術師たちの沈黙

碧井永

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4 ~それぞれの兄

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 国都にはふたつの大きな市がある。
 市は東西にひとつずつ。
 国都は街東が高級階層区、街西が庶人階層区と色分けができていて、それは市にも反映する。西市は庶人の区画にあるため、料理屋や酒場など気安く立ち寄れる店が多い。西域人隊商が集まるのも西市の周辺なので、異国の珍しい品なども入手しやすい。今や西市の繁栄は東市を超える勢いである。
 その日、夕立の通りすぎた時刻。
 書店を目指してはん緋芭ひばは西市を歩いていた。
 ひる〈正午〉を過ぎてから久々に半休をとったので、まとっているのは普段着。深い緑色をした対襟たいきん袍衫ほうさんである。出没の変幻自在な怪盗・我来也がらいやに振り回される日々、念のため、胸には簡素な鎧をつけて腰には剣を佩いていた。
 妻に寒門かんもんを罵られ捨てられて、バツを背負ってどれほどの年月が過ぎただろう。
(未熟な頃の自分にサヨナラしたかったわけでもないのだが)
 なにしろ父親の范氏は非門閥であり、簡単に言ってしまえば没落途中の貴族。権力もなく財産もなく頼りがいがまったくない。
 文官としての立身出世は厳しいと早くに諦め、考える方向を変えて、体力勝負にでてみた。せっせと練武に励み、武挙ぶきょを受験して武官の道へ進む。それがよかったのか、たぶんよかったのだろうが出世して大兄長男を超え、今では南衙禁軍なんがきんぐん将軍を拝命している。
 それなりに悲しい思い出に浸っている緋芭であるが、感情が顔にでないため常に無表情である。野性味溢れる精悍な顔つきの偉丈夫であるから、一部の麾下ぶかからは『鉄面皮』と誤解されている。一流の武人としては決して悪い評価ではないものの、綽名あだなを知って底なしに落ちこんだ時期もあり、妹が評するとおり『ただの根暗』でもあったりする。
 結婚していた若かりし頃はまだ、汚れなき少年の心をもっていた。
 ジリ貧なりに妻を大切にしていた。別れずに済む方法はないものかとあれこれ考え、導きだした結論が、子づくり。子供ができれば夫婦仲も改善すると考えて、城外の山まで子を授けてくれるという仙人に会いにいったのだ。
(会いにいったこと自体、数年前まで忘れていたが)
 歳の離れた妹の素韻そいんがルンルンで通う書店とはどんなものか、気になって寄ってみた。
 それが忘れていた面影をよみがえらせるきっかけとなった。
 ――時を戻そう。
(あの日、山中で見かけた人物がいた)
 曇天のわずかな光にも透ける長い髪を垂らしていた。男か女かわからなかった。
 仙人の虎牢老師ころうろうしかと声をかけようとしたものの、頭に白い仔虎をのせていなかったので声をかけるのをやめてしまった。残念なことに緋芭は俗世の話題にうといために、近年の都市伝説では白い仔虎が語られなくなっていることを知らなかった。つい最近にも仙人については白い仔虎を含めて、仕事上付き合いのある青年に話してしまっていた。
 書店に寄ったとき。
 池の畔にたたずんでいた人物と、筆耕ひっこうの女人の面影が、なぜか重なった。
 阿愁あしゅうは普段から髪を顔に垂らしているが、それを払ったときにちらと覗いた横顔が時間を巻き戻させた。もぎ離そうと努力しなければ断ち切れなかった視線の先にあったのは。
 吐きだせない想いを秘めたような、冷たい顔貌。
(似ている気がする。……いいや、もう何年も前、昔のことだ)
 夫婦げんかに悩んだ日は遠く過ぎて。気がするだけの可能性のほうが高い。
(わざわざ阿愁娘に尋ねることもないだろう)
 と、沈黙しつつ。いつかはっきりするだろうか?という自分でも理解しがたい期待もあって、緋芭は書店に通ってしまっている。阿愁は無愛想だが世話好きらしく、無自覚に妹の面倒をみてくれている。庶人であっても妹の友人としては悪くないだろう。
 それに本日は書店に大切な用事があった。
「うっし」
 左手で握り拳をつくり気合をいれる。
 こればかりは忠実な副官も使いっぱしりにはできない。
 妹の注文した本の代金を支払うのが、兄・緋芭の役目であった。

「ごひいきにしていただいて。毎度ありがとうございます」
「あれ好みの新刊がでると評判になった頃にまた来る」
 支払いを済ませた緋芭は立ち上がり、片手を振った。
 将軍サマの言う『あれ』とは言わずもがな妹の素韻のことである。妹のため、読みもしない恋愛小説家の情報収集をしているらしい。
 店の入口から奥の机までは大股で歩いて十歩程度。小さな店であるから、男らしい広い背中はすぐに見えなくなった。
 いいお兄様だなと阿愁は思う。
(主に金ヅルという意味で)
 今日の緋芭にも悪意の面は浮かばなかった。真正面から会話しても、視線を逸らす必要が一度もなかったのだ。貴重な存在である。
(禁軍の将軍サマであっても清廉潔白とはいかないでしょうに)
 たぶん緋芭自身が良い人なのだ。そして、武人として優秀でもあるのだろう。
 内城区にある皇城と宮城を護るのは中央禁衛組織であり、これを「禁軍」という。
 禁軍には、北衙と南衙がある。【衙】とは皇帝の居所あるいは役所のことであり、皇帝は南面して天下を治める立場に立つから、宮城の南側に行政機関を配している。よって、皇帝を護る私軍を「北衙禁軍」と呼び、行政領域を護る国家の正規軍を「南衙禁軍」と呼ぶ。
 南衙禁軍は宰相の指揮下にある軍で、外郭〈外城〉警備も担っている。その統轄責任者が范将軍であった。
(お忙しいでしょうに。妹のために必死ね)
 妹の本代を、阿愁に払っているのは緋芭である。しかも前金でドンと支払う太っ腹。
(ひと回り以上、歳が離れているのよね)
 年齢差が余計に可愛さを増しているのだろうか。二人は同腹の兄妹だというから、夫人はがんばって産んだのだろう。
(妹想いの良い人は将軍サマ。まいったな)
 向き合って銭をかぞえている最中、いつ兄の話題をふられるかと阿愁は冷や汗ダラダラだった。指が震えているのがバレないよう、こちらも必死だったのだ。独りになった今もワキ汗が止まらない。
 阿愁の五つ歳上の兄は名を也恭やきょうといい、絶賛行方不明中である。
 兄は正真正銘の男子であるが、天才的な女装の名人である。もとが柔弱な優男であるから化粧して襦裙じゅくんを纏い、女人に扮して、女人に紛れて生活してもまったくバレなかった。裁縫も料理も得意なのでホンモノの女人から助言を求められるほどの仕上がりである。
 高度の変装は妖術に近いと捉えられ、男が女になりすます術を女装術と呼んでいる。男女逆の術もあり、これらは昔から知られていて、趣味や性癖によるものであるという。
 しかし兄は、ヘキを超えている。趣味では済まされない程度であった。
(まあ、店はそれで成り立ってるんだけども)
 この時代、くらを借りたり庫の軒下を借りたりして売買するのは珍しくない。
 阿愁も兄と二人で小突けば倒壊しそうな小さな庫を借りて書店をやっている。借りている庫の二階で二人で寝起きしていたが、兄が二十歳になった頃からだったろうか。あまり店には寄りつかなくなってしまった。とくに夜、留守にすることが増えた。
 うら若き妹を独り残してふらふら出かけるとは。
(緋芭様をみならえバカ。あたしが可愛くないっていうの)
 可愛くないのだ、承知している。それはいい。問題は女装術にあった。
 女装がバレないと調子にのった兄は、タラしこんだ男から財物を頂戴し、それを高額で売っている。女装術による不当なもうけが実質魏書店を支えているのだった。
 もらったのだから合法だが、女装術で男を騙しているのだからタチが悪い。白か黒でいえば黒に近い灰色の類いだ。范氏の兄妹に顔向けできない。
 緋芭の顔を見るたび怯えてしまうのは、悪事をはたらく兄を捕まえにきたのではと内心ヒヤヒヤしているからなのだ。実際、世の男共にいつ訴えられてもおかしくない。
(銭の回り方、やっぱりヤバいか)
 とはいえ。
 兄の助けがなければ店は家賃すら払えない。倒産してしまう。阿愁にできるのは書店の裏事情をごまかしつつ、経営を維持することだった。





《次回 消える美丈夫》


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