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翌日の夕方、夫と私は馬車に乗り込みました。
王家の晩餐会は、半年に一度、王家の城で行われます。国王をはじめ、王国の主軸を担う貴族たちが一堂に会するため、貴族社会における最重要イベントに数えられています。
馬車の飾り付けも、半年前から準備されます。私たちは今回、バロック様式の銀の装飾で馬車の側面を美しく飾り、深紅のビロードのリボンでそれを引き立てました。お祭りが終わればまた次のお祭りの準備を始めるのと同じように、私たちは常に王家の晩餐会に臨んでいるのです。
馬車の中で私たちは斜向かいに腰を下ろしました。互いに目すら合わせず、小窓から外の景色を眺めます。馬車の革の香りと馬の匂いが鼻をくすぐり、正装した夫の窮屈さを象徴するようなため息が座席に染みていきます。私も新調したドレスを身に纏っています。ドレスが身体を締め付ける感じはありませんが、この装いに喜びを感じることもまたないのです。ただ無常に時が流れていきます。
眺めたい何かが外にあるわけでもなく、私たちは互いに視線の落ち着きどころがないがために、こうして飽きるほど木々の連なりに目をやるのです。
ふと、新婚の頃を思い出しました。社交場に出かけるときはいつも、その前日には、互いの衣装を見合いました。いえ、さらにその前から、私は夫の服を選んであげていましたし、夫もまた同じようにしてくれました。あの日々が戻らないことを嘆く気持ちはありませんが、懐かしむことはできるのだなと気づきました。王家の城へ通じる道を行くと、景色は同じなのに、毎回心持ちが異なる気がします。
馬の蹄の音と車輪の音が大きく鳴り響く馬車の中で、私たちの沈黙はいっそう深くなっていました。
そんな沈黙を破ったのは、夫でした。
「昨晩、遅くまでどこに行ってたんだい?」
夫は私のほうを見ることなく、外を眺めたままこう尋ねてきました。意外でした。夫は私の外出すら把握していないと思っていたからです。
「あら、よくご存知で。私がどこに行こうが、どうでもいいのではなくて?」
夫はふんっと鼻息を漏らしました。
「今日誰かに『昨晩はどのようにお過ごしで?』ときかれたら、どう答えようかと思ってね」
「だとすると、お答えに困るのはあなただけですわ」
夫は苦笑しました。困ったなという表情の中にも、まだ余裕が感じられます。
「昨晩もそうだったが……言うようになったじゃないか。どうしたんだ、何かあったのか」
昨日のことは伏せておいてもよかったのですが、夫が関心を持っているようなので、話しておこうと思いました。いくら夫のことが気に入らないとはいえ、馬車の中まで険悪でいようとは思いませんでしたから。
「街外れにあるブナの木に行き、占いをする老婆に会ってきました」
夫は予想を裏切られたような顔をしました。そして、それまで外にあった視線を、私に向けました。
「街で噂になっている老婆か。まさか君が会いに行ったとは思わなかったよ。占いなんて……そんなくだらないものを信じてたんだな」
あざ笑うかのようにこう言うと、夫はまた外を眺め始めました。
夫の言葉に反応することなく、私も外を眺めました。もともと占い好きなわけではありませんから、占いがどう言われようがかまわないのですが、相変わらずの夫を相手にする気にはなれません。自分の理解が及ばないものは、野蛮人がやるものだとでも思っているのでしょう。
「で、どうだったんだ? 老婆に占ってもらって、幸せになったのか?」
夫はどこかうわの空で、きっと晩餐会のシミュレーションでもしているのでしょう。それでも、馬鹿にするような調子だけは崩しませんが。
「占いの結果を聞くだけで幸せになるなら、みんな幸せですよ」
夫は「くっくっく」と笑い、少し間を置いて返事しました。
「まあよかった。占いに頼るほど知性レベルが落ちたのかと思ったよ。凡人という生き物は、信じる価値のないものをことごとく信じる人間をいうのだからな」
私も夫に調子を合わせ、内心で呆れながらも表面上は明るく笑いました。
「ふふ。やはりあなたのような知性の高い方には敵いませんわね。昨晩もベッドの上で『エルキュールすぺしゃあーーる!』と奇声を発していたようですし。高貴な思考回路についていけません」
言いたいことを言う私に対し、夫は眉間にしわを寄せ、不機嫌な表情になりました。
「皮肉まで言うようになったのか。噂の老婆は、君につまらんことを吹き込んでくれたようだな」
吹き込むなんてレベルではなかったことを、夫は知りません。喜怒哀楽そのものが消えたとは、まさか思ってもみないでしょう。
城下町に入り、馬車の速度が落ちてきました。窓から見える景色は市場の明かりで華やかになり、夜空を照らす城の灯火が視線を引きつけます。
王家が誇る壮大な城門が見えました。城門は高さが数十メートルもあり、その両側に立つ二つの巨大な門柱は、ライオンの像が精巧に彫り込まれています。
馬車がゆっくりと城門をくぐりました。
王家の晩餐会は、半年に一度、王家の城で行われます。国王をはじめ、王国の主軸を担う貴族たちが一堂に会するため、貴族社会における最重要イベントに数えられています。
馬車の飾り付けも、半年前から準備されます。私たちは今回、バロック様式の銀の装飾で馬車の側面を美しく飾り、深紅のビロードのリボンでそれを引き立てました。お祭りが終わればまた次のお祭りの準備を始めるのと同じように、私たちは常に王家の晩餐会に臨んでいるのです。
馬車の中で私たちは斜向かいに腰を下ろしました。互いに目すら合わせず、小窓から外の景色を眺めます。馬車の革の香りと馬の匂いが鼻をくすぐり、正装した夫の窮屈さを象徴するようなため息が座席に染みていきます。私も新調したドレスを身に纏っています。ドレスが身体を締め付ける感じはありませんが、この装いに喜びを感じることもまたないのです。ただ無常に時が流れていきます。
眺めたい何かが外にあるわけでもなく、私たちは互いに視線の落ち着きどころがないがために、こうして飽きるほど木々の連なりに目をやるのです。
ふと、新婚の頃を思い出しました。社交場に出かけるときはいつも、その前日には、互いの衣装を見合いました。いえ、さらにその前から、私は夫の服を選んであげていましたし、夫もまた同じようにしてくれました。あの日々が戻らないことを嘆く気持ちはありませんが、懐かしむことはできるのだなと気づきました。王家の城へ通じる道を行くと、景色は同じなのに、毎回心持ちが異なる気がします。
馬の蹄の音と車輪の音が大きく鳴り響く馬車の中で、私たちの沈黙はいっそう深くなっていました。
そんな沈黙を破ったのは、夫でした。
「昨晩、遅くまでどこに行ってたんだい?」
夫は私のほうを見ることなく、外を眺めたままこう尋ねてきました。意外でした。夫は私の外出すら把握していないと思っていたからです。
「あら、よくご存知で。私がどこに行こうが、どうでもいいのではなくて?」
夫はふんっと鼻息を漏らしました。
「今日誰かに『昨晩はどのようにお過ごしで?』ときかれたら、どう答えようかと思ってね」
「だとすると、お答えに困るのはあなただけですわ」
夫は苦笑しました。困ったなという表情の中にも、まだ余裕が感じられます。
「昨晩もそうだったが……言うようになったじゃないか。どうしたんだ、何かあったのか」
昨日のことは伏せておいてもよかったのですが、夫が関心を持っているようなので、話しておこうと思いました。いくら夫のことが気に入らないとはいえ、馬車の中まで険悪でいようとは思いませんでしたから。
「街外れにあるブナの木に行き、占いをする老婆に会ってきました」
夫は予想を裏切られたような顔をしました。そして、それまで外にあった視線を、私に向けました。
「街で噂になっている老婆か。まさか君が会いに行ったとは思わなかったよ。占いなんて……そんなくだらないものを信じてたんだな」
あざ笑うかのようにこう言うと、夫はまた外を眺め始めました。
夫の言葉に反応することなく、私も外を眺めました。もともと占い好きなわけではありませんから、占いがどう言われようがかまわないのですが、相変わらずの夫を相手にする気にはなれません。自分の理解が及ばないものは、野蛮人がやるものだとでも思っているのでしょう。
「で、どうだったんだ? 老婆に占ってもらって、幸せになったのか?」
夫はどこかうわの空で、きっと晩餐会のシミュレーションでもしているのでしょう。それでも、馬鹿にするような調子だけは崩しませんが。
「占いの結果を聞くだけで幸せになるなら、みんな幸せですよ」
夫は「くっくっく」と笑い、少し間を置いて返事しました。
「まあよかった。占いに頼るほど知性レベルが落ちたのかと思ったよ。凡人という生き物は、信じる価値のないものをことごとく信じる人間をいうのだからな」
私も夫に調子を合わせ、内心で呆れながらも表面上は明るく笑いました。
「ふふ。やはりあなたのような知性の高い方には敵いませんわね。昨晩もベッドの上で『エルキュールすぺしゃあーーる!』と奇声を発していたようですし。高貴な思考回路についていけません」
言いたいことを言う私に対し、夫は眉間にしわを寄せ、不機嫌な表情になりました。
「皮肉まで言うようになったのか。噂の老婆は、君につまらんことを吹き込んでくれたようだな」
吹き込むなんてレベルではなかったことを、夫は知りません。喜怒哀楽そのものが消えたとは、まさか思ってもみないでしょう。
城下町に入り、馬車の速度が落ちてきました。窓から見える景色は市場の明かりで華やかになり、夜空を照らす城の灯火が視線を引きつけます。
王家が誇る壮大な城門が見えました。城門は高さが数十メートルもあり、その両側に立つ二つの巨大な門柱は、ライオンの像が精巧に彫り込まれています。
馬車がゆっくりと城門をくぐりました。
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