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あっさり結婚できました
しおりを挟むホテルの居間は、重厚な絨毯と深紅のカーテンに包まれていた。
壁には金の装飾が施され、窓の外には石畳の街並みが広がっている。
マホガニーのテーブルを挟んで、2人の男が向かい合っていた。
ヴァルター・モルヴァン王子は、黒い軍装の上着を羽織り、背筋を伸ばして椅子に座っていた。
アメジストの瞳は真っ直ぐに相手を見据え、声に一切の迷いはなかった。
「大事な令嬢を傷物にして、すまなかった。一生、面倒を見ると約束する」
父は深くため息をつき、額に手を当てた。
「……殿下に頭を下げられたら、何も言えないではないですか」
テーブルに置かれた紙へ目を落とす。
それは、ヴァルターが自ら書いた婚約契約書だった。
「っ……うちに都合の良いことばかりですが?」
ヴァルターは微動だにせず、淡々と答える。
23の貫禄ではない。30前後の暴力団のボスみたいだ。
「婚約破棄と婚前交渉を考えれば、そうなる」
父はしばらく黙っていたが、やがて視線を上げた。
「……わかりました。では、1つだけ聞かせてください」
「何でも」
「娘を、愛していますか」
その問いに、ヴァルターは目を瞬いた。
しかし、すぐ言葉を紡ぐ。
「これから、愛す」
父は青い目を細め、ゆっくりと頷いた。
「……わかりました。よろしくお願いします」
立ち上がり、背筋を伸ばしたまま一礼すると、静かに部屋を後にした。
扉が閉まり、再び静寂が訪れる。
「──そして、カリーヌをどこへやった?」
ヴァルターが椅子にもたれながら、ふと問いかける。
「あっ、忘れてました。下の部屋です」
部屋に入ると、そこには椅子に縛られたカリーヌと、実家から連れてきた私兵がいた。
カリーヌは錆色の髪を乱し、こちらを睨んでいる。
「もう、解放してあげて」
私が言うと、兵は頷き手際よく拘束を解いた。
「殿下! この人が、いきなり私を部屋に──!」
カリーヌが立ち上がり、ヴァルターに訴える。
その声には、怒りと困惑が混ざっていた。
ヴァルターは静かに彼女を見つめ、穏やかに言った。
「怖い思いをさせて、すまなかった。彼女は婚約者なんだ」
「えっ……?!」
カリーヌの顔から、血の気が引いていく。元々細いので、病人みたいだ。
ヴァルターは視線を逸らさず、淡々と続けた。
「俺の素行がバレて、灸を据えられてしまった。
このことは娼館にきちんと話して、慰謝料も払う。お前にも、今までのチップを置いていくから、それでおさめてくれ」
「それは……」
カリーヌは何とも言えず、唇を噛んだ。
怒りとも悲しみともつかない感情が、瞳の奥に揺れている。
「分かってくれてよかった。じゃあ、元気で」
「え、そんな……! もう会えないの?」
カリーヌの声が震える。
ヴァルターは、私の肩をそっと抱いた。
「結婚するんだ」
その言葉に、カリーヌは何も言えず、ただ立ち尽くした。
私は小さく会釈し、ヴァルターと共に部屋を後にした。
──何という名演技だろう。鳥肌が立ちそうだった。
実際には私がカリーヌを拘束するよう兵に指示し、彼女の代わりにヴァルターのいる部屋へ行ったのだ。
ヴァルターは私を庇った。
何故なんだろう? 本気で、私と添い遂げるつもりなのか?
憎い仇でなければ、カッコいいと思って惚れたかもしれない。
石造りの家の扉が軋んで開くと、埃と潮の混ざった空気が鼻をついた。
中は思った以上に雑然としていて、床には靴が散乱し、壁には剣や斧が無造作に立てかけられている。
──ここが、王子の住まい?
私の常識では、到底理解できない空間だった。
「おやおや? ヴァルが、女の子連れてる~!」
赤紫の髪をしたハンサムな男が、口笛を吹いた。
彼は、見たことがある。確か、トレック子爵令息だ。
「妻のフェアリーだ。これから一緒に住む」
ヴァルターの言葉に、部屋の空気が一瞬止まった。
そして──
「またまたまた~!」
トレック子爵令息が、男性にしては可愛い顔を歪め、他の男たちもどっと笑い声を上げた。
ヴァルターは無言で懐から紙を取り出し、テーブルに置く。
「さっき入籍した」
「……あは、あはは……え?」
トレック子爵令息の笑いが止まり、顔が青ざめていく。
「こ、これ……本物……?」
「やっと、坊っちゃまが身を固めて良かったですわい」
年配の男がグレーの目を細め、しみじみと頷いた。ヴァルターと、同じくらい体格がいい。
落ち着いた雰囲気の男が、丁寧に深緑の頭を下げる。薬草の匂いがするから、薬師だろう。優しそうだ。
「えっと、すみません……。何から質問していいか分かりませんが……おめでとうございます」
若い美青年が、緊張した面持ちで背筋を伸ばす。クリームブラウンのサラサラした髪が爽やか。
「お、おめでとうございます!」
「とりあえず飲むぞー!」
トレック子爵令息の掛け声に、5人の男たちが一斉に声を上げた。
「おーっ!」
ヴァルターはその騒ぎを背に、私の手を引いた。
「部屋に案内する」
「えっ、執事は、どこです? 殿下自ら、そのようなことしていただかなくても……」
「この家には、僕たちだけだよ」
トレック子爵令息が笑いながら言う。
「ええっ……」
私は思わず声を上げた。
この家には、使用人もいないの?
「ここが嫌なら、君だけホテルで暮らしてもいい。戻るか?」
ヴァルターが振り返り、私を見つめる。
アメジストの瞳は、どこか試すように揺れていた。
──戻りたい。けれど、戻れない。
ここには、彼を暗殺しに来たのだから。
「えっと……」
言葉が、喉の奥で絡まった。
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