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五章 アルファの家系
35-1 嵐の前の美しさ
しおりを挟む――クリスマス当日も、レストランは賑わっていた。
通常のコース料理と、限定アフタヌーンサービスが交互に出るような状況で、ホールはてんてこ舞い。
短期間で作った新商品のデザートはひっきりなしに出ている。
まさかここまで世間に受け入れられるとは、思ってもいなかった。
(あんな急ごしらえだったのに)
スムーズに店が動いているのも驚きだ。
スタッフ一人一人の能力が高いが故の結果だと思っている。
そして、匠海のいう『一人単価を上げ、利益を得に行く』というスタイルは、このレストランでは良い方法として当てはまったらしい。
お陰で目標達成まであと一息というところまで来ていた。
「暁月くん」
優しい声色に振り返れば、ベレー帽を被った蜜希さんと目が合う。
黒いベレー帽はこのレストランの制服で、白い制服と一緒に来てもらっている。
蜜希さんは急遽入った助っ人なので、制服の数が足りず、ホールと同じ格好をしてもらっているのだ。
「今日も手伝いしてもらってありがとうございます、蜜希さん」
「そんなに畏まらなくてもいいのに。それに、僕ができることってこれくらいだし」
そんなことはない。蜜希さんはいるだけで俺の心に貢献している。
……そう言ったところで、蜜希さんが納得しないことはわかり切っている。
しかし、嘘を言っているわけでもないことは理解してほしい。
出なかったら途轍もない激務に、俺は今頃押し潰されかけているだろう。
彼がいるおかげで、俺は最後まで乗り切ることができる。それは紛れもない事実だ。
「成果はどう?」
「ぼちぼち、ですかね。去年のデータが見れないので、何とも言えないんですが……」
「見れないの?」
俺は苦い顔で頷く。
売り上げに関しての詳しい内容を見るのには、指定のアプリで社員としてのログインが必須だ。
しかし、俺にはそれがまだ配布されていない。当然だろう。俺はただのアルバイトなのだから。
(あんな条件を出すくらいなら、情報収集くらいさせろよな)
俺が作戦を練る上で躓いていたのは、このせいでもある。もちろん、話は聞いていたから、大方の売り上げは股聞いていたけど。
(もし、これだけやっても超えていなかったら――)
そう思うだけで胃がキリキリしてくる。
……祖父に言ったら『アルファはそういうプレッシャーにも負けない事が大事』だとか『結果なんて出せて当然なのだから、必要ない』とか言われそうだけど。
そう愚痴るように呟けば、蜜希さんが顔を引き攣らせていた。
気持ちは大いにわかるけど、蜜希さんがこうも顔に出すだなんてちょっと珍しい。
「あの人に普通の感覚っていうのは通用しないんで」
「うわあ……なんていうか、思った以上だね」
「でも、実力はある人なんです。……だからこそ、厄介なんですけどね」
たった一代で莫大な資金を得て、それを今も尚動かしている。
何千人もの人の生活を担い、責任を果たし続けている。
そしてそれを人の上に立つ『アルファの責務』なのだと、彼は昔から重ね重ね口にし続けている。
(俺は本当に、上辺しか見ていなかったんだな)
向き合うようになってからわかったこと。
何とも浅慮で子供だった自分の、幼稚で馬鹿な行動の数々。それでも間違いだと思えないのは、彼の信条が『アルファ主義』だからだろう。
「暁月くん、どうしたの。黙り込んで」
「あ、すみません」
「いや、それは全然いいけど」
「呼んでるよ」と言われ、俺は指された方へと視線を向ける。
蜜希さんの細い指の先には、スタッフが困ったような顔で俺を見ていた。
俺はパソコンを閉じると、蜜希さんに一言告げ、フロアへと戻る。
いろいろ考えることはあるが、まずはこの大きな山を乗り切るのが先決だ。
俺は気を引き締め直した。
フロアは相変わらず大盛況だった。
あちこちで写真撮影が行われ、料理に舌鼓を打つ人がいて、子連れの奥様たちがティータイムを楽しんでいる。
時間制とはいえ、各々が楽しそうにこうして過ごしているのを見ると、微笑ましい。
スタッフは困ったような顔で呟く。
「すみません、お仕事中に。実は、凛さんを呼んできてくれって言われまして」
「俺を?」
オーナーである兄さんを指名しているならわかる。
今まで幾度となくそういう時があったからだ。
知らない海外の人が来たり、どこどこの会社の取り締まり役や重役が来たり。
それでも俺を指名してくる人は今までいなかった。
なのにこのタイミングで俺? ……嫌な予感がする。
しかしその期待を裏切るように、出入り口に見えたのは幼馴染の姿だった。
「よ、凛。大盛況だな」
「匠海……! 来てくれたのか!」
クリスマス当日は用事があるといって来れないと言っていたのに。
「近くを通ったからな。どうなっているか気になって」
「そうだったのか。言ってくれれば席取っておいたのに」
「いいよ。今は一人でも入って欲しいだろ」
匠海はカジュアルスーツの襟元を整えながら言う。
俺は気遣ってくれたことに感謝しながら、匠海を裏へ案内する。匠海は店内を見回しながらついて来た。
「それにしてもSNSの宣伝は予想外だったぞ。お前、あんなに写真苦手だったのに、どういう心境の変化なんだ?」
「ああ、アレは蜜希さんのアイディアなんだ」
「ほう。蜜希さんの」
匠海は感心したように呟く。
俺は蜜希さんの提案を匠海に話した。戦友である彼には蜜希さんの活躍も知っておいてほしかったのだ。
「へぇ、あの人がなぁ。そういう流行とか知ってそうには思えないけど」
「空いてる時間を使って調べていたんだと。すごい人だろ。旅館でもいろいろと教えてくれたんだぞ」
「お前に教えられる人がいるとはなぁ」
「どういう意味だ?」
にやりと笑う匠海に、俺は目尻を吊り上げる。
目を合わせ、どちらともなく笑った。
ここ数日で、一番心が軽い気がする。
蜜希さんとは違う安心感が彼にはあるのだ。
「暁月くん」
「蜜希さん、どうしました?」
ふと背後から声をかけられ、俺は振り返る。
「まだ休憩してて大丈夫ですよ」と告げるが、蜜希さんは俺を通り越して匠海を見ていた。
じっと見つめる視線。何も言わないのがちょっと怖いくらいだった。
(どうしたんだ……?)
いつも笑みを絶やさない蜜希さんがこんな対応をするのを見るのは、初めてだった。
「蜜希さん?」
「……ああ、もしかして、この前の?」
蜜希さんが呟くと、匠海はにこりと笑って手を差し出す。
蜜希さんの顔がすぐに笑みを返した。
「どうも、この前ぶりです。俺のこと、覚えてますか?」
「もちろん。いろいろ、衝撃的だったからね。名前は……街風谷だったよね」
「覚えててくださって嬉しいです。改めて、街風谷匠海です。よろしくお願いしますね、蜜希さん」
「僕の方こそ、覚えてもらってるみたいで嬉しいな」
にこにこ。にこにこ。
まるで作り終えたお面を向かい合わせているような状況に、俺は首を傾げた。
握手をしているのに、それすらも相手を測っているようにしか見えない。
(なんだ、これ)
同じだけ頼りにしている人が二人、睨み合っている。その事実に、俺はどうしたらいいのかわからなくなる。
俺としては仲良くして欲しいのだけど。
「えっと」
「そういえば、暁月くんはちゃんと街風谷くんにお礼言ったの?」
「え?」
「この前、酔っぱらって帰って来た時」
ああ、と俺は声を上げる。
「もちろんです」
「そっか」
「大丈夫ですよ。俺は凛とは長い付き合いですし、そのくらいのことは」
「『そのくらいのこと』が募ると怖いってことは、僕よりもアルファである君の方が知ってるんじゃないかな?」
蜜希さんの言葉に、匠海は「それもそうでしたね」と呟く。
とげとげしい会話に、本当にどうしたのか聞きたくなってしまう。
しかし、それを許さない雰囲気が二人の間には流れていた。
俺はどうしようもなく二人の会話が終わるのを待つ。
「それじゃあ、またどこかで。凛、悪いけどそろそろ時間だから、帰るな」
「お、おう」
「僕もそろそろ仕事に戻ろうかな」
二人は同時に立ち上がると、休憩室を出て行く。
ドアの小窓には、軽く挨拶を交わしたであろう二人が、左右に分かれていく姿が見える。
「……本当に、なんだったんだ?」
最初から最後まで、二人は敵対したような雰囲気のままだった。
匠海も蜜希さんも、お互い争いを好むような性格じゃないから余計に不思議でしかない。
(そういえば、蜜希さん、やたらと匠海との事を知りたがってたな)
もしかして、蜜希さんは匠海の事を……?
ぞっとした。
想像したことを後悔するくらい、あり得ないでいて欲しい光景だった。
(違う、よな?)
それは無い、大丈夫だ。うん。
じゃなかったらあんなに喧嘩腰にならないだろうし。
冷や汗が背中を伝う。
ぐるぐると思考が回る。
同時に目も回りそうだった。嫌なことを想像しすぎて、頭が痛い。
ふと、「凛く―ん」と自身を呼ぶ声が聞こえた。
時間を見れば、もう休憩時間はとっくに過ぎている。忙しいところを抜けさせてもらった手前、遅刻はしたくなかったのに。
俺は二人の事を一旦頭の片隅に置いておくことにして、慌ててフロアへと出た。
ディナーは予定通り始まり、提供は滞りなく流れていく。
暗くなる窓の外にはいつの間にかちらちらと雪が降っており、「ホワイトクリスマスだ」と口々に言う人々の声が聞こえてきた。
(ホワイトクリスマス、か)
去年は雪なんか降っても何も思わなかったのに、今はなんだか感傷的になってしまう。
忙しくて疲れているからだろうか。それとも――――。
ちらりと蜜希さんを盗み見る。
(どうせなら、蜜希さんとゆっくり過ごしたかったな……)
せっかくこっちに来てくれているのに、なんだか自分の問題に巻き込んでばっかりな気がする。
今日はホールの手伝いをしてくれている蜜希さんは、窓の外を見ながら他のスタッフと楽しそうに話をしている。
たらし込まないでくれって言ったばかりなのに。
蜜希さんの魅力は、やはり抑えられるものじゃないらしい。
俺は内心不貞腐れながらも、やることに全力を費やした。
予約のお客さんが思ったよりも早く帰ったので、来店した人たちを交えながら、レストランの営業時間は進んでいく。
刻一刻と近づいて来る、終了の時刻。
俺は結果を見ることをやめた。緊張で心臓が握りつぶされそうだったからというのもあるが、どうせなら最後まで皆と楽しみたかったからだ。
報告は後日になってしまうだろうが、そんなことで怒る人はいないと思う。
俺は他の事を考えることもせず、お客さんを最高の笑顔でもてなし続けた。その度に写真に誘われてしまうのは、困ったものだったけれど。
そんな中でも、蜜希さんの存在は目で追ってしまう。
雪は未だにちらついている。傘は休憩室に忘れ物がいくつか残っていたはずだ。
(帰りに、蜜希さんに歩いて帰らないか、提案してもいいだろうか)
ケーキもチキンもない――ケーキはコンビニなんかで調達できるかもしれないけど――簡素なクリスマスになるだろうけど。
蜜希さんとなら、きっとそれも特別だろうから。
「暁月くん? どうしたの?」
「蜜希さん、あの――」
俺は蜜希さんの手を取った。
水仕事で冷たくなった指先がじんわりと俺の手の熱を吸って、温まっていく。
蜜希さんは俺の言葉を聞くと、ふはっと軽く笑った。――海で見た時の、笑顔みたいだ。
「いいよ、一緒に歩いて帰ろうか」
「! はい!」
胸の奥が熱い。幸福で満たされているのが、自分でもわかる。
(よかった)
俺たちは二人で傘を差し、暗くなったレストランを後にする。
街に人の姿は少ないのに、ネオンのライトだけが輝かしく光り続けていた。
俺たちはコンビニにケーキがあるか確認をしながら帰ろうと話しながら、二人だけの道をゆっくりと歩いていく。
寒いはずの身体が、その日はどこまでも温かかった。
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