ハッカー女子高生は平穏に過ごしたい

古城そら

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第6話 ー夏休みの企業体験ミステリー ③

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 午後の開始前、南条は真白たちを社内の別室へ案内した。
「ここは検証用の端末です。ゲストアカウントでも閲覧できるログは限定的ですが、それでも十分参考になります」
 端末には昨日と同じゲストカードでログインできる。
 真白は深呼吸してから、端末にカードをかざした。
(落ち着いて。私は“白狐”じゃない。ただ、事実を見つけるだけ)
 ログビューアを開くと、昨日の作成ファイル一覧がずらりと並んだ。
 そのうち一つをクリックすると──
「更新者:guest_A12」
「Timestamp:2023-08-06 25:14:09(UTC)」
「Action:Update」
 恋が覗き込む。
「うわ……やっぱ変な時間だね」
「うん。でも、もっと変なのは……」
 真白は表示フィルタを切り替え、連続ログを抽出する。
「ほら。これ、更新より前のログ。
『2023-08-06 14:14:09(UTC)』」
「……つまり、11時間後に“25時”になってる?」
「正確には“14時の11時間後”だから25時。でも本来なら次の日の“01:14”にならないとおかしいの」
 恋は「確かに……」と頷いた。
 真白はまた別のログを表示する。
「そして、この25時ログの“直前”と“直後”だけが、時系列の整合性を崩したようにぶつ切りになってる」
 南条が画面を覗き込み、眉をひそめた。
「本当だ……これは通常の障害とは明らかに違う。
 正確には“ログの前後関係が破壊されている”」
 真白は指を止め、心臓の鼓動が早くなるのを感じた。
 ──ログの前後関係破壊は、
 同期バグで起こる挙動ではない。
 これは……
(……セッション複製の痕跡?
 もしくは、別のタイムゾーンを基準にした偽装……)
 頭の中で幾つもの仮説が交錯する。
 恋は真白の袖をそっとつまむ。
「真白……大丈夫?顔がちょっとこわいよ」
「……ごめん。考えすぎてた」
「考えていいけど、自分まで壊れないようにね」
 その言葉に、真白ははっとした。
(私は、恋がいるから……大丈夫)
 深呼吸して思考を整理する。
 そして、もう一度ログの並びを見ると──
 “ひとつだけ、日本時間にすると矛盾が消える”ログが混ざっている。
「……あ」
 思わず声が漏れる。
 南条が反応した。
「何か?」
「ここのログ……UTCだとおかしいけど、日本時間(JST)に直すと、矛盾が消えるんです。
 つまり、“日本時間で操作した記録”が、無理やり UTC にねじ込まれた可能性があります」
 恋は目を丸くした。
「ってことは……誰か“日本から”やったってこと?」
 真白はゆっくり頷く。
「その可能性が高い。
 海外の時刻体系じゃ説明できないから……」
 南条は驚愕を隠せず、画面を凝視した。
「……外部からの、意図的なアクセス。
 そう判断せざるを得ないかもしれません」
 真白はすぐに補足した。
「ただ、ログが正しいとは限りません。
 セッション自体が偽造されていた場合……」
 そこで言葉を止める。
 恋が不安そうに見つめ、南条は緊張を含んだ表情になる。
 ──真白が続けようとした仮説は、
 あまりに現実的で、そして危険だった。
「セッションが……複製された?」
 南条が代わりに言葉をつないだ。
 真白は小さくうなずく。
「もし誰かがゲストアカウントのセッションを複製していれば、内部の操作を“あたかも本人がしたように”記録できます。
 その上で時刻も偽造すれば……今回のような現象と辻褄が合う」
 恋が息を呑む。
「それって……攻撃、だよね?」
 真白は、静かに答えた。
「……攻撃、だと思う」
 その瞬間、部屋の空気が一段冷えた気がした。

 南条はしばらく考え込んでいたが、やがて真白を見る。
「柏加さん……協力、お願いできますか?」
「私でよければ……」
「もちろんです。ここまで状況を整理してくれたのは、正直社内でもまだ誰もできていません。助けてください」
 真白は言葉に詰まった。
 自分がこういう現場に立つことになるなんて、
 昨日までは思いもしなかった。
 でも。
 恋がそっと真白の背中を押した。
「真白ならできるよ。私は横にいるから」
 その一言が、胸の奥に静かに灯る。
(……大丈夫。私はもう“ひとりじゃない”)
 真白は南条に向き直った。
「……わかりました。できる範囲で協力します」
 南条は深く頷く。
「ありがとうございます。では、追加で閲覧可能なログ領域を開放します。ただし、操作権限は付与できませんので……」
「閲覧だけで十分です」
 真白は迷いなく答えた。
 攻撃の痕跡は、必ずどこかに残る。
 そして──
(この“影”のやり方……似てる。学校の事件で見た痕跡に)
 胸がざわりと震える。
 敵は、学校だけを狙っているわけではないのかもしれない。
 恋が隣で不安げに真白を見ている。
 真白は彼女に気づき、そっと微笑んだ。
「大丈夫。まだ“調査段階”だから」
「……うん。でも、無理はしないでね」
 優しい声。
 その温度に、真白の心の緊張が少しほどけた。

 モニターに次々と流れるログ。
 その中で、真白の視線がひとつの数字に吸い寄せられた。
 ──とある未知の IP アドレス。
 昨日までのログにはなかった帯域。
 通常は企業ネットワークでは通らないはずのルート。
(……この IP……どこかで……)
 記憶の奥から、ぞわりと寒気が這い上がってくる。
 この IP 帯域は、確か──
 “学校の事件”のとき、ログの末尾に一度だけ現れた“謎のアクセス”と一致している。
 真白は息を飲んだ。
(ここにも……繋がってる?)
 画面の数字が、静かに真白を見返していた。

(この IP……)
 画面の端に小さく表示された数列から、目が離せなくなっていた。
 203.***.126.*
 数字そのものに特別な意味はない。
 けれど、上位の並び──最初の三つの塊が、記憶の中のログとぴたりと重なる。
(間違いない。学校のときに見た“謎のアクセス”と、同じ帯域──)
 あのときは、一瞬だけ流れて消えた値だった。
 証拠と言うには弱い、でも引っかかりを残すには十分な、そんなノイズ。
 真白は無意識に息を詰めていた。
「真白?」
 すぐ隣から、恋の声がする。
「どうしたの?さっきまでスラスラ見てたのに、急に固まっちゃった」
「……ごめん。ちょっと、見覚えがあって」
「見覚え?」
 恋の視線に気づき、真白は一度唇を噛む。
 ここで黙ってやり過ごすこともできる。
 ただの“似たような IP”と自分に言い聞かせればいいだけだ。
 けれど、画面の数字は、じっとこちらを見返していた。
(見なかったことには、できない)
 それを無視してしまったら──
 たぶん後で、自分自身を許せなくなる。
「南条さん」
 真白はおそるおそる口を開いた。
「はい?」
「この IP 帯って……社内では、見覚えありますか?」
 南条は画面に目を落とし、数秒だけ沈黙する。
「……ログ上は“未知の外部アクセス”として分類されています。少なくとも、社内からの通常通信ではないですね」
「やっぱり……」
 真白の胸の奥で、冷たいものと熱いものが同時に広がった。
「柏加さんは、どうして“見覚えがある”と?」
 南条の問いかけに、真白は少しだけ視線を落とす。
 学校で起きたあの事件──
 校内ネットワークが一部停止して、ログを解析したとき。
「……学校で、ネットワークのトラブルがあったときに、先生と一緒にログを見せてもらったんです。そのとき、末尾に一瞬だけ、同じ帯域のアクセスが残っていました」
「同じ、帯域?」
 南条の声がわずかに低くなる。
 真白は頷き、できるだけ淡々と続けた。
「全部同じ数字、というわけではありません。でも、“最初の三つの塊”が一致していて……同じネットワークから来ている可能性が高いと思います」
 IP アドレスは、ある程度の範囲ごとに割り当てられている。
 最初の三つの数字が同じなら、それは「同じ街の住所」どころか、ほぼ「同じマンションの別の部屋」みたいなものだ。
 恋が小声でつぶやく。
「ってことは……学校のときにちょっかい出してきた誰かと、同じ“建物”から来てるかもしれないってこと?」
「例えるなら、そんな感じ」
 真白は頷く。
 南条は腕を組み、しばらく黙ったまま画面を見つめていた。
「……学校のトラブル、というのは、以前ニュースになっていた件ですか?清能市の教育ネットワークが一部止まった、という」
「たぶん、それです」
「なるほど……」
 南条の眉間に、深い皺が寄る。
「内部では“偶発的な障害”として処理されていましたが……同じ帯域からのアクセスが、ここにも」
 彼は小さく息を吐き、真白と恋に向き直った。
「柏加さん。もしかして、そのときも……?」
「はい。少し、ログを見ていました」
 それ以上は言わなかった。
 “どこまで見たか”を説明し始めれば、話が長くなりすぎる。
 それでも南条は、十分すぎるほど理解したらしい。
「……そうですか。道理で話が早いわけだ」
 一瞬だけ浮かんだ苦笑は、すぐに真剣さに戻る。
「となると、これは“偶然”ではない可能性が高いですね。
 学校のネットワークに侵入した何者かが、今回はうちのクラウドを狙ってきた……そう考えるのが自然でしょう」
「でも、なんで企業体験のゲスト環境なんだろ」
 恋がぽつりと呟いた。
「もっと“本番のデータ”を狙えば、いろいろ盗めそうなのに」
「狙いは“本番データ”じゃないのかもしれません」
 真白は静かに言った。
「今回は、“時刻の矛盾”を使って資料を消しています。
 もしそれがテストだとしたら──」
「テスト?」
 恋が目を瞬かせる。
「うん。“本当にやる前の練習”みたいなもの。
 本番環境だと気づかれるのも対応されるのも早いと思うから、テスト用の環境で、どこまで時刻をいじれるか、どんなふうにログが残るかを確かめている可能性がある」
 恋は小さく息を呑んだ。
「じゃあ、今回のことは……“予行演習”?」
「断言はできない。でも、もしそうなら──」
 真白は画面の端に並ぶ“25時”のタイムスタンプを見た。
「次は、もっと大きな場所で、同じ攻撃を使おうとしているかもしれない」

 ログ調査は、思った以上に消耗する作業だった。
 数字の羅列を追い続けていると、時間の感覚がゆっくりと薄れていく。
 今見ているのが一時間前なのか、一日前なのか、一週間前なのか──
 一瞬でも気を緩めると、全てが同じ“過去”に見えてしまう。
(ちゃんと、時系列を掴んでいないと)
 今回の攻撃は、まさにそこを突いている。
 UTC と JST。
 世界標準時と、日本時間。
「単純に九時間ずれているだけ」──
 そう思い込んでいる人は多い。
 でも、システムの内部ではもっと複雑に絡んでいる。
 ログビューアのフィルタリングを切り替えながら、真白は恋にもわかるようにゆっくり説明した。
「時刻って、コンピュータの世界では全部“世界標準時間”で管理してるの。私たちが見る“日本時間”は、その上に乗っている“表示用のラベル”みたいなもの」
「へえ……」
「だから、表示が“8月6日の10時”でも、内部的には“8月6日の1時(UTC)”っていう一つの数値でしかなくて……その数字がぐちゃぐちゃにされると、“いつ起きたか”がわからなくなる」
「なるほど……時間割表を勝手に書き換えられたみたいな感じ?」
「……そうかも。“二時間目の数学”って書いてあったはずなのに、誰かが勝手に“二時間目は存在しません”って書き換えたら、先生は “じゃあこれはどこに置けばいいの?”って困るでしょ」
「確かに困るね」
 恋はくすりと笑った。
「そして今回は、“存在しない二時間目”を作られた……みたいな」
「そう。システムが、“この時間はありえない”って判断して、ファイルを“どこにも置けなくなった”」
 真白はモニターに映る“25:14:09”の数字を指さす。
「だから、クラウドは“データがないのと同じ”って扱いにしてしまう。
 でも、実際には、“どこにも属せないデータ”としてどこかに押し込まれている」
「押し込まれてる……?」
「うん。さっき南条さんが言ってた、“非表示領域に隔離されている状態”っていうのがそれ。
 要するに、“はみ出し者扱い”されてる」
 恋は少し眉をひそめる。
「なんかかわいそう……」
「かわいそうだけど、クラウド側からしたら仕方ない部分もあるの。
 矛盾するデータをそのまま表示したら、今度は他のファイルがおかしくなっちゃうから」
「ふむ……」
 恋は頬杖をつきながら、画面とノートを交互に見ていた。
「でも、その“はみ出し者”を作った人は、わざとそれを狙ってるってことだよね」
「……そうだと思う」
 真白は指先に力を込めた。
「世界標準時間と日本時間の“境目”を狙って、
 システムに“存在しない時間”を信じ込ませる──
 それが、今回の攻撃の芯だと思う」
 南条が横から口を挟んだ。
「つまり、攻撃者は“内部の時刻体系”をかなり理解している、ということですね」
「はい。外側の説明だけ見ていても、ここまでは辿り着けません。
 ヘルプに書いてあるレベルじゃなくて……運用側が使うような仕様書を、どこかで見ている可能性があります」
「仕様書……」
 南条は顔をしかめた。
「それがもし、どこかから流出しているとしたら──」
「でも、まだ決めつけるには早いです」
 真白は慌てて言葉を挟んだ。
「たとえば、別の似たサービスの仕様を参考にしただけかもしれないし……実際に内部文書を見たかどうかまでは、まだ何とも言えません」
「……そうですね。そこは慎重に考える必要がありますね」
 南条は息を吐き、椅子にもたれた。
「ただ一つ言えるのは──
 この攻撃方法は、“素人のいたずら”の域を、かなり超えているということです」
 恋がちらりと真白の横顔を見る。
「素人じゃないなら……プロ?」
「“プロ”というよりは、“この辺りに異常なほど詳しい誰か”、かな」
 真白は視線を落とす。
「たとえば……」
「たとえば?」
 恋が覗き込む。
 真白は、言いかけてやめた。
(たとえば、“昔の私みたいな人間”)
 そんな言葉は、どうしても口に出せなかった。

 一度集中が切れたところで、南条が提案した。
「少し休憩にしましょうか。カフェスペース、まだ空いているはずです」
「……そうですね」
 真白も、目の奥がじんじんと痛むのを自覚していた。
 端末の電源を落とし、三人でフロアを出る。
 廊下には冷房の風が静かに流れていて、LED照明の光が白く床を照らしていた。
 カフェスペースは、昨日と同じように柔らかな音楽が流れていた。
 昼の賑わいは過ぎていて、今いるのは数人の社員だけだ。
 自販機で飲み物を買い、窓際の席に腰掛ける。
「はい、真白にはこれ」
 恋が差し出してきたのは、昨日も飲んだレモンティーだった。
「……ありがと」
 受け取りながら、真白は小さく笑う。
「恋は?」
「私はカフェオレ。大人っぽいでしょ」
「そうだね。昨日も同じこと言ってたよ」
「あ、バレた?」
 恋が笑う。
 南条も缶コーヒーを片手に、向かいの席に座った。
 窓の外には、真昼の光がビルのガラスに反射している。
 遠くで、清能駅のホームが小さく見えた。
「……なんだか、不思議ですね」
 しばらく沈黙が続いたあとで、南条がぽつりと言った。
「高校生向けの企業体験プログラムで、ここまで本格的な調査をすることになるとは……正直、想定していませんでした」
「すみません。巻き込んでしまって」
 真白が思わず頭を下げると、南条は慌てて手を振った。
「いやいや、とんでもない。こちらこそ、あなたがいてくれて本当に助かっています」
「でも……」
「柏加さん。あなたは何も悪くないですよ」
 南条の声は、穏やかで、しかしはっきりしていた。
「悪いのは、時差の隙間を突いて攻撃してきた誰かです。
 こちらは、その痕跡を見つけて、対策を立てているだけ」
 恋が横から口を挟む。
「そうそう。真白、さっきからちょっと“自分のせい”みたいな顔してたよ」
「……そんな顔してた?」
「うん。長いつき合いだから、わかる」
 恋は少し真面目な表情になった。
「真白ってさ、何か悪いことが起きると、すぐ“自分が止められたかもしれないのに”って考えちゃうでしょ。
 それって優しいけど、全部背負うには重すぎるよ」
「……」
 図星すぎて、返す言葉が見つからない。
 南条も、少し驚いたように真白と恋を見比べたあと、苦笑した。
「いい友達ですね」
「でしょ?」
 恋が胸を張る。
「だから真白、大丈夫。今回は“企業体験の一環としての協力”なんだよ。
 真白がいなかったら、きっとミラーノ社はもっと時間かけてた。
 でも、真白がいるから、ちょっと早く気づけた。それだけのこと」
「……それだけ、って言うには、重い気もするけど」
「でも、そうやってちょっとずつ“いい方向”に動かせたら、それはすごいことだよ」
 恋の言葉に、真白は胸の奥がじんと熱くなるのを感じた。
(……私は、何を怖がっているんだろう)
 自分の技術が、また誰かの“影”に近づいてしまうこと。
 それとも、自分が“白狐”に戻ってしまうこと。
 どちらにせよ、それは“ひとりで戦っていた頃の恐怖”だ。
 今は違う。
 隣には恋がいて、目の前には南条がいる。
「……もう少しだけ、頑張ってみます」
 真白は、小さく呟いた。
「よし、その調子」
 恋がにかっと笑う。
 南条も頷いた。
「こちらでも、内部のネットワーク構成図や、アクセス制御のルールなど、可能な範囲で共有します。
 それを見れば、“どこを通ってきたのか”が、もう少し絞り込めるかもしれません」
「ネットワーク構成図……」
 真白は、少しだけ目の色を変えた。
「見せてもらえますか?」
「もちろん。ただし、ここから先は、本来なら外部には絶対に見せない情報です。
 ですから、扱いには十分気をつけてください」
「……わかっています」
 真白は真剣に頷いた。
(線を引かなきゃいけない)
 “白狐”としてではなく、“柏加真白”としてできる範囲。
 その境界を、自分で守らなくてはならない。
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