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娼婦のふりしてターゲットに接近
しおりを挟む高級ホテルの重厚な扉の前に立ち、私は1度だけ深呼吸をした。心臓はバクバクしているが、顔は淑女教育の賜物で凛としてる……はず。
ノックの音が、静まり返った廊下に乾いた音を響かせる。
「ああ」
低く、くぐもった声が中から返ってきた。
私は扉を押し開け、静かに名乗る。
「フェアリーと申します。本日はカリーヌさんが急病になりまして、代理で参りました」
「何だと? そんな話は聞かなかったが……顔を見せろ」
部屋の中は、重厚なカーテンに遮られた薄暗がり。
壁には金の装飾が施され、天井にはシャンデリアが揺れている。
私は踏み出し、光の下に立った。
海賊殺しの異名を持つ、ヴァルター・モルヴァン第1王子。
黒曜石のような髪を無造作に撫でつけ、アメジストの瞳が鋭く私を射抜く。
広い肩と厚い胸板を包むのは、深紅の刺繍入りのシャツ。
椅子に腰かけたままでも、その体躯の大きさと威圧感は隠しようがなかった。
魔王のような迫力だが、顔は整っていて美しい。いや、魔王とは美しいものかもしれない。
「いくつだ?」
「24です」
本当は18歳。けれど、彼の馴染みの娼婦カリーヌは30を超えている。
23歳の彼は、年上が好みだろうと踏んだ。
メイクも派手にして、髪も巻いてきた。娼婦に見えるように。
普段の地味な私からは、想像もつかない見た目になっている。
「24? ダメだ、若い」
「で、でも、帰されると叱られてしまいます……」
私は必死で追い縋った。
ヴァルターは、面倒そうに息を吐いた。
「うーん……仕方ないな。服を脱げ」
「っ、わ、わかりました」
私は震える指で、ゆっくりとドレスの紐を解いた。
「こっちに来い。ここで回って飛べ」
「っ、え、はい」
言われるままに近付いて、くるりと回り跳ねた。
視線が全身をなぞるのを感じる。
「隠し武器は持ってないな」
「かっ、そ、そんなつもり、毛頭ありません!」
──今のところはね。
「暗殺者が『暗殺者』と、名乗るはずないだろう。口の中を見せろ」
私は狼狽えた。
けれど、ここで拒めばすべてが終わる。
「帰すぞ」
「は、はい!」
私は口を大きく開けた。
ヴァルターは立ち上がり、無言で近づいてくる。
「よし、後ろを向け」
背を向けると、大きな手が私の髪をまさぐった。
頭皮に触れる指先は荒く、けれど妙に慎重だった。
「……まあ、いいだろう」
その声に、私はようやく息を吐いた。
バタバタと、廊下を駆ける足音が近づいてくる。
ヴァルターは、すぐに反応した。
上半身裸のまま、ベッドから立ち上がり、壁に立てかけていた剣を抜く。
扉が勢いよく開かれた。
そこに立っていたのは、ロナン・ガランティア公爵令息と、レメディア侯爵だった。
2人の視線が、裸のままの私達に注がれる。
時間が止まったように、空気が凍りつく。
「な……なんてことだ。嫁入り前の娘が、何をやってる……!」
レメディア侯爵──父の顔が、みるみるうちに蒼白になり声が震える。
「信じられない……ありえない……なぜ、こんなことを……!」
ロナンの声は、掠れていた。
エメラルドの瞳が、私を責めるように見つめている。
私はシーツを胸元に引き寄せながら、まっすぐに婚約者を見返した。
「私、王子殿下を愛してしまいました。どうしても、殿下と結婚したいのです。
ロナン様、私のことは忘れてください」
父が膝をつき、ロナンに頭を下げる。
「……申し訳ない……ロナン様……」
「ま、待ってください! 婚約破棄などしません! 僕はルシーナを愛してます!
服を着ろ、ルシーナ! 帰るぞ!」
ロナンが手を伸ばす。
私はその手を避け、ヴァルターの胸にしがみついた。
ヴァルターは深くため息をつき、剣を鞘に収める。
「こうなった以上、責任をとる。レメディア侯爵、ご令嬢をいただく」
「あり得ない! そんな横暴な!」
ロナンが怒りに震える。
しかし平均より少し高い身長も、剣で鍛えた腕も、ヴァルターと比べると大人と子供のようだ。
掴みかかっても、一捻りにされるだろう。
「これは決定事項だ。異は唱えるな」
「絶対……絶対、取り戻すからな!」
ロナンは中性的で人気のある顔を真っ赤にして、部屋を飛び出していった。
父は立ち上がり、私を見つめる。
「……下のロビーにいるから、支度しなさい」
その声は、どこか諦めと疲れに満ちていた。
扉が静かに閉まり、部屋に再び静寂が戻る。
私はシーツを胸元に巻いたまま、ヴァルターに向き直った。
「ありがとうございました。助かりました」
ヴァルターは無造作に黒髪をかき上げ、デスクの椅子にどかっと腰を下ろす。
裸の上半身に浮かぶ筋肉の陰影が、蝋燭の光に照らされて際立つ。
「まあ、あの男と結婚するぐらいなら、俺の方がマシだろうな」
マシ? なぜ?
──1周目の人生、私はロナンの妻として幸せだった。
あなたに、壊されるまでは。
だからこそ許さない。
「わ、私と、結婚してくださるのですか?」
結婚してもらえないと、計画がうまくいかない。
ヴァルターは無表情のまま、机上の紙にペンを走らせていた。
「もう王子命を出してしまった」
「ありがとうございます!」
こんなに簡単に行くなんて、信じられない!
ヴァルターは、こちらを見ず淡々と告げる。
「服を着て、父親を呼んでこい」
私は慌ててベッド脇の衣服に手を伸ばす。
その間にも、ヴァルターの手は止まらない。
「それは……何ですか?」
「婚約契約書だ」
「えっ! 婚約は両家の顔合わせしてから、弁護士を挟んでするんじゃ……?」
「そんなことしてたら、あの男がフィリップに泣きついて、王命で強制的に結婚させられるぞ」
フィリップ──ヴァルターの異母弟、第2王子。
正室腹で、王宮の寵児。
ロナンが頼るとすれば、確かに彼しかいない。
「さっさと父親を呼んでこい」
「はい」
私は小さく頷き、ドアノブに手をかけた。
その背後で、ペンの走る音がまだ続いていた。
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