逃げた先に、運命

夢鴉

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五章 アルファの家系

38-1 強がりオメガの、本心①

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 翌日。
 俺は目の前で苦し気に息を吐く蜜希さんの額に、濡れたタオルをそっと置いた。

 蜜希さんの小さな瞼が震え、ゆっくりと持ち上げられる。
 密色の瞳が俺を見て、口元がへの字に曲がった。

「なんで、僕だけ……っ」

 息も絶え絶え。
 ぜーぜーと、低く荒っぽい息をする蜜希さん。
 ピピピと鳴り響いた体温計は、三十八度を叩き出していた。

「無理もないですよ。あれだけ高位のアルファたちの中にいたんですから」
「不公平だ……!」
「そんなこと言われましても」

 苦々しい顔で呪詛を吐く蜜希さん。
 ごほごほと咳をした。無理に喋るから。

「あー……もうだめ。熱くて溶けそう。死ぬ。無理。暁月くん、何か暴言吐いてくれない?  出来れば一周まわって冷静になれるくらいの」
「何言ってるんですか」

 熱で思考がめちゃくちゃになっているらしい。

「水飲みますか?」と問えば、こくりと頷かれる。
 起き上がろうとする蜜希さんを手伝い、俺は彼の口元にペットボトルを寄せた。

 こくり。こくり。
 蜜希さんの細い喉が上下する。触れてみれば、少し扁桃腺が腫れているようだった。

「ちょっ、と。なにしてるのさ」
「あ、すみません」

 はっとして手を離す。
 訝しげに見上げてくる蜜希さんに、もう一度すみませんと告げれば、「いいけど」とあまり良くなさそうな声で言う。

「突然はびっくりするから、事前に言ってくれる?」
「あ、はい。そうですよね……って、え?」

 俺は顔を上げる。
 聞き間違いじゃなければ、今、なんかすごいことを言われたような。

「なに?」
「あ、いえ……」
「何さ。聞きたいことがあるならちゃんと言ってくんない?」

 蜜希さんは口を尖らせる。
 俺は視線を巡らせると、しばらくして観念した。

「その……言ったら、触ってもいいみたいに聞こえたので」

 蜜希さんは一瞬固まると、みるみるのうちに顔を真っ赤にした。

「何言ってるのさ! 暁月くんのばかっ! あほっ!」
「す、すみませんっ!」

 ポカポカと肩を叩かれる。
 ひとしきり叩かれたかと思えば、蜜希さんは布団の中に潜り込んでしまった。
 顔まですっぽりと覆ってしまった蜜希さんに、俺はどうしたらいいのかと困惑する。

「み、蜜希さーん……?」
「……なに」
「拗ねないでくださいよ」

 肩を落として告げれば、「拗ねてない!」と声を荒げられてしまった。

 これ以上何かを言うのも機嫌を損ねてしまう気がして、俺は何も言えなかった。
 肩辺りを優しく撫でていれば、肩が震える。

 そろりと顔を出したかと思えば、睨みつけてきた。
 小さな満月が細くなり、鋭い視線にどきりとする。……熱があるからだろうか、瞳が潤んでいるように見える。
 あまい蜜の香りがぶわりと鼻孔をくすぐった。

「あつい……」
「もう、熱があるのに興奮するからですよ」
「んん……知らないよ、そんなの」

 投げやりに言う蜜希さん。
 熱が上がってきているのか、活舌が曖昧になっている。

「蜜希さん、大丈夫ですか?」
「うぅ……わ、からない」

 ふるふると首を振る。
 力ない所作に、俺は蜜希さんの髪を掻き上げる。
 汗ばんでいる額に黒い髪が張り付き、苦しそうな息を吐き出す。ぼうっとしてきているのか、目が虚ろだ。

 蜜希さんの頬に触れれば、猫のように擦り寄ってくる。
 蜜希さんのフェロモンがより強くなり、俺は奥歯を噛みしめた。ぐらりと理性が揺れる。
 くそ。気を抜いたら全部持って行かれそうだ。

「っ、蜜希さん、もしかして発情してます?」
「えぇ……? ひー、とは、まだ、だけど……」

 そういうわりには、蜜希さんのフェロモンはだんだんと強くなっている。
 全身にまとわりついてくるようだ。
(これで発情期じゃないなんて嘘だろ……っ)

 鼻先を拭い、少しでも香りを払拭しようとする。
 だが、こびりついた甘いにおいはなくなる気配はない。

 俺は顔を出しそうなアルファ性を抑え込みながら、蜜希さんの口元に布団を寄せる。
 ポンポンとあやすように体を柔く叩けば、蜜希さんの目が微睡んだ。

「も……子ども扱い、しないでよ……」
「でも、疲れてるみたいですし、寝ちゃった方がいいですよ」

 昨日、あれだけアルファの威圧を受けたのだ。
 体調不良もそのせいかもしれない。オメガホルモンは崩れやすいらしいから。

 そう伝えれば、蜜希さんは全力で顔を顰めた。

「なにそれ、すっごく迷惑なんだけど」
「すみません」
「なんで暁月くんが謝るのさ」

「だって、俺の祖父のせいで……」と告げれば「それはそれ、これはこれ」と返された。
 そんなにアバウトでいいのかと思ってしまうが、正直、そう言ってくれるのはありがたい。

「蜜希さん……」
「んん……なんか、ぼーっとしてきた」

 でしょうね、とは言わなかった。
 とろんとした目が俺を見つめる。あまく煮詰めた蜂蜜の中に、無造作に放り込まれているみたいだった。
 俺は生唾を飲み込む。

 全身が蜜希さんのフェロモンで撫でられているようだった。
 蜜希さんの指先が、俺の指先を掴む。控えめに、けれどしっかりと。

「み、つきさ、ん」
「――ここに、いて」

 まるで爆弾を投げられた気分だった。

「あかつき、くん」
「駄目です、駄目ですよ、蜜希さん」
「ちょっとだけ、ちょっとだけでいいから……」

 蜜希さんの指が、俺の手を這い上がってくる。
 手を掴んで、手首へ。するりと袖から指先が入り込み、指先が熱を持つ。
 強請るように皮膚を撫でてくるのを感じて、俺は息を詰めた。

 蜜希さんの目が得物を捕らえたような色を宿す。途端に、俺は自身が狩られる側になった気がした。

「ねぇ、暁月くん、ちょっとでいいからさ、これ、脱いでくれない?」
「っ、それは……ちょっとじゃ、ないですよ……っ」
「ちょっとだよ」

「大丈夫、襲ったりしないから」と蜜希さんは熱の籠った声で言う。
 甘い誘い文句に、脆弱な理性がグラグラと大きく揺れる。今にも噛みつきたくて仕方がない。

 あまい果実を食んで、愛でて、自分のモノに――――。

(しっかりしろ、俺……っ)

 唇を噛み締める。ぷつりと唇が切れ、痛みに傾きかけていた意識が僅かに引き戻された。
 ……ここで手を出してしまったら、俺は絶対に後悔することになるだろう。

 蜜希さんが俺に預けている心も、裏切ることになるかもしれない。
 それだけは絶対に、嫌だった。


「蜜希さん、いったん……一旦、離れてください」
「い、やだ」
「嫌じゃないです」
「さみしい」

 さみしい。

 初めて聞いた、蜜希さんらしからぬ言葉だった。
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