89 / 95
五章 アルファの家系
38-1 強がりオメガの、本心①
しおりを挟む翌日。
俺は目の前で苦し気に息を吐く蜜希さんの額に、濡れたタオルをそっと置いた。
蜜希さんの小さな瞼が震え、ゆっくりと持ち上げられる。
密色の瞳が俺を見て、口元がへの字に曲がった。
「なんで、僕だけ……っ」
息も絶え絶え。
ぜーぜーと、低く荒っぽい息をする蜜希さん。
ピピピと鳴り響いた体温計は、三十八度を叩き出していた。
「無理もないですよ。あれだけ高位のアルファたちの中にいたんですから」
「不公平だ……!」
「そんなこと言われましても」
苦々しい顔で呪詛を吐く蜜希さん。
ごほごほと咳をした。無理に喋るから。
「あー……もうだめ。熱くて溶けそう。死ぬ。無理。暁月くん、何か暴言吐いてくれない? 出来れば一周まわって冷静になれるくらいの」
「何言ってるんですか」
熱で思考がめちゃくちゃになっているらしい。
「水飲みますか?」と問えば、こくりと頷かれる。
起き上がろうとする蜜希さんを手伝い、俺は彼の口元にペットボトルを寄せた。
こくり。こくり。
蜜希さんの細い喉が上下する。触れてみれば、少し扁桃腺が腫れているようだった。
「ちょっ、と。なにしてるのさ」
「あ、すみません」
はっとして手を離す。
訝しげに見上げてくる蜜希さんに、もう一度すみませんと告げれば、「いいけど」とあまり良くなさそうな声で言う。
「突然はびっくりするから、事前に言ってくれる?」
「あ、はい。そうですよね……って、え?」
俺は顔を上げる。
聞き間違いじゃなければ、今、なんかすごいことを言われたような。
「なに?」
「あ、いえ……」
「何さ。聞きたいことがあるならちゃんと言ってくんない?」
蜜希さんは口を尖らせる。
俺は視線を巡らせると、しばらくして観念した。
「その……言ったら、触ってもいいみたいに聞こえたので」
蜜希さんは一瞬固まると、みるみるのうちに顔を真っ赤にした。
「何言ってるのさ! 暁月くんのばかっ! あほっ!」
「す、すみませんっ!」
ポカポカと肩を叩かれる。
ひとしきり叩かれたかと思えば、蜜希さんは布団の中に潜り込んでしまった。
顔まですっぽりと覆ってしまった蜜希さんに、俺はどうしたらいいのかと困惑する。
「み、蜜希さーん……?」
「……なに」
「拗ねないでくださいよ」
肩を落として告げれば、「拗ねてない!」と声を荒げられてしまった。
これ以上何かを言うのも機嫌を損ねてしまう気がして、俺は何も言えなかった。
肩辺りを優しく撫でていれば、肩が震える。
そろりと顔を出したかと思えば、睨みつけてきた。
小さな満月が細くなり、鋭い視線にどきりとする。……熱があるからだろうか、瞳が潤んでいるように見える。
あまい蜜の香りがぶわりと鼻孔をくすぐった。
「あつい……」
「もう、熱があるのに興奮するからですよ」
「んん……知らないよ、そんなの」
投げやりに言う蜜希さん。
熱が上がってきているのか、活舌が曖昧になっている。
「蜜希さん、大丈夫ですか?」
「うぅ……わ、からない」
ふるふると首を振る。
力ない所作に、俺は蜜希さんの髪を掻き上げる。
汗ばんでいる額に黒い髪が張り付き、苦しそうな息を吐き出す。ぼうっとしてきているのか、目が虚ろだ。
蜜希さんの頬に触れれば、猫のように擦り寄ってくる。
蜜希さんのフェロモンがより強くなり、俺は奥歯を噛みしめた。ぐらりと理性が揺れる。
くそ。気を抜いたら全部持って行かれそうだ。
「っ、蜜希さん、もしかして発情してます?」
「えぇ……? ひー、とは、まだ、だけど……」
そういうわりには、蜜希さんのフェロモンはだんだんと強くなっている。
全身にまとわりついてくるようだ。
(これで発情期じゃないなんて嘘だろ……っ)
鼻先を拭い、少しでも香りを払拭しようとする。
だが、こびりついた甘いにおいはなくなる気配はない。
俺は顔を出しそうなアルファ性を抑え込みながら、蜜希さんの口元に布団を寄せる。
ポンポンとあやすように体を柔く叩けば、蜜希さんの目が微睡んだ。
「も……子ども扱い、しないでよ……」
「でも、疲れてるみたいですし、寝ちゃった方がいいですよ」
昨日、あれだけアルファの威圧を受けたのだ。
体調不良もそのせいかもしれない。オメガホルモンは崩れやすいらしいから。
そう伝えれば、蜜希さんは全力で顔を顰めた。
「なにそれ、すっごく迷惑なんだけど」
「すみません」
「なんで暁月くんが謝るのさ」
「だって、俺の祖父のせいで……」と告げれば「それはそれ、これはこれ」と返された。
そんなにアバウトでいいのかと思ってしまうが、正直、そう言ってくれるのはありがたい。
「蜜希さん……」
「んん……なんか、ぼーっとしてきた」
でしょうね、とは言わなかった。
とろんとした目が俺を見つめる。あまく煮詰めた蜂蜜の中に、無造作に放り込まれているみたいだった。
俺は生唾を飲み込む。
全身が蜜希さんのフェロモンで撫でられているようだった。
蜜希さんの指先が、俺の指先を掴む。控えめに、けれどしっかりと。
「み、つきさ、ん」
「――ここに、いて」
まるで爆弾を投げられた気分だった。
「あかつき、くん」
「駄目です、駄目ですよ、蜜希さん」
「ちょっとだけ、ちょっとだけでいいから……」
蜜希さんの指が、俺の手を這い上がってくる。
手を掴んで、手首へ。するりと袖から指先が入り込み、指先が熱を持つ。
強請るように皮膚を撫でてくるのを感じて、俺は息を詰めた。
蜜希さんの目が得物を捕らえたような色を宿す。途端に、俺は自身が狩られる側になった気がした。
「ねぇ、暁月くん、ちょっとでいいからさ、これ、脱いでくれない?」
「っ、それは……ちょっとじゃ、ないですよ……っ」
「ちょっとだよ」
「大丈夫、襲ったりしないから」と蜜希さんは熱の籠った声で言う。
甘い誘い文句に、脆弱な理性がグラグラと大きく揺れる。今にも噛みつきたくて仕方がない。
あまい果実を食んで、愛でて、自分のモノに――――。
(しっかりしろ、俺……っ)
唇を噛み締める。ぷつりと唇が切れ、痛みに傾きかけていた意識が僅かに引き戻された。
……ここで手を出してしまったら、俺は絶対に後悔することになるだろう。
蜜希さんが俺に預けている心も、裏切ることになるかもしれない。
それだけは絶対に、嫌だった。
「蜜希さん、いったん……一旦、離れてください」
「い、やだ」
「嫌じゃないです」
「さみしい」
さみしい。
初めて聞いた、蜜希さんらしからぬ言葉だった。
10
あなたにおすすめの小説
流れる星、どうかお願い
ハル
BL
羽水 結弦(うすい ゆずる)
オメガで高校中退の彼は国内の財閥の一つ、羽水本家の次男、羽水要と番になって約8年
高層マンションに住み、気兼ねなくスーパーで買い物をして好きな料理を食べられる。同じ性の人からすれば恵まれた生活をしている彼
そんな彼が夜、空を眺めて流れ星に祈る願いはただ一つ
”要が幸せになりますように”
オメガバースの世界を舞台にしたアルファ×オメガ
王道な関係の二人が織りなすラブストーリーをお楽しみに!
一応、更新していきますが、修正が入ることは多いので
ちょっと読みづらくなったら申し訳ないですが
お付き合いください!
六年目の恋、もう一度手をつなぐ
高穂もか
BL
幼なじみで恋人のつむぎと渉は互いにオメガ・アルファの親公認のカップルだ。
順調な交際も六年目――最近の渉はデートもしないし、手もつながなくなった。
「もう、おればっかりが好きなんやろか?」
馴ればっかりの関係に、寂しさを覚えるつむぎ。
そのうえ、渉は二人の通う高校にやってきた美貌の転校生・沙也にかまってばかりで。他のオメガには、優しく甘く接する恋人にもやもやしてしまう。
嫉妬をしても、「友達なんやから面倒なこというなって」と笑われ、遂にはお泊りまでしたと聞き……
「そっちがその気なら、もういい!」
堪忍袋の緒が切れたつむぎは、別れを切り出す。すると、渉は意外な反応を……?
倦怠期を乗り越えて、もう一度恋をする。幼なじみオメガバースBLです♡
僕の幸せは
春夏
BL
【完結しました】
【エールいただきました。ありがとうございます】
【たくさんの“いいね”ありがとうございます】
【たくさんの方々に読んでいただけて本当に嬉しいです。ありがとうございます!】
恋人に捨てられた悠の心情。
話は別れから始まります。全編が悠の視点です。
【完結】選ばれない僕の生きる道
谷絵 ちぐり
BL
三度、婚約解消された僕。
選ばれない僕が幸せを選ぶ話。
※地名などは架空(と作者が思ってる)のものです
※設定は独自のものです
※Rシーンを追加した加筆修正版をムーンライトノベルズに掲載しています。
運命の番は僕に振り向かない
ゆうに
BL
大好きだったアルファの恋人が旅先で運命の番と出会ってしまい、泣く泣く別れた経験があるオメガの千遥。
それ以来、ずっと自分の前にも運命の番があらわれることを切に願っていた。
オメガひとりの生活は苦しく、千遥は仕方なく身体を売って稼ぐことを決心する。
ネットで知り合った相手と待ち合わせ、雑踏の中を歩いている時、千遥は自分の運命の番を見つけた。
ところが視線が確かに合ったのに運命の番は千遥を避けるように去っていく。彼の隣には美しいオメガがいた。
ベータのような平凡な見た目のオメガが主人公です。
ふんわり現代、ふんわりオメガバース、設定がふんわりしてます。
2度目の恋 ~忘れられない1度目の恋~
青ムギ
BL
「俺は、生涯お前しか愛さない。」
その言葉を言われたのが社会人2年目の春。
あの時は、確かに俺達には愛が存在していた。
だが、今はー
「仕事が忙しいから先に寝ててくれ。」
「今忙しいんだ。お前に構ってられない。」
冷たく突き放すような言葉ばかりを言って家を空ける日が多くなる。
貴方の視界に、俺は映らないー。
2人の記念日もずっと1人で祝っている。
あの人を想う一方通行の「愛」は苦しく、俺の心を蝕んでいく。
そんなある日、体の不調で病院を受診した際医者から余命宣告を受ける。
あの人の電話はいつも着信拒否。診断結果を伝えようにも伝えられない。
ーもういっそ秘密にしたまま、過ごそうかな。ー
※主人公が悲しい目にあいます。素敵な人に出会わせたいです。
表紙のイラストは、Picrew様の[君の世界メーカー]マサキ様からお借りしました。
泡にはならない/泡にはさせない
玲
BL
――やっと見つけた、オレの『運命』……のはずなのに秒でフラれました。――
明るくてお調子者、だけど憎めない。そんなアルファの大学生・加原 夏樹(かはらなつき)が、ふとした瞬間に嗅いだ香り。今までに経験したことのない、心の奥底をかき乱す“それ”に導かれるまま、出会ったのは——まるで人魚のようなスイマーだった。白磁の肌、滴る水、鋭く澄んだ瞳、そしてフェロモンが、理性を吹き飛ばす。出会った瞬間、確信した。
「『運命だ』!オレと『番』になってくれ!」
衝動のままに告げた愛の言葉。けれど……。
「運命論者は、間に合ってますんで。」
返ってきたのは、冷たい拒絶……。
これは、『運命』に憧れる一途なアルファと、『運命』なんて信じない冷静なオメガの、正反対なふたりが織りなす、もどかしくて、熱くて、ちょっと切ない恋のはじまり。
オメガバースという世界の中で、「個」として「愛」を選び取るための物語。
彼が彼を選ぶまで。彼が彼を認めるまで。
——『運命』が、ただの言葉ではなくなるその日まで。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる