1 / 13
監禁から始まる新婚生活
しおりを挟む頑丈な木の扉に背を預け、俺は暗闇の中で息を潜めていた。
ここは物置小屋。
壁は分厚く、窓もない。空気穴から差し込む月明かりだけが、俺の存在をかろうじて照らしている。
侯爵家の3男として育った俺が、まさか結婚初夜にこんな場所へ閉じ込められるとは思わなかった。
藁の匂いと埃っぽい空気が、鼻を刺す。
足音がした。俺はすぐに立ち上がり、空気穴に目をやる。見えたのは、黒いドレスの新婦ジュヌヴィエーヴ・ダルシー女子爵と、その隣に寄り添う黒髪の男。
「あなたを愛することはない。私は、このルーカンを愛してる。
あなたはお飾りの夫にすらなれず、そこで虚しい人生を歩みなさい」
その声は、氷の刃みたいに俺の胸を裂いた。
俺は、拳を壁に叩きつける。
「俺をこんなところへ閉じ込めて、どうするつもりだ?! うちの実家は侯爵家だぞ! ただで済むと思ってるのか?!」
今日、結婚した相手であるジュヌヴィエーヴは冷たく笑った。
「当主は私で、あなたは婿に過ぎないでしょう」
頭が真っ白になった。
何がどうなってる? なぜ、こんな仕打ちを受けなきゃならない?
「な、何故、こんなことを? その男と一緒になるのに俺が邪魔だからか?」
2人は呆れたように息を吐いた。何も言わず、背を向けて歩き去っていく。
俺は扉に額を押しつけた。怒りと屈辱で、喉の奥が焼けるようだった。
──ふざけるな。俺を捨てたこと、必ず後悔させてやる。
壁は冷たく、湿っていた。背を預けるたび、じっとりとした水気が服に染み込んでくる。昼も夜もわからない。小さな空気穴から差し込む光は、時間の手がかりにはならなかった。
最初の数日は、怒りで満ちていた。壁を叩き、扉を蹴り、喉が枯れるまで叫んだ。だが、誰も来ない。誰も返事をしない。
1日1度、ペットドアのような小さな開口部から、木の皿に乗った粗末な食事と水が滑り込んでくる。
声をかけても、影すら見えない。ただ、無言で皿が差し込まれ、無言で引き取られるだけだった。
3日目の夜、怒りに任せて皿をひっくり返した。
床にこぼれた粥はすぐに腐り、湿った藁と混ざって、鼻を刺す悪臭を放った。
誰も掃除には来ない。臭いのは、自分自身だった。
次の食事は来なかった。開口部は閉じられたまま。腹が鳴り、喉が渇き、頭がぼんやりしていく。
そのとき初めて気づいた。食器を返さなければ、次はない。
それからは、食器と一緒に、排せつ物を入れた容器をそっと添えて差し出すようになった。羞恥も、怒りも、もう残っていなかった。ただ、次の食事が欲しかった。
湯浴みもできず、着替えもない。髪は脂で固まり、服は汗と汚れで重くなっていく。
かつて絹のシャツに袖を通していた貴族が、今は自分の臭いに顔をしかめながら、木の皿を抱えている。
時間の感覚はとうに失われた。何日目かもわからない。
ただ、壁に耳を当て、誰かの足音を待つだけ。
ある昼下がり、庭からはしゃぐ声が聞こえた。笑い声。水音。
空気穴に顔を近づけると、噴水の前でジュヌヴィエーヴとルーカンがじゃれ合っていた。彼女の銀髪が陽を受けてきらめき、男の手がその腰を抱いていた。
怒鳴ろうとした。だが、声が出ない。ずっと人と話していなかったせいで、声の出し方がわからなくなっていた。
髭も髪も爪も伸び、時折、笑いが止まらなくなることがあった。何が可笑しいのか、自分でもわからない。
そんな日々が続いた時、声がした。
空気穴から覗くと執事だった。
「主人が『使用人になるなら、ここから出す』と申してます」
主人というのは、妻のダルシー女子爵だ。
口を開こうとしたが、喉がひりついて声が出ない。何度か咳き込み、唾を飲み込み、ようやくかすれた声が漏れた。
「使用人とは……具体的に、なんだ?」
「洗濯や庭掃除、馬の世話などです」
「食事は……3回、出るのか?」
「衣食住は与えられます。給与は出ません。その代わり、アッシュコーム侯爵家には支援を続けています。
どうしますか?」
俺は木の皿を見下ろした。乾いた粥の跡が、こびりついている。指でなぞると、爪の間に黒い汚れが入り込んだ。
答えは、決まっていた。
「……1つ聞きたい。俺は何故ここに閉じ込められ、この先どうなる?」
喉の奥から絞り出すように言うと、執事はわずかに眉をひそめた。まるで「そんなこともわからないのか」とでも言いたげな顔だった。
「閉じ込めた理由ですか……。
──2年前、レイヴンズフィールド家の夜会。あなたは、アデール子爵夫人と庭で逢瀬をしてましたね」
アデール……アデール?
その名を聞いても、すぐには思い出せなかった。
だが、記憶の底を探るうちに、ぼんやりと浮かび上がってくる。確かに、あの頃の俺には愛人が何人かいた。アデール夫人も、その1人だった。
執事は続けた。
「その時に庭に来た少女に、こう言いましたね?
『君のような田舎臭い野暮な女は一生、男に愛されないだろう。わかったら早く失せろ。邪魔だ』と」
心臓が跳ねた。
「その少女は、変装した主人です」
息が止まった。喉が詰まり、何も言えなくなる。
あの夜、確かにそんなことを言った。酔っていた。相手が誰かも気にせず、ただ目障りだったから。
「あなたの素行が悪いのは有名でしたが、主人は『自分の目で確かめないと』と仰って、見に行ったのです」
俺は額に手を当て、眉間を押さえた。頭の奥がじんじんと痛む。
あの一言が、すべての始まりだったのか?
「『これから、どうなるか?』でしたね。それは『あなた次第』としか言えません。
では、答えが決まったら配膳係に、お伝えください」
執事は一礼し、去った。
俺はその場に崩れ落ちた。藁の上に、膝をついた。
あの夜の、何気ない言葉。あの目を、思い出す。あの時の少女が、ジュヌヴィエーヴだった……。
俺は汚れた床に身を投げ出した。藁の感触も、湿った木の冷たさも、もう気にならない。
目を閉じると、過去の記憶がじわじわと浮かび上がってくる。
婚約したのは、俺が15歳のとき。貴族学園に入学した年だった。
相手は10歳の少女だった。名前はジュヌヴィエーヴ・ダルシー子爵令嬢。
当時の俺は侯爵家の三男、顔も悪くない、しかも婚約者なし。
舞踏会では引く手あまたで、女たちの視線が快感だった。女遊びを覚え始めたのも、その頃だ。
婚約なんて、最悪だと思った。
だけど相手はまだ子供で、遠い領地に住んでいるという。1度も顔を合わせたことがない。親が勝手に決めた相手。
向こうからも「会いたい」なんて言ってこなかったし、俺は婚約の話を誰にもせず自由に遊び続けた。
そのうち、自分に婚約者がいることすら忘れていた。
19
あなたにおすすめの小説
夫は私を愛していないらしい
にゃみ3
恋愛
侯爵夫人ヴィオレッタは、夫から愛されていない哀れな女として社交界で有名だった。
若くして侯爵となった夫エリオットは、冷静で寡黙な性格。妻に甘い言葉をかけることも、優しく微笑むこともない。
どれだけ人々に噂されようが、ヴィオレッタは気にすることなく平穏な毎日を送っていた。
「侯爵様から愛されていないヴィオレッタ様が、お可哀想でなりませんの」
そんなある日、一人の貴婦人が声をかけてきて……。
さよなら私の愛しい人
ペン子
恋愛
由緒正しき大店の一人娘ミラは、結婚して3年となる夫エドモンに毛嫌いされている。二人は親によって決められた政略結婚だったが、ミラは彼を愛してしまったのだ。邪険に扱われる事に慣れてしまったある日、エドモンの口にした一言によって、崩壊寸前の心はいとも簡単に砕け散った。「お前のような役立たずは、死んでしまえ」そしてミラは、自らの最期に向けて動き出していく。
※5月30日無事完結しました。応援ありがとうございます!
※小説家になろう様にも別名義で掲載してます。
【完結】旦那様、わたくし家出します。
さくらもち
恋愛
とある王国のとある上級貴族家の新妻は政略結婚をして早半年。
溜まりに溜まった不満がついに爆破し、家出を決行するお話です。
名前無し設定で書いて完結させましたが、続き希望を沢山頂きましたので名前を付けて文章を少し治してあります。
名前無しの時に読まれた方は良かったら最初から読んで見てください。
登場人物のサイドストーリー集を描きましたのでそちらも良かったら読んでみてください( ˊᵕˋ*)
第二王子が10年後王弟殿下になってからのストーリーも別で公開中
冷遇夫がお探しの私は、隣にいます
終日ひもの干す紐
恋愛
愛人がいるなら、さっさと言ってくれればいいのに!
妻に駆け落ちされた、傷心の辺境伯ロシェのもとへ嫁いでほしい。
シャノンが王命を受け、嫁いでから一年……とんでもない場面に立ち会ってしまう。
「サフィール……またそんなふうに僕を見つめて、かわいいね」
シャノンには冷たいの夫の、甘ったるい囁き。
扉の向こうの、不貞行為。
これまでの我慢も苦労も全て無駄になり、沸々と湧き上がる怒りを、ロシェの愛猫『アンブル』に愚痴った。
まさかそれが、こんなことになるなんて!
目が覚めると『アンブル』になっていたシャノン。
猫の姿に向けられる夫からの愛情。
夫ロシェの“本当の姿”を垣間見たシャノンは……?
* * *
他のサイトにも投稿しています。
【完結】結婚式前~婚約者の王太子に「最愛の女が別にいるので、お前を愛することはない」と言われました~
黒塔真実
恋愛
挙式が迫るなか婚約者の王太子に「結婚しても俺の最愛の女は別にいる。お前を愛することはない」とはっきり言い切られた公爵令嬢アデル。しかしどんなに婚約者としてないがしろにされても女性としての誇りを傷つけられても彼女は平気だった。なぜなら大切な「心の拠り所」があるから……。しかし、王立学園の卒業ダンスパーティーの夜、アデルはかつてない、世にも酷い仕打ちを受けるのだった―― ※神視点。■なろうにも別タイトルで重複投稿←【ジャンル日間4位】。
[完結]「私が婚約者だったはずなのに」愛する人が別の人と婚約するとしたら〜恋する二人を切り裂く政略結婚の行方は〜
h.h
恋愛
王子グレンの婚約者候補であったはずのルーラ。互いに想いあう二人だったが、政略結婚によりグレンは隣国の王女と結婚することになる。そしてルーラもまた別の人と婚約することに……。「将来僕のお嫁さんになって」そんな約束を記憶の奥にしまいこんで、二人は国のために自らの心を犠牲にしようとしていた。ある日、隣国の王女に関する重大な秘密を知ってしまったルーラは、一人真実を解明するために動き出す。「国のためと言いながら、本当はグレン様を取られたくなだけなのかもしれないの」「国のためと言いながら、彼女を俺のものにしたくて抗っているみたいだ」
二人は再び手を取り合うことができるのか……。
全23話で完結(すでに完結済みで投稿しています)
愛することをやめたら、怒る必要もなくなりました。今さら私を愛する振りなんて、していただかなくても大丈夫です。
石河 翠
恋愛
貴族令嬢でありながら、家族に虐げられて育ったアイビー。彼女は社交界でも人気者の恋多き侯爵エリックに望まれて、彼の妻となった。
ひとなみに愛される生活を夢見たものの、彼が欲していたのは、夫に従順で、家の中を取り仕切る女主人のみ。先妻の子どもと仲良くできない彼女をエリックは疎み、なじる。
それでもエリックを愛し、結婚生活にしがみついていたアイビーだが、彼の子どもに言われたたった一言で心が折れてしまう。ところが、愛することを止めてしまえばその生活は以前よりも穏やかで心地いいものになっていて……。
愛することをやめた途端に愛を囁くようになったヒーローと、その愛をやんわりと拒むヒロインのお話。
この作品は他サイトにも投稿しております。
扉絵は、写真ACよりチョコラテさまの作品(写真ID 179331)をお借りしております。
第二王女と次期公爵の仲は冷え切っている
山法師
恋愛
グレイフォアガウス王国の第二王女、シャーロット。
フォーサイス公爵家の次期公爵、セオドア。
二人は婚約者であるけれど、婚約者であるだけだった。
形だけの婚約者。二人の仲は冷め切っているし冷え切っている。
そもそも温度など、最初から存在していない。愛も恋も、友情も親しみも、二人の間には存在しない。
周知の事実のようなそれを、シャーロットもセオドアも否定しない。
お互いにほとんど関わりを持とうとしない、交流しようとしない、シャーロットとセオドアは。
婚約者としての親睦を深める茶会でだけ、顔を合わせる。
親睦を深める茶会だというのに、親睦は全く深まらない。親睦を深めるつもりも深める意味も、二人にはない。
形だけの婚約者との、形だけの親睦を深める茶会。
今日もまた、同じように。
「久しぶりに見る君が、いつにも増して愛らしく見えるし愛おしく思えて、僕は今にも天に召されそうなほどの幸福を味わっている。──?!」
「あたしのほうこそセオ様とお顔を合わせること、夢みたいに思ってるんですからね。大好きなセオ様を独り占めしているみたいに思えるんですよ。はっ?!」
顔を合わせて確認事項を本当に『確認』するだけの茶会が始まるはずが、それどころじゃない事態に陥った。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる