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五章 アルファの家系
37-3 籠をぶち破って
しおりを挟む派手な音が響く。
破裂音、振動、衝撃。
全てが後を追ってくるように、俺の五感を伝う。
目の前が真っ赤に染まり、俺の身体は衝動に任せて拳を握り締めた。
「暁月くん、ストップ」
振り上げかけた拳が止まる。
掴み上げた祖父の胸倉はぐしゃりと俺の手元で歪み、驚いた祖父と目が合った。
「駄目だよ、振っちゃ。本当の暁月くんが損なわれちゃう」
ゆっくりと振り返る。
蜜希さんがいつもの表情で俺を見ていた。
未だ体は震え、顔なんて青を通し越して真っ白なのに。
凛とした声で、視線で、俺を制している。
口元は弧を描き、気丈に笑う。
震える吐息がやけに大きく聞こえた。
「僕は大丈夫だから」
「で、も、蜜希さんは……」
「大丈夫だってば。ていうか、君が本気でその人を殴ったら、その人死んじゃうんじゃない? スポーツ、やってたんじゃなかったっけ?」
「やってないですよ。だから、死にません」
この人は、そんな軟じゃない。
「……やわだよ。人は」
その言葉は、どんな綺麗ごとよりも俺の胸に突き刺さった。
ああ……そうか。そうだった。
大切な人を失くし、残された側だからこそ、わかる。
人は簡単に死ぬ。そしてどんな人にもきっと、大切に思い、思われる人がいるんだろう。
その人たちを悲しませるべきじゃない。
蜜希さんはそう言ってるんだろう。
(本当に、優しい人だ)
そんな人がいたとして、俺にはどうでもいいと思ってしまうが、蜜希さんはそうじゃないらしい。
掴んだ胸倉を離し、テーブルに乗り上げた足を下ろす。
足元に落ちていた硝子片を踏みそうになって、咄嗟に足を下ろす場所を変えた。
使っていなかったグラスが落ちたのだろう。二度と使えなくなってしまった姿に、申し訳なさが募る。
「蜜希さん、怪我は」
「してないよ。気持ちも。全然傷ついてない」
嘘吐かないでください。
そう言いかけた言葉を、俺は飲み込んだ。
此処で言うのは、蜜希さんの思いを不意にしてしまうことだとわかっていたから。
俺は落ちて転がっていたワインボトルを拾い上げる。
高いワインがラグに吸い込まれていくのを見て、勿体ないと少し思ってしまった。
祖父は少し呆気に取られていたようだが、俺と目が合うなり、はっとして襟元を正した。
俺を一瞥すると、嘆息する。
「お前は随分とそのオメガに影響を受けたらしい。オメガなんぞのために暴力を振るうなんて……あいつを見ているようで虫唾が走るな」
「っ、!」
「暁月くん!」
再びカッと上がりそうになった血が、蜜希さんの声で下がっていく。
しかし、自分の心の内が冷静には程遠いことは、自分でもわかっていた。
(こ、いつ……!)
やっぱりさっき殴っておけばよかった。
一度上がった血は上りやすいのだ。このまま祖父の声を聞き続けていたら、俺は今度こそ彼の左頬を殴ってしまうだろう。
「今からでも矯正をするべきだな。かといって、同じ日本ではお前の目が覚めるとは思えん。……仕方がない。アメリカの大学関係者に話を通しておこう。凜、お前は今すぐ荷造りを――」
「やはり、俺はあなたとは相容れないらしい」
「……なんだと?」
祖父の言葉を遮り、俺は告げる。
怒気が口の端々から漏れる。
彼の様子から、謝罪をする気がないことはわかっていた。
ならば、もう関わるだけ無駄だ。
「貴方なんかに蜜希さんを会わせたのは、やはり間違いでした。このままでは蜜希さんの耳が腐ってしまう」
「おい、凜。話は未だ――」
「ワインは弁償します。クリーニング代も請求してください」
マンションもすぐに引っ越します。
今までかかった学費も、生活費も。貴方に頂いたものは全てお返しします。だから
「もう二度と、俺たちに関わらないでください」
「おい」
「それでは」
タンッと小気味のいい音を立てて、ワインを机に置く。同時に俺は会話を叩き切り、背を向けた。
座っている蜜希さんに片膝を立て、視線を合わせる。
「立てますか」と問えば、蜜希さんは「立てる、けど」ともごもご返事をする。
「いいの、暁月くん」
「何がですか」
「何って……」
ちらりと蜜希さんの目が俺の後ろ――祖父を見る。
祖父が今どんな顔をしているかはわからない。しかし、そんなのどうでもよかった。
「いいんです。どうせ古い頭の人です。話したところで俺の意見は受け入れられない。わかっているのに話をするだけ無駄でしょう」
「……そうかな」
「そうです」
さ、乗ってください。
俺は蜜希さんに背を向けると、そう告げる。
蜜希さんは驚いたように目を見開いた。
「え、いやっ」
「俺は良いですよ? お姫様抱っこで街を闊歩することになっても」
蜜希さんは苦い顔を浮かべると、しぶしぶ俺の背に身を任せた。
口を尖らせ、子供のような顔を見せる反面、蜜希さんの顔色はずっと悪い。
思った硫黄に時間がかかってしまった。それに――
(もしかしたら、俺も威圧を出していたかもしれないな)
計り知れない罪悪が、ふつふつと込み上げてくる。
一体どれだけ蜜希さんに迷惑を掻ければ住むのか。
俺は蜜希さんを背負い上げると、祖父を見下げた。
「それでは、俺はこれで失礼します。……あの時は引き取ってくださり、ありがとうございました」
まともに表情を見ることもせず、俺は絨毯を踏みしめていく。
扉を開ければ、待機していた覚と目が合う。平然としているが、額には玉のような汗が浮かんでいた。
ベータとはいえ、あれだけの威圧を受けたのだ。多少なりとも、心身に影響があっておかしくない。
「凜様」
「退いてくれ。俺たちは帰る」
お前も、もう二度と近づくな。
俺はそう告げて、長い廊下を突っ切った。すれ違った外国人が俺たちを見て不思議そうに見ている。
どうやらホテルに迷惑は掛からなかったらしい。
俺はほっと胸を撫で下ろした。
ホテルを出ると、外は雪景色だった。
せっかくのクリスマスなのに、まるで自分の心の内のような天気だと思った。
警備員に車を回すかと言われたが、俺は拒否する。
代わりに傘はないかと問えば、ビニール傘を差し出された。
「ありがとうございます。いくらですか」
「いえ。忘れ物ですので、お気になさらず」
「そうですか」
俺は有難く傘を受け取ると、開いて蜜希さんに渡した。
えっと驚く彼に「お願いしますね」と言えば、「嘘でしょ」と言われた。
何が嘘なのか聞くこともなく、俺は吹雪の中に足を突っ込んだ。
「ちょ、ちょっと、この中歩いて歩いて帰る気!?」
「はい」
「ま、待って待って! 戻ろう? 戻って、タクシー呼ぼう、ね?」
「大丈夫です」
「大丈夫じゃないでしょ」
蜜希さんの言葉に、俺は首を横に降り続けた。
次第に勢いを失っていく蜜希さんは「えぇ……もう……」と言ったっきり、何も言わなくなってしまった。
「……僕、巻き込まれてるんですけど」
「すみません。帰ったらお風呂も温かいご飯も用意します。必要なら添い寝もしますから」
「添い寝は暁月くんがしたいだけでしょ」
「バレましたか」
「バレバレだよ」
蜜希さんは笑う。冷たい雪が吹き付けてくるのに、体は不思議と温かかった。
「あーあ。それにしても、本格的に家出宣言しちゃったね。大丈夫なの?」
「さあ、どうでしょう」
俺はおどけたように返事をする。
今後、俺は大変になるだろう。ただアルファの男、というだけのレッテルだけで、どこまでいけるのか。
ああでも。
「ちょっと、すっきりしました」
「え?」
「俺、蜜希さんに会う前は祖父に似たような思考をしてたので」
オメガは怖い。
アルファはダメだ。
そんなレッテルばかりを張り付けて、自分のことを肯定した気になっていた。
蜜希さんに会って、何もない自分を直視するようになって。
嫌だと言っていた肩書きたちに、自分はすごく助けられていたのだと知った。
それが嫌で。情けなくて。認めたくなくて。
「でも、そんな自分をやっと認められた気がします。そしてちゃんと怒ることが出来た。自分で自分を叱るなんて、変な話ですよね」
「そうかな。気持ちは……わかるきがするけど」
「ありがとうございます」
蜜希さんの寄り添う声に、俺は目を細める。
やっぱり彼は優しい。優しくて、時々泣きたくなってしまうくらい。
「俺は、祖父を見ている時、まるで自分を見ているみたいでした。祖父を見ているようで見ていたのは自分自身……結局、俺は今も昔も自分しか見えていない」
「幻滅しましたか?」と問えば、くすっと笑う声が聞こえる。
「なんで幻滅する必要があるの?」
「だって、俺、最初から最後まで自分のことしか考えてないじゃないですか」
吹雪が頬を叩く。
足元の熱が取られ、指の感覚がなくなっていく。
その全てに、『お前はダメな奴なのだ』と叱られているようだった。
蜜希さんは抱き着く腕に力を込める。
首が締まるのと同時に、蜜希さんとの距離が近くなったのを感じる。
ドクリと心音が高鳴った。
「僕だって、僕のことしか考えてないよ」
「え?」
「ごめんね」
蜜希さんはそれだけを言って、微笑んだ。……気がした。
顔は、見えないけど。
どういうことですか、と言う前に蜜希さんが「ほらほら、早く帰らないと」と俺を急かす。
足元が揺れ、慌てて持ち直した時にはもう、さっきの雰囲気はどこかへ行ってしまっていた。
「巻き込まれた上、風邪までひかされたら、さすがの仏の僕も怒るかもしれない」
「え? 仏?」
「うん? 何? 何か文句でもあるの?」
呟いた声は、蜜希さんにちゃんと届いてしまったらしい。
ギリギリと耳を引っ張られる。
冷たくなった耳が無理矢理引っ張られ、尋常じゃない痛みを寄越して来た。
「ないです、ないです!」と声を上げれば、耳は解放される。
蜜希さんはふはっと吹き出すと、背中に寄り掛かってきた。さっきよりも全身を使って。
「わっ!」
「あははは! 転ばないでね、暁月くん!」
「そう思うなら、大人しくしててくださいっ!」
二人、騒ぎながら夜道を歩く。
すれ違ったサラリーマンが奇怪なものを見るような目で俺たちを見ていたが、それすら心地いい。
温かい蜜希さんの体を抱え直し、俺は雪を踏みしめる。
すれ違う人はまばらで、車の音もほとんどない。
公共機関は積雪に足止めされているのだろう。駅が近いはずなのに、電車の音も聞こえない。
雪のせいかクリスマスだからか、ビルの明かりはほとんど消えている。
あるのは、雲の隙間からこれでもかと降り注ぐ、月明かりだけ。
どこまでも非日常に包まれた中で、俺は蜜希さんと話しながら帰路を追い続けた。
――家にたどり着くまで、あと三十分。
心にぽっかり空いた穴に、蜜希さんの体温がしみ込んでいくようだった。
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