ハッカー女子高生は平穏に過ごしたい

古城そら

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第6話 ー夏休みの企業体験ミステリー ⑤

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「なるほど……」
 南条は、真白たちがまとめたログの一覧とメモを見て、何度も頷いた。
 A0~A15までのゲストアカウントごとに、
 いつログインして、どこからアクセスして、どんなエラーが出て──
 特にguest_A13に関しては、時刻の変化とIPアドレスの変遷が、時系列で丁寧に整理されている。
「ここまで可視化してもらえると、社内チームにも説明しやすいですね」
「図とか、必要だったら……」
「いえ、これで十分です。あとは、こちらでネットワーク図と突き合わせますから」
 南条は、メモの一枚を指で叩いた。
「“時刻の矛盾を検知するルールを、Sync Manager API の入り口にも追加するべき”……これは、すぐにでも取り込みたい提案ですね」
「入り口で、“24時を超える時間は受け付けません”ってチェックを入れるだけでも、かなり違うと思います」
 真白は慎重に言葉を選ぶ。
「本当は、もっと細かい制限もできると思いますけど……障害対応に影響が出ちゃうと困るだろうから、最初は“明らかにおかしい時間”だけを弾くのがいいかなって」
「そうですね。いきなり厳しくしすぎると、別の問題が出てきますから」
 南条は苦笑した。
「それに、“ログ閲覧APIと管理系APIのキーを分けるべき”っていう指摘も、非常に重要です。
 もともと設計上は分ける予定だったんですが、運用の都合で一部共有されていて……そこが甘かったと言わざるを得ません」
 言葉に、わずかな悔しさが滲む。
 真白は、それに気づきながら、静かに頷いた。
「ここまで複雑なシステムだと、どこかに“隙間”が出てくるのは仕方ないと思います。
 大事なのは、それを見つけたときに、“ちゃんと塞ぐ”ことだと思うので」
「……ありがとうございます」
 南条は、心底ほっとしたように笑った。
「正直、怖かったんです。
 “高校生向けのプログラムでこんな脆弱性が見つかった”なんて知られたら、会社の信用に関わるんじゃないかって。
 でも、柏加さんたちの話を聞いていると、“見つかったからこそ、強くなれる”って気がしてきました」
 恋が横から口を挟む。
「それに、“高校生向けのプログラムで見つけてくれた”って、ちょっとカッコよくないですか?」
「恋?」
「いやだってさー、“実務で使ってる大事なとこ”じゃなくて、“体験用の環境”で気づけたんだから、ある意味ラッキーじゃん。
 本番に行く前に、予行演習を止められたってことでしょ?」
「……そう言われると、確かに」
 南条が笑う。
 真白も、心のどこかで同じことを思っていた。
 予行演習の会場が、たまたま自分たちのいる場所だった。
 それは怖いことでもあり、同時に、まだ間に合う位置にいるということでもある。
「それで……資料のほうなんですが」
 真白は、おそるおそる本題を切り出した。
「非表示領域に隔離されてるっておっしゃってましたよね。
 そこに、まだ“存在しない時間”のファイルが残っているなら……“時刻のラベルだけ”を、正しい値に直せば、戻ってくる可能性はあると思います」
「ラベルだけ?」
「はい。
 データ本体は、消えていないはずなんです。
 もし、“保存前のバックアップ”が残っているなら、そのタイムスタンプと揃える形にしてあげれば……」
 南条は、すぐにピンと来たようだった。
「バックアップクラスター側の時刻は、“UTCではなく内部クロック基準”で管理されているので……そちらを“本当の時間”として採用する、ということですね」
「そうです。
 さっきのネットワーク図のここ──」
 真白は、構成図の一角に指を置く。
 ゲスト環境からは直接触れない“Backup Cluster”の箱。
 そこには、日々のスナップショットが積み上がっている。
「Backupの中から、“8月6日 14時台のスナップショット”を探して、
 そこにあるguest_A13のファイル情報を、Sync Manager側の“正しい時間”として上書きしてあげる。
 そうすれば、“25時の矛盾したラベル”じゃなくて、“ちゃんと存在する時間”を信じてくれるようになると思います」
 恋が「それってつまり……」と補足するように言う。
「今“はみ出し者扱い”されてるファイルを、“ちゃんとクラスに戻してあげる”ってことだよね」
「うん。
 “間違って公開しちゃった写真も、見えない場所に避難させておく”って、昨日のグループワークで話したように……」
 自分で言ってから、真白は笑ってしまった。
「……まさか、こんなところで繋がるとは思わなかった」
 南条も、目を細める。
「“見えない場所に避難させる”か……
 確かに、“削除”じゃなくて“避難”だと考えれば、気持ちも少し楽になりますね」
「はい。
 完全に消えてしまったわけじゃないなら、まだ“戻せる余地”があるってことなので」
「わかりました。
 すぐにバックアップ担当と連携します。“時間ラベルの一括修正”はリスクも大きいですが、対象をguestのテナントに絞れば、影響は限定的にできますから」
 南条は、腕時計をちらりと見る。
「少し時間をいただければ、今日中に、“最低限の復元”までは持っていけると思います」
「……お願いします」
 真白は深く頭を下げた。
 恋もつられて頭を下げる。
「私たちの資料はともかく、他のグループのも戻ってくれたら嬉しいです」
「もちろん、全員分です」
 南条はきっぱりと言った。
「“全員の夏休みの写真アルバム”ですからね。
 消えっぱなしにはさせませんよ」

 復旧作業が始まっている間、真白と恋は再び会議室に戻った。
 他の参加者たちは、南条から「現在、資料の復旧作業中です」という説明を受け、それぞれ新しいテーマでの簡易ワークに取り組んでいる。
「……なんか、今日だけでだいぶ濃い体験した気がする」
 恋が、配られた新しい課題用紙を眺めながら溜息をついた。
「“クラウドサービスのインシデント対応を間近で見る夏休み企業体験”なんて、パンフレットに書いてなかったのに」
「書いてあったら、たぶん応募が減るよ」
 真白は苦笑する。
「私は……たぶん、それでも来てたと思うけど」
「だよねー」
 恋が嬉しそうに笑う。
 真白は、机の上のペンをくるくる回しながら、ふと視線を天井に向けた。
(復旧……うまくいくといいな)
 バックアップからの時刻ラベルの復元。
 Sync Manager API の設定の修正。
 ログ閲覧APIのキーの分離。
 やるべきことは多いし、全てが今日中に終わるとは限らない。
 それでも、“攻撃者の手口が見えた”というだけで、少しだけ肩の荷が下りた気がした。
 ──完全な正体は、まだ何もわかっていない。
 203.**.126. のIP。
 仕様書レベルの知識。
 教育ネットワークとクラウドサービスを、続けざまに狙う意図。
 わからないことだらけだ。
 それでも、自分たちが“何も知らないまま巻き込まれている”状態ではなくなったという事実は、大きい。
「真白」
 恋が小声で呼びかける。
「さっきから、ちょっと安心した顔してる」
「そう……かな」
「うん。
 “全部自分のせいかもしれない”って顔じゃなくて、“ちゃんと一緒に対処できてる”って顔」
 恋は少し誇らしげに笑った。
「いい顔だと思うよ。
 なんか、“プロの一員”って感じ?」
「プロの一員……」
 その言葉に、胸のどこかがくすぐったくなる。
(私はもう、“白狐”じゃない)
 けれど、完全にあの頃の技術を手放したわけでもない。
 今は、こうして正面から、企業の担当者と一緒に、
「どうやって守るか」を考える立場にいる。
 それが、救いでもあり、責任でもあるのだと実感する。

 夕方近くになった頃、南条が再び会議室に現れた。
「みなさん、少しお時間いいですか」
 午前中とは違う種類の緊張を含んだ声だったが、その表情には、わずかに安堵が浮かんでいる。
 全員が顔を上げると、南条はゆっくりと言葉を続けた。
「先ほどお伝えした、資料の消失トラブルについてですが──
 バックアップ領域からの復元に成功しました」
「えっ!」
 ざわっと、会議室全体が沸く。
「ただし、全てが完全な形で戻ったわけではなく、一部は最終保存前の状態に巻き戻っています。
 それでも、“まったくのゼロに戻る”ようなことにはならずに済みました」
「よかった……!」
 どこかのグループの男子が、はっきりとした声でそう言った。
 恋も、小さくガッツポーズをする。
「今回の原因は、クラウド内部での“時刻の取り扱い”に関する設定の不備と、それを突く外部からの悪意あるアクセスでした。
 詳しい技術的な話は、また後日、正式なレポートとして公開します」
 南条は、一瞬だけ視線を真白に向ける。
 真白は、その意味を知りながら、そっと目を伏せた。
「大事なのは、“皆さんのデータが、ちゃんと戻ってきた”ということと──
 “同じことが二度と起きないように、既に対策を始めている”ということです」
 そう言って、南条は深々と頭を下げた。
「ご心配と、ご迷惑をおかけしました」
 静かな拍手が起こる。
 ほっとした空気と、ほんの少しの誇らしさが混じったような拍手だった。
 恋が、こっそりと真白の手を握る。
「ね、真白のおかげだね」
「おかげっていうか……」
「真白が気づいて、ちゃんと言って、協力したから、今みたいに“戻ってきました”って言えたんだよ」
 恋は、いつものように、まっすぐな声で言う。
「それって、すごいことだよ」
 真白は、返事の代わりに、握られた手を少しだけ握り返した。

 企業体験最終日の朝。
 ミラーノ社のロビーには、初日と同じように冷房の涼しい空気とコーヒーの香りが漂っていた。
 違うのは──
 真白の胸の中にある、感覚の方だった。
「おはよ、真白」
 恋がいつものように手を振る。
「今日でラストだね。なんかちょっと寂しいかも」
「そうだね」
 真白は、小さく笑った。
 ゲストカードの有効期限は変わらず「8月7日 23:59(UTC)」のままだが、
 今はもう、その文字列を見ても、前のようなざわめきは起きない。
(“UTCだから不安”なんじゃない。
 “知らない仕組みのまま放っておくこと”が、不安だったんだ)
 中身を知って、問題点を見つけて、対策が動き始めているとわかった今、
 同じ数字でも、受け止め方はまるで違う。
「今日の最終プログラム、“将来の進路について”だって」
 エレベーターの中で、恋が配られたしおりを見ながら言う。
「社会人の人たちと座談会して、“どんなふうに今の仕事に辿り着いたか”とか聞けるらしいよ」
「進路……」
 真白は、少しだけ目を細めた。
 自分の将来を具体的に思い描くのは、まだ難しい。
 けれど、この三日間で、“こういう場所で働く自分”を想像することへの抵抗は、前よりも小さくなった気がする。
 恋がふいに真白の顔を覗き込む。
「ねえ真白」
「なに?」
「もしさ、真白が将来、本当にこういうところで働くようになったら──」
 恋は、少し照れたように笑った。
「そのときも、隣で応援してていい?」
「……」
 想像していなかった質問に、真白は一瞬言葉を失う。
 ビルの高層フロア。
 モニターに映るログとグラフ。
 世界中のユーザーのデータを守る仕事。
 その横で、同じように画面を見ながら、
「すごいね」と笑ってくれる恋の姿。
 ありえない夢物語みたいで、だけど、不思議と違和感はなかった。
 真白は、ほんの少しだけ微笑んだ。
「……そのときになっても、まだ飽きてなかったら、よろしくお願いします」
「飽きないよ!」
 恋は即答した。
「むしろ、“真白がどこにいても同期できる仕事”探すから!」
「……同期って、便利な言葉だね」
「でしょ?」
 エレベーターの扉が開き、三日間通い慣れたフロアの景色が広がる。
 真白は、一歩、足を踏み出した。

 最終日のプログラムが終わり、修了証と記念品を受け取って、ビルを出る。
 外は、相変わらず夏の光が強くて、アスファルトの照り返しが眩しい。
「お疲れさま、真白!」
 恋が大きく伸びをして、笑った。
「ねえ、帰りにさ、ちょっと寄り道してもいい?」
「寄り道?」
「清能駅のコンコースのとこ、ほら、ミラーノの広告出てる大きなモニターあるじゃん。
 あれ、もう一回見ておきたくて」
「……いいけど」
 二人は駅まで歩き、コンコースに入る。
 大きなデジタルサイネージには、昨日と同じクラウドサービスの広告が映っている。
『大切なデータを、“いつでも、どこでも、いっしょに”。』
 画面の片隅には、小さな文字で「Powered by Mirano Cloud」と表示されていた。
「ね」
 恋が、少しだけ声を落として言う。
「“どこでもいっしょ”ってさ、やっぱり真白と私っぽいよね」
「……まだ言うんだ、それ」
「だって、本当にそうなんだもん」
 恋は、真白のほうを向く。
「今回みたいな事件があっても、真白が一人で戦わなくていいなら、それでいい。
 私もちゃんと怖がるし、ちゃんと心配するし、ちゃんと隣で応援する」
 真白は、広告の雲のアイコンを見上げながら、静かに息を吐いた。
(“影”は、きっとこれからもどこかで動いている)
 教育ネットワーク。
 クラウドサービス。
 その先にある、もっと大きな何か。
 自分たちの街だけで完結する話ではないのだろう。
 けれど──
「……ありがと、恋」
 真白は、ゆっくりと恋のほうを向いた。
「私、まだ怖いし、不安もあるけど……
 それでも、“ちゃんと見よう”って思えるのは、恋が一緒にいてくれるからだと思う」
「おお、また録音したいやつ!」
「しなくていいから」
 二人の声が、コンコースのざわめきに紛れていく。
 ふと、真白はポケットからスマホを取り出し、画面に表示された時刻を確認した。
「8月7日 16:12(JST)」
 画面の下の小さな表示には、「UTC 07:12」とも書かれている。
 世界標準時と、日本時間。
 同じ瞬間を、二つの数字で表しただけのもの。
(もう、どちらか片方だけを見て不安になることはない)
 二つの時間の間にある“九時間の差”を、攻撃者は矛盾の種として使った。
 でも、同じ差を、真白たちは“ヒント”として掴み返した。
 それはきっと、これからも繰り返されるだろう。
 誰かが、時差や同期の隙間を狙ってくるたびに──
 真白は、その矛盾の形を見極めて、
「どうやって守るか」を考え続けるのだろう。
 そのたびに、隣で誰かが手を握ってくれていたら。
(……平穏って、そういうことなのかもしれない)
 事件がまったく起きない世界ではなくて。
 事件が起きても、ちゃんと向き合って、終わらせて、
 そのあとにまた笑って歩ける世界。
 真白は、スマホの画面を消し、ほんの少しだけ空を見上げた。
 夏の光はまだ強くて、少し目に痛い。
 でも、その眩しさの向こうに、
 自分たちの知らないネットワークの世界が、静かに広がっている。
 そこに潜む“影”は、きっと簡単には姿を現さない。
 それでも──
「帰ろっか、恋」
「うん、“同期しながら”ね」
 恋が笑い、二人は並んで歩き出す。
 駅の改札を抜ける足音が、夏の午後の喧騒に溶けていった。
 その背後で、ミラーノの広告のクラウドアイコンが、
 静かに、そして確かに、回線の向こうと繋がり続けている。
 次に、その雲の向こう側でどんな“ノイズ”が生まれるのかは、まだわからない。
 けれど、真白はもう──
 その揺らぎから目を背けるつもりは、なかった。
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