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2章:望執dream truth.
心の底から
しおりを挟む────直季と知り合って学園にちゃんと通い始めた頃、一度だけ魔力暴走を起こしかけた事がある。
きっかけは授業の一環で向かった図書室に置いてあった数年前程の新聞紙だった。とある中学校にて生徒が飛び降りて死亡したという内容が小さく書かれていて、その名前を見た時、オレはどうしようもなく泣きたくって。何よりも酷い頭痛で苦しかったのを覚えている。
その時は直季が慌てて先生を呼んで、先生がオレに麻酔か何かを嗅がせたことで気を失い、目が覚めた時にさ何事も無かったかのように全てを忘れていた。けど、オレはそれ以来なんでかテレビのニュースや新聞紙の類を見るのを避けていた。
認めたくなかったんだ。この場に来て全ての記憶を取り戻してなお、その事を忘れていたくらいには。
「────私はね、もう居ないんだよ勇樹」
いつものように笑い、優しい声で姉さんはオレに残酷な事を告げる。
「本当は全部分かってたでしょ?だって勇樹は昔から頭が良かったもんね。名前も知らないし顔も知らない書庫にやってくる人をお父さんだってすぐに分かってたもんね」
オレは何も言えなかった。元の世界に戻ったところで姉さんには会えないそんな現実を認めたく無くて。
「でも大丈夫だよ、勇樹」
「え……?」
「この世界なら一緒に居られるんだよ。ずっと、ずぅっといつまでも私と一緒に暮らせて、二人でご飯も食べて、あの時みたいに一緒に色んなところを歩いて回って、一緒にベッドで眠ることが出来るの。とても素敵でしょう?現実のことなんて忘れて、私と居ようよ」
息継ぎもせずにつらつらと語りかけてくる姉さんにオレは背中に冷たいものが伝っていくように感じた。
これは本当にオレが創り出した存在なのだろうか。本当にオレの心の理想が創り出した存在なのだろうか。
ずっと一緒にいようとか、この偽物の世界でずっと暮らして、現実世界を忘れろ、だなんて、オレの知っている姉さんは絶対に────
「いい加減、話したらどうだ?」
その冷たく凛とした声でハッと勇樹は意識が戻ってくるのを感じた。
どうやらずっと教室の扉の前で見ていたらしい"死神さん"が姉さんにそう言い、姉さんは恨めしそうにそいつを睨みつけていた。
「なに?まだ居たの?私と勇樹だけの楽園にいつまで土足で上がり込んでるのかな。いつもみたいに別の夢世界を渡り歩いてたらいいじゃない」
「……お前の夢世界のイレギュラーは俺だけじゃない。お前の目の前に居る奴もそうなんだよ」
冷たい声で自分に言い放ってくる姉を完全に無視してオレに語りかけてくる。
姉さんがイレギュラー?と突然何の話か分からなくて考えていると、そいつは続けた。
「さっきも言っただろ。お前の夢世界が創り出した人間は意志を持たず、俺達の行動に干渉なんて出来ないただの人形だって」
言われて見ると、姉さんはオレの"現実世界に戻りたい"という行動を引き止めている。それ以前に、この教室に来た時もそうだが、目の前の姉さんは間乃尋の姿をしていたあいつを"死神さん"と呼びかけている。死神と呼ばれたあいつの話が本当なら、この世界が生み出した姉さんは"イレギュラー"である死神を認識し、会話なんて出来ない筈だ。
「じゃあ、お前は何なんだよ……!」
咄嗟に姉の姿をしたそれを突き飛ばそうとするも、腕相撲で誰にも勝てたことがないオレの力量ではびくりともせず、姉はふふふふふふっと不気味に笑う。
「おかしな事を言うね。私は私だよ?」
「私は私なんだよ。貴方の目の前にいるのは間違いなく本物の花咲優香で、貴方を愛してやまないお姉ちゃんなんだよ。他の誰よりも貴方の事が愛おしくて、誰よりも恋しくて、誰よりも貴方に愛して欲しいと願ってる、貴方だけのお姉ちゃんだよ」
そう言いながら姉はオレをもう離さないといったばかりに強く抱きしめる。逃れようにもやはりびくりとも腕は動かず、じっとオレの目を覗き込む姉の闇が渦巻いた様な、かつての優しさなど微塵も無い真っ黒な瞳を見ることしか出来なかった。
「ねぇ、勇樹。私ね、ずっと待ってたんだよ?こうやって二人だけの世界で一緒になれるのを」
姉の手がオレの頬を撫でるのを感じる。そこに温度は感じない。
「やっと、やっとなんだよ。やっと、貴方を私だけのものにできるの。今度こそ誰にも邪魔なんてさせない」
頭の中では逃げねば、と警鐘が鳴り続けているのに、何故かオレの足は凍りついたかのように動かない。いや、理由なんて分かりきっている。
「ね、ぇさん……」
これは恐怖だ。あの誰よりも大好きで、もう一度会いたかった姉が訳の分からない違うモノに変わってしまったようで、それが恐ろしく思えてしまい、それが足に伝わっているのだ。
「大丈夫だよ、勇樹。全部、全部全部お姉ちゃんに任せて」
そう笑顔で言う姉の顔が近づいてくる。もう何も見たくなくて思わずオレはギュッと目を瞑る。どんどん吐息が近づいてくる気配を感じたその時。オレが着ているパーカーのフードが強く後ろへ引っ張られた。
「うわっ、くびっ、げほっ」
「……どうして邪魔するの?」
姉の不満そうな顔と声でどうやらフードを引っ張ったの姉曰くの死神さんだった事をオレは察する。
死神は姉の問いに答えず、オレに小さく「逃げるよ」と耳打ちをしてフードから手を離してからオレの手首を強く掴んだ。
素肌に触れたその感触に思わず恐怖を覚えて振りほどこうとする前に死神は教室から出て走り出した。
勿論姉も直ぐに追いかけてくるが、突然ピタリと動きが止まる。
「五秒間しか止められないから適当な教室に逃げ込むよ」
死神はそう言うとオレを腕に抱えて更に速く走り出す。そのまま近くの教室に入り込むと、直ぐに扉の鍵を閉めた。
少しすると廊下の方から勢いよく何かが走って向かってくる音が聞こえる。きっと姉さんが追いかけてきたのだろう。
オレと死神の二人で息を潜めて過ぎ去るのを待っていると、そのまま姉はオレ達が居る教室を通り過ぎて行った。
ようやくホッと息をつけたオレはとりあえず助けてくれた死神にさんきゅーな、と礼を告げると、「俺は何もしてないよ」と帰ってきた。
「んで、アレは一体なんなんだよ。姉さんは本物だとか言ってたけど……」
「俺も本人から聞いた話しか知らないけど、学校の屋上から飛び降りて死の間際に居た彼女はそこで『他人の夢に入り込む魔法』に目覚めたらしい。……その魔法とお前への執着が巡り巡ってこの花術で創られた夢世界へと囚われた……らしい。……だから、彼女は間違いなく本物だよ。あれが彼女が隠し持ってた本性なんだ」
「んだそれ……」
直季のお陰で治まってきた他人恐怖症がぶり返すどころか女性不信になりそうだと思いながらオレは近くの机に倒れ込んだ。夢の世界だっていうのになんだか酷く疲れた気がする。
「なぁ、オレがこの世界から出ていけば姉さんはどうなるんだよ。姉さんだけじゃなくてお前もだけど」
「さぁ。俺はどうともならないと思うけど、彼女の方は分からない。魔法と執念だけでここに縋り付いている彼女はもしかしたら消えるかもしれない。……消えなくてもお前がこの世界から出ていって夢世界が崩壊すればもう二度とお前は彼女とは会えない、とだけ言っておくよ」
「……ちなみに、さっきは詳しく聞けなかったけどそのこの世界から出る方法は何だよ」
オレがそう尋ねると、死神は「そんな難しい事じゃないんだ」と言いながら続ける。
「───ただ、この世界の事を"心の底から否定する"事……それだけだよ」
フードを被っているせいで見えないが、そう言う死神の顔は、きっとこの世界で出会った時の間乃尋の様に、冷たく綺麗に笑っているのだろう。
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