30 / 49
第6話 ー夏休みの企業体験ミステリー ⑤
しおりを挟む
「なるほど……」
南条は、真白たちがまとめたログの一覧とメモを見て、何度も頷いた。
A0~A15までのゲストアカウントごとに、
いつログインして、どこからアクセスして、どんなエラーが出て──
特にguest_A13に関しては、時刻の変化とIPアドレスの変遷が、時系列で丁寧に整理されている。
「ここまで可視化してもらえると、社内チームにも説明しやすいですね」
「図とか、必要だったら……」
「いえ、これで十分です。あとは、こちらでネットワーク図と突き合わせますから」
南条は、メモの一枚を指で叩いた。
「“時刻の矛盾を検知するルールを、Sync Manager API の入り口にも追加するべき”……これは、すぐにでも取り込みたい提案ですね」
「入り口で、“24時を超える時間は受け付けません”ってチェックを入れるだけでも、かなり違うと思います」
真白は慎重に言葉を選ぶ。
「本当は、もっと細かい制限もできると思いますけど……障害対応に影響が出ちゃうと困るだろうから、最初は“明らかにおかしい時間”だけを弾くのがいいかなって」
「そうですね。いきなり厳しくしすぎると、別の問題が出てきますから」
南条は苦笑した。
「それに、“ログ閲覧APIと管理系APIのキーを分けるべき”っていう指摘も、非常に重要です。
もともと設計上は分ける予定だったんですが、運用の都合で一部共有されていて……そこが甘かったと言わざるを得ません」
言葉に、わずかな悔しさが滲む。
真白は、それに気づきながら、静かに頷いた。
「ここまで複雑なシステムだと、どこかに“隙間”が出てくるのは仕方ないと思います。
大事なのは、それを見つけたときに、“ちゃんと塞ぐ”ことだと思うので」
「……ありがとうございます」
南条は、心底ほっとしたように笑った。
「正直、怖かったんです。
“高校生向けのプログラムでこんな脆弱性が見つかった”なんて知られたら、会社の信用に関わるんじゃないかって。
でも、柏加さんたちの話を聞いていると、“見つかったからこそ、強くなれる”って気がしてきました」
恋が横から口を挟む。
「それに、“高校生向けのプログラムで見つけてくれた”って、ちょっとカッコよくないですか?」
「恋?」
「いやだってさー、“実務で使ってる大事なとこ”じゃなくて、“体験用の環境”で気づけたんだから、ある意味ラッキーじゃん。
本番に行く前に、予行演習を止められたってことでしょ?」
「……そう言われると、確かに」
南条が笑う。
真白も、心のどこかで同じことを思っていた。
予行演習の会場が、たまたま自分たちのいる場所だった。
それは怖いことでもあり、同時に、まだ間に合う位置にいるということでもある。
「それで……資料のほうなんですが」
真白は、おそるおそる本題を切り出した。
「非表示領域に隔離されてるっておっしゃってましたよね。
そこに、まだ“存在しない時間”のファイルが残っているなら……“時刻のラベルだけ”を、正しい値に直せば、戻ってくる可能性はあると思います」
「ラベルだけ?」
「はい。
データ本体は、消えていないはずなんです。
もし、“保存前のバックアップ”が残っているなら、そのタイムスタンプと揃える形にしてあげれば……」
南条は、すぐにピンと来たようだった。
「バックアップクラスター側の時刻は、“UTCではなく内部クロック基準”で管理されているので……そちらを“本当の時間”として採用する、ということですね」
「そうです。
さっきのネットワーク図のここ──」
真白は、構成図の一角に指を置く。
ゲスト環境からは直接触れない“Backup Cluster”の箱。
そこには、日々のスナップショットが積み上がっている。
「Backupの中から、“8月6日 14時台のスナップショット”を探して、
そこにあるguest_A13のファイル情報を、Sync Manager側の“正しい時間”として上書きしてあげる。
そうすれば、“25時の矛盾したラベル”じゃなくて、“ちゃんと存在する時間”を信じてくれるようになると思います」
恋が「それってつまり……」と補足するように言う。
「今“はみ出し者扱い”されてるファイルを、“ちゃんとクラスに戻してあげる”ってことだよね」
「うん。
“間違って公開しちゃった写真も、見えない場所に避難させておく”って、昨日のグループワークで話したように……」
自分で言ってから、真白は笑ってしまった。
「……まさか、こんなところで繋がるとは思わなかった」
南条も、目を細める。
「“見えない場所に避難させる”か……
確かに、“削除”じゃなくて“避難”だと考えれば、気持ちも少し楽になりますね」
「はい。
完全に消えてしまったわけじゃないなら、まだ“戻せる余地”があるってことなので」
「わかりました。
すぐにバックアップ担当と連携します。“時間ラベルの一括修正”はリスクも大きいですが、対象をguestのテナントに絞れば、影響は限定的にできますから」
南条は、腕時計をちらりと見る。
「少し時間をいただければ、今日中に、“最低限の復元”までは持っていけると思います」
「……お願いします」
真白は深く頭を下げた。
恋もつられて頭を下げる。
「私たちの資料はともかく、他のグループのも戻ってくれたら嬉しいです」
「もちろん、全員分です」
南条はきっぱりと言った。
「“全員の夏休みの写真アルバム”ですからね。
消えっぱなしにはさせませんよ」
復旧作業が始まっている間、真白と恋は再び会議室に戻った。
他の参加者たちは、南条から「現在、資料の復旧作業中です」という説明を受け、それぞれ新しいテーマでの簡易ワークに取り組んでいる。
「……なんか、今日だけでだいぶ濃い体験した気がする」
恋が、配られた新しい課題用紙を眺めながら溜息をついた。
「“クラウドサービスのインシデント対応を間近で見る夏休み企業体験”なんて、パンフレットに書いてなかったのに」
「書いてあったら、たぶん応募が減るよ」
真白は苦笑する。
「私は……たぶん、それでも来てたと思うけど」
「だよねー」
恋が嬉しそうに笑う。
真白は、机の上のペンをくるくる回しながら、ふと視線を天井に向けた。
(復旧……うまくいくといいな)
バックアップからの時刻ラベルの復元。
Sync Manager API の設定の修正。
ログ閲覧APIのキーの分離。
やるべきことは多いし、全てが今日中に終わるとは限らない。
それでも、“攻撃者の手口が見えた”というだけで、少しだけ肩の荷が下りた気がした。
──完全な正体は、まだ何もわかっていない。
203.**.126. のIP。
仕様書レベルの知識。
教育ネットワークとクラウドサービスを、続けざまに狙う意図。
わからないことだらけだ。
それでも、自分たちが“何も知らないまま巻き込まれている”状態ではなくなったという事実は、大きい。
「真白」
恋が小声で呼びかける。
「さっきから、ちょっと安心した顔してる」
「そう……かな」
「うん。
“全部自分のせいかもしれない”って顔じゃなくて、“ちゃんと一緒に対処できてる”って顔」
恋は少し誇らしげに笑った。
「いい顔だと思うよ。
なんか、“プロの一員”って感じ?」
「プロの一員……」
その言葉に、胸のどこかがくすぐったくなる。
(私はもう、“白狐”じゃない)
けれど、完全にあの頃の技術を手放したわけでもない。
今は、こうして正面から、企業の担当者と一緒に、
「どうやって守るか」を考える立場にいる。
それが、救いでもあり、責任でもあるのだと実感する。
夕方近くになった頃、南条が再び会議室に現れた。
「みなさん、少しお時間いいですか」
午前中とは違う種類の緊張を含んだ声だったが、その表情には、わずかに安堵が浮かんでいる。
全員が顔を上げると、南条はゆっくりと言葉を続けた。
「先ほどお伝えした、資料の消失トラブルについてですが──
バックアップ領域からの復元に成功しました」
「えっ!」
ざわっと、会議室全体が沸く。
「ただし、全てが完全な形で戻ったわけではなく、一部は最終保存前の状態に巻き戻っています。
それでも、“まったくのゼロに戻る”ようなことにはならずに済みました」
「よかった……!」
どこかのグループの男子が、はっきりとした声でそう言った。
恋も、小さくガッツポーズをする。
「今回の原因は、クラウド内部での“時刻の取り扱い”に関する設定の不備と、それを突く外部からの悪意あるアクセスでした。
詳しい技術的な話は、また後日、正式なレポートとして公開します」
南条は、一瞬だけ視線を真白に向ける。
真白は、その意味を知りながら、そっと目を伏せた。
「大事なのは、“皆さんのデータが、ちゃんと戻ってきた”ということと──
“同じことが二度と起きないように、既に対策を始めている”ということです」
そう言って、南条は深々と頭を下げた。
「ご心配と、ご迷惑をおかけしました」
静かな拍手が起こる。
ほっとした空気と、ほんの少しの誇らしさが混じったような拍手だった。
恋が、こっそりと真白の手を握る。
「ね、真白のおかげだね」
「おかげっていうか……」
「真白が気づいて、ちゃんと言って、協力したから、今みたいに“戻ってきました”って言えたんだよ」
恋は、いつものように、まっすぐな声で言う。
「それって、すごいことだよ」
真白は、返事の代わりに、握られた手を少しだけ握り返した。
企業体験最終日の朝。
ミラーノ社のロビーには、初日と同じように冷房の涼しい空気とコーヒーの香りが漂っていた。
違うのは──
真白の胸の中にある、感覚の方だった。
「おはよ、真白」
恋がいつものように手を振る。
「今日でラストだね。なんかちょっと寂しいかも」
「そうだね」
真白は、小さく笑った。
ゲストカードの有効期限は変わらず「8月7日 23:59(UTC)」のままだが、
今はもう、その文字列を見ても、前のようなざわめきは起きない。
(“UTCだから不安”なんじゃない。
“知らない仕組みのまま放っておくこと”が、不安だったんだ)
中身を知って、問題点を見つけて、対策が動き始めているとわかった今、
同じ数字でも、受け止め方はまるで違う。
「今日の最終プログラム、“将来の進路について”だって」
エレベーターの中で、恋が配られたしおりを見ながら言う。
「社会人の人たちと座談会して、“どんなふうに今の仕事に辿り着いたか”とか聞けるらしいよ」
「進路……」
真白は、少しだけ目を細めた。
自分の将来を具体的に思い描くのは、まだ難しい。
けれど、この三日間で、“こういう場所で働く自分”を想像することへの抵抗は、前よりも小さくなった気がする。
恋がふいに真白の顔を覗き込む。
「ねえ真白」
「なに?」
「もしさ、真白が将来、本当にこういうところで働くようになったら──」
恋は、少し照れたように笑った。
「そのときも、隣で応援してていい?」
「……」
想像していなかった質問に、真白は一瞬言葉を失う。
ビルの高層フロア。
モニターに映るログとグラフ。
世界中のユーザーのデータを守る仕事。
その横で、同じように画面を見ながら、
「すごいね」と笑ってくれる恋の姿。
ありえない夢物語みたいで、だけど、不思議と違和感はなかった。
真白は、ほんの少しだけ微笑んだ。
「……そのときになっても、まだ飽きてなかったら、よろしくお願いします」
「飽きないよ!」
恋は即答した。
「むしろ、“真白がどこにいても同期できる仕事”探すから!」
「……同期って、便利な言葉だね」
「でしょ?」
エレベーターの扉が開き、三日間通い慣れたフロアの景色が広がる。
真白は、一歩、足を踏み出した。
最終日のプログラムが終わり、修了証と記念品を受け取って、ビルを出る。
外は、相変わらず夏の光が強くて、アスファルトの照り返しが眩しい。
「お疲れさま、真白!」
恋が大きく伸びをして、笑った。
「ねえ、帰りにさ、ちょっと寄り道してもいい?」
「寄り道?」
「清能駅のコンコースのとこ、ほら、ミラーノの広告出てる大きなモニターあるじゃん。
あれ、もう一回見ておきたくて」
「……いいけど」
二人は駅まで歩き、コンコースに入る。
大きなデジタルサイネージには、昨日と同じクラウドサービスの広告が映っている。
『大切なデータを、“いつでも、どこでも、いっしょに”。』
画面の片隅には、小さな文字で「Powered by Mirano Cloud」と表示されていた。
「ね」
恋が、少しだけ声を落として言う。
「“どこでもいっしょ”ってさ、やっぱり真白と私っぽいよね」
「……まだ言うんだ、それ」
「だって、本当にそうなんだもん」
恋は、真白のほうを向く。
「今回みたいな事件があっても、真白が一人で戦わなくていいなら、それでいい。
私もちゃんと怖がるし、ちゃんと心配するし、ちゃんと隣で応援する」
真白は、広告の雲のアイコンを見上げながら、静かに息を吐いた。
(“影”は、きっとこれからもどこかで動いている)
教育ネットワーク。
クラウドサービス。
その先にある、もっと大きな何か。
自分たちの街だけで完結する話ではないのだろう。
けれど──
「……ありがと、恋」
真白は、ゆっくりと恋のほうを向いた。
「私、まだ怖いし、不安もあるけど……
それでも、“ちゃんと見よう”って思えるのは、恋が一緒にいてくれるからだと思う」
「おお、また録音したいやつ!」
「しなくていいから」
二人の声が、コンコースのざわめきに紛れていく。
ふと、真白はポケットからスマホを取り出し、画面に表示された時刻を確認した。
「8月7日 16:12(JST)」
画面の下の小さな表示には、「UTC 07:12」とも書かれている。
世界標準時と、日本時間。
同じ瞬間を、二つの数字で表しただけのもの。
(もう、どちらか片方だけを見て不安になることはない)
二つの時間の間にある“九時間の差”を、攻撃者は矛盾の種として使った。
でも、同じ差を、真白たちは“ヒント”として掴み返した。
それはきっと、これからも繰り返されるだろう。
誰かが、時差や同期の隙間を狙ってくるたびに──
真白は、その矛盾の形を見極めて、
「どうやって守るか」を考え続けるのだろう。
そのたびに、隣で誰かが手を握ってくれていたら。
(……平穏って、そういうことなのかもしれない)
事件がまったく起きない世界ではなくて。
事件が起きても、ちゃんと向き合って、終わらせて、
そのあとにまた笑って歩ける世界。
真白は、スマホの画面を消し、ほんの少しだけ空を見上げた。
夏の光はまだ強くて、少し目に痛い。
でも、その眩しさの向こうに、
自分たちの知らないネットワークの世界が、静かに広がっている。
そこに潜む“影”は、きっと簡単には姿を現さない。
それでも──
「帰ろっか、恋」
「うん、“同期しながら”ね」
恋が笑い、二人は並んで歩き出す。
駅の改札を抜ける足音が、夏の午後の喧騒に溶けていった。
その背後で、ミラーノの広告のクラウドアイコンが、
静かに、そして確かに、回線の向こうと繋がり続けている。
次に、その雲の向こう側でどんな“ノイズ”が生まれるのかは、まだわからない。
けれど、真白はもう──
その揺らぎから目を背けるつもりは、なかった。
南条は、真白たちがまとめたログの一覧とメモを見て、何度も頷いた。
A0~A15までのゲストアカウントごとに、
いつログインして、どこからアクセスして、どんなエラーが出て──
特にguest_A13に関しては、時刻の変化とIPアドレスの変遷が、時系列で丁寧に整理されている。
「ここまで可視化してもらえると、社内チームにも説明しやすいですね」
「図とか、必要だったら……」
「いえ、これで十分です。あとは、こちらでネットワーク図と突き合わせますから」
南条は、メモの一枚を指で叩いた。
「“時刻の矛盾を検知するルールを、Sync Manager API の入り口にも追加するべき”……これは、すぐにでも取り込みたい提案ですね」
「入り口で、“24時を超える時間は受け付けません”ってチェックを入れるだけでも、かなり違うと思います」
真白は慎重に言葉を選ぶ。
「本当は、もっと細かい制限もできると思いますけど……障害対応に影響が出ちゃうと困るだろうから、最初は“明らかにおかしい時間”だけを弾くのがいいかなって」
「そうですね。いきなり厳しくしすぎると、別の問題が出てきますから」
南条は苦笑した。
「それに、“ログ閲覧APIと管理系APIのキーを分けるべき”っていう指摘も、非常に重要です。
もともと設計上は分ける予定だったんですが、運用の都合で一部共有されていて……そこが甘かったと言わざるを得ません」
言葉に、わずかな悔しさが滲む。
真白は、それに気づきながら、静かに頷いた。
「ここまで複雑なシステムだと、どこかに“隙間”が出てくるのは仕方ないと思います。
大事なのは、それを見つけたときに、“ちゃんと塞ぐ”ことだと思うので」
「……ありがとうございます」
南条は、心底ほっとしたように笑った。
「正直、怖かったんです。
“高校生向けのプログラムでこんな脆弱性が見つかった”なんて知られたら、会社の信用に関わるんじゃないかって。
でも、柏加さんたちの話を聞いていると、“見つかったからこそ、強くなれる”って気がしてきました」
恋が横から口を挟む。
「それに、“高校生向けのプログラムで見つけてくれた”って、ちょっとカッコよくないですか?」
「恋?」
「いやだってさー、“実務で使ってる大事なとこ”じゃなくて、“体験用の環境”で気づけたんだから、ある意味ラッキーじゃん。
本番に行く前に、予行演習を止められたってことでしょ?」
「……そう言われると、確かに」
南条が笑う。
真白も、心のどこかで同じことを思っていた。
予行演習の会場が、たまたま自分たちのいる場所だった。
それは怖いことでもあり、同時に、まだ間に合う位置にいるということでもある。
「それで……資料のほうなんですが」
真白は、おそるおそる本題を切り出した。
「非表示領域に隔離されてるっておっしゃってましたよね。
そこに、まだ“存在しない時間”のファイルが残っているなら……“時刻のラベルだけ”を、正しい値に直せば、戻ってくる可能性はあると思います」
「ラベルだけ?」
「はい。
データ本体は、消えていないはずなんです。
もし、“保存前のバックアップ”が残っているなら、そのタイムスタンプと揃える形にしてあげれば……」
南条は、すぐにピンと来たようだった。
「バックアップクラスター側の時刻は、“UTCではなく内部クロック基準”で管理されているので……そちらを“本当の時間”として採用する、ということですね」
「そうです。
さっきのネットワーク図のここ──」
真白は、構成図の一角に指を置く。
ゲスト環境からは直接触れない“Backup Cluster”の箱。
そこには、日々のスナップショットが積み上がっている。
「Backupの中から、“8月6日 14時台のスナップショット”を探して、
そこにあるguest_A13のファイル情報を、Sync Manager側の“正しい時間”として上書きしてあげる。
そうすれば、“25時の矛盾したラベル”じゃなくて、“ちゃんと存在する時間”を信じてくれるようになると思います」
恋が「それってつまり……」と補足するように言う。
「今“はみ出し者扱い”されてるファイルを、“ちゃんとクラスに戻してあげる”ってことだよね」
「うん。
“間違って公開しちゃった写真も、見えない場所に避難させておく”って、昨日のグループワークで話したように……」
自分で言ってから、真白は笑ってしまった。
「……まさか、こんなところで繋がるとは思わなかった」
南条も、目を細める。
「“見えない場所に避難させる”か……
確かに、“削除”じゃなくて“避難”だと考えれば、気持ちも少し楽になりますね」
「はい。
完全に消えてしまったわけじゃないなら、まだ“戻せる余地”があるってことなので」
「わかりました。
すぐにバックアップ担当と連携します。“時間ラベルの一括修正”はリスクも大きいですが、対象をguestのテナントに絞れば、影響は限定的にできますから」
南条は、腕時計をちらりと見る。
「少し時間をいただければ、今日中に、“最低限の復元”までは持っていけると思います」
「……お願いします」
真白は深く頭を下げた。
恋もつられて頭を下げる。
「私たちの資料はともかく、他のグループのも戻ってくれたら嬉しいです」
「もちろん、全員分です」
南条はきっぱりと言った。
「“全員の夏休みの写真アルバム”ですからね。
消えっぱなしにはさせませんよ」
復旧作業が始まっている間、真白と恋は再び会議室に戻った。
他の参加者たちは、南条から「現在、資料の復旧作業中です」という説明を受け、それぞれ新しいテーマでの簡易ワークに取り組んでいる。
「……なんか、今日だけでだいぶ濃い体験した気がする」
恋が、配られた新しい課題用紙を眺めながら溜息をついた。
「“クラウドサービスのインシデント対応を間近で見る夏休み企業体験”なんて、パンフレットに書いてなかったのに」
「書いてあったら、たぶん応募が減るよ」
真白は苦笑する。
「私は……たぶん、それでも来てたと思うけど」
「だよねー」
恋が嬉しそうに笑う。
真白は、机の上のペンをくるくる回しながら、ふと視線を天井に向けた。
(復旧……うまくいくといいな)
バックアップからの時刻ラベルの復元。
Sync Manager API の設定の修正。
ログ閲覧APIのキーの分離。
やるべきことは多いし、全てが今日中に終わるとは限らない。
それでも、“攻撃者の手口が見えた”というだけで、少しだけ肩の荷が下りた気がした。
──完全な正体は、まだ何もわかっていない。
203.**.126. のIP。
仕様書レベルの知識。
教育ネットワークとクラウドサービスを、続けざまに狙う意図。
わからないことだらけだ。
それでも、自分たちが“何も知らないまま巻き込まれている”状態ではなくなったという事実は、大きい。
「真白」
恋が小声で呼びかける。
「さっきから、ちょっと安心した顔してる」
「そう……かな」
「うん。
“全部自分のせいかもしれない”って顔じゃなくて、“ちゃんと一緒に対処できてる”って顔」
恋は少し誇らしげに笑った。
「いい顔だと思うよ。
なんか、“プロの一員”って感じ?」
「プロの一員……」
その言葉に、胸のどこかがくすぐったくなる。
(私はもう、“白狐”じゃない)
けれど、完全にあの頃の技術を手放したわけでもない。
今は、こうして正面から、企業の担当者と一緒に、
「どうやって守るか」を考える立場にいる。
それが、救いでもあり、責任でもあるのだと実感する。
夕方近くになった頃、南条が再び会議室に現れた。
「みなさん、少しお時間いいですか」
午前中とは違う種類の緊張を含んだ声だったが、その表情には、わずかに安堵が浮かんでいる。
全員が顔を上げると、南条はゆっくりと言葉を続けた。
「先ほどお伝えした、資料の消失トラブルについてですが──
バックアップ領域からの復元に成功しました」
「えっ!」
ざわっと、会議室全体が沸く。
「ただし、全てが完全な形で戻ったわけではなく、一部は最終保存前の状態に巻き戻っています。
それでも、“まったくのゼロに戻る”ようなことにはならずに済みました」
「よかった……!」
どこかのグループの男子が、はっきりとした声でそう言った。
恋も、小さくガッツポーズをする。
「今回の原因は、クラウド内部での“時刻の取り扱い”に関する設定の不備と、それを突く外部からの悪意あるアクセスでした。
詳しい技術的な話は、また後日、正式なレポートとして公開します」
南条は、一瞬だけ視線を真白に向ける。
真白は、その意味を知りながら、そっと目を伏せた。
「大事なのは、“皆さんのデータが、ちゃんと戻ってきた”ということと──
“同じことが二度と起きないように、既に対策を始めている”ということです」
そう言って、南条は深々と頭を下げた。
「ご心配と、ご迷惑をおかけしました」
静かな拍手が起こる。
ほっとした空気と、ほんの少しの誇らしさが混じったような拍手だった。
恋が、こっそりと真白の手を握る。
「ね、真白のおかげだね」
「おかげっていうか……」
「真白が気づいて、ちゃんと言って、協力したから、今みたいに“戻ってきました”って言えたんだよ」
恋は、いつものように、まっすぐな声で言う。
「それって、すごいことだよ」
真白は、返事の代わりに、握られた手を少しだけ握り返した。
企業体験最終日の朝。
ミラーノ社のロビーには、初日と同じように冷房の涼しい空気とコーヒーの香りが漂っていた。
違うのは──
真白の胸の中にある、感覚の方だった。
「おはよ、真白」
恋がいつものように手を振る。
「今日でラストだね。なんかちょっと寂しいかも」
「そうだね」
真白は、小さく笑った。
ゲストカードの有効期限は変わらず「8月7日 23:59(UTC)」のままだが、
今はもう、その文字列を見ても、前のようなざわめきは起きない。
(“UTCだから不安”なんじゃない。
“知らない仕組みのまま放っておくこと”が、不安だったんだ)
中身を知って、問題点を見つけて、対策が動き始めているとわかった今、
同じ数字でも、受け止め方はまるで違う。
「今日の最終プログラム、“将来の進路について”だって」
エレベーターの中で、恋が配られたしおりを見ながら言う。
「社会人の人たちと座談会して、“どんなふうに今の仕事に辿り着いたか”とか聞けるらしいよ」
「進路……」
真白は、少しだけ目を細めた。
自分の将来を具体的に思い描くのは、まだ難しい。
けれど、この三日間で、“こういう場所で働く自分”を想像することへの抵抗は、前よりも小さくなった気がする。
恋がふいに真白の顔を覗き込む。
「ねえ真白」
「なに?」
「もしさ、真白が将来、本当にこういうところで働くようになったら──」
恋は、少し照れたように笑った。
「そのときも、隣で応援してていい?」
「……」
想像していなかった質問に、真白は一瞬言葉を失う。
ビルの高層フロア。
モニターに映るログとグラフ。
世界中のユーザーのデータを守る仕事。
その横で、同じように画面を見ながら、
「すごいね」と笑ってくれる恋の姿。
ありえない夢物語みたいで、だけど、不思議と違和感はなかった。
真白は、ほんの少しだけ微笑んだ。
「……そのときになっても、まだ飽きてなかったら、よろしくお願いします」
「飽きないよ!」
恋は即答した。
「むしろ、“真白がどこにいても同期できる仕事”探すから!」
「……同期って、便利な言葉だね」
「でしょ?」
エレベーターの扉が開き、三日間通い慣れたフロアの景色が広がる。
真白は、一歩、足を踏み出した。
最終日のプログラムが終わり、修了証と記念品を受け取って、ビルを出る。
外は、相変わらず夏の光が強くて、アスファルトの照り返しが眩しい。
「お疲れさま、真白!」
恋が大きく伸びをして、笑った。
「ねえ、帰りにさ、ちょっと寄り道してもいい?」
「寄り道?」
「清能駅のコンコースのとこ、ほら、ミラーノの広告出てる大きなモニターあるじゃん。
あれ、もう一回見ておきたくて」
「……いいけど」
二人は駅まで歩き、コンコースに入る。
大きなデジタルサイネージには、昨日と同じクラウドサービスの広告が映っている。
『大切なデータを、“いつでも、どこでも、いっしょに”。』
画面の片隅には、小さな文字で「Powered by Mirano Cloud」と表示されていた。
「ね」
恋が、少しだけ声を落として言う。
「“どこでもいっしょ”ってさ、やっぱり真白と私っぽいよね」
「……まだ言うんだ、それ」
「だって、本当にそうなんだもん」
恋は、真白のほうを向く。
「今回みたいな事件があっても、真白が一人で戦わなくていいなら、それでいい。
私もちゃんと怖がるし、ちゃんと心配するし、ちゃんと隣で応援する」
真白は、広告の雲のアイコンを見上げながら、静かに息を吐いた。
(“影”は、きっとこれからもどこかで動いている)
教育ネットワーク。
クラウドサービス。
その先にある、もっと大きな何か。
自分たちの街だけで完結する話ではないのだろう。
けれど──
「……ありがと、恋」
真白は、ゆっくりと恋のほうを向いた。
「私、まだ怖いし、不安もあるけど……
それでも、“ちゃんと見よう”って思えるのは、恋が一緒にいてくれるからだと思う」
「おお、また録音したいやつ!」
「しなくていいから」
二人の声が、コンコースのざわめきに紛れていく。
ふと、真白はポケットからスマホを取り出し、画面に表示された時刻を確認した。
「8月7日 16:12(JST)」
画面の下の小さな表示には、「UTC 07:12」とも書かれている。
世界標準時と、日本時間。
同じ瞬間を、二つの数字で表しただけのもの。
(もう、どちらか片方だけを見て不安になることはない)
二つの時間の間にある“九時間の差”を、攻撃者は矛盾の種として使った。
でも、同じ差を、真白たちは“ヒント”として掴み返した。
それはきっと、これからも繰り返されるだろう。
誰かが、時差や同期の隙間を狙ってくるたびに──
真白は、その矛盾の形を見極めて、
「どうやって守るか」を考え続けるのだろう。
そのたびに、隣で誰かが手を握ってくれていたら。
(……平穏って、そういうことなのかもしれない)
事件がまったく起きない世界ではなくて。
事件が起きても、ちゃんと向き合って、終わらせて、
そのあとにまた笑って歩ける世界。
真白は、スマホの画面を消し、ほんの少しだけ空を見上げた。
夏の光はまだ強くて、少し目に痛い。
でも、その眩しさの向こうに、
自分たちの知らないネットワークの世界が、静かに広がっている。
そこに潜む“影”は、きっと簡単には姿を現さない。
それでも──
「帰ろっか、恋」
「うん、“同期しながら”ね」
恋が笑い、二人は並んで歩き出す。
駅の改札を抜ける足音が、夏の午後の喧騒に溶けていった。
その背後で、ミラーノの広告のクラウドアイコンが、
静かに、そして確かに、回線の向こうと繋がり続けている。
次に、その雲の向こう側でどんな“ノイズ”が生まれるのかは、まだわからない。
けれど、真白はもう──
その揺らぎから目を背けるつもりは、なかった。
0
あなたにおすすめの小説
友達の妹が、入浴してる。
つきのはい
恋愛
「交換してみない?」
冴えない高校生の藤堂夏弥は、親友のオシャレでモテまくり同級生、鈴川洋平にバカげた話を持ちかけられる。
それは、お互い現在同居中の妹達、藤堂秋乃と鈴川美咲を交換して生活しようというものだった。
鈴川美咲は、美男子の洋平に勝るとも劣らない美少女なのだけれど、男子に嫌悪感を示し、夏弥とも形式的な会話しかしなかった。
冴えない男子と冷めがちな女子の距離感が、二人暮らしのなかで徐々に変わっていく。
そんなラブコメディです。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
黒に染まった華を摘む
馬場 蓮実
青春
夏の終わりに転校してきたのは、忘れられない初恋の相手だった——。
高須明希は、人生で“二番目”に好きになった相手——河西栞に密かに想いを寄せている。
「夏休み明けの初日。この席替えで、彼女との距離を縮めたい。話すきっかけがほしい——」
そんな願いを胸に登校したその朝、クラスに一人の転校生がやってくる。
彼女の名は、立石麻美。
昔の面影を残しながらも、まるで別人のような気配をまとう彼女は——明希にとって、忘れられない“初恋の人”だった。
この再会が、静かだった日常に波紋を広げていく。
その日の放課後。
明希は、"性の衝動"に溺れる自身の姿を、麻美に見られてしまう——。
塞がっていた何かが、ゆっくりと崩れはじめる。
そして鬱屈した青春は、想像もしていなかった熱と痛みを帯びて動き出す。
すべてに触れたとき、
明希は何を守り、何を選ぶのか。
光と影が交錯する、“遅れてきた”ひと夏の物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる