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強いメイド
しおりを挟む──戻りたい。けれど、戻れない。
ここには、彼を暗殺しに来たのだから。
「えっと……」
言葉が、喉の奥で絡まった。
タイミングよくチャイムの音が、家中に甲高く響いた。
1番大きい男が斧を肩に担いだまま、のそのそと玄関へ向かう。
「誰だ……?」
扉を開けると、そこにはレメディア侯爵家のメイドたちが、山のような荷物を抱えて立っていた。
先頭にいたのは、栗色の髪をきっちり結い上げた、鋭い目つきの女性──イリーナだった。
「お嬢様! 何ですか? この……汚い家は! 荷物の置き場がありません!
こんなところで暮らしたら、病気になってしまいます! 帰りましょう!」
「だ、ダメよ……もう入籍したから……」
私が言うと、イリーナは深いため息をついた。
「……では、掃除します」
その一言で、メイドたちが一斉に動き出した。
荷物を置き、スカートの裾をたくし上げ、家中を見回す。
「掃除用具は、どこです?」
イリーナが鋭く尋ねると、老騎士がのんびりと答えた。
「汚したら、いつも適当に洗濯前の服で拭いておるですじゃ」
「きゃああああああっ!!」
メイドたちの悲鳴が重なった。
そのまま自分たちのエプロンを外し、雑巾代わりに床を拭き始める。
1人は水を汲みに走り、もう1人は「ほうき買ってきます!」と叫んで外へ飛び出していった。
港の男たちは、誰もが呆然と立ち尽くしていた。
「お嬢様! 庭に出てください! こんな悪い空気を吸ったら、肺の病気になります!」
「あなた達は平気なの……?」
私が尋ねると、イリーナは荷物から布を取り出し口元に巻いた。
「平気です」
「わ、わかったわ……出てる……」
私はそっと玄関へ向かい、外の空気を吸い込んだ。
その背後で、イリーナの怒号が飛ぶ。
「皆さん! ぼーっとしてないで働いてください! あそこの箱を下ろして! カーテンを洗って! マットも取り替えて、もう汚いので捨ててください! この机は何ですか! 変色してるではないですか! 新しいのを買ってください!」
家の中が、まるで戦場のように活気づいていく。
私はただ、玄関先で呆然と立ち尽くすしかなかった。
「きゃあああああっ!!」
奥から響いた甲高い悲鳴に、私は思わず身をすくめた。
ヴァルターが黒い眉をひそめ、すぐに足を向ける。私もその後を追った。
キッチンの扉を開けた瞬間、思わず息を呑む。
──そこは、まるで戦場だった。
焦げついた鍋が山のように積まれ、床には何かの汁がこびりついている。
流しには洗っていない食器が詰まり、壁には油が飛び散っていた。
メイドのゼルダが口元を押さえ、涙目で立ち尽くしている。
「すべて捨ててください! こんなもの、使えません!」
ヴァルターは一瞥し、すぐに命じた。
「おい、マーカスとロイクは一緒に買い物へ。他は残って彼女たちに従え」
「えーやだよー! 僕もー買い物ー!」
トレック子爵令息が抗議するが、ヴァルターは一切無視した。
「まだ疲れてないなら行こう。疲れたなら、父親のところに送る」
私は一瞬だけ迷った。
けれど、すぐに答える。
「……買い物に」
ヴァルターは頷き、私の手を取って馬車へと導いた。
御者台には、薬師と美青年が乗った。
港の通りを抜け、私たちはキッチン用品店に到着した。
店内には鍋や皿、調理器具が所狭しと並んでいる。
ヴァルターは迷いなく店主に声をかけた。
「生活に必要なもの、すべて」
「毎度あり! 色やデザインに、ご希望は?」
店主が笑顔で尋ねると、ヴァルターは私を振り返った。
「何がいい?」
「ピンクか花柄がいいです」
ヴァルターは、静かに店主に向き直る。
「…………そうしてくれ。8人家族だ。食器もいる」
「メイドが死んでも残ると思うので、10です。来客用も」
私が付け加えると、ヴァルターは小さく息を吐いた。
「……それで頼む」
店主が笑顔で頷き、奥へと走っていく。
家具、服、宝石、そして食材を買い揃え、郵便局で王への結婚報告の手紙を出した頃には、日はすっかり傾いていた。
馬車の荷台には、包みと箱が山のように積まれている。御者台の薬師ロイクと美青年マーカスも、すっかり疲れた顔をしていた。
しかし家に戻ると、2人が同時に声を上げた。
「……あれ?」「なんか……家が、ましになってる……?」
確かに、玄関の床は磨かれ、窓には新しいカーテンがかかっていた。
空気もどこか澄んでいて、埃の匂いが薄れている。
「応急措置ですよ。本格的な掃除は、明日からです」
メイドのイリーナが淡々と告げた。
「ありがとう。……呼吸がしやすい」
実は、ずっと鼻で呼吸しないようにしていた。
「それより、お嬢様の部屋が狭いです。というか、家が狭すぎます。
これでは、侍女も執事も置けません。私たちも通いです」
……そうよね。
「父に賜った古城が、馬車で1時間のところにある」
ヴァルターが、ぼそりと口を開いた。
「では、そこに──」
「海賊だらけだよん♪」
ニコラ・トレック子爵令息が軽い調子で割り込む。彼は、ヴァルターの同窓生だそうだ。
「捕まえた海賊のうち、手に負えない者は斬るか憲兵に渡すが、それ以外はそこで自給自足させている」
ヴァルターの言葉に、イリーナが絶句する。
「そこで良ければ、好きに使え」
「じょ、冗談じゃない! 近くに部屋を借ります!」
イリーナが顔を引きつらせながら言い放つ。
「ヴァルの部屋をお嬢さんと一緒に使って、客室を彼女たちが使えばいいじゃいか」
ニコラが肩をすくめながら提案する。
「四六時中、女がいると疲れる」
ヴァルターは即答した。
「さあさ、荷物を運んで、食事を作りましょう」
最年長ジャンが場を和ませるように声をかけ、男たちがようやく動き出す。
新しい家具はまだ届いていないが、家の中には確かな変化の気配があった。
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