【完結】初恋は檸檬の味 ―後輩と臆病な僕の、恋の記録―

夢鴉

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三章 少年共、夏を謳歌せよ

二十七話 青春と言えば、プール掃除!?

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「よく来たな、お前ら」
「“連行して来た”の間違いだと思いまーす」

 手を上げて言えば「何か言ったか?」と青筋を立てる東崎。俺は即座に「すみませんでした」と頭を下げた。

 ――気温が最も高まる、炎天下の午後。
 俺たちは今、学校のプールサイドにデッキブラシを持って立っている。講習を受けている最中、突然やって来た東崎に言われ、渋々やって来たのだ。
 隣には部活終わりの甘利がおり、陸上部のTシャツとジャージのズボンを着ている。足元は濡れないように数回巻かれている。
(俺、制服なんだけど)
 夏服とはいえ、かっちりとした服装は正直暑い。

 デッキブラシとホースを持っている東崎は、堂々とタンクトップを着て仁王立ちしている。
(教師がタンクトップっていいのか?)

「本来は八月後半に、水泳部と一緒に掃除する予定だったんだがな。昨日水を入れ替えようとしたら、水が出なかったらしい」
「なんでそんなことに……」
「俺に聞くな」

 じりじりと熱さに体が焼かれていく。
 蝉の音がうるさい。

「そこでだ。急遽掃除をして業者に見せることになった。その役目を俺たちは授かったわけだな」
「そんな使命なんかいらないんすけど」
「まあまあ。後で差し入れ買ってきてやるから」

 東崎はバシバシと俺の背中を叩いた。
 痛い。痛すぎる。これは差し入れにアイスと飲み物とお菓子を要求しないと気が済まないな。

「はぁ……まあいいっすけど。で、他の人達はいつ来るんですか?」
「ん? 来ないぞ?」
「はあっ?」

 あっけらかんとした東崎の返事に、俺は目を見開いた。

「え、いやいやいや。水泳部は? まさか俺たち三人だけとか言わないよな?」
「そのまさかだ」

 俺は勢いよく踵を返した。
 しかし、東崎に肩を掴まれ、逃げ出すことは出来なかった。

「嫌だ!! 俺は帰る! 離してください、東崎先生!」
「こんな時だけちゃんと呼びやがって……まあ、そんなに身構えるな。全部出来るとは思っていない」
「思ってないんだったらなんで引き受けたんだよ!」
「そりゃあ、こっちにも大人の都合ってのがあるんだよ」

 眉をしかめながら言う東崎に、俺は内心(意味わかんねえ)と呟いた。
 大人の事情に子供を巻き込まないで欲しい。切実に。

「今日は手前半分を綺麗に出来ればいい。向こうの汚い方は明日水泳部総出でやるらしいから」
「はあ!? 今日からいろよ!」
「仕方ないだろ。あいつら、昨日大会で、今日は休みなんだよ。貴重な選手をこき使うわけにもいかないだろ?」
「俺たちは良いんですか」

 むっとして睨みつければ、「お前たちはこの前の罰があるだろ」と言われた。
(確かにそうだけど)
 だからってなんで俺たちだけなんだ。

「それにどうせ後で掃除すんだから、今やっても変わんねーだろ」
「心の準備って知ってます?」
「掃除に準備も何もあるか」

「さっさとやるぞ」と東崎が動き出す。俺は肩を落として東崎の背を追った。
 東崎に続いてプールの中に入る。足の裏に滑ついた感覚がして、俺は思いっきり顔を顰めた。用心しながら歩けば、後ろを甘利が降りて来る。底に足を付けた甘利が、両手を広げた。

「? なんだよ」
「いえ。転んだら大変だと思いまして」
「俺は子供か!」

 プールで走り回るなんて、小学校の頃でもやったことがない。
 広げられた手をバシッと叩いて、俺はずんずんと進んで行く。もちろん、転ばないように細心の注意を払いながらだ。

「それじゃあお前たちはこっからこっちをやってくれ」
「東崎は?」
「“東崎先生”な。俺は向こうからやって行くから」

「ホースは向こうから繋げて来るから。あと、洗剤はこっちを使ってくれ」と指示を出す。角に置かれた洗剤は、ラベルが八割ほど剥がれている。
(もうちょっと綺麗に使えよな)
 マジックで『プール用』と書かれているそれを手に取れば、「何か質問はあるか?」と問われた。

「特にないでーす」
「そうか。甘利、お前は?」
「ありません。それより、わんぱく春先輩の写真を撮ってもいいですか?」
「? いいぞ。存分に撮れ」
「よくねーよ!」

(適当に返事すんな!)
 つーかワンパクってなんだ! 小学生じゃねーって言ってんだろ!
 バシッと洗剤を甘利に向かって投げる。東崎の方を向いていたくせに、器用にキャッチされた。くそ。

「先輩、いいですか?」
「いいわけあるか! スマホを構えんな! 撮るな!」
「足捲ってるの可愛いです、先輩」
「変態! 足を撮るな馬鹿!」

 パシャパシャと聞こえるシャッター音に、俺は慌ててしゃがみ込んだ。
 手で足元を隠せば、甘利の目が大きく見開かれる。

「……先輩。それわざとですか?」
「はあ? 何の話だよっ!」

 甘利を睨みつければ「何でもないです」と首を振られた。

「それじゃあ、頼んだぞ。“くれぐれも”、仲良くやれよ」

 東崎は念を押すように言うと、奥に向かって歩き出した。
 今更だが、一人だけちゃんとサンダルを履いているのがムカつく。こっちは丸腰だっていうのに。

 スマートフォンをしまう甘利を見て、俺は渋々立ち上がる。
「さっさとやるぞ」と呟けば、「はい」と甘利が頷いた。


 ホースで水を引き、洗剤と混ぜ合わせる。あとはひたすら与えられたデッキブラシでゴシゴシと擦るだけだ。
(結構汚れてんなぁ……)
 汚い場所を踏まないように気を付けながら、俺は必死にデッキブラシを動かす。
 汗が伝う。額の汗を拭えば、顎の下から汗が落ちた。

「あっちぃ……」
「先輩、大丈夫ですか?」
「んー」

「たぶん」と呟く。
 心配そうに見て来る甘利は、汗をかいているものの、自分よりもピンピンしていた。
(これが運動部と文化部の違いか)

「? どうしたんですか?」
「いや……俺も運動しねーとなぁって」
「先輩は運動嫌いなんですか?」
「え? いやぁ……どうだろうな」

 予想外の問いかけに、俺は首を傾げる。
 運動が嫌いかどうかと言われれば、そうでもない。でも、進んで運動をしようとは思ったことがなかった。

「友達と一緒にやるのは好きだけど、わざわざやりに行ったりはしないかもなぁ」
「そうなんですか?」
「なに? 俺、そんなに動きそうな顔してんの?」
「動きそうな顔かはわからないですけど、先輩、結構足速いじゃないですか」
「お前に言われるのは嫌だな、なんか」
「なんでですか」

 甘利の不服そうな声が聞こえる。だってそうだろう。大会の記録を塗り替えた上、ぶっちぎりで地区大会を勝ち抜いてきた一年エースに褒められたところで、嬉しくもない。ちなみに、県大会も優勝したらしい。昨日へたくそな写真と共に、メッセージが来ていた。
(でもそうか。結構早いのか)
 足の速さなんて中学生以来、気にしたことがない。
(鍛えれば逃げられるんじゃね?)
 何から逃げるって、もちろん目の前の爆速ゴリラである、甘利からだ。

 ジャーっとホースで水を撒く。
 洗剤を排水溝に向けて流していれば、甘利が次の場所に洗剤を撒いていた。再び二人でデッキブラシを動かす。時々水分補給に向かって、東崎から渡されたタオルで汗を拭う。……勉強しに来ただけなのになんでこんなに動いてんだ、俺。

「先輩」
「なん――んっ」

 振り返った瞬間、口元に押し付けられた何か。
 びっくりして口に含んでしまったそれは、舌の上でしゅわっと溶けた。

「……塩タブレット?」
「はい」

「今日、監督から渡されたやつです」と甘利が言う。
 自分の口にもタブレットを放り込んだ甘利は、コロコロと口元を動かした。

「こんなのも貰えんのか」
「熱中症対策で持っているそうです。特に外で部活があるときは基本一人三個配られるんですよ」
「へぇ」
「ちなみに俺のはスイカ味で、先輩のはレモン味です」

「どうですか?」と問われ、俺は首を傾げる。……正直、甘利に『レモン味だ』と言われるまで、気が付かなかった。

「んー。まあまあ? 普通に塩タブレットだなって感じ」
「そうですか」

 しゅんと肩を落とす甘利。なんでお前がしょげてるんだ。

「先輩、水分は足りてますか?」
「ん、ああ。一応な」

(つっても、もうすぐなくなりそうなんだけど)
 俺は用意していた飲み物を振り返る。昼飯の時に買ったお茶は、いつの間にか底を尽きそうだった。
(あとで買いに行くか)
 それくらいなら東崎も許してくれるだろう。甘利にパシらせてもいいかもしれない。

「! 先輩! 避けて!」
「今度はなん――」

 瞬間、顔面に水が打ち付けられた。

「ぶはぁッ!!」
「先輩っ!」

 慌てた甘利の声が聞こえる。びちゃびちゃと水が頭から滴り落ち、全身が濡れていく。
(今、何が起きた……?)

「す、すみません! 水の勢いでホースが飛んでしまって。大丈夫……じゃないですよね、すみません」
「いやまあ、別にいいけど。すげーびっくりした」
「で、ですよね」

「着替えとか……」と告げる甘利に「持ってるわけねーだろ」と答える。「ですよね」ともう一度呟き、肩を落とす甘利はどうしようと視線を彷徨わせている。

「まあ、この気温ならすぐに乾くんじゃね?」
「いえ、そういうわけには……」

 ふと、甘利の言葉が止まる。
「どうした?」と視線を向ければ、甘利の顔がみるみるの内に赤くなっていく。
(なんだ?)

「は、春先輩。少し待っててください。今ジャージ取ってきますから」
「は? なんで」
「いいから! 待っててください!」

「できれば丸まったまま!」と叫ぶ甘利。丸まったままってなんだ。
 プールサイドへと駆けて行く甘利を横目に、俺は首を傾げた。
(マジで何で焦ってんだ?)
 そんなにやばい濡れ方でもしたのかと自分の姿を見下げれば、肌着にしていたタンクトップが透けている程度で、特に問題はなかった。いや、濡れてる時点で問題だけど。

「下のやつが透けただけじゃねーか。大げさだな」
「っ、何言ってるんですか! 肌着っていうのはつまり下着ですよ!? それが透けてるなんて……破廉恥だと思いませんか!?」
「お前が何言ってんだよ」

(破廉恥ってなんだ、破廉恥って)
 ジャージとタオルを抱えた甘利が、とんでもないと言わんばかりの勢いで叫ぶ。そう思うなら、ちらちら見てんじゃねえよ。

 俺はため息を吐き、ふと足元に転がっているホースを見た。ずっと垂れ流されていた水が、プールの底を濡らしている。
(……)
 俺はおもむろにホースを手に取った。甘利を見れば、彼は俺に背を向けながら梯子を下りている。

「甘利!」
「なんですか――――っ!」

 振りまくようにホースを動かせば、バシャッと勢いよく打ちあがった水が甘利にヒットする。
 頭から豪快に濡れた甘利は、その場に立ち竦んだ。ぽたぽたと水が髪を濡らしている。

「これでお相子だな」
「……先輩」
「あーあー。髪もへたっちまって、せっかくのイケメンが台無しだなあ?」

 甘利の髪を伝う雫が地面に落ちていく。結構な量を被ったのか、いつものふわふわした癖毛がぺしゃんこになっている。俺はわざと煽るように言葉を紡いだ。
(これで甘利も変な責任持たなくていいだろ)
 いやー、いい先輩したなー。

 ちらりと甘利を見れば、俯いたまま動かない。
 ちょっとやりすぎたか? と顔を覗き込めば、甘利の目が俺を捕えた。

「……やりましたね、先輩」
「おわっと!」

(こっわ! 目が笑ってねーんだけど!?)
 伸ばされた手に、俺は反射的に手を引き、飛び退いた。しかし華麗な足捌きで甘利がホースを蹴り飛ばし、掴んでいたホースがこぼれ落ちる。

「あっ!」

(やべえ!)
 大きくうねったホースが、水を撒きながら甘利の手元にキャッチされた。
 形勢逆転だ。

「お返しです!」
「うわっ!」

 ホースの水がぶっかけられる。
(こいつ! 卑怯だ!)
 こっちはもうずぶ濡れなのに! 濡れた服のせいで体めっちゃ重いのに!

「お前ッ! 仕返しに仕返しはないだろ!」
「フッ。春先輩はその程度ですか?」
「にゃろ……っ!」

 俺は東崎のいる方へと向かった。
「おい、何してんだ!?」と声を上げる東崎を他所に、俺は「これ貸して!」とホースをひったくる。そのまま甘利に向かってホースの口を絞れば、勢いよく水が飛び出した。

「ッ!」
「ふはは! ざまーみろ! 先輩を舐めるなよ!」

 足早にプールサイドに上がり、蛇口を捻る。水がよりホースの中を強く流れ出る。
「おりゃっ」とひっかければ、甘利が慌てて避けた。髪を鬱陶しそうにかき上げる。整った顔に雫が流れる。

「っ、ずるいですよ、春先輩!」
「こういうのはやったもん勝ちなんだよ」

 悔しそうな甘利。俺は強化した武器を手に、にやりと笑みを浮かべた。
 どこかでゴングが響く。

 俺たちはホースを振るい、水をかけ合った。

「こら! 避けんな!」
「先輩も避けないでくださいよ!」
「断る!」
「じゃあ俺も逃げますね!」

 甘利は弱い武器なりに巧みに使い、応戦してくる。
 俺はそれを避けつつ、威力を増した武器で甘利を迎え撃つ。

 上半身はびしょびしょ。ズボンも水を吸って足に張り付いてくる。しかし、俺たちは夢中になって互いへホースを向け続けた。
 どうやったら相手を多く濡らせるか、相手を困らせることが出来るかというくだらない遊びは、プール掃除なんてつまらない出来事よりも百倍面白い。
(絶対に勝ってやる!)
 意気込みを新たにホースを構えて――俺は水が止まっていることに気付いた。甘利の方も、水が止まっている。

「あれ?」
「おーい、お前ら。もう存分に遊んだだろ。そろそろ仕事に戻れー」
「げっ、東崎」
「東崎“先生”だろ」

 第三者の声に振り返れば、プールサイドに東崎が立っている。
 いつの間に避難したのか、東崎は一切濡れた様子もなく蛇口の付近に立っている。武器を無効化したのは、東崎だったらしい。
(ちぇ、良い所だったのに)
 口を尖らせれば、肩に掛けられるジャージ。甘利の部活用ジャージだった。
「何?」と顔を上げれば「一応着ておいてください」と甘利が言う。ジャージは少し濡れていたものの、自分たちの服ほどじゃなかった。正直暑かったが、甘利の『肌着は下着』発言を思い出して、肩に引き寄せた。ちなみに甘利はシャツが黒なので透けてすらいない。むかつく。

「せんせー、つかれたー」
「遊んでただけだろ。ったく……仕方ねぇな。アイスでも食うかー?」
「食う!」
「食べたいです」

 意気揚々と頷く俺たちに、東崎は「現金な奴らだな」と後頭部を掻きながら、手に引っ提げていた袋を漁った。
 俺たちはプールサイドに上がると、差し出されたアイスを受け取る。みんな大好き、ガリゴリ君だ。

「なんだよ、ダッツじゃねーじゃん。ケチ」
「食わないなら返してくれていいぞー」
「いただきまーす」

 アイスの袋を開け、中を取り出す。ソーダの爽やかな匂いが冷気と共に漂ってくる。
 歯を立てれば、しゃくりと音を立てた。

「うーまっ!」
「はっはっは。俺に盛大に感謝しろよー」
「ありがとうございます」

 しゃくしゃくとアイスを咀嚼しながら、適当にお礼を告げる。
 隣にいる甘利も、無言でアイスを食していた。甘利のは洋ナシ味だった。東崎は持ってきた袋をごそごそと漁っている。

「……なぁ、甘利」
「はい?」

 俺は声を抑え、甘利の袖を引っ張った。
 首を傾げる甘利に「ちょっと耳寄越せ」と告げる。寄せられた耳に、俺はこそこそと耳打ちした。甘利の目が見開かれる。きらりと好奇心が光るのを見て、俺はにやりと笑った。

「なー、東崎先生―」
「なん――ぶっ!」

 バシャッとホースから吹き出した水が、東崎の顔面を捕える。ぽたぽたと垂れる水が、袋の上に落ちて独特な音を立てた。
 俺は吹き出し、蛇口付近にしゃがみ込んでいた甘利とハイタッチした。

「甘利、ナイスー!」
「ナイスです、先輩」
「ッ~~~!! おーまーえーらぁ~~??」

 地の底から這いあがってくるような声に、俺たちは「やべっ」と後退する。
 ぴくぴくと青筋を浮かべた東崎が顔を上げ、睨みつけてくる。俺たちは脱兎の如く逃げ出した。

「スンマセーン!」
「謝って済むなら警察なんかいらねェんだよッ!!」

「「うわああー!!」」



 ――その後。
 東崎の気が済むまで追い回された俺たちは、様子を見に来た西田先生に見つかり、コテンパンに怒られる羽目になった。

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