ハッカー女子高生は平穏に過ごしたい

古城そら

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第9話 ー黒いメールー ②

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 翌朝の空気は、昨日よりも一段階、冷たさを増していた。
 登校路の坂道を上りながら、真白はマフラーを出そうかどうか迷う。制服のリボンのあたりを指で押さえ、息をふっと吐いた。
「おはよう、まっしろー!」
 いつもの声が、いつものタイミングで後ろから飛んでくる。振り返る前に、足音だけで恋だとわかるのは、もう完全に条件反射だ。
「おはよう、恋」
「なんか、ちょっと眠そう?」
「そう……かな?」
「うん。目の下、クマってほどじゃないけど、ふにゃってしてる」
「ふにゃ、って何」
 自分の頬を指でつつきながら聞き返すと、恋は真白の顔を覗き込むみたいに身を乗り出してきた。
「昨日、遅くまで体育祭の資料見てた?」
「そこまでじゃないよ。ちょっと……メールの確認してただけ」
「ああ、実行委員のやつ?」
 恋の表情がぱっと明るくなる。
「どうだった? 『タイムテーブル間違ってませんか』とか、クレーム来てなかった?」
「今のところは平和かな。普通の問い合わせが多かった」
 “普通じゃない”ものについては、あえて口に出さなかった。
 あの英語件名の広告メールだって、他のメール確認の妨げにはなるものの、別に異常というわけではない。
「よかったー。真白疲れちゃうと、私も困るし」
「……そこ、まず自分の心配なんだ」
「だって、私が困るってことは、真白も困るってことだから。イコール!」
 恋が、なぜかイコールサインを指で描きながら笑う。その雑な理屈に、真白もつい口元を緩めた。
「まあ、今日も放課後作業だしね。ほどほどにがんばろ」
「はいはーい。今日の目標は、競技別のメンバー表完成で!」
 恋の声は、体育祭の朝礼のマイクみたいに元気だった。

 午前中の授業は、妙に早く過ぎていった。
 数学の公式も、古典の文法も、頭のどこかを素通りしていく感じがする。ノートは埋まっているのに、心は別のところに引っかかったまま。
 ――Recommendation for Your Future。
 先生の声が遠くなった瞬間、その英語の並びがまた浮かび上がる。真白はあわてて視線を教科書に戻した。
(集中、集中……)
 自分にそう言い聞かせながらも、頭のどこか別の場所で、昨日見た受信トレイ一覧の画面が再生される。件名の列。差出人のアドレス。日付。
 英語の広告メールは、あれが初めてじゃなかった。Autumn Sale、Limited Offer、Free Trial。よくある言葉が並んでいる。
 なのに、Recommendation for Your Futureだけが、なぜか浮き上がって見えた。
(“Future”……進路とか、将来とか。高校生向けの広告って言われたら、それまでだけど)
 ペン先でノートの端を軽く叩きながら、真白は眉をひそめる。
 自分が気になっているのは、きっと言葉の意味だけじゃない。
 差出人のアドレス。プレビューに表示されていた最初の一文。We found a perfect path for you——。
 その「you」が、誰を指しているのか。考え始めると、胸の奥に冷たいものが流れ込んでくる。
「柏加さん?」
「……!」
 名前を呼ばれて、真白はびくりと肩を跳ねさせた。
「こ、この問題の答え、黒板に書いてくれる?」
 数学の先生が、チョークをくるくる回しながら笑っている。教室中の視線が、一斉にこちらに向いた。
「あ、はい……すみません」
 黒板に向かう足取りが、わずかに重い。視線の端で、恋が「ファイト」と口パクしているのが見えた。
 ――考えすぎ。本当に、考えすぎ。
 自分にそう言い聞かせるように、真白は教科書を見直し、答えを書き込んでいった。

 昼休み。窓際のいつもの席で弁当を広げると、恋が早速身を乗り出してきた。
「真白、今日もメールチェックある?」
「うん。放課後、先生のところ寄って、詳細聞いてからかな」
「そっか。大変だねぇ。実行委員って、表に出る係と裏方の係で、負担違いすぎない?」
「表に出る方も大変だよ。人まとめるの、私には無理だから」
「私も裏方ムリだから、おあいこだね!」
 あっけらかんと言われて、真白は思わず笑ってしまう。
 弁当箱のふたを閉めながら、恋がふと真顔になった。
「……でもさ、ほんとに無理しないでね」
「え?」
「昨日も言ったけど。真白、がんばりすぎちゃうところあるから。メールとか、変なの来てても、ひとりで抱え込まないでよ?」
 核心に触れるような言葉に、心臓が一瞬止まりかける。
「な、なんで急に……」
「なんとなく? なんかね、たまに真白の目が、遠く見てる感じになるから」
 恋は、自分の目のあたりを指でくるりと指した。
「事件あった時とか、先生となんか話した後とか。昨日も、放課後の最後の方、ちょっとそんな目してた」
「……よく見てるね」
「真白観察委員ですから!」
 またそれか、と笑いかけて、真白は息を呑んだ。
 恋は冗談めかして言っているのに、その観察はだいたい当たっている。だからこそ、余計に不用意なことは言えない。
「大丈夫だよ。ただ、慣れてない仕事だから、ちょっと緊張してるだけ」
 それは、完全な嘘ではない。けれど、本当のことの半分も言っていない。
 恋はじっと真白を見て、それからふっと表情を緩めた。
「うん。じゃあ、そういうことにしといてあげる」
「……“しといてあげる”って」
「だって、真白が話してくれるタイミングってあるからさ。その時まで待つのも、友だちの役目でしょ?」
 あまりに自然に「友だち」と言われて、真白の胸の奥がじんわりと熱くなる。
 ――話せる時が、来るんだろうか。
 自分でもわからない小さな問いを抱えたまま、真白は飲み込むようにお茶を口へ運んだ。

 放課後。
 二年C組の教室は、昨日と同じように模造紙とマーカーとで散らかっていた。タイムテーブルの確認や競技メンバーの調整で、教室の空気は少しだけざわざわしている。
「真白ー、こっちのメンバー表、あと二つだけ確認お願い」
「了解。終わったら先生のところ行ってくるね」
「うん。じゃあ、それまでにポスターの下書き終わらせとく!」
 恋はペンを握りしめ、やる気満々で机に向かった。
 真白はメンバー表に素早く目を通し、タイムテーブルと照らし合わせる。被っている時間帯や、人数オーバーになっているところがないかを確認し、赤ペンで印をつける。
 ひと通りチェックを終えると、プリントをまとめて立ち上がった。
「先生、職員室にいるかな」
 自分にそう言い聞かせるように呟き、廊下に出る。夕方の光が窓から差し込んで、廊下の床を長く照らしていた。
 職員室のドアをノックすると、担任の先生がすぐに顔を出した。
「お、柏加。どうした?」
「実行委員のメンバー表、確認してもらおうと思って……それと、共有メールの件で、少し」
「ああ、うん。中入って」
 職員室の一角、先生の席の隣にある小さな机に案内される。そこには、学校のデスクトップパソコンが置いてあった。
「共有アドレス、学校のPCからも見られるようにしておいたよ。家からだけじゃ大変だろうから」
「ありがとうございます」
 先生がログイン画面を操作し、真白に席を譲る。
「メールのチェックは、時間があるときでいいからね。今日はどんな感じか、一緒に見てみよっか」
「はい」
 椅子に座り、キーボードに手を置く。画面には、昨日と同じような受信トレイの一覧が表示された。
 上に並ぶのは、体育祭に関する真面目な問い合わせ。クラスの参加人数の変更、タイムテーブルの再確認、救護テントの位置についての質問。
 スクロールバーを少し下に動かすと、英語の件名が目に入る。
「……やっぱり、広告メールも来てますね」
「うん。そこはねぇ、どうしても……」
 先生が苦笑いする。
「学校のアドレス、ホームページに載せざるを得ないからさ。変なところに拾われちゃうんだよね。迷惑メールフィルタもかけてるんだけど、たまにすり抜ける」
「ですよね」
 画面には、昨日見たものに加えて、新しい英語件名がいくつか増えていた。
 Special Offer for Students
 Future Scholarship Program
 Limited Time Autumn Campaign
 その中に――。
「……あ」
 真白の指が、マウスのホイールの上で止まった。
 Recommendation for Your Future。
 昨日見た件名と同じ文言のメールが、もう一通届いている。受信日時は、今日の放課後、ちょうど真白たちが体育祭の準備を始めた頃だ。
「どうかした?」
「いえ……同じ件名のメールが、昨日と今日で二通来てるので」
「ああ、それ系の広告かもね。進学サイトとか」
「そうかもしれません」
 先生はさほど気にした様子もなく、画面を眺めている。
 昨日、メールを見た時にフィルタで迷惑メールフォルダに振り分ける様に設定したが、すり抜けてきている。
 真白は慎重に、件名だけを選択してプレビューを表示した。本文を開くのは避ける。最小限の情報だけを抜き出すように。
 差出人は、フリーメールサービスのアドレス。ドメイン名は、聞いたことのない文字列だった。英単語ではないが、特に意味のある言葉でもなさそうな、ランダムな並び。
 けれど、真白はそこに、別の情報を重ねる。
(メインのアドレスじゃなくて、サブドメイン……パラメータ……)
 ここ数ヶ月で見てきた攻撃ログの数々。フィッシングサイトのURL。偽装されたログインページ。
 その記憶の一部と、画面の上の文字列が、薄く重なった。
「柏加?」
「あ、すみません。ちょっと、気になって」
「うん? 何か変なところある?」
 先生が椅子を引いて近づいてくる。真白は少し迷った末、スクロールバーをほんの少しだけ動かした。
 今日届いた『Recommendation for Your Future』の下に、同じ差出人からの別のメールがあった。
 件名は、『Autumn Special Recommendation』。受信日時は、さらにその数分後。本文プレビューには、こんな一文がのぞいている。
 “Click the link → http://~~~/F0x-path?S3eK=win”
 プレビューに表示されたURLは途中で省略されていたが、「F0x」と「S3eK」という文字列だけははっきりと読めた。
「……」
 胸の奥が、きゅっと縮まる。
 F0x。
 S3eK。
 アルファベットと数字を混ぜた、いかにもな置換。Eが3に、oが0に置き換わっている。
 fox。
 seek。
(……“狐を探せ”、みたいな)
 頭の中で、日本語のフレーズが勝手に組み上がる。
 白い狐の姿が、一瞬、脳裏にちらついた。
「URLにパラメータついてるねぇ。典型的な広告サイトって感じだけど」
 先生は、特に変わった様子もなく画面を眺めている。
「こういうのは、基本無視ね。一応、ドメインごと拒否リストに入れとくけど」
「……はい」
 真白の声は、少しだけ上ずっていた。
 先生が席を立ち、職員室の別の先生に何かを聞きに行く。真白は画面の前にひとり取り残された。
 F0x-path。
 S3eK=win。
 そこに含まれた意図なんて、本当は何通りでも考えられる。単純に「狐」や「探す」の意味に引っ張られているのは、自分の方だ。
 自意識過剰。被害妄想。そう言われたら、それまでだ。
 ――だけど。
 メールを見つめる指先が、じわりと汗ばむ。
 過去にやり取りした“相手”たちを思い出す。ログ上でだけ交差した、見えない犯罪者たち。彼らは、たいてい自分だけにわかる合図を、どこかに紛れ込ませたがる。
 名前。ハンドルネーム。シグネチャ。暗号。
 白狐。
 Byakko。
(まさか……)
 思考にブレーキをかけようとする意志と、走り出そうとする直感が、胸の中でぶつかり合う。
「柏加、ごめん、ちょっと電話入っちゃって」
 先生の声に、真白ははっと顔を上げた。
「メンバー表はここに置いといてくれる? 共有メールの方は、一旦ログアウトして大丈夫だから」
「あ、はい……ありがとうございました」
 急いでサインアウトし、ブラウザを閉じる。電源ボタンに手を伸ばす前に、画面が暗くなった自分の表情が映り込んだ。
 少し強張った顔。唇が、無意識にきゅっと結ばれている。
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