ハッカー女子高生は平穏に過ごしたい

古城そら

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第5話 ー期末テストの不思議なボットー ⑤

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 昇降口の自動ドアの前で、恋が大きく手を振っていた。
「こっちこっち!」
 真白が近づくと、恋は自販機のペットボトルを二本掲げてみせる。
「約束どおり、水、二本。冷たいやつ、ちゃんと選んできたよ」
「ありがとう」
 受け取ったペットボトルは、手のひらに心地よい冷たさを残した。
 キャップをひねり、ひと口飲む。喉を通っていく冷たい水が、さっきまでの緊張を少しだけ洗い流してくれるようだった。
「先生の呼び出し、やっぱりボットの件だった?」
 恋が、支柱にもたれかかりながら尋ねる。
「うん。システム担当の先生と話して、ログを少し見せてもらった」
「ログって、さっきの変なボットの痕跡みたいなやつ?」
「そう。どこから送られてきたのか、とか」
 真白がそう答えると、恋は目を丸くした。
「やっぱり真白、そういうの、頼られてるんだね」
「……“たまたま”だよ。情報委員だからっていうのと、使い方に詳しいから、ってだけ」
 そう言いながらも、自分の声が少しだけ固いのを真白は自覚していた。
 恋は、その微妙な変化に気づいたのか、ペットボトルを持った手をぶんぶんと振りながら笑ってみせる。
「でもさ、真白が見てくれたって聞くだけで、なんか安心するんだよね。変なボットでも、真白が『大丈夫』って言ったら『大丈夫なんだろうな』って思えるし」
「……まだ、大丈夫って言い切れるほどわかってないよ」
「そっか」
 恋は素直にうなずき、それから少しだけ表情を引き締めた。
「じゃあさ。わからない間は、とりあえず真白の言うこと聞く。変なメッセージは信じない。これでいこう」
「え?」
「だってさ、テスト範囲の件、真白の言ったとおりだったじゃん。プリントと先生の説明だけ信じておけばよかったって、今ならわかるし」
 恋の言葉は、軽口のようでいて、どこか真剣だった。
 真白はペットボトルを握り直し、視線を少しだけ落とす。
「……ありがとう」
「ん?」
「私のこと、そうやって信じてくれて」
 素直に口にした言葉に、自分で少しだけ驚いた。
 恋は一瞬ポカンとしてから、にへらっと笑う。
「そりゃあもちろん。真白が言うなら、数学より信頼度高いからね」
「数学と比べる基準がおかしいよ」
 そう返すと、恋が「えー」と不満そうに頬をふくらませる。そのやりとりが、さっきまで情報教室で見ていた冷たい数字の羅列を、ほんの少しだけ遠ざけてくれる気がした。
 ふと、昇降口のガラス越しに夕焼けが見えた。
 赤く染まり始めた空と、長く伸びる校舎の影。その向こう側で、知らない誰かがネット越しにこちらを覗いているような錯覚が、一瞬だけ胸をかすめる。
(……覗き返すだけじゃ、だめだ)
 真白は、ペットボトルを握りしめた手に、そっと力を込めた。
「恋」
「ん?」
「ボットの件、たぶん明日以降、先生たちが対応すると思う。変なメッセージが来たら、すぐにスクショ撮って、私か先生に見せて」
「了解。任務だね」
 恋は、敬礼のポーズをしてみせる。
「でも真白、無理はしないでね。スイーツの約束、まだ有効なんだから」
 その言葉に、真白は小さく笑った。
「……うん。絶対、行こう」
 それは、恋に向けた約束であると同時に、自分自身への約束でもあった。

 翌朝。
 テスト二日目の朝のホームルームで、担任の先生は再び前に立った。
「昨日のボットの件だが」
 そう切り出すと、教室の空気がぴんと張りつめる。
「システム担当と運営会社の方で、暫定対策が取られた。“study_support”という名前からのメッセージは、学校全体でブロックされるようになったそうだ」
 どっと小さな安堵の声が漏れる。
「ただし、完全に安心というわけではない。名前を変えて現れる可能性もある。だから昨日も言ったとおり、公式以外の情報は信じるな。変なメッセージを見つけたら、スクショを撮ってすぐ報告。繰り返しになるが、これを徹底する様に」
「はーい」
 半分は気の抜けた返事だったが、その裏にある不安は、昨日よりは少しだけ薄まっているようだった。
 前の方の席で、誰かが小声で「ボット、ざまぁ」と笑う。
 恋が振り返り、目で「よかったね」と合図を送ってくる。
 真白は、小さくうなずいた。
(ブロック……)
 もちろん、ブロックの裏側には、いくつかの工夫が必要だった。
 昨夜遅く、嶋田先生から校内メールが届いていた。
『API側の対策案ありがとう。君の指摘をもとに、運営会社と協議した結果、“未登録クライアント”からの投稿を一律弾く設定+問題の部分キー形式のトークンを無効化することになった。端末フィンガープリントの固定値についても、シグネチャとして登録済み。君が見つけてくれた“手がかり”のおかげで、最低限の処置ができたよ』
(最低限……)
 真白は、その言葉を反芻する。
 API自体の設計を根本から見直すのは時間がかかるし、高校生である自分が直接踏み込んでいい領域でもない。
 だからこそ、“最低限の処理”にとどめることを選んだ。
 未登録クライアントからの投稿を、いったん全てブロックする。
 固定フィンガープリント値を持つクライアントは、システム側で自動拒否する。
 部分キー形式のトークンは、ログイン時に警告を出して無効化する。
 それだけでも、昨日時点のボットと同じ手口は封じられる。
(……でも)
 誰かが本気を出せば、別の形で侵入してくることも、真白は知っていた。
 だからこそ、「終わった」とは思わない。
 ただ、「今はここまで」と線を引くだけだ。

 その日と翌日のテストは、驚くほど平穏に過ぎていった。
 クラスチャットに、新しいボットのメッセージは現れなかった。
 代わりに、誰かが自作の単語帳の写真を上げたり、「社会のここ絶対出る」と根拠のない予想を言い合ったりするいつもの光景が戻ってきた。
「ねぇねぇ、昨日さ、ボットがまた出てくる夢見たんだけどさ」
 休み時間、恋が机に突っ伏しながらぼやく。
「何それ、テストの夢じゃなくて?」
「テストの夢はお腹いっぱいだから、違うのになったのかも。どっちにしろ嫌だけど」
「夢の中でも誤情報流してきた?」
「流してきた。『寝不足だと点数が上がります』とか言ってきた」
「それはただの悪夢だね」
 二人で笑うと、緊張で固くなっていた周囲の空気が、少しだけ柔らかくなる気がした。
 ボットの件はまだ完全に解決したわけではない。
 でも、クラス全体が“公式の情報だけを信じる”という共通認識を持ち始めていることが、何よりの防御になる。
(……それでも、誰かは揺れるかもしれない)
 その可能性が完全には消えないことも、真白は理解していた。
 だからこそ、次に何かが起きたとき、今度こそ最初から気づけるように。
 そんな思いが、心の中で静かに芽生えていた。

 三日目、期末テスト最終日。
 最後の科目の終了のチャイムが鳴った瞬間、教室中から解放されたような歓声が上がった。
「終わったぁぁぁ!」
「もう知らん!答案、帰ってこなくていい!」
「いや、返ってこないと困るだろ」
 そんなやりとりが飛び交う中、真白はペンを置き、ゆっくりと深呼吸した。
(……終わった)
 机の上にひとときだけ腕を預け、一週間分の疲れを吐き出すように目を閉じる。
「真白!」
 すぐ隣から、恋の声が飛んできた。
「おつかれー!どうだった?ラスト科目!」
「……なんとか、空欄にはしなかった、かな」
「それは勝ちだよ!」
 恋がガッツポーズをする。
 そのとき、前の方で担任が手を叩いた。
「はいはい、静かに。最後にちょっとだけ連絡な」
 名残惜しそうにおしゃべりを切り上げながら、クラスメイトたちが視線を前に向ける。
「まずは期末テスト、お疲れさん。答案が返ってくるまでは落ち着かないかもしれんが、とりあえずは一区切りだ」
 先生はそう言ってから、少しだけ表情を引き締めた。
「それから、例のチャットボットの件だが」
 ざわり、と小さな波が教室を走る。
「暫定対処のおかげで、ここ二日はメッセージも来なくなった。今後もしばらくは、学校側と運営会社で監視を続けることになっている」
 先生は、教卓に置かれたプリントをひらりと持ち上げた。
「詳しい話は長くなるから省略するが、外部の専門機関にもログの解析を依頼した。結果がわかり次第、必要があればまた説明する。とにかく、変なメッセージを見かけたら――」
「スクショ取ってすぐ報告!」
 前列の誰かが先に言ってしまい、教室に笑いが起こる。
 先生は苦笑しながら頷いた。
「そう。それを徹底してくれれば、被害は最小限に抑えられる。……ま、今回は“被害”といっても、テスト範囲を勘違いしたくらいで済んだからな。今後、もっと悪質なことをしてくる奴がいないとは限らん」
 その言葉に、真白の胸の中で、何かが小さく反応した。
 もっと悪質なこと。
 テスト範囲どころではない、誰かを本当に傷つけるような攻撃。
(……その予行演習、みたいだった)
 そんな言葉が、心の底でひっそりと浮かび上がる。
 ホームルームが終わり、解散の号令がかかると、教室は一気に“夏休みモード”のざわめきに包まれた。
「真白!」
 恋が、机の横まで椅子ごと滑ってくる。
「スイーツ、行こ」
「あ、うん」
 当たり前のように告げられた一言が、真白の中で、小さく灯りをともした。
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