冷遇された入り婿は後悔する──10年後の再会と精算──

星森 永羽

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監禁から始まる新婚生活

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 頑丈な木の扉に背を預け、俺は暗闇の中で息を潜めていた。
 ここは物置小屋。
 壁は分厚く、窓もない。空気穴から差し込む月明かりだけが、俺の存在をかろうじて照らしている。

 侯爵家の3男として育った俺が、まさか結婚初夜にこんな場所へ閉じ込められるとは思わなかった。
 藁の匂いと埃っぽい空気が、鼻を刺す。

 足音がした。俺はすぐに立ち上がり、空気穴に目をやる。見えたのは、黒いドレスの新婦ジュヌヴィエーヴ・ダルシー女子爵と、その隣に寄り添う黒髪の男。

「あなたを愛することはない。私は、このルーカンを愛してる。
 あなたはお飾りの夫にすらなれず、そこで虚しい人生を歩みなさい」

 その声は、氷の刃みたいに俺の胸を裂いた。

 俺は、拳を壁に叩きつける。

「俺をこんなところへ閉じ込めて、どうするつもりだ?! うちの実家は侯爵家だぞ! ただで済むと思ってるのか?!」

 今日、結婚した相手であるジュヌヴィエーヴは冷たく笑った。

「当主は私で、あなたは婿に過ぎないでしょう」

 頭が真っ白になった。
 何がどうなってる? なぜ、こんな仕打ちを受けなきゃならない?

「な、何故、こんなことを? その男と一緒になるのに俺が邪魔だからか?」

 2人は呆れたように息を吐いた。何も言わず、背を向けて歩き去っていく。

 俺は扉に額を押しつけた。怒りと屈辱で、喉の奥が焼けるようだった。

 ──ふざけるな。俺を捨てたこと、必ず後悔させてやる。





 壁は冷たく、湿っていた。背を預けるたび、じっとりとした水気が服に染み込んでくる。昼も夜もわからない。小さな空気穴から差し込む光は、時間の手がかりにはならなかった。

 最初の数日は、怒りで満ちていた。壁を叩き、扉を蹴り、喉が枯れるまで叫んだ。だが、誰も来ない。誰も返事をしない。

 1日1度、ペットドアのような小さな開口部から、木の皿に乗った粗末な食事と水が滑り込んでくる。
 声をかけても、影すら見えない。ただ、無言で皿が差し込まれ、無言で引き取られるだけだった。


 3日目の夜、怒りに任せて皿をひっくり返した。
 床にこぼれた粥はすぐに腐り、湿った藁と混ざって、鼻を刺す悪臭を放った。
 誰も掃除には来ない。臭いのは、自分自身だった。

 次の食事は来なかった。開口部は閉じられたまま。腹が鳴り、喉が渇き、頭がぼんやりしていく。
 そのとき初めて気づいた。食器を返さなければ、次はない。

 それからは、食器と一緒に、排せつ物を入れた容器をそっと添えて差し出すようになった。羞恥も、怒りも、もう残っていなかった。ただ、次の食事が欲しかった。

 湯浴みもできず、着替えもない。髪は脂で固まり、服は汗と汚れで重くなっていく。
 かつて絹のシャツに袖を通していた貴族が、今は自分の臭いに顔をしかめながら、木の皿を抱えている。


 時間の感覚はとうに失われた。何日目かもわからない。
 ただ、壁に耳を当て、誰かの足音を待つだけ。

 ある昼下がり、庭からはしゃぐ声が聞こえた。笑い声。水音。
 空気穴に顔を近づけると、噴水の前でジュヌヴィエーヴとルーカンがじゃれ合っていた。彼女の銀髪が陽を受けてきらめき、男の手がその腰を抱いていた。

 怒鳴ろうとした。だが、声が出ない。ずっと人と話していなかったせいで、声の出し方がわからなくなっていた。



 髭も髪も爪も伸び、時折、笑いが止まらなくなることがあった。何が可笑しいのか、自分でもわからない。

 そんな日々が続いた時、声がした。
 空気穴から覗くと執事だった。

「主人が『使用人になるなら、ここから出す』と申してます」

 主人というのは、妻のダルシー女子爵だ。

 口を開こうとしたが、喉がひりついて声が出ない。何度か咳き込み、唾を飲み込み、ようやくかすれた声が漏れた。

「使用人とは……具体的に、なんだ?」

「洗濯や庭掃除、馬の世話などです」

「食事は……3回、出るのか?」

「衣食住は与えられます。給与は出ません。その代わり、アッシュコーム侯爵家には支援を続けています。
 どうしますか?」

 俺は木の皿を見下ろした。乾いた粥の跡が、こびりついている。指でなぞると、爪の間に黒い汚れが入り込んだ。

 答えは、決まっていた。

「……1つ聞きたい。俺は何故ここに閉じ込められ、この先どうなる?」

 喉の奥から絞り出すように言うと、執事はわずかに眉をひそめた。まるで「そんなこともわからないのか」とでも言いたげな顔だった。

「閉じ込めた理由ですか……。
 ──2年前、レイヴンズフィールド家の夜会。あなたは、アデール子爵夫人と庭で逢瀬をしてましたね」

 アデール……アデール?
 その名を聞いても、すぐには思い出せなかった。
 だが、記憶の底を探るうちに、ぼんやりと浮かび上がってくる。確かに、あの頃の俺には愛人が何人かいた。アデール夫人も、その1人だった。

 執事は続けた。

「その時に庭に来た少女に、こう言いましたね? 
『君のような田舎臭い野暮な女は一生、男に愛されないだろう。わかったら早く失せろ。邪魔だ』と」

 心臓が跳ねた。

「その少女は、変装した主人です」

 息が止まった。喉が詰まり、何も言えなくなる。
 あの夜、確かにそんなことを言った。酔っていた。相手が誰かも気にせず、ただ目障りだったから。

「あなたの素行が悪いのは有名でしたが、主人は『自分の目で確かめないと』と仰って、見に行ったのです」

 俺は額に手を当て、眉間を押さえた。頭の奥がじんじんと痛む。
 あの一言が、すべての始まりだったのか?

「『これから、どうなるか?』でしたね。それは『あなた次第』としか言えません。
 では、答えが決まったら配膳係に、お伝えください」

 執事は一礼し、去った。

 俺はその場に崩れ落ちた。藁の上に、膝をついた。

 あの夜の、何気ない言葉。あの目を、思い出す。あの時の少女が、ジュヌヴィエーヴだった……。

 俺は汚れた床に身を投げ出した。藁の感触も、湿った木の冷たさも、もう気にならない。
 目を閉じると、過去の記憶がじわじわと浮かび上がってくる。

 婚約したのは、俺が15歳のとき。貴族学園に入学した年だった。
 相手は10歳の少女だった。名前はジュヌヴィエーヴ・ダルシー子爵令嬢。

 当時の俺は侯爵家の三男、顔も悪くない、しかも婚約者なし。
 舞踏会では引く手あまたで、女たちの視線が快感だった。女遊びを覚え始めたのも、その頃だ。

 婚約なんて、最悪だと思った。
 だけど相手はまだ子供で、遠い領地に住んでいるという。1度も顔を合わせたことがない。親が勝手に決めた相手。
 向こうからも「会いたい」なんて言ってこなかったし、俺は婚約の話を誰にもせず自由に遊び続けた。

 そのうち、自分に婚約者がいることすら忘れていた。


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