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四章 残された時間
五十話 ジンクス
しおりを挟む「疲れた……」
「大丈夫ですか?」
蹲る俺の頭から装飾品の欠片を取りながら、甘利が言う。
心配そうに見つめて来る視線に、俺は居た堪れない気持ちになりながら「大丈夫……」と呟いた。
「まさかセット全部なぎ倒すとは思わねーじゃん」
「まあ。うちのクラスまで響いてましたよ」
「う゛っ」
甘利の言葉に、俺はばつが悪くなって視線を逸らす。
――あの後。
クラスの片づけをしていた俺は、甘利との別れ際の動揺で足を縺れさせ、看板から門構えから、全部なぎ倒してしまったのだ。全部壊す予定だったからよかったものの、もしこれが文化祭前だったらと思うと、ぞっとする。
「……お前の方はどうなんだよ」
「何のハプニングもなく、終わりましたよ」
「くっそ」
何かこの羞恥を分けることが出来ないかと思ったが、どうやらそう上手くはいかないらしい。
(あーもう! 切り替え切り替え!)
俺はパンッと自身の両頬を叩く。見ていた甘利が驚いたように肩を跳ね上げ、「だ、大丈夫ですか!?」と声を上げる。おろおろし始める甘利を「落ち着け」と宥める。
「それより、これからどこ行くんだ? グラウンドで舞台でも見に行くか?」
「あ、いえ。ちょっと行きたいところがありまして」
「?」
行きたいところ。
俺は心の中で甘利の言葉を反芻する。甘利にそんなところがあるなんて、思っていなかった。
(あの俺と陸上以外無関心な甘利が……!)
これが成長か、なんて父性に溢れていれば、「行きましょう」と手を引かれた。
階段を上がり、踊り場を折り返して、更に上へと上がって行く。
(この道のりは……)
「な、なあ。このままいくと屋上に行くんだけど」
「はい。そこが目的地なので」
「? 屋上は鍵閉まってるだろ」
首を傾げて言えば、甘利はしたり顔で振り返った。指先には、『屋上』と書かれた鍵がぶら下がっている。
「お前っ、それどうしたんだよ!?」
「部長……元部長が貸してくれました」
「生徒会長!?」
(アイツ何してんだ!?)
無断で屋上の鍵を一年に渡すなんて、正気じゃない。
「オフレコで、だそうです」と言われたが、それ以外に取る選択肢はないだろう。
(告げ口したらなんで知ってるのか問い詰められるのがオチだろうし!)
そんなの墓穴を掘るのと変わらないだろ。
屋上の扉の前に辿り着くと、甘利は手際よく鍵を開けた。
扉を開けば、ぶわっと秋風が吹き抜けていく。
「行きましょう」
「あ、ああ」
手を差し出され、俺は無意識に受け取ってしまう。
初めて降り立った屋上に、ドキドキと心臓が高鳴る。
非日常への興奮と、入ってはいけないところに入っているという背徳感、そして高い所にいるという高揚が一気に体を駆け上がってくる。
「フェンスの近くには寄らないでくださいね。もしかしたら見つかってしまうので」
「あ、ああ」
「こっちです」
慣れた様子の甘利について、俺は屋上の人目に付かなさそうな場所まで連れて行かれる。
その間も、心臓はドキドキと脈を打っている。
(すごいな)
この学校、こんな景色があるのか。
写真に残したい、と甘利の手を離し、スマートフォンを取る。カシャカシャと写真を撮っていれば、「ふはっ」と吹き出した声が聞こえた。
振り返れば、笑いを堪える甘利の姿が。
「ふふっ、やっぱり。先輩なら一番最初にそうすると思ってました」
「っ、わ、悪かったな!」
「いえ。そういうところが……」
甘利は言いかけて、止める。
(あれ)
俺は続くと思っていた言葉が続かないことを不思議に思って、首を傾げた。
甘利は眉を下げ、「先輩、こっちへ」と手を広げる。まるで戻って来いと言われているようで、俺はむず痒い気持ちになった。
「な、なんで俺が行かなきゃなんねーんだよ」
「それもそうですね」
「!」
後ろから甘利の体温がする。
ぎゅうっと抱きしめられ、俺は身体を強張らせた。
「ちょっ」
「少しだけ、このままで」
(こ、のままって……!)
俺はじわじわ込み上げる熱を、どうにか逃がそうと身を捩った。しかし、それも甘利の腕に抱え込まれてしまっては意味がなかった。
遠くでたくさんの人の歓声と、音楽が聞こえて来る。
まるで、この場所が世界から切り取られているようで。
「先輩。俺と先輩が出会って、今日で半年が過ぎました」
「えっ、あ、そう、なのか」
「はい」
淡々と話す甘利。そんなの、全然気づいていなかった。
「先輩は知ってますか?」
「何が」
「この文化祭で最後に上がる花火があるでしょう。その花火の下で告白すると、想いが叶うって言うジンクスがあるそうです」
「へ、へえ」
「何でもいいそうですよ。『もっと早く走りたい』とか『勉強が出来るようになりたい』とか」
「告白をして、付き合った人たちもいるそうです」と耳元で甘利の声が聞こえる。
俺は自分の体温が上がって行くのを感じた。
(や、ばい)
「あ、甘利、離し――」
「先輩。俺の気持ちは、あの時から変わっていません」
ドクン、ドクン。
心音が大きくなっていく。耳元に心臓があるんじゃないかと思うほどの緊張感に、俺は身を捩った。
「あ、甘利!」
「逃げないで。先輩」
「ッ、!」
心音が大きく響く。
(こんなん、甘利に伝わる……ッ!)
蓋をしていた自分の気持ちが、想いが、バレてしまう。
「先輩」
甘利の腕が離され、肩を掴まれる。振り向くよう促され、俺は僅かに抵抗した。
「先輩、こっち向いてください」
――けれど、情けない甘利の声に、俺はゆっくりと振り返ってしまう。
緊張した顔だ。
最初に告白して突撃して来た人物と同じには思えない。
俺はこの後彼が何をする気なのか、想像がついてしまった。
「この半年、先輩の事をたくさん知れたと思います」
「っ」
「まだまだ足らない。先輩と一緒にもっと居たいと思うんです。出会ってからずっと、先輩を好きじゃなかった時なんかありませんでした」
真撃な声に、俺は息をすることも出来ない。
「まだまだ半年じゃ足りないと思います。写真もまだ撮ってもらえてません。……でも、先輩を知って、俺はもっと先輩を好きになった。明るくて真っすぐで、正直な先輩も、ちょっとひねくれている先輩も、全部俺が一番近くで見て、支えたいって思うんです」
ヒュー……と、どこからかか細い音が聞こえる。
「先輩には、迷惑かもしれません。それでも、伝えたい。時間がないんです」
甘利の手が、俺の肩から離れる。緊張で冷えた指先が俺の首を伝って、頬に触れた。
空に大輪の花が咲く。
色とりどりの光が、甘利の横顔を照らし、目を照らした。
「春先輩が好きです。俺と付き合ってください」
世界に、たった一人の声が響く。
頬に触れた手が、緊張で震えているのがわかった。
「……ごめん」
小さく呟いた声に、甘利が息を飲むのがわかる。甘利の目が悲しそうに歪んだ。
(ああ、くそ。泣くなよ)
「……大丈夫です。分かってましたから」
「……うん」
「こんなところに連れて来てしまって、すみません」
「……いや」
「先輩。最後に、抱きしめてもいいですか?」
甘利の言葉に、俺は答えなかった。
代わりに甘利の身体に自ら擦り寄っていく。驚いた甘利が、ぎこちなく俺の背中に手を回した。
弱弱しかった腕が、ぎゅうっと強く俺を抱き締めた。体が軋むのを感じながらも、俺は何も言わなかった。
「先輩。先輩、はる、せんぱい……っ」
「……うん」
「好き。好きです。本当に、だい、すき、です」
甘利の声がしゃくりを上げる。
縋るような腕が、俺を離したくないとばかりに抱きしめた。
「ごめんな。ごめん」
俺は甘利の頭を撫でる。この、ふわふわの髪がお気に入りだった。
甘利の体温も、本当は嫌いじゃない。
(でも、ごめんな)
俺は甘利が落ち着くまで、甘利の頭を撫で続けた。
『これにて、××××年の文化祭の全項目が終了いたしました。みなさん――――』
後夜祭のアナウンスが響く。歓声が下で沸き立っているのが聞こえた。
しばらくして、もぞりと甘利が動くのを感じる。
甘利は顔を上げると、赤くなった鼻先を啜った。「イケメンが台無しだな」と笑えば、痛々しそうな顔で「そう、ですね」と答える。
「……春先輩」
「ん?」
「俺の話、最後まで聞いてくれて、ありがとうございます」
甘利の言葉に俺は小さく返事をした。
それ以降、俺たちの間に会話は無かった。
消灯された学校をそっと抜け出し、施錠前の教師用の出入り口から足早に学校を出る。スポーツ寮の前まで甘利と共に夜道を歩いた。
今までで一番長い帰路だったと思う。見えて来たスポーツ寮に、ほっと息を吐き出してしまうくらいには。
「それじゃあ、またな」
「はい」
甘利に手を振り、俺は駅へと向かう。
歩いていた足が駆け足になり、次第に全力で走る。
「はぁっ、はぁっ!」
荒い息が肺から込み上げる。冷たい空気が喉を突き刺し、脇腹が痛む。
(泣くな。泣くなって言ってんだろ……っ!)
ボロボロと零れていく涙を強引に拭う。
フった俺に、泣く資格なんかない。わかっている。わかっている、のに。
心臓が痛い。呼吸が苦しい。冷たい秋風が吹く度、世界が俺を責めているようにすら感じる。
走っていた足は止まり、俺はその場に蹲った。
「ふ……っ、くっ……ぁ……!」
零れる涙が止まらない。
脳裏を過るのは、甘利との今までの日々。
『好きです、先輩』
『先輩、こっち向いて』
『春先輩』
『春先輩が好きです。俺と付き合ってください』
「っ、れも、すき、だよ……ッ!」
好きだ。好きだ、甘利。
いつからか、なんてわからない。それでも、俺はお前を好きになった。
「でもっ、俺じゃ、駄目だろ……ッ!」
こんな、黒い感情で甘利の好きに答えるなんて、出来ない。
誰かといれば、嫉妬してしまう。
今日だって、白川と話している姿を見て嫉妬した。陸上部の連中と楽しそうにしているのを見て、「俺と一緒に居る時の方が」ってマウントを取りたくなった。生徒会長の『甘利を知ってます』という態度にも、ずっとムカついてる。
(お似合いだって言われてる美浦さんにだって、「そいつは俺の事が好きだから」って言いたくなるし、無視されてる女子を見るとスカッとしてしまう)
甘利の隣にいる限り、俺はこの感情に飲まれてしまうし、振り回される。甘利だっていつ被害者になるかわからない。
(俺はすぐに卒業するし、その後に他の人に気を許した甘利を見るなんて、絶対に耐えられない)
甘利はこれからきっとどんどん魅力的になる。それに惹かれない人間なんているわけがない。
結局は自分が可愛いのだ。可愛くて、傷つきたくなくて、俺は甘利を傷つけた。分かってて、逃げた。俺は臆病者だ。
さっきの告白も、俺は嬉しいと思ったのと同時に「やっぱり、こいつは俺の事が好きなんだ」って優越感を得てしまった。
甘利はあんなに真っすぐに伝えてくれたのに、自分の強欲さにぞっとした。
(そんな性格の悪い俺が、あんなに真っすぐで、綺麗で、強い甘利の隣に立てると?)
――そんな馬鹿な話があるか。
夢だ。幻想だ。
絶対にいつか見破られる。俺の黒い腹の内に幻滅した甘利なんて、見たくない。
「お前に幸せになって欲しいんだよ、俺は……っ」
俺は地面を殴る。
行き場のない怒りを、感情を、どうしたらいいかわからなかった。
甘利の気持ちに応えられない自分が情けなくて、好きな奴をあんなに傷つけた自分が許せなくて、俺は何度も何度も地面を殴る。コンクリートで手の甲が汚れ、血が出てもお構いなしだった。
(ごめん、ごめんな、甘利)
出会ってごめん。お前の前に出て来ちゃってごめん。
――好きになって、ごめん。
「なあ。好きだよ、甘利」
お前には絶対に、口が裂けても言えないけど。
強欲ついでに、言えない俺を許して欲しいと思う自分は、本当に救いようもない。
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