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玄関をノックしても、誰も出ませんでした。試しに扉に手をかけると、鍵がかかっていません。中を見てみましたが、エルキュールは外出しているようでした。

「なんだあんたら? 何の用があってこんなとこ来たんな?」

このあたりに住んでいると思われるお爺さんが話しかけてきました。上半身裸で、下半身だけはぎりぎり布と呼べるものを身に着けています。

私は長屋を指差しながら、「この家に住んでいる、エルキュールはどこかしら?」とききました。

するとお爺さんは大げさに体をのけぞった後、「かーーーっぺっ」っと痰を地面に吐き出しました。そしてシワだらけの顔で私たちをじっくり観察し始めました。頭頂部から足先まで舐めるように見てきたので、背筋がぞっとしました。

「なんだ。あの貴族気取りの坊やの客か。つまらんのう」

「そうよ。知らない?」

「やつがどこに行くかなんて、いちいち知ってるはずないじゃろ」

「ふーん。じゃあ……これでどう? もし知らないなら、知っていそうな人を教えて」

私はお爺さんに銀貨を見せました。お爺さんの顔が一気に紅潮し、目に活力が生まれました。

「なんとあんた……太っ腹じゃのう。よくわかっておるじゃないか。思い出すぞ……今思い出すから待っておれよ……」

お爺さんはその場で目を閉じ、思い出そうとしているのか、頭を揺らし始めました。



……。



しばらくして、(知らなそうだな)と思った私が離れようとしたとき、

「ちょっと待った。おい! アンドレ! アンドレ!」

とお爺さんが大声を出しました。お爺さんの視線の先には、薪を背負った筋骨隆々の男が歩いています。

アンドレと呼ばれた男が立ち止まりました。彼は頑健さと粗野さが混ざり合った風貌を持っています。しかし一方で、その荒々しさとは対照的に、立ち姿には何とも言えない品格が漂っていました。ただの村人ではない、というのが第一印象でした。

お爺さんはアンドレに対し、質問しました。

「貴族気取りの坊やなんじゃが、今、どこにおるか知ってるか?」

アンドレは鬱陶しそうにお爺さんを見ながらも、こちらに近づいてきました。そして、「色白のあんちゃんなら……」と言い、一瞬、空を見上げました。その顔には疲労感があり、語るべきかどうかを迷うような、躊躇する雰囲気が感じ取れました。

「なんかよくわかんねえけど、珍しく今日、山の中で見たよ。方向的に……”あの崖”の方に向かってたから……飛び降りたんじゃねえかな」

「”あの崖”ってなんなの?」

私がこう尋ねると、アンドレは訪問者である私たちを一瞥しました。しかし、大した関心を向けることもなく、淡々としています。まるで私のことを見慣れた人であるかのように、落ち着いて接してきました。

「……希望を失った人間が飛び降りる崖だよ。この辺の名所さ。ここに住む人間たちの――よりどころでもあるかな」

それを聞いてナディエが明らかに動揺し、震え始めました。

「奥様! 早く行かないと、エルキュール様が! すぐに向かいましょう!」

ナディエは居ても立ってもいられないといった様子で、私の手を引きました。私はお爺さんに銀貨を渡したあと、アンドレに案内を頼みました。

「これで、崖まで連れて行ってくれないかしら?」

私は新たに銀貨を取り出しました。

しかし、アンドレは首を横に振りました。

「そんなもんいらない。連れて行ってやるから、ついてこい」

アンドレは銀貨に少しも興味がないといった感じで承諾したので、無造作に銀貨を見せた自分が恥ずかしくなりました。彼を一目見て、この辺にいる普通の人たちとは違う何かを感じていたはずなのに、同じように扱ってしまいました。

……いえ、こんなことを言ってはいけません。

……そもそも

人にお願いするとき、すぐに銀貨を見せる私って……

…………。

これじゃあエルキュールのことを悪く言えません。無意識のうちに、嫌いな人の行動をまねている自分が恐ろしくなりました。加えて、(こんな場所にいる人なのだから)という色眼鏡で彼を見ていた自分の高慢さにも気づきました。

「本当にいいの? ありがとう」と私はお礼を言いました。

一方のアンドレは、特に気にしていない様子です。

「あんたは……旦那を探しに来たんだろ? だったらいいよ。それに……あの女とは雰囲気が違うから」

「あの女?」嫌な予感がします。

「…………」
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