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第7話 ー生徒会アカウント乗っ取りー ①
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九月の朝の空気は、八月ほどの熱気はもうなくて、それでもまだ、アスファルトの匂いに夏の名残が混じっていた。
清能北高校の最寄り駅から校門へ続く坂道には、久しぶりに制服姿の列が戻っている。夏服のスカート、ズボンの群れがわいわいと揺れながら、二学期最初の登校を楽しんでいた。
街路樹にしがみつくように残っているセミが、残った力を振り絞って鳴いている。あのやかましさが少し懐かしく思えるくらいに、声の数は減っていた。
柏加真白は、肩にかかる黒髪を指先で軽く押さえながら、隣を歩く木下恋をちらりと見上げる。
「ねぇねぇ真白。二学期初日のテンション、どう? パーセントで答えよ」
恋は、夏の日差しをそのまま持ち込んだみたいな笑顔で言った。茶色のミディアムボブがぴょこぴょこと弾んでいる。
「……三十パーセント、くらい?」
「低っ! それ、まだ寝てるでしょ完全に」
恋が大げさに肩を落とす。真白は苦笑して、ほんの少しだけ視線を前に戻す。
「夏休み、あっという間だったから……頭が、切り替わってないのかも」
「ミラーノ社の企業体験もあったしねー。あれ、夏休みのイベントランキングで言ったら、かなり上位だったんだけど? ね、真白」
「……うん。うまくいって、よかった」
短く答えながら、真白の胸の奥に、あのクラウドサービスのオフィスの白い光景がよみがえる。がんばって作った資料が「存在しない時刻」によって消され、ログに残っていた不自然な揺らぎ。
そして、その揺らぎの癖が、学校で起きていた事件と同じだと気付いた時の、背筋を這い上がるような寒気。
——結局、あの時も、ログの向こう側にいる誰かの姿は見えなかった。
夏が終わっても、「影」はどこかで動いている。そんな感覚だけが、薄い膜のように残っている。
「真白?」
呼ばれて、はっとする。恋が、少しだけ覗き込むように顔を寄せていた。
「顔、こわばってる。二学期初日から難しいこと考えたら損だよ? ほら、今日は“平穏に戻る日”だから」
「……戻れる、かな」
「戻すんだよ、私たちで。ほら、見て」
恋が顎で前をさす。坂の先、校門の向こうに見える昇降口の前が、いつもより騒がしい。
白い腕章を付けた生徒会のメンバーが立ち、登校する生徒たちに明るい声をかけていた。
「おはようございまーす! 二学期もよろしくお願いします!」
「生徒会だ。がんばってるなーって、こういう時に言うんだよ」
恋が楽しそうに笑う。真白も、少しだけ肩の力を抜いた。
生徒会——学校の「表側」を支える代表たち。
真白にとっては、文化祭サイトの件のときに少し関わった程度だったが、その時のことを思い出すと、胸の奥がわずかにざわつく。作り込まれ過ぎたあの攻撃も、結局、単なる悪戯の域を越えていた。
それでも今、目の前で笑顔を振りまいている生徒会メンバーには、そんなことは似合わない。みんな、普通にがんばっているだけだ。
「おはようございます」
昇降口の前を通り過ぎるとき、恋が元気よく頭を下げた。それにつられて、真白も小さく会釈する。
「あ、二年C組の木下さんと柏加さんだよね?」
腕章を着けた女子が、ぱっと顔を明るくした。ショートカットで、胸元に「生徒会長」と書かれたネームプレートをつけている。
生徒会長は、夏前の文化祭で場内アナウンスをしていた姿が印象的で、学年を問わず人気があった。
「はいっ。おはようございます、生徒会長」
恋がすぐに答える。真白は少し遅れて「おはようございます」と重ねた。
「二学期も、いろいろお願いすることあるかもしれないけど……よろしくね。特に、情報トラブルとかは、先生から話聞いてるから」
最後の一言に、真白の視線がわずかに揺れる。
「……情報、トラブル?」
「うん。文化祭サイトとか、クラス掲示板とか。詳しいことは知らないけど、手伝ってくれてたんでしょ? ありがとう。ああいうの、ほんと助かってるから」
生徒会長は、自然な笑顔でそう言っただけだった。責めるような色も、踏み込み過ぎた好奇心もなく、ただ、感謝の意を伝える感じで。
なのに、真白の心臓は一瞬だけ速くなる。
——先生、どこまで話したんだろう。
情報科の先生は、真白を守ろうとしてくれている。それは信じている。でも「手伝ってもらった」という事実だけでも、こうして噂の形でじわりと広がっていく。
恋が横から割り込むように、力強く笑った。
「真白、すごいんですよ。……あ、でも、そういうの全部任せちゃうのはナシで。先生たちとも一緒にがんばってくださいね、生徒会長」
「もちろん。生徒会は何でも屋じゃないけど、できることはちゃんとやるよ」
冗談めかしたやりとりに、周りの空気が少し和らいだ。
生徒会長は、最後にもう一度真白を見て、ふっと真面目な声になる。
「困ったことがあったら、無理しないで言ってね。先生からも言われてるけど、“一人で抱え込ませないように”って」
その言葉は、まるで恋や先生たちと同じ方向を向いているようで、真白は戸惑いながらも、小さくうなずいた。
「……はい」
校舎の中は、ほんの少し湿気を含んだ夏の空気と、新しい二学期のざわめきで満ちていた。
二年C組の教室に入ると、すでに半分くらいのクラスメイトが集まっていた。窓際の席からは、校庭の端に伸びる長い影と、まだ緑の濃い木々が見える。
「真白、席、席ー。ホームルーム始まる前に、夏休みの報告会するよ、勝手に」
恋は自分の席に鞄を投げ出してから、真白の椅子を引き出すのを手伝ってくれた。
「……報告会?」
「そう。『この夏一番の事件』を一人一個ずつ発表してもらいます」
「事件って……」
「“夏のホラー現象”とかでも可。冷蔵庫のプリンが消えたとか」
くだらない、と言いかけて、真白は少しだけ笑ってしまう。こういうどうでもいいおしゃべりが、たしかに、自分の中の「平穏」の一部になりつつある。
クラスのあちこちで、同じような話題が飛び交っていた。
「海行ったー?」
「日焼けしてさ、テストの時までに戻るかな」
「え、文化祭の動画、まだ生徒会のアカウントに上がってないの?」
「生徒会選挙、次期会長誰だろ。今の会長、三年だよね」
その会話の中に、当たり前のように「生徒会公式アカウント」という単語が紛れ込んでいるのを、真白の耳は逃さない。
——学校の情報の「流れ」は、ますますネットに寄っている。
クラス掲示板、レポート提出システム、文化祭サイト、クラスチャットボット。そして、生徒会のSNSアカウント。
どれも便利で、みんなにとって「ただの日常」だ。だからこそ、そこに異常が混ざったとき、誰も気づかない。
気づいてしまう自分だけが、異物になる。
ホームルームが始まり、情報科の教師でもある担任が教壇に立った。夏休み明けとは思えないほど疲れの抜けきらない顔をしているが、それでもテンション高めに声を張る。
「はい、おはようございます。二学期もよろしく。……と、その前に。まず、みんな、夏休み中に大きなトラブルもなく無事に顔を見せてくれてありがとう」
クラスから、ぱらぱらと拍手が起きる。
「で。いきなりだけど、二学期、学校的にいろいろ動きが多いです。体育祭に、次期生徒会選挙。それから、情報システム関連の“見直し期間”でもあります」
「見直し」という言葉に、真白の背筋がわずかに伸びる。
「春から夏にかけて、ちょっとしたトラブルが続いたのは、なんとなくみんなも覚えてると思う。クラスSNSがどうとか、文化祭サイトがどうとか。正式な原因の話はまだ全部はできないけど……学校としても、ちゃんと専門家と一緒に対策を進めてます。だから、変な噂とかに惑わされず、困ったことがあれば先生たちに相談すること」
先生は、そう言いながら、視線を一瞬だけ真白と恋の方に流した。真白は、気づかないふりをしてノートの端に視線を落とす。
「あと、生徒会からも連絡があります。二学期は、生徒会公式アカウントでの告知が増えるので、フォローしてない人は、学校のポータルからリンク確認しておくこと。変な偽物アカウントとかはないとは思うけど、一応、URLはちゃんと確認するように」
さらりとした注意喚起。
それは、一般の生徒にとっては単なるアナウンスの一つだが、真白にとっては、細い針で軽く刺されたような感覚を残した。
——“ないとは思うけど”。
実際には、あり得る。むしろ、「狙われやすい場所」がまた一つ増える。
ホームルームが終わり、教室のざわめきが再び戻ってくる。
「ねぇねぇ真白、生徒会選挙、見に行こうね。今年の演説、なんかレベル高そうなんだって」
恋が身を乗り出してくる。
「……レベル?」
「うん。親が言ってた。『最近の高校生のスピーチは大人顔負けだ』って。あ、うちの親じゃないわ。ニュースで見たやつだった」
「どっちでもいいよ」
思わず突っ込むと、恋はけらけら笑った。
「でも、生徒会長ってすごいよね。みんなの前で仕切るし、アカウントも運営するし。私には絶対ムリ」
「恋なら、向いてると思うけど」
「えっ、ほんと? じゃあ、真白が立候補して、副会長になってくれたらやる」
「それはパス」
そんな他愛もない会話をしながら、真白は窓の外の空を見上げる。
夏と秋の境目みたいな、淡い色合いの青。
——本当に、戻れるなら。
心の底からそう願っている自分に気付いて、真白はそっと視線を落とした。
放課後、廊下は夏よりも少し早く、夕方の色に染まり始める。
オレンジ色の光が床に長く伸び、教室から漏れる声が重なり合っていた。
「恋、今日は部活?」
「んー、二学期最初だから顔だけ出すけど、早めに上がっても大丈夫だよ。なんかある?」
「……生徒会の掲示、見てから帰ろうかなと思って」
「おっ、真白、自ら情報収集に行くとは。じゃ、一緒に行く」
恋は嬉しそうにバッグを肩にかけると、真白の腕を軽く引いた。
生徒会室の前の掲示板には、色とりどりのプリントが貼られていた。
二学期の行事予定、生徒会選挙の日程案内、委員会活動の報告。そして、その横の壁には、大きなポスターが一枚、目立つように貼られている。
『生徒会公式アカウント フォローお願いします!』
ポスターには、QRコードと短縮URL、それからスマホ画面のイメージが印刷されていた。
「わぁ、ちゃんと“公式感”あるね。アイコンもかわいい」
恋が近づいて、スマホを取り出そうとする。
「……待って」
真白は、思わず声をかけていた。
「え?」
「ここで、読み込むのは……あんまり、おすすめしないかも」
自分でも驚くほど、声が硬くなっていた。
「えーっと。なんで?」
「……人が多いところで、QRコードをかざすと、誰が読み込んだか、見られやすいから」
半分は本当で、半分は言い訳だった。QRコード自体は、ポスターを作った生徒会が発行したものだろう。問題があるとは限らない。
それでも、何となく、こういう「入口」に対して、真白は警戒心が先に立ってしまう。
恋は一瞬ぽかんとしたあと、すぐに笑った。
「さすが真白。じゃあ、家帰ってから、学校のポータル経由で登録するわ。ちゃんと正規ルートからね」
「……うん。そのほうが、いいと思う」
恋がスマホをしまうのを見届けてから、真白は改めてポスターを眺めた。
短縮URLのドメインは、よくある国内サービスのもの。QRコードも、簡単なチェックでは不審な点は見当たらない。生徒会長のメッセージ欄には、丁寧な挨拶と、二学期の抱負が書かれていた。
——今のところは、“普通”。
ただ、真白の目には、別のものも見えていた。
右下に小さく書かれた「アカウント管理:現生徒会執行部」の文字。
その下の、かなり小さな文字で、「アカウントは生徒会メンバー共同で運営」と書かれているのが、かろうじて読めた。
それはきっと、「みんなで協力して運営している」という意味で書かれた一文なのだろう。
だが、真白にとっては、逆に背筋が冷える要素だった。
——共有、しているんだ。
——一つのアカウントを、複数人で。
柔らかい夕焼けの色の中で、文字だけが冷たく浮かび上がる。
「ねぇ真白」
「……なに?」
「さっきの、先生の話。『専門家と一緒に対策してる』ってやつ」
恋は、掲示板から半歩離れて、いつになく真剣な声で言った。
「それさ、真白のこと、ちょっとは含まれてると思う?」
真白は返事に詰まった。
専門家——本当の意味でそう呼ばれる人たちは、きっと外部の会社や市のサイバー課の人たちだ。真白は、あくまで「高校生」で、「生徒」だ。
「……私は、専門家じゃないよ。ただ、ログが読めるだけ」
「でも、読める人がほとんどいないログを読めるんでしょ?」
恋は、あっさりと言う。
「だからさ。真白が無理しない範囲で、学校が“ちゃんと相談してくれる”なら、悪くないなって。先生も、生徒会長も、そういう顔してた」
先ほどの昇降口での会話が、真白の頭に浮かぶ。
『一人で抱え込ませないように』
生徒会長の言葉。
『何かするなら私にも相談して』
恋が、いつも言ってくれる言葉。
——二学期は、“連携”の季節なのかもしれない。
学校と市と、それから、真白自身と。
「……相談、してくれればいいけど」
小さく呟くと、恋はうれしそうに微笑んだ。
「その時は、私が真白の“がんばりすぎ監視担当”として同席しますので」
「そんな担当、頼んでないけど」
「今、任命されたから。もう逃げられません」
軽口のやりとりに、夕焼けの廊下の空気が少しだけ明るくなる。
その少しの明るさに、真白は自分の心が救われていることを、自覚していた。
清能北高校の最寄り駅から校門へ続く坂道には、久しぶりに制服姿の列が戻っている。夏服のスカート、ズボンの群れがわいわいと揺れながら、二学期最初の登校を楽しんでいた。
街路樹にしがみつくように残っているセミが、残った力を振り絞って鳴いている。あのやかましさが少し懐かしく思えるくらいに、声の数は減っていた。
柏加真白は、肩にかかる黒髪を指先で軽く押さえながら、隣を歩く木下恋をちらりと見上げる。
「ねぇねぇ真白。二学期初日のテンション、どう? パーセントで答えよ」
恋は、夏の日差しをそのまま持ち込んだみたいな笑顔で言った。茶色のミディアムボブがぴょこぴょこと弾んでいる。
「……三十パーセント、くらい?」
「低っ! それ、まだ寝てるでしょ完全に」
恋が大げさに肩を落とす。真白は苦笑して、ほんの少しだけ視線を前に戻す。
「夏休み、あっという間だったから……頭が、切り替わってないのかも」
「ミラーノ社の企業体験もあったしねー。あれ、夏休みのイベントランキングで言ったら、かなり上位だったんだけど? ね、真白」
「……うん。うまくいって、よかった」
短く答えながら、真白の胸の奥に、あのクラウドサービスのオフィスの白い光景がよみがえる。がんばって作った資料が「存在しない時刻」によって消され、ログに残っていた不自然な揺らぎ。
そして、その揺らぎの癖が、学校で起きていた事件と同じだと気付いた時の、背筋を這い上がるような寒気。
——結局、あの時も、ログの向こう側にいる誰かの姿は見えなかった。
夏が終わっても、「影」はどこかで動いている。そんな感覚だけが、薄い膜のように残っている。
「真白?」
呼ばれて、はっとする。恋が、少しだけ覗き込むように顔を寄せていた。
「顔、こわばってる。二学期初日から難しいこと考えたら損だよ? ほら、今日は“平穏に戻る日”だから」
「……戻れる、かな」
「戻すんだよ、私たちで。ほら、見て」
恋が顎で前をさす。坂の先、校門の向こうに見える昇降口の前が、いつもより騒がしい。
白い腕章を付けた生徒会のメンバーが立ち、登校する生徒たちに明るい声をかけていた。
「おはようございまーす! 二学期もよろしくお願いします!」
「生徒会だ。がんばってるなーって、こういう時に言うんだよ」
恋が楽しそうに笑う。真白も、少しだけ肩の力を抜いた。
生徒会——学校の「表側」を支える代表たち。
真白にとっては、文化祭サイトの件のときに少し関わった程度だったが、その時のことを思い出すと、胸の奥がわずかにざわつく。作り込まれ過ぎたあの攻撃も、結局、単なる悪戯の域を越えていた。
それでも今、目の前で笑顔を振りまいている生徒会メンバーには、そんなことは似合わない。みんな、普通にがんばっているだけだ。
「おはようございます」
昇降口の前を通り過ぎるとき、恋が元気よく頭を下げた。それにつられて、真白も小さく会釈する。
「あ、二年C組の木下さんと柏加さんだよね?」
腕章を着けた女子が、ぱっと顔を明るくした。ショートカットで、胸元に「生徒会長」と書かれたネームプレートをつけている。
生徒会長は、夏前の文化祭で場内アナウンスをしていた姿が印象的で、学年を問わず人気があった。
「はいっ。おはようございます、生徒会長」
恋がすぐに答える。真白は少し遅れて「おはようございます」と重ねた。
「二学期も、いろいろお願いすることあるかもしれないけど……よろしくね。特に、情報トラブルとかは、先生から話聞いてるから」
最後の一言に、真白の視線がわずかに揺れる。
「……情報、トラブル?」
「うん。文化祭サイトとか、クラス掲示板とか。詳しいことは知らないけど、手伝ってくれてたんでしょ? ありがとう。ああいうの、ほんと助かってるから」
生徒会長は、自然な笑顔でそう言っただけだった。責めるような色も、踏み込み過ぎた好奇心もなく、ただ、感謝の意を伝える感じで。
なのに、真白の心臓は一瞬だけ速くなる。
——先生、どこまで話したんだろう。
情報科の先生は、真白を守ろうとしてくれている。それは信じている。でも「手伝ってもらった」という事実だけでも、こうして噂の形でじわりと広がっていく。
恋が横から割り込むように、力強く笑った。
「真白、すごいんですよ。……あ、でも、そういうの全部任せちゃうのはナシで。先生たちとも一緒にがんばってくださいね、生徒会長」
「もちろん。生徒会は何でも屋じゃないけど、できることはちゃんとやるよ」
冗談めかしたやりとりに、周りの空気が少し和らいだ。
生徒会長は、最後にもう一度真白を見て、ふっと真面目な声になる。
「困ったことがあったら、無理しないで言ってね。先生からも言われてるけど、“一人で抱え込ませないように”って」
その言葉は、まるで恋や先生たちと同じ方向を向いているようで、真白は戸惑いながらも、小さくうなずいた。
「……はい」
校舎の中は、ほんの少し湿気を含んだ夏の空気と、新しい二学期のざわめきで満ちていた。
二年C組の教室に入ると、すでに半分くらいのクラスメイトが集まっていた。窓際の席からは、校庭の端に伸びる長い影と、まだ緑の濃い木々が見える。
「真白、席、席ー。ホームルーム始まる前に、夏休みの報告会するよ、勝手に」
恋は自分の席に鞄を投げ出してから、真白の椅子を引き出すのを手伝ってくれた。
「……報告会?」
「そう。『この夏一番の事件』を一人一個ずつ発表してもらいます」
「事件って……」
「“夏のホラー現象”とかでも可。冷蔵庫のプリンが消えたとか」
くだらない、と言いかけて、真白は少しだけ笑ってしまう。こういうどうでもいいおしゃべりが、たしかに、自分の中の「平穏」の一部になりつつある。
クラスのあちこちで、同じような話題が飛び交っていた。
「海行ったー?」
「日焼けしてさ、テストの時までに戻るかな」
「え、文化祭の動画、まだ生徒会のアカウントに上がってないの?」
「生徒会選挙、次期会長誰だろ。今の会長、三年だよね」
その会話の中に、当たり前のように「生徒会公式アカウント」という単語が紛れ込んでいるのを、真白の耳は逃さない。
——学校の情報の「流れ」は、ますますネットに寄っている。
クラス掲示板、レポート提出システム、文化祭サイト、クラスチャットボット。そして、生徒会のSNSアカウント。
どれも便利で、みんなにとって「ただの日常」だ。だからこそ、そこに異常が混ざったとき、誰も気づかない。
気づいてしまう自分だけが、異物になる。
ホームルームが始まり、情報科の教師でもある担任が教壇に立った。夏休み明けとは思えないほど疲れの抜けきらない顔をしているが、それでもテンション高めに声を張る。
「はい、おはようございます。二学期もよろしく。……と、その前に。まず、みんな、夏休み中に大きなトラブルもなく無事に顔を見せてくれてありがとう」
クラスから、ぱらぱらと拍手が起きる。
「で。いきなりだけど、二学期、学校的にいろいろ動きが多いです。体育祭に、次期生徒会選挙。それから、情報システム関連の“見直し期間”でもあります」
「見直し」という言葉に、真白の背筋がわずかに伸びる。
「春から夏にかけて、ちょっとしたトラブルが続いたのは、なんとなくみんなも覚えてると思う。クラスSNSがどうとか、文化祭サイトがどうとか。正式な原因の話はまだ全部はできないけど……学校としても、ちゃんと専門家と一緒に対策を進めてます。だから、変な噂とかに惑わされず、困ったことがあれば先生たちに相談すること」
先生は、そう言いながら、視線を一瞬だけ真白と恋の方に流した。真白は、気づかないふりをしてノートの端に視線を落とす。
「あと、生徒会からも連絡があります。二学期は、生徒会公式アカウントでの告知が増えるので、フォローしてない人は、学校のポータルからリンク確認しておくこと。変な偽物アカウントとかはないとは思うけど、一応、URLはちゃんと確認するように」
さらりとした注意喚起。
それは、一般の生徒にとっては単なるアナウンスの一つだが、真白にとっては、細い針で軽く刺されたような感覚を残した。
——“ないとは思うけど”。
実際には、あり得る。むしろ、「狙われやすい場所」がまた一つ増える。
ホームルームが終わり、教室のざわめきが再び戻ってくる。
「ねぇねぇ真白、生徒会選挙、見に行こうね。今年の演説、なんかレベル高そうなんだって」
恋が身を乗り出してくる。
「……レベル?」
「うん。親が言ってた。『最近の高校生のスピーチは大人顔負けだ』って。あ、うちの親じゃないわ。ニュースで見たやつだった」
「どっちでもいいよ」
思わず突っ込むと、恋はけらけら笑った。
「でも、生徒会長ってすごいよね。みんなの前で仕切るし、アカウントも運営するし。私には絶対ムリ」
「恋なら、向いてると思うけど」
「えっ、ほんと? じゃあ、真白が立候補して、副会長になってくれたらやる」
「それはパス」
そんな他愛もない会話をしながら、真白は窓の外の空を見上げる。
夏と秋の境目みたいな、淡い色合いの青。
——本当に、戻れるなら。
心の底からそう願っている自分に気付いて、真白はそっと視線を落とした。
放課後、廊下は夏よりも少し早く、夕方の色に染まり始める。
オレンジ色の光が床に長く伸び、教室から漏れる声が重なり合っていた。
「恋、今日は部活?」
「んー、二学期最初だから顔だけ出すけど、早めに上がっても大丈夫だよ。なんかある?」
「……生徒会の掲示、見てから帰ろうかなと思って」
「おっ、真白、自ら情報収集に行くとは。じゃ、一緒に行く」
恋は嬉しそうにバッグを肩にかけると、真白の腕を軽く引いた。
生徒会室の前の掲示板には、色とりどりのプリントが貼られていた。
二学期の行事予定、生徒会選挙の日程案内、委員会活動の報告。そして、その横の壁には、大きなポスターが一枚、目立つように貼られている。
『生徒会公式アカウント フォローお願いします!』
ポスターには、QRコードと短縮URL、それからスマホ画面のイメージが印刷されていた。
「わぁ、ちゃんと“公式感”あるね。アイコンもかわいい」
恋が近づいて、スマホを取り出そうとする。
「……待って」
真白は、思わず声をかけていた。
「え?」
「ここで、読み込むのは……あんまり、おすすめしないかも」
自分でも驚くほど、声が硬くなっていた。
「えーっと。なんで?」
「……人が多いところで、QRコードをかざすと、誰が読み込んだか、見られやすいから」
半分は本当で、半分は言い訳だった。QRコード自体は、ポスターを作った生徒会が発行したものだろう。問題があるとは限らない。
それでも、何となく、こういう「入口」に対して、真白は警戒心が先に立ってしまう。
恋は一瞬ぽかんとしたあと、すぐに笑った。
「さすが真白。じゃあ、家帰ってから、学校のポータル経由で登録するわ。ちゃんと正規ルートからね」
「……うん。そのほうが、いいと思う」
恋がスマホをしまうのを見届けてから、真白は改めてポスターを眺めた。
短縮URLのドメインは、よくある国内サービスのもの。QRコードも、簡単なチェックでは不審な点は見当たらない。生徒会長のメッセージ欄には、丁寧な挨拶と、二学期の抱負が書かれていた。
——今のところは、“普通”。
ただ、真白の目には、別のものも見えていた。
右下に小さく書かれた「アカウント管理:現生徒会執行部」の文字。
その下の、かなり小さな文字で、「アカウントは生徒会メンバー共同で運営」と書かれているのが、かろうじて読めた。
それはきっと、「みんなで協力して運営している」という意味で書かれた一文なのだろう。
だが、真白にとっては、逆に背筋が冷える要素だった。
——共有、しているんだ。
——一つのアカウントを、複数人で。
柔らかい夕焼けの色の中で、文字だけが冷たく浮かび上がる。
「ねぇ真白」
「……なに?」
「さっきの、先生の話。『専門家と一緒に対策してる』ってやつ」
恋は、掲示板から半歩離れて、いつになく真剣な声で言った。
「それさ、真白のこと、ちょっとは含まれてると思う?」
真白は返事に詰まった。
専門家——本当の意味でそう呼ばれる人たちは、きっと外部の会社や市のサイバー課の人たちだ。真白は、あくまで「高校生」で、「生徒」だ。
「……私は、専門家じゃないよ。ただ、ログが読めるだけ」
「でも、読める人がほとんどいないログを読めるんでしょ?」
恋は、あっさりと言う。
「だからさ。真白が無理しない範囲で、学校が“ちゃんと相談してくれる”なら、悪くないなって。先生も、生徒会長も、そういう顔してた」
先ほどの昇降口での会話が、真白の頭に浮かぶ。
『一人で抱え込ませないように』
生徒会長の言葉。
『何かするなら私にも相談して』
恋が、いつも言ってくれる言葉。
——二学期は、“連携”の季節なのかもしれない。
学校と市と、それから、真白自身と。
「……相談、してくれればいいけど」
小さく呟くと、恋はうれしそうに微笑んだ。
「その時は、私が真白の“がんばりすぎ監視担当”として同席しますので」
「そんな担当、頼んでないけど」
「今、任命されたから。もう逃げられません」
軽口のやりとりに、夕焼けの廊下の空気が少しだけ明るくなる。
その少しの明るさに、真白は自分の心が救われていることを、自覚していた。
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