ハッカー女子高生は平穏に過ごしたい

古城そら

文字の大きさ
48 / 49

第10話 ー第10話:暗号と望まぬクリスマスプレゼントー ①

しおりを挟む
 十二月の朝の空気は、もうすっかり冬だった。
 校門をくぐった瞬間、真白の吐く息が白くほどけていく。頬に当たる風は冷たくて、その分だけ、隣を歩く恋の声がやけに近く感じられた。
「さっむ~。ねえ真白、今日こそクリスマス会の出し物、決めきっちゃおうね」
「……うん。今日決めないと、もう時間ないもんね」
 二学期の後半は、いつもバタバタしている気がする。体育祭が終わって、期末テストがあって、ちょっと落ち着いたと思ったら、今度はクラスのクリスマス会。
 それでも――十月の、あの黒いメール騒動から何事も起きないまま、十一月が静かに過ぎていってくれたことを、真白は心の底でありがたく思っていた。
 Kからの名前入りの挑発。あれ以降、目に見える動きはない。市内のネットワークも、学校のシステムも、表面上は平穏そのものだ。
(……もしかして、このまま、何も起きないのかもしれない)
 そんな淡い期待を抱く自分がいる。それをすぐに打ち消す自分もいる。
「真白?」
 呼ばれて顔を上げると、恋がこちらを覗き込んでいた。茶色のミディアムボブが、マフラーの上でふわっと揺れる。
「なんか考えごと?」
「え、あ……ううん。ちょっと、寒いなって考えてただけ」
「それは考えごとじゃなくて、ただの感想~」
 からかうような笑顔に、真白は小さく息を漏らす。
 こういう、くだらないやりとりが続いてくれるなら――それでいい。
 それが、今の真白の「平穏」のかたちだった。

 教室に入ると、黒板の端にはすでに「クリスマス会の議題」と書かれている。
 輪になった折り紙の鎖が、窓際のカーテンレールに仮止めされていて、誰かが持ち込んだ小さなLEDのツリーが、まだつながれていない電源コードを垂らしていた。
「おー、いい感じじゃん。なんかそれっぽくなってきたね!」
 恋がテンション高めにツリーへ駆け寄る横で、真白はカバンを席に置き、マフラーをほどきながら教卓の前を見る。
 ホームルーム前だというのに、クラス委員たちが既に集まって、プリントを広げていた。
「柏加さん、木下さーん」
 クラス委員の女子が手を振る。
「買い出し組の確認したいんだけど、今日の放課後、大丈夫?」
「大丈夫!ね、真白?」
「え? あ……わたしも、平気」
「やった。じゃあスイーツ担当は、ふたりにお願いしちゃおうかなあ。甘いもの得意でしょ?」
「真白がね!」
 当然のように恋がそう言うので、真白は慌てて否定する。
「ま、待って。食べるのが好きなだけで、詳しいわけじゃ――」
「真白の“おいしいセンサー”は信頼度MAXだから大丈夫」
 恋が何でもないように笑って言う。その一言が、思いのほか真白の胸に柔らかく刺さる。
(……信頼、か)
 黒いメールのとき、自分の足元がぐらぐらと崩れていきそうになったときに――支えてくれたのは、やっぱり恋だった。
「じゃあスイーツ担当、任せてください。予算内でがんばります」
「頼もしい~!」
 クラス委員の言葉に、周りからも「よろしくー」「甘いのいっぱい!」と軽い声が飛ぶ。
 教室のざわめきは、どこまでも日常だった。

 一時間目と二時間目の授業が終わると、小休憩のタイミングで担任が教室に入ってきた。
 情報科担当でもある担任の先生は、いつものようにタブレットを片手に持っている。
「はいはい、ちょっとだけ時間もらうぞー。クリスマス会の件で学校全体からの案内が来てるから、共有アドレスに送っておいた。あとで委員はちゃんと読んでおくように」
「え、何が送られてくるんですか?」
「会の進行のテンプレと、安全面の注意事項、それと……なんか教務から送られてきた、トナカイの画像入りの“雰囲気資料”だな。まあ、適当に使えたら使ってくれ」
 クラスに笑いが広がる。
「トナカイの雰囲気資料って何」「謎すぎる」「先生の趣味?」
「俺の趣味じゃない。たぶん教務の誰かの趣味だ。あとでメール見てみろよ」
 そう言って先生は、次のクラスへ行くために、あっさり教室を出ていった。
「トナカイ資料とか絶対おもしろいやつじゃん。真白、あとで一緒に見る?」
「……うん。共有アドレスなら、自分の端末からも見られるし」
 軽い会話の中で、真白の脳裏には別の意味での警戒が、一瞬だけよぎる。
(共有アドレスに、一斉送信のメール……)
 それは、以前、「Recommendation for Your Future」の偽広告メールが送りつけられたのと、よく似た条件だった。
 だが、今回は送り主が学校側で、先生の口からも説明があった。
 ヘッダーも差出人ドメインも、怪しければすぐにわかる。
 そう自分に言い聞かせる。
(大丈夫。何かおかしかったら、そのときに確認すればいい)
 今は目の前のプリントと、クラスメートの笑い声と、恋の横顔に集中したかった。

 放課後。
 冬の夕方の光が、教室の窓から斜めに差し込んでいる。
「じゃ、買い出し行こっか!」
 恋がマフラーを巻きながら、いつものように真白を振り向く。その声に押されるように、真白も立ち上がる。
「うん。でも、その前に……メール、一回だけ見てもいい?」
「うん、いいよ。あ、じゃあ多目的室寄る? そこなら誰もいないし」
「教室でも大丈夫だよ。ただ、共有アドレスだから――」
 真白は自分のタブレットを取り出し、学校のグループウェアにログインする。
 二年C組共有アドレスの受信トレイには、既に数通のメールが並んでいた。その中に、件名が目立つ一通がある。
『【全クラス宛】クリスマス会に関する資料(トナカイ画像あり)』
(……そのまんま)
 思わず心の中で突っ込む。差出人は学校の教務用アドレス、ドメインも正規のものだ。ヘッダーの情報をざっと目で追ってみても、変な経路や、妙な中継サーバは混ざっていない。
 クリックすると、本文とともに一枚のPNGファイルが添付されていた。
「お、来た? 見せて見せて」
 肩越しに覗き込んでくる恋に、真白は画面を少し傾ける。
 添付ファイルを開くと、画面いっぱいに、クリスマスカラーのトナカイのイラストが表示された。
 丸い目をしたトナカイが、赤と緑のリボンを首に巻いて、背景には雪の結晶と星と、ぼんやりした光の粒。いかにも「雰囲気資料」という感じの、かわいらしいポスター風の画像だ。
「わ、かわい~。いいじゃんこれ! 印刷して教室に貼ろうよ!」
 恋が素直に感嘆の声をあげる。
 クラス委員の女子も、別の席から「ちょっと~、どんなの? スクショ送って!」と声を飛ばす。
 真白は軽く笑いながら、もう一度画面に視線を戻した。
 その瞬間、背筋を冷たいものが撫でていく。
(……ノイズ)
 トナカイの背後、淡い光の粒が散っている部分。ぱっと見は、ぼかした照明のような模様にしか見えない。けれど、真白の目には、その明暗の粒の並びが「ランダム」にしては整いすぎているように見えた。
 光の粒の位置。明るさ。大小のバランス。
「画面の色のむら」と言ってしまえる範囲のはずなのに、一定間隔で繰り返されるパターンがある様な気がする。
「真白?」
「っ……」
 肩をつつかれ、真白は我に返る。
「大丈夫? なんか、さっきから難しい顔してない?」
 恋の声が、いつもより少し真面目だった。茶色の瞳が、心配そうに揺れている。
「……ごめん。ちょっと、気になるところがあって」
「気になるところ?」
「うん。……たぶん、気のせい、だと思うけど」
 そう言いながらも、真白は添付ファイルを自分のローカルストレージに保存する操作をした。念のため、ネットワークから切り離した状態で解析できるように。
「え、それってもしかして、『黒いメール』のときみたいな?」
 恋の声が、ほんの少しだけ低くなる。
 彼女も、あのときのことを忘れてはいない。
 真白にとっても、恋にとっても、あれは「日常の中の異物」として、しっかりと刻み込まれていた。
「……そこまでじゃないよ。ただ、柄が……ちょっとだけ規則的なだけだから」
「ふーん……。でも、真白が気になるって言うなら、きっと何かあるんだろうね」
 恋はあっさりとそう言って、にこっと笑う。
「とりあえず、その画像は真白にお任せってことで。危なそうなら教えて。あたし、変なの踏みたくないし」
「うん。それは……ちゃんと確認する」
「よし。じゃあ、今は買い出しだ!」
 恋が空気を切り替えるように、両手をパンと叩いた。
 真白も、深く息を吸ってからタブレットを閉じる。
 その吐息は、教室の中なのに、まだほんのりと白かった。

 学校を出る頃には、空はもう淡いオレンジから群青へと変わりかけていた。
 街路樹には簡易的なイルミネーションが巻かれていて、まだ明るさの残る空の下で、小さく瞬いている。
「冬ってさ、空気は冷たいのに、光はなんかあったかく見えるよね」
 恋がそんなことを言いながら、商店街へ向かう道を歩く。吐く息は白いけれど、その横顔は楽しげだった。
「……わかる気がする。夕方の光とか」
「でしょ~? ほら真白、あのカフェ。前、一緒に入ったとこ。また行こ?」
 指差した先には、ガラス張りの小さなカフェがある。店内にはすでにいくつかの席が埋まっていて、窓越しに見えるカップの湯気が、外の冷気と対照的だった。
「買い出しの前にあったまっとこ。作戦会議もしないとだし!」
「……作戦会議って、食べ物のこと?」
「そう。スイーツ戦略会議」
 そう言って笑う恋に、真白もつられて小さく笑う。
 カフェのドアを開けると、ふわっと暖かい空気と、甘い香りが二人を包み込んだ。

 カウンターでホットココアを注文し、窓際の二人席に座る。
 外では、行き交う人たちがコートの襟を立てて足早に通り過ぎていく。ガラス一枚隔てるだけで、世界がまるで違うみたいだった。
「ん~、しみる~。冬のココアって反則だよね」
 恋はマグカップを両手で包み込むように持って、一口飲んで目を細める。
 真白も、マグカップへそっと口をつける。熱が舌の上を滑って、喉を通っていく。その温かさが、胃のあたりに落ちて、じんわりと広がった。
「……こういうの、いいね」
 思わず、そう言葉が漏れる。
「でしょ? 真白と飲むココアは、さらにおいしさ二倍だからね」
 恋が当然のように言うので、真白はマグカップの縁に視線を落とした。
「二倍って……根拠のないこと言う」
「あるよー。真白がいると、“おいしい”ってちゃんと実感できるもん」
「……それは、恋がそう思ってくれてるだけだよ」
「それが一番大事なんじゃん?」
 あっさり言い切られて、真白は返す言葉を失う。
(――“平穏”って、こういうのなんだろうな)
 冷たい外と、温かい室内。
 怖いものや厄介なものが、世界から完全に消えることなんてない。でも、その真ん中で、誰かと笑い合っている時間。
 それを守るためなら、たぶん自分は、何度でもキーボードの前に座るんだろう。
 そんな考えが浮かんで、真白は小さく首を振った。
「で、作戦会議。どうする? クッキー、ケーキ、マフィン、ドーナツ……あとは?」
 恋がカバンからノートを取り出し、軽くメモを取り始める。
「予算的に、あんまり高いのは難しいから……みんなで分けやすいものの方がいい、かな」
「切り分け系か~。じゃあ、ホールケーキよりは大きめパウンドケーキとか?」
「それはいいかも。あとは、アレルギーの子いるから、原材料表示がちゃんとしてるやつ」
「さっすが真白。じゃあさ、半分くらいは安定の市販品にして、残りはちょっといいやつ混ぜるとか」
 二人であれこれ言い合いながら、候補を書き出していく。会話はすっかり「普通の女子高生」のものだった。
 その合間に、真白のスマホが、テーブルの上で軽く震える。
 画面には、学校のグループウェアアプリの通知アイコン。
「二年C組共有アドレスに新着メールがあります」と、ごく事務的な文言が表示されている。
(さっきのメール、委員向けに返信が来たのかな)
 ちらりと視線をやっただけで、真白は通知をスワイプで消した。今、ここで確認する必要はない。緊急のものなら、担任が何か言ってくれるはずだ。
「連絡?」
「ううん。クラス共有のやつ。あとで見る」
「そっか。……真白、本当に顔が柔らかくなったよね」
「え?」
「なんかさ、前より笑ってる時間が増えた気がする。黒いメールのときとか、けっこうしんどそうだったじゃん? 今も怖いのはあると思うけどさ」
 恋はストローでマシュマロをつつきながら、窓の外を見た。
「……あのとき、逃げずに話してくれてありがとね。真白が白狐のこと、昔のこと、ちゃんと話してくれたからさ。あたし、“守りたい”って思えたんだよ」
「……守りたい、って」
「うん。真白が、真白でいられるの、守るの。だから、もしまた変なこと起きても、一緒に考えよ?」
 軽く言うには、少し重たい言葉。
 でも恋は、それを日常の延長みたいな顔で口にする。
 真白は指先でマグカップの取っ手をなぞりながら、小さくうなずいた。
「……うん。ちゃんと、言うよ。何かあったら」
「よろしい」
 恋が満足そうに笑う。
 その笑顔を見ていると、自分ひとりではないという実感が、じわっと胸に広がっていく。
(……だから、さっきの画像も)
 たとえ嫌な予感がしても、それをすぐに共有できる相手がいる。
 そのことが、何よりの救いだった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

友達の妹が、入浴してる。

つきのはい
恋愛
 「交換してみない?」  冴えない高校生の藤堂夏弥は、親友のオシャレでモテまくり同級生、鈴川洋平にバカげた話を持ちかけられる。  それは、お互い現在同居中の妹達、藤堂秋乃と鈴川美咲を交換して生活しようというものだった。  鈴川美咲は、美男子の洋平に勝るとも劣らない美少女なのだけれど、男子に嫌悪感を示し、夏弥とも形式的な会話しかしなかった。  冴えない男子と冷めがちな女子の距離感が、二人暮らしのなかで徐々に変わっていく。  そんなラブコメディです。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

俺が咲良で咲良が俺で

廣瀬純七
ミステリー
高校生の田中健太と隣の席の山本咲良の体が入れ替わる話

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

小学生をもう一度

廣瀬純七
青春
大学生の松岡翔太が小学生の女の子の松岡翔子になって二度目の人生を始める話

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

黒に染まった華を摘む

馬場 蓮実
青春
夏の終わりに転校してきたのは、忘れられない初恋の相手だった——。 高須明希は、人生で“二番目”に好きになった相手——河西栞に密かに想いを寄せている。 「夏休み明けの初日。この席替えで、彼女との距離を縮めたい。話すきっかけがほしい——」 そんな願いを胸に登校したその朝、クラスに一人の転校生がやってくる。 彼女の名は、立石麻美。 昔の面影を残しながらも、まるで別人のような気配をまとう彼女は——明希にとって、忘れられない“初恋の人”だった。 この再会が、静かだった日常に波紋を広げていく。 その日の放課後。 明希は、"性の衝動"に溺れる自身の姿を、麻美に見られてしまう——。 塞がっていた何かが、ゆっくりと崩れはじめる。 そして鬱屈した青春は、想像もしていなかった熱と痛みを帯びて動き出す。 すべてに触れたとき、 明希は何を守り、何を選ぶのか。 光と影が交錯する、“遅れてきた”ひと夏の物語。

処理中です...