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第10話 ー第10話:暗号と望まぬクリスマスプレゼントー ①
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十二月の朝の空気は、もうすっかり冬だった。
校門をくぐった瞬間、真白の吐く息が白くほどけていく。頬に当たる風は冷たくて、その分だけ、隣を歩く恋の声がやけに近く感じられた。
「さっむ~。ねえ真白、今日こそクリスマス会の出し物、決めきっちゃおうね」
「……うん。今日決めないと、もう時間ないもんね」
二学期の後半は、いつもバタバタしている気がする。体育祭が終わって、期末テストがあって、ちょっと落ち着いたと思ったら、今度はクラスのクリスマス会。
それでも――十月の、あの黒いメール騒動から何事も起きないまま、十一月が静かに過ぎていってくれたことを、真白は心の底でありがたく思っていた。
Kからの名前入りの挑発。あれ以降、目に見える動きはない。市内のネットワークも、学校のシステムも、表面上は平穏そのものだ。
(……もしかして、このまま、何も起きないのかもしれない)
そんな淡い期待を抱く自分がいる。それをすぐに打ち消す自分もいる。
「真白?」
呼ばれて顔を上げると、恋がこちらを覗き込んでいた。茶色のミディアムボブが、マフラーの上でふわっと揺れる。
「なんか考えごと?」
「え、あ……ううん。ちょっと、寒いなって考えてただけ」
「それは考えごとじゃなくて、ただの感想~」
からかうような笑顔に、真白は小さく息を漏らす。
こういう、くだらないやりとりが続いてくれるなら――それでいい。
それが、今の真白の「平穏」のかたちだった。
教室に入ると、黒板の端にはすでに「クリスマス会の議題」と書かれている。
輪になった折り紙の鎖が、窓際のカーテンレールに仮止めされていて、誰かが持ち込んだ小さなLEDのツリーが、まだつながれていない電源コードを垂らしていた。
「おー、いい感じじゃん。なんかそれっぽくなってきたね!」
恋がテンション高めにツリーへ駆け寄る横で、真白はカバンを席に置き、マフラーをほどきながら教卓の前を見る。
ホームルーム前だというのに、クラス委員たちが既に集まって、プリントを広げていた。
「柏加さん、木下さーん」
クラス委員の女子が手を振る。
「買い出し組の確認したいんだけど、今日の放課後、大丈夫?」
「大丈夫!ね、真白?」
「え? あ……わたしも、平気」
「やった。じゃあスイーツ担当は、ふたりにお願いしちゃおうかなあ。甘いもの得意でしょ?」
「真白がね!」
当然のように恋がそう言うので、真白は慌てて否定する。
「ま、待って。食べるのが好きなだけで、詳しいわけじゃ――」
「真白の“おいしいセンサー”は信頼度MAXだから大丈夫」
恋が何でもないように笑って言う。その一言が、思いのほか真白の胸に柔らかく刺さる。
(……信頼、か)
黒いメールのとき、自分の足元がぐらぐらと崩れていきそうになったときに――支えてくれたのは、やっぱり恋だった。
「じゃあスイーツ担当、任せてください。予算内でがんばります」
「頼もしい~!」
クラス委員の言葉に、周りからも「よろしくー」「甘いのいっぱい!」と軽い声が飛ぶ。
教室のざわめきは、どこまでも日常だった。
一時間目と二時間目の授業が終わると、小休憩のタイミングで担任が教室に入ってきた。
情報科担当でもある担任の先生は、いつものようにタブレットを片手に持っている。
「はいはい、ちょっとだけ時間もらうぞー。クリスマス会の件で学校全体からの案内が来てるから、共有アドレスに送っておいた。あとで委員はちゃんと読んでおくように」
「え、何が送られてくるんですか?」
「会の進行のテンプレと、安全面の注意事項、それと……なんか教務から送られてきた、トナカイの画像入りの“雰囲気資料”だな。まあ、適当に使えたら使ってくれ」
クラスに笑いが広がる。
「トナカイの雰囲気資料って何」「謎すぎる」「先生の趣味?」
「俺の趣味じゃない。たぶん教務の誰かの趣味だ。あとでメール見てみろよ」
そう言って先生は、次のクラスへ行くために、あっさり教室を出ていった。
「トナカイ資料とか絶対おもしろいやつじゃん。真白、あとで一緒に見る?」
「……うん。共有アドレスなら、自分の端末からも見られるし」
軽い会話の中で、真白の脳裏には別の意味での警戒が、一瞬だけよぎる。
(共有アドレスに、一斉送信のメール……)
それは、以前、「Recommendation for Your Future」の偽広告メールが送りつけられたのと、よく似た条件だった。
だが、今回は送り主が学校側で、先生の口からも説明があった。
ヘッダーも差出人ドメインも、怪しければすぐにわかる。
そう自分に言い聞かせる。
(大丈夫。何かおかしかったら、そのときに確認すればいい)
今は目の前のプリントと、クラスメートの笑い声と、恋の横顔に集中したかった。
放課後。
冬の夕方の光が、教室の窓から斜めに差し込んでいる。
「じゃ、買い出し行こっか!」
恋がマフラーを巻きながら、いつものように真白を振り向く。その声に押されるように、真白も立ち上がる。
「うん。でも、その前に……メール、一回だけ見てもいい?」
「うん、いいよ。あ、じゃあ多目的室寄る? そこなら誰もいないし」
「教室でも大丈夫だよ。ただ、共有アドレスだから――」
真白は自分のタブレットを取り出し、学校のグループウェアにログインする。
二年C組共有アドレスの受信トレイには、既に数通のメールが並んでいた。その中に、件名が目立つ一通がある。
『【全クラス宛】クリスマス会に関する資料(トナカイ画像あり)』
(……そのまんま)
思わず心の中で突っ込む。差出人は学校の教務用アドレス、ドメインも正規のものだ。ヘッダーの情報をざっと目で追ってみても、変な経路や、妙な中継サーバは混ざっていない。
クリックすると、本文とともに一枚のPNGファイルが添付されていた。
「お、来た? 見せて見せて」
肩越しに覗き込んでくる恋に、真白は画面を少し傾ける。
添付ファイルを開くと、画面いっぱいに、クリスマスカラーのトナカイのイラストが表示された。
丸い目をしたトナカイが、赤と緑のリボンを首に巻いて、背景には雪の結晶と星と、ぼんやりした光の粒。いかにも「雰囲気資料」という感じの、かわいらしいポスター風の画像だ。
「わ、かわい~。いいじゃんこれ! 印刷して教室に貼ろうよ!」
恋が素直に感嘆の声をあげる。
クラス委員の女子も、別の席から「ちょっと~、どんなの? スクショ送って!」と声を飛ばす。
真白は軽く笑いながら、もう一度画面に視線を戻した。
その瞬間、背筋を冷たいものが撫でていく。
(……ノイズ)
トナカイの背後、淡い光の粒が散っている部分。ぱっと見は、ぼかした照明のような模様にしか見えない。けれど、真白の目には、その明暗の粒の並びが「ランダム」にしては整いすぎているように見えた。
光の粒の位置。明るさ。大小のバランス。
「画面の色のむら」と言ってしまえる範囲のはずなのに、一定間隔で繰り返されるパターンがある様な気がする。
「真白?」
「っ……」
肩をつつかれ、真白は我に返る。
「大丈夫? なんか、さっきから難しい顔してない?」
恋の声が、いつもより少し真面目だった。茶色の瞳が、心配そうに揺れている。
「……ごめん。ちょっと、気になるところがあって」
「気になるところ?」
「うん。……たぶん、気のせい、だと思うけど」
そう言いながらも、真白は添付ファイルを自分のローカルストレージに保存する操作をした。念のため、ネットワークから切り離した状態で解析できるように。
「え、それってもしかして、『黒いメール』のときみたいな?」
恋の声が、ほんの少しだけ低くなる。
彼女も、あのときのことを忘れてはいない。
真白にとっても、恋にとっても、あれは「日常の中の異物」として、しっかりと刻み込まれていた。
「……そこまでじゃないよ。ただ、柄が……ちょっとだけ規則的なだけだから」
「ふーん……。でも、真白が気になるって言うなら、きっと何かあるんだろうね」
恋はあっさりとそう言って、にこっと笑う。
「とりあえず、その画像は真白にお任せってことで。危なそうなら教えて。あたし、変なの踏みたくないし」
「うん。それは……ちゃんと確認する」
「よし。じゃあ、今は買い出しだ!」
恋が空気を切り替えるように、両手をパンと叩いた。
真白も、深く息を吸ってからタブレットを閉じる。
その吐息は、教室の中なのに、まだほんのりと白かった。
学校を出る頃には、空はもう淡いオレンジから群青へと変わりかけていた。
街路樹には簡易的なイルミネーションが巻かれていて、まだ明るさの残る空の下で、小さく瞬いている。
「冬ってさ、空気は冷たいのに、光はなんかあったかく見えるよね」
恋がそんなことを言いながら、商店街へ向かう道を歩く。吐く息は白いけれど、その横顔は楽しげだった。
「……わかる気がする。夕方の光とか」
「でしょ~? ほら真白、あのカフェ。前、一緒に入ったとこ。また行こ?」
指差した先には、ガラス張りの小さなカフェがある。店内にはすでにいくつかの席が埋まっていて、窓越しに見えるカップの湯気が、外の冷気と対照的だった。
「買い出しの前にあったまっとこ。作戦会議もしないとだし!」
「……作戦会議って、食べ物のこと?」
「そう。スイーツ戦略会議」
そう言って笑う恋に、真白もつられて小さく笑う。
カフェのドアを開けると、ふわっと暖かい空気と、甘い香りが二人を包み込んだ。
カウンターでホットココアを注文し、窓際の二人席に座る。
外では、行き交う人たちがコートの襟を立てて足早に通り過ぎていく。ガラス一枚隔てるだけで、世界がまるで違うみたいだった。
「ん~、しみる~。冬のココアって反則だよね」
恋はマグカップを両手で包み込むように持って、一口飲んで目を細める。
真白も、マグカップへそっと口をつける。熱が舌の上を滑って、喉を通っていく。その温かさが、胃のあたりに落ちて、じんわりと広がった。
「……こういうの、いいね」
思わず、そう言葉が漏れる。
「でしょ? 真白と飲むココアは、さらにおいしさ二倍だからね」
恋が当然のように言うので、真白はマグカップの縁に視線を落とした。
「二倍って……根拠のないこと言う」
「あるよー。真白がいると、“おいしい”ってちゃんと実感できるもん」
「……それは、恋がそう思ってくれてるだけだよ」
「それが一番大事なんじゃん?」
あっさり言い切られて、真白は返す言葉を失う。
(――“平穏”って、こういうのなんだろうな)
冷たい外と、温かい室内。
怖いものや厄介なものが、世界から完全に消えることなんてない。でも、その真ん中で、誰かと笑い合っている時間。
それを守るためなら、たぶん自分は、何度でもキーボードの前に座るんだろう。
そんな考えが浮かんで、真白は小さく首を振った。
「で、作戦会議。どうする? クッキー、ケーキ、マフィン、ドーナツ……あとは?」
恋がカバンからノートを取り出し、軽くメモを取り始める。
「予算的に、あんまり高いのは難しいから……みんなで分けやすいものの方がいい、かな」
「切り分け系か~。じゃあ、ホールケーキよりは大きめパウンドケーキとか?」
「それはいいかも。あとは、アレルギーの子いるから、原材料表示がちゃんとしてるやつ」
「さっすが真白。じゃあさ、半分くらいは安定の市販品にして、残りはちょっといいやつ混ぜるとか」
二人であれこれ言い合いながら、候補を書き出していく。会話はすっかり「普通の女子高生」のものだった。
その合間に、真白のスマホが、テーブルの上で軽く震える。
画面には、学校のグループウェアアプリの通知アイコン。
「二年C組共有アドレスに新着メールがあります」と、ごく事務的な文言が表示されている。
(さっきのメール、委員向けに返信が来たのかな)
ちらりと視線をやっただけで、真白は通知をスワイプで消した。今、ここで確認する必要はない。緊急のものなら、担任が何か言ってくれるはずだ。
「連絡?」
「ううん。クラス共有のやつ。あとで見る」
「そっか。……真白、本当に顔が柔らかくなったよね」
「え?」
「なんかさ、前より笑ってる時間が増えた気がする。黒いメールのときとか、けっこうしんどそうだったじゃん? 今も怖いのはあると思うけどさ」
恋はストローでマシュマロをつつきながら、窓の外を見た。
「……あのとき、逃げずに話してくれてありがとね。真白が白狐のこと、昔のこと、ちゃんと話してくれたからさ。あたし、“守りたい”って思えたんだよ」
「……守りたい、って」
「うん。真白が、真白でいられるの、守るの。だから、もしまた変なこと起きても、一緒に考えよ?」
軽く言うには、少し重たい言葉。
でも恋は、それを日常の延長みたいな顔で口にする。
真白は指先でマグカップの取っ手をなぞりながら、小さくうなずいた。
「……うん。ちゃんと、言うよ。何かあったら」
「よろしい」
恋が満足そうに笑う。
その笑顔を見ていると、自分ひとりではないという実感が、じわっと胸に広がっていく。
(……だから、さっきの画像も)
たとえ嫌な予感がしても、それをすぐに共有できる相手がいる。
そのことが、何よりの救いだった。
校門をくぐった瞬間、真白の吐く息が白くほどけていく。頬に当たる風は冷たくて、その分だけ、隣を歩く恋の声がやけに近く感じられた。
「さっむ~。ねえ真白、今日こそクリスマス会の出し物、決めきっちゃおうね」
「……うん。今日決めないと、もう時間ないもんね」
二学期の後半は、いつもバタバタしている気がする。体育祭が終わって、期末テストがあって、ちょっと落ち着いたと思ったら、今度はクラスのクリスマス会。
それでも――十月の、あの黒いメール騒動から何事も起きないまま、十一月が静かに過ぎていってくれたことを、真白は心の底でありがたく思っていた。
Kからの名前入りの挑発。あれ以降、目に見える動きはない。市内のネットワークも、学校のシステムも、表面上は平穏そのものだ。
(……もしかして、このまま、何も起きないのかもしれない)
そんな淡い期待を抱く自分がいる。それをすぐに打ち消す自分もいる。
「真白?」
呼ばれて顔を上げると、恋がこちらを覗き込んでいた。茶色のミディアムボブが、マフラーの上でふわっと揺れる。
「なんか考えごと?」
「え、あ……ううん。ちょっと、寒いなって考えてただけ」
「それは考えごとじゃなくて、ただの感想~」
からかうような笑顔に、真白は小さく息を漏らす。
こういう、くだらないやりとりが続いてくれるなら――それでいい。
それが、今の真白の「平穏」のかたちだった。
教室に入ると、黒板の端にはすでに「クリスマス会の議題」と書かれている。
輪になった折り紙の鎖が、窓際のカーテンレールに仮止めされていて、誰かが持ち込んだ小さなLEDのツリーが、まだつながれていない電源コードを垂らしていた。
「おー、いい感じじゃん。なんかそれっぽくなってきたね!」
恋がテンション高めにツリーへ駆け寄る横で、真白はカバンを席に置き、マフラーをほどきながら教卓の前を見る。
ホームルーム前だというのに、クラス委員たちが既に集まって、プリントを広げていた。
「柏加さん、木下さーん」
クラス委員の女子が手を振る。
「買い出し組の確認したいんだけど、今日の放課後、大丈夫?」
「大丈夫!ね、真白?」
「え? あ……わたしも、平気」
「やった。じゃあスイーツ担当は、ふたりにお願いしちゃおうかなあ。甘いもの得意でしょ?」
「真白がね!」
当然のように恋がそう言うので、真白は慌てて否定する。
「ま、待って。食べるのが好きなだけで、詳しいわけじゃ――」
「真白の“おいしいセンサー”は信頼度MAXだから大丈夫」
恋が何でもないように笑って言う。その一言が、思いのほか真白の胸に柔らかく刺さる。
(……信頼、か)
黒いメールのとき、自分の足元がぐらぐらと崩れていきそうになったときに――支えてくれたのは、やっぱり恋だった。
「じゃあスイーツ担当、任せてください。予算内でがんばります」
「頼もしい~!」
クラス委員の言葉に、周りからも「よろしくー」「甘いのいっぱい!」と軽い声が飛ぶ。
教室のざわめきは、どこまでも日常だった。
一時間目と二時間目の授業が終わると、小休憩のタイミングで担任が教室に入ってきた。
情報科担当でもある担任の先生は、いつものようにタブレットを片手に持っている。
「はいはい、ちょっとだけ時間もらうぞー。クリスマス会の件で学校全体からの案内が来てるから、共有アドレスに送っておいた。あとで委員はちゃんと読んでおくように」
「え、何が送られてくるんですか?」
「会の進行のテンプレと、安全面の注意事項、それと……なんか教務から送られてきた、トナカイの画像入りの“雰囲気資料”だな。まあ、適当に使えたら使ってくれ」
クラスに笑いが広がる。
「トナカイの雰囲気資料って何」「謎すぎる」「先生の趣味?」
「俺の趣味じゃない。たぶん教務の誰かの趣味だ。あとでメール見てみろよ」
そう言って先生は、次のクラスへ行くために、あっさり教室を出ていった。
「トナカイ資料とか絶対おもしろいやつじゃん。真白、あとで一緒に見る?」
「……うん。共有アドレスなら、自分の端末からも見られるし」
軽い会話の中で、真白の脳裏には別の意味での警戒が、一瞬だけよぎる。
(共有アドレスに、一斉送信のメール……)
それは、以前、「Recommendation for Your Future」の偽広告メールが送りつけられたのと、よく似た条件だった。
だが、今回は送り主が学校側で、先生の口からも説明があった。
ヘッダーも差出人ドメインも、怪しければすぐにわかる。
そう自分に言い聞かせる。
(大丈夫。何かおかしかったら、そのときに確認すればいい)
今は目の前のプリントと、クラスメートの笑い声と、恋の横顔に集中したかった。
放課後。
冬の夕方の光が、教室の窓から斜めに差し込んでいる。
「じゃ、買い出し行こっか!」
恋がマフラーを巻きながら、いつものように真白を振り向く。その声に押されるように、真白も立ち上がる。
「うん。でも、その前に……メール、一回だけ見てもいい?」
「うん、いいよ。あ、じゃあ多目的室寄る? そこなら誰もいないし」
「教室でも大丈夫だよ。ただ、共有アドレスだから――」
真白は自分のタブレットを取り出し、学校のグループウェアにログインする。
二年C組共有アドレスの受信トレイには、既に数通のメールが並んでいた。その中に、件名が目立つ一通がある。
『【全クラス宛】クリスマス会に関する資料(トナカイ画像あり)』
(……そのまんま)
思わず心の中で突っ込む。差出人は学校の教務用アドレス、ドメインも正規のものだ。ヘッダーの情報をざっと目で追ってみても、変な経路や、妙な中継サーバは混ざっていない。
クリックすると、本文とともに一枚のPNGファイルが添付されていた。
「お、来た? 見せて見せて」
肩越しに覗き込んでくる恋に、真白は画面を少し傾ける。
添付ファイルを開くと、画面いっぱいに、クリスマスカラーのトナカイのイラストが表示された。
丸い目をしたトナカイが、赤と緑のリボンを首に巻いて、背景には雪の結晶と星と、ぼんやりした光の粒。いかにも「雰囲気資料」という感じの、かわいらしいポスター風の画像だ。
「わ、かわい~。いいじゃんこれ! 印刷して教室に貼ろうよ!」
恋が素直に感嘆の声をあげる。
クラス委員の女子も、別の席から「ちょっと~、どんなの? スクショ送って!」と声を飛ばす。
真白は軽く笑いながら、もう一度画面に視線を戻した。
その瞬間、背筋を冷たいものが撫でていく。
(……ノイズ)
トナカイの背後、淡い光の粒が散っている部分。ぱっと見は、ぼかした照明のような模様にしか見えない。けれど、真白の目には、その明暗の粒の並びが「ランダム」にしては整いすぎているように見えた。
光の粒の位置。明るさ。大小のバランス。
「画面の色のむら」と言ってしまえる範囲のはずなのに、一定間隔で繰り返されるパターンがある様な気がする。
「真白?」
「っ……」
肩をつつかれ、真白は我に返る。
「大丈夫? なんか、さっきから難しい顔してない?」
恋の声が、いつもより少し真面目だった。茶色の瞳が、心配そうに揺れている。
「……ごめん。ちょっと、気になるところがあって」
「気になるところ?」
「うん。……たぶん、気のせい、だと思うけど」
そう言いながらも、真白は添付ファイルを自分のローカルストレージに保存する操作をした。念のため、ネットワークから切り離した状態で解析できるように。
「え、それってもしかして、『黒いメール』のときみたいな?」
恋の声が、ほんの少しだけ低くなる。
彼女も、あのときのことを忘れてはいない。
真白にとっても、恋にとっても、あれは「日常の中の異物」として、しっかりと刻み込まれていた。
「……そこまでじゃないよ。ただ、柄が……ちょっとだけ規則的なだけだから」
「ふーん……。でも、真白が気になるって言うなら、きっと何かあるんだろうね」
恋はあっさりとそう言って、にこっと笑う。
「とりあえず、その画像は真白にお任せってことで。危なそうなら教えて。あたし、変なの踏みたくないし」
「うん。それは……ちゃんと確認する」
「よし。じゃあ、今は買い出しだ!」
恋が空気を切り替えるように、両手をパンと叩いた。
真白も、深く息を吸ってからタブレットを閉じる。
その吐息は、教室の中なのに、まだほんのりと白かった。
学校を出る頃には、空はもう淡いオレンジから群青へと変わりかけていた。
街路樹には簡易的なイルミネーションが巻かれていて、まだ明るさの残る空の下で、小さく瞬いている。
「冬ってさ、空気は冷たいのに、光はなんかあったかく見えるよね」
恋がそんなことを言いながら、商店街へ向かう道を歩く。吐く息は白いけれど、その横顔は楽しげだった。
「……わかる気がする。夕方の光とか」
「でしょ~? ほら真白、あのカフェ。前、一緒に入ったとこ。また行こ?」
指差した先には、ガラス張りの小さなカフェがある。店内にはすでにいくつかの席が埋まっていて、窓越しに見えるカップの湯気が、外の冷気と対照的だった。
「買い出しの前にあったまっとこ。作戦会議もしないとだし!」
「……作戦会議って、食べ物のこと?」
「そう。スイーツ戦略会議」
そう言って笑う恋に、真白もつられて小さく笑う。
カフェのドアを開けると、ふわっと暖かい空気と、甘い香りが二人を包み込んだ。
カウンターでホットココアを注文し、窓際の二人席に座る。
外では、行き交う人たちがコートの襟を立てて足早に通り過ぎていく。ガラス一枚隔てるだけで、世界がまるで違うみたいだった。
「ん~、しみる~。冬のココアって反則だよね」
恋はマグカップを両手で包み込むように持って、一口飲んで目を細める。
真白も、マグカップへそっと口をつける。熱が舌の上を滑って、喉を通っていく。その温かさが、胃のあたりに落ちて、じんわりと広がった。
「……こういうの、いいね」
思わず、そう言葉が漏れる。
「でしょ? 真白と飲むココアは、さらにおいしさ二倍だからね」
恋が当然のように言うので、真白はマグカップの縁に視線を落とした。
「二倍って……根拠のないこと言う」
「あるよー。真白がいると、“おいしい”ってちゃんと実感できるもん」
「……それは、恋がそう思ってくれてるだけだよ」
「それが一番大事なんじゃん?」
あっさり言い切られて、真白は返す言葉を失う。
(――“平穏”って、こういうのなんだろうな)
冷たい外と、温かい室内。
怖いものや厄介なものが、世界から完全に消えることなんてない。でも、その真ん中で、誰かと笑い合っている時間。
それを守るためなら、たぶん自分は、何度でもキーボードの前に座るんだろう。
そんな考えが浮かんで、真白は小さく首を振った。
「で、作戦会議。どうする? クッキー、ケーキ、マフィン、ドーナツ……あとは?」
恋がカバンからノートを取り出し、軽くメモを取り始める。
「予算的に、あんまり高いのは難しいから……みんなで分けやすいものの方がいい、かな」
「切り分け系か~。じゃあ、ホールケーキよりは大きめパウンドケーキとか?」
「それはいいかも。あとは、アレルギーの子いるから、原材料表示がちゃんとしてるやつ」
「さっすが真白。じゃあさ、半分くらいは安定の市販品にして、残りはちょっといいやつ混ぜるとか」
二人であれこれ言い合いながら、候補を書き出していく。会話はすっかり「普通の女子高生」のものだった。
その合間に、真白のスマホが、テーブルの上で軽く震える。
画面には、学校のグループウェアアプリの通知アイコン。
「二年C組共有アドレスに新着メールがあります」と、ごく事務的な文言が表示されている。
(さっきのメール、委員向けに返信が来たのかな)
ちらりと視線をやっただけで、真白は通知をスワイプで消した。今、ここで確認する必要はない。緊急のものなら、担任が何か言ってくれるはずだ。
「連絡?」
「ううん。クラス共有のやつ。あとで見る」
「そっか。……真白、本当に顔が柔らかくなったよね」
「え?」
「なんかさ、前より笑ってる時間が増えた気がする。黒いメールのときとか、けっこうしんどそうだったじゃん? 今も怖いのはあると思うけどさ」
恋はストローでマシュマロをつつきながら、窓の外を見た。
「……あのとき、逃げずに話してくれてありがとね。真白が白狐のこと、昔のこと、ちゃんと話してくれたからさ。あたし、“守りたい”って思えたんだよ」
「……守りたい、って」
「うん。真白が、真白でいられるの、守るの。だから、もしまた変なこと起きても、一緒に考えよ?」
軽く言うには、少し重たい言葉。
でも恋は、それを日常の延長みたいな顔で口にする。
真白は指先でマグカップの取っ手をなぞりながら、小さくうなずいた。
「……うん。ちゃんと、言うよ。何かあったら」
「よろしい」
恋が満足そうに笑う。
その笑顔を見ていると、自分ひとりではないという実感が、じわっと胸に広がっていく。
(……だから、さっきの画像も)
たとえ嫌な予感がしても、それをすぐに共有できる相手がいる。
そのことが、何よりの救いだった。
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