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第6話 ー夏休みの企業体験ミステリー ②
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午後のグループワークでは、他校の生徒も含めて四人一組になり、「夏休みの写真共有サービス」のアイデアを出し合った。
「スマホで撮った写真を自動でアップして、アルバムを作ってくれるとかどう?」
「でも、勝手に上がるのはちょっと怖くない?変な写真もあるかもだし」
「じゃあ、“共有アルバムに入れる前の箱”みたいなのを作って、その中で選べるようにするとか」
自由な意見が飛び交う。
真白は、ホワイトボードにまとめられていくキーワードを眺めながら、頭の中で自然と“実装するならどうするか”を考えてしまう自分に気付いた。
写真データの容量。アップロード時の回線速度。同期のタイミング。重複ファイルの扱い。共有範囲の設定。誤って公開してしまったときのロールバック。
次々と条件が浮かんでくる。
だけど、それを口に出すのは、少しためらわれた。
これは、あくまで高校生向けのワークだ。あまり細かいことを言いすぎれば、場の空気を壊してしまうかもしれない。
「真白さんはどう思う?」
同じグループになった他校の女子が、笑顔で尋ねてきた。
「えっと……」
視線を恋に向けると、恋が「大丈夫」というように小さくうなずいてくれる。
真白は、少しだけ言葉を選びながら話し始めた。
「写真って、撮った人と写ってる人の両方にとって“大事なもの”だから……共有するときに、“この写真は誰まで公開していいか”っていうのを選べたほうが、安心かなって思う」
「なるほど、“公開範囲”みたいな感じ?」
「うん。クラスだけとか、親友だけとか、それぞれ違うと思うから……あと、間違えて公開しても、“元に戻せる”仕組みがあったほうがいいかなって」
「元に戻す?」
「削除じゃなくて、“見えない場所に避難させる”みたいな。後から振り返るときに、“あの時間違えて公開しちゃったけど、その写真があったから話題ができたよね”って笑えるかもしれないから」
言いながら、自分でも少し不思議に思う。
真白はいつも、ログや証拠を“残す側”の立場で考えてきた。けれど今、口から出てきたのは、「完全に消す」のではなく「安全な場所に避難させる」という発想だった。
自分が変わりつつあるのだろうか。
「それ、いいね!」
恋が真っ先に反応した。
「間違いはなかったことにしちゃうんじゃなくて、“ちゃんと覚えてるけど、今は見えない場所”って感じ。なんか、青春っぽい!」
「青春、かな……?」
「青春だよ!」
他のグループメンバーも、「面白い」と笑ってくれた。
南条が各グループの間を回ってコメントをしていく。
真白のグループに来たとき、南条はホワイトボードを見て小さくうなずいた。
「公開範囲と、ロールバックですか。なかなか核心を突いた観点ですね」
「か、核心……」
「クラウドサービスでは、“間違えて削除したデータを戻してほしい”という要望が多いんです。でも、“本当に消したいデータもある”ので、そのバランスをどうするかは、いつも悩みどころで」
南条は穏やかな表情で続けた。
「“見えない場所に避難させる”という表現は、ユーザーにとっても安心感があるかもしれません。いい着眼点だと思いますよ」
「真白、ほら、褒められてる!」
恋が隣で小声ではしゃぐ。
真白は、照れくささを隠すように視線を落とした。
「い、いえ……みんなで出したアイデアなので」
「それを形にしたのはあなたですよ」
さらりと返されて、さらに言葉に詰まる。
誰かから技術的な観点を褒められるのは、慣れているはずだった。叔父からも、ネットの掲示板の向こうからも、「白狐」の名で感謝や賞賛の言葉をもらったことがある。
だけど今、こうして“柏加真白”として褒められるのは、まるで別の意味を持っているように感じられた。
恋が隣で、誇らしそうに笑っているからかもしれない。
一日のプログラムが終わる頃には、さすがに少し疲れが出ていた。
帰りのエレベーターの中で、恋は大きく伸びをして、「ふあー、でも楽しかった!」と声をあげる。
「真白、ほんとにお疲れさま。なんか、途中から完全に“プロっぽい顔”してたよ?」
「プロって……そんな」
真白は苦笑する。けれど、否定しながらも、心のどこかがくすぐったくて、悪くはなかった。
一階のロビーに降りると、ガラス越しに外の夕焼けが見えた。ビルの隙間から覗く空は、オレンジ色から群青色へとゆっくりと変わり始めている。
「ねえ真白、あそこ見て」
恋が指さした先には、ビルの壁面に大きく投影された、クラウドサービスの広告が映っていた。
『大切なデータを、“いつでも、どこでも、いっしょに”。』
キャッチコピーの下で、小さなアニメーションの雲が、ユーザーのアイコンを運んでいる。
「なんかさ、この“どこでもいっしょ”ってフレーズ、真白と私みたいじゃない?」
「……どこでも、は、ちょっと言い過ぎだと思うけど」
「えー、だって、学校でも街でも企業体験でも、だいたい一緒にいるじゃん」
確かにそうだった。
春休みまでの自分には、想像もできなかったくらい、恋と一緒に過ごす時間が増えた。
事件の調査で一緒に動き、テスト勉強で一緒に悩み、スイーツを食べに行き、今日みたいに社会人の世界を少しだけ覗き見る。
「……迷惑じゃない?」
気付けば、そんな言葉が口からこぼれていた。
恋は目を丸くし、それから、すぐに笑った。
「迷惑なわけないじゃん。むしろ、“同期してくれてありがとう”って感じ?」
「同期……?」
「うん。真白のペースに、私の“楽しい”がちゃんと同期してる感じ。ほら、今日だってさ、真白が興味ありそうにグラフ見てたから、私も“おお、こういうの大事なんだなー”って思えたし」
「……そんなふうに、見てたんだ」
「見てたよ。だって、真白と一緒にいる時間が、一番楽しいもん」
さらりと言われて、真白は完全に視線を逸らした。
夕焼けが、余計に頬の熱を強調している気がする。
「……ありがと」
小さな声でそう返すのが精いっぱいだった。
ビルを出ると、夏の夕方特有の、まだ少し熱を残した風が吹いてきた。
駅までの道を並んで歩きながら、真白は、ネックストラップに下げたゲストカード外しながら、指先でなぞる。
有効期限の「UTC」の文字は、さっきと同じようにそこにあり、特に変わった様子はない。
それでも、ふとした瞬間に、今日見たモニターのグラフや、サーバルーム前の冷たい空気、そして有効期限の数字が頭の中で結びついてしまう。
(……大丈夫。今日は何も起きてない)
そう言い聞かせる。
現実として、今日一日は何のトラブルもなく終わった。おかしなメッセージも来てないし、アラートも鳴っていない。自分はただ、企業体験に参加しただけだ。
それ以上でも、それ以下でもない。
「真白、明日もここに来られるの、ちょっとワクワクしない?」
隣から恋の声がする。
真白は少し考えてから、素直な気持ちを口にした。
「……うん。楽しみ、かも」
「やった!じゃあ、明日はもっと“企業体験満喫モード”で行こ。お昼、また社内カフェでもいいけど、外の店も気になるし」
恋が楽しげに明日の計画を話し始める。
その声を聞いていると、胸のざわめきは、ほとんど風の音に紛れてしまう。
平穏。
少なくとも、今この瞬間は、真白にとって紛れもない“平穏な夏休み”だった。
翌朝のミラーノ社は、昨日と同じように爽やかな空調が効いていた。
けれど、空気の密度そのものが、なぜか少し違って感じられる。
「真白、おはよ!今日もよろしくね!」
恋はいつもと変わらず元気そうだ。
真白も「おはよう」と微笑み返す。
エレベーターの扉が開き、体験プログラムのフロアへ上がると、すでに何人もの高校生が集まっていた。ざわざわと小さな声が広がっている。
「……あれ?なんか今日、雰囲気違わない?」
恋が小声でささやく。
確かに、皆が妙にそわそわしていた。
「え、うそでしょ」「消えてるって何……?」という声が断片的に聞こえる。
その中心で、担当の南条が少し困ったように眉を寄せていた。
「みなさん、ひとまず席に着いてください。状況を説明します」
落ち着いた声だったが、その静けさの中に、昨日とは異質な緊張が混ざっていた。
真白と恋が視線を交わす。
(……何か、起きた?)
胸のざわつきが、一段強くなる。
全員が席に着くと、南条はプロジェクターの前で深呼吸をひとつ置いた。
「まず、昨日のグループワークで作っていただいた資料ですが……」
そこまで言ったところで、ざわ、と空気が揺れた。
「クラウド上から、すべて消えています」
会議室全体に「ええっ!?」という声が一斉に上がった。
恋も目を丸くして真白を見る。
「えっ、なんで消えちゃうの?昨日みんなで保存したやつだよね?」
「……うん、私たちのも確かに“同期済み”になってたはず」
真白は、昨日のログイン画面の光景を思い出す。保存したときの、成功を表す緑色のチェックマーク──あれは確かに表示されていた。
(同期エラー……?
でも、エラーなら“上書きされていません”みたいな警告が出るはず)
南条は会場の戸惑いを抑えるように、静かに説明を続けた。
「ご安心ください。みなさんの操作ミスではありません。みなさんには企業体験として来ていただいていますので、こちらも機密に触れない部分でしっかり説明させていただきます。」
そう言って、南条は手元の資料を確認する。
「こちらで調査したところ、みなさんのデータは間違いなく保存されましたが、夜中の“存在しない時刻”に上書き処理が走った形跡があります」
「存在しない……時刻?」
誰かが聞き返す。
南条はスライドにログを表示した。
そこには、見覚えのあるファイル名の横に
『Timestamp:20xx-08-06 25:14:09(UTC)』
という不可解な文字列があった。
「……25時?」
恋が小声でつぶやく。
真白の指先が、思わず膝の上で強張った。
(……存在しない。絶対にありえない)
コンピュータの世界では、日付と時刻は厳密だ。
24:00 をまたげば日付が変わり、25時などという概念は通常あり得ない。
それなのにログには“UTC 時刻”で存在しない時間が記録されている。
ありえないはずの数字を見た瞬間、真白の脳裏でいくつもの条件が一気に連鎖し始めた。
──UTC。
──ゲストアカウントの有効期限。
──クラウド同期。
──偽造されたタイムスタンプ。
(……これ、偶然じゃない)
背筋が冷える感覚が走る。
恋が心配そうに真白の袖をそっと引いた。
「真白……大丈夫?」
「……うん。でも、これは、たぶん……」
言いかけたとき、南条が続けた。
「現時点では“単なる同期バグ”に見える可能性もありますが、通常の挙動では起こり得ないことです。みなさんの資料は“本来存在しない時刻”に上書きされたことになっており、クラウド側が矛盾判定をして削除処理に回っています」
「削除されたってことなんですか……?」
「正確には“行き場を失ったデータ”として非表示領域に隔離されている状態です。復元可能かどうかは現在調査中です」
ざわつく会場。
しかし真白だけは、完全に別のことを考えていた。
(存在しない時刻のログ……
これは、同期バグじゃない。
“意図的に作られた矛盾”だ)
もし攻撃者がシステムにアクセスできるなら、UTC での基準時刻をずらし、クラウド内の時系列整合性を壊すことは技術的に不可能ではない。
ログ偽造、セッション複製、時差を用いたロールバック攻撃──。
どれも“白狐”だった頃に検証した、いわゆる“タイムスタンプ偽造攻撃”の亜種だ。
(こんな技術……知ってるはずがない)
だって高校生向けの企業体験だ。
ここでこんな攻撃が起きるなんて、普通は考えられない。
でも。
──普通じゃないから、私はここに呼ばれたのかもしれない。
そんな錯覚すら覚えた。
休憩時間になり、参加者たちは一斉に席を立ってざわざわと話し始めた。
「全消えってほんと最悪……」「提出どうするんだろ」「バグ多すぎじゃない?」
真白は席に座ったまま、思考に沈んでいた。
恋が椅子を回して向き直る。
「ねえ、真白……さっきから静かだけど、やっぱり何か気になってる?」
真白は一瞬だけ迷ってから、小さな声で答えた。
「……うん。あれ、普通のバグじゃないと思う」
「バグじゃないって……どうして?」
「ログの時刻。UTCで“25時”なんて、本来は絶対に記録されないの。システム全体が時刻を共通で管理してるから、ありえない値は入力できないし、エラーになるはずなのに……」
恋は真白の説明を真剣に聞いていた。
「じゃあ、誰かが……わざと、ってこと?」
「断定はできないけど……可能性は高い」
真白は昨日のゲストカードの有効期限を思い出す。
「8月7日 23:59(UTC)」
あれも、システムが世界基準で動いている証拠。
クラウド全体が UTC を前提にしているなら、
“UTCを基準にした攻撃”は成立しやすい。
恋は眉を寄せながら、真白の手の位置を見た。
膝の上で指先がかすかに震えている。
恋はそっとその手に触れた。
「真白。怖がらなくていいよ。真白が考えてること、南条さんに話してみる?」
「……話したほうがいいかな」
「うん。だって真白、こういうの、わかるでしょ?」
恋の瞳は、昨日と同じようにまっすぐで、揺らぎがない。
その視線に、真白の緊張が少しだけ緩む。
「……ありがとう。恋がそう言ってくれると、落ち着く」
「任せてよ。ずっと同期してるから」
恋の冗談めいた言い方に、真白は思わず笑ってしまった。
休憩が終わる少し前、真白と恋は南条に声をかけた。
「南条さん、少し……いいですか?」
「もちろん。どうしました?」
「資料の消失についてなんですが……その、時刻のところが……普通じゃない気がして」
真白の言葉に、南条は驚いたように眉を上げた。
「……“普通じゃない”?詳しく聞かせてもらえますか」
真白は少し緊張しながら説明した。
「ログの時刻ですが……UTCで25時は存在しません。時刻の管理は統一されているはずなので、そこに矛盾が生じるということは、システム内部の時系列に意図的な書き換えか、外部からの時刻偽装が行われた可能性がありそうです」
南条は真白の言葉を遮らず、静かに頷きながら聞いていた。
「……なるほど。確かに、時刻偽装は通常のユーザー操作ではできませんね」
「はい。もし内部時計が狂ったなら、他のログにも同じ歪みが出るはずです。でもファイルの更新履歴だけに異常が出ているのなら、部分的に“改ざんされた時刻”が混入した可能性があります」
恋は横で「部分的ってできるんだ……」と小声でつぶやいた。
南条は腕を組み、少し黙考した。
「……正直に言います。社内でも時刻偽装の可能性は議論に上がりました。ただ、外部からそこに干渉するには、かなり特殊な手法を使う必要があります。常識的には考えにくいんです」
南条は真白の意見を高校生の意見だからと軽く見ることなく、正面から向き合ってくれている。
それを感じながら、真白は静かに言葉を重ねた。
「……でも、ありえない数字がそこにある以上、“考えにくい”で片付けるのは危ないと思います」
南条は目を丸くした。
高校生がする発言の重さではなかったのだろう。
「柏加さん……君、すごいですね。正直、驚きました」
「い、いえ……ただ、気になって……」
「気になるだけでここまで分析できる人は、そういませんよ」
南条は少し微笑み、それから真剣な表情に戻った。
「……協力してもらえますか?ログの閲覧だけなら、ゲスト権限でも可能です。気付いたことがあれば教えてください」
恋が嬉しそうに真白を見る。
「真白、頼られてる!」
「た、頼られてるというか……」
頬が熱くなるのを、隠すことさえできなかった。
「スマホで撮った写真を自動でアップして、アルバムを作ってくれるとかどう?」
「でも、勝手に上がるのはちょっと怖くない?変な写真もあるかもだし」
「じゃあ、“共有アルバムに入れる前の箱”みたいなのを作って、その中で選べるようにするとか」
自由な意見が飛び交う。
真白は、ホワイトボードにまとめられていくキーワードを眺めながら、頭の中で自然と“実装するならどうするか”を考えてしまう自分に気付いた。
写真データの容量。アップロード時の回線速度。同期のタイミング。重複ファイルの扱い。共有範囲の設定。誤って公開してしまったときのロールバック。
次々と条件が浮かんでくる。
だけど、それを口に出すのは、少しためらわれた。
これは、あくまで高校生向けのワークだ。あまり細かいことを言いすぎれば、場の空気を壊してしまうかもしれない。
「真白さんはどう思う?」
同じグループになった他校の女子が、笑顔で尋ねてきた。
「えっと……」
視線を恋に向けると、恋が「大丈夫」というように小さくうなずいてくれる。
真白は、少しだけ言葉を選びながら話し始めた。
「写真って、撮った人と写ってる人の両方にとって“大事なもの”だから……共有するときに、“この写真は誰まで公開していいか”っていうのを選べたほうが、安心かなって思う」
「なるほど、“公開範囲”みたいな感じ?」
「うん。クラスだけとか、親友だけとか、それぞれ違うと思うから……あと、間違えて公開しても、“元に戻せる”仕組みがあったほうがいいかなって」
「元に戻す?」
「削除じゃなくて、“見えない場所に避難させる”みたいな。後から振り返るときに、“あの時間違えて公開しちゃったけど、その写真があったから話題ができたよね”って笑えるかもしれないから」
言いながら、自分でも少し不思議に思う。
真白はいつも、ログや証拠を“残す側”の立場で考えてきた。けれど今、口から出てきたのは、「完全に消す」のではなく「安全な場所に避難させる」という発想だった。
自分が変わりつつあるのだろうか。
「それ、いいね!」
恋が真っ先に反応した。
「間違いはなかったことにしちゃうんじゃなくて、“ちゃんと覚えてるけど、今は見えない場所”って感じ。なんか、青春っぽい!」
「青春、かな……?」
「青春だよ!」
他のグループメンバーも、「面白い」と笑ってくれた。
南条が各グループの間を回ってコメントをしていく。
真白のグループに来たとき、南条はホワイトボードを見て小さくうなずいた。
「公開範囲と、ロールバックですか。なかなか核心を突いた観点ですね」
「か、核心……」
「クラウドサービスでは、“間違えて削除したデータを戻してほしい”という要望が多いんです。でも、“本当に消したいデータもある”ので、そのバランスをどうするかは、いつも悩みどころで」
南条は穏やかな表情で続けた。
「“見えない場所に避難させる”という表現は、ユーザーにとっても安心感があるかもしれません。いい着眼点だと思いますよ」
「真白、ほら、褒められてる!」
恋が隣で小声ではしゃぐ。
真白は、照れくささを隠すように視線を落とした。
「い、いえ……みんなで出したアイデアなので」
「それを形にしたのはあなたですよ」
さらりと返されて、さらに言葉に詰まる。
誰かから技術的な観点を褒められるのは、慣れているはずだった。叔父からも、ネットの掲示板の向こうからも、「白狐」の名で感謝や賞賛の言葉をもらったことがある。
だけど今、こうして“柏加真白”として褒められるのは、まるで別の意味を持っているように感じられた。
恋が隣で、誇らしそうに笑っているからかもしれない。
一日のプログラムが終わる頃には、さすがに少し疲れが出ていた。
帰りのエレベーターの中で、恋は大きく伸びをして、「ふあー、でも楽しかった!」と声をあげる。
「真白、ほんとにお疲れさま。なんか、途中から完全に“プロっぽい顔”してたよ?」
「プロって……そんな」
真白は苦笑する。けれど、否定しながらも、心のどこかがくすぐったくて、悪くはなかった。
一階のロビーに降りると、ガラス越しに外の夕焼けが見えた。ビルの隙間から覗く空は、オレンジ色から群青色へとゆっくりと変わり始めている。
「ねえ真白、あそこ見て」
恋が指さした先には、ビルの壁面に大きく投影された、クラウドサービスの広告が映っていた。
『大切なデータを、“いつでも、どこでも、いっしょに”。』
キャッチコピーの下で、小さなアニメーションの雲が、ユーザーのアイコンを運んでいる。
「なんかさ、この“どこでもいっしょ”ってフレーズ、真白と私みたいじゃない?」
「……どこでも、は、ちょっと言い過ぎだと思うけど」
「えー、だって、学校でも街でも企業体験でも、だいたい一緒にいるじゃん」
確かにそうだった。
春休みまでの自分には、想像もできなかったくらい、恋と一緒に過ごす時間が増えた。
事件の調査で一緒に動き、テスト勉強で一緒に悩み、スイーツを食べに行き、今日みたいに社会人の世界を少しだけ覗き見る。
「……迷惑じゃない?」
気付けば、そんな言葉が口からこぼれていた。
恋は目を丸くし、それから、すぐに笑った。
「迷惑なわけないじゃん。むしろ、“同期してくれてありがとう”って感じ?」
「同期……?」
「うん。真白のペースに、私の“楽しい”がちゃんと同期してる感じ。ほら、今日だってさ、真白が興味ありそうにグラフ見てたから、私も“おお、こういうの大事なんだなー”って思えたし」
「……そんなふうに、見てたんだ」
「見てたよ。だって、真白と一緒にいる時間が、一番楽しいもん」
さらりと言われて、真白は完全に視線を逸らした。
夕焼けが、余計に頬の熱を強調している気がする。
「……ありがと」
小さな声でそう返すのが精いっぱいだった。
ビルを出ると、夏の夕方特有の、まだ少し熱を残した風が吹いてきた。
駅までの道を並んで歩きながら、真白は、ネックストラップに下げたゲストカード外しながら、指先でなぞる。
有効期限の「UTC」の文字は、さっきと同じようにそこにあり、特に変わった様子はない。
それでも、ふとした瞬間に、今日見たモニターのグラフや、サーバルーム前の冷たい空気、そして有効期限の数字が頭の中で結びついてしまう。
(……大丈夫。今日は何も起きてない)
そう言い聞かせる。
現実として、今日一日は何のトラブルもなく終わった。おかしなメッセージも来てないし、アラートも鳴っていない。自分はただ、企業体験に参加しただけだ。
それ以上でも、それ以下でもない。
「真白、明日もここに来られるの、ちょっとワクワクしない?」
隣から恋の声がする。
真白は少し考えてから、素直な気持ちを口にした。
「……うん。楽しみ、かも」
「やった!じゃあ、明日はもっと“企業体験満喫モード”で行こ。お昼、また社内カフェでもいいけど、外の店も気になるし」
恋が楽しげに明日の計画を話し始める。
その声を聞いていると、胸のざわめきは、ほとんど風の音に紛れてしまう。
平穏。
少なくとも、今この瞬間は、真白にとって紛れもない“平穏な夏休み”だった。
翌朝のミラーノ社は、昨日と同じように爽やかな空調が効いていた。
けれど、空気の密度そのものが、なぜか少し違って感じられる。
「真白、おはよ!今日もよろしくね!」
恋はいつもと変わらず元気そうだ。
真白も「おはよう」と微笑み返す。
エレベーターの扉が開き、体験プログラムのフロアへ上がると、すでに何人もの高校生が集まっていた。ざわざわと小さな声が広がっている。
「……あれ?なんか今日、雰囲気違わない?」
恋が小声でささやく。
確かに、皆が妙にそわそわしていた。
「え、うそでしょ」「消えてるって何……?」という声が断片的に聞こえる。
その中心で、担当の南条が少し困ったように眉を寄せていた。
「みなさん、ひとまず席に着いてください。状況を説明します」
落ち着いた声だったが、その静けさの中に、昨日とは異質な緊張が混ざっていた。
真白と恋が視線を交わす。
(……何か、起きた?)
胸のざわつきが、一段強くなる。
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「まず、昨日のグループワークで作っていただいた資料ですが……」
そこまで言ったところで、ざわ、と空気が揺れた。
「クラウド上から、すべて消えています」
会議室全体に「ええっ!?」という声が一斉に上がった。
恋も目を丸くして真白を見る。
「えっ、なんで消えちゃうの?昨日みんなで保存したやつだよね?」
「……うん、私たちのも確かに“同期済み”になってたはず」
真白は、昨日のログイン画面の光景を思い出す。保存したときの、成功を表す緑色のチェックマーク──あれは確かに表示されていた。
(同期エラー……?
でも、エラーなら“上書きされていません”みたいな警告が出るはず)
南条は会場の戸惑いを抑えるように、静かに説明を続けた。
「ご安心ください。みなさんの操作ミスではありません。みなさんには企業体験として来ていただいていますので、こちらも機密に触れない部分でしっかり説明させていただきます。」
そう言って、南条は手元の資料を確認する。
「こちらで調査したところ、みなさんのデータは間違いなく保存されましたが、夜中の“存在しない時刻”に上書き処理が走った形跡があります」
「存在しない……時刻?」
誰かが聞き返す。
南条はスライドにログを表示した。
そこには、見覚えのあるファイル名の横に
『Timestamp:20xx-08-06 25:14:09(UTC)』
という不可解な文字列があった。
「……25時?」
恋が小声でつぶやく。
真白の指先が、思わず膝の上で強張った。
(……存在しない。絶対にありえない)
コンピュータの世界では、日付と時刻は厳密だ。
24:00 をまたげば日付が変わり、25時などという概念は通常あり得ない。
それなのにログには“UTC 時刻”で存在しない時間が記録されている。
ありえないはずの数字を見た瞬間、真白の脳裏でいくつもの条件が一気に連鎖し始めた。
──UTC。
──ゲストアカウントの有効期限。
──クラウド同期。
──偽造されたタイムスタンプ。
(……これ、偶然じゃない)
背筋が冷える感覚が走る。
恋が心配そうに真白の袖をそっと引いた。
「真白……大丈夫?」
「……うん。でも、これは、たぶん……」
言いかけたとき、南条が続けた。
「現時点では“単なる同期バグ”に見える可能性もありますが、通常の挙動では起こり得ないことです。みなさんの資料は“本来存在しない時刻”に上書きされたことになっており、クラウド側が矛盾判定をして削除処理に回っています」
「削除されたってことなんですか……?」
「正確には“行き場を失ったデータ”として非表示領域に隔離されている状態です。復元可能かどうかは現在調査中です」
ざわつく会場。
しかし真白だけは、完全に別のことを考えていた。
(存在しない時刻のログ……
これは、同期バグじゃない。
“意図的に作られた矛盾”だ)
もし攻撃者がシステムにアクセスできるなら、UTC での基準時刻をずらし、クラウド内の時系列整合性を壊すことは技術的に不可能ではない。
ログ偽造、セッション複製、時差を用いたロールバック攻撃──。
どれも“白狐”だった頃に検証した、いわゆる“タイムスタンプ偽造攻撃”の亜種だ。
(こんな技術……知ってるはずがない)
だって高校生向けの企業体験だ。
ここでこんな攻撃が起きるなんて、普通は考えられない。
でも。
──普通じゃないから、私はここに呼ばれたのかもしれない。
そんな錯覚すら覚えた。
休憩時間になり、参加者たちは一斉に席を立ってざわざわと話し始めた。
「全消えってほんと最悪……」「提出どうするんだろ」「バグ多すぎじゃない?」
真白は席に座ったまま、思考に沈んでいた。
恋が椅子を回して向き直る。
「ねえ、真白……さっきから静かだけど、やっぱり何か気になってる?」
真白は一瞬だけ迷ってから、小さな声で答えた。
「……うん。あれ、普通のバグじゃないと思う」
「バグじゃないって……どうして?」
「ログの時刻。UTCで“25時”なんて、本来は絶対に記録されないの。システム全体が時刻を共通で管理してるから、ありえない値は入力できないし、エラーになるはずなのに……」
恋は真白の説明を真剣に聞いていた。
「じゃあ、誰かが……わざと、ってこと?」
「断定はできないけど……可能性は高い」
真白は昨日のゲストカードの有効期限を思い出す。
「8月7日 23:59(UTC)」
あれも、システムが世界基準で動いている証拠。
クラウド全体が UTC を前提にしているなら、
“UTCを基準にした攻撃”は成立しやすい。
恋は眉を寄せながら、真白の手の位置を見た。
膝の上で指先がかすかに震えている。
恋はそっとその手に触れた。
「真白。怖がらなくていいよ。真白が考えてること、南条さんに話してみる?」
「……話したほうがいいかな」
「うん。だって真白、こういうの、わかるでしょ?」
恋の瞳は、昨日と同じようにまっすぐで、揺らぎがない。
その視線に、真白の緊張が少しだけ緩む。
「……ありがとう。恋がそう言ってくれると、落ち着く」
「任せてよ。ずっと同期してるから」
恋の冗談めいた言い方に、真白は思わず笑ってしまった。
休憩が終わる少し前、真白と恋は南条に声をかけた。
「南条さん、少し……いいですか?」
「もちろん。どうしました?」
「資料の消失についてなんですが……その、時刻のところが……普通じゃない気がして」
真白の言葉に、南条は驚いたように眉を上げた。
「……“普通じゃない”?詳しく聞かせてもらえますか」
真白は少し緊張しながら説明した。
「ログの時刻ですが……UTCで25時は存在しません。時刻の管理は統一されているはずなので、そこに矛盾が生じるということは、システム内部の時系列に意図的な書き換えか、外部からの時刻偽装が行われた可能性がありそうです」
南条は真白の言葉を遮らず、静かに頷きながら聞いていた。
「……なるほど。確かに、時刻偽装は通常のユーザー操作ではできませんね」
「はい。もし内部時計が狂ったなら、他のログにも同じ歪みが出るはずです。でもファイルの更新履歴だけに異常が出ているのなら、部分的に“改ざんされた時刻”が混入した可能性があります」
恋は横で「部分的ってできるんだ……」と小声でつぶやいた。
南条は腕を組み、少し黙考した。
「……正直に言います。社内でも時刻偽装の可能性は議論に上がりました。ただ、外部からそこに干渉するには、かなり特殊な手法を使う必要があります。常識的には考えにくいんです」
南条は真白の意見を高校生の意見だからと軽く見ることなく、正面から向き合ってくれている。
それを感じながら、真白は静かに言葉を重ねた。
「……でも、ありえない数字がそこにある以上、“考えにくい”で片付けるのは危ないと思います」
南条は目を丸くした。
高校生がする発言の重さではなかったのだろう。
「柏加さん……君、すごいですね。正直、驚きました」
「い、いえ……ただ、気になって……」
「気になるだけでここまで分析できる人は、そういませんよ」
南条は少し微笑み、それから真剣な表情に戻った。
「……協力してもらえますか?ログの閲覧だけなら、ゲスト権限でも可能です。気付いたことがあれば教えてください」
恋が嬉しそうに真白を見る。
「真白、頼られてる!」
「た、頼られてるというか……」
頬が熱くなるのを、隠すことさえできなかった。
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でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
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