざっと数字と文字列が並び、目がくらむようだったが、真白は自然と視線を滑らせ、必要なところを探し始めていた。
 時刻、送信者ID、クライアント識別子、API利用キー、IPアドレス(ハッシュ化済み)、端末フィンガープリント値(部分的マスク)。
 一般の生徒が触れることのない情報だ。だが、白狐だった頃の経験が、読み方を自然と身体に覚えさせていた。
(……未登録クライアント、ってこれか)
 八時十二分、最初の投稿。
 送信者欄には「study_support」とあるのに、クライアントIDは空白に近い。「Unreg-Client-0xF……」と一部のみの表示。通常、学校アプリは端末ごとに割り振られた固有IDを表示するはずだ。
(IDが……ぼかされている?いや、違う。最初から“存在しない”IDとして投稿している)
 本来のAPIでは、未登録の端末から投稿ができないはずだ。生徒端末・教師端末・公式ボット。どれかに分類されていなければ、メッセージは弾かれる。
(なのに、通っている)
 真白は眉を寄せた。
(……学校のAPIキーの一部が、流用されてる?)
 APIキーの欄を見る。
「M3-API-Admin-Partial」という文字列。見たことのない形式だった。
(部分キー……?)
 本来の管理者キーは完全なトークンで、学校システムで厳重に管理されているはずだ。外に漏れる可能性は限りなく低い。
 だが、「Partial」という文字が示すものに、真白はひやりとした感覚を覚えた。
(部分一致による“埋め込み”……。まさか)
 攻撃者が完全なキーを持っていなくても、API側に脆弱な照合設定があれば、キーの前半や後半だけを一致させて通してしまうケースがある。
 学校アプリのAPIが古い仕様のままだとすれば、ありえる。
(……こんな古い仕様、ありえるの?)
 疑問が浮かぶが、それよりも先に、不自然な項目が目に入った。
 ――端末フィンガープリント値。
 それは通常、端末のOSやブラウザ情報、言語設定などの組み合わせで生成される“指紋”のようなものだ。だが、ログに残されたフィンガープリント値は、他のメッセージ送信者の値と明らかに違っていた。
 桁数は同じなのに、妙に整った規則性のある並び。
 人間の端末から生成された自然なゆらぎがない。まるで――
(“固定値”……。生成された端末、って感じ)
 端末そのものが存在しない“仮想端末”から送信した場合によく見られる特徴だった。
 ここまでの時点で、真白の中では一つの結論がまとまりつつあった。
(学校のネットワークの外。仮想端末。部分キーを使ったAPIアクセス)
 そして、それらを隠す気がないかのように、ログには必要最低限の痕跡だけが残されている。
(……残されている?)
 真白はマウスを止め、呼吸が浅くなるのを感じた。
 残されている、のだ。
 普通、攻撃者は可能な限り痕跡を消す。
 だがこのログは、削除はされていない。それどころか、明らかに“解析されること”を前提としたような不自然な形式が散見された。
 ――見つけてほしい。
 ――気づいてほしい。
 そんな意図すら感じられる。
(……いや、そんなはず――でも)
 過去の事件を思い返す。
 レポート提出システムのなりすまし騒動。亡霊アカウント。文化祭サイトへの偽SEO攻撃。
 どの事件にも共通していた、“気味悪いくらい整った”痕跡。
 そのとき、真白は画面の右端にある別の欄に視線を移した。
「Reaction-Log:閲覧者ID/メッセージ既読タイミング」
(既読……?)
 開くと、ボット投稿後の既読データが記録されていた。
 学校アプリには、メッセージごとの既読人数は表示されるが、誰がいつ読んだかまでは普通は見えない。
(これは……APIで取得される内部ログ)
 そして、そこに記録されている値の規則性に、真白は息を呑んだ。
 投稿から数秒以内に既読した生徒のID。
 投稿から十秒以内に動揺して返信した生徒のID。
 その後、誤情報に反応した生徒の割合。
(……反応を“測っている”)
 単なる誤情報拡散ではない。
 “反応観測”が目的なのだ。
 どの情報で誰が揺れるのか。
 どの誤誘導が有効か。
 学校内の生徒の“行動パターン”を収集しているかのようだった。
(……いやだ……)
 背筋が強く震えた。
 これはただの悪戯ではない。
 高度な観測ツールとして、クラスチャットが利用されている。
(……こんなの、ただの高校生相手に使うものじゃない)
 白狐だった頃の記憶がうずく。
 標的の行動データの収集、反応パターンの評価。
 そういった“攻撃の準備段階”で使われる技術を、真白は知っていた。
(誰が……何のために……)
 そのとき、ログの最後に、一つだけ妙な文字列が目に入った。
「seed=0xC3A1 … next-seed=auto」
(シード値……?)
 生成系の乱数を使うプログラムで使われる内部値。
 ただの開発用デバッグログに見えなくもない。
 だが、真白は直感した。
(わざと残してる……)
 攻撃者は、あえて“ほんの少しだけ手がかりを残している”。
 明らかに意味深で、探せばわかる位置に。
 まるで――
(……挑発してるの?)
 胸の奥が激しくざわついた。
 思わずパソコンから身を引いたとき、ポケットのスマホが振動した。
 画面を見ると、恋からのメッセージだった。
『真白、終わった?無理してない?』
 いつもの明るい絵文字が添えられている。
 ほんの数秒前まで、冷たい攻撃ログを見つめていたことを忘れそうになるほど、恋のメッセージは温かかった。
(……落ち着かないと)
 真白は短く返信した。
『もう少しで終わる。あとで話すね』
 再び画面に向き直り、最後の項目を開く。
 それは「未登録クライアント」から送信された接続ログだったが――通常の学校外アクセスとは違う特徴があった。
 通信元:
「AS-214**/中継サーバ(海外)」
 遅延:異常に安定
 パケットサイズ:規則的
 時刻:校内の登校時間帯に合わせて変化
(……時間を合わせてきてる?)
 登校時間、休み時間、昼休み……
 その“動きやすい時間帯”に合わせて投稿している。
(クラス全体を“見てる”みたい……)
 そこまで考えたとき、背後で扉がかすかに動いた。
 真白は反射的に画面を伏せ、軽く肩を震わせた。
「――柏加?」
 振り返ると、教室の入り口に、嶋田先生が立っていた。
「あ、すみません……。びっくりして」
「いや、盛大に驚かせたのはこちらだからね。様子を見に来ただけ」
 嶋田先生は教卓に近づき、パソコンの画面をちらりと見た。
「どうだろう。何かわかったこと、あるかい?」
 真白は迷った。
 言うべきか、言わないべきか。
 白狐としての知識をどこまで使うべきか。
 しかし、今回のログはすでに“向こうから見せてきている”。下手に隠しても、事態は悪化するだけだった。
 真白は静かに口を開いた。
「……APIキーが、完全な形じゃありません。“部分一致”で通している可能性があります」
 嶋田先生の表情が固まった。
「部分一致?本来はフルキーじゃないと通らないぞ……。そんな設定、していないはずだが」
「古い仕様が残っているとしたら、ありえるかもしれません。それと……端末フィンガープリントが、自然ではないです。“生成された端末”の値に見えます」
「生成端末……。仮想環境ってことか」
 真白は頷いた。
「はい。それと……誤情報を“混ぜて”投稿しています。完全な誤誘導ではなく、あえて正しい情報と間違った情報を組み合わせて」
「攪乱、か」
「……多分、反応を見ています。メッセージ後の既読タイミングや返信数を収集して、誰がどれくらい影響を受けやすいかを解析しているように見えます」
 嶋田先生は、深刻な表情で腕を組んだ。
「高校のクラスチャットを……“観測対象”として?」
「はい。そう感じます」
 静寂が流れる。
 空調の風だけが、一定のリズムで吹いていた。
 少しして、嶋田先生が低い声で続けた。
「君は……すごいな。こんな短時間でここまで読み取るとは思わなかった」
「いえ……。ただ、気になるところがあって……」
「気になるところ?」
 真白は迷った。
 しかし、画面の片隅に残った文字列がどうしても頭から離れない。
「……ログの一部に、意味のないはずの“シード値”が残されています。普通は消すはずなのに、わざと残しているような……そんな印象を受けました」
 嶋田先生は目を細めた。
「何のために残す?」
「……“誰かに見つけてほしい”ような、そんな意図を感じます」
「誰に、だ?」
 真白は返答できなかった。
 だが、胸の奥に浮かんだのは――
 “白狐”だった自分を知っている誰かが、遠回しに呼びかけているような錯覚。
 もちろん、確証はない。
 けれど、過去の事件と同じ“におい”が、あまりにも色濃かった。
 その瞬間、スマホが再び震えた。
『真白、ほんとに無理してない?終わったら水飲みに行こ』
 恋からのメッセージ。それを見た瞬間、真白の張りつめていた感覚が、少しだけ溶けた。
 ――守らなきゃ。
 理由はそれだけで十分だった。
 真白は深く息を吸い、嶋田先生に向き直った。
「……このログ、まだ続きがありそうです。今日の投稿だけじゃなく、過去のメッセージにも、共通する痕跡が残っているかもしれません」
「共通……?」
「はい。まだ確信はありません。でも、何件かの事件と同じ“形式”で残されています。半年前から……ずっと」
 嶋田先生は息を呑んだ。
「半年前……。そんなに長く?」
「はい。すみません、これ以上はまだ断言できないんですが……」
「いや、十分だ。君が気づいたことは非常に重要だ」
 嶋田先生はノートPCを閉じ、真白を見る。
「これ以上は学校の調査と連携して進める。ただ、柏加さん。君は無理をするな。これは本来、大人が扱うべき案件だ」
 真白はほんの少しだけ笑った。
「……はい。でも、同じクラスの問題なので、見過ごすことはできません」
「真面目だな」
 少し困ったように笑った嶋田先生の声に、緊張がようやくゆるむ。
「今日のところは、いったんここまででいい。続きは明日で構わない」
「はい」
 椅子を立ち、パソコンをログアウトする。
 スマホを見ると、恋からの新しいメッセージが入っていた。
『昇降口にいるよ!水、二本買ったよ!』
 真白は、そのメッセージに小さく笑みをこぼした。
(……ありがとう、恋)
 情報教室を出ると、廊下には夕方の光が薄く差し込んでいた。
 テスト期間の放課後特有の静けさの中を、真白は昇降口へ向けて歩き出す。
 胸の奥には、不安と緊張、そしてほんの小さな決意。
 ――次に進むための、確かな手がかりを見つけた。
 そう感じながら。
 その背中に、静かに夜が近づこうとしていた。
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