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五章 アルファの家系
35-2 地獄からのお迎え
しおりを挟む幸せの温度はかけがえのないものだと思う。
儚くて、美しくて、瞬く間に終わってしまう光。
まるで幸せは雪のようだと、小さい頃に思ったことがある。触れてしまえば溶けてしまう、白い結晶。
ハラハラと落ちて来る雪の中。
そんな感傷に浸ってしまうのは、隣に蜜希さんがいるからだろうか。
――それとも。
「凛様、宵月蜜希様。暁月家当主がお呼びです」
部屋のあるマンションまで、あとわずか数メートル。
そこで待ち受けていたのは、閻魔からの遣い――覚だった。
黒いスーツに黒いコートを羽織っている。
後ろには黒いベンツがあり、俺たちを闇夜に誘おうとしているようだった。
「……どうしてここに」
「無論、当主様のご命令です」
覚は頭を垂れたまま、動かない。微動だにしない姿に、俺は頬が引き攣るのを感じた。
(何故。このタイミングで)
最高の気分がぶち壊されたことに、とてつもない苛立ちが込み上げて来る。
「誰?」と蜜希さんが首を傾げる。俺は「一応、知り合いです」とだけ答えると彼の前に出た。
蜜希さんの前に手を出し、壁を作る。
「彼は関係ない。行くのは俺だけでいいはずだ」
「それを判断するのは私でも、凛様でもございません。ただ一つ言えるのは、蜜希様もお連れするよう、当主様が仰せになったことだけです」
「主人の暴走を止めるのは、秘書の役目じゃないのか」
「残念ながら、私にそのような発言権はございません」
暖簾に腕押し。糠に釘。
そんな諺が、頭を過る。俺は奥歯を噛み締めた。
百歩譲って、俺が行くのは構わない。
俺が嫌な思いをするだけだ。だが、蜜希さんを祖父に会わせるのだけは、許されない。
絶対に。何があってもだ。
(蜜希さんを傷つける奴は、誰であろうと近寄らせない)
このまま走り抜けるか? 幸い、このマンションの所有者は兄さんだ。すぐには連絡は行かないだろう。
覚がこの場を離れた隙に、蜜希さんと一緒に家を出ればいい。
そして一旦、遠くに逃げよう。
蜜希さんにも迷惑をかけることになるかもしれないが、あのクソジジイと会わせるよりはよっぽど気持ちが軽いはずだ。
(匠海に連絡をすれば、もしかしたら足くらいは出してくれるかもしれない)
そうだ。
彼なら理由を離せば、力になってくれるやも。
俺が密かに逃走経路を練っている中、覚はじっと俺たちを見つめたまま、動かない。
いつもなら畳みかけるように言葉を連ねるのに。
それが余計に不気味だった。
基本、二人行動をしているはずの彼が、一人でいる理由も。
「暁月くん。いいよ、僕は」
「え?」
柔らかな声に釣られるようにして、振り返った。
蜜希さんは俺を見上げる。「一緒に行ってもいいよ」と再び言われ、俺はようやく彼の言葉の意味を理解した。
「な、何言ってるんですか、蜜希さんっ! いいよって、そんなわけないでしょう! 蜜希さんが嫌な思い摺るかもしれないんですよ!?」
「うん。わかってる」
「わかってないです!」
蜜希さんの手を掴み、俺は半ば叫ぶように口にした。
少し驚いた彼は、しかしすぐにいつもの様子に戻る。それどころか、「落ち着いて、暁月くん」と俺を諭した。
「暁月くんが家の人と関わることを避けていたのは、知ってるよ。予測でしかないけど……何となく、理由もわかってる。だからこそ、昨日と今日のイベントで見返そうとしたんでしょう?」
「それは……」
「本当に超えることが出来たかわからないまま、帰ることになっちゃってもいいの?」
居たいところを突かれた。
俺はぐうの音も出ないまま、視線だけを逸らす。蜜希さんが笑う声がした。
「僕は、早く結果知りたいなぁ。暁月くんのことナメてかかってた人たちが悔しそうな顔するの、早く見たい」
にやり、と。
いつものように勝気に笑う。
予想外の言葉に、俺は少しだけ呆気に取られてしまった。まさかそんなことを考えていたなんて。
(やっぱり、蜜希さんは『こう』だよな)
くっと喉の奥に笑いが込み上げて来る。
なんだろうか。気にしていたこっちが馬鹿みたいだ。
蜜希さんはスタスタと、覚の元へと向かう。黒い車を指差し、「乗っていいの?」と声をかけた。
覚は「もちろんでございます」と車のドアを開ける。
蜜希さんの言う通りになっている彼の姿に再び吹き出しそうになり、俺はコホンと咳を零した。
「暁月くんも早く」
「……今行きます」
車の中から手を招く蜜希さんを見る。
俺は意を決して車に乗り込んだ。
蜜希さんの隣に座れば、退路は衝撃と共に物理的に絶たれる。
静かに唸りを上げた車が、車道を走っていく。
地獄へと真っすぐ走って行く黒い車が憎らしくて、俺は流れ出す景色を睨みつけた。
――隣に座る蜜希さんの熱が無くなるなんてことがないよう、全力で彼を守ろう。
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