ハッカー女子高生は平穏に過ごしたい

古城そら

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第6話 ー夏休みの企業体験ミステリー ①

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 柏加真白は、駅前のロータリーに立って空を見上げていた。
 八月の朝の光はもう完全に夏の強さで、ビルのガラスに反射した白さが少し目に痛い。時計を見ると、待ち合わせ時刻の五分前。通りを行き交う人たちは、スーツ姿が多い。夏休みの高校生らしき姿はほとんど見えない。
 自分だけ、場違いなところに紛れ込んでしまったみたいだ──そう思いかけたところで。
「真白ー!」
 聴き慣れた声が、ロータリーの向こうから飛んできた。
 茶色のミディアムボブを揺らしながら、木下恋が片手を振って走ってくる。今日の恋は、学校指定の制服ではなく、シンプルな白のブラウスに紺色のスカートという少し大人びた服装だった。明るい笑顔はいつも通りで、周囲のビジネスマンたちの中でも、ひときわ目立っている。真白はこの日のために購入した紺のワンピース姿だ。どういう服装がよいかよくわからず、結局、恋と一緒に買いに行った。
「おはよ、真白!待った?って、まだ早いじゃん」
「ううん、私も今来たところ……」
 口から出た言葉は、よくある定型文みたいで、自分でも少しおかしくなる。
 恋は真白の隣まで駆け寄ると、ふうっと肩で息をしてから、携帯用の小さな扇風機を取り出して風を浴びた。
「にしてもさー、夏休みにスーツの人たちに混ざって企業体験とか、なんかすごくない?大人の仲間入りって感じ」
「……仲間入りっていうにはまだ早いと気はするけど、私もそんな感じ」
 真白は小さく笑う。
 今日から三日間、クラウドサービスを運営する「ミラーノ社」で、夏休みの企業体験プログラムに参加する。学校から募集のお知らせが出たとき、真白は正直、少し迷った。夏休みぐらいは、事件もトラブルもない、静かな時間を過ごしたかったからだ。
 けれど、恋に「一緒に行こうよ」と言われてしまえば、断れるはずもない。
 ──それに。
 ミラーノ社が運営しているのは、ファイル共有や同期サービス、オンラインストレージ。ここ数か月の事件で見てきたログの断片の中に、似たような仕組みを使った痕跡がいくつか残っていた記憶が、真白の中にあった。
 実際に第一線でサービスを提供している企業の実態には興味が無いと言えば噓になる。
 ほんの少しだけ胸がざわつく。
「ほらほら、行こ。遅刻したら初日から印象最悪になっちゃうし」
 恋が真白の手首を軽く引いた。真白は苦笑しながら、そのまま並んで歩き出す。
 駅前からオフィス街へと続く通りは、平日の朝らしく賑わっている。真白は、周囲の高いビルを見上げながら、制服ではなく私服でこういう場所を歩いている自分が、少し不思議に感じられた。
「ねえねえ、ミラーノ社ってさ、CM出してるとこだよね?クラウドにぽいって投げたら、どこからでもアクセスできます!みたいなやつ」
「……“ぽい”とは言ってなかったと思うけど」
「細かいのはいいの!でもさ、真白から見て、ああいうクラウドサービスってどうなの?やっぱり裏ではいろいろ難しいことしてる感じ?」
 恋の問いに、真白は一瞬言葉を探してから、ゆっくり答える。
「難しいこと、というか……たくさんの人が同時に使っても落ちないように、データを分散させたり、コピーを持たせたりしてるんだと思う。どの端末から更新しても、矛盾しないように調整するから、“同期”っていうのが結構大変で……」
「ほうほう」
「でも、そういう大変なところを全部隠して、“ぽいって投げるだけで大丈夫ですよ”って見せるのが、たぶん、いいサービスなんだと思う」
「なるほどねー。じゃあ今日から三日間、そういう裏側をちょっと見せてもらえるってことか。なんかワクワクしてきた!」
 恋は本当に楽しそうだった。真白は、その横顔を横目で見ながら、胸のざわめきが少しだけ和らいだ気がした。
 自分ひとりで来ていたら、きっと緊張と不安で押しつぶされていたかもしれない。
 夏休みの朝の風は、少し湿っているけれど、どこか自由な匂いがした。

 ミラーノ社の入っているビルは、清能駅から歩いて十分ほどの場所にあった。
 エントランスホールに足を踏み入れると、冷房のひんやりとした空気と、コーヒーのような香りが真白の鼻をくすぐる。ロビーには観葉植物がいくつか置かれていて、壁にはカラフルなクラウドのロゴマークが飾られていた。
「おおー、なんかおしゃれ……!」
 恋が素直な感想を漏らす。真白も同じことを心の中で思ったが、口には出さない。代わりに、受付カウンターの横に掲げられた企業理念のパネルや、壁面の案内表示に、視線を巡らせた。
「夏休み企業体験の方ですか?」
 声をかけてきたのは、受付の女性だった。真白たちと同じくらいの年齢にも見えるが、淡いベージュのジャケットに身を包み、きちんとした笑顔を浮かべている。
「はい、清能北高校の……」
「二年C組、木下恋と柏加真白です!」
 恋が元気よく名乗る。女性はうなずき、にこやかに対応した。
「お待ちしていました。担当の南条が、会議室でお待ちしています。こちらへどうぞ」
 案内されてエレベーターに乗り込む。ガラス張りのエレベーターから見える街並みが、少しずつ下に流れていく。真白は、床に表示されたフロアの数字と、エレベーターの動きに合わせて変わる現在地の表示をぼんやり見ていた。
 こんなにも当たり前のように、ビルの制御や表示がネットワークにつながっている──それが、この街の前提になっている。
 だからこそ、何かが起きたときの影響も大きくなるのだ、と頭の片隅で思う。
 けれど、今は仕事ではなく“体験”だ、と自分に言い聞かせた。
 エレベーターが止まり、扉が開く。
 案内された会議室はガラス張りで、中には既に数人の高校生たちが座っていた。清能北高校だけでなく、他の学校の名前も見える。制服や私服が混じり合い、ざわざわとした空気が漂っていた。
「わ、他の高校も来てるんだ」
 恋が小声でつぶやく。
 真白は、そのざわめきの中に紛れ込むようにして席に着いた。するとほどなくして、ドアが開き、一人の男性が入ってくる。
「おはようございます。ミラーノでクラウド事業部を担当している南条です。三日間、よろしくお願いします」
 黒縁のメガネをかけた、落ち着いた雰囲気の男性だった。年齢は二十代後半から三十代前半くらいだろうか。スーツはラフめだが、ネクタイはきちんと締めている。
 南条は簡単な自己紹介のあと、スライドを使って会社の説明を始めた。
 クラウドとは何か。この会社のサービスがどのような仕組みで動いているのか。ユーザーが意識しないところで、どれだけ多くのサーバが連携しているか。障害が起きたときに、どうやってデータを守るのか。
 高校の情報の授業でも似たような話は聞いたことがある。けれど、実際にサービスを提供している現場から語られる言葉は、どこか重みが違っていた。
「……ここまでが、簡単な概要です。難しいところは僕たちが担当しますから、みなさんには“使う側の視点”で、サービスを体験してもらえれば十分です」
 南条はそう言って、少し笑った。
「今日の午前中は、社内を見学してもらったあと、簡単なグループワークをしてもらいます。テーマは“夏休みの写真を、クラスで共有するサービスを考えてみよう”です。実際にうちのクラウドを使ってもらいますので、楽しんでくださいね」
「楽しそー!」
 恋が隣で、素直に歓声を上げる。
 真白も、少しだけ心が弾んだ。
 クラウドと言えば堅苦しいイメージがあったが、“夏休みの写真共有”という具体的なテーマがついたことで、急に身近なものに感じられた。
 ──裏側では、きっと堅苦しい作業を行っていると思うから、そこには感謝。
 そんなことを思いながら、真白は配られたIDカードを手に取った。
 カードには、今日から三日間だけ有効なゲストアカウントの情報が印刷されている。バーコードと、小さなQRコード。これを社内の端末で読み込めば、クラウドのテスト用環境にアクセスできるらしい。
 何気なく、印字された有効期限に目をやる。
「八月七日 23:59(UTC)」
 その一行が、真白の視線をわずかに引き留めた。
(……UTC表記なんだ)
 日本時間より九時間遅い、協定世界時。海外にサービス展開をしている会社なら、珍しくはない。そう頭では理解しているのに、なぜか心のどこかに小さな引っかかりが残った。
 すぐにでも、その違和感をほどいておきたくなる。
 けれど、自分は今日、“体験に来た高校生”だ。
 ホワイトハッカーでも、システム監査員でもない。
 真白はそっと視線を戻し、カードを首から下げるためのストラップに通した。
「どうしたの、真白?」
 恋がすぐ隣から覗き込んでくる。
「ううん、ちょっと……有効期限が、世界標準時で書いてあるなって思って」
「え、それってなんかすごいの?」
「すごい、というか……ちゃんと世界中のユーザーを前提にしてるんだなって。日本時間だけじゃなくて」
「おお、グローバル企業ってやつだね!」
 恋が目を輝かせる。
 真白は、胸の奥で小さくうなずいた。
 グローバル、という言葉は、わくわくする響きと同時に、どこか遠い世界のことのようにも感じられる。
 自分はただ、地方都市の高校に通う、平凡な女子高生でいたいだけなのに──そう願っているのに。
 こうして技術の現場に立つと、どうしても、過去の自分が顔を出そうとする。
 白狐として、世界のネットワークの裏側を覗き込んでいた頃の、自分。
 真白は、ほんの少しだけ首を振った。
 今は違う。今は、“柏加真白”としてここにいる。
 恋が隣にいる。それだけで、世界の見え方は、あの頃とはまるで違うのだから。

 午前中の社内見学は、想像していたよりも興味深かった。
 冷房が効いたサーバルームの前を通り、壁一面に並ぶモニターが点在する運用フロアの説明を受ける。社員たちはヘッドセットをつけて、画面に向かって静かに何かを確認している。そこだけ、学校とはまるで違う緊張感が漂っていた。
「ここは、お客様からの問い合わせや、システムの異常を監視している部署です。何かあったときは、ここにアラートが飛んでくるんですよ」
 南条が説明する。
 モニターの一つには、世界地図の上に小さな点がいくつも表示されていて、時々、赤い点が点滅していた。サーバの稼働状況やアクセス数を示しているらしい。
「赤いのが光ったら大変ってこと?」
 恋が小声で尋ねる。
「まあ、そうですね。でも、ほとんどは自動で切り替えたり、冗長化したりしてくれるので、人間が慌てて走り回ることは……そんなにはないです」
 南条は苦笑した。
「でも、万が一に備えて、常に誰かが見ているってことが大事なんです。クラウドって、“どこでも繋がる”って安心してもらうためのものなので」
 その言葉に、真白は小さくうなずいた。
 どこからでも繋がるということは、どこからでも壊されうるということでもある。
 その当たり前を、どれだけの人が本当に理解しているのかはわからない。でも、このフロアにいる人たちは、それを前提に日々仕事をしているのだろう。
 真白は、モニターに映るグラフの動きを、少し食い入るように見つめてしまう。
(……揺らぎ方が、きれい)
 アクセス数のグラフは、時間とともに上がったり下がったりしながらも、大きな破綻なく推移している。日常のノイズと、異常のノイズ。その境界を見極めることが、ここで働く人たちの仕事なのかもしれない。
 自分も、似たような“揺らぎ”を読み取ることが得意だった。
 ただ、その技術を、平穏な日常の外でしか使ってこれなかった。
「真白?」
 名前を呼ばれて、はっとする。
 気付けば、グループの最後尾になっていた。恋が少し心配そうな顔でこちらを振り返っている。
「ごめん、ぼーっとしてた」
「やっぱりこういうの、真白は好きなんだね」
 恋は、呆れるでもなく、嬉しそうに微笑んだ。
「好き……というか、気になっちゃうだけ。仕事にするのは、大変そうだなって思うけど」
「でもさ、真白がこういうところで働いてる姿、ちょっと想像できるかも」
 さらりと、恋はそう言った。
 真白は、一瞬、返す言葉を失う。
 自分が将来どこで何をしているかなんて、まだはっきりとは考えられない。ただ、頭のどこかで「できれば、静かなところで、目立たず暮らしたい」と願っているのは確かだった。
 けれど、恋にそう言われると、その未来が、少しだけ、悪くないもののように思えてしまう。
「……どうだろう。私なんかが、混ざれるのかな」
「“なんか”じゃないってば。真白、今日の説明聞いてるとき、目がきらきらしてたよ?」
「き、きらきらは……してないと思う」
「してたの!ほら、あのグラフ見てるときとか。わかるもん」
 恋は自信満々に言い切る。
 真白は、頬が熱くなるのを自覚しながら、視線をそらした。
 自分のことなのに、どうして恋のほうが、よく見ているのだろう。
 それが、少し恥ずかしくて、でも、ありがたかった。

 昼休みは、社内のカフェスペースを利用して、参加者同士で自由に過ごしてよいと告げられた。
 窓際の席からは、清能市の街並みがよく見える。遠くに清能駅のホーム、その向こうに小さく見える市営図書館。いつも見上げていたビル群を、今日は逆の立場から見下ろしている。
「おお、清能って上から見ると意外と都会っぽいね」
 恋がサンドイッチを片手に、窓の外を眺める。
「“意外と”って……」
「だってさー、普段は商店街とか図書館周辺しか行かないじゃん?こうやって上から見ると、なんか、大人の世界って感じがする」
 恋は嬉しそうに笑った。
 真白は、自分のトレーに載ったパスタの容器をじっと見つめた。フォークを巻き取りながら、気になっていたことを、思い切って口に出す。
「……恋は、こういうところで働いてみたいって思う?」
「ん?ここで?」
 恋はパスタを口に運びかけた手を止めて、少し考え込むような表情を見せた。
「うーん……正直、まだよくわかんないけど。でも、今日見た感じ、楽しそうだなって思ったかな。いろんな人がいてさ、チームで作ってる感じがして」
「チーム……」
「そう。誰か一人が全部やってるわけじゃなくて、みんなで分担して、“サービス”っていう一つのものを守ってる感じ。……真白がその中にいたら、絶対頼りにされるよ」
 恋は、当然のことのように言う。
 真白は、フォークを持つ手を止めた。
「……私なんて、ただの高校生だよ」
「高校生だけどさ、真白の“すごさ”は、先生だって企業の人だって、見たらわかると思うよ。あ、でも──」
 恋は、そこで少し表情を引き締めた。
「真白が“平穏に暮らしたい”って思うなら、無理にそういう世界に入るのを勧めないよ。今日の企業体験もさ、真白が嫌だったら、別のとこにしよって言うつもりだったし」
「……恋」
「でも、一緒に来てくれて嬉しい。なんか、夏休みの特別なイベントって感じするし」
 恋は再び笑顔に戻り、パスタをひと口食べた。
 真白は、その言葉をかみしめるように、静かに息を吐いた。
 平穏に暮らしたい。事件に巻き込まれたくない。ハッカーとしての技術なんて、封印してしまいたい。
 ずっとそう思ってきた。
 でも、恋が「すごい」と褒めてくれて、「頼りにしてる」と言ってくれると、その願いの形が少しずつ変わっていく。
 平穏というのは、何も起きないことじゃなくて──大切な人が笑っていられる状態のことなのかもしれない。
「……来てよかった」
 気付けば、真白の口から、ぽつりと言葉がこぼれていた。
「え?」
「今日、ミラーノに来て。恋と一緒で、よかったって」
「あー!今の録音したい!」
 恋が身を乗り出してくる。
「しなくていいから」
「いいじゃん、真白の貴重なポジティブ発言なんだから!」
 からかうような調子なのに、その瞳はどこか本気だ。
 真白は、ほんの少しだけ笑った。
 夏の光が窓から差し込んで、テーブルの上に二人分の影を落としている。その重なり方が、妙に愛おしく感じられた。
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